猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

前言撤回!ぜひ読んで ~ 【逝きし世の面影】

2010年02月09日 14時25分18秒 | つぶやき

 

前言撤回。
第二章に入ろうとするあたりから、夢中になって読んでます!
前回の記事で「この本の良さは、そんな小難しいところには決して存在しない」と
教えてくれた方があったが(ありがとうございました!)本当にその通り!
当時の日本人を描写する西洋人たちの証言に、
思わず笑いだしたり、涙したりしながら読んでます

 

皆さんは150年前の日本人を知っているだろうか?

誇り高く美しく、自由で、素朴だった人々を。

親切で、けれど決して押しつけがましくはなく、
最下層の者にいたっても礼儀正しさは決して失わない人々。

丁寧だけど卑屈さはなく、まっすぐ人の顔を見つめ、
上に立つ者から下にいるものまで、皆押し並べて質素だが、
すこぶる趣味はよく.....

快活で野次馬で、子供のような可愛らしさを持ち、
一日中笑っている人々。

 

美しい自然、そして庶民にまで行き渡る、
その華美ではない、品のある趣味の良さに多くの外国人が魅了された。
『東洋の豪奢』(要はキンキラキン)みたいのを期待した人は、
すご~く失望したようだけれど(笑)
そういえばペリーは精緻な技巧の限りを尽くした幕府からの贈り物を、
(たぶん、漆器とかそういった類だったか...)
みすぼらしいと感じて怒ったとかなんとかって話を聞いたことがあるな。

 

意外にも怠け者で(笑)

でも正直で。

誰の顔にも幸福感がありありと浮かび、
絶えずしゃべり続けては笑いこけ、心の底から陽気。

芸術の享受、趣味は最下層にまで行き渡り、
万人の所有物であった国。

 

当時は船旅ゆえ、世界中を回ってきた外国人たちは日本において、
諸外国に見られるような「真の貧困」がないことに驚愕する。
農業は道具こそ原始的であったが、完璧に近く、
農民の勤勉なこと、その田畑の美しさは徳川期の特徴だったようだ。
泥棒がほとんどいないことも。

 

荒々しい大声や口論はほとんど見られず、
人々は皆、終わりなき我慢強さを持ち、身綺麗でとにかく清潔、
満ち足りている。

.....もちろん、すべてがそうだというわけではなく、
問題もありはしたが、それは他の国よりはるかに少ないと、
そう、当時の日本を訪れた西洋の人々は、口をそろえて、
その高度な文明と、自由さ、安全さに驚いたのだ。

 

「この独特で比類するものなく、スポイルされず、
驚異的で魅惑的で気立てのよい日本を描写しようとつとめながら、
私はどんなにそれが描写しがたいか実感している。
 -中略
よき立ち振る舞いを愛するものにとって、この『日出る国』ほど、
やすらぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、
和やかで美しい礼儀が守られている国は、どこにもほかにありはしない」
~アーノルド~

 

これを聞いて、または読んで、
今の自分が恥ずかしくならないようだとしたら、
私はきっと、彼らが見た日本人の要素をすべて失くした、
日本人ではない日本人なのだろう。

幕末日本にやってきた西洋の人々は、
日本人が、当事者であるからこそ、当たり前のこととして、
客観的には見ていなかった、
かつての日本の姿を伝えてくれる。

【逝きし世の面影】は、そんな彼らの著述をまとめたものだ。

 

また、各商店が特定の商品に著しく特化していたのも、
彼らにとっては驚愕だったようだ。
それゆえ、職人は腕をふるい、工夫を凝らし、そのものに精通するのだと。
あらゆるものがあらゆる種類、豊富に取りそろえられていたらしいけど、
これって、今ももしかしたら同じかも。
靴ひもひとつ、消しゴムひとつとってもすんごい種類があるのは、
日本の特徴だってよく聞くもんね。

 

反して、我々が学校で習った自虐史や、現代における【道徳】の否定。

世の中を支配している、自由の間違った解釈は、
果たしてそこに生きる人に、誇りを与えるだろうか?

西洋の人々がかつて見た日本を、その目を通して見るたび、
人の真の自由とは、または誇りとはなんなのか、「幸せとは?」と、私は思う。

満ち足りることを知っていた人々は、他国と自国を比べることにより、
多くのものを失ったのだ。

ヒュースケン(及び、他の西洋人)が抱いた危惧は、
現実のこととなってしまった。

 

主人と使用人の間に、奴隷的な隷属はなく、関係は丁寧ではあっても、
ときには軽口さえが、彼らの間で交わされることも、
西洋人にとっては衝撃だったようだ。
西洋では使用人は主人が許さなければ口を開くことさえ出来ないのに、
日本では夜になれば、女中が主人と同じ部屋で憩ったり、
読めぬ字について尋ねたり出来ると。

 

まだ半分しか読んではいないけれど、
この【逝きし世の面影】にある日本人像こそ、
今、日本人が日本人に教えるべきものなのではないだろうか。

誇りこそが人に自由な精神を与え、
己を律する真の理由になるとするなら。

.....満ち足りることを教えるのなら。

私たちはそれを取り戻せるよう、回帰すべきだ。

かつてあった奇跡の文明は失われたとしても。

 

褒められるとなんだか気恥ずかしくなって、謙遜して、
調子に乗っちゃいけないと自分を戒めるのは、
日本人のいいところであり、同時に悪いところでもあると思う。
そしてそれがあるからこそ、失われたとはいっても、
まだまだ日本には、日本の心があるのかも、と。
.....さて、続きを読み終わったら、また書きますね。