夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 4月12日(木)「伝統」

2018年04月12日 21時14分42秒 | 「思うこと」
相撲協会が市長の急病でその救護のために土俵に上がった女性に土俵から降りろと言ったことが問題になった。
地方巡業時、女性市長の挨拶を土俵の下で行えとし、巡業部長は道標の高いところからあいさつをした。
そして今度はやはり地方巡業時に女の子は土俵に上るなと。
女人禁制の土俵。。。。。。
なぜ女性が土俵に上ってはいけないのか?
それは伝統だからだと。
その伝統とは何でしょうか。。。。。。
伝統とは言っても巡業部長が変わって女人禁制が復活したという程度の伝統である。
その程度の伝統だが、女人禁制がその伝統だというものが相撲協会の思想性が顕著に表れているという事でお粗末である。
ですから根本は伝統というものではなくて、伝統という言葉を使ってのごまかしでしょう。
もちろん相撲宇の伝統性が言われ、日本の文化であり同時に神事であると言われる。たんに女人禁制は伝統からの説明では片付かない問題であり、神事と強く関連するでしょう。ですから女性が土俵に登ったら塩をまくという失礼な行為にも及ぶ。
分かという面では、一時無気力相撲だ、八百長だといった問題が起きたことがあり、横綱の権威は相当に高いところに置かれて横綱になれば四文字熟語が使われて権威を保とうとする。相撲はスポーツだといわれるが、ある意味プロレスのような娯楽性がある文化なのでしょうか。
そして一番大切なのが神事というものです。
この神事というもので国とつながっているわけです。
国としてはその神事という宗教性に対して表立っては相撲とつながりを持つことができないわけですから国もあいまいな態度でいるのでしょう。
しかし神事というものから女人禁制をいう事も出来ない。
巣での神事であるという割には相撲協会の不祥事は度重なっている。内部から崩れ去ろうとする矛盾が深まると、伝統だといった表面的な言葉で自己保身をする傾向が強まるでしょうし、神事も矛盾の中でその権威を落とすでしょう。
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池に浮かぶ月102【4月12日】

2018年04月12日 18時32分15秒 | 「池に浮かぶ月」
イースターというのはどうもなじみがないですなぁ。
保育園帰りに子供を乗せたママチャリイースターのメイクをした口裂け女のようなママさんに出くわすと驚いてしまいます。子供はかわいいですけどね。
日銀のマネタリーベースは結果であり目的ではないと言いますが、インフレを起こせば経済の好転だという逆立ちの結果、この逆立ちを当たり前と考えるわけですからマネタリーベースも結果だとなります。
しかし銀行の経営を圧迫しているし、国民は円安誘導による悪性の物価高にあえいでいる結果が出ています。
どう見ても失敗ですし、マネタリーベースの拡大は目的です。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「4月12日という日」

【2017年】ツイッターつぶやきお題「イースターグッズは買いますか?」どうも、ハロウィンとかイースターというのはなじみがないですなぁ。。。。イースターといえば『卵』。。。 ......

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