東京都の歴史と文化の散歩道のうち「中野石神井コース」は、「新宿今昔散歩(新宿中央公園~東中野駅)」、「寺町哲学堂散歩(東中野駅~中野区立歴史民俗資料館)」、「練馬すずしろの道散歩(中野区立歴史民俗資料館~中村橋駅)」、「東高野みち散歩(中村橋駅~石神井公園)」、の4区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は14.7kmになる。なお、当ブログのカテゴリー「江戸近郊の小さな旅」のうち、「石神井の道くさ」や「谷原村長命寺道くさ」の記事の中に、当コースに関連する記述がある。
(1)新宿今昔散歩
新宿中央公園の水の広場からスタート。公園東側の公園通りを北に向かうのがルートだが、今回は人工の滝の裏手に出て公園西側にある熊野神社に行く。この神社は、紀州熊野の十二の社を勧請したことから十二所とも呼ばれ、付近には料理屋の立ち並ぶ弁天池や玉川上水から神田川への助水路が作る渓流もあって、広重の名所江戸百景にも取り上げられるほどの行楽の地であったが、今は池も埋め立てられ、助水路も姿を消して、往時の景観は失われてしまっている。
熊野神社から公園の北東側に行き、案内板を確認してから外に出る。新宿中央公園北の交差点を渡って左側の歩道で北に向かうと、道はやや下りとなって右に曲がっていく。まもなく青梅街道に出るので、ここを渡ると、新宿グランドタワーの前に出る。ここを右に行き成子坂下の信号で左に入る。この辺り一帯は、再開発されて様変わりしてしまっている。先に進むと、ビルの下を通り抜けられるようになっているが、その前に、右へ行き、境内の超高層マンションに見下ろされている成子天神の富士塚を見に行く。
ビルの下を通り抜けるとガーデンエリアとなる。ここを抜けると税務署通りで、ここを左に行き次の信号で右に折れる。信号を渡った先の標識Bの左側の道を入って北に行くのがルートで、ガードレールのポールに歴史と文化の散歩道とあるのが目印となる。この道を進むと蜀江坂の上りとなり、坂の上で道は二分される。右側の道を進むと、少し先の右側、小公園の前に標識Bが置かれている。ここを左に折れ、突き当りを左に、すぐ右に折れると、大久保通りに出る。ここを渡って、先に進むと道は二つに分かれる。右に曲がっていくと鎧神社に出るが、直進して坂を下るのがルートで、すぐ先の右側に円照寺がある。
この寺には、武蔵国絵図にも描かれた桜の名木、右衛門桜があったが、すでに枯れて今は代わりの桜が植えられている。寺を過ぎて塀に沿って右に曲がると、道は二分される。ルートは左側の道で、道なりに下っていくと神田川に出る。万亀橋を渡って直ぐ右側に案内板が置かれている。
神田川の下流に向かって遊歩道を歩き、JRのガードをくぐる。その先の大東橋で左に折れて坂を上がり東中野本通りに出る。ここを左に行き、JRの線路に出て右折、右側の歩道で坂を上がる。坂の上、東中野駅西口には標識Aが置かれているが地図は無い。
(2)寺町哲学堂散歩
東中野駅から山手通りを渡り、斜め前方の東中野ギンザ通りを進み、商店街を抜けて青原寺駐在所前の信号を渡る。左側の歩道で下り、下り終えた先の信号で右側の歩道に移る。功運寺の先の交番で道は2分岐するが、ここは右側の道を進み、次の信号で右折して桜ヶ池通りを下る。桜ヶ池不動院を過ぎ、西武新宿線の踏切を渡り、上高田運動施設を右に見て進み、上高田公園の先で妙正寺川を北原橋で渡り、左折して川沿いに進めば、哲学堂通りに出る。通りを渡ると哲学堂の四村橋口があるが、右に哲学堂通りを上がって公園の正面口から入るのがルートである。入口近くには案内板がある。
