碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

24時間ソーシャル状態、しんどくない?

2016年09月06日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルに、以下のコラムを寄稿しました。


フォロワー数の増減は
実生活になんの影響もない…
24時間ソーシャル状態、しんどくない?

テレビ番組もそうだが、CMは時代を映す鏡だ。その時どきの世相、流行、社会現象、そして人間模様までを、どこかに反映させている。この夏、流されているCMのなかから、注目作を2本選んでみた。共通するのは「喚起するチカラ」だ。

●JR東日本『行くぜ、東北。
 「女川(おながわ)の今」篇』


CMの効用のひとつに、「思い出す」がある。JR東日本『行くぜ、東北。』シリーズはそんな1本だ。2011年3月から5年と5カ月。被災地に対する「どうしているだろう」の気持ちを、さりげなく刺激してくれる。

前回までの木村文乃さんに代わる、新たな旅人は松岡茉優さん。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の地元アイドル役でブレイクし、昨年の『She』(フジテレビ系)、今年の『水族館ガール』(NHK)と連ドラ主演作が続いている。どんな役柄も自然に自分のものにしてしまう演技力。またバラエティーでも崩しすぎない親しみやすさが持ち味だ。

今回、松岡さんが歩くのは宮城県女川町。地震と津波で沿岸部の被害は壊滅的といわれたが、昨年末にはテナント型商店街「シーパルピア女川」もオープンした。ナレーションの通り、「東北は前へ進んでいる」のだ。

間もなくやってくる今年の秋、旅に出るなら、ぜひ東北へ。


●武田薬品工業『アリナミン7シリーズ
 「乙です、ソーシャルちゃん!」篇』


家でもスマホ、会社でもスマホ。教室でも、そして電車の中でもスマホ。そんな風景が当たり前になっている。

多分、「普通の携帯電話(ガラケーって言葉、あまり好きじゃないので)」を愛用している者にはうかがい知れぬ、何かとんでもない秘密の“楽しみ”が手のひらの中にあるのだろう。でも、“24時間ソーシャル状態”って、しんどくないのかな?

そんなことを思っていたら、武田薬品『アリナミン7』のWEB限定CMで、“さや姉(ねえ)”ことNMB48の山本彩さんが、画面から語りかけてきた。

「意識高い投稿してるけど、モテたいだけでしょ?」
「キミの『いいね!』のハードル、いくらなんでも低すぎません?」
「タグ付けは慎重にね。それで人生が終わる人もいるんだよ」
「フォロワー数が増えても減っても、実生活にはなんの影響もないよ。楽になって!」

いやあ、よくぞ言ってくれました。お疲れ気味になっている世の“ソーシャルちゃん”たちへの救いの言葉であり、同時に一種の警鐘でもある。

もちろん、「つながること」自体は悪くはない。でも、「つながりかた」や「つながりすぎること」の危うさも、しっかり視野に入れるべき時代だと思う。

できれば、さや姉のメッセージが多くの人に届きますように。

(ビジネスジャーナル 2016.09.03)



ギャラクシー賞と安倍政権

2016年07月27日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


先月、放送界の大きな賞のひとつで、優れたテレビ・ラジオ番組や放送文化に貢献した個人・団体を顕彰する、第53回「ギャラクシー賞」の発表があった。注目のテレビ部門大賞は、『報道ステーション』(テレビ朝日系)の2本の“特集”が受賞した。大賞を、ドキュメンタリーやドラマではなく、報道番組の特集が獲得するのは極めて珍しい。

1本目の特集は3月17日放送の『ノーベル賞経済学者が見た日本』だ。その“主役”は、経済学の世界的権威、米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授。政府会合の場で安倍首相に消費増税延期を進言したことが報じられた直後に、番組では教授への単独インタビューを放送したのだ。

しかもその内容は、日本国内の格差問題、法人税減税の効果(トリクルダウン)への疑問、さらに新たな税制改革の検討など、安倍政権の経済政策が抱える問題点の指摘や提言となっていた。ともすれば増税先送りにばかり目が向く状況のなかで、有効な判断材料となる専門家の知見を伝えたことの意義は大きい。

●ワイマール憲法と憲法改正

2本目は、翌18日の『独ワイマール憲法の“教訓”』である。1919年に制定されたドイツのワイマール憲法は、国民主権、生存権の保障、所有権の義務性、男女平等の普通選挙などを盛り込み、当時、世界で最も民主的と讃えられていた。しかし、その民主主義憲法の下で、民主的に選出されたはずのヒトラーが、独裁政権をつくり上げていったこともまた事実である。

この特集では、古舘伊知郎キャスター(当時)が現地に赴き、ワイマール憲法とヒトラー政権の関係を探っていた。背景には、安倍首相が目指す憲法改正がある。特に、大規模災害などへの対応という名目で、「緊急事態条項」を新設しようという動きだ。

番組のなかで、ワイマール憲法の研究者が自民党の憲法改正草案について語る場面が圧巻だった。草案に書かれた「緊急事態条項」について、ワイマール憲法の「国家緊急権」と重なると証言したのだ。

さらに、「内閣のひとりの人間に利用される危険性があり、とても問題です」と警告した。この「国家緊急権」を、いわば“悪用”することによってナチスが台頭していったことを踏まえると、こちらもまた、私たちにとって大いに参考となる専門家の知見だった。もちろん時代も状況も異なるが、痛恨の歴史から学べることは少なくない。

2本の特集はいずれも、そのテーマ設定、取材の密度、さらに問題点の整理と提示などにおいて高く評価できるものだった。4月にキャスターが交代した『報道ステーション』をはじめ、各局の報道番組にも、こうした積極的な“調査報道”が増えることを期待したい。




なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?

2016年06月22日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



 ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる脚本家・倉本聰さんの自伝エッセイ『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)が出版された。

 81歳の現在も旺盛な創作活動を続けている倉本さんは、草創期からテレビに関わり、数々の名作を生み出してきた。この本では、幼少時代の思い出、怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾、演劇、そして自然と環境までを縦横に語っている。

 倉本さんの代表作である、『北の国から』の放送開始から35年。あらためて、この国民的ドラマの意味を考えてみたい。

(以下、敬称略)

衝撃的だった『北の国から』の登場

 それは、過去のどんなドラマとも似ていなかった。思わず、「なんだ、これは?」と声が出てしまった。1981年10月9日(金)の夜、『北の国から』の第1回目を見終わった時のことだ。

 この日、午後10時の同じ時間帯にドラマが3本、横並びだった。1本目は前月から始まっていた、山田太一脚本の『想い出づくり。』(TBS系)。もう1本は、藤田まことの主演でお馴染みの『新・必殺仕事人』(テレビ朝日系)である。

 どちらもドラマの手練れたちによる優れた仕事で、すでに高い視聴率を叩き出していた。『北の国から』はそこへ遅れて参入してきたわけだが、あらゆる面で“異色”のドラマだったのだ。

 固定ファンが多い『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』が話題になっていた。当時では結婚適齢期だった24歳の女性たちが、“平凡な日常生活”から脱却しようと、都会を彷徨する物語だ。演じるのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人。

 その秀逸な設定と彼女たちの掛け合いの妙は、2年後のヒット作『ふぞろいの林檎たち』に通じるものがある。ちなみに、脚本の山田太一、演出の鴨下信一、プロデューサーの大山勝美という『ふぞろいの林檎たち』の座組みは、『想い出づくり。』と同じだ。

