夢七雑録

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品川池上コースを歩く

2013-06-09 09:46:05 | 歴史と文化の道
 東京都の歴史と文化の散歩道のうち「品川池上コース」は、「品川宿場散歩(品川駅駅~浜川橋)」、「大井なぎさの森散歩(南大井1丁目~流通センター駅)」、「馬込文士村散歩(浜川橋~大田区立龍子記念館)」、「本門寺散歩(大田区立龍子記念館~池上駅)」の4区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は14.5kmになる。

(1)品川宿場散歩

 品川駅の西口(高輪口)から南へ、第一京浜の左側の歩道を進む。江戸時代なら海の景色を眺めながら歩くことになるのだが、今は交通量の多い道路の脇を黙々と歩くだけである。煩わしければ、品川駅東口(港南口)に出て旧東海道に出ることも出来るが、今回はルート通りに進み、八つ山橋を右側の歩道で渡る。渡った先は小さな広場のように整備されていて、橋のそばには歴史と文化の散歩道の案内板が置かれている。ここは、品川宿の入口にあたり、広重の「東海道五十三次之内品川」を見ると、街道の右側からは八つ山が迫り、左側は海になっている。この先のルートは、踏切を渡って、徒歩新宿、北品川、南品川から成る品川宿を通り、立会川を渡るまで、旧東海道をたどることになるが、街道らしい雰囲気を残した、歩きやすい道になっている。

 踏切を渡って旧東海道を進み、東海七福神の一心寺を過ぎると、左手に品川宿本陣の跡地である聖蹟公園の入口がある。山手通りを渡って先に進むと、北品川と南品川の境をなす目黒川があり、品川橋が架かっている。橋の上には、歴史と文化の散歩道の案内板が置かれており、立会川を越えるまでのルートが記されている。

 品川橋から上流を眺めると、右手の荏原神社に渡る朱塗の鎮守橋が見える。荏原神社は今でこそ目黒川の北側に位置しているが、目黒川の流路が変わる以前は、川の南側に位置していた。荏原神社は、神輿の海中渡御で知られる南品川の鎮守で、北品川の鎮守である品川神社が北の天王と呼ばれていたのに対し、南の天王と呼ばれていた。

 品川橋から先に進んで天妙国寺を過ぎると、ジュネーヴ平和通りに出る。品川寺の梵鐘がジュネーヴから返還された事を記念した通りの名だが、昔は池上の本門寺への参詣道でもあった。この通りを渡るとすぐ品川寺で、東海道に向けて置かれた江戸六地蔵の一が今も健在である。ちなみに、江戸六地蔵のうち現存するのは、東海道の品川寺の地蔵、奥州街道の東禅寺の地蔵、甲州街道の太宗寺の地蔵、中山道の真性寺の地蔵、水戸街道の霊巖寺の地蔵の五地蔵である。荒神様で知られる海雲寺を過ぎて、旧東海道を先に進み、鮫洲に入る。広重は名所江戸百景の「南品川鮫洲海岸」に遠浅の海で海苔を栽培するヒビを描いているが、北斎もまた、東海道五十三次の「品川」に海苔を干す様子を描いている。当時は海苔が品川の名物になっていたのだろう。鮫洲を過ぎるとやがて立会川に出るが、その少し前を右に入って商店街を抜けると立会川駅に出る。最近は竜馬ゆかりの地として宣伝しているらしく、途中に坂本竜馬像が建てられている。立会川に架かる浜川橋を渡って、東海七福神の天祖諏訪神社を過ぎ、競馬場通りを渡ると、左側に標識Aがある。ここがコースの分岐点になっている。

(2)大井なぎさの森散歩

 旧東海道から分かれて競馬場通りを東に行き、しながわ区民公園の入口を過ぎ、海岸通りを渡る。その先、大井競馬場を過ぎて、東京モノレールの大井競馬場前駅に出る。京浜運河を勝島橋で渡ると、右側に緑地が広がっている。緑地に沿って先に進み、中央海浜公園前の交差点を右に折れる。この先、道路の両側は大井ふ頭中央海浜公園で、右側は、なぎさの森、左側はスポーツの森になっている。少し先に、なぎさの森の入口があり、ここに歴史と文化の散歩道の案内板が置かれている。ルート図では、直進するようになっているが、今回は、タイトルに従って、なぎさの森に入る。

 まず、なぎさの森管理事務所に行き、パンフレット類を入手してから、近くの樹林淡水池保全地区に入り、散策路で淡水池の周囲を一周してみる。アオサギでも居るかと思ったが、今日のところは姿を見せない。ついでに、管理事務所の横を入って野鳥観察舎に行き干潟保全地区の様子を眺めてから、先に進んで夕やけ橋を渡る。道が水辺に下った先はバーベキュー地区で、本日は満員御礼の状態である。ここを抜け、一旦外に出て交差点を渡り、南側の緑地の水辺の道をしばし歩き、それから外に出る。ここまで来たら港野鳥公園に行ってみたいところだが、それはまたの機会という事にして、京浜運河を大和大橋で渡り、交差点を渡ってモノレールの流通センター駅に着く。駅近くの交差点の角に歴史と文化の散歩道の案内板が置かれており、ルート図が記されているので、逆コースの場合には参考になるだろう。