江戸時代、この地は和田山と呼ばれ、和田義盛の陣屋跡とも言われていた。和田義盛は鎌倉幕府の初代侍所別当(長官)で、相模国の和田を根拠地とし、屋敷は鎌倉にあった。明治になると、東洋大学の創始者である井上円了が、この地に精神修養の場として哲学堂を開設。現在は、運動施設を含めて中野区の公園になっている。正面入口から入って、右側の野球場に沿って先に進むと、右手奥に特徴ある建造物が見えてくる。“杉並コースを歩く”で述べた野方の配水塔である。その先、哲学関から中に入る。
哲学堂には、四聖堂や六賢台など往時の建物が保存されており、昔の景観を残していることもあって、都指定の名勝になっている。園内を見て回り、哲学の庭を経て梅林口から外に出る。中野通りを右に行くと新青梅街道に出るので、ここを左折し、左側の歩道で西に進むと左側に江古田公園がある。
この辺りは、豊島氏一族と太田道灌が戦った古戦場の跡で、江古田公園内には江古田原・沼袋古戦場の碑が立っている。豊島氏は、この合戦に敗れて石神井城に退くが、石神井城も陥落し、遂には没落するに至っている。公園を出て西に向かい、妙正寺川に合流する江古田川を渡るが、思いのほか水量は少ない。左側の歩道で新青梅街道を進んで坂を上がる。坂の上に歩道橋があり、その手前の交差点を右に折れて北に向かうのがルートで、渡った先の歩道に標識Aが置かれているが地図は無い。今回は、ここから右側の歩道で新青梅街道を西に進み、中野区の歴史民俗資料館に行く。
中野区の歴史民俗資料館は入場無料で常設展のほか企画展や特別展が随時開催されている。資料館に隣接して旧名主の山崎家の邸宅があり、東京文化財ウイークを中心とする期間に庭園内を公開している。
(3)練馬すずしろの道散歩
表題の“すずしろ”とは大根の異名で、これから向かう練馬は大根の産地でもあった。歴史民俗資料館と山崎家の間を抜け、資料館の裏手に出て右に行き、T字路を右に行くと、通りに突き当たる。この通りが本来のルートである。ここを左に下って行き、二つ目の信号で左に折れる。東福寺と氷川神社を過ぎると、やがて道は下りとなり、下徳田橋に出る。橋の右側には江古田川の水路が見られるが、橋の左側から先は暗渠になり、川の名称も中新井川に変わる。暗渠の上の緑道を進むと、途中に案内板が置かれている。
暗渠の上の緑道はまもなく終わり、その先、道路中央の暗渠上はグリーンベルトとなって歩くことが出来ない。歩道を歩き、左側の徳殿公園で小休止する。徳殿は徳田で、税をまけてもらって得をした田だからという話がある。徳殿公園を出て右側の歩道を進み、その先の角を、標識Bを頼りに右折して北に向かう。
豊玉南小に沿って北に進み、その先の信号を渡って左に行く。正覚院と氷川神社を過ぎると環七に出る。ここを渡り、楠の大木がある富士稲荷を過ぎて、学田公園入口の信号で右に入ると、少し先に練馬区の変遷を説明した案内板がある。
学田公園に沿って北に向かう。野球場ばかりが目立ってしまう公園だが、お花見の名所でもあるらしい。昔、ここには中新井川の水源となる池があり、千川上水からの分水を加えて中新井川流域の水田を潤していた。後に、この池を水田に変えて学校の運営費をまかなったことがあり、そこから学田と呼ばれるようになったという。
学田公園の北側に置かれている案内板を確認し、その先の角を左に行く。なお、北に向かう道は、千川上水から分かれて学田公園にあった池に流れ込んでいた中新井分水の跡である。左に行くと南蔵院に出るが、寺の南側の道を塀に沿って進むのがルートである。先に進み、塀に沿って右に曲がると、右側に鐘楼門がある。
鐘楼門から直ぐ、道は左に折れるので、その道を進み信号を渡って中村小と農園の間の道を西に進む。坂を上がるとすぐ平坦な道となる。少し先、道の角に置かれている標識Bを目印に右に曲がり、千川通りまで一直線の道を、右側の歩道で北に向かう。昔みその醸造元の左手に稲荷の祠があり、ここを左に入り、道なりに進むと中村公園に出る。