 一方、『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強い。

 ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。多くの視聴者は戸惑ったはずだ。

 そして肝心の物語も尋常ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中邦衛)が、妻(いしだあゆみ)と別れ、子供たち(吉岡秀隆、中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道に移住するという話だ。住もうとする家は廃屋のようなもので、水道も電気もガスもない。

 第1話で、純(吉岡)が五郎に、「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴える。さらに「夜になったらどうするの!」と続ける。五郎の答えは、純だけでなく、私を含む視聴者を驚かせた。五郎いわく、「夜になったら眠るンです」。

 実はこの台詞こそ、その後20年にわたって続くことになる、ドラマ『北の国から』の“闘争宣言”だったのだ。夜になったら眠る。一見、当たり前のことだ。しかし、80年代初頭の日本では、いや東京という名の都会では、夜になっても活動していることが普通になりつつあった。“眠らない街”の出現だ。

『北の国から』と80年代

 やがて「バブル崩壊」と呼ばれるエンディングなど想像することもなく、世の人びとは右肩上がりの経済成長を信じ、好景気に浮かれていた。仕事も忙しかったが、繁華街は深夜まで煌々と明るく、飲み、食べ、歌い、遊ぶ人たちであふれていた。日本とは逆に不景気に喘いでいたアメリカの新聞には、「日本よ、アメリカを占領してくれ!」という、悲鳴とも皮肉ともとれる記事まで掲載された。

 そんな時代に、都会から地方に移り住み、しかも自給自足のような生活を始める一家が登場したのだ。これは一体なんなのか。そう訝しんだ視聴者も、回数が進むにつれ、徐々に倉本が描く世界から目が離せなくなる。そこに当時の日本人に対する、怒りにも似た鋭い批評と警告、そして明確なメッセージがあったからだ。

 倉本自身の言葉を借りよう。放送が続いていた82年1月、地元の北海道新聞に寄せた文章である。

「都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、全ては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払い、そして依頼する。他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへ憧れ向かい、その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、創る能力は知らず知らず退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した」

 80年代は、現在へとつながるさまざまな問題が噴出し始めた時代だった。世界一の長寿国となったことで到来した高齢化社会。地方から人が流出する現象が止まらない過疎化社会。何でも金(カネ)に換算しようとする経済優先社会。ウォークマンの流行に象徴される個人化・カプセル化社会等々。

 それだけではない。「家族」という共同体の最小単位にも変化が起きていた。「単身赴任」が当たり前になり、父親が「粗大ごみ」などと呼ばれたりもした。また「家庭内離婚」や「家庭内暴力」といった言葉も広く使われるようになる。

 『北の国から』はこうした時代を背景に、視聴者が無意識の中で感じていた「家族」の危機と再生への願いを、苦味も伴う物語として具現化していたのだ。

 82年3月末に全24回の放送を終えた後も、スペシャル形式で2002年まで続くことになる『北の国から』。その20年の過程には、大人になっていく純や蛍の学びや仕事、恋愛と結婚、そして離婚までもが描かれた。フィクションであるはずの登場人物たちが、演じる役者と共にリアルな成長を見せたのだ。

 また彼らと併走するように、視聴者側も同じ時代を生き、一緒に年齢を重ねていった。それはまた、このドラマが20年にわたって、常にこの国と私たちの状況を“合わせ鏡”のように映し続けたということでもある。あらためて、空前絶後のドラマだったのだ。

(ビジネスジャーナル 2016.06.10)



”蛍”の中嶋朋子さんと

“異色の探偵ドラマ”も終盤へ

2015年09月10日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、“異色の探偵ドラマ”について書きました。


いつも厳しい顔の北川景子 
全身に怒り、容易に他人を寄せつけず

9月に入って、今期の連続テレビドラマも終盤に差しかかってきた。“異色の探偵”が活躍する2本の探偵ドラマにも、ラストが近づいている。

彼女、彼らの異能ぶりを見ておくなら、今のうちだ。

● 『探偵の探偵』(フジテレビ系) 

 『万能鑑定士Q』シリーズ(角川文庫)などで知られる、松岡圭祐の同名小説が原作。まず、「探偵の悪事を暴く探偵」という設定がなんともユニークだ。確かに、すべての探偵がシャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロのような人物とは限らない。いや、そんなにレトロでなくても、世の中には悪徳探偵や犯罪に手を染める探偵がいてもおかしくない。

 主人公の紗崎玲奈(北川景子)は、スマ・リサーチ社が運営する探偵スクールを卒業し、そのまま入社した。配属されたのが、まさに探偵を探偵する「対探偵課」だった。

 玲奈が仕事に打ち込むのには理由があった。かつて高校生だった妹(芳根京子)が惨殺され、その事件の背後に、大物探偵として業界に君臨する阿比留佳則(ユースケ・サンタマリアが怪演)の存在があったのだ。警察からも信頼され、捜査に関与する阿比留への復讐こそが、この物語の主軸である。

 普段、玲奈はほとんど笑顔を見せない。いつも厳しい顔をしている。その全身に怒りのオーラをまとい、容易に他人を寄せつけない。また、身の危険を顧みることもない。

 そんなヒロインを、北川はキレのいい本格的なアクションを披露しながら見事に演じている。『HERO』(フジテレビ系)でキムタクをサポートする事務官も結構だが、こちらのほうがよほどハマリ役だ。

 先日、警察の人間でありながら、阿比留への疑念を抱いていた刑事・窪塚悠馬(三浦貴大)が殉職した。この三浦もそうだが、探偵社の社長を演じる井浦新や助手の川口春奈など、脇役たちの好演も、北川とこのドラマを支えている。ラストに向かって楽しみな一本だ。

● 『僕らプレイボーイズ熟年探偵社』(テレビ東京系)

 若者や女性をターゲットとしたドラマが目立つ中で、『三匹のおっさん』に続く、テレビ東京らしい独自路線といえるのが『僕らプレイボーイズ 熟年探偵社』である。

 何しろ主演の高橋克実(54)が最年少だから驚く。共演者も石田純一(61)、笹野高史(67)、角野卓造(67)、伊東四朗(78)というベテランぞろい。まさに熟年の、熟年による、熟年のためのドラマになっている。

 リストラに遭った高橋の再就職先が探偵社だった。元刑事、元五輪選手といった経歴を持つメンバーの仲間になる。毎回読み切りの物語はいわゆるハードボイルドではなく、もちろん殺人など血なまぐさい事件も起きない。迷子のペット探し、初恋の人探し、中高年の引きこもり解消などが依頼の案件だ。とはいえ、その背景には涙や笑いの人間模様がある。

 5人の探偵たちは、それぞれのキャリアを生かして調査を進める。しかも、チームというより個人プレイの集積という雰囲気に好感がもてる。長い間、組織に属して仕事をしてきた男たちにとって、業務命令やノルマはもうたくさんだ。熟年になったら、できるだけ自由に動きたいではないか。このシニア探偵たちの“ゆる~い連帯”が気持ちいい。

 また、このドラマではゲスト出演者も熟年となる。田中美佐子、市毛良枝、秋野暢子、杜けあきなど、往年の美人女優たちによる練達の演技を楽しめるのも、熟年ドラマならではの醍醐味だろう。

(ビジネスジャーナル 2015年9月7日)

注目CM 石原さとみ「果汁グミ」とペプシ「桃太郎」のこと

2015年08月22日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、今年夏の注目CMについて書きました。


石原さとみ、「寸止め」がヤバすぎる!

