猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

順位と順当、意味と意義。

2010年02月27日 01時33分03秒 | ぶ~すか言ってやる!

 

春が日に日に近づいて。
しゃがみこむといい匂い!

 

フリーが終わって、キム・ヨナの優勝で幕を閉じた女子フィギュア。

彼女の演技は完璧で素晴らしかったし、
ちょっとしたミスがあった真央ちゃんと比較しても、
順位は、まさに『順当』であろうという感想であるのだが.....

あり得ないのは、あの点差だ。

昨シーズンあたりからだったか。

大会を重ねるごとに、高騰を続けるキム・ヨナの得点には、
彼女自身がどうこうということではなく、
ジャッジに対し、不審を抱いた人も多いのではないだろうかと。

 

本当は、それがどこの誰であろうと、
自分の満足の出来る演技が出来ればそれでいい。
それが一番大切なこと。
でも、勝負である以上、負けてもいいなんて思っている人間はいないし、
だからこそ、あそこに立てる人であるはず。
あとは、きちんとした評価さえ受けられれば、それが負けでも認めるだけで。
勝ち負けは問題じゃないなんて私は言わない。
勝ちたい気持ちはわかるし、負けを認めることの大切さも。

 

音楽をよくとらえているとか、出来栄えとか、
それはあくまで見る人の主観であって、
では、なぜ難易度の高いステップやジャンプを、
選手がプログラムに組み込んでくるのか。

その意味が、これではなくなってしまう。

もちろん、表現力という意味では、加点があってもいいのだろうが、
しかし、その部分がそれほど大きいというならば、
では皆同じ曲で同じ技を入れて、
すべて同じ条件で競うべきなのでは?となってしまう。

 

ところで.....誰!?(笑)
中華街で買った豆鼓入りラー油は炒めものに餃子に大活躍。
この日は皮まで手作りゴンザ餃子で。

 

難易度の高いジャンプを入れても、
それが「音楽をとらえていた」ことに負けるなら、
真央ちゃんがトリプルアクセルを跳ぶことには意味がなくなってしまうし、
難易度の高いステップを詰め込んでくることも意味がなくなってしまう。

まあ、見ているこっちとしては、他国の選手を含めた彼女たち全員が、
自分の満足の出来る演技をしてくれれば、一番いいと思うのだけれど、
しかしそれは逆をいえば、ジャッジがよくわからない審査をすることで、
彼女たちの頑張りをすべて無にしてしまう可能性があるということだ。

(もちろん本来の意味じゃそれは無でもなんでもないんだけど、
 彼女たちがオリンピックを目指して戦ってきた以上は、だよ)

 

これはゴンザ作・オイルフォンデュね。
相変わらず本文と写真が関係なくてごめんね。

 

とはいえ、真央ちゃんが誰も挑んだことのない、
または成功させたことのない、2度のトリプルアクセルを成功させたことには、
フィギュア界にとっても彼女自身にとっても、大いに意義のあることだと思うし、
高度なステップをこれでもかと詰め込んで、それを魅せることにも、
大いに意義がある。

安藤さんのあの満足そうな笑顔と、ロシェット選手の涙にも。

そして、だからこそ、何回か前のオリンピックから続く、
疑惑の採点問題をどうにかしなければ
(っちゅーか、それがもとでルール改正がされたんじゃなかったっけ?)
極端な話、「もうオリンピックなんて意味がないからやめちまえ」という
話になってしまうのではないか。

真央ちゃんにミスがあったことを十分認め、
キムのほうが順位が上だということは納得しても、
あの点差にはまったく納得のいかない私である。

 

ボコボコ踏みきり。
私がなぜそんなに点数にこだわるのか、理解に苦しむ人もいると思うが、
もし点数がどうでもいいというなら、彼女たちは転んで這いつくばって、
危険をおかしてまで、難易度の高い技の練習などしないと思う。
それこそ、極端な言い方をすれば表現者・競技者っていうのは、
すべて自分で納得出来るような表現・競技が出来たなら、死んでもいいって、
そう思っている部分があると思うから。
そして、もしそれが出来ても、また次を目指すのが彼らだと。
.....だからこそ、正しく評価して欲しい。

 

っつーか、あの点差に納得した人いるの?

プルシェンコの言ったフィギュア界の進化を止めているのは、
他ならぬジャッジと、選手を取り巻くオトナたちだ。

(ま、プルシェンコのあのフリーの『出来栄え』自体にはあまり説得力がなかったが)