中村公園から北に向かうと千川通りに出る。ここから稲荷の祠に至る道は千川上水から分かれた中村分水の水路跡で、南蔵院近くの水田を潤したあと、学田公園にあった池に流れ込んでいたという。千川通りに出て左に行き、中杉通りとの交差点で千川通りを渡って中村橋駅に出る。
(4)東高野みち散歩
中村橋駅から中杉通りの商店街を歩き、コンビニの角で標識Cにより左に折れていくと、練馬区立美術館の北側に出る。歩道に置かれている案内板を確認し、先に進むと道は下り坂となる。スーパーの角を右に折れ、銭湯の先を左に折れると、貫井川跡の緑道に出るので右に折れ、緑道を北に進んで目白通りに出る。ここを左側の歩道で左に進み、ガソリン・スタンドの手前で左斜め方向に入る。ここからは昔からの東高野山・長命寺への参詣道となる。道なりに進むと須賀神社の先で道は二分されるが、右側の道を選ぶ。なお、手前の右側の歩道に標識Bがある。先に進んでいくと、道は環八により分断されている。富士見台四の信号で環八を渡り、南光幼稚園を右に見て西に進むと左側に地蔵の祠がある。ここの三叉路を左に、直ぐ次の三叉路を右に行き、テニスコートを右に見ながら西に向かい、突き当りを左に折れる。その先、1番目か2番目の角を右に折れて、次の角を左に折れても差し支えないが、「ねりまの文化財」の記述に従えば、3番目の角を右に行き、突き当たりを左に下ることになる。下り終えたところが神社の裏手で、T字路になっている。ここを右に行き石神井川を渡る。その先を標識Bにより右折、石神井東中の先を左に折れると笹目通りに出る。通りの向こうが長命寺で、押しボタン式の信号で笹目通りを渡る。
(注)当ブログのカテゴリー・寺社巡拝の「参詣道を歩く」に関連記事がある。
東門から長命寺に入り、江戸時代の景観を今に残すという奥之院など、境内を見て回る。長命寺は武蔵野観音巡礼の第一番の札所でもあるので、ここからは、第二番札所の道場寺と第三番札所の三宝寺への巡拝を兼ねて、この先の道を歩くことになる。南大門を出て右に、江戸時代からあったと思われる道を進んで行くと、やがて西武池袋線のガードに出る。ガードを潜って南に行くのがルートで、ガードを出た先を右に行くと石神井公園駅に出る。現在は駅が高架化されたことによる、周辺の再開発が進行中である。ガードを出て南に進むと稲荷神社があるが、その前の標識Bにより右へ行き、坂を下って石神井公園通りを渡ると石神井池に出る。
石神井池のボート乗り場の前を左に行き、池に沿って進む。石神井池は人工の池で、もともとは三宝寺池から流れ出て石神井川に合流する水路があったところである。池の水が暗渠の中に流れ落ちていくのが見えるが、暗渠は石神井公園通りの東側に続いており、その上は和田堀緑道になっている。石神井池に沿って進んでいくと、中の島に架かる太鼓橋や、野外ステージがある。その先、池の近くに案内板が置かれている。当コースは、ここで終わりになるのだが、、もう少し歩いてから、石神井公園駅に戻ることにする。
石神井池から道路を渡って、西側の三宝寺池に行く。三宝寺池も都市化による湧水量の激減により、今は地下水の汲み上げに頼っている。水質の悪化は、国の天然記念物である沼沢植物群落にも影響を与え、消滅してしまった種もあるようだが、復元の努力の結果もあって、幾分持ち直してきているらしい。池の周囲の木道を歩くと、まだまだ自然が残っているようにも思える。
三宝寺池を渡る橋の際から、石神井城跡のフェンス沿いに進み、三宝寺の北側の道を左に下っていくと、旧名主役宅の長屋門の前に出る。ここを右に折れ、道場寺と三宝寺の間を南に向かい、車道に出て左に行き道場寺に入る。三重塔が印象に残る寺である。その後、西側の三宝寺に行き、根本大塔の先の大観音を仰ぎ見る。
