【2024年】ツイッターつぶやき
熊本の交通機関がsuicaなどのICカードから離脱するらしい。
保守契約が切れてバス会社では120億円の経費が発生するらしい。
バスは赤字化していますからそこにsuicaなどの経費が増えればさらに赤字が膨らむ。この赤字を埋めるものがsuicaにあればいいのですが、バスもワンマンになり運転手さんが料金まで扱うようになり、現金からsuicaのようなものも導入したのですが、時々バスに乗るとチャージかなんかしたり、二人分処理をしたりするのを見かける。現金でも自動でお釣りが出たりしていますから運転手さんの負担はそう変わらないのか?
ならば高い経費をさらに負担するならsuicaなどは廃止した方がいいということになるのでしょうか。
今はスマホ時代ですからいろいろな決済ができますね。suicaの利用率はどのくらいなんでしょ。
コンビニで私鉄系のpasmoを使っていますが、僕のようにカード式のpasmoを使っている人はあまり見なくなりました。だんだんと時代遅れになってきているのかも?
≪過去の記事≫
【2004年】
昨日の日記の日付と曜日が間違っていましたので修正しました。
暑かったです。夏のよう。
九州と四国は入梅ですね。。。。関東も来週は梅雨のような天気らしいです。このまま入梅でしょうか。
今日はどこかドライブと思ったのですが、つい寝坊をして中止でした。明日はがんばって早起き!!どこに行こうか迷っているのですが少し遠出をと思っています。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
昨日、テレビ番組で長門・南田夫妻が出ていましたが、面白い夫婦です。長門さんも自由にしているようですが、いざ夫婦喧嘩となると南田さんを可愛いと思うらしい。南田さんも長門さんに対しては自然体。部屋の中を南田さんが咲きに歩き、電気がもったいないからと消していく、その暗い中を長門さんが影のように歩くというのは笑ってしまいました。
こういうのが夫婦円満なのかもしれないです。
それをみていて、なぜか銀色夏生さんを連想してしまった。なぜだろ?自分でもよくわからないのですが、天真爛漫製なのかな?よくわからない。。。
一ついえるのは、こういう天真爛漫な女性は、同性からは嫌がられるけど、男から見たら、わがままでも勝手なようだけど、許せるというのか。。。。
「メール交換」でのHARCOさんは、この許せるというやさしさがにじみ出ているように感じる。それに対する夏生さん。
夏生さんの詩を評価する歌人枡野浩一さんのブログに書いてあるあの言葉。。。。
男性から見た夏生さんへの態度がよく出ていると思う。それを読む僕も男ですからニヤニヤして読んでしまった。
【2007年】
「ばらとおむつ」 銀色 夏生 著
「脳梗塞になった母、しげちゃん。兄、せっせによる介護記録と、日常のあれこれ。
周りにいる風変わりな人たちや、子どもたちとの会話を織り込み、毎日はつるつる過ぎていきます。」
(裏表紙より引用)
14年間続いた日記エッセイ「つれづれノート」は、2005年の14巻「川のむこう」で終わります。
それから2年。。。。
「ばらとおむつ」によってつれづれノートが復活したというような内容だと思います。
「つれづれノート⑭」には、「買い溜めた100冊ほどの本を読むために『おこもり』」をするというようなことを書いていますし、お子さんたちもそれぞれに小学校や保育園を卒業するという時期でもあり、夏生さんの内面に何かしらの変化が現れている印象を受けました。「つれづれノート⑭」への感想に次のように書きました。
「この孤独の頂点が「おこもり」とも感じます。
この孤独の中から夏生さん自身がこれからの自分を見つめたとき、将来の子離れを意識し、出来上がった家と庭を考え、お金よりも大切なものを考え、健康と死を考え、あまり読まなかったジャンルの本を読み、考えます。
その中から、今この家に住み、家族がいて自然や田畑があり、流れていく時間の中に日常があることを確認していきます。人間関係は本物と言えるようなものは稀ではあるが、学校関係においては大切にし、人前で話しを上手くできたらと考えます。
ここに『自然体』の夏生さんを見る思いがあります。
『僕らはここでいつもお仕事
ただ生きているっていうお仕事
いろいろあるけど楽しいよ』
(P、329詩「川のむこう」より一部引用)
今までの夏生さんは、心に浮かぶものを追い掛け回して生きていた部分があると思います。もちろんこれがあったからこそそれまでの銀色夏生でもありました。しかしこの心に浮かぶものを追い掛け回すことをやめて、日常に(ただ生きることに)楽しさを求めたとき、そこに自由が産まれるのではないかと思います。
自由を追求してきた夏生さん。。。。
ほんとの自由って?今それを考えている夏生さんがそこにいるのではないでしょうか?」
「ばらとおむつ」は、「つれづれノート」シリーズに比べると、夏生さんの身の回りにいる方の姿がよりリアルに表現されています。母親「しげちゃん」の写真が載せられたり、その母子関係のクールさとその中での親を思う夏生さんが出てきます。また、兄「せっせ」は、独身でもあり「しげちゃん」の介護を引き受けて兄弟に「ばらとおむつ」というメール通信を書きますが、そのメールの一部が「ばらとおむつ」にも載せられ、「せっせ」という方の人柄もよりリアルになっています。その中での夏生さんの兄弟関係も「つれづれノート」シリーズより実際の生活の上での関係が見えてきます。
娘さんの「かんちゃん」や息子さんの「さくちゃん」との関係は相変わらずですが、お子さんたちも成長をして「かんちゃん」ももう中学2年生、「さくちゃん」も小学2年生。やはりお子さんたちがより成長した中での親子関係も「つれづれノート」時代からは変わってきているのでしょう。たしかに「かんちゃん」とは喧嘩が絶えませんが、子供でもあり大人になりつつある「かんちゃん」との関係は、子供を育てるという関係だけではなくていろいろなことを話し合えるような関係になってきています。
親戚の方々との関係もよりはっきりした形で書かれています。
詩人銀色夏生といえども、親がいて兄弟がいてお子さんたちがいて周りの人達もいる。日常の生活がそこにあるわけで、上の感想文の抜書きにある
『僕らはここでいつもお仕事
ただ生きているっていうお仕事
いろいろあるけど楽しいよ』
という詩にある日常というものが「ばらとおむつ」では「つれづれノート」よりいっそうリアルに描かれていると思います。
お母さんの脳梗塞と兄「せっせ」によるその介護という重い日常がそこにあるのですが、この現実をそのままに受け止め母「しげちゃん」に向き合っていきます。また、長男「さくちゃん」の給食費袋冤罪事件では、学校の先生への対応への不信が書かれていますし、それはまた親子関係としての自分の対応の足りなさもあることを書いています。思春期にある長女「かんちゃん」とのぶつかりをそのままに書き、二人の叔父たちや叔母たちのこと。そしてその親戚と「しげちゃん」とのこと。
「つれづれノート」ではさらっと書かれていたものが「ばらとおむつ」では、読者にもよりわかりやすく伝わってきますし、その現実にある夏生さんの心の中も読み取ることが出来ます。
これらのことは、内容の違いはあるでしょうが、すべての家庭の中に何らかの形で存在する心悩ますものです。またお二人の元夫についても語っていますが、このような夫婦関係を含めても夏生さんの心を痛める過去があるわけです。でも、このような誰でもが持つ心悩ますものをどのようにとらえて生きているのかとなると、
『僕らはここでいつもお仕事
ただ生きているっていうお仕事
いろいろあるけど楽しいよ』
という詩にあるわけです。今を生きているこまごました出来事をこの詩にあるように「楽しいよ」と言い切る夏生さんがいるということを「ばらとおむつ」からも伝わってきます。
216ページに、「かんちゃん」がつれづれノートについて夏生さんに感想を言いますが、その答えている言葉の中に次のような言葉があります。
「ただし、ママの視点で書いてあるから、正確ではないけどね。つまり、本当のことを書いているけど、そこで起こったことのすべてじゃないから、それ以外のことも無数にあったんだから」
また初めのページの前書きのようなものの中では
「本文中に登場する人物に関しては、プライバシーを考慮して、詳細を変えております。」
ともあります。
僕の記憶違いでなければ、どこかに、「つれづれノート」もひとつの作品であるといったような言葉もあったような?(間違いだったらごめんなさい)でも、上の夏生さんの書かれた言葉からも「つれづれノート」や今回の「ばらとおむつ」もひとつの作品であり、書かれていることは日記という形において事実であるがその事実を夏生さんがどのようにとらえたか、心に何を感じたかを表現した点で作品であるということだと思います。
このように「ばらとおむつ」をひとつの作品として読者も読まなくてはいけないということだと思いますが、この作品で、何を夏生さんは読者に伝えたかったのでしょうか?
