【2024年】ツイッターつぶやき
2,3日公園の紅葉した木に小さな10センチほどの小鳥が5羽ほど来ていました。
羽が緑色でしたのでメジロだと思うのですが、目の周りに白い羽のワッカがないような?
チ、チ・・・と小さな声で鳴いていました。
山の方は寒くなったので東京まで出てきたのでしょうか。
そういえば、この小鳥は春にも2,3日来ます。これは山の方へ帰る為かな?
2,3日いて見えなくなりました。オナガが来ています。
≪過去の記事≫
【2003年】
ううう。。。。ん
僕にはよしもとばななさんの日記は合わないようです。
もちろん、書いている中でおもしろい考え方だと言うのはいくつかありましたが。。。。。
冬というのはいつからを言うのか?
僕のHPの日記は、四季によって区別して書いていますが、いつから冬としたらいいのか?一応秋は秋分からとしました。そうすると冬は冬至からと考えているのですが、このところの寒さを考えればもう冬かなと。。。。。
四季といってもなんかあやふやですよね。。。。でも、このあやふやさがおもしろいのかもしれない。
出窓に結露がたくさん出ていました。今夜は暖かくして寝ます。
【2004年】
発泡酒や第三のビールといわれるわけのわからない酒の酒税が上がる方向です。
ビールの酒税が高いのに発泡酒などは安いから不公平だという理由なようです。ビールが高いので安い発泡酒を飲んでいるというのに。。。まったく貧乏人いじめの税制改悪です。
ガソリンを入れれば税金。タバコを吸っても税金。そのうえタバコのたしか10円は国鉄時代の赤字補填(まだこの制度は残ってるのかな。。。。そして消費税。ちりも積もれば山となる。この山の部分が消費力の低下につながる。
「TUGUMIーつぐみー 」
中公文庫
よしもとばなな 著
「その時、つぐみが恭一をまっすぐ見て言った。
『おまえを好きになった』 」
(117ページより引用)
鶫、秋に日本に来て冬を越すスズメほどの小さな小鳥だそうです。冬はほとんど鳴かずに口を『つぐむ』。静かに冬を越す鳥だそうです。
(水上温泉組合婦人部さんのHPを参照させていただきました)
小さい頃から病弱で、体も細いつぐみ。でも美しい少女(17才ころか)が「おまえを好きになった」とさえずるところは印象的です。
しかしこのつぐみの恋は、可憐な病弱な少女をイメージするような恋ではない。つぐみは、年中熱を出して死と隣り合わせである。つぐみは死と向き合う中に本音で生きることを身につけたような少女であり、わがままのような行動と口の悪さがあるものの心の中はまっすぐな少女である。
両親はそんなつぐみを甘やかして育てたためにわがままな子になったと見る。また、周りの人々も手を焼く。つぐみの性格を理解をする人は少ない。
語り手のつぐみの従姉妹まりあは、そんなつぐみに手を焼きながらもその性格を理解する。なかなか本音を言わないつぐみが本音を話する中に理解する。つぐみの恋人恭一もそんなつぐみの理解者である。
そしてこの作品を読む読者もつぐみの理解者となっていく。性格の悪いようなところも、その裏側にあるつぐみのかわいらしさが見えてくる。その本音の生き方が見えてくる。
例えは適切かわからないが、江戸の人情噺にでも出てくる、口は悪いが粋な江戸っ子を思い起こしてしまいます。
このようなつぐみの姿がこの作品のよさなのだと思います。
登場人物は、まりあ、つぐみ、つぐみの姉陽子、つぐみの恋人恭一は、大学生や高校生です。若いながらもしっかりと自分を見つめられる人々です。このようなしっかりと自分を見つめられる若者は、先に読んだ「哀しい予感」にも共通をし、ばななさんが何を若者に求めるかが見えるような気がします。
しかし、「TUGUMI」にも「哀しい予感」にも現れる共通したものに「『確信』というものがある。
この確信は、生きていく上での自分を現す言葉でもあるが、同時にばななさんのその後の作品に見られるような霊的な不可思議なものに基づく確信のような物であるのではないかと思う。
なんとなく「TUGUMI」のように初期の作品のほうが僕にとっては受け入れやすい(けして後の作品が嫌いというわけではない)のかと思う。
つぐみなど、登場人物の心のつながりもこの作品の特徴かと思う。暖かさを幹事利つながりであり、ここもばななさんの作品の特徴でもあるのではないかと思う
。しかし、この心のつながりが「yosimotobanana.com」という日記を読むにあたっては、身内主義というのか、心のつながりを大切にするあまり、他に一線を置くようにも受け止められかねないという印象を僕は受けてしまうのである。ばななさんのよさを感じると共に僕にはばななさんの世界には入りきれないのではという心配が浮かぶのである。
これは、あまりにもばななさんが強いということから来ているのではないかと思う。
しかしばななさんの孤独、寂しさも感じる。
あとがきに次のような言葉がある。
「そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」
まぁ、性格の悪さというのは謙遜でしょうが、つぐみの持つどことなく孤独で寂しさのある、そして芯の強さはばななさんでしょう。
つぐみは、死を覚悟することによって生まれ変わったといいます。「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」(漱石)ばななさんの作品には死がひとつの主題と感じるところがあります。つぐみ(ばななさん)の強さはこの辺にあるのかもしれない。
【2005年】
風もなく暖かい一日でした。
小春日和。。。。ううう(笑)(21日の日記参照)
リンクさせていただいている窓際主婦さんのブログに次のように書き込みをさせていただいたのですが、
「この前から何度か読ませていただきました。でも、正直言ってどういうものかわかりません。
さっきもいろいろなサイトを探して見ました。専門の医師から経験者まで、ほんとたくさんのサイトがありました。あるサイトでは、日本人の70%が何らかの経験や言動があるとも言います。
症状や原因についてもいくつかのサイトで読みましたが、精神的疾患というよりも様々な症状がある中にもその人の個性が強く出てしまうというようなものかもしれませんね。でも、治療は必要とあるので、自覚する症状を軽くしてその人自身の気持ちを楽にしてあげるというものではないかと思いました。
アダルトチャイルドとは、育つ環境により、小さな子供のときから大人のどろどろしたものを知ってしまい、そういう大人とのかかわりの中で子供ではありながらも大人のように行動を無理して行い、内にある子供を押し殺してしまったようなものかな?
その反動としてインナーチルドレンとして大人になっても子供時代に満たされなかった幼児性が出てしまうことかな?
