猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

17歳はお年頃。

2008年11月18日 00時06分03秒 | 猫たち

「コイツは本当に17歳か?」

ちゃあこを見てるとよく思う。

 

「え?ワタクシ!?」
「ええ、そうあなた。っちゅーかなんでそんな変な顔で変なポーズ!?」
いえ、彼女の名誉のために解説しますと......(笑)
左手で私の指をつかみ、毛繕い中なので舌が出ている、ということですな。
目がちょっといっちゃってるのも(爆)眠いせいです。

 

本来なら『寝てばかり』のはずの、
『老猫』と言われる歳にはとうの昔に達しているのに......

日々、もりもりとご飯を食べ、
それに飽き足らずおやつを要求し、
あろうことか泥棒まで働き、駆け回り、
「遊べ!」と始終要求するちゃあこを見てると。

 

おろした蓮根、米粉、桜海老、刻んだキムチで蓮根餅~♪
表面をカリッと焼き上げ、「ん~、美味しい」

 

今日はたたもうと思っていた布団の上で、
ビニール袋相手に大騒ぎでぐるぐる回転していたし、
私がそれを振り回せば、ジャンプして飛びかかる。

続いて、
興奮のあまり、籐のクローゼットに駆け上がれば、
お次は降りてきて部屋中を猛ダッシュ。

で。

しまいにゃ、スピードを上げすぎて、
脚がドリフト&すっ転んでいるのを見れば......

違う意味で「大丈夫か!?」と、
そう心配になってくる(爆)

 

なめこと水菜のみぞれ煮は~、たっぷりの優しいダシで~♪
身体にしみる美味しさです。

 

いや。

もちろん、彼女が健康で、いつまでも元気でいてくれることが、
我々にとっては何よりの願いで幸せであるのだが、
ちゃあこを見ていると、
なんだか私が何かの記憶違いをしているとしか思えなくなってくるのだ。

「もしかしてちゃあこ、まだ3歳ぐらいなんじゃ.....!?」

と(笑)

 

元気は元気!にくきゅうもぷりぷり♪
......でもやっぱり、一方で白髪は目だって増え、
肩の肉は徐々に落ちていき.....見つめていると切なくなる。
どうかどうか、いつまでも長生きしてねと......
いつか別れがくるとは知ってはいても。

 

しかし、何はともあれ。

元気が一番。

大事な大事なちゃあこだから......

これからも、
いつまでもいつまでも、そうあって欲しいと思う。

もう、いたずらでも暴れん坊でも、
『頭のほうがちょっと心配』でも(爆)
なんでもいいから。


青いトマトと『当たり前』の嘘。

2008年11月16日 18時47分28秒 | ぶ~すか言ってやる!

「もう赤くならないだろう」と、
秋口に収穫した青いトマトを、ようやく全部食べつくした。

気温の降下と共に、成長をやめた樹からとった、
大量の青いトマトを。

 

 

そのまま程よい大きさに切って、ソテーにしたり、スープに入れたり。

キッチンに山積みされた待機組は、日を追うごとに徐々に赤くなって.....
長いあいだ、干からびることなく、腐ることもなかった未熟なトマトは、
なんだかんだと食卓の上で大活躍した。

.......と。

最後のひとつ。

小さくて、いいかげん水分の蒸発でシワっぽくなっていたトマトを手にとって、
私はあることを思い出した。

 

 

あれは、もうどれぐらい前になるだろう。

TVで見たドキュメンタリーで、
ベルリンの壁崩壊後のロシア人の暮らしがどう変化したのかという
特集をやっていたのだが......

その中に登場したひとりのおばあちゃんが、
「とても生活が苦しくなってしまって、今はもう食べる物さえ手に入らない」と。

部屋の隅にある小さなカゴに入った、
干からびたジャガイモ1個を指して
「もうこれしかないの」と、
そう言っていたのが忘れられなくて。

 

 

あのおばあちゃんはあれからどうなったのだろうと......