 今回は、今年夏の注目CMを2本紹介したい。

明治『果汁グミ』変身ぶどう篇

 グミは不思議な食べ物だ。成分は果汁などとゼラチン。名称はゴムを意味するドイツ語が由来だ。歯の健康に寄与する菓子という発想が、いかにもドイツっぽいではないか。

 日本では1980年発売の『コーラアップ』が、初のグミ製品となる。発売はもちろん明治(当時は明治製菓)だ。以来35年、最近ではグミと聞けば、『果汁グミ』と共に石原さとみの顔を思い出す。

 今回、石原はOLさんだ。エレベーターの中で、「これ、辛抱たまらん。けしからん」と果汁グミを口に入れる。すると、ぶどう柄の衣装へと大変身。

 その姿、かなりかわいいのだが、上司には「魔女?」と聞かれてしまう。ムッとしながら、「妖精だわ」と、なぜか名古屋弁風のアクセントで言い返す様子がまた笑える。

 石原といえば、あの魅力的な唇だ。グミじゃなくても吸い寄せられるだろう。しかし今回、カメラはそんな唇のアップを撮らないし、見せてくれない。

 この自制心、この寸止め感。いや、だからこそ、また見たくなるのだ。実にけしからん唇であり、けしからんCMである。

サントリー食品インターナショナル
『ペプシストロング ゼロ』桃太郎「Episode.3」篇


 物語CMの傑作として、すっかり定着した人気シリーズの最新作。今回スポットが当たるのは桃太郎の仲間であるキジだ。

 力で一族を支配していた兄のカラスが鬼の仲間となった上、自らも鬼と化してしまう悲劇が語られる。圧倒的な想像力と映像で生み出されるのは、炎の戦場である。

 それにしても、なぜ「桃太郎」の物語なのか。理由としてまず挙げられるのは、多くの人が常識として共有する、日本一有名なストーリーとキャラクターだということだ。

 次に、昔の和歌(本歌)を自作に取り込んでいく技法、「本歌取り」の伝統に則った作品であること。イメージを重ね合わせることで、奥行きのある世界を現出させることができる。

 さらに、近年当たり前になった、先行する創作物のキャラクターを利用した「二次創作」にも該当する。原作である昔話の「桃太郎」とは完全な別世界で、壮大かつスリリングな物語が展開されていく。

 「本歌取り」と「二次創作」。つまり、実は古くて新しいクリエイティブのかたちがここにあるのだ。

 小栗旬演じる桃太郎が、“自分より強いヤツ”を倒すには、強力な仲間の存在が不可欠だ。友情・努力・勝利は、「週刊少年ジャンプ」(集英社)のモットーでもある。桃太郎と仲間たちの戦いの旅は、なおも続く。

(ビジネスジャーナル 2015.08.21)

碓井広義「ひとことでは言えない」
http://biz-journal.jp/series/cat271/


夏ドラマの変化球『民王』が、なんだかスゴい!?

2015年08月06日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルの連載、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、夏ドラマの中からTBS「表参道高校合唱部!」と、テレビ朝日「民王」を取り上げました。


連ドラ『民王』が、なんだかスゴいぞ!

 7月に始まった、夏の連続テレビドラマ。恋愛モノから企業モノ、リメイクモノから新作まで、さまざまな趣向が並んでいる。そんな夏ドラマの中から、猛暑に負けない元気が出る良作を選んでみた。

直球勝負の青春ドラマ、『表参道高校合唱部!』

 “オリジナル脚本のドラマ”と聞けば、どこか応援したくなる。池井戸潤の小説が原作の『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)も、往年の人気アニメを実写化した『ど根性ガエル』(同)も結構だが、ゼロから物語を生み出そうとするオリジナル・ドラマは、テレビならではの楽しみだからだ。

 『表参道高校合唱部!』(TBS系)の主人公は、香川県小豆島から東京の私立高校に転校してきた真琴(芳根京子)。親が離婚し、母親の実家で暮らすことになったのだ。とにかく合唱が好きで、廃部寸前の合唱部の再建に奔走する。

 初回を見て驚いたのは、連ドラ初主演という芳根が示すポテンシャルの高さだ。ヒロイン生来の明るさや意志の強さだけでなく、感情の細やかさまで表現している。何より、単なる表層的な美少女ではなく、地に足のついた骨太な少女像を体現している点に注目した。

 舞台となる高校には、生徒を「一軍」「二軍」「圏外」などとランク付けするスクールカーストや、米映画『キャリー』(1976年公開)を思わせるイジメも存在する。しかし、ヒロインを際立たせるためのイジメ描写なら、やりすぎないほうが得策だろう。

 このドラマのよさは、まず劇中の歌に本物感があること。仲間と歌う合唱の楽しさが伝わってくること。また芳根をはじめ、森川葵、吉本実憂、志尊淳など“新たな波”を感じさせる若手俳優たちだ。ドラマと共に成長する彼らを見てみたい。

クセになりそうな変化球、『民王(たみおう)』

 猛暑に圧倒されたかのように、全体的にイマイチ元気がない今期ドラマ。そんな中で、思わぬ拾い物をしたような1本が『民王』(テレビ朝日系)である。話はなんとも破天荒で、時の総理大臣・武藤泰山(遠藤憲一)と、そのバカ息子・翔(菅田将暉)の心が、突然入れ替わってしまうのだ。 

 2人は周囲に悟られないようごまかしながら、回復を待とうとする。だが、泰山の姿形となった翔は秘書官が書いた答弁を棒読み。しかも、まともに漢字が読めないため、野党からも失笑を買う。一方、見た目は翔だが傲岸無礼なままの泰山も、就活で訪れた会社で面接官を罵倒し、説教までしてしまう。

 登場人物の“心が入れ替わる”という設定はこれまでにもあった。大林宣彦監督作品『転校生』(82年公開)の幼なじみ男女や、『さよなら私』(NHK)の親友同士のアラフォー女性などだ。

 しかし、総理大臣父子となると、本人たちだけの問題では済まない。話が外交など国家レベルにまで発展するあたりが大いに笑える。基本的には政治や権力をめぐるドタバタコメディでありながら、一種リアルな風刺劇にもなっている点が秀逸だ。

 また、遠藤と菅田のテンションの高さが尋常ではない。2人はさだまさしの自伝ドラマ『ちゃんぽん食べたか』(NHK)でも父子を演じているが、まるで別人だ。ワニ顔を千変万化させる遠藤はもちろん、困惑するダメ息子を演じる菅田の怪演も一見の価値がある。同じ池井戸潤の原作だが、“黙ってない”のは花咲舞だけではなさそうだ。

(ビジネスジャーナル 2015.08.02)

「政府与党 報道威圧」のこと

2015年07月28日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルでの連載、碓井広義「ひとことでは言えない」。

このブログにアップしていなかった分を、転載しておきます。


報道威圧に屈するフジとテレ東

批判的報道は規制すべきという暴論

 6月25日に行われた自民党の有志議員による勉強会で、メディアに対する威圧的な発言が続出し、現在も大きな問題になっている。問題視されるのも当然で、発言内容には耳を疑うような言葉が並んでいた。以下がそれである。