これらの解釈は、大雑把にサイトで読んだ僕の解釈ですから間違っていたらごめんなさい。
このように解釈できるとすれば、大部分の人たちは何らかの形でこれらの症状を持っているのかもしれませんよ。
窓際さんが、少しやばいかなと思ってたことがあるなら、確かにそこは意識していかなくてはと思いますが、いもしない空想的な大人を思い描いてはいけないと思います。
今読んでいる乃南アサさんの「晩鐘」に少し関連があると思いますので、少し考え込んでいます。」(ごめんなさい。自分で書いた物ですから引用させていただきました)
この「今読んでいる乃南アサさんの「晩鐘」に少し関連があると思いますので、少し考え込んでいます。」というのも、「晩鐘」は、「風紋」の続編であり、「風紋」ではある殺人事件を巡って加害者の家族と被害者の家族を描きながら世間という無意識のというのかその冷たさと世間自体のある意味での犯罪を描いており、「晩鐘」は、それぞれの家族の7年後を描き、その主人公である加害者の息子大輔と被害者の娘真裕子を描きます。
この大輔にアダルトチルドレン、真裕子にインナーチャイルドを感じるのです。
加害者の妻というだけで世間に打ちのめされた母親香織に母親らしいことを何もしてもらえない大輔は、まさにアダルトチルドレンである「よい子」を演じ続けます。
真裕子は高校生だったとしても、これから母親にいろいろなことを教えてもらわなければならない思春期でもあり、娘としてもまだ甘えたいときに母親が殺され、それ以後は世間に向かい合って健気にも強く自分を持ち生きてきた。そこにぽっきり折れてしまうような精神的な危うさを持つ。副主人公とも言える真裕子の過去をすべて知る新聞記者建部との恋にその幼児性を出す。
大輔の結末は悲惨のようだ。真裕子は人を守るという大切さを知り、母親に甘えたいというものを持ちつつ自分の母性に気付く。もちろん建部も弱さがあり、真裕子はその愛情として建部を守りたいと思う。この母性と守りたいと思うものを持つこととそしての愛情。。。
ここに真裕子が母親を殺されたという過去を克服する何かがあるのだと思います。
アダルトチルドレンとしての不幸と、インナーチャイルドからの克服。。。。
案外乃南さんの作品はサスペンスという形をとりながらも奥深いものがあるのかもしれない。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
「壇(だん)」。。。。画壇とか文壇とかいう場合の「壇」です。
今朝の朝日新聞3面を読みどんよりとした。
それと関連して学術院の実態と学術院から離れる芸術家が増えている実態があった。
学術院会員は公務員だそうで、年間200万円ほどもらっているらしい。学術院に嫌気をさしたり、会員めざし土下座や土産。。。。。ううう
凡人であるサラリーマンの一部の人間とそうは違いがないですなぁ。ただ優れた芸術性を持っているのでしょうが、偉くはないということでしょうか?
一方文壇といわれる中の賞といったものにも権威が薄れているとも?
直木賞受賞作より、一般の本屋さんの店員が選ぶ「本屋大賞」に選ばれた作品のほうが売れる部数が多いとか。
芸術家というと硬いですが、そのような人の中にもそしてその芸術を受け取る側の一般人にも権威といったものから放れて言っているのではないか。同時に権威による名誉より「売れる本作り」のほうが確かだというイメージが強くなっているということでしょうか。権威が権威だけに終わるようになり、権威無しに売れる本が造れるならそのほうがいいというビジネス。
なんだかどちらにしても寂しいですね。
でも、売れる本というのはビジネスの面がありますが、権威からはなれて読まれるが増えることはよいことだと思います。でもまた「本屋大賞」が権威になったらまた同じですね。
そこで大切になっている、というのか一般の人が忌憚のない意見を書け、それがある程度情報として共有できるネットという役割も無視できなくなっているからこそ一つの権威というものの影が薄くなるのでしょうか。権威が優れているといってもネットでの評価はいまいちというものがあればどうなるのでしょう。
しかしこれも大衆受けする作品という面が出る。
難しいですなぁ。。。。でも、こういう問題は昔からいろいろと議論されてきたものですからね。。。。。
僕としては芥川賞は面白いと思っています。
文藝春秋があるので選考委員の意見が見えますし、選考委員もそれに責任を持つ。もっとこのような意見のぶつけあいが一つの解決かもしれない。芸術院でも「壇」でも、そのメンバー自体が金太郎飴にならないように全体主義的な権威にならないように意見がぶつけ合える場にしていくということが大切ですね。意見それを大衆の目に見えるようにすることですね。
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
池田信夫さんの「自然水準の概念」という文章がある。
昨日の書いた「自然水準」で引用した国のばらまきという経済政策ではデフレは克服できずに、今の需要水準が自然水準と考えるべきという論理と同じく自然水準を
「長期的に維持可能な自然水準を考えないで、がむしゃらに金融緩和すれば無限に景気はよくなると考えるのは、大昔の素朴ケインズ主義である。」
と書いている。
どうもこういった論理が自然水準の概念でしょうか?よくわかりません。
「自然成長率を決める最大のファクターは生産性(TFP)上昇率だから、生産性を上げないかぎり自然利子率がマイナスになる「デフレの罠」は脱却できない。したがってバーナキンも指摘するように、デフレ脱却のためには生産性の向上が必要なのである」
どうもここに結論があるようですが、自然失業率、自然成長率、自然利子率などとやたらに「自然」をつけることにより長期的に見た失業率や成長率がある言っての水準に決まってくるという事でしょうか?
「マイナスの需要ショック(cの減少)が発生したときは雇用が減る。しかし長期では雇用は賃金で調整され、μを利潤率とすると、自然失業率n*は、μを最大化するような水準できまる。」
なにも「自然」という言葉をつけなくても説明ができるのではないかと思うのですが、経済の成長と労働の生産性そして失業率の関係を言い、「雇用は需要と無関係に、利潤率の減少関数」という中に雇用の増大は利潤率を低める関数となり、労働の生産性はこの労働力の節約ですから成長のためには生産性の向上が必要でこれがデフレを克服するという論理なのでしょうか?
なんだか自然水準という概念がわからなくなります。
デフレからの脱却には生産性の向上が必要である。失業率は自然(長期的な結果として)失業率として利潤率が最大となる水準で決まる。そしてこの生産性の上昇が自然成長率を決める。
しかし失業率や低賃金化は「雇用は需要と無関係」な状態をつくりだすが、需要は雇用や賃金水準によって需要とは無関係ではありえないのではないか?すると労働の生産性の上昇を利潤率の表彰のためばかりに作用させるとするならば需要の自然水準を下げ、一方では生産性の向上は商品価値を下げるというところから商品価格が下落して利潤率を下げながら商品はその赤くを下げ続けるというデフレにもつながるとみることができる。
【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
消費増税法が成立 14年4月に8%、15年10月10% :日本経済新聞 (2012年の野田内閣時の記事)「社会保障と税の一体改革関連法は10日夕の参院本会議で、民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立」:三党合意ですね。
たしかに消費増税を決めたのは野田内閣ですが、この記事を見ると三党合意と見れます。この経過の中で安倍総理は最終的には総理が判断するとして増税に踏み切りました。ですから消費増税は民主党だけに責任を負わせるのではなくてやはり実施した安倍政権の責任でもあると思います。
もちろん安倍政権が8%実施を決めるにあたっての判断は景気の判断です。しかし実施後にこの景気判断が間違っていたというのが現状でしょう。それが10%実施に踏み切れなかった理由でもあります。
もちろん安倍内閣が8%実施を決めた根拠はアベノミクスが順調に成果を上げているという分析からです。少なくともアベノミクスの未来に明るい材料があるとの判断からです。それは輸出産業中心の企業収益と株価だったのだと思います。
しかし見通しとしての消費増税後のv字回復は起こらずに消費不況ともいえる事態になったと考えるのが普通でしょう。
安倍内閣は成長戦略あるいはアベノミクスの成功のために公共事業の拡大と法人減税という方針を出しました。税の使い方の方向性がこれにみることができます。消費増税は社会保障の充実のためという国民の信頼が薄らぎました。円安による悪性の物価高と増税は国民生活を打ち砕きました。
円安による悪性の物価高と増税は実質賃金の低下として現れ、安倍政権での官製の名目的な賃上げも国民の期待から外れたものとなりました。名目賃金の上昇でさえ恩恵を受けない労働者が多数でしょう。最賃法も10円玉でした。年金は将来の支給減を言われました。生活保護は受けにくく。
消費増税はアベノミクスの成長戦略に組み込まれていると見たほうがよいでしょう。アベノミクスはよいが消費増税が悪いといったような問題ではないのです。成長戦略に組み込まれた消費増税はアベノミクスそのものと言えるのではないでしょうか。リフレはこれを止められない。
消費増税はすでに三党合意から独り歩きを始めているのです。ですからこれは与党の責任となりますし、その経済の見込み違いはやはり安倍政権の失敗なのです。
安倍総理は解散にあたっての会見で「野党は『アベノミクスは失敗した』と批判ばかり繰り返している。私は今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が『間違っているのか、正しいのか』、『本当に他に選択肢はあるのか』国民の皆さんに伺いたい」(左記リンクページより引用)と述べた。
アベノミクスが失敗ならば他に経済政策はあるのかと問いかけているが、それはアベノミクスの最大の失敗からおのずと答えは出てくるはずです。
その最大の失敗とは何か?
