碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

FRIDAYデジタルに、『くるり~誰が私と恋をした?~』について寄稿

2024年05月31日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「記憶喪失ヒロイン×イケメン3人」

王道ラブコメと思いきや…

ドラマ『くるり』がおじさんに刺さるワケ

 

火曜ドラマ『くるり~誰が私と恋をした?~』(TBS系)。記憶喪失のヒロインと彼女を知る3人の男が登場するドラマだ。

当初、美女とイケメンたちの物語は、よくあるラブコメの王道かと思われた。だが、それだではないものがこのドラマにはある。

また視聴率としては可もなく不可もない5%台の数字が続いているが、決して下落してはいない。この状態をキープするのに貢献しているのは、固定のファン層がついているからだと思われ、その中に少なからず「おじさん」の視聴者もいるらしい。彼らを惹きつけているのが、主演の「めるる」こと生見愛瑠(ぬくみ める)の存在だ。

本稿では、「ホップ・ステップ・ジャンプ」ともいえる生見の軌跡を振り返りながら、おじさんたちをも巻き込む彼女の魅力を探ってみたい。

◆ホップ:

「発見ドラマ」としての『日曜の夜ぐらいは…』

生見の快進撃は、2023年春のドラマ『日曜の夜ぐらいは…』(ABCテレビ・テレビ朝日系)から始まった。

この作品は、どこにでもいそうな3人の女性が織りなす、異色の友情物語だった。サチ(清野菜名)は、足の不自由な母(和久井映見)を支えながら働いている。翔子(岸井ゆきの)は1人暮らしのタクシー運転手だ。

そして地方在住の若葉(生見)は、祖母(宮本信子)と同じ工場に勤務している。共通するのは、それぞれが鬱屈を抱えながら日々を生きていたことだ。

会うはずのない3人が知り合ったのは、あるラジオ番組のリスナー限定バスツアーだった。初対面なのにどこか気が合い、互いに友だちを得たように感じる。

その一方で、「友情」に対して、「後悔」や「裏切り」といったネガティブな言葉が思い浮かぶ3人は、無理をしてまで互いに距離をとったりする。このあたりの微妙な感情を、脚本の岡田恵和が繊細にすくい上げていた。

バスツアーの最中、一緒に買った3枚の宝くじ。その中の1枚が3000万円当たったことで物語にドライブがかかる。再会して均等に分け合うが、その後は慣れない大金に戸惑い気味だ。結局、「共同出資でカフェを開こう」という話になる。

若葉の有り金を持ち去る母親(矢田亜希子)や、サチに金の無心をする父親(尾美としのり)といった“障害”を乗り越え、翔子の口癖である「つまんねえ人生」を変えることはできるのか。生きることに不器用で、幸福になることを恐れているような彼女たちが、何とも切なく愛おしかった。

中でも若葉は、自分の美しさや目立つことがコンプレックスという「ねじれ感」が痛々しい。何もしていなのに異性の関心を集めたり、そのことで周囲の同性から嫉妬されたり、いじめられたりしてきたからだ。

等身大の女性の喜怒哀楽をナチュラルな演技で表現した生見は、第33回「TV LIFE 年間ドラマ大賞」助演女優賞を受賞した。多くのおじさんたちが生見愛瑠を「発見」したのが、このドラマだ。

◆ステップ:

「成長ドラマ」としての『セクシー田中さん』

次に生見が挑んだのが、後に原作漫画家の死をめぐる騒動が起きてしまった、23年秋の『セクシー田中さん』(日本テレビ系)だ。

派遣OLの朱里(あかり、生見)は、同じ会社の経理部で働く「田中さん」こと田中京子(木南晴夏)の秘密を知る。仕事は完璧だが、見た目は地味で暗いアラフォーだ。ところが、彼女にはセクシーなベリーダンサーという「別の顔」があった。

子どもの頃から周囲とうまく交わることが出来ず、自分を封印しながら生きてきた、田中さんが言う。「ベリーダンスに正解はない。自分で考えて、自分で探すしかない」と。

一方の朱里は、誰からも好かれる「愛され系女子」だ。しかし、誰からも好かれるが、誰かから「本当に好かれた」という実感がなく、モヤモヤしていた。また、不安定な派遣の仕事を続ける中で、不幸にならないための「リスクヘッジ」ばかりを意識してきた。

他人にどう思われようと気にしない田中さんに対する「推し活」を通じて、朱里は徐々に変わっていく。自分の価値観に従って生きようとし始めるのだ。

その様子が、どこか生見自身の進化と重なって見えた朱里はもちろん、生見の「成長物語」としても秀逸だったこのドラマで、第118回「ザテレビジョンドラマアカデミー賞」助演女優賞を受賞する。

◆ジャンプ:

「主演ドラマ」としての『くるり~誰が私と恋をした?~』

現在放送中の『くるり~誰が私と恋をした?~』は、生見のゴールデン・プライム帯での連ドラ「単独初主演」となる作品だ。

まこと(生見)は階段からの転落事故で記憶を失ってしまう。名前はもちろん、自分に関する情報は皆無。唯一の手掛かりは、ラッピングされた男性用の指輪だった。

やがて、彼女を「知っている」という男たちが現れる。会社の同僚で「唯一の男友達」と称する朝日(神尾楓珠)。フラワーショップの店主で、「元カレ」だという公太郎(瀬戸康史)。さらに偶然出会った年下の青年・律(宮世琉弥)だ。

自分が何者で、何をしてきたのか。周囲の人たちにとっての自分は、一体どんな人間だったのか。それが分からないことが一種のサスペンス性を生む。まことは自分のことを知りたいが、同時に「少し怖い」とも思っている。記憶を失くした今の自分から見て、「好ましい自分」かどうか、分からないからだ。

その一方で、別の考え方があることも知った。記憶喪失は、「自分らしさ」という呪縛から自由になることであり、人生の「リセット」が出来るかもしれないのだ。

このドラマ、始まる前は単純な記憶喪失ドラマかと思われた。しかし、そうではなかった。注目すべきは、「過去の自分」探しと「未来の自分」作りが同時進行していく、物語の新しさだ。そこには「本当の自分とは?」という普遍的なテーマが潜んでいる。

しかも、そんなテーマを持ちながら、この作品は暗くもなく、重たくもない。生見が持つ生来の「明るさ」がドラマの基調トーンを支えているのだ。

生見の演技は、「私を見て」とか「私はここにいる」といった自己主張をしない。「自分をよく見せよう」とは思わない、無欲ともいえる究極の「自然体」。自分が演じる女性にひたすら共感することで役柄になり切るのが、生見愛瑠という俳優の魅力だ。見る側は、そんな生見と一体化したヒロインをつい応援したくなる。

ドラマは終盤へと差し掛かってきた。徐々に扉を開きはじめた記憶は、まことに何をもたらすのか。それは分からない。だが、どんな展開が待っていようと、まこと=生見が不幸にならないことだけを、おじさんたちはひたすら祈っている。

(FRIDAYデジタル 2024.05.28)


FRIDAY DIGITALで、7月期フジ月9『海のはじまり』について解説

2024年05月25日 | メディアでのコメント・論評

 

 

目黒蓮の主演作なのに…

〝恋愛封印〟に方向転換した7月期フジ月9

『海のはじまり』の勝算を占う

 

