猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

バランスなのね。

2008年12月19日 00時49分45秒 | つぶやき

 

パスタを食べていて、ふと、思った。

『よく、本場イタリアでは、パスタを食べるのにスプーンは使わないっていうけど、
  やっぱり、私はスプーンがないと食べにくいなぁ。なんでだろ?』と。

 

ゴンザが、超高級クラブのおねいちゃんから貰ってきたお歳暮は。

 

もともと使い慣れないものだからなのか、
それとも私が不器用だからなのか......

もちろん、フォークだけでも、支障なくは食べられるけど、
それでもなんだかしっくりこない。

「うう~ん、なんでかなぁ?」

テーブルと、伸びはじめたパスタを前に、私はしつこく考え込む。

 

「おお~♪シュークリーム!」
さっすがおねいちゃん、気が利いてるわぁ~♪

 

......と。

ふと、ひらめくように、ある点に気づいた。

「そうか!体のバランスが悪くなるんだ!」

 

ところで、小麦粉加工食品全般をパスタと呼ぶのなら、
これもパスタと言えるのでしょうか。
ジャポネーゼパスタ、『すいとん』。
半分、米粉を使ってるけど。

 

物心ついた頃から、片手に茶碗、片手に箸を持って食事をする我々は、
ものを食べるときに、常に両手を使う習慣が身に付いている。

小皿や小鉢、味噌汁、その他諸々......

ほとんど、何を食べるときにも、片手には箸があり、
もう片手には器がある、日本人にとっては、
フォークだけを持ち、それを片手で扱うには、
長年身についた習慣で、体のバランスをとるのが難しくなるのではないか、と......。

 

あっ、そうそう!パスタといえば.....
さっき買い物に出てこんなものを買ってみました。
ソルレオーネのエスプレッソパスタ(及びリゾット・手前)は、
お湯を沸かして袋の中身を鍋にあければ、
5分でパスタやリゾットが楽しめるのだそう。
ちょっとこういうの、楽しいよねぇ。

 

勝手な持論に納得し、私はスプーンを取り上げる。

「うん、このほうがしっくりくるわぁ」

ま、日本の場合、スープパスタとか納豆パスタとか、
そのほか、ソースがあまりにバラエティに富んでいるので、
それでスプーンが必要なのかもしれないけれど、
それでも、このバランス説はかなり有力なのではないかと(笑)
私は一人で悦に入る。

 

掃除をしようと、とりあえず椅子の上に色々置くと.....
いつの間にやら、必ず乗ってる誰かが一人(笑)
「そんな積み上げたところに乗って.....キミはどこの牢名主だ?」

 

ちなみに、少し調べてみたところ、
パスタにスプーンを持ち出したのはアメリカ人で(という通説)、
フランスでも、ソースが服に飛ばないようにと、
やはり使うのだそうであるが。

そういえば、最近の日本じゃ、お箸専門のパスタ屋さんもあったっけねぇ。

 

あらあら、眠たくなっちゃった?掃除機、かけたいんですけどねぇ......。
私がずるずる掃除機を持ち出すと、眠気もどこへやら、
すっ飛んで逃げる、ちゃあこさん。
「掃除機と、洗濯物ハンガーはちゃあこの天敵だもんねぇ」


そんな私は日本人。

2008年12月17日 19時17分34秒 | ぶ~すか言ってやる!

先日の鎌倉行きから......。
こちら、長寿寺門前におられる仏様。

 

「なんだかいやだなぁ」と思う。

近年目にする、
ある種の、食物や植物に関する『新技術』とやらが
........とても気持ち悪くて。

あるレストランでは、液体窒素に果汁を流し込んで瞬時に固めたり、
食材にかけたり。

はたまた、なんとか酸をなんとか水溶液に落して凝固させたり。

 