最近の主要100社のアンケートによると、国内景気への懸念材料として一番多いのが個人消費の停滞と答えている。政府も管制の賃上げに必死となっている。
個人消費の落ち込みは何も消費増税8%だけが問題ではなく、アベノミクスと両輪関係にある日銀の量的緩和による円安での輸入物価の値上がりにある。もちろんこの円安は株価の上昇として政府の容認してきたところである。アベノミクスによる経済成長の指針がまさにこの円安による株高なのである。
一定の名目賃金の上昇が官製の賃上げで実施されたとしても円安による悪性の物価高と消費増税分の価格転嫁の強制(政府の呼びかけ)により実質賃金は下がっている。まだ名目でも賃上げがあったところはよいがそれは大企業や公務員です。多くの労働者は特に不安定労働の労働者はその恩恵にすらあずかっていないところが多い。また最賃法の結果を見ても一定程度上がったのは(それも10円玉単位だが)都市部で、地方に行けば最低賃金はまだ相当低い。年金生活者や生活保護などは言うに及ばない。
この中で個人消費が大きくかかわるGDPもマイナスとなり2014年はマイナスとなるといわれている。
このような実態の中で政府も10%への増税を先延ばしとした。
アベノミクスの経済面での最大の失敗はこのように個人消費の落ち込みだろう。
もちろんこの個人消費の落ち込みは、国民からすればその生活が低下したことを示すのは明らかだろう。それは中間層の現象というものを含めて労働者全体の低賃金化(不安定雇用の増大)と貧困化に現れており、それが格差の拡大としても現れている。
この矛盾を改善する経済政策がアベノミクスに変わる経済政策と言えるだろう。
安倍総理自身が賃上げの必要性を言っていたが逆に実質賃金を下げる作用をしたのがほかでもないアベノミクスだったのである。ここからアベノミクスでは今の経済の最大の懸念材料である個人消費の拡大は行えないことを示している。ここが行えないのだからアベノミクスは失敗であり刑事施策は変更せざるを得ないのである。
このアベノミクスの破たん後は内需型社会が必然である。
内需拡大にはもちろん賃上げや社会保障の充実が必要となる。同時に雇用矛盾の解決も必要となる。
また円安・消費増税による悪性の物価高を改善しなければならない。
しかしここまでアベノミクスが経済を混乱させてしまい円安誘導が進んでしまったのちの経済の安定にはソフトランディングができるかという課題が出る。日銀は意地になって金融政策の変更はしないだろう。企業はだぶついた金(資本)を国民生活への富の再配分は行わないだろう。自然には内需型の経済は進まない。
しかしこの内需型の経済政策を行えないならば日本の経済も破綻するかもしれない。
内需型社会(経済)とは何か?
それは戦後の日本社会に答えがあるのかもしれない。。。。。
続く
【2015年】ツイッターつぶやき
ベランダに寒さに弱い花の苗があるので今日の寒さで大丈夫かと思い煙草を吸いながら見てきました。祖とは3度くらいでしょうか。かなり寒さを感じました。
部屋の中は暖房で18度くらい。
やはり部屋に戻ると暖かさを強く感じました。
しかしこれまで20度ぐらいの暖かさを感じる気候から17度くらいに気温が下がったとき外に出たら相当寒さを感じて、「やっぱり、20度以下になると寒いよね」と近所の方と話しました。
同じ17度18度でも、時には寒く感じ、時には暖かく感じる。
人の暑さ寒さという感覚は案外いい加減というのか錯覚というのか、熱いとか寒いとかの気温による基準はないようです。
例えばマイナス5度となれば東京では酷寒の世界です。冬の北海道にいる方は毎日マイナス20度ぐらいが続いたとき、マイナス5度となれば暖かいと感じるかも?(どうでしょう?)
このような感覚は社会の中で起きる事柄や生活の中の感覚にも表れるのかもしれません。
金持ちと貧乏とは絶対的な基準はないでしょう。
金持ちは金の量を気温に置き換えて18度の気温は寒さを感じ、貧乏ならば暖かく感じる。
金持ちはいくら金があっても寒さを感じる。逆に貧乏はわずかな金でも暖かさを感じる。どちらも悲惨です。
人間は気候を変えることはできませんが、暖かい環境を作ることができる。
暖かさに飢える金持ちには我慢してもらい18度でも暖かいと感じるようになってもらわないと暖を求めるエネルギーはその金持ちに吸い取られるだけです。
【2016年】ツイッターつぶやき
12月の初めごろ、天井に黒いシミのようなものがあったのでよく見ると小さな蜘蛛だった。
殺すのもかわいそうなのでそのままにしておいて。
すると時々糸を垂らしてするすると天井から降りてくるようになった。床までは降りずに1メートルぐらいの高さでぶらぶらしている。丸くなって虫が来るのを待っているのでしょうか。
あれから10日ぐらいたつが相変わらず時々蜘蛛の糸を垂らしてくれる。
今日はパソコン横に降りてきて椅子に座る僕の横でぶらぶらしいる。
蜘蛛の糸。。。。
たしかにすがりたいことはたくさんあるが、どうもあまりにも細すぎて頼りなさそうだ。
気持ちだけ受け取っておくことにする。
そういえば、子供ころ、お袋が夜の蜘蛛はいいと言いながら降りてきた小さな蜘蛛をがま口の中に入れた。不思議に思ってお袋に何でと聞いたら、こうして降りてきた蜘蛛をがま口の中に入れると金がたまるんだよと言っていた。
しかしがま口を開けてはいないのに翌朝には消えているのである。
お袋は今もって金持ちにはなっていない。
【2017年】ツイッターつぶやき
一昨日、冷凍食品を電子レンジで温めようとしたらなんだか焦げるようなイヤナにおいてぱちぱちという音が聞こえ始めました。
何だろと思ったら、電子連の中がぱちぱちとなりながらスパークのような光が出ていて、ふたの隙間から少し煙らしきものが見えました。
慌ててコンセントを抜いて中を見たらやはり煙らしきものが。
我が家に来てから30年。。。。。。
よく働いてくれた電子レンジでした。「昭和の博物館」のようなところに寄付できそうな年代物です。
愛着のあるレンジでしたが、仕方ないので買いに行きました。
重いですなぁ・・・・
家電売り場で古いレンジを引き取ってくれるというので、台所のレンジ置き場から出して駐車場まで抱っこするように持っていきました。
新しいレンジをやはり抱っこするようにキッチンまで持ってきましたが、なんとなく軽い。それでも18㎏。。。。古いレンジは何㎏ぐらいあったのでしょうか。。。。
大きさはほぼ同じなのですが、やはりこの30年でレンジも進化しているようですね。値段も古いもの15,6万円しましたが、今では5万円以下。
やはり労働力を省くことができる生産性の向上と技術の進歩は商品価値を下げていくのです。
そういえば、今回買ってきたレンジはいろいろな機能がついていて水蒸気も出て来るようです。
しかし古いレンジもいろいろな機能がありましたが、そうは使わない機能も・・・・・
また新しいレンジもそうは料理には使わないかも。。。。。でも、酔授記調理にワクワクしています。