人気グループ『Snow Man』の目黒蓮(27)が7月スタートの『海のはじまり』でフジテレビ月9初出演にして主演することが発表された。同作品は親子の愛をテーマにしたオリジナル作品で、目黒は父親役に初挑戦。元恋人が他界した後、彼女がひそかに産んでいた6歳の娘と出会うという難役に挑むことになった。

「フジは春の改編で旧ジャニーズ事務所所属グループの冠番組4本を終了させるなど、同社の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題を受け、旧ジャニーズ勢の起用を自粛していました。

しかし、TVerの再生回数や、重視している13歳から49歳までのコア視聴率稼ぎのためか、何事もなかったかのように旧ジャニーズ勢の起用を再開。7月期の金9枠では『Hey! Say! JUMP』の山田涼介(31)が主演を務める学園ドラマ『ビリオン×スクール(仮題)』が放送されます」(放送担当記者)

『海のはじまり』の制作陣には、目黒が難聴を抱える青年役を好演し、社会現象を巻き起こした’22年10月期の同局系『silent』のスタッフが集結。脚本を生方美久氏、演出を風間太樹氏、プロデュースを同局の村瀬健氏が担う。

同局の看板枠である月9は、昨年の7月期では’16年7月期の『好きな人がいること』以来、7年ぶりの王道ラブストーリーである『真夏のシンデレラ』を放送。以後、今年1月期の『君が心をくれたから』や、現在放送中の『366日』はいずれも悲恋のラブストーリーだ。

しかし、今作では旧ジャニーズ所属で若い女性に大人気の目黒が主演にもかかわらず、目黒の相手役として天才子役として注目を集める泉谷星奈(いずたに・らな、6)を起用。ラブストーリーではなく〝親子もの〟にしたのだ。

やはり生方氏、村瀬氏ら『silent』のスタッフが集結した昨年10月期の木10『いちばん好きな花』は多部未華子(35)、松下洸平(37)、今田美桜(27)、神尾楓珠(25)が〝クアトロ主演〟。「男女の間に友情は成立するのか」をテーマに、違う人生を歩んできた4人の男女が紡ぎ出す「友情」と「恋愛」、そしてそこで生まれるそのどちらとも違う「感情」を描くという斬新なドラマだった。

同作品はネット上では放送回の度に好評だったが、平均世帯視聴率は全11話で5.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)とあまりふるわなかった。そして、今作は月9で旧ジャニーズ&子役という新たな方向にカジを切ったこととなるが、果たしてドラマの〝勝算〟はあるのか?

メディア文化評論家・碓井広義氏は、「これは目黒蓮のドラマというよりも、脚本の生方美久のドラマというふうに見ています」と指摘する。

「『silent』は広い意味では恋愛ドラマですが、いわゆるイメージとしてパッと浮かぶ男女の恋愛ドラマとはちょっとずれていました。ハンディキャップを抱えた青年の生きづらさを描いた〝恋愛〟ドラマだった点が多くの人の共感を呼んだのです。

今回は『家族』や『親子』がテーマのようですが、生方さんのドラマだから、ストレートなファミリードラマではない。多分に苦みも伴うような〝親子〟の物語、〝家族〟の物語になっていると思うんですよね。『家族』の形が多様化していっている現代に、家族というものをこれまでとは違った視点でテーマ化していく、ドラマ化していくっていうのは、十分にやる価値のあるトライです。

これまでのような恋愛系で中途半端に評判をとって支持を集めていたら、こうはならなかったかもしれないけども、やっぱり、フジテレビとしてもこういう試みをしていく必要が生まれてるんじゃないでしょうか」(碓井氏)

では『silent』放送時の〝再来〟のように社会現象的なヒット作となるのだろうか。

「視聴率的には決してドカンとくることはないと思っています。生方さんのドラマって、いい悪いは別にして地味なので(笑)。ただ、そこにじわじわと伝わる共感性というか、共振性とでもいうべき連ドラならではの味わいがあるので、見た目の視聴率よりも大きな反響を呼ぶ可能性はありますよね」(同前)

フジ月9は注目される枠であるがゆえに放送される作品は話題作となることが多いのだが、『海のはじまり』は久しぶりに〝いい意味での〟話題作となるだろうか。

(FRIDAY DIGITAL

 


「ひよっこ」たちがスタートを切る季節

2024年04月02日 | メディアでのコメント・論評

 

 

4月になりました。

街で、新入生や新入社員の姿を見かけます。

新人たちがスタートを切る季節。

今から12年前の4月、「東京新聞」に寄稿したコラムがあったことを思い出しました。

当時は大学の教員だったこともあり、自分のゼミの卒業生を含め、新たに社会に出る皆さんへのエールのつもりで書いたものです。

ちょっと懐かしさもあり、再録してみますね。

 

 

新入社員の皆さんへ


毎年、この時期に読み返すのが、山口瞳さんの『新入社員諸君!』だ。

今、手元にあるのは、社会人になった昭和五十三(1978)年の春に購入した角川文庫版。かなりよれよれだが、今年もページを開いた。

どんなに時代が変っても、変わらない真理みたいなものが、ここにはあるからだ。

山口師曰く、

「まず、会社へはいったら、学校とちがっていろんな人間がいることを知っておいてください」

そう、キツネもタヌキも、オオカミだって生息するのが会社だ。でも、だからこそ一人ではできない仕事も可能になる面白さがある。

また師曰く、

「誠心誠意ではたらき有能な社員になってください。有能な社員とは、役に立つ社員のことです。役に立つ社員とは、何か自分のものを持っている社員のことです」

これも至言だ。いま“自分のもの”として何を、どれだけ持っているのか。新人じゃなくても、常に再点検すべきなのだ。

さらに山口さんは言う。

「新入社員よ、ボヤキなさんなよ。ブウブウいうなよ。キミタチは新人なんだよ。一所懸命やれよ。勉強しなさいよ。勉強といってもいろんな勉強があるんだよ。それを知るのが勉強なんだ」

社会に出ると、自分が、いかに無知であるかがわかってくる。そんな時、この言葉に励まされた。

新入社員の皆さん、しばらくは大変だけど、まずは一人前を目指そう。 

(東京新聞 2012.04.04)


サンデー毎日に、「昭和のおじさんドラマ」について寄稿

2024年02月29日 | メディアでのコメント・論評

発売中の「サンデー毎日」2024年3月10日号

 


日刊ゲンダイで、「セクシー田中さん」問題について解説

2024年02月02日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「セクシー田中さん」問題

日テレの対応に相次ぐ批判

原作者とドラマ制作サイドの溝は

埋められなかったか

 

なんとも痛ましい結末に波紋が広がっている。

ドラマ「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子さんが脚本家の書いた内容に納得がいかず、最後の2話の脚本を自ら書いたうえ、その経緯をSNSで説明した後、1月29日に亡くなった。

日本テレビは29日、同作の公式サイトで哀悼の意を表するとともに、「日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております」と発表。

しかし、ネット上では、「日テレのコメントが残念すぎる」「自己弁護が過ぎる」と批判が相次いだ。

■粗製乱造されている感は否めない

一方、多くの漫画家や脚本家が、X上でこの件に関する感想や意見を書き込む事態に

発展。テレビコラムニストの桧山珠美氏はこう話す。

「今は配信や深夜のドラマなども含め、本当に漫画原作のドラマが増えている。現場は時間に追われ、粗製乱造されている感は否めない。#Metoo運動ではないですが、原作者と制作者のこうした行き違いは今後さらに出てくるかもしれません。