毎日の介護は「せっせ」が行っているわけですから夏生さんはそのお手伝い程度のように受け止められます。また、毎日夕食のおかずの御裾分けを持って「夕方の語らい」に実家に行きますが、何歳まで生きるの?と「しげちゃん」に聞いたりしますし、読み方によっては、倒れた親に対する子の態度という「常識」(心痛んで全身全霊で介護)から見たら、その夏生さんのクールさに読者は「むむ?」と感じるものがあるかもしれません。「かんちゃん」とのぶつかり合う親子関係からの夏生さんの言葉のきつさや、叔父たちへの見方。。。。。書かれている内容の中にもドキッとするものがあります。
この夏生さんのクールさに「つれづれノート」時代から反発した感想が出ていましたが、今回の「ばらとおむつ」でもやはりさまざまな感想が出そうですね。
でも、親の老化や介護という点で見れば、そして通常なら先に逝くという現実をそして人の死は自然をそのままに受け止めるなら避けられるものではないと客観視するならそこにはある程度の現実を受け止めるある種のクールさはあるものと思います。また、「つれづれノート」には、「しげちゃん」とのかかわりをたくさん描いていますし、温泉や旅行にも連れて行ったり、高齢になっていく様子を見つめています。どこのページか忘れたのですが、母娘との関係は十分にしてきたというようなことも書かれています。毎日「夕方の語らい」として「しげちゃん」と話をするそんな様子が思い描かれるような文章で、「しげちゃん」や「せっせ」との家族関係もうかがわれ、夏生さんのクールさは、「しげちゃん」や「せっせ」にもあり、母娘関係としては夏生さんと「かんちゃん」にもあり、ひとつの家族が持つ独特な関係を見ることができます。
ですから夏生さんの「つれづれノート」や今回の「ばらとおむつ」に描かれているものは、表現されているものは、こうした自然な関係をお互いに気を使うこともなくさらっとしたものになり、読者の誤解を恐れずに読者に対してもさらっとした形で表現をしているのではないでしょうか?
そしてそれは、「ばらとおむつ」を母「しげちゃん」の脳梗塞と介護を主題に描くわけですが、このような重い主題であっても、読者に与えるものはさらっとしたクールさで、突き詰めてみれば『いろいろあるけど楽しいよ』という人生観を読者に問うているのではないでしょうか?そしてその人生観は、銀色夏生家の人々共通のものかもしれません。「しげちゃん」も自由な人ですね。そして夏生さんも自由な人。その娘「かんちゃん」も「野生児」カンチ(笑)
「ばらとおむつ」は、日記形式のエッセイですから当然に「つれづれノート」と共通しています。そこで少しツッコミを入れれば、「ばらとおむつ」の中で、萩本欽一の率いる野球チームがメンバーの不祥事で自ら解散すると言っておきながら、ファンのやめないでという言葉に感動してすぐに解散を撤回をし、その解散劇をどこか計算づくのように思えることに夏生さんは批判をしていました。その点では、「つれづれノート⑭」では「つれづれノート」はおしまいにすると書いてあり、一年置いてからまた「ばらとおむつ」という形で日記エッセイが出版されたわけですから、この点でも読者の中には「あれ?」という戸惑いもあるかもしれません。僕のようなファンとしてはうれしさばかりでしたが。。。
この点については、「せっせ」の介護記録「ばらとおむつ」がメールという形で兄弟たちに配信されたことに誘発されたのかもしれません。はじめの方は、「せっせ」の介護記録ニュースとそこへの感想程度だけでしたが、5月20日から夏生さんの日記が始まります。また「かんちゃん」の「つれづれノート」の感想から「つれづれノート」の持つ意味もお考えになったのかもしれません。もちろんファンの落胆も?
このような意味でまた日記エッセイというかたちをまたかこうとしたのかな?
また、「ばらとおむつ」は、「しげちゃん」の介護記録というひとつのテーマがあったらこそのことで、その点ではシリーズ化された「つれづれノート」とは少し違ったものがあるのかもしれません。もう「つれづれ」はおしまいと思った夏生さんの気持ちは本当だったでしょうし、また「ばらとおむつ」を書いたのも自然だったのかもしれません。あとがきを読むと「珊瑚の島~」に続きそうですが、毎年続くというような気負いもなくて他の詩やいろいろな本のひとつとして書き進められるのではないでしょうか?自然に・・・・
占い師ミラさんの占いのようにどこか冒険に行ってしまうかもしれないし、せっせやしげちゃんと南の島にいってしまうかも知れなし、恋もあるかな?でも。。。。
「こないだ来たときにあげたアメの袋のこと、せっせに怒られたよ」
「ホホホ。そうなのよ。見つかったら、また取り上げられると思って、かくしてたら、見つかってしまって」
「あれぐらいいいのにね~。せっせもちょっと厳しいよね・・・・・」
「そうよね~」
空を小さな鳥が、ピーッと鳴きながら飛んでいった。
(最終ページより引用)
少し引用が長くてすみません。でも、この最後のページにある「夕方語らい」を読んでジ~ンとしてしまいました。たぶん言語の障害が残る言葉で「しげちゃん」は語り、そんな母を見つめながら兄せっせの悪口を言う。。。。せっせはニコニコしながら聞いていたんじゃないかなぁ~
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
6月25日(予定)「今日、カレーとシチューどっちがいい? つれづれノート⑱」(角川文庫)が発売になるようです!!
「人って、他人のことは冷静にアドバイスできるのに、自分のことになったら急に感情的になってしまう生き物なんだな――。日々の何気ない出来事から大切なものをすくいあげる詩人の毎日を綴る、大人気シリーズ第18作。」
(角川のページより)
夏生さんのホームページにも紹介の文がありましたが、コピーしても良いのかわからないので見に行って下さい。
会社を立ち上げて音楽活動に向かう夏生さん。ホームページのコメントには、そんな心の内が見えるような。。。。
常にどこかに心が向かう。。。。。その中で迷ったり悩んだりするわけですが、上に引用した角川の紹介文には、そんな夏生さんが?同時に愛も・・・・・?
楽しみです!!
道の駅 しょうなん
「しょうなん」は「沼南」と書くようです。神奈川の湘南は有名ですが。。。。千葉県のショウナン。
東京からも近い千葉県我孫子市にあります。
手賀沼という大きな沼の「湖」畔にあり、レストランからの眺めはよかったです。
レストランでアイスコーヒーとロールケーキを食べたのですが・・・・・うん、ロールケーキがいまいちかな。フルーツロールケーキだけどジャムのような。。。。。
道の駅といえば農海産物の直販ですが、千葉県の野菜が並び、地元の米や畜産品がありました。
農薬を半分に減らしたコシヒカリ、アボガド、ゴールドキーウィ、卵、大きななめこなどを買ってきました。ゴールドキーウィは地元産かな?スーパーでは見ることができない大きなものがありました。今朝食べたのですが、甘さも十分でおいしかったです。アボガドも食べごろで大きくて安かった。
レンタルサイクルもあるようで、手賀沼1周というのも楽しいかもしれません。山の中の湖畔とは生きませんが、のんびりとした風景の中コーヒーをすするのはいいかも。喫煙席もありました。。。。。ウレシイ♪
ABCで評価するなら。。。。。B・・・・・かな。
【2011年】ツイッターつぶやき
彌榮浩樹著「1%の俳句」(群像6月号)
俳句論です。
難しいです。
方法としては、まず99%の素人の詠む俳句と1%の俳人が詠む俳句の違いから入る。
しんぞうがぼくよりさきに走ってるよ
鶏頭の十四五本もありぬべし
このような対比を見ながら1%の俳句は何かを見る。
ここから俳句の特筆は写生にあるとする。
この写生については、
・現実は退屈で平板で退屈である。
・写生とは現実をそのまま書き上げただけの貧しい模写、片輪(原文のまま…夕螺)な報道記事である。
・写生による俳句は想像力の次元に達せず、従って詩ではない。
という写生に対する批判を反批判する。
その反批判は、先の99%の素人俳句にあてはまるもので1%の俳句は「写生とは何かを作品として現出している」と写生は俳句の表現となってるという結論を導いていると感じました。
僕が読んだ感想としては、99%の素人俳句(実は俳句とは呼べないのだということですが)は詩としての俳句に仕上がっていない、1%の俳句は詩として完成されているということであり、この詩として完成をしている俳句にある写生は上の三つの批判には値しないし、写生というものへの皮相的な批判であるという結論に達するのではないかと思います。
ここに1%の俳句とは何かという結論に至る。
しんぞうがぼくよりさきに走ってるよ
鶏頭の十四五本もありぬべし
たしかにこの2句には大きな違いを感じます。重さが違うというのか俳句らしい(詩的)俳句とそうではない俳句というものを感じます。「子供俳句」との違いです。ここはどうにか素人の僕でもわかります。
しかし、「いかにも俳句風の俳句」と1%の俳句との違いとなるとどうも素人にはわかりにくくなる。
雪ばかり見て何もせず誕生日
草刈って風を失くしてしまいけり
この「いかにも俳句風の俳句」それに対する
鶏頭の十四五本もありぬべし
という1%の俳句。
ここにどのような違いがあるのだろうか?むしろ素人には上の2句の方が「理解しやすい」。
プロフェッショナルな領域とは?