 「反・安保(安全保障関連法案)を掲げ、国益を損ねるような一方的な報道がなされている」ので、「こらしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」であり、「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」というのだ。

 これはつまり、政権に批判的な報道機関は広告主を通じて規制すべきだという、天下の暴論である。民放の足元を見たような“兵糧攻め”もどきの幼稚な発想にあきれてしまう。

報道威圧を、テレビはいかに伝えたか

 勉強会翌日の26日夜、テレビ各局はメインのニュース番組でこの件を報じたが、その内容や温度には明らかにばらつきがあった。

 『ニュースウオッチ9』(NHK)では、河野憲治キャスターが「報道の自由、表現の自由は、いうまでもなく民主主義の根幹。自民党の若手議員の発言や、とりわけ作家の百田尚樹氏による『沖縄の2つの新聞は潰さなければならない』という発言は、報道機関に所属する者として決して認められない」とカメラ目線で主張した。

 また、「メディアの是非は視聴者や読者が決めます。こうした発言をする政治家の是非は、選挙で有権者が決めます」と述べたのは、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)の村尾信尚キャスターだ。

 『NEWS23』(TBS系)の膳場貴子キャスターは、「権力による報道規制にほかならないと思うのですが」と、コメンテーターに問いかけるかたちだった。

 『報道ステーション』(テレビ朝日系)の古舘伊知郎キャスターは、この問題を伝えた後で「こういう話をしているだけで、この番組もこらしめられるんですかね」と苦笑いした。さらに、「政権が気に入る意見とか、お気に召す報道をすることで、世の中が豊かになるとは思えない」と締めくくった。

各局の対応に表れた温度差

 驚いたのは、『あしたのニュース』(フジテレビ系)と『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京系)だ。ニュースとして取り上げてはいたが、VTRによる説明のみで、キャスターなどがスタジオでコメントすることはなかった。残念ながら、その腰の引け具合は当事者意識の欠如といわざるを得ない。

 今回、与党議員たちが行った問題発言の背景には、安倍晋三政権が強めている「メディアコントロール」がある。4月にも、自民党がNHKやテレビ朝日の経営幹部を呼びつけ、個別番組の問題について異例の事情聴取を行ったばかりだ。

 しかし、これまでも今後も、多様な情報を発信すると共に権力を監視し、問題点を指摘することはジャーナリズムの責務である。それをしないのは、メディアが自らの首を絞めるに等しい。

(ビジネスジャーナル 碓井広義「ひとことでは言えない」2015.07.14)

「バカリズム・ドラマ」のこと

2015年07月28日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルでの連載、碓井広義「ひとことでは言えない」。

このブログにアップしていなかった分を、転載しておきます。


バカリズム脚本のドラマが超面白いワケ 
 鋭い人間観察と苦笑いが生む絶妙なエピソード

 昨年の連続ドラマ『素敵な選TAXI(センタクシー)』(フジテレビ系)の脚本で、「第3回市川森一脚本賞」の奨励賞を受賞したお笑いタレントのバカリズム。

 6月23日には、バカリズムが脚本を手がけた単発ドラマ『かもしれない女優たち』(フジテレビ系)が放送された。

 今回は、この2本を振り返ることで「バカリズム・ドラマ」の魅力を探ってみたい。

■よくできた連作短編集 『素敵な選TAXI』

 昨年秋の放送時、いい意味で予想を裏切られた。「タイムスリップするタクシー? 脚本がバカリズム? 大丈夫なのか?」と思っていたが、ふたを開けてみると、いい具合に肩の力が抜けた癒やし系のSFドラマだった。

 なにかトラブルを抱えている人物が、偶然乗ったタクシー。それは、過去に戻れるタイムマシンだった。恋人へのプロポーズに失敗した売れない役者(安田顕)、駆け落ちする勇気がなかった過去を悔いる民宿の主人(仲村トオル)、不倫相手である社長と嫌な別れ方をした秘書(木村文乃)などが乗車する。

 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、タイムマシンの役割を果たすのは、ガルウイングドアの「デロリアン」だったが、同ドラマでは40年以上前のトヨタ「クラウン」のタクシーというのがうれしい。

 運転手は“お久しぶり感”のある竹野内豊だ。制服にひげといういでたちで乗客の話をじっくりと聞き、彼らを「人生の分岐点」まで戻してくれる不思議なおじさんを飄々と演じており、ちょっとした新境地だった。

 乗客は過去に戻って新たな選択をするが、必ずしも事がうまく運ぶわけではなく、もうひと波乱ある。バカリズムの脚本は、そのあたりのひねりがきいており、よくできた連作短編集のような掘り出し物の1本だった。

■後味のいいパラレルワールド 『かもしれない女優たち』

 『素敵な選TAXI』同様、この単発ドラマも「人生の岐路と選択」というテーマに挑んだ野心作だ。

 ヒロインは竹内結子、真木よう子、水川あさみの3人。女優として成功している彼女たちが、「あり得たかもしれない、もうひとつの人生」を競演で見せるところがミソである。

 例えば、現実の竹内は15歳で事務所にスカウトされたが、「もし、それを断っていたら」という設定でドラマが進む。大学を出て編集者になった竹内は、恋人との結婚を望みながら、なかなか実現できないでいる。

 また、女優志望の真木と水川は、アルバイトを続けながらオーディションを受けては落ちまくる日々だ。もうあきらめようかと思っていた頃、2人に思いがけない出来事が起きる。

 エキストラ扱いで、顔も映らない端役を務める現場。邦画を見るとみじめな気分になるからと、レンタルビデオ店で洋画ばかりを借りる日常。いきなり売れっ子になった新人女優への複雑な思い……。

 バカリズムの脚本は、下積み女優にとっての“芸能界のリアル”を、苦笑い満載のエピソードで丁寧に描いていく。

 3人の女優がそれぞれの軌跡と個性を生かした物語だからこそ、本人たちが演じる「あり得た自分」が絶妙にからみ合う。その結果、実に後味のいいパラレルワールドが成立していた。

 「バカリズム・ドラマ」の魅力は、ユーモアの中にある鋭い人間観察と、人に対する温かい眼差しだ。こうした単発ドラマもいいが、今後、バカリズムにはぜひ連続ドラマの新作を書いてほしい。

 なんといっても、脚本こそがドラマの核であり、設計図であり、その成否を決めるものだ。バカリズムという個性あふれる新たな書き手の登場を歓迎し、大いに期待したい。

(ビジネスジャーナル 碓井広義「ひとことでは言えない」2015.07.03)

“平成の小津映画”と呼びたい秀作『海街diary』

2015年06月28日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、映画『海街diary』について書きました。


綾瀬はるかと広瀬すず、歴史に残る“美しさ”
映画『海街diary』にあふれる幸福感

テレビドキュメンタリーの優れた作り手だった是枝裕和が、『幻の光』で映画監督デビューしたのは1995年のことだ。あれから20年。そのキャリアには、『ワンダフルライフ』や『誰も知らない』など評価の高い作品が並ぶが、公開中の新作『海街diary』もまた是枝監督の代表作の一つになるだろう。

見終わって最初の感想は、「ずっと見続けていたい」だった。何より、この姉妹たちの日常をもっと見ていたかった。物語としての1年という時間経過と共に、彼女たちの中で何かが変わっていく。その繊細な移り変わりに立ち会う幸福感が、終了後も尾を引いていたのだ。