亡くなった芦原さん原作のドラマで言えば、『砂時計』というのが、2007年にTBSで実写化されていて、すごくよかったんです。その後、映画化もされ、原作の漫画も読んだけど、そちらもよかった。

今回の件の詳細は分かりませんが、まだ作品が続いている中で、原作者としては、自分の作品を大切にしたかったのではないか。いずれにせよ、ファンにとっては、この後の話の続きも読めなくなってしまったわけで、残念でしかありません」

原作へのリスペクトの欠如は多くの関係者が指摘するところだが、一方でこんな声も

ある。ドラマ関係者の話。

「今はヒット漫画の原作などではないと、企画も通りにくい。ドラマになれば、作品の知名度も上がり、出版社や作家とはウィンウィンの関係なのだから、本音をいえば、原作者にはある程度任せてほしい。実際、『ドラマと原作は別物と考えている』と公言している作家や漫画家もいる。しかし、芦原さんはそれに納得がいかなかったということです」

ドラマ制作の現場にも詳しい、メディア文化評論家の碓井広義氏はこう話す。

「この件に関しては、論点はたくさんあると思います。ともあれドラマの根幹は“どんな人物が何をするのか”にあります。小説や漫画など原作があるものは、そのクリエーティブのコア部分を原作に借りているわけで、特に漫画原作はビジュアルイメージもすでにあり、その度合いは高い。

一方で、それを単純にシナリオ化して見せればドラマになるかというとそうでもない。制作サイドは、そこにいろいろな要素を盛り込んだり、ドラマ的なアレンジを加えたりします。

いずれにせよ、原作者である漫画家がシナリオを書く事態にまでなってしまったことは、極めて異例なことです。やはり、プロデューサーなりが、そうした事態に陥る前に、原作者と脚本家の間に立って、丁寧に調整する作業が必要だったのではないでしょうか」

この問題、まだまだ関係各所に影響が広がりそうだ。

(日刊ゲンダイ 2024.02.01)

 


脚本家・山田太一は 人間と社会の「実相」を見つめ続けた

2024年01月16日 | メディアでのコメント・論評

 

 

脚本家・山田太一は

人間と社会の「実相」を見つめ続けた

 

2023年11月29日、脚本家の山田太一が89歳で亡くなった。1970年代から80年代にかけて、倉本聰や向田邦子などと共に「ドラマの黄金時代」を支えた大御所のひとりだ。追悼の意味で、忘れられない山田作品を振り返ってみたい。

■人間ドラマとしての「男たちの旅路」

「男たちの旅路」(NHK、1976~82年)は、ドラマ史上に残る名作のひとつだ。警備会社でガードマンとして働く特攻隊の生き残り、司令補の吉岡晋太郎(鶴田浩二)の印象が今も消えない。

部下である杉本陽平(水谷豊)や島津悦子(桃井かおり)たちとの世代間ギャップ。今を生きる人間同士としての本音のぶつかり合い。それまでのドラマにはなかった視点と緊張感に満ちた物語が展開された。

たとえば、77年放送の「シルバー・シート」。杉本と悦子が担当していたのは空港警備だ。いつも構内で本を読んでいる本木老人(志村喬)を、他のガードマンたちは邪魔者扱いするが、2人は何かと気遣っていた。

ある日、本木がロビーで亡くなってしまう。彼が暮らしていた老人ホームを訪れ、本木の仲間たちと出会う杉本と悦子。だが数日後、その老人たち(笠智衆、殿山泰司、加藤嘉、藤原釜足)が都電を占拠し、立てこもる。

彼らの言い分で浮き彫りになる、「老いた人」を敬わない社会の理不尽とやるせなさ。警備ドラマというジャンルを超え、人間ドラマとしての深みに達したこの作品は、77年度の芸術祭大賞を受賞した。

■テレビ史上の事件「岸辺のアルバム」

「岸辺のアルバム」(TBS系、77年)は、それまでのほんわかとしたホームドラマの概念をがらりと変えてしまった、テレビ史上の事件だ。そこでは、「家族の崩壊と再生」という重いテーマが表現されていた。

八千草薫が演じたのは、ごく普通のサラリーマン家庭の主婦・田島則子だ。貞淑な妻であり、しっかり者の母である則子が、電話を通じて知り合った男(竹脇無我)とラブホテルに入る。

良妻賢母役を演じることが多かった八千草だったからこそ、インパクトが尋常ではなかった。主婦と呼ばれる女性たちの“心の揺れ”を見事に見せてくれたのだ。

女としての母、企業人としての父(杉浦直樹)、アメリカ人の恋人に裏切られる長女(中田喜子)、そして傷つきやすい性格の長男(国広富之)。家族は皆、家の中とは違った顔を隠し持っている。それは切なく、また愛すべき顔だ。

最終話では、“家族の象徴”である自宅が大雨で多摩川に流される。濁流にのまれる寸前、彼らが持ち出したのはアルバムだった。ラストでは、下流で見つけた自宅の屋根に4人が乗り、笑い合う。

しかし、そこに「これは3年前の一家で、いまこの4人がどんな幸せにいるか、どんな不幸せを抱えて生きているかは視聴者に委ねる」という趣旨のテロップが入る。見る側に“考える余地”を残したことで、多くの人が共感できる作品となった。

■劣等感を生きる青春群像「ふぞろいの林檎たち」

「ふぞろいの林檎たち」(TBS系、83~97年)の主人公、仲手川良雄(中井貴一)は“四流大学”に通う学生だ。友人の岩田健一(時任三郎)や西寺実(柳沢慎吾)と共に「ワンゲル愛好会」をつくり、外部の女子大生に接触しようとする。

有名女子大の水野陽子(手塚理美)、宮本晴江(石原真理子)、谷本綾子(中島唱子)が加入するが、本当の女子大生は綾子だけだ。陽子と晴江は看護学校の生徒であることを隠していた。いつも女子大生より低く扱われることへの反発だった。

このドラマが秀逸だったのは、「劣等感を生きる若者たち」を正面から描いていたことである。学歴や容貌に不安や不満を感じて苦しむ若者たち。たとえば、会社訪問をすれば学歴差別は当たり前で、大学によって控室も違った。

彼らは、今でいうところの「負け組」に分類され、浮上することもなかなか許されない。何より、本人たちが自分の価値を見つけられず、自ら卑下している姿が痛々しかった。

放送された80年代前半、世の中はバブルへと向かう好景気にあった。誰もが簡単に豊かになれそうなムードに満ちていた。

しかし、「ふぞろい」な若者たちにとって、欲望は刺激されても、現実は甘くない。その「苦さ」と、きちんと向き合ったのが、このドラマだった。その後、30代になった彼らを描くパート4まで、14年にわたってシリーズが続いた。

■震災と被災者に向き合う「時は立ち止まらない」

「時は立ちどまらない」(テレビ朝日系、2014年)は、東日本大震災をテーマとする、いわゆる震災ドラマだった。ただし山田太一が書く以上、薄っぺらな「絆」や「つながり」、安易な「涙」に満ちた「いい話」にはなっていない。