「ばかり」とか「って」と今風の言葉遣いがありますからどこか軽いような感じも受けますし詩的な言葉でもない。でも、これが問題でもないようです。写生でしょうか?
上の2句のスケッチ的な風景は、積もった雪や降る雪ですし、草を刈った後の匂いや動かぬ草の株です。下の句は鶏頭という花と14,5本という多くもなく少なくもない風景です。こう見ると季語としての風景という写生はあるが、句全体には写生を感じないということでしょうか?
では、写生とは何か?
それは
・現実は退屈で平板で退屈である。
・写生とは現実をそのまま書き上げただけの貧しい模写、片輪(原文のまま…夕螺)な報道記事である。
・写生による俳句は想像力の次元に達せず、従って詩ではない。
という三段論法への批判という形で説明されていく。
その視点は、「一挙性・露呈性との関わり」と「現実との関わり」をもとに?
「写生した絵は、必然的に主観性・情味を帯びる。」(中略)蛇笏の俳句は「必然的に単なる客観的な存在物の描出えはなく、」「日本語を使うわれわれの共同主観としての、詠歌や感慨を表現したものだ」
これが露呈する?
「一挙性は日本語そのもののもつるーるを凝縮したものだ」露呈とはこの凝縮した?「日本語の極限値、濃厚に煮詰めた日本語そのものの味を楽しむということである」
現実との関わりは、
「反現実・非現実な作品でも、それが僕たちに認知可能な作品であるかぎり、それは現実の一部となる形ではたらく。」「現実→言語作品」ではなくて「言語作品→現実」
ここに俳句の写生があるということだろうか?
【2012年】ツイッターつぶやき
インサイトがそろそろ車検です。
東京23区内在住、街乗りと近郊の実家への往復が中心で月に1回ほどドライブに出かけたり旅行に出かけたりしています。燃費はあまり考えずに一般道も高速も流れに乗って走っています。
この3年間の燃費は、ちょうど20.0㎞でした。
ハイブリッドとしてはそうは燃費は良くないのでしょうか?
でも、23区内に住んでいて信号待ちでのタッチ&ゴーも多く、流れに乗ってそれなりに走っていますのでこんなものでしょうか?
以前乗っていた小型車でも燃費は12キロぐらいだったと思いますから、20キロというのはすごいと思います。今はガソリンも値上げされていますので、リッター8キロの燃費差は大きいです。40リットル満タンで300キロ以上走行距離が違うわけですから。ハイブリッド車は少し車両価格が高いですが、僕のように距離を乗るとガソリン代の差額で価格差を帳消しになります。
原発事故で電力も値上げや不安定になっている今、電気自動車よりもハイブリッドではないでしょうか。。。。これからハイブリッドが主流になり、マツダのエンジンのような燃費の良いエンジンも絡んでくれば相当ガソリンを食わない車が普及してくると思います。
【2013年】ツイッターつぶやき
中国も10%を超える高度成長が続いていたがここにきて7%代に。そして日本の円安誘導による経済への影響が大きいと言われている。
しかし今中国経済はどのようになっているのか?
ここに「安定成長路線の定着に向け我慢比べに入った 中国政府の今後の課題」という記事がある。中国の習体制がはじまり新たな5か年計画がはじまり、これまでの高度成長をなるべく維持をしながら都市と農村などの格差を埋める方針が決められたと思うが、今その方針がある程度進みつつあるようです。
これはある意味内需による経済の安定化とそこからのさらなる経済発展という考え方だと思うのですが、成長率が下がっても内需(格差の是正)拡大へという経済の方針は、中国経済をソフトランディングさせる働きを果たしているようです。一時は中国初のバブル崩壊が懸念されていましたが、過剰な金融の過熱もやはり実体経済に軸足を移すことでソフトランディングも可能になってきたという事でしょうか?
「消費を如何に活性化させるか、それも補助金政策のような、結局は国が関与するような形ではなく、如何に自律的に消費を引上げていくかが、政策の主要な課題の一つとなっている。」 (上記リンクページより引用)
この点では、バブル的な不動産投資も沈静化して労働者や農民の賃金が上がっているという。
ここに日本でいう公共事業のようなものも生きてくるわけです。
そして企業の生産性や競争力の強化が課題ですが、これをどう失業の増加などという労働者の犠牲なしに行っていくか、格差の是正と合わせた政策と、本来の意味における企業の構造改革をどう酢s目ルカにより
「改革に伴う痛みをどこまで中国共産党が説得していけるか、国民が一致団結してその痛みに耐えることができるか、新政権は世界の耳目を集めるだろう。「和諧社会」を標榜し、国民全体の生活を豊かにしよう、としてきた現政権が目指してきた基本路線を堅持することで、自ずと調和の取れた改革が進んでいく」
今の日本が行おうとしているアベノミクスの成長路線そして中期計画の「骨太の改革」とどこが違うかを見る必要があると思います。
もちろん中国経済もそうはまっすぐ進むものではないと思いますが、ソフトランディングを成功させるというものは相当難しいものですし、アメリカも日本も失敗をしている。ここがカギでしょう。そしてそれは内需と成長の相乗効果をつくれるかにありそうです。
【2014年】ツイッターつぶやき
大飯原発稼働差し止め判決に対する「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」(日本原子力学会)という言葉は、科学技術の発展の中で安全性をより高め発達をしていくという一般的な論理として正しいのですから「ゼロリスク」求めるならばこのような科学技術の発展と利用はないでしょう。
しかし「ゼロリスク」を求めることが間違いだという論理の裏側には「完璧な安全」という論理も間違いであるということです。ですから「原発の安全性は保障されている」から稼働・再稼働をという論理はやはり安全神話なのです。ですから飛行機事故などがあれば「より安全性を高める」ということしか言えないわけです。原発の過酷事故が現実に起きたわけですから「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」という言葉も「より安全性を高める」という意味以外ではないのです。「ゼロリスクを求める考えは不適切」という論理のすり替えで安全性を語る。これもまた安全神話の語り方の一つなのです。
リスクというのは事故が起きる確立を下げることだけではなくて事故は起きるものだという認識にも立ってその事故が起きた場合にどれだけのリスクが生じるかを見なければならないでしょう。この事故が起きた時のリスクの大きさを含めたリスクなんです。
車の交通事故の起きるリスクの大きさと原発の重大事故が起きるリスクの大きさを比べれば、交通事故は毎日起きているわけですから原発の重大事故のリスクは相当低いことになる。リスクの高い車に毎日乗っているのに原発事故の相当低いリスクを言うのは間違いなどといった論理が生まれる。しかし車の事故と原発の事故といういったん事故が起きた時のリスクはどちらが大きいかといえば原発事故のリスクのほうが相当大きいでしょう。その中で原発の稼働リスクは高いということになります。
経済的コストも発電コストで原発は安いといわれますが事故時のコストを考えればそのコストは相当高い。
このような論理から安全神話と平和ボケという言葉を混同してはいけない。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
最近いくつかの笑顔を見た。
お孫さんを抱いたおばあちゃんの笑顔とその赤ちゃんの笑顔
新1年生の笑顔
花壇の花を見つめる笑顔
ジョークを言ったらコンビニの店員さんの笑顔
人は笑顔がなければ人とはなれない
人間は動物だが人という場合には豊かな心だ
しかしこの笑顔が心を現すとすれば・・・・
嘘をついているときの笑顔
ごまかすための笑顔
小ばかにしているときの笑顔
自分の心に嘘をついているときの笑顔
悪事を働いているときの笑顔
この笑顔を見ると、皆がドン引きしている
しかし本人は普通の笑顔のつもりで
誰も何も言わなければ本人は素敵な笑顔と思っているのだろう
我に返って笑顔がさっと引いたときの顔。。。。
うん?
blogram が消えた。。。。。?