三姉妹が鎌倉にある古い家で暮している。しっかり者の長女・幸(綾瀬はるか)、縛られない性格の次女・佳乃(長澤まさみ)、のんびりした三女・千佳(夏帆)だ。父は15年前に家を出ていたし、母は再婚している。育ててくれた祖母もまた亡くなってしまった。

突然、父の訃報が届く。葬儀が行われた山形の小さな町で、3人は腹違いの妹・すず(広瀬すず)と出会う。病気になった父の世話をしてくれた、中学生のすず。実母は亡くなり、継母との関係はしっくりいっていない。三姉妹を「父が好きだった場所」に案内し、4人で風景を眺めるシーンが印象的だ。

駅での別れ際、幸が突然、「すずちゃん、鎌倉に来ない? 一緒に暮らさない? 4人で」と声をかける。このひと言で、物語が大きく動き出すのだ。是枝監督は、あるインタビューで「これは捨て子が捨て子を引き取る話だなと思った」と語っている。

捨て子とは強烈な言葉だが、実際、姉妹たちは父にも母にも捨てられたことになる。鎌倉の古くて大きな家で暮らすのは、欠けた人のいる家族、不在者のいる家族だったのだ。長女の幸は、年齢的なこともあり、不在の父や母へのわだかまりが強い。だが、それもまた、すずを受け容れることで変わっていくのだ。

思えば、小津安二郎監督の映画でも、何度か“不在の人”が描かれる。『父ありき』や『晩春』は母親が、『秋日和』では父親が不在だった。不在、つまり失われていることが、そのまま不幸ではないと感じさせるという意味で、小津作品と本作は重なるのかもしれない。

加えて、この映画における綾瀬はるかの佇まいが、小津作品で原節子が演じてきた女性たちを思わせる。凛とした美しさ。強さと優しさ。さらに、どこか自分を無理に律している切なさも似ている。本作に関してだけでも、是枝監督が平成の小津安二郎なら、綾瀬は平成の原節子である。

そしてもう一人、特筆すべきは広瀬すずだ。名前と役名が同じであることも偶然ではないと思わせる。それくらい作中のすずは瑞々しい。だが、成長していく少女ほど儚いものはない。だからこそ、今という時間にしか映しこめない輝きがここにあるのだ。桜並木のトンネルを自転車で走り抜けていくシーンなど、長く記憶に残る名場面と言うしかない。

すでにドラマやCMでたくさんのスポットを浴びている広瀬だが、この映画への起用はそれ以前に決まったことだ。是枝監督の慧眼、恐るべし。彼女を発見したことで、この作品の制作を決めたのではないかと想像したくなるほど、その存在感は際立っている。

この映画には驚愕の事件も、泣かせる難病も、気恥ずかしくなるような大恋愛もない。しかし、不在者をも包み込みながら、自分たちの居場所で積み重ねていく日常の豊かさを、静かなるドラマとして描き切った秀作である。是枝監督と四姉妹に拍手を送りたい。

(ビジネスジャーナル 2015.06.26)

第52回ギャラクシー賞「CM部門」受賞作を解説

2015年06月22日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルに連載しているメディア時評、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、選奨委員を務めているギャラクシー賞「CM部門」の受賞作について書きました。


何が綾野剛を“励ました”のか!?

放送批評懇談会が主催する「ギャラクシー賞」。毎年4月1日から翌年3月31日を審査対象期間として、年間の賞を選び出している。今月2日に第52回ギャラクシー賞の贈賞式が行われ、テレビ、ラジオ、CM、報道活動の各部門の大賞、優秀賞などが発表された。

筆者はそのCM部門の選奨委員を務めている。毎月、CM委員会が開催され、委員たちが注目するCMを挙げ、全員で意見交換を行う。これを1年間続け、最終的に「今年の1本」を決めていく。全体として膨大な量のCMの中から受賞作を選ぶことは、大変で面白く、また難しくて楽しい作業だ。

今年もまた、時代や社会の実相を映し出しながら、コマーシャルとしての役割もしっかり果たした秀作にスポットが当たった。


<大賞>

●東海テレビ放送 公共キャンペーン・スポット「震災から3年~伝えつづける~」

東日本大震災を伝え続けているのは地元局だけではない。被災地のメディアではないからこそ、何を、いかに伝えるかに悩みつつ、でも決して手を止めていない。

2011年3月11日に起きた大災害。だが、時間の経過と共に、被災地以外に住む人たちの関心や記憶が薄れてきている。その一方で、「忘れてはいけない」という思いから、今も被災者への取材を続ける記者たちがいる。もちろん、それ自体はジャーナリズムの使命として、当たり前に見えるかもしれない。

しかし、実は記者たちも、被災者に対する微妙な取材に、迷ったり悩んだりしている。そんな葛藤する姿を伝えることで、地に足のついた、リアルな公共キャンペーンとなったのが本作だ。「記者は、忘れかけていた。取材される側の気持ちを」というコピーは、視聴者の気持ちも揺り動かした。


<優秀賞>

●インテリジェンス DODA シリーズ「チャップリン×綾野剛篇」「キング牧師×綾野剛篇」

その演説は映画「独裁者」の終盤に置かれている。約3分半のワンカットだ。 ファシズムの国の独裁者と間違われた床屋(チャップリン)が、兵士たちに向かって呼びかける。「君たちは機械ではない。家畜でもない。人間なんだ!」と。

CMには現在の仕事と将来に迷いを抱えた青年(綾野剛)が登場する。鏡に映る自分を見つめた時、チャップリンの声が彼を励ます。 「君たちには力がある。人生を自由で美しく、素晴らしい冒険に変える力が!」。

「キング牧師」編も、「友よ。今こそ、夢を見よう」で始まるメッセージが強烈なインパクトで迫ってくる。姿こそ見えないが、肉声の背後にある彼らの思想と行動、つまり生き方を想起するからだ。


●TOTO NEOREST ネオレスト「菌の親子篇」

悩める人々に福音をもたらした世紀の発明品、温水洗浄トイレ。1982年の登場以来、ひたすら進化を続け、新製品では見えない汚れや菌を分解・除菌し、その発生さえ抑制するという。

その性能を伝えるために、トイレに生息する「菌の親子」、ビッグベンとリトルベンを登場させた設定が秀逸だ。画面の基調となる白に、2人の黒いコスチュームが美しいコントラストを見せる。

また何より、除菌水の威力を嘆く息子菌(寺田心)がカワイイ。リトルベンの「悲しくなるほど清潔だね」のせりふに、つい微笑んでしまう。美しさと愛らしさ、そしてユーモアの勝利である。


●日清食品ホールディングス カップヌードル シリーズ「現代のサムライ篇」「壁ドン篇」

このシリーズ、ダチョウ倶楽部が出演した「本音と建前編」もそうだったが、外国人の目で見たニッポンが新鮮で面白い。

マンガやアイドルに入れ込む日本の若者たちの姿を見せることで、日本人の創造性やオリジナリティを再認識させてくれる。特に、サムライやフジヤマといった、日本のイメージのステレオタイプを逆手にとった発想と表現が見事だ。

「この国の若者は、アイドルとヌードルが好きです」のナレーションも、エネルギッシュな音楽も、ピタリと決まっている。


<選奨>

●NTTドコモ スマートライフ「親子のキャッチボール篇」

●住友生命保険 企業「dear my family2015」

●東京ガス 企業「家族の絆 母とは」

●トヨタマーケティングジャパン TOYOTA NEXT ONE シリーズ「THE WORLD IS ONE.」

●パナソニック エボルタ「エボルタ廃線1日復活チャレンジ」

●フルスロットルズ ドレスマックス「奥さまは花嫁」

●三井不動産リアルティ 三井のリハウス「みんなの声鉛筆」シリーズ「もう一度都心へ」「同居?or近居?」「友達と住まい」

●ユニフルーティージャパン チキータバナナ「BANANART ANIMATION」

●琉球放送 歩くーぽん シリーズ「フォアボール篇」「外野フライ篇」「1塁にて篇」


(ビジネスジャーナル 2015.06.22)


「女性アナウンサー」と「女子アナ」の危うい関係!?