震災で妻と息子の嫁と結婚を控えた孫を失った老人(橋爪功)が言う。援助される自分は「ありがとうと言うしかない」。だがそんな立場は「俺のせいか?」とも思う。「他人の世話になるのが嫌なんだ」という告白も飛び出す。そこにあるのは支援される側の“心の負担”の問題だ。

また被災地に暮らしながら、家も家族も無事だった男(中井貴一)は、何も失っていないことに“罪悪感”を抱いている。「不公平だ」とさえ言い、「自分の無事が後ろめたいんです」と悩んでいる。さらに、支援する側の「そうそう他人の身になれるか」という“反発心”も、山田は見逃していない。

震災から3年。復興には程遠い状況にもかかわらず、被災地以外の世間では、すでに風化の兆しさえ見え始めていた。そんな中で、山田は「相反する思い」が同居する当事者たちの心情を、巧みなストーリーとセリフで描いていく。本当の意味での「絆」を問いかけた問題作だ。

■山田ドラマに登場する人物は市井の人たち

山田ドラマに登場する人物は、いずれも市井の人たちだ。彼らの喜び、悲しみや痛み、そしてずるさや邪心も丁寧にすくい上げていた。その日常の中から静かに浮上してくるのは、人間と社会の普遍的な「実相」だった。

(日刊ゲンダイ 2024.01.13)


日刊ゲンダイで、「紅白歌合戦」について解説

2024年01月05日 | メディアでのコメント・論評

 

NHK紅白「史上ワースト視聴率」の必然…

ダンス合戦と化し、

他局の伝説番組持ち出した

“なんでもない”歌番組に

 

 年明け芸能ニュースの皮切りとなった、大みそかのNHK紅白歌合戦のワースト視聴率更新。これは関係者には事前に予想され、想定内のことであったらしい。ビデオリサーチによると、第1部では初の30%割れ(関東地区世帯平均=以下同)。ヤマ場とされる第2部も、2部制となった1989年以降で過去最低、前年比3.4ポイント減の31.9%だった。

 今回、44年ぶりのジャニタレ一掃となったが、右肩下がりの視聴率はジャニタレが何組も出場していたころからの流れ。むしろ、「ジャニーズ枠」の撤廃により中高年世代を中心に視聴者の興味関心が戻っていたらしい。

「ところが、蓋を開けてみたら、韓国勢ばかり。K-POPのアイドルたちが入れ代わり立ち代わりダンスしたりしても、メイン視聴者の中高年には通じず、戸惑いの声がホールから上がっていました」

現場で取材をした某スポーツ紙芸能記者はそう振り返る。記者団が最も盛り上がったのは三山ひろしが歌唱中に行った、けん玉リレーによるギネス世界記録チャレンジだったというから、歌番組として末期的である。

■老いも若きも見る価値なしと判断

 今回NHKは番組テーマに「ボーダレス―超えてつながる大みそか―」と掲げたが、ラストは対抗形式の締めとばかりに勝敗を決めるマンネリぶり。テレビ離れが続く中、テレビを見る視聴者の7割が見ていないなんて、紅白がもはや国民的番組ではないことは明らか。老いも若きも、紅白は見る価値がないと判断したのではないか。

「昨年は中年世代にお馴染みのフォークシンガーの松山千春さんが、コンサートの舞台で紅白について『出ないよ、俺は』と言い切ったものです。NHKの幹部が楽屋にやって来て、紅白についてどう思うかと聞かれたのだとか。もともと歯に衣着せぬ人ですが、このときはさらに『NHKごときにここに立て、あれを歌えと指図されるような歌手じゃない』との持論をぶっていた。出場歌手や構成うんぬんもそうですが、それより前段階として、千春さんのように紅白出場を打診されても応じない歌手が少なからずいるのでしょうね」と、前出の取材記者は言った。

 今回も中森明菜ら多くの人気歌手の出場が取り沙汰されたが、いずれも実現しなかった。国民からの高い受信料をふんだんに使い、どれだけ演出に凝ったところで、肝心の中身が薄っぺらの、空っぽ同然では話にならない。

「視聴率を巻き返せなければまたぞろ打ち切り説が浮上していく。職員有志のリポートで、そのことが会長はじめ検討されていると、スッパ抜かれたこともありますよね。それらが、ますます現実味を帯びてくるとみて間違いないんじゃないですか」(NHK関係者)

「蛍の光」でさよならは、紅白歌合戦という番組そのものかも知れない。

識者はこう見た! 今回の紅白

 番組史上ワースト視聴率を更新した今回の紅白を専門家たちはどう見たか。

 メディア文化評論家の碓井広義氏はこう話す。

「確かに全体がK-POPショーに見えてしまいました。まるで岸田内閣がパーティー券の問題で安倍派をパージして新たな大臣を据えたように、ジャニーズに代わる安易な『穴埋め感』は否めませんでした」

 TVコラムニストの桧山珠美氏もこう続ける。

「歌合戦というより、“紅白ダンス合戦”という感じでした。ジャニーズが大量に出る以上に中高年は置いてけぼりでしょう。ただ“懐かし枠”でも、鈴木雅之や郷ひろみはもういいのではないでしょうか。黒柳徹子が出てきて『ザ・ベストテン』の話をしながら薬師丸ひろ子や寺尾聰が登場するのはいいですが、そもそも他局だし、だったらベストテンでいいじゃんと(笑)」

今回、2回目の司会となる橋本環奈(24)のソツのなさもあって、進行自体はスムーズだったが、全体のおよそ4割は他のコンサート会場や別スタジオからの中継だった。

「NHKホールに集まった観客はさめていたでしょうね。山内恵介は浅草の商店街で歌わされて気の毒でした。伊藤蘭ちゃんのキャンディーズメドレーも、現場は盛り上がっていましたが、考えてみれば、半世紀前にすでに現在の“推し活”をやっていた元親衛隊のオジサンたちにも時の流れを感じました」(桧山氏)

 碓井氏は「全体として熱量が低く、盛り上がりに欠けた紅白でした」としてこう話す。

■まさに「ボーダレス」だが印象は皆無

「一見、バラエティーに富んではいるものの、これといった核になるものがなく、番組のメッセージ性も感じられない。番組のテーマが『ボーダレス』なので“なんでもあり”ということですが、それはすなわち“なんでもない”ということ。中継が多いこともあって、まさにそうした散漫な印象に終わってしまった。確かに、時代と乖離した“男女対抗歌合戦”の色を極力排しており、『年末の大型音楽番組』としては過渡期だと思いますが、歌い手も楽曲の選定もすごく安易なものを感じました」

 その熱量の低さが視聴率にもハッキリ表れたというわけだ。

(日刊ゲンダイ 2024.01.04)

 

週刊ポストで、『ブギウギ』の「師弟愛」について解説

2023年12月10日 | メディアでのコメント・論評

 

 

どんな苦難も乗り越える

『ブギウギ』師弟愛の

”仰げば尊し”

 

戦争の苦難にもがきながら、もっと大きなスター歌手になりたいと奮闘するヒロイン・スズ子(趣里、33)の瞳の先にはいつも師である羽鳥善一(草なぎ剛、49)がいる──。NHK朝ドラ『ブギウギ』で描かれるヒロインと天才作曲家の「師弟愛」が、とにかく素敵なのだ。