旧名主役宅の長屋門まで戻って右に行き、通りを渡って石神井公園ふるさと文化館に行く。その後、東側に隣接する池淵史跡公園に行き、移設された旧内田家住宅を見る。ここを出て石神井公園に沿って東に進み、野球場のあるエリアを抜け、記念庭園の池を見て、石神井公園通りを通って石神井公園駅へと向かう。
(1)新宿今昔散歩
新宿中央公園の水の広場からスタート。公園東側の公園通りを北に向かうのがルートだが、今回は人工の滝の裏手に出て公園西側にある熊野神社に行く。この神社は、紀州熊野の十二の社を勧請したことから十二所とも呼ばれ、付近には料理屋の立ち並ぶ弁天池や玉川上水から神田川への助水路が作る渓流もあって、広重の名所江戸百景にも取り上げられるほどの行楽の地であったが、今は池も埋め立てられ、助水路も姿を消して、往時の景観は失われてしまっている。
熊野神社から公園の北東側に行き、案内板を確認してから外に出る。新宿中央公園北の交差点を渡って左側の歩道で北に向かうと、道はやや下りとなって右に曲がっていく。まもなく青梅街道に出るので、ここを渡ると、新宿グランドタワーの前に出る。ここを右に行き成子坂下の信号で左に入る。この辺り一帯は、再開発されて様変わりしてしまっている。先に進むと、ビルの下を通り抜けられるようになっているが、その前に、右へ行き、境内の超高層マンションに見下ろされている成子天神の富士塚を見に行く。
ビルの下を通り抜けるとガーデンエリアとなる。ここを抜けると税務署通りで、ここを左に行き次の信号で右に折れる。信号を渡った先の標識Bの左側の道を入って北に行くのがルートで、ガードレールのポールに歴史と文化の散歩道とあるのが目印となる。この道を進むと蜀江坂の上りとなり、坂の上で道は二分される。右側の道を進むと、少し先の右側、小公園の前に標識Bが置かれている。ここを左に折れ、突き当りを左に、すぐ右に折れると、大久保通りに出る。ここを渡って、先に進むと道は二つに分かれる。右に曲がっていくと鎧神社に出るが、直進して坂を下るのがルートで、すぐ先の右側に円照寺がある。
この寺には、武蔵国絵図にも描かれた桜の名木、右衛門桜があったが、すでに枯れて今は代わりの桜が植えられている。寺を過ぎて塀に沿って右に曲がると、道は二分される。ルートは左側の道で、道なりに下っていくと神田川に出る。万亀橋を渡って直ぐ右側に案内板が置かれている。
神田川の下流に向かって遊歩道を歩き、JRのガードをくぐる。その先の大東橋で左に折れて坂を上がり東中野本通りに出る。ここを左に行き、JRの線路に出て右折、右側の歩道で坂を上がる。坂の上、東中野駅西口には標識Aが置かれているが地図は無い。
(2)寺町哲学堂散歩
東中野駅から山手通りを渡り、斜め前方の東中野ギンザ通りを進み、商店街を抜けて青原寺駐在所前の信号を渡る。左側の歩道で下り、下り終えた先の信号で右側の歩道に移る。功運寺の先の交番で道は2分岐するが、ここは右側の道を進み、次の信号で右折して桜ヶ池通りを下る。桜ヶ池不動院を過ぎ、西武新宿線の踏切を渡り、上高田運動施設を右に見て進み、上高田公園の先で妙正寺川を北原橋で渡り、左折して川沿いに進めば、哲学堂通りに出る。通りを渡ると哲学堂の四村橋口があるが、右に哲学堂通りを上がって公園の正面口から入るのがルートである。入口近くには案内板がある。
江戸時代、この地は和田山と呼ばれ、和田義盛の陣屋跡とも言われていた。和田義盛は鎌倉幕府の初代侍所別当(長官)で、相模国の和田を根拠地とし、屋敷は鎌倉にあった。明治になると、東洋大学の創始者である井上円了が、この地に精神修養の場として哲学堂を開設。現在は、運動施設を含めて中野区の公園になっている。正面入口から入って、右側の野球場に沿って先に進むと、右手奥に特徴ある建造物が見えてくる。“杉並コースを歩く”で述べた野方の配水塔である。その先、哲学関から中に入る。