2015年06月09日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、小島慶子さんの小説『わたしの神様』が描く、「女子アナ」について書きました。


元TBSアナが暴く、エグすぎる女子アナの世界

 今月3日、日本テレビの新人アナウンサー、笹崎里菜がデビューした。同局系のバラエティ番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』に出演し、これからの抱負を語ったのだ。

 ほんの短いコメントだったが、ホステスのバイト歴で内定取り消し、それを不当だとしての訴訟、さらに逆転入社という経緯があるため、芸能マスコミの取り上げ方は、すっかり“話題の大型新人”扱いだった。思い返せば、「清廉性」という言葉が一人歩きするなど、「アナウンサーとは一体なんだろう」と考えさせられる騒動だった。

●小島慶子の初の小説 『わたしの神様』

 先日、元TBSアナウンサーで、現在はタレント、エッセイスト、ラジオパーソナリティとして活躍中の小島慶子が、初の小説『わたしの神様』(幻冬舎)を上梓した。

 舞台はズバリ、民放キー局。主人公は「私には、ブスの気持ちがわからない」と言い切る人気女子アナである。誰よりもスポットを浴びようと競い合い、同時に地位と権力を求めてうごめく男たちとも対峙する彼女たち。テレビドラマで、そう簡単には描けない物語だ。

 低迷しているニュース番組がある。キャスターを務めてきた佐野アリサが産休に入ることになり、抜擢されたのは人気ランキング1位の仁和まなみだった。育児に専念する先輩と、これを機にさらなる上を目指す後輩。フィクションであることは承知していても、彼女たちの言葉は、著者の経歴からくる際どいリアル感に満ちている。

 例えば、ニュース番組担当の女性ディレクターは女子アナを指して、「ほんと、嫌になるわ。顔しか能のないバカ女たち」と手厳しい。

 当のまなみは心の中で言い返す。「この世には二種類の人間しかいない。見た目で人を攻撃する人間と、愛玩する人間。どれだけ勉強したって、誰も見た目からは自由になれないのだ」

 さらに、「どんなに空っぽでも、欲しがられる限りは価値がある。(中略)他人が自分の中身まで見てくれると期待するなんて、そんなのブスの思い上がりだ。人は見たいものしか見ない」と容赦ない。

 また、この女性ディレクターが、アナウンサー試験に落ちた自分の過去を踏まえて断言する。

「これは現代の花魁(おいらん)だと気付いた。知識と教養と美貌を兼ね備えていても、最終的には男に買われる女たちなのだ。(中略)自分で自分の値をつり上げて、男の欲望を最大限に引きつけるのだ。その才覚に長けた女が生き残る世界なのだと」
 
 果たして、これらは極端に露悪的な表現なのか。そうとは言い切れないのが、現在の女子アナの実態だ。小説ならではのデフォルメの中に、小説だからこそ書けた真実が垣間見える。

●女性アナウンサーと女子アナ

 1980年代に「楽しくなければテレビじゃない」をモットーに、視聴率三冠王の地位に就いた当時のフジテレビが、女性アナウンサーをいわば“社内タレント”としてバラエティ番組に起用。それがウケたこともあり、以後、歌って、踊って、カブリモノも辞さない「女子アナ」が、各局に続々と誕生していった。

 著者は常々、TBSの局アナ時代を振り返り、「自分は局が望むような“かわいい女子アナ”にはなれなかったし、なりたいとも思わなかった」と語っている。できれば“女子アナ”ではなく、一人のアナウンサーとして仕事を全うしたかったのだ。しかし、それは許されなかった。

 昨年、TBSを定年退職した現フリーアナウンサーの吉川美代子は小島の先輩にあたる。その著書『アナウンサーが教える 愛される話し方』(朝日新書)の中で、「女子アナ」をアナウンサーの変種・別種と捉え、社内タレントとしての功罪を指摘。アナウンサーが文化や教養を伝える立場にあることを自覚せよと訴えていた。

 とはいえ、今後もテレビ局は、社内タレントとしての女子アナの採用を続けるだろう。それは仕方がないとして、一方で真っ当な、もしくは本来のアナウンサーも採用・育成すべきなのだ。伝えることのプロとしてのアナウンサー、言葉の職人としてのアナウンサーは、目立たないが各局に存在する。その系譜を絶やしてはならない。

(ビジネスジャーナル 2015.06.08)


碓井広義「ひとことでは言えない」
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今年上半期の注目CMアレコレ

2015年06月04日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、今年上半期のCMをめぐる内容となっています。


北大路欣也と樋口可南子の知られざる“過去”

 テレビCMは見る人を瞬時にして笑わせたり、泣かせたり、考えさせたりする映像エンターテインメントだ。

 しかも、その時どきの世相、流行、社会現象、そして人間の心理などをどこかに反映させている。

 いわば時代のアンテナのようなものであり、世の中を垣間見せてくれる窓であり、時には社会批評でもある。

 今回は、今年1~5月までに放送された面白CMの中から、注目作を選んでみた。そこにはどんな風景が映っているだろうか。


●TOTO・ネオレスト『菌の親子』篇

 インターネット社会を痛烈に批判した『ネット・バカ』(青土社)の著者ニコラス・G・カー。その近作が『オートメーション・バカ』(同)である。

 飛行機から医療まで、社会のあらゆる部分が「自動化」された現在、利便性に慣れるあまり、それなしでは生きられない事態に陥っているのではないかと警告する。

 カーの言い分もわかるが、こと温水洗浄トイレに関しては譲れない。悩める人々に福音をもたらした世紀の発明品だと思っている。

 1982年に登場した、戸川純の「おしりだって、洗ってほしい。」というTOTOのCMは衝撃的だった。コピーは巨匠・仲畑貴志だ。

 トイレはその後も進化を続け、新製品では見えない汚れや菌を分解・除菌し、その発生さえ抑制するという。これではトイレに生息する“菌の親子”、ビッグベンとリトルベンもたまったものではない。

 本CMでは除菌水の威力を見た息子菌(寺田心)がつぶやく、「悲しくなるほど清潔だね」のせりふが泣けてくる。ごめんね、リトルベン。


●ソフトバンクモバイル『白戸家 お父さん回想する』篇

 映画『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を、東京・有楽町の日劇で見たのは全米公開翌年の78年のことだ。

 それから約20年後につくられたのが『エピソード1/ファントム・メナス』である。のちにダース・ベイダーとなるアナキン・スカイウォーカーの少年時代を描いた、後日談ならぬ衝撃の“前日談”だった。

 このソフトバンクのCMで驚いたのは、お父さん(声・北大路欣也)とお母さん(樋口可南子)が高校の同級生だったこと。また、当時の2人の“見た目”は、染谷将太と広瀬すずだったことだ。