2人の師弟関係が強固になったのは、スズ子が1.5倍の給料を提示されたライバル会社への移籍騒動を乗り越えた時だ。“日本ポップス界の父“と称される作曲家の服部良一さんをモデルにした羽鳥は、「これを見ても君の心が変わらないなら仕方がない」とスズ子のために作っていた曲の楽譜を渡し、スズ子も師が手がけた歌を歌いたいという自分の思いに気づく。

メディア文化評論家の碓井広義氏が語る。

「大騒動を起こしてしまい、“自分には歌う資格がない“と落ち込むスズ子に羽鳥が『これからも人生にはいろいろある。まだまだこんなもんじゃない。嬉しい時は気持ちよく歌って、辛い時はやけのやんぱちで歌うんだ!』と語ります。

このセリフは、その時々の感情のまま歌って表現するというスズ子の原点を気づかせると同時に、“ショービジネスはそんな甘っちょろいものではないよ“とこの世界で生きる覚悟を伝える意味も込められている。羽鳥とスズ子の師弟愛が伝わる場面でした」

戦時下で自由に歌えなくなり思い悩むスズ子に対し、自らの信念を貫く歌手・茨田りつ子(菊地凛子)の公演のチケットを渡すなど、スズ子が奮起するような機会をさりげなくアシストするのも羽鳥だった。

切っても切れない

たまたま初回放送を観て『ブギウギ』にハマっているというお笑いタレントの村上ショージ(68)は、自身の師匠と重ねてこう振り返る。

「僕は20歳を過ぎて吉本に入り、ほんわかした雰囲気で優しそうだった滝あきら師匠に弟子入りを志願したんです。声を荒らげることもなく生き様も面白い人で、義理人情を大切にする師匠でした。飄々としていつも優しそうな表情を浮かべている『ブギウギ』の羽鳥さんに雰囲気が似ています。

ただ、羽鳥さんのように熱心に指導するタイプではなく、師匠は僕に対して『このネタ面白いか』とよく意見を求められました。面白くないなんて言えないからどんなネタにも『はい! 面白いです』と言うてましたら、師匠は舞台に出てスベっていました(笑)。僕の『スベり芸』は師匠譲りかもしれません」

スズ子と羽鳥のように、昭和の時代に師匠のもとで学ぶことができたのは幸せだったと村上は語る。

「今は若い芸人でも賞レースに出てドンと売れるし、ユーチューブなどで人気が出ればメシを食べていけます。師匠のもとで修業しなくても自力で道を切り拓けるのは悪いことではない。でも『弟子入りさせてください』と言ってくる若手もいなくなり、昔ながらの師弟関係がなくなったのは少し寂しいですね。

だからこそ『ブギウギ』で描かれる師弟関係は僕ら世代にどストライクで、お互いを認め合って高め合う2人を見ると、師匠とのことも思い出して温かい気持ちになります。僕には50過ぎた弟子もいますが、師匠と弟子というのは切っても切れない関係なんです」

分け合う関係

歌のレッスンは厳しくても、それが終われば羽鳥の家族とも一緒に楽しく食事をする。そうした師弟関係も描きたかったと『ブギウギ』制作統括の福岡利武氏は語る。

「スズ子が羽鳥の家で、彼の家族と食卓を囲むシーンも多く、2人はやがて家族ぐるみの付き合いになっていきます。昭和の時代は、そのような師弟関係は珍しくありませんでしたが、今の時代はなかなかないと思います。モデルとなった笠置シヅ子さんと服部良一さんは“純粋に良いものを生み出そう“という思いを共有している関係が素敵だなと思いまして、そのような関係性をドラマでも強調して描きたいと考えました」

ただし、令和の時代だけに、上下関係にある羽鳥とスズ子の描き方には注意を払ったという。

「ハラスメントに厳しい時代なので、台本を作る上で羽鳥の指導がパワハラに映らないように気をつけました。レッスン中に羽鳥が何度も歌の出だしをやり直させるシーンでは、『もう一度』と繰り返す草なぎさんの芝居がどこかコミカルでしたし、スズ子が追い詰められるような描き方にならないようにしました」(同前)キーマンとなる羽鳥役を草なぎに託したことで「嬉しい誤算」もあったと福岡氏は続ける。

「僕は大河ドラマ『青天を衝け』(2021年)でも草なぎさんとご一緒していますが、その時、草なぎさんが演じたのは“最後の将軍“徳川慶喜で複雑な感情を抱える難しい役柄でした。一方、撮影現場でお話しすると、草なぎさんご自身が持つ明るさが素敵だなと思っていました。

『ブギウギ』のキーマンである羽鳥は、音楽への純粋な思いを持ち、戦時下でも明るさを失わない前向きなキャラクターにしたかった。それで草なぎさんがピッタリだと思い、オファーしました。実際に草なぎさんの芝居を見ると、こちらが想像していた倍以上に明るく前向きな羽鳥を作り上げていただいたのは嬉しい誤算でした」

前出の碓井氏が言う。

「将棋の藤井聡太八冠の師匠である杉本昌隆八段は『師匠は技術や魂を弟子に伝承し、弟子はひたむきさを師匠に伝える。その姿を見て師匠は刺激を受ける』と語り、こうした師弟関係を“分け合う関係“と表現していました。

ならば、スズ子と羽鳥の関係も“分け合う関係“という表現がしっくりきます。男女という枠を超えて、音楽で結びつき、互いのひたむきさから刺激や励みを分け合っている。そうした理想的な師弟関係が、視聴者の胸に響くのでしょう」

師匠の厳しくも温かい愛を糧に、スズ子はスターダムへと駆け上がる。

(週刊ポスト 2023年12月15日号)


デイリー新潮に、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」幻の続編について寄稿

2023年12月04日 | メディアでのコメント・論評

 

 

放送40周年

「ふぞろいの林檎たち」 

実は2時間スペシャルの続編

「パートV」が計画されていた

 

サザンオールスターズの「いとしのエリー」を聴くと、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」のオープニングが頭に浮かぶという50代以上の人も少なくないのではないか。

初回放送から40年を経て、山田太一氏による幻の未発表シナリオが見つかった。メディア文化評論家の碓井広義氏が、放送されたパートIVまでを振り返りつつ、幻となった続編を読み解く。

 

1983年5月27日(金)の夜、テレビからサザンオールスターズが歌う「気分しだいで責めないで」が流れてきた。連続ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)第1話の始まりだった。

いやいや、新宿の高層ビル群をバックに、真っ赤なりんごがスローモーションで投げ上げられる映像に重なる曲は「いとしのエリー」ではないか、と言いたい人は多いはずだ。しかし、「いとしのエリー」が使われたのは第2話からだったのだ。

全10話の物語は7月29日に幕を閉じたが、最終的には97年のパートIVまで制作された。

そして今年の秋、書店に並んだのが、脚本家・山田太一の新刊だ。山田太一:著、頭木弘樹:編集・解説「山田太一未発表シナリオ集~ふぞろいの林檎たちV/男たちの旅路〈オートバイ〉」(国書刊行会)である。

「男たちの旅路」(NHK)も「ふぞろい」と同様、山田の代表作だ。「未発表」ということは、どちらも制作されなかったシナリオということになる。「ふぞろい」に続編計画があったこと、シナリオが完成していたこと、しかも制作されなかったことに驚いた。

このパートVの内容を紹介する前に、それまでの流れを振り返ってみたい。

パートI(83年5~7月)全10話

仲手川良雄(中井貴一)は、「四流」と揶揄される大学の学生だ。ある日、一流大学医学部のパーティーに紛れ込む。しかし、部外者であることが発覚し、「学校どこ?」と冷笑されてしまう。