【2018年】ツイッターつぶやき
一連のモリカケ問題により安倍内閣の支持率は30%そこそこで、不支持も依然として高い。
安倍政権は消去法と「期待」によるものでした。期待に関してはだいぶ低下をしてきて不信が強くなってきました。消去法についてはなかなか自民党に代わる勢力が見えないことによりまだ消去法は生きているようです。
しかし安倍政権が強い国家を訴える反面政治は国家機関が混乱する中での政権維持となっている。
消去法で次の内閣は?ここがはっきりしなくても政権自体が自壊をしてしまうでしょう。
じわじわと安倍政権のこの次回は進んでいる。自浄能力はもうなくなっています。
【2019年】ツイッターつぶやき
ある方のブログに花畑の写真がありました。
様々な色の花が一見雑然と咲いていました。
花畑は好きです。
2年前5種類の花の種がミックスされたものを買ってきてプランタに巻きました。アリッサム、撫子、サルビア、マリーゴールド、ヒルザキツキミソウの花が次々に咲いて小さな花畑になりました。やはり雑然として形をつくるのが難しいですが、この雑然さが好きです。そして次はどんな花が咲くかなと楽しみでもあります。
もう2年たちますので今年の秋には植え替えかと思います。
ということで、花屋さんでミックスフラワーガーデンという5種類の種が混ざったものを買ってきました。「花絵の具」というサブタイトルが書いてありましたが、絵を見ると5色ほどの花が咲いています。絵の具のパレットのように。
秋蒔きの種ですので、今の花畑が枯れるころですからちょうどよいと思います。広い花畑ならば種が落ちて次の年も楽しめるかもしれませんがプランタでは無理でしょうね。
4月ごろ、春になると咲きだすと思います。
今の花畑はアリッサムとヒルザキツキミソウが咲いています。そしてサルビアの花芽が出てきました。秋まで楽しめそうです。
【2020年】ツイッターつぶやき
東京都モニタリング指標
1、新規陽性者数 9人(緩和基準20人以下)
2、接触歴不明率54%( 50%以下)
3、週単位の陽性者増加比
1.07(緩和基準 1以下)
28日陽性者は15人だから、今後の増加によっては週単位で20人を上回ることも?
(以上ツイッターから)
今日は新規陽性者が22人で、上記
「1、」が11.7人
「2、」が54.9%
「3、」が1.55
跳ね上がりました。
モニタリング指標でどうにか緊急事態宣言解除で東京都が規制を緩和できる数字は「1、」だけです。しかしこの新規陽性者数(週単位)も検査数がクラスター後追いなど極端に少なくなっている中での数字ですから怪しいと思います。今日は22人ですからこの感染者数が続くようでしたらすぐに緊急事態となるでしょう。
「2、」については都知事会見では夜の町での感染を突き止めているのだからこの分の人数を差し引けば50人を割ると言っていましたが、夜の町というだけでは後追いの検査はできないでしょう。この店から感染が広がったとはっきりして初めてクラスターでの後追いができるはずです。
まだすぐ第二波かと言えば短絡的には言えないでしょうが、密が戻っている中での感染拡大傾向ですから危ないですね。
しかし小池都知事はこのような状態の中でも緊急事態宣言解除後の緩和を6月1日から現在のステップ1からステップ2へと弛めるようです。これはまさに経済政策だけの視点での弛めです。
たしかに経済は大変なことになっていますが、休業補償もまともに受け取れない状態ですから、経済の悪化は政治の責任が大きいでしょう。
わが家は朝と夕方家族みんなで体温を測っています。
今日も日中は暑くなって汗ばむぐらいでしたが、3日ほど前は肌寒かった。
どうも体温のばらつきが大きいです。
気温の変化のせいだと思うのですが、高齢の男性の体温ってどのくらいなのかと思ってネットで調べてみました。
しかしいくら調べても妊娠のタイミングの記事しか出てこない。
おかしいなぁと思い妻に言ってたら。。。。。。
「なんという言葉で調べてるの?」と。。。。
「基礎体温」。。。。。
「あははは・・・・・・」
「?・・・・・・」
「それって、”平熱”でしょ」
「あははは・・・・・」
どうもおかしいと思った。
【2021年】ツイッターつぶやき
「中華圏と比較して、日本の感染状況についての所感も語った。
「中国大陸ではすでに感染者が少なく、強力的な措置で感染を抑え込んでいる状況です。中国の友人に日本の状況を話すと、感染者数の多さに驚かれます。一人のジャーナリストとしては、この日本の状況で取材をすることに不安と難しさを感じています。いまの自粛はすごく日本的だなと感じます。」
(AERA)
「東京五輪は黒歴史になる」 と外国記者から警告というニュースです。
オリンピック階差については様々な点からの私的がありますが、その中で興味を覚えた記事が上の引用です。
中国初コロナウイルスとも言われていましたが現在では感染者数も減少して日常生活も取り戻されはじめているようですし、そのことから経済のV字回復も言われ世界中から注目をされている。アメリカの中国批判もこのへんにあるでしょうし、ワクチン接種を通じて経済の立て直しを行おうとしています。
日本はワクチンに頼るだけで検査と隔離(医療体制)が蔑ろになっています。この1年間を見ても感染拡大と経済の落ち込みが目立ちます。以前、北京だったか上海だったか、少人数の感染者が出たということで数百万人のロックアウトという記事を見た記憶がありますが、そのくらい徹底していたのでワクチンが全国民に接種されない現在でも日常を取り戻している。
先の引用に「強力的な措置で感染を抑え込んでいる状況」と中国の現在を書いていますが、これを見て日本も会見して非常事態宣言をしなければ抑え込めないと早合点する人がいるかもしれません。
しかしこれは間違いで、
ロックアウトという強硬手段をとってもアメリカやイギリスでは多くの感染者を出しています。そしてワクチンで抑え込めるめどが。ですから強力な処置をすれば感染者も減って日常を取り戻せるというのは間違いです。
日本の現在の検査体制や医療体制(隔離体制)で緊急事態宣言を出しても欧米と同じくコロナは抑えきれないでしょう。
緊急事態宣言だ改憲だワクチンだと空文句を言う前にやるべきことは多くあるのです。
【2022年】ツイッターつぶやき
先日日本の食料品の値上げについて書きましたが、イギリスで庶民の味フィッシュ アンド チップ(白身魚とジャガイモの揚げたもの)がものすごい値がらしくこのままでは採算が合わなくなり店を閉めなくてはいけない状態だそうです。
EUからの離脱とロシアへの経済成長という保護主義の結果です。
アメリカやイギリスそして日本もそうかもしれませんが、一つの経済圏(同盟)を作るような動きにあるように感じます。アメリカの保護主義に同調した同盟関係です。
経済の発展を目指した同盟関係だったはずが経済を停滞させることになっている。
結局ロシア制裁も白身魚欲しさにあやふやになるようです。
ロシア制裁に同調した国の中でもロシアの穀物や石油・天然ガスに頼らざるを得ない国がたくさんあるでしょう。
ロシア批判からの制裁ですが、そのロシアの軍事行動を引き起こしたのもまたアメリカのNATOの軍事政策。
国内には極右勢力の拡大を伴いながらNATOは進んでいく。
【2023年】ツイッターつぶやき
菅さんの息子さんもいろいろあったような気がするが、岸田さんの息子さんも負けず色々ある。
肯定で悪ふざけをしてついに更迭。といっても6月1日付で辞任のようですが。夏のボーナスは出るという噂。
政治家も世襲制になっていますのでそのうちに岸田さんの息子さんも政界デビューでしょうか。もちろん当選するでしょう。
こうした政治の世界にあって岸田さん自身もないをしているのか見えない。
もちろん外交としてお付き合いもあるので外遊をしていますし、総理大臣の「政治」はしていますが仕事は行っていない。子育て支援を言うがその財源は増税や社会保障費の増額。親子三代の過程で言えば、子供の手当てをもらっても、爺ちゃん祖母ちゃんの医療負担が増加、爺ちゃんの好きなタバコも増税。プラスマイナスゼロならまだよいですが、子や孫のいない世帯や独身者は負担増ばかりでしょう。
困っている人に税をばらまくがその財源は困っている人から取る。
息子さんの悪ふざけとそうは変わりがない。
熊本の交通機関がsuicaなどのICカードから離脱するらしい。
保守契約が切れてバス会社では120億円の経費が発生するらしい。
バスは赤字化していますからそこにsuicaなどの経費が増えればさらに赤字が膨らむ。この赤字を埋めるものがsuicaにあればいいのですが、バスもワンマンになり運転手さんが料金まで扱うようになり、現金からsuicaのようなものも導入したのですが、時々バスに乗るとチャージかなんかしたり、二人分処理をしたりするのを見かける。現金でも自動でお釣りが出たりしていますから運転手さんの負担はそう変わらないのか?