そう、そう・・・・一番便利な機能。ボタン一つでコンビニ弁当温め機能・・・・これでコンビニで温めてもらう必要がなくなりそうです。
【2018年】ツイッターつぶやき
政府は来年の消費増税10%に対してキャッシュレス社会を目指すと同時にデフレ対策として中小小売店でキャッシュカードを利用すると消費税を5%とするという方針を出した。
「消費税率引き上げはデフレ脱却への一つの試練であり、思い切った対策を行いたい」 (産経新聞)
とするが、政府はこの間経済の好転が後手後手状態で実施ができなかった。来年の増税ができない場合は政府の信用にかかわるし、それはアベノミクスでは経済の好転はないことを証明することになる。また政府はリーマンショックのような経済の混乱がない限り消費増税10%を実施するとしたが、これはある意味背水の陣である。消費増税対策を実質消費減税のような形で5%とすることはデフレ状態から抜け出せずにいる現在よりさらにデフレが不況となることを懸念せざるを得ない状態といえる。
しかしこの5%の対策にしても実際恩恵を受ける階層はやはりある程度の収入がある層となるでしょう。慌ててキャッシュカードを作ろう押してもはじかれる層が出るでしょう。同時に消費税が逆進性の強いものですから、恩恵の大きさにも開きが出るでしょう。
小さなお店で今更9か月間のためにキャッシュカード利用の設備を新たに設けるでしょうか?
現実は消費税対策にはならない内容であり、同時に国民に思い切った対策を行うという約束をするということは、国民の消費増税に対する抵抗を減らすことだけが目的のような気がする。
【2019年】ツイッターつぶやき
今朝は早く目が覚めてしまいました。
外はまだ暗くて雨がしとしと降っていました。まる2日間冷たい雨でしたが、ベランダに出てみると生ぬるい微風が吹いていました。部屋に入ろうとしたら部屋の中のほうが寒い。
天気予報では東京は最高気温20度でしたが、日中一時晴れ間が出ましたが暖かでした。
11月も終わろうとしているのに気温20度というのはすごいですね。
夜に入ってもやはり外のベランダのほうが温かいです。
【2020年】ツイッターつぶやき
「コロナ専用の病床を増やすと病院は困るらしいですわ。他の入院患者をストップせなあかんでね」(名古屋市 河村たかし市長)【メーテレ「コロナ陽性の父、病院探し難航 保健所の指示は「解熱剤を買ってきてください」より引用」】名古屋のテレビ局でしょうか?
名古屋市は医療崩壊寸前でしょうか?
しかし市長の上記の言葉は市民にとってはつらいですね。名古屋弁独特な言い回しなのかなと思いましたが、東京弁に翻訳するとやはりいい気持がしない言葉です。
医療崩壊の心配はすでに日本医師会からも出ており、その中で政府もGo Toを渋々中止したよう見見えます。
名古屋市だけではなく、感染拡大が大きい都道府県においては同じような医療崩壊の危機があるのかもしれません。
ベッド数だけではなくて薬も市販の解熱薬で。。。。。?
以前、この解熱剤は使ってはいけないというような記事を読んだような?
専門家の方の記事を読むと、なぜ日本は死亡者数が少ないかといえば特効薬はないまでもいろいろな薬により命を守っているとありました。しかしその治療が全国にいきわたっているのでしょうか?
政府はすでに感染拡大予防は地方自治体に丸投げをしており、感染者数の多い東京ですら東京都から要請がないのでGo Toから除外しないという。第三波は高齢者の感染が多くなっています。日本は大丈夫でしょうか?
医療崩壊の前に政治崩壊が起きていたのではないかと感じます。
【2021年】ツイッターつぶやき
「52ー17の法則」。。。
アメリカでの研究らしいですが、52分集中して働き17分休むことが労働の生産性を高めるということらしい。
学校の授業がそうですね。50分前後勉強して10分程度休む。これは集中力を維持するのに合理的だからでしょう。なにも子供の集中力の時間を見ているだけではなく、先生も同じでしょう。ということは後なの労働でも「52ー17の法則」はあるのでしょう。
しかし日本の労働の生産性は疲れ切るほど長時間労働を強いてちょっとした休憩は「さぼり」とみてしまう。
最近は喫煙者が喫煙所に行くことを非喫煙者がサボっていると喫煙タイムを否定する動きが続いていました。しかしこうなると喫煙者批判をした非喫煙者も「さぼる」わけにもいかなくなりますから長時間労働が美徳となります。これは休暇の取得率が悪いという面にも出ていて、休暇を取れば廻りの同僚に迷惑をかけるとなり、迷惑と思えば休暇を取りずらい職場環境になる。
働き方改革がはじまってはいますが、日本企業の意識というのは、「さぼる」ことを認めない形での生産性を取り続けるでしょう。生産性の向上は、長時間労働と低賃金だとする勘違いをずっと続けるでしょう。
気づけば日本経済は劣化していることが見えてくる。
日本は貧困化をする。国はバラマキをして疲弊をしていく。コロナ対策でのバラマキはある程度効果もあるが、経済対策としてはほとんど効果は見えないでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
電力会社がまた値上げ申請をするようです。
ロシアウクライナ戦争の影響といわれていますが、円安の影響が最も大きいでしょう。
東北電力では30%の値上げとなりそうです。その他の電力会社も同程度になるのでしょうか。
値上げは一般家庭用電力になりそうですが、電気料金は企業などの大口契約はだいぶ低い料金に抑えられています。そこに手を付けないのでしょうか。一般家庭用は大口契約に比べて高い料金なのにさらに値上げとなりますからひどいですね。
東北電力のように30%も値上げをされれば、年金生活世帯を含めた低所得層は相当の痛手です。政府は節電を言いはじめていますが、東京都では暖房節電をするため職員は徳利セーターを着ろとパフォーマンスをしはじめました。しかし一般世帯は値上げのために寒さをこらえるような節約を強制させられるでしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
岸田さんが所得減税を行うとしましたが支持率が低下しているようです。
ネット上では「増税眼鏡」などと揶揄されていましたが、これまでの政策を見ても賃上げの後には社会保障費が増加をして賃上げ分は国にもっていかれる。またこの間所得減税に対して消費増税が行われてきました。
所得減税の後には増税が待ち受けているのは、防衛費や子育て支援の財源を見ればわかります。
消費税は25%程度までという案も出ていますが、消費増税が社会保障にまわらないことは目に見えています。
所得減税を言っても支持率が下がる状態は岸田内閣への信頼がなくなっているということでしょ。
2,3日公園の紅葉した木に小さな10センチほどの小鳥が5羽ほど来ていました。
羽が緑色でしたのでメジロだと思うのですが、目の周りに白い羽のワッカがないような?