あっ、そういえば、あの酉の市の夜
帰りに若葉町(←タイ料理屋が多い)のタイ食材店に寄って、
こんなものを買ってまいりました。
このココナッツシュガーは、先日のタイフェスタで、
ソムタム(青パパイヤのサラダ)に必要だと知ったもの。
しかし、食材店のお兄さんは、あまり日本語が話せず.....
「ココナッツシュガー???ないです」と(←なんじゃそりゃ顔で)。
で、「本当か!?」と思いつつ店内を見て回れば「あっ!あるじゃん!」
と、店員さん、「ああ!ココナッツ砂糖ね♪」って......
なぜお前は砂糖だけ日本語で覚えるんだ~!?
ちなみに、帰り際、親切なお兄さんは、これが、
「タイ語でナンタンピッ」というのだと、教えてくれました。

 

彼らは、「これは人体には無害だ」と言うけれど、
『食べ物で遊ぶな』と育てられた私には、
こららのものは、すべて嫌悪感を抱かせるものでしかない。
(そのわりに『チリモン』とかやってるけどさ。←矛盾)

いや。
中には「そもそも料理とは、化学反応なのだ」と言う人もいるだろう。

しかし、ただ、肉や魚に火を通してたんぱく質を変化させることと、
薬品を用いることには、やはり大きな違いがあると......

頭より感覚が、そう拒否するのだ。

 

いや、確かに麩まんじゅうのむちむちの秘密・グルテンも、
『グリアジンとグルテニンの、水分の介在下反応』で出来るらしいけど。
やっぱり、それとこれとは違う気が.....。

 

また、先ごろ目にした、生きた花の花びらにメッセージをプリントする技術。

これもとても気持ちが悪い。

だいたい、なぜ、そこにあるだけでただ美しい花に、
わざわざ文字を入れねばならないのか......

これには、何か昔あった、
色つきインクに突っ込まれ、無理矢理毒々しい色にさせられた、
あの趣味の悪いカーネーションを見る思いだ。

......それと、数日前見た、温風で色の変わるバラの花。

 

そこにただ、あるのが美しい。

 

生花にあらかじめ、特殊なインクを吸わせ、
室温によって色の変化を楽しむというこれもまた、
私には悪趣味そのものにしか見えず......

「こんなの買うヤツがいるのだろうか?」という疑問で、
今も頭がいっぱいである。

余白や、流れるままの自然に、美を見出す日本のココロは。

小さな生き物にも、尊い魂を見出す日本人の優しさは。

もう失われてしまったのかと。

 ゴテゴテと飾りたて、人間が一番正しく偉く、
 所有と支配が尊ばれる、愚かな何かに侵食されて。

 

.......ねえ。

 

.......いや。

いや。

やはり、それは失われてはいないだろう。

色の変わる花や、なんとか水溶液で素材を凝固させる料理は、
きっとこの国では、すぐに消えゆく運命だ。

木に残った、最後の朽ちた柿の実を、人々が美しいと思える限りは。

 

 

折りしも。

これまで外国人観光客に人気を呼んでいた、
築地魚市場の競り見学が中止となったニュースが話題を呼んでいるが。

素手でマグロをベタベタ触ったり、
その頭をふざけて舐めたりする連中には。

我々が何を大切にするかなど、わかりはしないだろう。

......もちろん、その逆もしかりだけれど。


気は優しくて力持ち。

2008年12月16日 18時01分18秒 | 

以前から触れているように、
私の、自転車での畑行きには、
必ず、ある川の土手を通るのだが......。

ここに、いつも見かける一匹の犬がいる。

 

畑では、気温が下がるごとに、野菜が甘味を増してゆきます。

 

いや、正確にいえば、
飼い主さんに連れられ散歩している犬は他にもたくさんいるのだが、
私が今言っている犬は、もれなく、ほとんどといっていいほどいつもそこにいて......

道行く人の微笑を誘っているのだ。

 

獲れたてほうれん草と摘みたてルッコラでサラダ。
ドレッシングは、醤油、酢、自作のゆずジャムを合わせたもの。
仕上げにオリーブオイルをふりかけて。

 

小さな小さなおばさんに連れられている、
その大きな大きな秋田犬は......