良雄は同じ大学の友人、岩田健一(時任三郎)と西寺実(柳沢慎吾)と共に「ワンゲル愛好会」を作る。目的は外部の女子大生に接触することだった。

有名女子大の水野陽子(手塚理美)、宮本晴江(石原真理子)、谷本綾子(中島唱子)が加入するが、本当の女子大生は綾子だけ。陽子と晴江は看護学校の学生であることを隠していた。自分たちが女子大生より低く扱われることへの反発だ。

女性経験がないことを気にする良雄は、個室マッサージ店に入る。そこで再会したのが、医学部のパーティーにいた伊吹夏恵(高橋ひとみ)だ。良雄は夏恵の自宅に呼ばれ、彼女が東大卒の本田修一(国広富之)と同棲していることを知る。

やがて就職活動が始まった。それまで「一流」に反発してきた健一だが、自分が一流会社に入れそうになると意識が変わっていく。しかし、その夢もすぐに崩れ去る。

ラーメン屋の息子である実は、綾子がくれる小遣いを目当てにつき合い始める。だが、彼女は裕福な家の娘ではなく、アルバイトで金を工面していた。そのことを知った実は、綾子の良さを認め始める。

良雄の実家は酒店だ。兄の耕一(小林薫)が跡を継いでいたが、妻の幸子(根岸季衣)は病弱で子どもが産めないでいた。母の愛子(佐々木すみ江)は耕一に離婚を促す。苦しんだ幸子は家出するが、耕一は「幸子じゃなきゃ嫌なんだ!」と宣言。その場にいた良雄たちは感動する。

再び就活に挑む「林檎」たち。会社訪問をすれば学歴差別は当たり前で、大学によって控え室も違った。しかし、健一が言う。「胸、張ってろ。問題は、生き方よ」と――。

このドラマが秀逸だったのは、「劣等感を抱いて生きる若者たち」を正面から描いていたことだ。四流大学の男子大学生、看護学校の女子学生、太っていることでモテない女子大生など、いずれも学歴や容貌に不安や不満を感じて苦しむ若者たちだった。

彼らは今でいうところの「負け組」に分類され、浮上することもなかなか許されない。何より、本人たちが自分の価値を見つけられず、自ら卑下している姿が痛々しかった。

放送された80年代前半、世の中はバブルへと向かう好景気にあった。誰もが簡単に豊かになれそうなムードに満ちていた。

しかし、「ふぞろい」な若者たちにとって、欲望は刺激されても現実は決して甘いものではない。その「苦さ」ときちんと向き合ったのが、このドラマだった。

パートII(85年3~6月放送)全13話

パートIの放送から2年後。良雄は運送会社に就職している。健一と実は同じ工作機械メーカーの営業代理店の社員だ。

綾子はまだ学生だが、陽子と晴江は看護師になっていた。修一は夏恵が受注してくるプログラミングの仕事を自宅で行っている。

健一と陽子はつき合っているが、価値観の違いが目立つようになった。良雄と晴江は、まだ恋人関係とはいえない状態だ。そして実と綾子の交際は続いている。

健一に引き抜きの話があり、「二人でもっといいとこへのし上がるんだ」と実を誘うが、「その先に何があるんだ?」と反発される。結局、健一は会社を移り、実は残った。

自分が看護師に向かないと感じていた晴江は、青山のクラブなどの水商売の世界に入っていく。

パートIII(91年1~3月放送)全11話

パートIIから6年後。晴江が自殺未遂を起こし、みんが集まってくる。彼らも20代の終わりになっており、結婚した実と綾子には子供もいる。

健一も結婚したが、相手は陽子ではない。陽子は独身のまま看護師を続けている。修一と夏恵の本田夫妻は妊活中だ。良雄は運送会社という仕事場は変わらないが、実家を出て一人暮らしをしている。

晴江は結婚相手である富豪の門脇(柄本明)の屋敷に軟禁され、離婚も許されない。

良雄は晴江から「愛してる」と言われ、気持ちが揺れる。仲間たちも彼女を救おうとするが、そう簡単にはいかなかった。

実は大学時代に自分をいじめていた佐竹(水上功治)の会社に移るが、彼に利用されたことに気づく。良雄は仕事の失敗もあり、つい実の妻・綾子と関係をもってしまう。

陽子は弘前に新設予定の病院に引き抜かれるが、結局、その病院は開業されなかった。

そして晴江は「一人で働いて、ちゃんと生きてみなくちゃ、あなたの恋人にだってなれやしない」と良雄に言い残し、ひとりで旅立っていく。

パートIV(97年4~7月放送)全13話

前シリーズから再び6年が過ぎて、良雄をはじめとする「林檎」たちは30代半ばとなった。

良雄の兄・耕一は病死しており、愛子と幸子と耕一夫妻の娘・紀子で酒店を営んでいる。ラーメン屋を継いだ実と綾子には子供が2人。本田夫婦にも子供ができた。

離婚して独身の健一は、ライバル会社の相崎江里(洞口依子)から言い寄られている。陽子は余命の長くない患者と恋愛中。晴江は独身のままアメリカに滞在している。

このパートIVでは、山形から東京に出てきた青年、桐生克彦(長瀬智也)を軸とした事件が起き、それに巻き込まれた良雄が行方不明になったりする。

やがて良雄は相崎江里と婚約。良雄の母・愛子は不治の病となり、陽子が働く病院にホスピスの患者として入る。帰国した晴江は、日本で看護師の仕事に就く。

幻の続編「パートV」

パートVがこれまでと違うのは、全10話といった連続ドラマではなく、前篇と後篇になっていることだ。2時間スペシャルが2本だと思えばいい。

シナリオには細かな設定は書かれてはいないが、パートIVから7年後と思われ、「林檎」たちは40代を迎えている。

物語は良雄が参加した「婚活パーティー」で陽子と再会するところから始まる。良雄は独身で、運送会社勤務も以前と同じだ。2人は晴江が仲居の仕事をしている日本料理店に行く。

離婚後、独身のままの健一は、アジアモーターズの営業部に勤務。中古コイルをめぐる会社の「不正問題」に悩んでいる。

実と綾子のラーメン屋は自営からフランチャイズ所属へと変わった。だが、最近の実は「時々会って話すだけ」の広川由紀という女性に夢中だ。

健一の行方がわからなくなる。心配して連絡を取り合う良雄たち。当の健一が現れたのは、晴江のところだった。「私に、なに言ってもらいたい? どういうこと求めてる?」と晴江。それは健一にもはっきりしなかった……。

パートVで際立っているのは、40代の彼らが抱える強い焦燥感だ。

シナリオには良雄が自分の気持ちを独白する言葉が並んでいる。

「毎日あれこれあるが、心をゆさぶられるようなことは少ない」

「このあたりで何かしないと、人生ここ止まりじゃないのか。このままでいいのか」

「もう少し別の人生を求めなくてもいいのか。別の人生、別の幸福」

実もまた、

「それぞれ毎日、することはしなきゃならない、金の心配もしなきゃならない、子供もほっとくわけにいかない」

「体もねえ、そろそろ気をつけなきゃならない、ほんとに、これが生きてるってことか、これで、あとは齢をとる一方か」

それでも健一は、修一に向かってこんなことを言う。

「俺はね、さからいますよ。しゃかりきに働いて来て、このままですますもんか、と思ってますよ」

やがて良雄は、ずっと胸の奥に抑え込んできた義姉・幸子への思いを現実のものにしようと動き出す。抱える事情はそれぞれだが、一人一人が自問自答しながら明日を探しているのだ。

