夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

12月 2日(火)2「労働力。。。価値と使用価値(2)」

2014年12月02日 19時08分33秒 | 「政治・経済」
つづきですツイッターから
生産性の向上(賃下げというものではない)は、少ない労働力でより多くの商品を生産するからその1つあたりの商品は価値低下を起こす。しかし生産性の向上からの派生として、もう一つの面として優れた商品は使用価値を高める。商品の価値は下がるが一時的には使用価値からの価格は上昇
パソコンや電化製品など性能がアップしたり付加価値をつけて価格の維持をするといったものがある。これが使用価値からの価格の維持であり、時には価格は上昇する。
しかしその使用価値からの価格の維持や上昇はその商品を生産する産業全体で平均化されればその新たな使用価値は当たり前となりすぐにその商品の価値に価格は引き下げられる傾向を示す。商品の使用価値からの価格はその商品の価値が基本となる。
資本主義は競争としてこの生産性の向上により安くて大量の商品を生産して1つあたりの価値を下げていき、より良い商品という使用価値を高度にする。これが資本主義の優れたところであるはずです。この中で消費者物価は下がり続ける傾向を示す。これが資本主義経済の発展でしょう。
商品の価値を低下させてよりすぐれた使用価値を持つ商品は、国民生活を豊かにするでしょう。また生産に必要なより少ない労働力量は国民の労働時間を削減してこれもまた国民を豊かにするでしょう。資本主義経済はこれを目指して発展をしていくのです。経済はこういう社会にしろという。
国民はこういった社会を望んでいますから素直に従えます。しかし同時に資本主義経済はこれでは困るという自己矛盾を抱えています。これでは困るという人がいるという事です。
商品の価値低下により物価が下がることをデフレと呼び、利益が少なくなることからその利益を維持するために賃下げや失業を作り出します。そのために経済システムは破壊されてデフレは単なる物価の下落ではなくてデフレ不況となります。
ここで利益を得た人々はその金を生活のための消費ではそうは使いません。その金は子を産むものでなければなりません。ここに貨幣という富の集中(資本の集中化)とだぶつきが起きます。だぶつきは不況ですから当然です。たとえば新たな設備投資などはできませんから。
不況は子を産まない金の集積です。だぶつきです。この集積やだぶつきが起こらないようにするのが国民生活の豊かさのために流れなければならないという事を示しているのです。
株や土地といった価値のない(土地は人の労働でつくられたものではないから)ところでの売買益に頼る。絵画の値段を引き上げての売買益。すべて人の労働からつくられる富とかけ離れた架空の富を生産する。銀行もそのためにろくな担保もないところに金を貸し出す。
いわば人の労働というものから生まれる価値から切り離された子を産むというだけの使用価値だらけのものに集積しただぶついた金は流れていく。バブルです。。。。。当然はじけるでしょう。そこに待ち受けるのは恐慌の危険性です。
こういったバカげたものはもうなくして富裕層の皆さんも我慢しなくてはならない。結局国家が全体的に縮小していけば富裕層の中での没落がはじまる。低賃金でこき使ってセレブな生活を得ることは我慢しましょう。我慢してもらえるようなシステムを作り上げるのが社会民主主義経済です
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2014年12月 2日(火)「労働力。。。価値と使用価値」

2014年12月02日 09時36分17秒 | 「政治・経済」
以下、2013年12月に書いたものの再掲載です。

先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価低下をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展が問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。
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