風貌から見るに、きっと老犬なのだと思うが、
彼は、きっと、ずっとずっと子どもの頃からそうなのであろうと想像出来るほどに、
おっとりと、おとなしい。

 

間引いた大根を葉と共に細かく刻んで炒めて、
醤油、砂糖、自家製ダシ粉で味つけ。
炊き上がったご飯に酢・ゴマと共に混ぜ、おにぎりに。

 

ときには、小さな犬たちが寄ってくるのをただ優しく見つめ、
ときには、おばさんと座り込んではおやつを貰い、
また、あるときには水を飲ませてもらい、長い時間を土手で過ごす。

毛の生え変わる時期には、頭のてっぺんからしっぽの先まで、
それは丁寧にブラシをかけてもらい、
ときには思い切り、頭の毛を逆に梳かされてたりするけれど、
それでも彼は微動だにせず、ただただ、優しい目で遠くを見つめているのだ。

 

じっくりコトコト煮込んだ大根とこんにゃくで、ゆず味噌田楽。
こちらも、自作のゆずジャムが大活躍。
味噌・みりん・ゆずジャム・少量のダシを混ぜるだけのゆず味噌は、
簡単美味しい、冬の味覚。

 

あの体の大きさなら、リードを持つおばさんをひっぱることも、
散歩中に寄って来ては、はしゃぎ過ぎる小型犬を一喝することも可能だろうが、
彼は決してそうせず、ただ座って、
その大きな背中のシルエットで、人々に語りかける。

 「ぼくは満ち足りている」

 「強さとは、優しさなんだよ」

 「お母さん(おばさん)とぼくは、ずっと一緒だ」

......と。

 

留学先のスイスから一時帰国中の、
16歳のゴンザのガールフレンド(笑)から、
おみやげ、いただきました♪

 

彼の優しさは、まごうことなく、
あの、小さな小さなおばさんの、深い愛情に支えられているのだ。

だからこそ、彼らはいつも寄り添い、
どちらからともなく一層歩調を緩め......

出来る限り、共に過ごす時間を引き伸ばそうと、
さらにゆっくり歩むのだろう。

 

そして、彼女のお父さんからお花を。
またまた部屋中いい香り~♪

 

彼らの穏やかな背中を見るたび、私は祈る。

どうかどうか、あの二人のこの時間が、これからもずっと続きますようにと。

自転車で、追い抜きながら、背中で強く。


勝手にどんどん発表してみる。  - チリモン魚編1 -

2008年12月14日 02時48分22秒 | チリメンモンスター

 

私はもともと釣りをするので、
少しは魚の種類も知っているはずである。

 

チリメンモンスター魚編・どんどん出てきます。
「あら~、なんか可愛い♪」
っちゅーか、今気づいたけど、赤い方が腹側だよねぇ、これ。
写真がさかさまだった.......。

 

スーパーに並ぶものから、そうでないものまで。

何しろ、夜釣りをしていて、イセエビが引っかかった経験すら持つのだから、
『ごく普通の主婦』にしては、海の生き物に馴染みがあるはずなのである。

 

ひらめとか、かれいの仲間?

コイツは......!?
カメラの限界で、ヒレなのかトゲなのかようわからん。
もちろん肉眼ではもっと見えないし。

 

昔、エスパー弟が小さなサメを釣り上げたときは、
「うわあああっ」とびびる彼を横目に、
「こんな小さいの!」と魚体をむんずと掴み、針をはずしてやったものだし、
釣りエサであるイソメだって、素手で思いのままに扱う。

日常から言えば、鯵のたたきを作るのだって得意だし......
イカの塩辛だって、自慢料理のひとつ。

 

形もいろいろ、もようもいろいろ。

せめて2センチぐらいあってくれればいいんだろうけど。

 

........だが。

その私の自信は今。

音をたてて、ガラガラと、脆くも崩れ去っている真っ最中。

チリモンが手元に届いてからここにいたるまで、
私の頭の中は、新しい魚を見つけるたびに『???』マークで占領され、
自分の無知に、ただうなだれるばかりなのである。

 

