三顧茅蘆のつもりの建物です。襄樊中のものと比べると造りが粗く、昔を偲ぶところではありません。そもそも臨沂は生地であり、三顧茅蘆とは全く関係ありません。
こんな場所で、がっかりしましたが、諸葛亮の生家が残って居る筈が無く、諸葛亮故里記念館に行けたとしても、王羲之の生家後と同じで、たいしたことはなかろうと思い、残念な思いが軽くなりました。顔真卿の生地は地図に「顔真卿故里」とあるだけで、何もないだろうと思い、遠いこともあり行くのを止めました。
それで少し時間があり、「山東沂南漢墓博物館」が沂南県の県城の北にあると道路標識で見つけたので、見学してから臨沂市街に帰ることにしました。
漢墓博物館は事前には全く知らず、道路標識で偶然見つけて、立ち寄ったのですが、なかなかのものでした。明日以降お話します。
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こんな場所で、がっかりしましたが、諸葛亮の生家が残って居る筈が無く、諸葛亮故里記念館に行けたとしても、王羲之の生家後と同じで、たいしたことはなかろうと思い、残念な思いが軽くなりました。顔真卿の生地は地図に「顔真卿故里」とあるだけで、何もないだろうと思い、遠いこともあり行くのを止めました。
それで少し時間があり、「山東沂南漢墓博物館」が沂南県の県城の北にあると道路標識で見つけたので、見学してから臨沂市街に帰ることにしました。
漢墓博物館は事前には全く知らず、道路標識で偶然見つけて、立ち寄ったのですが、なかなかのものでした。明日以降お話します。
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中国清明節の休みを利用して3日(木)の夜から安徽省黄山市(an hui shenghuang shan shi=あんきしょうこうざんし)へ行き、5日夜遅く(正確には6日0時半)上海浦東空港に戻りました。帰りは、例によって上海航空のボンバルディアだったのですが、またまた飛行機が黄山空港に到着後「小故障」ですぐに飛べないということになり、40分後に出発する中国東方航空に乗り換えて戻ることが出来ました。黄山のことは、いずれ報告します。臨沂のことに戻ります。
臨沂には、王羲之の生家を目指したのですが、諸葛亮(zhu ge liang=しょかつりょう)(諸葛孔明=しょかつこうめいとも言う)の生地でもあります。諸葛亮のことは以前に紹介しています。浙江省金華の諸葛八卦村(末代の子孫の村)とか、湖北省襄樊の三顧茅蘆で、諸葛亮のことを紹介しましたが、またまた諸葛亮ゆかりの地を訪問できた訳です。
また、唐代の書家、政治家である顔真卿(yan zhen qing=がんしんけい)の生地でもあることが判りました。
臨沂で地図を買ってこの二人のゆかりの地を探して見ると、諸葛亮の生地は、臨沂市の北方にある沂南県(yi nan xian=いなんけん)に、顔真卿の生地は臨沂市の西北にある費県(fei xian=ひけん)にありました。
タクシーを捉まえて交渉し、まず諸葛亮の生地に行くことにしました。そのタクシーが先日の天然ガスを入れている車です。地図には諸葛亮故里記念館が記されており、運転手も初めて行くとのことで、高速道路の料金所等で道を尋ねながら行きました。辿り着いたのは、沂南県の県城(県政府の所在地)にある孔明文化旅游区でした。
県城の西側にある丘に作った大きな公園で、諸葛亮(諸葛孔明)の大きな像と、三顧茅蘆の建物がありました。その他セメントの塀で作った八卦迷路やローラースケート場もあり、観光客目当てに作った遊園地のようなものでした。
写真はそこにある諸葛亮の像です。
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臨沂には、王羲之の生家を目指したのですが、諸葛亮(zhu ge liang=しょかつりょう)(諸葛孔明=しょかつこうめいとも言う)の生地でもあります。諸葛亮のことは以前に紹介しています。浙江省金華の諸葛八卦村(末代の子孫の村)とか、湖北省襄樊の三顧茅蘆で、諸葛亮のことを紹介しましたが、またまた諸葛亮ゆかりの地を訪問できた訳です。
また、唐代の書家、政治家である顔真卿(yan zhen qing=がんしんけい)の生地でもあることが判りました。
臨沂で地図を買ってこの二人のゆかりの地を探して見ると、諸葛亮の生地は、臨沂市の北方にある沂南県(yi nan xian=いなんけん)に、顔真卿の生地は臨沂市の西北にある費県(fei xian=ひけん)にありました。
タクシーを捉まえて交渉し、まず諸葛亮の生地に行くことにしました。そのタクシーが先日の天然ガスを入れている車です。地図には諸葛亮故里記念館が記されており、運転手も初めて行くとのことで、高速道路の料金所等で道を尋ねながら行きました。辿り着いたのは、沂南県の県城(県政府の所在地)にある孔明文化旅游区でした。
県城の西側にある丘に作った大きな公園で、諸葛亮(諸葛孔明)の大きな像と、三顧茅蘆の建物がありました。その他セメントの塀で作った八卦迷路やローラースケート場もあり、観光客目当てに作った遊園地のようなものでした。
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