ならば高い経費をさらに負担するならsuicaなどは廃止した方がいいということになるのでしょうか。
今はスマホ時代ですからいろいろな決済ができますね。suicaの利用率はどのくらいなんでしょ。
コンビニで私鉄系のpasmoを使っていますが、僕のようにカード式のpasmoを使っている人はあまり見なくなりました。だんだんと時代遅れになってきているのかも?
≪過去の記事≫
【2004年】
昨日の日記の日付と曜日が間違っていましたので修正しました。
暑かったです。夏のよう。
九州と四国は入梅ですね。。。。関東も来週は梅雨のような天気らしいです。このまま入梅でしょうか。
今日はどこかドライブと思ったのですが、つい寝坊をして中止でした。明日はがんばって早起き!!どこに行こうか迷っているのですが少し遠出をと思っています。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
昨日、テレビ番組で長門・南田夫妻が出ていましたが、面白い夫婦です。長門さんも自由にしているようですが、いざ夫婦喧嘩となると南田さんを可愛いと思うらしい。南田さんも長門さんに対しては自然体。部屋の中を南田さんが咲きに歩き、電気がもったいないからと消していく、その暗い中を長門さんが影のように歩くというのは笑ってしまいました。
こういうのが夫婦円満なのかもしれないです。
それをみていて、なぜか銀色夏生さんを連想してしまった。なぜだろ?自分でもよくわからないのですが、天真爛漫製なのかな?よくわからない。。。
一ついえるのは、こういう天真爛漫な女性は、同性からは嫌がられるけど、男から見たら、わがままでも勝手なようだけど、許せるというのか。。。。
「メール交換」でのHARCOさんは、この許せるというやさしさがにじみ出ているように感じる。それに対する夏生さん。
夏生さんの詩を評価する歌人枡野浩一さんのブログに書いてあるあの言葉。。。。
男性から見た夏生さんへの態度がよく出ていると思う。それを読む僕も男ですからニヤニヤして読んでしまった。
【2007年】
「ばらとおむつ」 銀色 夏生 著
「脳梗塞になった母、しげちゃん。兄、せっせによる介護記録と、日常のあれこれ。
周りにいる風変わりな人たちや、子どもたちとの会話を織り込み、毎日はつるつる過ぎていきます。」
(裏表紙より引用)
14年間続いた日記エッセイ「つれづれノート」は、2005年の14巻「川のむこう」で終わります。
それから2年。。。。
「ばらとおむつ」によってつれづれノートが復活したというような内容だと思います。
「つれづれノート⑭」には、「買い溜めた100冊ほどの本を読むために『おこもり』」をするというようなことを書いていますし、お子さんたちもそれぞれに小学校や保育園を卒業するという時期でもあり、夏生さんの内面に何かしらの変化が現れている印象を受けました。「つれづれノート⑭」への感想に次のように書きました。
「この孤独の頂点が「おこもり」とも感じます。
この孤独の中から夏生さん自身がこれからの自分を見つめたとき、将来の子離れを意識し、出来上がった家と庭を考え、お金よりも大切なものを考え、健康と死を考え、あまり読まなかったジャンルの本を読み、考えます。
その中から、今この家に住み、家族がいて自然や田畑があり、流れていく時間の中に日常があることを確認していきます。人間関係は本物と言えるようなものは稀ではあるが、学校関係においては大切にし、人前で話しを上手くできたらと考えます。
ここに『自然体』の夏生さんを見る思いがあります。
『僕らはここでいつもお仕事
ただ生きているっていうお仕事
いろいろあるけど楽しいよ』
(P、329詩「川のむこう」より一部引用)
今までの夏生さんは、心に浮かぶものを追い掛け回して生きていた部分があると思います。もちろんこれがあったからこそそれまでの銀色夏生でもありました。しかしこの心に浮かぶものを追い掛け回すことをやめて、日常に(ただ生きることに)楽しさを求めたとき、そこに自由が産まれるのではないかと思います。
自由を追求してきた夏生さん。。。。
ほんとの自由って?今それを考えている夏生さんがそこにいるのではないでしょうか?」
「ばらとおむつ」は、「つれづれノート」シリーズに比べると、夏生さんの身の回りにいる方の姿がよりリアルに表現されています。母親「しげちゃん」の写真が載せられたり、その母子関係のクールさとその中での親を思う夏生さんが出てきます。また、兄「せっせ」は、独身でもあり「しげちゃん」の介護を引き受けて兄弟に「ばらとおむつ」というメール通信を書きますが、そのメールの一部が「ばらとおむつ」にも載せられ、「せっせ」という方の人柄もよりリアルになっています。その中での夏生さんの兄弟関係も「つれづれノート」シリーズより実際の生活の上での関係が見えてきます。
娘さんの「かんちゃん」や息子さんの「さくちゃん」との関係は相変わらずですが、お子さんたちも成長をして「かんちゃん」ももう中学2年生、「さくちゃん」も小学2年生。やはりお子さんたちがより成長した中での親子関係も「つれづれノート」時代からは変わってきているのでしょう。たしかに「かんちゃん」とは喧嘩が絶えませんが、子供でもあり大人になりつつある「かんちゃん」との関係は、子供を育てるという関係だけではなくていろいろなことを話し合えるような関係になってきています。
親戚の方々との関係もよりはっきりした形で書かれています。
詩人銀色夏生といえども、親がいて兄弟がいてお子さんたちがいて周りの人達もいる。日常の生活がそこにあるわけで、上の感想文の抜書きにある
『僕らはここでいつもお仕事
ただ生きているっていうお仕事
いろいろあるけど楽しいよ』
という詩にある日常というものが「ばらとおむつ」では「つれづれノート」よりいっそうリアルに描かれていると思います。
お母さんの脳梗塞と兄「せっせ」によるその介護という重い日常がそこにあるのですが、この現実をそのままに受け止め母「しげちゃん」に向き合っていきます。また、長男「さくちゃん」の給食費袋冤罪事件では、学校の先生への対応への不信が書かれていますし、それはまた親子関係としての自分の対応の足りなさもあることを書いています。思春期にある長女「かんちゃん」とのぶつかりをそのままに書き、二人の叔父たちや叔母たちのこと。そしてその親戚と「しげちゃん」とのこと。
「つれづれノート」ではさらっと書かれていたものが「ばらとおむつ」では、読者にもよりわかりやすく伝わってきますし、その現実にある夏生さんの心の中も読み取ることが出来ます。
これらのことは、内容の違いはあるでしょうが、すべての家庭の中に何らかの形で存在する心悩ますものです。またお二人の元夫についても語っていますが、このような夫婦関係を含めても夏生さんの心を痛める過去があるわけです。でも、このような誰でもが持つ心悩ますものをどのようにとらえて生きているのかとなると、
『僕らはここでいつもお仕事
ただ生きているっていうお仕事
いろいろあるけど楽しいよ』
という詩にあるわけです。今を生きているこまごました出来事をこの詩にあるように「楽しいよ」と言い切る夏生さんがいるということを「ばらとおむつ」からも伝わってきます。
216ページに、「かんちゃん」がつれづれノートについて夏生さんに感想を言いますが、その答えている言葉の中に次のような言葉があります。
「ただし、ママの視点で書いてあるから、正確ではないけどね。つまり、本当のことを書いているけど、そこで起こったことのすべてじゃないから、それ以外のことも無数にあったんだから」
また初めのページの前書きのようなものの中では
「本文中に登場する人物に関しては、プライバシーを考慮して、詳細を変えております。」
ともあります。
僕の記憶違いでなければ、どこかに、「つれづれノート」もひとつの作品であるといったような言葉もあったような?(間違いだったらごめんなさい)でも、上の夏生さんの書かれた言葉からも「つれづれノート」や今回の「ばらとおむつ」もひとつの作品であり、書かれていることは日記という形において事実であるがその事実を夏生さんがどのようにとらえたか、心に何を感じたかを表現した点で作品であるということだと思います。
このように「ばらとおむつ」をひとつの作品として読者も読まなくてはいけないということだと思いますが、この作品で、何を夏生さんは読者に伝えたかったのでしょうか?
