見学には、私一人に一人の案内人がついてくれました。監視役かと思われる風体の中年の男でしたが、正式なガイドのようでした。先方は、私のことを学者か何かと思ったようで、「説明は詳しくしますか、それとも簡単でよろしいか」と尋ね、「簡単に」と言うと、説明を始めましたが、いやいやとても詳しいもので、古代用語が満載で、判らない部分が多かったです。聞き取れたところによれば、
・ この1号墓は後漢末期のもののようで、墓主は不明。夫婦の墓であるが、妻の方が位が高かった。北側に玄室が2つあり、夫妻の配置が通常とは逆になっているとのこと。
・ 2号墓は、この1号墓の末代のものであるが、造りが簡単で、柱、梁に彫刻がない。
・ これらの墓は早期に盗掘に遭っており、埋葬品は殆ど見つかっていない。
・ この地は、当時の支配者階級の墓地であったようで、これらの墓以外にいくつも墓が地下にあることが判っているが、未発掘。
・ 1号墓は、柱、梁の彫刻が特徴で、当時の精神世界、現実世界がよく表現されているとのこと。
彫刻は現場では写真不可でしたが、パンフレットに拓本が載せられていたので、それを添付します。
まずこの1枚目は左の縦(柱)の彫刻が左から「四神の青龍」、次が「四神の白虎」右(梁)の上から「車馬出行図」、下が「豊収宴享図」です。
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・ この1号墓は後漢末期のもののようで、墓主は不明。夫婦の墓であるが、妻の方が位が高かった。北側に玄室が2つあり、夫妻の配置が通常とは逆になっているとのこと。
・ 2号墓は、この1号墓の末代のものであるが、造りが簡単で、柱、梁に彫刻がない。
・ これらの墓は早期に盗掘に遭っており、埋葬品は殆ど見つかっていない。
・ この地は、当時の支配者階級の墓地であったようで、これらの墓以外にいくつも墓が地下にあることが判っているが、未発掘。
・ 1号墓は、柱、梁の彫刻が特徴で、当時の精神世界、現実世界がよく表現されているとのこと。
彫刻は現場では写真不可でしたが、パンフレットに拓本が載せられていたので、それを添付します。
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