 大井なぎさの森散歩は、戦後に埋め立てられ、流通の拠点として整備された地域のうち、緑地やスポーツ施設のあるエリアを歩くことになるので、歴史散歩というよりは、緑地散歩のようなコースになっている。

(3)馬込文士村散歩

 競馬場通りを渡った先で、大井なぎさの森散歩のコースと別れて旧東海道を左側の歩道で南に進むと、信号の先の、しながわ区民公園の入口に標識Bがある。さらに、その先にも標識Bがあり、ここを右に折れて西に行くのがルートだが、横断歩道が無いので、少し先の公園入口の横断歩道を渡って戻ってくるが、しながわ区民公園内を散策してから戻る方が良かったかも知れない。先に進み、京浜急行のガードをくぐり、鈴ケ森道路公園を過ぎて、第一京浜を渡る。左側の歩道で、桜新道を過ぎて、JR線路沿いの細長い大井水神公園に出る。ここに、歴史と文化の散歩道の案内板が置かれている。

 左側の歩道で、ガードをくぐり、下ってくる自転車に注意しながら坂を上がると、池上通りに出る。交差点の右側には品川歴史館があるが、今日のところはパスして交差点を左に折れ、左側の歩道で鹿島神社を過ぎる。その先の左側に、モース博士により発見され、我が国の考古学の端緒となった大森貝塚を公園化した大森貝塚遺跡庭園がある。

 先に進むと、山王口交差点の手前に、大森貝塚の碑への下り口があったので、入ってみる。大森貝塚遺跡庭園は品川区にあるが、線路沿いに立つ碑は、大森貝塚の遺跡地が大田区側にもある事を主張しているようである。八景坂を下り大森駅を過ぎて、山王二の信号で右側の歩道に移る。その先を右に入り、歴史と文化の散歩道と記したポールを目印に、右側の坂を上がる。暗闇坂という名の、この坂の上には富岡美術館があったのだが、すでに閉館している。道は少し曲がりくねりながら続き、やがて下り坂となる。坂の下には標識Bがあるが、ここを左に行くと環七に出る。

 環七を渡り、坂を上がって、標識Bにより右に折れるが、この先、上り下りもあって道は分かりにくくなる。標識Cを頼りに左に折れ、さらに、その先を左に折れて進むと、萬福寺の看板が見えてくる。その先、右に分かれていく道がルートで、道なりに行けば大田区立郷土博物館に出るが、直進して坂を上がり、信号で右に折れ、博物館の表示により左に入っても良い。博物館の前には、歴史と文化の散歩道の案内板が置かれている。

 博物館から先に行くと東急ストアに出る。ここで止める場合は、そのまま進み第二京浜に出て、すぐ右側に西馬込駅の入口がある。続けて歩く場合は東急ストアのところで、左に入る。入ってすぐの歩道に標識Bがあり、ここからは桜並木の歩道を歩く。信号を過ぎると標識Bがあるが、その先の善照寺の角を左に曲がり右側の歩道を歩く。桜並木が途切れたところで、左手の郵便局の左側の道を入ると、龍子記念館がある。日本画家の川端龍子の作品を展示する美術館で、建物は龍子自身が設計に当たったという。

 記念館の手前を右に入り、突き当りを右に行くと、五差路のような場所に出る。標識Bにより、左前方の道を進み、中央五丁目公園を過ぎて汐見坂を上がる。上がり終えると下り坂となり、前方に本門寺の森が見えてくる。下り終えて先に進むと左側に弁天池がある。さらに、墓地沿いの道を進んで、突き当りを右に上がると、貴船坂の上に出る。ここを左に、車に注意しながら道路の左側を進むと、下り坂になる。坂の下、ガードの手前を左に入る道がある。ここを左に入るとすぐ、池上梅園の入口がある。ここは梅の季節には混雑するが、ほかの季節は閑散としているようだ。

 池上梅園を出て左に行き、ガードをくぐって来る道に合流して南に向かう。本門寺の山の麓に沿った道を歩いて行くと、本門寺の総門の前に出る。ここまで、上り下りの多い道を歩いてきたが、あとは、96段の石段を残すのみである。

 総門の前、東側の歩道に、歴史と文化の散歩道の案内板が置かれている。南に進み、呑川を渡って、信号を右に入り、次の角を左に曲がる。ここからは池上本門寺通りとなる。参詣道らしい通りを進めば、池上駅に出る。ここが、コースの終点となる。


【参考】歴史と文化の散歩道の標識


 歴史と文化の散歩道のルート表示としては、案内板のルート図のほかに、標識A,B,Cがある事は、「銀座佃島コースを歩く」の中で紹介したが、これ以外の標識も使用されている。歴史と文化の散歩道のシンボルマークであるカタツムリを取り入れたガードレールは、品川池上コースのほか、幾つかのコースで使用されている。

 標識Cは方向表示があるのが本来と思われるが、方向表示の無いものもある。方向表示付きの標識Cを移動すると誤った道案内になりかねないので、方向表示なしにも意味がありそうである。写真は池袋コースの事例で、緑色のものである。

 品川池上コースの暗闇坂には、歴史と文化の散歩道と記したポールが使用されている。ほかに、日本橋本所深川コースで用いられている事例として、シンボルマークのカタツムリを乗せたポールを用いている例がある。
  



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