失ったものを嘆くより、残っているものに目をむけ、大切にすれば.....
再びそれは、戻ってくるかも知れない。
たとえば違う、形であっても。
昨日に続き、
さらに100ページほども【逝きし世の面影】を読み進めるにつれて。
私にはなんだか、考えれば考えるほど、
日本は大きく変わったかもしれないが、
でも、やはり本質のところは、あまり変わってないのかもしれないと、
そう思えてきている。
昔の人は、外国人が呆れるほど、悠長だったらしいですよ。
「日本人は交渉が始まろうとしているときも、煙草を吸ったり、
あたりを眺めたり、気晴らしにでも出かけているつもりらしい」と(笑)
そんなときにも「茶を飲んだり、菓子を食ったりする暢気さ」で、
「その上真面目くさった顔で想像もつかぬ冗談を言う」のは、現在、
一番大事な話は、酒席で交わされたりするのと一緒な気がするけど(笑)
幕末、外国人が驚き、憤慨し、悲嘆に暮れながら見たように、
エロ本(春本)やいわゆる「大人のおもちゃ」屋が、
そう悪びれもせず、子供の目の触れるところにあるのは、
今もあまり変わらぬところであるし、
かといって、夜でも女性は一人歩きが出来たりする。
口論や喧嘩は嫌われ、騒がしく自己主張が強い人間は敬遠される。
つまらぬことでもしつこいほど挨拶と礼が交わされ、
(まあそれは、当時と違って今は人ごとに30分はかけないものの・笑)
落し物は、これまた当時の比ではないものの、
かなりの確率で落とし主の手元に戻る。
職人の数は少なくなっても、今だって町工場では、
世界で勝負できるすごいものをおっさんが作ったりしてるもんねぇ。
「日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、
金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものは美しいのです」
~アリス・ベーコン~
そういえば、宇宙エレベーターの講演で聞いた話にも、
「日本の技術者は、儲かる儲からないは二の次で、自分のやりたいことをやる」
と言っている先生がいたのを思い出す。
「ボクはそんな日本人が大好きなんですけどね♪」と。
夜店の多さやその楽しさ、人々の娯楽好き。
特化した商品の、驚くほどの豊富な品ぞろえ、
小さなおもちゃにさえも、本物に劣らない性能を持たせるこだわり。
イベント好きで野次馬で、下町じゃおかみさんが旦那より強い(笑)
親は小さな子供に甘く、どこへでも連れてゆき.....
江戸=東京は、今も変わることなく、
毎日新しいものが生まれ、見られる街だ。
なんだかんだいって、各所に美しい生垣が見られるのも変わらないみたい。
田園風景と、茅葺屋根の美しさは失われてしまったけど。
下ネタ好きで酒好きで、植物や風呂、歌うことが大好き。
(実際には、かなり恵まれているのに)
『商人はあれやこれや税のことで不満を言い、
農民は年貢の取り立てで文句を言う。
また誰もかれも役人を軽蔑していて - 中略
この国の貧しさは政府にあると、口をそろえて非難している』 ~ニコライ~
.....まるで今の我々を見ているようだ(笑)
美点の多くが失われ、町中に溢れ、駆け回っていた、
子供たちの姿は見られなくなっても。
なんだかんだいって、今の日本人も楽しくやってるし、
丁寧な物腰や品性は大事と考えられている。
(実行出来ているかどうかは別として)
裸で平気で外を歩く習慣はなくなっても、
(徳川期の彼らに裸は恥ずかしいものという感覚はなかった)
混浴はいまだ存在し.....
一家で揃って風呂に入ることはなくとも、
父親や母親が子供と共に小さな浴槽へ浸かるのはよくあることで。
そしてこの本を読むにつれ、今の日本が一番失ったのは。
かつて外国人たちが見た、【子供の楽園】なのではないかと。
「遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」
子供のすがたは、もう今は見られないから。
得たもの失ったもの、それぞれ、多いのだろうとはいえ、
やはり民族の持つ本質は、変わらない部分があるのだろうか。
.....悪い部分、良い部分を当然含めて。
そういえば、昨今の若い人は、車もブランド物も欲しがらず、
身の丈に合った幸せで十分だと考え、
自分の趣味を大切にし、温和であるというが、
もしかすれば、物と情報が溢れた今になって人々は、
なんでも欲しがり、物質こそが幸せであるという考えが間違いだと気づき、
「欧米は、欧米は」と言っていた時代を乗り越えて、
回帰の時期にたどり着いたのだろうか。
.....あ、そういやもうひとつ。
江戸時代には数十メートル置きに茶屋があるので、
旅人は安心して旅が出来たらしいけれど。
今も、コンビニが数十メートル置きにあるニッポン。
やっぱりあんまり150年前と変わらない?(笑)