毎日の介護は「せっせ」が行っているわけですから夏生さんはそのお手伝い程度のように受け止められます。また、毎日夕食のおかずの御裾分けを持って「夕方の語らい」に実家に行きますが、何歳まで生きるの?と「しげちゃん」に聞いたりしますし、読み方によっては、倒れた親に対する子の態度という「常識」(心痛んで全身全霊で介護)から見たら、その夏生さんのクールさに読者は「むむ?」と感じるものがあるかもしれません。「かんちゃん」とのぶつかり合う親子関係からの夏生さんの言葉のきつさや、叔父たちへの見方。。。。。書かれている内容の中にもドキッとするものがあります。
この夏生さんのクールさに「つれづれノート」時代から反発した感想が出ていましたが、今回の「ばらとおむつ」でもやはりさまざまな感想が出そうですね。
でも、親の老化や介護という点で見れば、そして通常なら先に逝くという現実をそして人の死は自然をそのままに受け止めるなら避けられるものではないと客観視するならそこにはある程度の現実を受け止めるある種のクールさはあるものと思います。また、「つれづれノート」には、「しげちゃん」とのかかわりをたくさん描いていますし、温泉や旅行にも連れて行ったり、高齢になっていく様子を見つめています。どこのページか忘れたのですが、母娘との関係は十分にしてきたというようなことも書かれています。毎日「夕方の語らい」として「しげちゃん」と話をするそんな様子が思い描かれるような文章で、「しげちゃん」や「せっせ」との家族関係もうかがわれ、夏生さんのクールさは、「しげちゃん」や「せっせ」にもあり、母娘関係としては夏生さんと「かんちゃん」にもあり、ひとつの家族が持つ独特な関係を見ることができます。
ですから夏生さんの「つれづれノート」や今回の「ばらとおむつ」に描かれているものは、表現されているものは、こうした自然な関係をお互いに気を使うこともなくさらっとしたものになり、読者の誤解を恐れずに読者に対してもさらっとした形で表現をしているのではないでしょうか?
そしてそれは、「ばらとおむつ」を母「しげちゃん」の脳梗塞と介護を主題に描くわけですが、このような重い主題であっても、読者に与えるものはさらっとしたクールさで、突き詰めてみれば『いろいろあるけど楽しいよ』という人生観を読者に問うているのではないでしょうか?そしてその人生観は、銀色夏生家の人々共通のものかもしれません。「しげちゃん」も自由な人ですね。そして夏生さんも自由な人。その娘「かんちゃん」も「野生児」カンチ(笑)
「ばらとおむつ」は、日記形式のエッセイですから当然に「つれづれノート」と共通しています。そこで少しツッコミを入れれば、「ばらとおむつ」の中で、萩本欽一の率いる野球チームがメンバーの不祥事で自ら解散すると言っておきながら、ファンのやめないでという言葉に感動してすぐに解散を撤回をし、その解散劇をどこか計算づくのように思えることに夏生さんは批判をしていました。その点では、「つれづれノート⑭」では「つれづれノート」はおしまいにすると書いてあり、一年置いてからまた「ばらとおむつ」という形で日記エッセイが出版されたわけですから、この点でも読者の中には「あれ?」という戸惑いもあるかもしれません。僕のようなファンとしてはうれしさばかりでしたが。。。
この点については、「せっせ」の介護記録「ばらとおむつ」がメールという形で兄弟たちに配信されたことに誘発されたのかもしれません。はじめの方は、「せっせ」の介護記録ニュースとそこへの感想程度だけでしたが、5月20日から夏生さんの日記が始まります。また「かんちゃん」の「つれづれノート」の感想から「つれづれノート」の持つ意味もお考えになったのかもしれません。もちろんファンの落胆も?
このような意味でまた日記エッセイというかたちをまたかこうとしたのかな?
また、「ばらとおむつ」は、「しげちゃん」の介護記録というひとつのテーマがあったらこそのことで、その点ではシリーズ化された「つれづれノート」とは少し違ったものがあるのかもしれません。もう「つれづれ」はおしまいと思った夏生さんの気持ちは本当だったでしょうし、また「ばらとおむつ」を書いたのも自然だったのかもしれません。あとがきを読むと「珊瑚の島~」に続きそうですが、毎年続くというような気負いもなくて他の詩やいろいろな本のひとつとして書き進められるのではないでしょうか?自然に・・・・
占い師ミラさんの占いのようにどこか冒険に行ってしまうかもしれないし、せっせやしげちゃんと南の島にいってしまうかも知れなし、恋もあるかな?でも。。。。
「こないだ来たときにあげたアメの袋のこと、せっせに怒られたよ」
「ホホホ。そうなのよ。見つかったら、また取り上げられると思って、かくしてたら、見つかってしまって」
「あれぐらいいいのにね~。せっせもちょっと厳しいよね・・・・・」
「そうよね~」
空を小さな鳥が、ピーッと鳴きながら飛んでいった。
(最終ページより引用)
少し引用が長くてすみません。でも、この最後のページにある「夕方語らい」を読んでジ~ンとしてしまいました。たぶん言語の障害が残る言葉で「しげちゃん」は語り、そんな母を見つめながら兄せっせの悪口を言う。。。。せっせはニコニコしながら聞いていたんじゃないかなぁ~
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
6月25日(予定)「今日、カレーとシチューどっちがいい? つれづれノート⑱」(角川文庫)が発売になるようです!!
「人って、他人のことは冷静にアドバイスできるのに、自分のことになったら急に感情的になってしまう生き物なんだな――。日々の何気ない出来事から大切なものをすくいあげる詩人の毎日を綴る、大人気シリーズ第18作。」
(角川のページより)
夏生さんのホームページにも紹介の文がありましたが、コピーしても良いのかわからないので見に行って下さい。
会社を立ち上げて音楽活動に向かう夏生さん。ホームページのコメントには、そんな心の内が見えるような。。。。
常にどこかに心が向かう。。。。。その中で迷ったり悩んだりするわけですが、上に引用した角川の紹介文には、そんな夏生さんが?同時に愛も・・・・・?
楽しみです!!
道の駅 しょうなん
「しょうなん」は「沼南」と書くようです。神奈川の湘南は有名ですが。。。。千葉県のショウナン。
東京からも近い千葉県我孫子市にあります。
手賀沼という大きな沼の「湖」畔にあり、レストランからの眺めはよかったです。
レストランでアイスコーヒーとロールケーキを食べたのですが・・・・・うん、ロールケーキがいまいちかな。フルーツロールケーキだけどジャムのような。。。。。
道の駅といえば農海産物の直販ですが、千葉県の野菜が並び、地元の米や畜産品がありました。
農薬を半分に減らしたコシヒカリ、アボガド、ゴールドキーウィ、卵、大きななめこなどを買ってきました。ゴールドキーウィは地元産かな?スーパーでは見ることができない大きなものがありました。今朝食べたのですが、甘さも十分でおいしかったです。アボガドも食べごろで大きくて安かった。
レンタルサイクルもあるようで、手賀沼1周というのも楽しいかもしれません。山の中の湖畔とは生きませんが、のんびりとした風景の中コーヒーをすするのはいいかも。喫煙席もありました。。。。。ウレシイ♪
ABCで評価するなら。。。。。B・・・・・かな。
【2011年】ツイッターつぶやき
彌榮浩樹著「1%の俳句」(群像6月号)
俳句論です。
難しいです。
方法としては、まず99%の素人の詠む俳句と1%の俳人が詠む俳句の違いから入る。
しんぞうがぼくよりさきに走ってるよ
鶏頭の十四五本もありぬべし
このような対比を見ながら1%の俳句は何かを見る。
ここから俳句の特筆は写生にあるとする。
この写生については、
・現実は退屈で平板で退屈である。
・写生とは現実をそのまま書き上げただけの貧しい模写、片輪(原文のまま…夕螺)な報道記事である。
・写生による俳句は想像力の次元に達せず、従って詩ではない。
という写生に対する批判を反批判する。
その反批判は、先の99%の素人俳句にあてはまるもので1%の俳句は「写生とは何かを作品として現出している」と写生は俳句の表現となってるという結論を導いていると感じました。
僕が読んだ感想としては、99%の素人俳句(実は俳句とは呼べないのだということですが)は詩としての俳句に仕上がっていない、1%の俳句は詩として完成されているということであり、この詩として完成をしている俳句にある写生は上の三つの批判には値しないし、写生というものへの皮相的な批判であるという結論に達するのではないかと思います。
ここに1%の俳句とは何かという結論に至る。
しんぞうがぼくよりさきに走ってるよ
鶏頭の十四五本もありぬべし
たしかにこの2句には大きな違いを感じます。重さが違うというのか俳句らしい(詩的)俳句とそうではない俳句というものを感じます。「子供俳句」との違いです。ここはどうにか素人の僕でもわかります。
しかし、「いかにも俳句風の俳句」と1%の俳句との違いとなるとどうも素人にはわかりにくくなる。
雪ばかり見て何もせず誕生日
草刈って風を失くしてしまいけり
この「いかにも俳句風の俳句」それに対する
鶏頭の十四五本もありぬべし
という1%の俳句。
ここにどのような違いがあるのだろうか?むしろ素人には上の2句の方が「理解しやすい」。
プロフェッショナルな領域とは?