チ、チ・・・と小さな声で鳴いていました。
山の方は寒くなったので東京まで出てきたのでしょうか。
そういえば、この小鳥は春にも2,3日来ます。これは山の方へ帰る為かな?
2,3日いて見えなくなりました。オナガが来ています。
≪過去の記事≫
【2003年】
ううう。。。。ん
僕にはよしもとばななさんの日記は合わないようです。
もちろん、書いている中でおもしろい考え方だと言うのはいくつかありましたが。。。。。
冬というのはいつからを言うのか?
僕のHPの日記は、四季によって区別して書いていますが、いつから冬としたらいいのか?一応秋は秋分からとしました。そうすると冬は冬至からと考えているのですが、このところの寒さを考えればもう冬かなと。。。。。
四季といってもなんかあやふやですよね。。。。でも、このあやふやさがおもしろいのかもしれない。
出窓に結露がたくさん出ていました。今夜は暖かくして寝ます。
【2004年】
発泡酒や第三のビールといわれるわけのわからない酒の酒税が上がる方向です。
ビールの酒税が高いのに発泡酒などは安いから不公平だという理由なようです。ビールが高いので安い発泡酒を飲んでいるというのに。。。まったく貧乏人いじめの税制改悪です。
ガソリンを入れれば税金。タバコを吸っても税金。そのうえタバコのたしか10円は国鉄時代の赤字補填(まだこの制度は残ってるのかな。。。。そして消費税。ちりも積もれば山となる。この山の部分が消費力の低下につながる。
「TUGUMIーつぐみー 」
中公文庫
よしもとばなな 著
「その時、つぐみが恭一をまっすぐ見て言った。
『おまえを好きになった』 」
(117ページより引用)
鶫、秋に日本に来て冬を越すスズメほどの小さな小鳥だそうです。冬はほとんど鳴かずに口を『つぐむ』。静かに冬を越す鳥だそうです。
(水上温泉組合婦人部さんのHPを参照させていただきました)
小さい頃から病弱で、体も細いつぐみ。でも美しい少女(17才ころか)が「おまえを好きになった」とさえずるところは印象的です。
しかしこのつぐみの恋は、可憐な病弱な少女をイメージするような恋ではない。つぐみは、年中熱を出して死と隣り合わせである。つぐみは死と向き合う中に本音で生きることを身につけたような少女であり、わがままのような行動と口の悪さがあるものの心の中はまっすぐな少女である。
両親はそんなつぐみを甘やかして育てたためにわがままな子になったと見る。また、周りの人々も手を焼く。つぐみの性格を理解をする人は少ない。
語り手のつぐみの従姉妹まりあは、そんなつぐみに手を焼きながらもその性格を理解する。なかなか本音を言わないつぐみが本音を話する中に理解する。つぐみの恋人恭一もそんなつぐみの理解者である。
そしてこの作品を読む読者もつぐみの理解者となっていく。性格の悪いようなところも、その裏側にあるつぐみのかわいらしさが見えてくる。その本音の生き方が見えてくる。
例えは適切かわからないが、江戸の人情噺にでも出てくる、口は悪いが粋な江戸っ子を思い起こしてしまいます。
このようなつぐみの姿がこの作品のよさなのだと思います。
登場人物は、まりあ、つぐみ、つぐみの姉陽子、つぐみの恋人恭一は、大学生や高校生です。若いながらもしっかりと自分を見つめられる人々です。このようなしっかりと自分を見つめられる若者は、先に読んだ「哀しい予感」にも共通をし、ばななさんが何を若者に求めるかが見えるような気がします。
しかし、「TUGUMI」にも「哀しい予感」にも現れる共通したものに「『確信』というものがある。
この確信は、生きていく上での自分を現す言葉でもあるが、同時にばななさんのその後の作品に見られるような霊的な不可思議なものに基づく確信のような物であるのではないかと思う。
なんとなく「TUGUMI」のように初期の作品のほうが僕にとっては受け入れやすい(けして後の作品が嫌いというわけではない)のかと思う。
つぐみなど、登場人物の心のつながりもこの作品の特徴かと思う。暖かさを幹事利つながりであり、ここもばななさんの作品の特徴でもあるのではないかと思う
。しかし、この心のつながりが「yosimotobanana.com」という日記を読むにあたっては、身内主義というのか、心のつながりを大切にするあまり、他に一線を置くようにも受け止められかねないという印象を僕は受けてしまうのである。ばななさんのよさを感じると共に僕にはばななさんの世界には入りきれないのではという心配が浮かぶのである。
これは、あまりにもばななさんが強いということから来ているのではないかと思う。
しかしばななさんの孤独、寂しさも感じる。
あとがきに次のような言葉がある。
「そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」
まぁ、性格の悪さというのは謙遜でしょうが、つぐみの持つどことなく孤独で寂しさのある、そして芯の強さはばななさんでしょう。
つぐみは、死を覚悟することによって生まれ変わったといいます。「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」(漱石)ばななさんの作品には死がひとつの主題と感じるところがあります。つぐみ(ばななさん)の強さはこの辺にあるのかもしれない。
【2005年】
風もなく暖かい一日でした。
小春日和。。。。ううう(笑)(21日の日記参照)
リンクさせていただいている窓際主婦さんのブログに次のように書き込みをさせていただいたのですが、
「この前から何度か読ませていただきました。でも、正直言ってどういうものかわかりません。
さっきもいろいろなサイトを探して見ました。専門の医師から経験者まで、ほんとたくさんのサイトがありました。あるサイトでは、日本人の70%が何らかの経験や言動があるとも言います。
症状や原因についてもいくつかのサイトで読みましたが、精神的疾患というよりも様々な症状がある中にもその人の個性が強く出てしまうというようなものかもしれませんね。でも、治療は必要とあるので、自覚する症状を軽くしてその人自身の気持ちを楽にしてあげるというものではないかと思いました。
アダルトチャイルドとは、育つ環境により、小さな子供のときから大人のどろどろしたものを知ってしまい、そういう大人とのかかわりの中で子供ではありながらも大人のように行動を無理して行い、内にある子供を押し殺してしまったようなものかな?
その反動としてインナーチルドレンとして大人になっても子供時代に満たされなかった幼児性が出てしまうことかな?
