街にはいつの時代にも、いくつかの顔がある。
明るく華やかな顔の裏には、後ろ暗く危険な顔が。
虚構の陰には生々しい影が。
見下ろす者がいれば.....
その先には必ず、這いつくばる者がいるのは、
いったいなぜなのだろう?
そして。
観光地である横浜に、そんな場所があるのを知っている人は、
どれほどいるのだろう。
人々が憧れてやまない高級住宅地の、すぐ足元に横たわる現実の町。
生々しくうごめき、澱む、非現実の町。
アルコールの匂いと、垂れ流された排泄物の匂いに包まれたその町には、
何者をも受け入れ、同時に拒む空気が流れ。
夥しい量の、正体不明の液体がこびりついたアスファルトには、
しがみついて離れない何かがいる。
道端に腰かけた年配の男が奏でる三線(さんしん)の音色に乗って、
ヨロヨロと歩く男たちが吐く息には.....
太陽の光よりも明らかに濃いアルコールが混じり、
そんな生活を長く続けたがために、自力で歩けなくなったのであろう男は、
歩行器につかまりながら、虚ろな目で前を見据える。
簡易宿が並ぶ通りの一角に群がる男たちが凝視し続けるのは、
テレビから流れる競馬中継。
コンクリートの階段に腰かけ、ギターを抱えた作業服の男は、
通行人を眺めるでもなく、眺めている。
すぐそこの角を曲がれば。
人々が笑いさざめき、せわしげに動き回る通りがあるのに。
その町には確かに、見えない壁があって、
他の場所の空気さえ寄せ付けない、バリアか何かでもかかっているようだ。
そこにあるのは幸か不幸か。
見下ろす側と這いつくばる側。
どちらが天国で地獄なのか。
受け入れないことで己を守っているのは。
いったいどちらなんだろう?