哲学堂には、四聖堂や六賢台など往時の建物が保存されており、昔の景観を残していることもあって、都指定の名勝になっている。園内を見て回り、哲学の庭を経て梅林口から外に出る。中野通りを右に行くと新青梅街道に出るので、ここを左折し、左側の歩道で西に進むと左側に江古田公園がある。
この辺りは、豊島氏一族と太田道灌が戦った古戦場の跡で、江古田公園内には江古田原・沼袋古戦場の碑が立っている。豊島氏は、この合戦に敗れて石神井城に退くが、石神井城も陥落し、遂には没落するに至っている。公園を出て西に向かい、妙正寺川に合流する江古田川を渡るが、思いのほか水量は少ない。左側の歩道で新青梅街道を進んで坂を上がる。坂の上に歩道橋があり、その手前の交差点を右に折れて北に向かうのがルートで、渡った先の歩道に標識Aが置かれているが地図は無い。今回は、ここから右側の歩道で新青梅街道を西に進み、中野区の歴史民俗資料館に行く。
中野区の歴史民俗資料館は入場無料で常設展のほか企画展や特別展が随時開催されている。資料館に隣接して旧名主の山崎家の邸宅があり、東京文化財ウイークを中心とする期間に庭園内を公開している。
(3)練馬すずしろの道散歩
表題の“すずしろ”とは大根の異名で、これから向かう練馬は大根の産地でもあった。歴史民俗資料館と山崎家の間を抜け、資料館の裏手に出て右に行き、T字路を右に行くと、通りに突き当たる。この通りが本来のルートである。ここを左に下って行き、二つ目の信号で左に折れる。東福寺と氷川神社を過ぎると、やがて道は下りとなり、下徳田橋に出る。橋の右側には江古田川の水路が見られるが、橋の左側から先は暗渠になり、川の名称も中新井川に変わる。暗渠の上の緑道を進むと、途中に案内板が置かれている。
暗渠の上の緑道はまもなく終わり、その先、道路中央の暗渠上はグリーンベルトとなって歩くことが出来ない。歩道を歩き、左側の徳殿公園で小休止する。徳殿は徳田で、税をまけてもらって得をした田だからという話がある。徳殿公園を出て右側の歩道を進み、その先の角を、標識Bを頼りに右折して北に向かう。
豊玉南小に沿って北に進み、その先の信号を渡って左に行く。正覚院と氷川神社を過ぎると環七に出る。ここを渡り、楠の大木がある富士稲荷を過ぎて、学田公園入口の信号で右に入ると、少し先に練馬区の変遷を説明した案内板がある。
学田公園に沿って北に向かう。野球場ばかりが目立ってしまう公園だが、お花見の名所でもあるらしい。昔、ここには中新井川の水源となる池があり、千川上水からの分水を加えて中新井川流域の水田を潤していた。後に、この池を水田に変えて学校の運営費をまかなったことがあり、そこから学田と呼ばれるようになったという。
学田公園の北側に置かれている案内板を確認し、その先の角を左に行く。なお、北に向かう道は、千川上水から分かれて学田公園にあった池に流れ込んでいた中新井分水の跡である。左に行くと南蔵院に出るが、寺の南側の道を塀に沿って進むのがルートである。先に進み、塀に沿って右に曲がると、右側に鐘楼門がある。
鐘楼門から直ぐ、道は左に折れるので、その道を進み信号を渡って中村小と農園の間の道を西に進む。坂を上がるとすぐ平坦な道となる。少し先、道の角に置かれている標識Bを目印に右に曲がり、千川通りまで一直線の道を、右側の歩道で北に向かう。昔みその醸造元の左手に稲荷の祠があり、ここを左に入り、道なりに進むと中村公園に出る。
中村公園から北に向かうと千川通りに出る。ここから稲荷の祠に至る道は千川上水から分かれた中村分水の水路跡で、南蔵院近くの水田を潤したあと、学田公園にあった池に流れ込んでいたという。千川通りに出て左に行き、中杉通りとの交差点で千川通りを渡って中村橋駅に出る。