この未発表シナリオが書かれてから約20年が経過している。「林檎」たちは60代に差しかかっているはずだ。

彼らは今という時代を、どんなふうに生きているのだろう。20代、30代、さらに40代の自分と60代の自分には、どんな違いがあるのか。そして、「ふぞろい」であることは彼らの人生にとって何だったのか。

制作されなかったパートVを飛び越しても構わない。令和篇のパートVIを見てみたくなった。

(デイリー新潮 2023.11.29)

 

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デイリー新潮に寄稿した

この記事がアップされた

11月29日に、

山田太一さんが

亡くなったことが

報じられました。

 

脚本家・山田太一。

1934年6月6日―2023年11月29日。

享年89。

 

合掌。

 


オリコンニュースで、『今日からヒットマン』について解説

2023年12月02日 | メディアでのコメント・論評

 

 

『今日からヒットマン』

相葉雅紀、40歳妻子持ち設定で新境地 

愛すべき“おじさん”主人公を好演

 

嵐・相葉雅紀(40)が主演するテレビ朝日系連続ドラマ『今日からヒットマン』(毎週金曜 後11:15 ※一部地域を除く)。

第1話では、パンツ一丁の姿で体を張った演技が話題となった同作だが、「嵐」が活動休止となり2021年には結婚も発表、今年41歳を迎える相葉にとってこれまでアイドル像を壊し、“おじさん”も売りにした新境地を開拓した作品となったのではないだろうか。

同作は、2005年~2015年まで『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)にて連載された漫画家・むとうひろし氏によるガンアクション漫画をドラマ化。相葉は、ある日突然、伝説の殺し屋の名を継ぐことになる平凡なサラリーマン・稲葉十吉を演じる。

脚本は『ゴッドタン』や『バナナサンド』など人気バラエティー番組の構成作家を務めるオークラ氏が担当し、監督は嵐が出演する映画『ピカ☆★☆ンチ LIFE IS HARD たぶん HAPPY』(ピカンチハーフ)を手掛けた木村ひさし氏が務めることでも注目を集めた同作。

第1話では、敵に捕らえられてパンツ一丁になり、しかもパンツの中に銃を隠し持ちあたかも卑猥(ひわい)なことを連想させる流れで股間の銃をぶっ放し、敵を倒してしまうコメディー色強めの展開に。

メディア文化評論家の碓井広義氏は、「アイドルとしてやってきた相葉さんが、ここまで体を張っていることに非常に驚きましたが、そこに一種の“覚悟”のようなものを感じました」とコメントする。

これまで相葉といえば、嵐のメンバーとしての「バラエティー担当」イメージが強い。役者業についてはこれまでも数多くのドラマに出演してきてはいるが「二宮和也さんや松本潤さんに比べると、まだ一般的な評価が低いのも事実です」と碓井氏は語る。

しかし今回の役柄に関しては、ネットで辛辣(しんらつ)な意見がほとんど見当たらないそうで「『殺し屋とサラリーマンを上手く演じ分けている』、『今までのドラマと比べても特にハマり役だと思う』といった称賛の声が多い」という。

その理由の一つについて同氏は「相葉さんは異次元の“スーパーマン”よりも、等身大の“サラリーマン”のような役のほうが向いている。特に同作のような、いわゆる『巻き込まれ型』ドラマの主人公は相葉さんにピッタリです。これまであまり演じてこなかったのが不思議なくらいで、今回は制作陣の慧眼と言ってもいい」と評価している。

さらに「相葉さん自身が、下手だと言われながらも、演技に磨きをかけてきたという側面もあります」と語り、「『和田家の男たち』(テレビ朝日系)や『ひとりぼっち―人と人をつなぐ愛の物語』(TBS系)では、繊細な表情が好評でした」と地道な努力があったと話す。

2021年の『和田家の男たち』(テレビ朝日系)では、力まない演技とセリフ回しも好評で、段田安則(父親役)や佐々木蔵之介(兄役)ら演技派の俳優たちの力も借りて実力を磨いた。

そして今作は、その『和田家の男たち』以来2年ぶりの連ドラ主演作。原作は青年誌で連載されていた作品で、エロやバイオレンスの要素も強い深夜枠のドラマとなり、相葉にとってもこれまでの経験が試される挑戦的な作品となった。

碓井氏は「『嵐』も活動休止になり、相葉さんも40歳になっています。結婚もして妻子もおり、今までのアイドル像を壊していく必要が出てきました。いわゆる“おじさん”も売りに出来る新境地を開拓していく必要があったのではないでしょうか。そんな覚悟と企画のタイミングが合致した結果、第1話の体当たり演技が生まれたのだと思います」と分析する。

原作との設定の違いも、たしかに等身大の相葉に合わせて練られている。漫画原作では、主人公の稲葉十吉は34歳。妻の美沙子(ドラマでは本仮屋ユイカが演じる)ともまだ新婚で、子どももいない。しかしドラマ版の十吉は相葉と同じく40歳で、息子がいる設定だ。

現実世界の相葉とほぼ同じ設定となっており、同氏は「より多くの視聴者が感情移入し、共感できる主人公像になっています」と、あえて原作よりも年齢を重ねさせることで、今だからこそできる役柄を見事に演じていると話す。

同氏によると、『今日からヒットマン』の面白さは「ひと言で表すなら“ギャップ”。伝説の『ヒットマン』と普通の『サラリーマン』、冷酷な『殺し屋』と明るい『愛妻家』、両者のギャップが大きいからこそ、そこに緊張感が生まれ、同時に笑いが生まれる」のだという。

さらに十吉の部下・山本を演じている深澤辰哉(Snow Man)との共演もいい方向に作用しているといい「深澤さんは、相葉さんと同じ愛されキャラです。二人の掛け合いは、同じ事務所の先輩・後輩という関係性もプラスに作用し、殺し屋というテーマが必要以上に重くならないための、実に有効なコメディー要素となっています」(同氏)

碓井氏に、相葉の今後に同作がどんな影響を与えるのか聞くと「今回、明らかに相葉さんの演技の幅が広がっています。今後は、稲葉十吉のような『巻き込まれ型』の主人公のオファーが増えるのではないでしょうか。また、いつか相葉さんにトライしてみてもらいたい役柄は、『本当の悪』と呼べるような人物。“いい人”の要素がない『非情の男』を、相葉さんが演じるとどうなるのか。ちょっと怖いですが、見てみたいですね」と期待を寄せた。

■碓井広義(ウスイ・ヒロヨシ)プロフィール

1955(昭和30)年、長野県生まれ。メディア文化評論家。2020(令和2)年3月まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。慶應義塾大学法学部政治学科卒。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年、テレビマンユニオンに参加、以後20年間ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に『人間ドキュメント 夏目雅子物語』など。著書に『テレビの教科書』、『ドラマへの遺言』、『倉本聰の言葉――ドラマの中の名言』などがある。

(オリコンニュース 2023.12.01)


日刊ゲンダイで、月9ドラマ「真夏のシンデレラ」について解説

2023年09月23日 | メディアでのコメント・論評

 