 特に今年の目玉、超新星アイドルである広瀬の起用はお見事というしかない。間もなく公開される映画『海街diary』(是枝裕和監督)も期待大だ。

 また、染谷が上戸彩にそっくりな保健室の先生(上戸の二役)にトキメクのも、後年のお父さんを彷彿とさせて苦笑いしてしまう。

 今後、染谷と広瀬、二人の高校時代を舞台に、回想の枠を超えた前日談の物語が、延々と展開されてもおかしくない。いや、ぜひ見てみたいものだ。


●ワイモバイル『ふてネコ お風呂で鼻歌』篇

 猫は気まぐれだ。素直に人の言うことをきかない。時には人間より偉そうに見える。ちょっとコシャクな存在だ。

 このCMもそうだ。湯船につかりながらの鼻歌。小坂明子の名曲『あなた』の替え歌だが、「家を建てたニャら~、光とスマホを~」と宣伝も忘れない。

 
 またカフェ編ではカウンターに肘をつき、「ワイモバイルのスマホでにゃんにゃん言ってみませんか」などとハードボイルド風につぶやいたりする。

 約30年前、「なめんなよ」で大ヒットした“なめ猫”がいた。しかし、その暴走族風の学ランなどは、どこか「人間に着せられちゃいました」という印象が強い。

 その点、この“ふてネコ”は自然体だ。誰にも縛られず、また、媚びない態度が気持ちいい。自らの哲学と価値観に生きる一匹オオカミ、いや一匹ネコのようではないか。

 ちなみに、なめ猫の声はスタッフだという。声質もトーンも猫のふてくされぶりにぴったりで、まさに演技賞ものである。


●カルピス・カルピスウォーター『海の近くで 初夏』篇

 若手女優にとって、“登龍門”と呼ぶべきCMがある。

 宮沢りえや蒼井優などを輩出した「三井のリハウス」(三井不動産リアルティ)。橋本愛や二階堂ふみが起用された「東京ガス」。堀北真希、北乃きいが光った「シーブリーズ」(資生堂)。そして長澤まさみ、能年玲奈などが話題を呼んだ「カルピスウォーター」だ。

 今回、第12代目キャラクターとして登場したのは黒島結菜(ゆいな)。『アオイホノオ』(テレビ東京系)、『ごめんね青春!』(TBS系)といった連続テレビドラマで注目された短髪美少女である。

 特に『ごめんね青春!』で演じた生徒会長役が印象に残る。自分が転校することを仲間に隠しながら、文化祭の準備に没頭する姿がなんともいじらしかった。

 このCMの舞台は桟橋だ。カルピスウォーターを飲んだ後、黒島は隣に座った男の子に「何見てんの?」と、いたずらっぽい笑顔を向ける。

 そんなこと言われたって困る。こんな少女がいたら誰だって見ちゃうだろう。そして、この日の風景を一生忘れない。それが青春。

(ビジネスジャーナル/碓井広義「ひとことでは言えない」2015.6.3)


AR(拡張現実)導入で始まっている、「広報」新時代

2015年05月28日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、埼玉県三芳町の広報紙「広報みよし」が行っている、広報における新たな挑戦について書きました。


ある小さな町の広報紙がヤバすぎる!
写真にスマホをかざすと音声と映像が!

ARとは?

近年、広報映像の発信方法が多様化している。いわゆる広報番組や広報ビデオというかたちだけでなく、インターネットの活用が当たり前になってきた。そして最近、さらに新たな技術の応用が加わった。AR(オーグメンテッド・リアリティ、拡張現実)技術だ。

すでに馴染みのあるVR(ヴァーチャル・リアリティ、仮想現実)は、コンピュータによる五感への働きかけによって、人工的な現実感をつくり出す。

一方、ARは現実のコンテンツに、現実にはない情報を付加することでインパクトを与える。いわば現実の一部を改変するわけで、具体的には目の前にある現実空間にデジタル情報を重ね合わせて表示するのだ。

5月8日、地方自治体の広報活動向上に寄与することを目的に実施されている「全国広報コンクール」の結果発表があった。筆者は、その映像部門で審査委員を務めているが、2席に入選したのが埼玉県三芳町(人口約3万8,000人)である。

AR技術導入で「手話講座」

同町では、全国の自治体に先駆けて広報にAR技術を導入し、広報紙『広報みよし』の写真や絵にスマートフォン(スマホ)やタブレット端末をかざすと、映像と音声が流れてくる仕掛けを施した。受賞映像は動画による「手話講座」だ。

ここでは、手話による季節の挨拶や単語を動画で学ぶことができる。出演しているのは町内の手話サークルのメンバーだ。紙媒体での図解などでは伝えきれないニュアンスも、動画ならよりわかりやすく伝えることができる。全体が軽快で明るく、楽しい映像であることも評価された。

また、『広報みよし』は、印刷以外、つまり動画撮影や編集をはじめARにかかわるすべての作業(取材、写真撮影、デザインレイアウトなど)を、ほぼ一人の職員が行っていることも特色だ。外部委託ではないため、ARの導入費や運営費用は0円なのである。

もちろん、他の市町村がそのまま踏襲することはできないかもしれない。しかし、すでにこうした先進的な広報の取り組みが行われていることは、しっかりと認識しておきたい。

ちなみに映像部門では2席だった同町だが、『広報みよし』は内容や写真のクオリティーが認められ、コンクールの最高賞である内閣総理大臣賞に輝いた。

(ビジネスジャーナル 2015.05.26)


ビジネスジャーナル連載
碓井広義「ひとことでは言えない」
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NHK「クロ-ズアップ現代」調査報告書への違和感

2015年05月03日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」

今回は、NHK「クロ-ズアップ現代」調査報告書について書きました。


NHK捏造問題
頑なに「やらせ」を認めず、
「過剰な演出」強弁の理由 
信頼失った公共放送


●幕引きのための調査報告書

昨年5月に放送されたテレビ番組『クロ-ズアップ現代 追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人』内で多重債務者に出家の斡旋を行っているブローカーとして登場した男性が、「自分はブローカーではなく、記者の指示で“役柄”を演じた」と告発していた問題について、NHKは4月28日、調査報告書を公表した。

結論としては、「事実のねつ造につながる、いわゆる『やらせ』はなかったものの、裏付けがないままこの男性をブローカーと断定的に伝えたことは適切ではなかった」などとしている。NHKは番組を担当した記者の停職3カ月をはじめ、その上司や役員などの処分を決定。組織としての幕引きへと向かった格好だ。

●番組内容と制作過程の乖離

番組では、出家詐欺の当事者とされるブローカー・A氏との接触に成功し、彼の事務所でインタビューを行っていた。取材当日は偶然にも多重債務者・B氏がやって来て、出家詐欺を相談する様子を撮影することに成功。しかも、その映像は隣のビルからの隠し撮りという準備の良さだ。さらに事務所から出てきたB氏にも話を聞いており、本来であればスクープであった。

しかし実際は、B氏と記者が旧知の間柄で、A氏はB氏の知り合いだった。事務所もまたB氏が撮影用に調達したものでありニセの事務所だった。A氏は調査報告書が出た後も、自身がブローカーであるとは認めていない。

