俳句はなぜ「有季」出なければならないか?
こう考えるよりも俳句は「有季」であることから発展をしてきたと見た方がよいのかもしれません。
季語があることから17文字という短い詩が生まれるのかもしれません。季語(呼び名は違いますが)の歴史は平安時代にさかのぼるともいわれます。和歌も短い詩の含まれるでしょう。
なぜこのように季語にこだわるのか?
日本は唯一の神が自然も人も支配をしているような神ではなくて八百万の神々やそれぞれの村の氏神様や道祖神やら自然のすべての現象に神が宿り、この自然に働きかけることにより八百万の神々に感謝したり時には荒ぶる神を鎮めたりしていたと見えます。この中で古代から自然のすべてに対するとらえ方というものが出来上がってきたのではないかと思います。その延長線上に季語も含まれるのではないかと思います。
同時に季語が出来上がる中で、その季語が持つ自然そのものや自然との関わりに人が感じ取るものの共通性というようなものやその心の動きの共有性というのでしょうか、そのようなものが出来上がり一つの季語でそれを表現できることが俳句という短い詩が成り立つ条件だったのではないでしょうか。
例えば今は啓蟄です。啓蟄という季語により俳句を「詠んだ人」とそれを「読んだ人」との心に共通性ができる。ここで多くの言葉(文字数)を使わずとも伝えることが来ます。同時に啓蟄をどのように心に描くかで残りの13文字が違ってくるわけで、同じ啓蟄という季語でも無限の表現ができ、それを読んだ人は感じとれ、その俳句の面白みを感じられるのです。春の訪れの切実な気持ちもあれば、滑稽味を帯びたものとしても。
このように見れば季語があることにより俳句は成り立つのではないでしょうか。
しかし、季語は自然そのものの美しさや季節の移り変わりそして農村の素朴さだけを表現しているわけではなくて、そもそも季語を生み出したりまとめたりしているのは俳人という文化人でその当時の都市に住む人々です。ですから都市に住む人々が自然に親しむあるいは農村風景や行事をスケッチする中で年の人々の感情が詩になるのだと思います。
俳句を詠むには自然を見つめなければなりませんが、自然がたくさんあれば詠めるというのではなくて都会にいてもそこから眺める風景はあるはずです。もちろん自然を守らねばならないのですが、かといって俳句を通じて自然を守ることとすることは無理があるでしょう。季節の風物詩は都会にもある。その中で人々の中に残る伝統的な季語や新たに新しい季語が生まれてくるでしょう。言葉は生きている。その中に俳句の自由さがあり、俳句が自由であり得るのです。
大根はいつ行ってもスーパーの棚に並んでいます。
時々妻と大根の季節っていつごろだっけ?と話になります。もう大根といっても季語と感じることが薄れています。しかし、値段が安くなる季節は感じ取れますし、みずみずしさにうまいなぁと感じる時がある。この安くなったなぁ、うまいなと感じ取れる心を大切に持つことで大根は冬なんだと季語が自分の中で納得がいく。この納得がいく中で俳句も詠めるのではないかなと思います。
次は福田さんへの批判について見てみましょう。【3月8日追記:これについては複雑ですなぁ】
「俳句のユネスコ無形文化財登録に向けては討議の方法論ではない」につづく
こう考えるよりも俳句は「有季」であることから発展をしてきたと見た方がよいのかもしれません。
季語があることから17文字という短い詩が生まれるのかもしれません。季語(呼び名は違いますが)の歴史は平安時代にさかのぼるともいわれます。和歌も短い詩の含まれるでしょう。
なぜこのように季語にこだわるのか?
日本は唯一の神が自然も人も支配をしているような神ではなくて八百万の神々やそれぞれの村の氏神様や道祖神やら自然のすべての現象に神が宿り、この自然に働きかけることにより八百万の神々に感謝したり時には荒ぶる神を鎮めたりしていたと見えます。この中で古代から自然のすべてに対するとらえ方というものが出来上がってきたのではないかと思います。その延長線上に季語も含まれるのではないかと思います。
同時に季語が出来上がる中で、その季語が持つ自然そのものや自然との関わりに人が感じ取るものの共通性というようなものやその心の動きの共有性というのでしょうか、そのようなものが出来上がり一つの季語でそれを表現できることが俳句という短い詩が成り立つ条件だったのではないでしょうか。
例えば今は啓蟄です。啓蟄という季語により俳句を「詠んだ人」とそれを「読んだ人」との心に共通性ができる。ここで多くの言葉(文字数)を使わずとも伝えることが来ます。同時に啓蟄をどのように心に描くかで残りの13文字が違ってくるわけで、同じ啓蟄という季語でも無限の表現ができ、それを読んだ人は感じとれ、その俳句の面白みを感じられるのです。春の訪れの切実な気持ちもあれば、滑稽味を帯びたものとしても。
このように見れば季語があることにより俳句は成り立つのではないでしょうか。
しかし、季語は自然そのものの美しさや季節の移り変わりそして農村の素朴さだけを表現しているわけではなくて、そもそも季語を生み出したりまとめたりしているのは俳人という文化人でその当時の都市に住む人々です。ですから都市に住む人々が自然に親しむあるいは農村風景や行事をスケッチする中で年の人々の感情が詩になるのだと思います。
俳句を詠むには自然を見つめなければなりませんが、自然がたくさんあれば詠めるというのではなくて都会にいてもそこから眺める風景はあるはずです。もちろん自然を守らねばならないのですが、かといって俳句を通じて自然を守ることとすることは無理があるでしょう。季節の風物詩は都会にもある。その中で人々の中に残る伝統的な季語や新たに新しい季語が生まれてくるでしょう。言葉は生きている。その中に俳句の自由さがあり、俳句が自由であり得るのです。
大根はいつ行ってもスーパーの棚に並んでいます。
時々妻と大根の季節っていつごろだっけ?と話になります。もう大根といっても季語と感じることが薄れています。しかし、値段が安くなる季節は感じ取れますし、みずみずしさにうまいなぁと感じる時がある。この安くなったなぁ、うまいなと感じ取れる心を大切に持つことで大根は冬なんだと季語が自分の中で納得がいく。この納得がいく中で俳句も詠めるのではないかなと思います。
「俳句のユネスコ無形文化財登録に向けては討議の方法論ではない」につづく
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