猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

本日二個目の更新です。

2010年02月19日 14時54分46秒 | 携帯から
いや~、男子フィギュア、素晴らしかった!

まさに王者の戦いにふさわしい内容だったし、高橋くんは、荒川静香さんがいう通り、誰より一番、フィギュアの楽しさ、魅力を伝えていたと思う。

本当に素敵だった!

何より、日本人3選手全員が入賞ってことがすごいし…

織田くんは逆に靴ひもが切れたことで、人々の記憶に残ったと考えてほしいな。

それにしても、ジョニー・ウィアーちゃんの点数、低すぎなかった?
もっと評価されてしかるべきだと思うんだけど…。

(それとジュベール、今回は残念だったけど、めげずに頑張れ)

あと、織田くんにインタビューしたお前!
なんであんな責めるような物言いをするんだよ!
まったく相変わらずゴミだな。
偉そうに何様だ!?

戦う本人が決めたことを、誰もどうこう言う資格なんてないんだよ!

それにしても、このあいだも書いたけど、表現力で日本人選手が欧米の選手を食う日がくるとは…
夢にも思っていなかった。


感無量ですなぁ。

汲めども尽きぬ変態性。

2010年02月19日 09時34分33秒 | つぶやき

 

そういえば今年は、いつの間にかバレンタインが過ぎていました。
皆さん、美味しいチョコは食べましたか?

 

このあいだ触れた話ではないけれど。

日本人には、
「全世界に向けて発信!」とか、「世界を視野に入れて」なんて、
気負ったことを考えないほうが、いいものを作れるんじゃないかと思う。

『このあいだ触れた話』というのは、
宇宙エレベータの講演で、とある先生が言ったという言葉のことだが.....

いわく、

「普通、他の国の研究者や技術者は『商売になるかどうか』ということを考えてから
 研究や開発をするが、日本人は『こんなことが出来たらいいな』
 『やってみたいな』ということを、商売のことなどあまり考えずにやってしまい、
 あとでよそにオイシイところを持っていかれて損をする.....
 僕はそんな日本人が大好きなんですけどね♪」と。

(もうまんま、どらえもんの歌みたいだよね。
 あんなこといいな♪出来たらいいな♪の世界)

 

バレンタイン当日、新しくお店をオープンしたMちゃんは、
「ちょっと~、erimaさん、絶対blogになんか載せないで下さいよ!」と言いながら、
こんなポーズを.....だから載せます(爆)
モザイクかけてますが、ゴンザと二人、ものすごい変な顔してます。
なんか似ていて、大型小型みたい(笑)
Mちゃん、奥さんと一緒に頑張って!応援してます♪

 

そういえば、映画にしろゲームにしろ、
「全世界に照準を合わせて」なんて、
鳴り物入りで作られたものが成功したのはあまり見たことがないし、
逆にいえば日本人が、あまりに小さな自分たちだけの世界に向かいすぎ、
その変態性を存分に発揮したりした場合なんかには、
「おりょ!?」「なんじゃこりゃ?」と、
世界が食いついてきたりすることが多いのではないかと.....

そして、それこそが先日読んだ本の、
江戸末期の職人たちの話でいう、
『それぞれがそれぞれの扱うものに著しく特化している』ということで、
日本人の得意分野こそが、この【特化】なのではないかと。

 

ところで、またしても我が家の三歳児がやってくれましたよ。
祝儀袋にこんな名前を.....(泣)
もう、自分だけでやる分にはいいけど(いいのか!?)
私まで巻き込むのはやめて欲しい...ちゃんと本名を書け!

 

たとえばウォシュ○ットを作った人たちは、
「いかに洗うべきその部分に照準を合わせるか」の研究のために、
大真面目にストリップ小屋に通い詰めたというし、
(女性のその部分を堂々と見つめられるのはそういう場所しかないもんねぇ)
一見、馬鹿馬鹿しいと思えるような、
他人には理解できないようなことにも、
全身全霊を傾け、やり抜いたときにこそ、
日本人の小さな世界は輝き、その先が無限に広がるのではないかと.....。

 

ゴンザが作ったピザは、生地がパリパリ、
手作り皮なしソーセージがジューシィで美味い。

 

私は思う。

日本は極東の田舎者であることをしっかり認識し、
なおかつそこに誇りを持ち、忘れないべきで、
逆にそれを忘れて思いあがったときやスタンスを失ったときにこそ、
世界に食われて終わる、消えると思ったほうがいいのじゃないか。

インターネットが普及し、動画や情報が共有される今だからこそ、
いわゆる『斜め上』に進化を続ける日本の特性が、真価を見せるのではないか、
.....と。

......ってなんでこんなことを書いたかっていうと、
一昨日の男子フィギュア、高橋くんのショートプログラムが、
オール日本人スタッフで作られたって知ったからなんだけどね。

ほら、シンクロなんかで見られるような、
『過剰に、欧米がイメージするであろうニッポンを打ちだしたりする』と、
ドツボにはまってしまって.....なんてことがあるけど、
意外に自分たちがやりたいことをやりゃあ、
それがその人の世界になるんじゃないかな、って。

外に向かうことが、実は内に向かうことになって、
内に向かうことが、逆に外に向かうことにもなるのだとしたら。

面白いよね。

 

こちらはオリーブオイルたっぷりの、冷たいトマトソースうどん。
もうこれ、びっくりするほど美味しかった!

 

たとえば漫画でいえば、
『ノートに名前を書くだけでその人が死ぬ』なんて、
一見地味~な話、日本人しか思いつかない気がするもん(笑)

でもその先に独自の世界観があったりするわけで。

アメリカ人なら、たとえばそれを映画化する権利を買っても、
「地味すぎる」っつって、
銃をぶっ放させたりカーチェイスさせたりしそうだもんねぇ(笑)

明治期に日本へ来た、メアリ・フレイザーさんは言いました。

日本は汲めども尽きぬ何かを持った意外性の国です。
その新奇たるものや、日本人の生活では、
ほんのありふれた日常的なことなのです。

そういや、現代となっても、トイレのふたが自動的に開いたり閉じたり。

諸国の皆さん、びっくりするらしいですね(笑)

 

英国大使夫人として、明治期にやってきたメアリさんが日本の路上に見出した、
「雑多さと充溢」は、今も生きているのじゃないかと私は思うのです。
この雑多と充溢は、【逝きし世の面影】のひとつの章のタイトルでもあります。
興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
おもしろいよ。