(4)東高野みち散歩
中村橋駅から中杉通りの商店街を歩き、コンビニの角で標識Cにより左に折れていくと、練馬区立美術館の北側に出る。歩道に置かれている案内板を確認し、先に進むと道は下り坂となる。スーパーの角を右に折れ、銭湯の先を左に折れると、貫井川跡の緑道に出るので右に折れ、緑道を北に進んで目白通りに出る。ここを左側の歩道で左に進み、ガソリン・スタンドの手前で左斜め方向に入る。ここからは昔からの東高野山・長命寺への参詣道となる。道なりに進むと須賀神社の先で道は二分されるが、右側の道を選ぶ。なお、手前の右側の歩道に標識Bがある。先に進んでいくと、道は環八により分断されている。富士見台四の信号で環八を渡り、南光幼稚園を右に見て西に進むと左側に地蔵の祠がある。ここの三叉路を左に、直ぐ次の三叉路を右に行き、テニスコートを右に見ながら西に向かい、突き当りを左に折れる。その先、1番目か2番目の角を右に折れて、次の角を左に折れても差し支えないが、「ねりまの文化財」の記述に従えば、3番目の角を右に行き、突き当たりを左に下ることになる。下り終えたところが神社の裏手で、T字路になっている。ここを右に行き石神井川を渡る。その先を標識Bにより右折、石神井東中の先を左に折れると笹目通りに出る。通りの向こうが長命寺で、押しボタン式の信号で笹目通りを渡る。
(注)当ブログのカテゴリー・寺社巡拝の「参詣道を歩く」に関連記事がある。
東門から長命寺に入り、江戸時代の景観を今に残すという奥之院など、境内を見て回る。長命寺は武蔵野観音巡礼の第一番の札所でもあるので、ここからは、第二番札所の道場寺と第三番札所の三宝寺への巡拝を兼ねて、この先の道を歩くことになる。南大門を出て右に、江戸時代からあったと思われる道を進んで行くと、やがて西武池袋線のガードに出る。ガードを潜って南に行くのがルートで、ガードを出た先を右に行くと石神井公園駅に出る。現在は駅が高架化されたことによる、周辺の再開発が進行中である。ガードを出て南に進むと稲荷神社があるが、その前の標識Bにより右へ行き、坂を下って石神井公園通りを渡ると石神井池に出る。
石神井池のボート乗り場の前を左に行き、池に沿って進む。石神井池は人工の池で、もともとは三宝寺池から流れ出て石神井川に合流する水路があったところである。池の水が暗渠の中に流れ落ちていくのが見えるが、暗渠は石神井公園通りの東側に続いており、その上は和田堀緑道になっている。石神井池に沿って進んでいくと、中の島に架かる太鼓橋や、野外ステージがある。その先、池の近くに案内板が置かれている。当コースは、ここで終わりになるのだが、、もう少し歩いてから、石神井公園駅に戻ることにする。
石神井池から道路を渡って、西側の三宝寺池に行く。三宝寺池も都市化による湧水量の激減により、今は地下水の汲み上げに頼っている。水質の悪化は、国の天然記念物である沼沢植物群落にも影響を与え、消滅してしまった種もあるようだが、復元の努力の結果もあって、幾分持ち直してきているらしい。池の周囲の木道を歩くと、まだまだ自然が残っているようにも思える。
三宝寺池を渡る橋の際から、石神井城跡のフェンス沿いに進み、三宝寺の北側の道を左に下っていくと、旧名主役宅の長屋門の前に出る。ここを右に折れ、道場寺と三宝寺の間を南に向かい、車道に出て左に行き道場寺に入る。三重塔が印象に残る寺である。その後、西側の三宝寺に行き、根本大塔の先の大観音を仰ぎ見る。
旧名主役宅の長屋門まで戻って右に行き、通りを渡って石神井公園ふるさと文化館に行く。その後、東側に隣接する池淵史跡公園に行き、移設された旧内田家住宅を見る。ここを出て石神井公園に沿って東に進み、野球場のあるエリアを抜け、記念庭園の池を見て、石神井公園通りを通って石神井公園駅へと向かう。