お歳からしたらもう亡くなられているかもしれないけれど、
そうだとしたら、せめて最後には、
寒さをしのげて、空腹でなければよかったなと。

なんだか小さなトマトを手に、切なく、
祈るような気持ちになったのだ。

ずっと、ずっと気になっていたから。

......満たされている自分が、罪深い気がして。

 

 

そういえば、数日前に見たドキュメントでは、
日本にもまだまだ色んな事情で字が読めない人がいるのだと、
そんなことも目にした。

家庭の事情やそのほかの理由で小学校へも行けず、
字が読めないことのコンプレックスでさらに世間から遠ざかり、
孤独に生きるしかない人もいるのだと。

私たちは当たり前のように相手が字を読むことが出来ると、
そんな風に考えて色んな人と接しているが、
その『当たり前』がどれほど怖いことなのだろうと、
ふと、この識字のことひとつ取り上げても、胸が苦しくなってくる。

 


食事に出て、メニューを見て、
「もし私が学校へ行けずに字が読めなかったら......」

どれだけ周囲のすべてが怖くなるだろうかと、想像してみる。

ドキュメントの中では、その、
字の読み書きを知らなかった人々が、善意で作られた学校へ通い、
ひらがなや簡単な計算を覚え、
人の輪をも拡げていく様子が映し出されていたが.......

その中で、級友に誕生日を祝ってもらった女性の一言が忘れられない。

「生まれて初めて、人に誕生日というものを祝ってもらった」と。

 

 

私たちは一方で、無限の想像力を膨らませ、
しかし一方で、違う意味での想像力を欠落させていっているが......

夢のあることばかりが想像力ではないのなら。

『当たり前』として捉えていることが、
「もしかしたらそうではないのかもしれない」と。

そう、想像してみることを怠ってはいけないのじゃないか。

青く、干からび始めたトマトが、
私に言ったこと。


業務連絡・エスパー妹へ。

2008年11月15日 14時44分00秒 | ハ~プニング!

『ダイオウグソクムシ』でググッってみれ。


う.....うぎゃあああああ~~~~~っ。


夢に出るっ(爆)


追記 : 足の多い生物に弱い方は決して検索してはいけません。
      あっ、こら!
      「ダメといわれると見たくなる」とか、そういうこと言っちゃダメ!


 


小さな幸せ。

2008年11月14日 08時23分22秒 | 美味しいもの

ゴンザは仕事へ行くとき。

おにぎりを二個、携えてゆくが.....

これは、忙しい彼が、
キッチンでもぱぱっと、片手で食べられるようにと、
いつの頃からか習慣となったことである。

当初はお弁当を持たせていたものが、
「それではきちっと開く場所と、時間をとってしまうから」と、
今の形に変化したものだが、
その、おにぎりを持って行く習慣の中でも、
様々に変化していってるのが、
その中身である。

 

そういえば、かつてはこんな風に、色々詰めてたねぇ。

 

はじめは市販の梅やおかか、塩昆布、佃煮、鮭などだったものが、
ときには、おにぎり専用の混ぜるふりかけまで。

とにもかくにも、そこにはいつも、
何らかの添加物なり、
着色料、酸味料なりの存在があって、
それが非常に気になっていた。

で、そのうち畑を始めて、様々にとれる作物があって。

それをどうにか長く保存できないかと......
または、有効に活用できないかと、色々するうちに、
なにやらおにぎりの具にも利用できそうなものが、
いつの間にか出来上がっていて。

近頃の私は、非常に幸福なのだ。

添加物もなしの、原料がこれ以上ないほどはっきりしている、
安全で美味しいおにぎりをゴンザに持たせることが出来て。
(いや、これも、買ってきた醤油などの原料に偽装や
 農薬問題がなければ、の話だが)

 

今はシンプル。
その代わり、朝食(我が家の『朝』は午後ですが)はしっかり食べさせます。
今日のおにぎりは左がシソの実醤油漬け(梅入り)、右は大葉味噌。
脇にカブのぬか漬けを添えて。
ラップに包んでふきんでさらにくるみ「はい、いってらっしゃい!」

 

ショウガの味噌漬けに、シソの実の醤油漬け、佃煮。

大葉味噌に、ときおり脇に添えるぬか漬け......。

「ああ、幸せだなぁ」

とことん小市民でフツーの主婦な私は思う。

 

え~、こちらは三年前の写真。
この方も、鼻の下にお弁当をつけてます(笑)
このときのお気に入り、ササミの薄削りがくっついちゃったのね♪

 

......あとは、日々、
おにぎりを包んだふきんを、
ゴンザがカバンに溜め込まずに出してくれれば、完璧なんだけど(笑)

(え~、ゴンザに告ぐ。
 キミのカバンの中に数枚のふきんが眠っているのはわかっているんだ。
 すみやかに出しなさい!
 それと、その溜め込んだふきんを洗濯カゴに持っていくとき、
 後手に隠してコソコソするのはやめなさい。ばれてるぞ!)