これらの解釈は、大雑把にサイトで読んだ僕の解釈ですから間違っていたらごめんなさい。
このように解釈できるとすれば、大部分の人たちは何らかの形でこれらの症状を持っているのかもしれませんよ。
窓際さんが、少しやばいかなと思ってたことがあるなら、確かにそこは意識していかなくてはと思いますが、いもしない空想的な大人を思い描いてはいけないと思います。
今読んでいる乃南アサさんの「晩鐘」に少し関連があると思いますので、少し考え込んでいます。」(ごめんなさい。自分で書いた物ですから引用させていただきました)
この「今読んでいる乃南アサさんの「晩鐘」に少し関連があると思いますので、少し考え込んでいます。」というのも、「晩鐘」は、「風紋」の続編であり、「風紋」ではある殺人事件を巡って加害者の家族と被害者の家族を描きながら世間という無意識のというのかその冷たさと世間自体のある意味での犯罪を描いており、「晩鐘」は、それぞれの家族の7年後を描き、その主人公である加害者の息子大輔と被害者の娘真裕子を描きます。
この大輔にアダルトチルドレン、真裕子にインナーチャイルドを感じるのです。
加害者の妻というだけで世間に打ちのめされた母親香織に母親らしいことを何もしてもらえない大輔は、まさにアダルトチルドレンである「よい子」を演じ続けます。
真裕子は高校生だったとしても、これから母親にいろいろなことを教えてもらわなければならない思春期でもあり、娘としてもまだ甘えたいときに母親が殺され、それ以後は世間に向かい合って健気にも強く自分を持ち生きてきた。そこにぽっきり折れてしまうような精神的な危うさを持つ。副主人公とも言える真裕子の過去をすべて知る新聞記者建部との恋にその幼児性を出す。
大輔の結末は悲惨のようだ。真裕子は人を守るという大切さを知り、母親に甘えたいというものを持ちつつ自分の母性に気付く。もちろん建部も弱さがあり、真裕子はその愛情として建部を守りたいと思う。この母性と守りたいと思うものを持つこととそしての愛情。。。
ここに真裕子が母親を殺されたという過去を克服する何かがあるのだと思います。
アダルトチルドレンとしての不幸と、インナーチャイルドからの克服。。。。
案外乃南さんの作品はサスペンスという形をとりながらも奥深いものがあるのかもしれない。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
「壇(だん)」。。。。画壇とか文壇とかいう場合の「壇」です。
今朝の朝日新聞3面を読みどんよりとした。
それと関連して学術院の実態と学術院から離れる芸術家が増えている実態があった。
学術院会員は公務員だそうで、年間200万円ほどもらっているらしい。学術院に嫌気をさしたり、会員めざし土下座や土産。。。。。ううう
凡人であるサラリーマンの一部の人間とそうは違いがないですなぁ。ただ優れた芸術性を持っているのでしょうが、偉くはないということでしょうか?
一方文壇といわれる中の賞といったものにも権威が薄れているとも?
直木賞受賞作より、一般の本屋さんの店員が選ぶ「本屋大賞」に選ばれた作品のほうが売れる部数が多いとか。
芸術家というと硬いですが、そのような人の中にもそしてその芸術を受け取る側の一般人にも権威といったものから放れて言っているのではないか。同時に権威による名誉より「売れる本作り」のほうが確かだというイメージが強くなっているということでしょうか。権威が権威だけに終わるようになり、権威無しに売れる本が造れるならそのほうがいいというビジネス。
なんだかどちらにしても寂しいですね。
でも、売れる本というのはビジネスの面がありますが、権威からはなれて読まれるが増えることはよいことだと思います。でもまた「本屋大賞」が権威になったらまた同じですね。
そこで大切になっている、というのか一般の人が忌憚のない意見を書け、それがある程度情報として共有できるネットという役割も無視できなくなっているからこそ一つの権威というものの影が薄くなるのでしょうか。権威が優れているといってもネットでの評価はいまいちというものがあればどうなるのでしょう。
しかしこれも大衆受けする作品という面が出る。
難しいですなぁ。。。。でも、こういう問題は昔からいろいろと議論されてきたものですからね。。。。。
僕としては芥川賞は面白いと思っています。
文藝春秋があるので選考委員の意見が見えますし、選考委員もそれに責任を持つ。もっとこのような意見のぶつけあいが一つの解決かもしれない。芸術院でも「壇」でも、そのメンバー自体が金太郎飴にならないように全体主義的な権威にならないように意見がぶつけ合える場にしていくということが大切ですね。意見それを大衆の目に見えるようにすることですね。
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
池田信夫さんの「自然水準の概念」という文章がある。
昨日の書いた「自然水準」で引用した国のばらまきという経済政策ではデフレは克服できずに、今の需要水準が自然水準と考えるべきという論理と同じく自然水準を
「長期的に維持可能な自然水準を考えないで、がむしゃらに金融緩和すれば無限に景気はよくなると考えるのは、大昔の素朴ケインズ主義である。」
と書いている。
どうもこういった論理が自然水準の概念でしょうか?よくわかりません。
「自然成長率を決める最大のファクターは生産性(TFP)上昇率だから、生産性を上げないかぎり自然利子率がマイナスになる「デフレの罠」は脱却できない。したがってバーナキンも指摘するように、デフレ脱却のためには生産性の向上が必要なのである」
どうもここに結論があるようですが、自然失業率、自然成長率、自然利子率などとやたらに「自然」をつけることにより長期的に見た失業率や成長率がある言っての水準に決まってくるという事でしょうか?
「マイナスの需要ショック(cの減少)が発生したときは雇用が減る。しかし長期では雇用は賃金で調整され、μを利潤率とすると、自然失業率n*は、μを最大化するような水準できまる。」
なにも「自然」という言葉をつけなくても説明ができるのではないかと思うのですが、経済の成長と労働の生産性そして失業率の関係を言い、「雇用は需要と無関係に、利潤率の減少関数」という中に雇用の増大は利潤率を低める関数となり、労働の生産性はこの労働力の節約ですから成長のためには生産性の向上が必要でこれがデフレを克服するという論理なのでしょうか?
なんだか自然水準という概念がわからなくなります。
デフレからの脱却には生産性の向上が必要である。失業率は自然(長期的な結果として)失業率として利潤率が最大となる水準で決まる。そしてこの生産性の上昇が自然成長率を決める。
しかし失業率や低賃金化は「雇用は需要と無関係」な状態をつくりだすが、需要は雇用や賃金水準によって需要とは無関係ではありえないのではないか?すると労働の生産性の上昇を利潤率の表彰のためばかりに作用させるとするならば需要の自然水準を下げ、一方では生産性の向上は商品価値を下げるというところから商品価格が下落して利潤率を下げながら商品はその赤くを下げ続けるというデフレにもつながるとみることができる。
【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
消費増税法が成立 14年4月に8%、15年10月10% :日本経済新聞 (2012年の野田内閣時の記事)「社会保障と税の一体改革関連法は10日夕の参院本会議で、民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立」:三党合意ですね。
たしかに消費増税を決めたのは野田内閣ですが、この記事を見ると三党合意と見れます。この経過の中で安倍総理は最終的には総理が判断するとして増税に踏み切りました。ですから消費増税は民主党だけに責任を負わせるのではなくてやはり実施した安倍政権の責任でもあると思います。
もちろん安倍政権が8%実施を決めるにあたっての判断は景気の判断です。しかし実施後にこの景気判断が間違っていたというのが現状でしょう。それが10%実施に踏み切れなかった理由でもあります。
もちろん安倍内閣が8%実施を決めた根拠はアベノミクスが順調に成果を上げているという分析からです。少なくともアベノミクスの未来に明るい材料があるとの判断からです。それは輸出産業中心の企業収益と株価だったのだと思います。
しかし見通しとしての消費増税後のv字回復は起こらずに消費不況ともいえる事態になったと考えるのが普通でしょう。
安倍内閣は成長戦略あるいはアベノミクスの成功のために公共事業の拡大と法人減税という方針を出しました。税の使い方の方向性がこれにみることができます。消費増税は社会保障の充実のためという国民の信頼が薄らぎました。円安による悪性の物価高と増税は国民生活を打ち砕きました。
円安による悪性の物価高と増税は実質賃金の低下として現れ、安倍政権での官製の名目的な賃上げも国民の期待から外れたものとなりました。名目賃金の上昇でさえ恩恵を受けない労働者が多数でしょう。最賃法も10円玉でした。年金は将来の支給減を言われました。生活保護は受けにくく。
消費増税はアベノミクスの成長戦略に組み込まれていると見たほうがよいでしょう。アベノミクスはよいが消費増税が悪いといったような問題ではないのです。成長戦略に組み込まれた消費増税はアベノミクスそのものと言えるのではないでしょうか。リフレはこれを止められない。
消費増税はすでに三党合意から独り歩きを始めているのです。ですからこれは与党の責任となりますし、その経済の見込み違いはやはり安倍政権の失敗なのです。
安倍総理は解散にあたっての会見で「野党は『アベノミクスは失敗した』と批判ばかり繰り返している。私は今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が『間違っているのか、正しいのか』、『本当に他に選択肢はあるのか』国民の皆さんに伺いたい」(左記リンクページより引用)と述べた。
アベノミクスが失敗ならば他に経済政策はあるのかと問いかけているが、それはアベノミクスの最大の失敗からおのずと答えは出てくるはずです。
その最大の失敗とは何か?