報告書は、基本的に記者の証言や主張を受け入れるかたちでまとめられている。記者がA氏をブローカーだと思い込んでいたこと、役柄や演技の指示はしていないという主張が認められ、取材・撮影の手法に問題はあったが、「事実のねつ造につながる、いわゆる『やらせ』はなかった」と判断しているのだ。

しかし、放送された内容と報告書にある制作過程を客観的に比べてみた時、「『やらせ』はなかった」という結論には納得できないものがある。

なぜなら、いわゆるやらせとは、ねつ造だけではなく、もっとヴァリエーションがある。実際よりも事実をオーバーに伝える「誇張」、事実を捻じ曲げる「歪曲」、あるものをなかったことにする「削除」、逆にないものをあるかのようにつくり上げる「ねつ造」が、いずれもやらせに該当する。だが、報告書はねつ造だけをやらせと認識しており、その狭い定義に該当しないということで、「『やらせ』はなかった」と言い張っているのだ。

上記に照らせば、この番組では取材側の都合に合わせた、いくつかのやらせが行われていた。それらを報告書は、やらせではなく「過剰な演出」と呼んでいる。いわば一種の「言い換え」である。

●やらせと過剰な演出の間

かつて、テレビ番組のやらせが大問題となったことが何度もあった。1985年、『アフタヌーンショー』(テレビ朝日系)で、制作側が仕組んだ暴行場面が放送された「やらせリンチ事件」。92年、『素敵にドキュメント 追跡!OL・女子大生の性24時』(朝日放送系)で、男性モデルと女性スタッフに一般のカップルを演じさせたケース。同じく92年、『NHKスペシャル 奥ヒマラヤ・禁断の王国ムスタン』での「やらせ高山病」シーン。その後も2007年に、『発掘!あるある大事典2』(関西テレビ系)でねつ造問題が起きている。いずれも番組自体が打ち切りになったり、テレビ局トップの責任が問われたりしてきた。

もしNHKが今回、『クロ現』におけるやらせを認めた場合、ダメージは相当大きいものになるだろう。なぜなら同番組はやらせとは無縁であるべき報道番組であり、NHKの看板番組の一つでもある。その影響を考えれば、是が非でも報告書からやらせという言葉を排除し、あくまで「過剰な演出」という着地を目指した可能性は十分にある。

筆者は『クロ現』という番組自体は高く評価している。社会的なテーマを掘り下げ、内容の質をキープしながらデイリーで伝え続けていることに敬意を表したい。それだけに、今回のような番組作りは残念であり、当事者である記者には憤りを感じる。番組のみならずNHKという公共放送、さらにテレビジャーナリズム全体に対する信頼感を大きく損なったからだ。

今回の報告書では、この記者が関わった他の番組でもB氏を登場させていることに触れている。しかし、その内容について詳細な検証は行っていない。あくまでも、この番組における過剰な演出を指摘することで終わっている。果たして、それでいいのか。

また、くだんのA氏も「今後は、BPO(放送倫理・番組向上機構)の手続きにおいて、私の名誉が回復されるよう努めていきます」というコメントを出している。もしもBPOがこの番組の審議入りを認めることになれば、この問題の本質に迫る“第2章”が始まるかもしれない。

(ビジネスジャーナル 2015.05.02)


碓井広義「ひとことでは言えない」
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4月21日、「民放の日」にテレビの“原点”を考える

2015年04月21日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



ビジネスジャーナルに連載しているメディア時評、碓井広義「ひとことでは言えない」

今日(4月21日)は「民放の日」。

テレビの“原点”について考えてみました。


かつてのテレビは、なぜ面白かったのか
 “本物”の番組は
とてつもない力を持っている!

今から30年前のことだ。当時、番組制作者だった私は、取材で広島県の尾道市にいた。朝から歩き回り、遅い昼食をとるため、一軒の食堂に入った。老夫婦がやっている店で、時間がピークを過ぎていたこともあり、客は私ひとりだった。定食を注文して待っていると、おばあさんが「いつも見ているドラマが始まる」と言って、神棚のような位置に置かれたテレビのスイッチを入れた。

ところが、画面に映ったのは見慣れたドラマではなく、まったくの別番組だった。おばあさんはチャンネルを間違えたと思ったらしく、大急ぎでカチャカチャとリモコンを操作した。ところが、どの局も同じ番組しか映らない。慌てたおばあさんは、厨房のおじいさんを呼んで助けを求めた。

その時、すぐに説明してもよかったのだ。今日、つまり4月21日が、ラジオ16社に民放初の予備免許が与えられた、1951年4月21日を記念する「放送広告の日」(現在は「民放の日」)であること。毎年この日の、この時間に、日本中のテレビ局が一斉に同じ特番を流すこと。つくっているのは私が所属していた制作会社、テレビマンユニオンで、自分がディレクターを務めているのだと。だが、結局は言わなかった。

●ローカルのユニークな番組たち

85年4月21日、午後4時から5時まで、全民放ぶち抜きで放送されていたのは、放送広告の日特別番組『民放おもしろ物語』である。日本民間放送連盟(民放連)の番組だった。

取材などで全国各地を歩いていると、その地方でしか見られないユニークなローカル番組に遭遇できるため、宿泊先でそれらの番組を見ることを楽しみにしていた。同時に、一体どんな人たちが、どんなふうにつくっているのか、ずっと気になってもいた。それが企画として実現したのだ。北海道、福井、大阪など縦断ロケを行い、それぞれの現場に密着した。

『いやはやなんとも金曜日』(福井テレビ)のプロデューサーは、東京からやって来る司会者・高田純次さんを「経費節約だ」と言って、毎週空港まで自分の車で送り迎えしていた。また、「予算はないけれど、魚は豊富」と豪快に笑い、反省会と称する番組終了後の自前の飲み会は、毎回明け方まで続いた。生放送の自社制作バラエティはハプニングの連続で、見ているほうも冷や汗をかくが、目が離せないほど面白かった。

また『夜はクネクネ』(大阪・毎日放送)の制作チームは、街で偶然出会った素人にカメラを向け、そのまま自宅までお邪魔したりしていた。収録の夜は毎回、街の中を複数のカメラマンや照明用のバッテリーを背負った技術スタッフたちが練り歩く。ちょっとした大阪名物だった。

素人と話をするのは、角淳一アナウンサーとタレントの原田伸郎さん。もちろん台本もなく、すべての展開はその場の流れ次第だ。ロケも何時に終わるのか、皆目わからなかい。そんな制作のプロセスも番組の中に取り込んでいく手法は、まさにドキュメント・バラエティーだった。

●本物をつくる

尾道の食堂では、制作者たちの奮闘ぶりがテレビから流れていた。しばらくは当惑していた店主夫妻も、途中から楽しそうに視聴している。

今この瞬間、全国のテレビ局で放送されているはずの同じ番組を、自分も旅先で見ず知らずの人たちと一緒に見ていることの不思議。「つながり」や「共有」といった大仰な話ではないが、テレビが持つ何かとてつもない力に触れた体験だった。

あれから30年。社会もメディアも大きく変化した。もちろんテレビも例外ではない。しかし、どんなに時代が変わっても、人の心が激変したとは思えない。何に笑い、何に泣き、何に感動するのか。その基本的な部分は崩れていないのではないか。目指すは、偽物ではなく本物をつくること。表層ではなく本質を伝えること。テレビだからこそ可能なトライの中に、このメディアの明日があるはずだ。

(ビジネスジャーナル 2015.04.21)