なんか、めっちゃ髪型(ヒレ?)がビッとしてませんか?(爆)
これ、どっちが腹でどっちが背なんだろ......
それにしても、面白い形をした魚がいるもんだねぇ。

これまたおもしろい色と形。
顔も愛敬があって、なんかタツノオトシゴのようにも見える。

 

「なんじゃこりゃ?」

「アンタは何者!?」

知識のなさと、対象の小ささで、それが生き物であるのかどうか、
判断するための要素は、ただ『目があるかどうか』。

 

まさしく「アンタは何者!?」な形の魚。
いや~、ホント、海ってすごいわぁ。

あっ、こちらは大きくて、図鑑にも載ってるので目安がつく。
エソの仲間ね!

 

今回挙げたのは、比較的はっきり『魚である』ことを、
その形で教えてくれる面々ではあるが.......

それだって、どいつの名前もはっきりはわからないのだから、
もどかしいやら、逆におもしろいやら、である。

 

おっ、キミはまたずいぶんとシャクレてるねぇ。
でもって尻尾が長い......
ちょっと見、ウツボみたいな顔だけど。

イシダイみたいな縞縞さん。
でもちょっと形が違うか。

 

っちゅーことで。

好評悪評関わらず。

今後もどんどんチリメンモンスターを発表予定。

 

「あっ♪アンタはカワハギの仲間だね、きっと!」
見知らぬ人だらけの雑踏で、知り合いを見つけた気分(笑)

 

どなたか、「あっ!コイツ知ってる!」と言う方。

情報をよろしく。


あのドアを開けたら。

2008年12月13日 02時31分24秒 | つぶやき

エスパー妹より、こんな写真が送られてきました。
『強風で大木から落ちてしまったと思われる鳥の巣』だそうですが.....
何の鳥かな?マイホームを飛ばされてしまって気の毒に。
しかし、まあるく・しっかり・ふうんわり・うまいこと作るものですなぁ!

 

「あのドアを開けたら......運命が変わるかもしれない」

ふと、歩いていて、そう思う。

まだ口開け前の、人けのない、静かなバーを横目に.......
かつての自分を思い出して。

 

こちらも、もしゃもしゃワサワサ鳥の巣.....ではなくって(笑)
『ほうれんそうのナムル&もやしのナムル』
それぞれ、ほんの少しだけ、味つけが違います。
で、向こうに見える小鉢は、『だし』入り納豆。
『だし』とは、野菜を刻んで作る、山形の郷土料理。
ご飯に乗せると、「止まらな~い!」美味しさです♪

 

あのとき、あのバーへ行かなければ、
私はゴンザと出会わず......

今頃まったく違う暮らしをしていたのだ。

すべてはあのドアを。

あの地下のドアをくぐったことから始まったのだから。

 

こちら、白いもしゃもしゃは、無調整の豆乳から自作した『湯葉の刺身』
「う~ん♪初めて作ったにしては美味しい!」
だし汁をほんの少しかけて、わさび醤油で「いただきます♪」

 

そして、それは、

たとえば一本の電話。

または、一枚の写真。

形はそれぞれ違っても、
誰にもそんなドアがある。

 

そして......こちらも、もしゃもしゃワサワサ、上手にうまってますなぁ。
私の上着やら、パーカーやら、自分用のプーさん毛布やら、
お気に入りのあったかいものに囲まれ、ご機嫌です(笑)

 

だからもし、誰かがあのドアを開けたら......

また、何かが始まるのかもしれない。

買い物袋をぶら下げて、
目深にかぶった帽子の隙間から、
かつての自分の残像を、
私は横目に行きすぎる。

 

わさわさ、落ち葉。
きれいです。

 

人けのない、バーのドアを背後に、足早に。

そして、無数のドアの合間をすり抜け......

今はまごう事なき、我が家のドアを目指して。