最近の主要100社のアンケートによると、国内景気への懸念材料として一番多いのが個人消費の停滞と答えている。政府も管制の賃上げに必死となっている。
個人消費の落ち込みは何も消費増税8%だけが問題ではなく、アベノミクスと両輪関係にある日銀の量的緩和による円安での輸入物価の値上がりにある。もちろんこの円安は株価の上昇として政府の容認してきたところである。アベノミクスによる経済成長の指針がまさにこの円安による株高なのである。
一定の名目賃金の上昇が官製の賃上げで実施されたとしても円安による悪性の物価高と消費増税分の価格転嫁の強制(政府の呼びかけ)により実質賃金は下がっている。まだ名目でも賃上げがあったところはよいがそれは大企業や公務員です。多くの労働者は特に不安定労働の労働者はその恩恵にすらあずかっていないところが多い。また最賃法の結果を見ても一定程度上がったのは(それも10円玉単位だが)都市部で、地方に行けば最低賃金はまだ相当低い。年金生活者や生活保護などは言うに及ばない。
この中で個人消費が大きくかかわるGDPもマイナスとなり2014年はマイナスとなるといわれている。
このような実態の中で政府も10%への増税を先延ばしとした。
アベノミクスの経済面での最大の失敗はこのように個人消費の落ち込みだろう。
もちろんこの個人消費の落ち込みは、国民からすればその生活が低下したことを示すのは明らかだろう。それは中間層の現象というものを含めて労働者全体の低賃金化(不安定雇用の増大)と貧困化に現れており、それが格差の拡大としても現れている。
この矛盾を改善する経済政策がアベノミクスに変わる経済政策と言えるだろう。
安倍総理自身が賃上げの必要性を言っていたが逆に実質賃金を下げる作用をしたのがほかでもないアベノミクスだったのである。ここからアベノミクスでは今の経済の最大の懸念材料である個人消費の拡大は行えないことを示している。ここが行えないのだからアベノミクスは失敗であり刑事施策は変更せざるを得ないのである。
このアベノミクスの破たん後は内需型社会が必然である。
内需拡大にはもちろん賃上げや社会保障の充実が必要となる。同時に雇用矛盾の解決も必要となる。
また円安・消費増税による悪性の物価高を改善しなければならない。
しかしここまでアベノミクスが経済を混乱させてしまい円安誘導が進んでしまったのちの経済の安定にはソフトランディングができるかという課題が出る。日銀は意地になって金融政策の変更はしないだろう。企業はだぶついた金(資本)を国民生活への富の再配分は行わないだろう。自然には内需型の経済は進まない。
しかしこの内需型の経済政策を行えないならば日本の経済も破綻するかもしれない。
内需型社会(経済)とは何か?
それは戦後の日本社会に答えがあるのかもしれない。。。。。
続く
【2015年】ツイッターつぶやき
ベランダに寒さに弱い花の苗があるので今日の寒さで大丈夫かと思い煙草を吸いながら見てきました。祖とは3度くらいでしょうか。かなり寒さを感じました。
部屋の中は暖房で18度くらい。
やはり部屋に戻ると暖かさを強く感じました。
しかしこれまで20度ぐらいの暖かさを感じる気候から17度くらいに気温が下がったとき外に出たら相当寒さを感じて、「やっぱり、20度以下になると寒いよね」と近所の方と話しました。
同じ17度18度でも、時には寒く感じ、時には暖かく感じる。
人の暑さ寒さという感覚は案外いい加減というのか錯覚というのか、熱いとか寒いとかの気温による基準はないようです。
例えばマイナス5度となれば東京では酷寒の世界です。冬の北海道にいる方は毎日マイナス20度ぐらいが続いたとき、マイナス5度となれば暖かいと感じるかも?(どうでしょう?)
このような感覚は社会の中で起きる事柄や生活の中の感覚にも表れるのかもしれません。
金持ちと貧乏とは絶対的な基準はないでしょう。
金持ちは金の量を気温に置き換えて18度の気温は寒さを感じ、貧乏ならば暖かく感じる。
金持ちはいくら金があっても寒さを感じる。逆に貧乏はわずかな金でも暖かさを感じる。どちらも悲惨です。
人間は気候を変えることはできませんが、暖かい環境を作ることができる。
暖かさに飢える金持ちには我慢してもらい18度でも暖かいと感じるようになってもらわないと暖を求めるエネルギーはその金持ちに吸い取られるだけです。
【2016年】ツイッターつぶやき
12月の初めごろ、天井に黒いシミのようなものがあったのでよく見ると小さな蜘蛛だった。
殺すのもかわいそうなのでそのままにしておいて。
すると時々糸を垂らしてするすると天井から降りてくるようになった。床までは降りずに1メートルぐらいの高さでぶらぶらしている。丸くなって虫が来るのを待っているのでしょうか。
あれから10日ぐらいたつが相変わらず時々蜘蛛の糸を垂らしてくれる。
今日はパソコン横に降りてきて椅子に座る僕の横でぶらぶらしいる。
蜘蛛の糸。。。。
たしかにすがりたいことはたくさんあるが、どうもあまりにも細すぎて頼りなさそうだ。
気持ちだけ受け取っておくことにする。
そういえば、子供ころ、お袋が夜の蜘蛛はいいと言いながら降りてきた小さな蜘蛛をがま口の中に入れた。不思議に思ってお袋に何でと聞いたら、こうして降りてきた蜘蛛をがま口の中に入れると金がたまるんだよと言っていた。
しかしがま口を開けてはいないのに翌朝には消えているのである。
お袋は今もって金持ちにはなっていない。
【2017年】ツイッターつぶやき
一昨日、冷凍食品を電子レンジで温めようとしたらなんだか焦げるようなイヤナにおいてぱちぱちという音が聞こえ始めました。
何だろと思ったら、電子連の中がぱちぱちとなりながらスパークのような光が出ていて、ふたの隙間から少し煙らしきものが見えました。
慌ててコンセントを抜いて中を見たらやはり煙らしきものが。
我が家に来てから30年。。。。。。
よく働いてくれた電子レンジでした。「昭和の博物館」のようなところに寄付できそうな年代物です。
愛着のあるレンジでしたが、仕方ないので買いに行きました。
重いですなぁ・・・・
家電売り場で古いレンジを引き取ってくれるというので、台所のレンジ置き場から出して駐車場まで抱っこするように持っていきました。
新しいレンジをやはり抱っこするようにキッチンまで持ってきましたが、なんとなく軽い。それでも18㎏。。。。古いレンジは何㎏ぐらいあったのでしょうか。。。。
大きさはほぼ同じなのですが、やはりこの30年でレンジも進化しているようですね。値段も古いもの15,6万円しましたが、今では5万円以下。
やはり労働力を省くことができる生産性の向上と技術の進歩は商品価値を下げていくのです。
そういえば、今回買ってきたレンジはいろいろな機能がついていて水蒸気も出て来るようです。
しかし古いレンジもいろいろな機能がありましたが、そうは使わない機能も・・・・・
また新しいレンジもそうは料理には使わないかも。。。。。でも、酔授記調理にワクワクしています。
