あなたが買おうとしている洗濯機が今まで3万円だったものが、アベノミクスの経済政策のように円安誘導や消費増税による価格転嫁によって3万5千円になったとき、その洗濯機の価値は増加したと思いますか?
買う方はもちろん同じ洗濯機ですから価値が増加をしたとは思わないでしょう。何か新たな付加価値が付けばその洗濯機に3万5千円の価値を感じるでしょうが。
今、起きている悪性の物価高は生産される価値量に変化はなくて貨幣量という価格表示が変化しただけなのです。
価値に変化はなくて使用価値に変化が起きるのです。
洗濯機の価値に変化はないのですが、5千円も高くなったのですからその買い手の賃金なりの収入が同じならば使用価値が高くなるわけです。貨幣量による使用価値の変化はその洗濯機を買うのに「高い物」という意識が現れるでしょう。価値に変化はなくて使用価値だけが高くなれば、その洗濯機を買うことを躊躇します。価値以上の貨幣量を支払わされるわけですから。
しかしこの価値から離れた使用価値の上昇により利益を得る方が出ます。
価値量を一つのパイとすれば、価値量に変化がないのですからパイの大きさに変化はない。そのパイを国民すべてが分け合い、企業などにも分け合う。
その大きさに変化がないパイの価格だけが高くなったときに、国民の多くは賃金なりの収入が同じとすれば受け取るパイの大きさは少なくなります。その分企業などがパイの分け前が大きくなります。
結果として国民は受け取るパイの分け前としての価値量を減らされて、企業などがより多くの価値量を受け取ることとなります。ここで所得の再配分は低いところから高いところへと向かいます。
実はここに価値と貨幣量とという価格の変化すなわち使用価値のからくりが現れるのです。
買う方はもちろん同じ洗濯機ですから価値が増加をしたとは思わないでしょう。何か新たな付加価値が付けばその洗濯機に3万5千円の価値を感じるでしょうが。
今、起きている悪性の物価高は生産される価値量に変化はなくて貨幣量という価格表示が変化しただけなのです。
価値に変化はなくて使用価値に変化が起きるのです。
洗濯機の価値に変化はないのですが、5千円も高くなったのですからその買い手の賃金なりの収入が同じならば使用価値が高くなるわけです。貨幣量による使用価値の変化はその洗濯機を買うのに「高い物」という意識が現れるでしょう。価値に変化はなくて使用価値だけが高くなれば、その洗濯機を買うことを躊躇します。価値以上の貨幣量を支払わされるわけですから。
しかしこの価値から離れた使用価値の上昇により利益を得る方が出ます。
価値量を一つのパイとすれば、価値量に変化がないのですからパイの大きさに変化はない。そのパイを国民すべてが分け合い、企業などにも分け合う。
その大きさに変化がないパイの価格だけが高くなったときに、国民の多くは賃金なりの収入が同じとすれば受け取るパイの大きさは少なくなります。その分企業などがパイの分け前が大きくなります。
結果として国民は受け取るパイの分け前としての価値量を減らされて、企業などがより多くの価値量を受け取ることとなります。ここで所得の再配分は低いところから高いところへと向かいます。
実はここに価値と貨幣量とという価格の変化すなわち使用価値のからくりが現れるのです。