夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年12月14日(日)「ADーAS分析の二つのモデルと国民生活」

2014年12月14日 22時34分09秒 | 「政治・経済」
こちらにADーAS分析の二つのモデルが書かれている。
ケインズモデルと新古典派モデルである。
難しくてよくわかりませんが、需要と供給そして物価の関係でしょう。アベノミクスは物価を上げることによるデフレからの脱却を目指しているわけですが、政策的に物価を吊り上げることの不自然さと、その物価も貨幣価値の低下からのものですからなおさら不自然さを持つ。
貨幣価値の低下による物価が騰がれば国民所得は高くなるのでしょうか?物価を政策的にあげれば総需要線はシフトするのでしょうか?
そもそも簡単に総需要曲線がシフトすればという何げない言葉がそうも簡単に起こせるのでしょうか?
総需要ですからその需要の中身は問われないのですが、その需要のためには貨幣がどこに集まるかの違いからの分析がないのでは?
今の景気判断では企業の利益と株価に貨幣量が増えて国民生活には貨幣量が不足していますが、この中で全体の貨幣量が増えることによる総需要が言われてしまうわけです。
しかしここに大きな落とし穴があるのではないでしょうか?
生産される商品は直接大衆消費財として消費をされるものもありますが、企業の設備投資のように企業間取引によっての商品もあります。この設備投資に必要な他の企業が生産した商品は、その使用において設備投資をした企業が生産する商品に価値移転がされていきます。この価値移転先は最終的には大衆消費財とならなければならない。
ですから総需要の重点は大衆消費財の需要とならなけれなならないし、そのためには貨幣量が一般国民に移動しなければならない。これはケインズも新古典派もその経済学において自然に行われるとして超楽天的なのかもしれないが、資本主義の矛盾はこれが自然に行えないという事を示している。
ですからケインズも新古典派もその経済政策がうまくいかないのです。
コメント
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