そう、そう・・・・一番便利な機能。ボタン一つでコンビニ弁当温め機能・・・・これでコンビニで温めてもらう必要がなくなりそうです。
【2018年】ツイッターつぶやき
政府は来年の消費増税10%に対してキャッシュレス社会を目指すと同時にデフレ対策として中小小売店でキャッシュカードを利用すると消費税を5%とするという方針を出した。
「消費税率引き上げはデフレ脱却への一つの試練であり、思い切った対策を行いたい」 (産経新聞)
とするが、政府はこの間経済の好転が後手後手状態で実施ができなかった。来年の増税ができない場合は政府の信用にかかわるし、それはアベノミクスでは経済の好転はないことを証明することになる。また政府はリーマンショックのような経済の混乱がない限り消費増税10%を実施するとしたが、これはある意味背水の陣である。消費増税対策を実質消費減税のような形で5%とすることはデフレ状態から抜け出せずにいる現在よりさらにデフレが不況となることを懸念せざるを得ない状態といえる。
しかしこの5%の対策にしても実際恩恵を受ける階層はやはりある程度の収入がある層となるでしょう。慌ててキャッシュカードを作ろう押してもはじかれる層が出るでしょう。同時に消費税が逆進性の強いものですから、恩恵の大きさにも開きが出るでしょう。
小さなお店で今更9か月間のためにキャッシュカード利用の設備を新たに設けるでしょうか?
現実は消費税対策にはならない内容であり、同時に国民に思い切った対策を行うという約束をするということは、国民の消費増税に対する抵抗を減らすことだけが目的のような気がする。
【2019年】ツイッターつぶやき
今朝は早く目が覚めてしまいました。
外はまだ暗くて雨がしとしと降っていました。まる2日間冷たい雨でしたが、ベランダに出てみると生ぬるい微風が吹いていました。部屋に入ろうとしたら部屋の中のほうが寒い。
天気予報では東京は最高気温20度でしたが、日中一時晴れ間が出ましたが暖かでした。
11月も終わろうとしているのに気温20度というのはすごいですね。
夜に入ってもやはり外のベランダのほうが温かいです。
【2020年】ツイッターつぶやき
「コロナ専用の病床を増やすと病院は困るらしいですわ。他の入院患者をストップせなあかんでね」(名古屋市 河村たかし市長)【メーテレ「コロナ陽性の父、病院探し難航 保健所の指示は「解熱剤を買ってきてください」より引用」】名古屋のテレビ局でしょうか?
名古屋市は医療崩壊寸前でしょうか?
しかし市長の上記の言葉は市民にとってはつらいですね。名古屋弁独特な言い回しなのかなと思いましたが、東京弁に翻訳するとやはりいい気持がしない言葉です。
医療崩壊の心配はすでに日本医師会からも出ており、その中で政府もGo Toを渋々中止したよう見見えます。
名古屋市だけではなく、感染拡大が大きい都道府県においては同じような医療崩壊の危機があるのかもしれません。
ベッド数だけではなくて薬も市販の解熱薬で。。。。。?
以前、この解熱剤は使ってはいけないというような記事を読んだような?
専門家の方の記事を読むと、なぜ日本は死亡者数が少ないかといえば特効薬はないまでもいろいろな薬により命を守っているとありました。しかしその治療が全国にいきわたっているのでしょうか?
政府はすでに感染拡大予防は地方自治体に丸投げをしており、感染者数の多い東京ですら東京都から要請がないのでGo Toから除外しないという。第三波は高齢者の感染が多くなっています。日本は大丈夫でしょうか?
医療崩壊の前に政治崩壊が起きていたのではないかと感じます。
【2021年】ツイッターつぶやき
「52ー17の法則」。。。
アメリカでの研究らしいですが、52分集中して働き17分休むことが労働の生産性を高めるということらしい。
学校の授業がそうですね。50分前後勉強して10分程度休む。これは集中力を維持するのに合理的だからでしょう。なにも子供の集中力の時間を見ているだけではなく、先生も同じでしょう。ということは後なの労働でも「52ー17の法則」はあるのでしょう。
しかし日本の労働の生産性は疲れ切るほど長時間労働を強いてちょっとした休憩は「さぼり」とみてしまう。
最近は喫煙者が喫煙所に行くことを非喫煙者がサボっていると喫煙タイムを否定する動きが続いていました。しかしこうなると喫煙者批判をした非喫煙者も「さぼる」わけにもいかなくなりますから長時間労働が美徳となります。これは休暇の取得率が悪いという面にも出ていて、休暇を取れば廻りの同僚に迷惑をかけるとなり、迷惑と思えば休暇を取りずらい職場環境になる。
働き方改革がはじまってはいますが、日本企業の意識というのは、「さぼる」ことを認めない形での生産性を取り続けるでしょう。生産性の向上は、長時間労働と低賃金だとする勘違いをずっと続けるでしょう。
気づけば日本経済は劣化していることが見えてくる。
日本は貧困化をする。国はバラマキをして疲弊をしていく。コロナ対策でのバラマキはある程度効果もあるが、経済対策としてはほとんど効果は見えないでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
電力会社がまた値上げ申請をするようです。
ロシアウクライナ戦争の影響といわれていますが、円安の影響が最も大きいでしょう。
東北電力では30%の値上げとなりそうです。その他の電力会社も同程度になるのでしょうか。
値上げは一般家庭用電力になりそうですが、電気料金は企業などの大口契約はだいぶ低い料金に抑えられています。そこに手を付けないのでしょうか。一般家庭用は大口契約に比べて高い料金なのにさらに値上げとなりますからひどいですね。
東北電力のように30%も値上げをされれば、年金生活世帯を含めた低所得層は相当の痛手です。政府は節電を言いはじめていますが、東京都では暖房節電をするため職員は徳利セーターを着ろとパフォーマンスをしはじめました。しかし一般世帯は値上げのために寒さをこらえるような節約を強制させられるでしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
岸田さんが所得減税を行うとしましたが支持率が低下しているようです。
ネット上では「増税眼鏡」などと揶揄されていましたが、これまでの政策を見ても賃上げの後には社会保障費が増加をして賃上げ分は国にもっていかれる。またこの間所得減税に対して消費増税が行われてきました。
所得減税の後には増税が待ち受けているのは、防衛費や子育て支援の財源を見ればわかります。
消費税は25%程度までという案も出ていますが、消費増税が社会保障にまわらないことは目に見えています。
所得減税を言っても支持率が下がる状態は岸田内閣への信頼がなくなっているということでしょ。
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