「ばかり」とか「って」と今風の言葉遣いがありますからどこか軽いような感じも受けますし詩的な言葉でもない。でも、これが問題でもないようです。写生でしょうか?
上の2句のスケッチ的な風景は、積もった雪や降る雪ですし、草を刈った後の匂いや動かぬ草の株です。下の句は鶏頭という花と14,5本という多くもなく少なくもない風景です。こう見ると季語としての風景という写生はあるが、句全体には写生を感じないということでしょうか?
では、写生とは何か?
それは
・現実は退屈で平板で退屈である。
・写生とは現実をそのまま書き上げただけの貧しい模写、片輪(原文のまま…夕螺)な報道記事である。
・写生による俳句は想像力の次元に達せず、従って詩ではない。
という三段論法への批判という形で説明されていく。
その視点は、「一挙性・露呈性との関わり」と「現実との関わり」をもとに?
「写生した絵は、必然的に主観性・情味を帯びる。」(中略)蛇笏の俳句は「必然的に単なる客観的な存在物の描出えはなく、」「日本語を使うわれわれの共同主観としての、詠歌や感慨を表現したものだ」
これが露呈する?
「一挙性は日本語そのもののもつるーるを凝縮したものだ」露呈とはこの凝縮した?「日本語の極限値、濃厚に煮詰めた日本語そのものの味を楽しむということである」
現実との関わりは、
「反現実・非現実な作品でも、それが僕たちに認知可能な作品であるかぎり、それは現実の一部となる形ではたらく。」「現実→言語作品」ではなくて「言語作品→現実」
ここに俳句の写生があるということだろうか?
【2012年】ツイッターつぶやき
インサイトがそろそろ車検です。
東京23区内在住、街乗りと近郊の実家への往復が中心で月に1回ほどドライブに出かけたり旅行に出かけたりしています。燃費はあまり考えずに一般道も高速も流れに乗って走っています。
この3年間の燃費は、ちょうど20.0㎞でした。
ハイブリッドとしてはそうは燃費は良くないのでしょうか?
でも、23区内に住んでいて信号待ちでのタッチ&ゴーも多く、流れに乗ってそれなりに走っていますのでこんなものでしょうか?
以前乗っていた小型車でも燃費は12キロぐらいだったと思いますから、20キロというのはすごいと思います。今はガソリンも値上げされていますので、リッター8キロの燃費差は大きいです。40リットル満タンで300キロ以上走行距離が違うわけですから。ハイブリッド車は少し車両価格が高いですが、僕のように距離を乗るとガソリン代の差額で価格差を帳消しになります。
原発事故で電力も値上げや不安定になっている今、電気自動車よりもハイブリッドではないでしょうか。。。。これからハイブリッドが主流になり、マツダのエンジンのような燃費の良いエンジンも絡んでくれば相当ガソリンを食わない車が普及してくると思います。
【2013年】ツイッターつぶやき
中国も10%を超える高度成長が続いていたがここにきて7%代に。そして日本の円安誘導による経済への影響が大きいと言われている。
しかし今中国経済はどのようになっているのか?
ここに「安定成長路線の定着に向け我慢比べに入った 中国政府の今後の課題」という記事がある。中国の習体制がはじまり新たな5か年計画がはじまり、これまでの高度成長をなるべく維持をしながら都市と農村などの格差を埋める方針が決められたと思うが、今その方針がある程度進みつつあるようです。
これはある意味内需による経済の安定化とそこからのさらなる経済発展という考え方だと思うのですが、成長率が下がっても内需(格差の是正)拡大へという経済の方針は、中国経済をソフトランディングさせる働きを果たしているようです。一時は中国初のバブル崩壊が懸念されていましたが、過剰な金融の過熱もやはり実体経済に軸足を移すことでソフトランディングも可能になってきたという事でしょうか?
「消費を如何に活性化させるか、それも補助金政策のような、結局は国が関与するような形ではなく、如何に自律的に消費を引上げていくかが、政策の主要な課題の一つとなっている。」 (上記リンクページより引用)
この点では、バブル的な不動産投資も沈静化して労働者や農民の賃金が上がっているという。
ここに日本でいう公共事業のようなものも生きてくるわけです。
そして企業の生産性や競争力の強化が課題ですが、これをどう失業の増加などという労働者の犠牲なしに行っていくか、格差の是正と合わせた政策と、本来の意味における企業の構造改革をどう酢s目ルカにより
「改革に伴う痛みをどこまで中国共産党が説得していけるか、国民が一致団結してその痛みに耐えることができるか、新政権は世界の耳目を集めるだろう。「和諧社会」を標榜し、国民全体の生活を豊かにしよう、としてきた現政権が目指してきた基本路線を堅持することで、自ずと調和の取れた改革が進んでいく」
今の日本が行おうとしているアベノミクスの成長路線そして中期計画の「骨太の改革」とどこが違うかを見る必要があると思います。
もちろん中国経済もそうはまっすぐ進むものではないと思いますが、ソフトランディングを成功させるというものは相当難しいものですし、アメリカも日本も失敗をしている。ここがカギでしょう。そしてそれは内需と成長の相乗効果をつくれるかにありそうです。
【2014年】ツイッターつぶやき
大飯原発稼働差し止め判決に対する「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」(日本原子力学会)という言葉は、科学技術の発展の中で安全性をより高め発達をしていくという一般的な論理として正しいのですから「ゼロリスク」求めるならばこのような科学技術の発展と利用はないでしょう。
しかし「ゼロリスク」を求めることが間違いだという論理の裏側には「完璧な安全」という論理も間違いであるということです。ですから「原発の安全性は保障されている」から稼働・再稼働をという論理はやはり安全神話なのです。ですから飛行機事故などがあれば「より安全性を高める」ということしか言えないわけです。原発の過酷事故が現実に起きたわけですから「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」という言葉も「より安全性を高める」という意味以外ではないのです。「ゼロリスクを求める考えは不適切」という論理のすり替えで安全性を語る。これもまた安全神話の語り方の一つなのです。
リスクというのは事故が起きる確立を下げることだけではなくて事故は起きるものだという認識にも立ってその事故が起きた場合にどれだけのリスクが生じるかを見なければならないでしょう。この事故が起きた時のリスクの大きさを含めたリスクなんです。
車の交通事故の起きるリスクの大きさと原発の重大事故が起きるリスクの大きさを比べれば、交通事故は毎日起きているわけですから原発の重大事故のリスクは相当低いことになる。リスクの高い車に毎日乗っているのに原発事故の相当低いリスクを言うのは間違いなどといった論理が生まれる。しかし車の事故と原発の事故といういったん事故が起きた時のリスクはどちらが大きいかといえば原発事故のリスクのほうが相当大きいでしょう。その中で原発の稼働リスクは高いということになります。
経済的コストも発電コストで原発は安いといわれますが事故時のコストを考えればそのコストは相当高い。
このような論理から安全神話と平和ボケという言葉を混同してはいけない。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
最近いくつかの笑顔を見た。
お孫さんを抱いたおばあちゃんの笑顔とその赤ちゃんの笑顔
新1年生の笑顔
花壇の花を見つめる笑顔
ジョークを言ったらコンビニの店員さんの笑顔
人は笑顔がなければ人とはなれない
人間は動物だが人という場合には豊かな心だ
しかしこの笑顔が心を現すとすれば・・・・
嘘をついているときの笑顔
ごまかすための笑顔
小ばかにしているときの笑顔
自分の心に嘘をついているときの笑顔
悪事を働いているときの笑顔
この笑顔を見ると、皆がドン引きしている
しかし本人は普通の笑顔のつもりで
誰も何も言わなければ本人は素敵な笑顔と思っているのだろう
我に返って笑顔がさっと引いたときの顔。。。。
うん?
blogram が消えた。。。。。?