デジタルの海とアナログ人間。

2008年11月13日 08時15分33秒 | ぶ~すか言ってやる!

今、世界では、デジタルネイティブと呼ばれる世代が台頭しているのだそうだ。

生まれたときから、
または、物心ついた頃から、インターネットに触れて育った彼らは、
現実世界と、Web上の世界の境界線を持たず、
その自由な発想で社会と関わっていくのだと。

 

ここのところ、ず~っとグズグズの空模様だった横浜。
ゆえに外にも出ず.....写真切れの私。
っちゅーことで、過去のファイルから、
アナログなモノ写真、集めてみました。

 

例えば、アメリカでは、13歳の少年が起業し、大きな金を稼ぎ出したり、
また、アフリカでは、
当初、草の根運動的に、エイズ対策を呼びかけていた青年が、
世界規模の組織に参画することを実現したり.....。

インターネットは確実に、新しい世代の可能性を広げているらしい。

 

馬車道・神奈川県立博物館の美しいステンドグラス。

 

また、そうかと思えば反対に、よろしくない事例として、
少年が自らの裸の動画を公開することで金を稼いだり、
そこからポルノサイトが発生したり。

......と。

つまり、関わり方は様々なれど、
そこには、共通して、
『相手の属性に関係なく、人間関係を築くこと』が存在しているのだそうで......

それが世界を変えていくかもしれない、と、
まぁ、そういうことなのだそうである。

へええええ。
なるほどなぁ!

 

こちらは開港記念館のステンドグラス。

 

......しかし、
感心しながらも、一方で疑問は残る。

例えば十代の少年や、
また現実社会とほとんど関わりを持たない人間が、
果たして本当にずっと、そうして人間関係を築き続けていられるだろうかと。

確かにインターネットは国境や距離は取り払うだろうが、
人の、微妙な感情の揺れや、腹のうちまでは見透かすすべは持たないのだから。

たとえば十代の少年が、
本当の意味でビジネスやそれに関わる人の心を理解しているとは思えないし、
また、ある企業で実施されているという、
取締役会議や面接の、社員への全面公開なんていうのは、
どこまで意味と効果をなすのかなぁと、正直思う。

なぜなら、表面上のやりとりや、理論の正当性はともかくとして。

または、
どこでなにを公開しようと、各自の能力を第一に尊重しようと。

密談や、そこにまつわる人間の裏感情がなくなるわけではなく......

この社会の半分ほどこそは、
理論や正当性の通じない、古風な密談で出来ていると思うからだ。

 

鶴見線・国道駅

 

しかし、それと同時に、
やはりこういったことへは否定的な意見ばかりを持つべきでもなく、
たとえばその、デジタルネイティブたちが、
金儲けや上場することなんかには興味がなく、
『もっと大切なことがあるだろう』『ただ、いい仕事がしたい』というスタンスは、
おおいに評価されるべきだと思う。

いや、
正直、アナログ世代の私などは、「なんのこっちゃ!?」と、
彼らの言うこと、発想の半分ほども理解出来ていない、
というのが本当のところなのだろうが、
何にしろ、新しいものを否定するばかりが能でもないだろう。

 

そしてモノクロ写真と私(笑)

 

そして、それらのことを考えたとき、思い当たらずにはいられないのが、
もしかしたら、新しい世代、デジタルネイティブは、
昔気質の職人みたいな精神の持ち主なのかもしれないなぁと。

消費して、大型化して、とにかく垂れ流していた時代から生まれ出たのは、
逆に、『社会』にとらわれることなく、人間の基本的な価値観に立ち返る世代、
なのかもしれないと。

デジタルの海を自由に泳いで。

.....だとしたら、未来は明るい。