【2018年】ツイッターつぶやき
一連のモリカケ問題により安倍内閣の支持率は30%そこそこで、不支持も依然として高い。
安倍政権は消去法と「期待」によるものでした。期待に関してはだいぶ低下をしてきて不信が強くなってきました。消去法についてはなかなか自民党に代わる勢力が見えないことによりまだ消去法は生きているようです。
しかし安倍政権が強い国家を訴える反面政治は国家機関が混乱する中での政権維持となっている。
消去法で次の内閣は?ここがはっきりしなくても政権自体が自壊をしてしまうでしょう。
じわじわと安倍政権のこの次回は進んでいる。自浄能力はもうなくなっています。
【2019年】ツイッターつぶやき
ある方のブログに花畑の写真がありました。
様々な色の花が一見雑然と咲いていました。
花畑は好きです。
2年前5種類の花の種がミックスされたものを買ってきてプランタに巻きました。アリッサム、撫子、サルビア、マリーゴールド、ヒルザキツキミソウの花が次々に咲いて小さな花畑になりました。やはり雑然として形をつくるのが難しいですが、この雑然さが好きです。そして次はどんな花が咲くかなと楽しみでもあります。
もう2年たちますので今年の秋には植え替えかと思います。
ということで、花屋さんでミックスフラワーガーデンという5種類の種が混ざったものを買ってきました。「花絵の具」というサブタイトルが書いてありましたが、絵を見ると5色ほどの花が咲いています。絵の具のパレットのように。
秋蒔きの種ですので、今の花畑が枯れるころですからちょうどよいと思います。広い花畑ならば種が落ちて次の年も楽しめるかもしれませんがプランタでは無理でしょうね。
4月ごろ、春になると咲きだすと思います。
今の花畑はアリッサムとヒルザキツキミソウが咲いています。そしてサルビアの花芽が出てきました。秋まで楽しめそうです。
【2020年】ツイッターつぶやき
東京都モニタリング指標
1、新規陽性者数 9人(緩和基準20人以下)
2、接触歴不明率54%( 50%以下)
3、週単位の陽性者増加比
1.07(緩和基準 1以下)
28日陽性者は15人だから、今後の増加によっては週単位で20人を上回ることも?
(以上ツイッターから)
今日は新規陽性者が22人で、上記
「1、」が11.7人
「2、」が54.9%
「3、」が1.55
跳ね上がりました。
モニタリング指標でどうにか緊急事態宣言解除で東京都が規制を緩和できる数字は「1、」だけです。しかしこの新規陽性者数(週単位)も検査数がクラスター後追いなど極端に少なくなっている中での数字ですから怪しいと思います。今日は22人ですからこの感染者数が続くようでしたらすぐに緊急事態となるでしょう。
「2、」については都知事会見では夜の町での感染を突き止めているのだからこの分の人数を差し引けば50人を割ると言っていましたが、夜の町というだけでは後追いの検査はできないでしょう。この店から感染が広がったとはっきりして初めてクラスターでの後追いができるはずです。
まだすぐ第二波かと言えば短絡的には言えないでしょうが、密が戻っている中での感染拡大傾向ですから危ないですね。
しかし小池都知事はこのような状態の中でも緊急事態宣言解除後の緩和を6月1日から現在のステップ1からステップ2へと弛めるようです。これはまさに経済政策だけの視点での弛めです。
たしかに経済は大変なことになっていますが、休業補償もまともに受け取れない状態ですから、経済の悪化は政治の責任が大きいでしょう。
わが家は朝と夕方家族みんなで体温を測っています。
今日も日中は暑くなって汗ばむぐらいでしたが、3日ほど前は肌寒かった。
どうも体温のばらつきが大きいです。
気温の変化のせいだと思うのですが、高齢の男性の体温ってどのくらいなのかと思ってネットで調べてみました。
しかしいくら調べても妊娠のタイミングの記事しか出てこない。
おかしいなぁと思い妻に言ってたら。。。。。。
「なんという言葉で調べてるの?」と。。。。
「基礎体温」。。。。。
「あははは・・・・・・」
「?・・・・・・」
「それって、”平熱”でしょ」
「あははは・・・・・」
どうもおかしいと思った。
【2021年】ツイッターつぶやき
「中華圏と比較して、日本の感染状況についての所感も語った。
「中国大陸ではすでに感染者が少なく、強力的な措置で感染を抑え込んでいる状況です。中国の友人に日本の状況を話すと、感染者数の多さに驚かれます。一人のジャーナリストとしては、この日本の状況で取材をすることに不安と難しさを感じています。いまの自粛はすごく日本的だなと感じます。」
(AERA)
「東京五輪は黒歴史になる」 と外国記者から警告というニュースです。
オリンピック階差については様々な点からの私的がありますが、その中で興味を覚えた記事が上の引用です。
中国初コロナウイルスとも言われていましたが現在では感染者数も減少して日常生活も取り戻されはじめているようですし、そのことから経済のV字回復も言われ世界中から注目をされている。アメリカの中国批判もこのへんにあるでしょうし、ワクチン接種を通じて経済の立て直しを行おうとしています。
日本はワクチンに頼るだけで検査と隔離(医療体制)が蔑ろになっています。この1年間を見ても感染拡大と経済の落ち込みが目立ちます。以前、北京だったか上海だったか、少人数の感染者が出たということで数百万人のロックアウトという記事を見た記憶がありますが、そのくらい徹底していたのでワクチンが全国民に接種されない現在でも日常を取り戻している。
先の引用に「強力的な措置で感染を抑え込んでいる状況」と中国の現在を書いていますが、これを見て日本も会見して非常事態宣言をしなければ抑え込めないと早合点する人がいるかもしれません。
しかしこれは間違いで、
ロックアウトという強硬手段をとってもアメリカやイギリスでは多くの感染者を出しています。そしてワクチンで抑え込めるめどが。ですから強力な処置をすれば感染者も減って日常を取り戻せるというのは間違いです。
日本の現在の検査体制や医療体制(隔離体制)で緊急事態宣言を出しても欧米と同じくコロナは抑えきれないでしょう。
緊急事態宣言だ改憲だワクチンだと空文句を言う前にやるべきことは多くあるのです。
【2022年】ツイッターつぶやき
先日日本の食料品の値上げについて書きましたが、イギリスで庶民の味フィッシュ アンド チップ(白身魚とジャガイモの揚げたもの)がものすごい値がらしくこのままでは採算が合わなくなり店を閉めなくてはいけない状態だそうです。
EUからの離脱とロシアへの経済成長という保護主義の結果です。
アメリカやイギリスそして日本もそうかもしれませんが、一つの経済圏(同盟)を作るような動きにあるように感じます。アメリカの保護主義に同調した同盟関係です。
経済の発展を目指した同盟関係だったはずが経済を停滞させることになっている。
結局ロシア制裁も白身魚欲しさにあやふやになるようです。
ロシア制裁に同調した国の中でもロシアの穀物や石油・天然ガスに頼らざるを得ない国がたくさんあるでしょう。
ロシア批判からの制裁ですが、そのロシアの軍事行動を引き起こしたのもまたアメリカのNATOの軍事政策。
国内には極右勢力の拡大を伴いながらNATOは進んでいく。
【2023年】ツイッターつぶやき
菅さんの息子さんもいろいろあったような気がするが、岸田さんの息子さんも負けず色々ある。
肯定で悪ふざけをしてついに更迭。といっても6月1日付で辞任のようですが。夏のボーナスは出るという噂。
政治家も世襲制になっていますのでそのうちに岸田さんの息子さんも政界デビューでしょうか。もちろん当選するでしょう。
こうした政治の世界にあって岸田さん自身もないをしているのか見えない。
もちろん外交としてお付き合いもあるので外遊をしていますし、総理大臣の「政治」はしていますが仕事は行っていない。子育て支援を言うがその財源は増税や社会保障費の増額。親子三代の過程で言えば、子供の手当てをもらっても、爺ちゃん祖母ちゃんの医療負担が増加、爺ちゃんの好きなタバコも増税。プラスマイナスゼロならまだよいですが、子や孫のいない世帯や独身者は負担増ばかりでしょう。
困っている人に税をばらまくがその財源は困っている人から取る。
息子さんの悪ふざけとそうは変わりがない。
日本共産党についてはわかりません。
僕としては今の日本での保守に対して、民主主義を守る一翼を共産党は持っていると思います。
最盛期49万人の党員だったことを考えると、党勢は縮小の一途を辿っている。
党員の平均年齢は、50歳を優に超えている。
「生活保護受給の相談に来た高齢者を新しく入党させるくらいで、若い党員は増えていなません」(筆坂秀世氏)
なお、日本共産党は中国共産党の手先である。
民主主義国の日本を破壊するために存在する。