 

月9ドラマ「真夏のシンデレラ」

歴代ワースト視聴率

大爆死の必然

 

森七菜(22)と間宮祥太朗(30)がダブル主演を務めるフジテレビの〝月9〟「真夏のシンデレラ」の最終回の平均世帯視聴率が6・3%(関東地区・ビデオリサーチ調べ=以下同)だったことがわかった。全10回の平均世帯視聴率は5・7%で、これは18年1月期の「海月姫」の6・1%を下回り、月9史上ワーストとなってしまった。

今季のドラマでは、日曜劇場「VIVANT」(TBS)が最終回で世帯視聴率19.6%と有終の美を飾り、SNS上では、いまだ〝考察〟が続き、続編への期待が高まっているのとは対照的だ。

やはり今時、恋愛ドラマは流行らないのか。それとも恋愛に興味がある若い人ほど配信での視聴が中心だからここまで落ち込んだのか。しかし一番の理由は、何よりもその内容にあったようだ。

メディア文化評論家の碓井広義氏は、「申し訳ないけど、今回はよく5・7%行ったよねと思うくらい、もっと惨敗してもおかしくないダメなドラマだったと思います」としてこう話す。

「まず『真夏のシンデレラ』という設定からして疑問です。今どき、貧しい女の子がお金持ちの男の子に見染められて幸せを掴む〝格差恋愛〟なんて誰も望んでいないでしょう。

今の若い女性は、そうした『シンデレラ願望』を持っている人なんていないですよ。欲しいものは自分で手に入れようという考え方が主流の時代に、これは作り手たちが頭の中で考えたもので、完全に時代を読み間違えていると言わざるを得ない」

また、その描き方にも大いに疑問符がつくという。

「ドラマは物語と登場人物が重要な要素ですが、今回は、その両方ともいかがなものかと。ストーリーは、家庭や学歴に恵まれない、いかにもな3人の女性と、中途半端にセレブな5人の男性によって展開します。

頭のどこかに往年の名作『男女7人夏物語』などがあったのかも知れませんが、ひとりひとりの掘り下げ方が浅く、ドラマ全体が平板で物語に起伏がない。海辺が舞台となっていますが、まるで金魚鉢の狭い世界の中で、8匹のメダカがつつきあってるかのようです。これでは視聴者は引き込まれないでしょう。

さらに登場人物に関しては、森七菜演じる主人公は〝明るくてサバサバした性格〟ですが、恋愛ドラマとしては、憧れや共感を得にくく、感情移入できないキャラクターでした。男性陣もよくなくて、画面に出てくるだけで萎えてしまうような感じでした。いい俳優を使っているのにこれではまるで活かせていない」

長らくドラマを見つめてきた碓井氏はこう言った。

「今回の視聴率を見て、視聴者はいいドラマと悪いドラマはちゃんと見分けるんだなとむしろ安心しました。視聴者はやはりレベルの低いドラマには反応しないんです。恋愛ドラマがダメなのではなくて、ダメな恋愛ドラマがダメなんですよ」

看板の枠に大いにドロを塗る格好になってしまった今作だが、今後の作品でリベンジを目指すしかなさそうである。

(日刊ゲンダイ 2023.09.22)


朝日新聞で、「俳優の不祥事と作品」について解説

2023年09月02日 | メディアでのコメント・論評

 

 

<論の芽>

俳優の不祥事=お蔵入り

作品に罪はある? 

メディア文化評論家・碓井広義さんに聞く

 

不祥事をおこした俳優らが出演していた映画やテレビドラマは、とりあえずお蔵入りにするか、出演部分をカットする――。こんな対応が目立つように感じます。作品に罪はあるのでしょうか。メディア文化評論家の碓井広義さん(68)に聞きました。

     ◇

テレビの現場で約20年働いてきましたが、1990年代までは、こんなことはなかったと思います。

コンプライアンスということが盛んに言われるようになったのは、輸入牛肉を国産牛肉と偽る牛肉偽装事件などが起きた2000年代からでしょう。

放送界や映画界も、コンプライアンス重視になりました。違法行為やモラルを逸脱した行為が批判されるのは当然です。

しかし、その俳優らの出演作品までもが連帯責任であるかのように葬られることには違和感を覚えます。とにかくリスクがあることは避ける、という思考停止に陥っているように見えます。

まず考えるべきことが三つあります。

  • 当事者が何をしたのか。
  • 当該作品にどの程度、関わっているか。主役なのか、それ以外か。
  • 撮影中もしくは公開前か、公開後か。

以上の要素を個別に検討して判断すべきで、不祥事=即アウトではないはずです。

もう一つ指摘したいのは、媒体や作品の公開方法によっても、個別に判断基準が違っていいのではないかということです。

これまでは、映画は見たい人が自発的に見るものだからいいが、テレビ作品はお茶の間に一方的に流れるものだからと一律にお蔵入りにしがちな傾向がありました。

ただ、今はテレビ作品であっても映画同様、好きなコンテンツを選んで見られるサービスも広がり、若い世代を中心に利用者も増えています。

その意味ではNHKが今年7月、逮捕された俳優が出演した作品について、有料動画配信を再開する方針を表明したことは賢明な判断です。

見る自由と、見ない自由。その両方が担保されることが、何より大切です。

 ■再放送、久々の姿にホッ

NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」のBSチャンネルでの再放送で、最近テレビでは見かけない役者を見て私はホッとしました。ピエール瀧さん。2019年に麻薬取締法違反の罪で執行猶予つき有罪判決を受けたこともあり、「出演部分が削られるのでは」との声もあったからです。10年前の作品でそんなことがあれば、それこそ「じぇじぇじぇ」です。〈喜園尚史〉

(朝日新聞 2023.09.01)

 


FRIDAYデジタルで、『真夏のシンデレラ』について解説

2023年08月07日 | メディアでのコメント・論評

 

おじさんが1人でこっそり視聴…?

月9『真夏のシンデレラ』

視聴率は爆死でもTver絶好調!のワケ

 

何かと話題作が多い7月期のドラマ。1話1億円の予算をかけて映画並みのスケールで圧倒する『VIVANT』(TBS系)や、名作学園ドラマ『3年A組』のスタッフが結集した『最高の教師』(日本テレビ系)を始めとして、注目作品が目白押しだ。

その中でも放送前からネットを騒がせていたドラマが『真夏のシンデレラ』(フジテレビ系)だ。’16年7月期の『好きな人がいること』以来、月9では7年ぶりに真夏の海を舞台に若い男女が繰り広げる“フジテレビらしい”恋愛ドラマが帰ってくると注目を集めていた。

ところが、蓋を開けてみれば初回の視聴率は6.9%と月9での初回ワースト視聴率という結果に。その後も低迷は続き、第4話までの平均視聴率は5.8%。月9では全話平均の最低記録(『海月姫』’18年の6.1%)を割り込む大爆死レベルなのだ。しかし、Tverでは、地上波とは真逆の現象が起こっているという。

「お気に入り登録者数は100.5万人と『VIVANT』に次いで2位なんです(8月3日現在)。また7月31日には第1話の見逃し配信再生回数がTverとFOD合計で410万回を突破したと報じられています。視聴率が5%台なのにお気に入り登録者数が多かったドラマといえば4月期の『あなたがしてくれなくても』。

同作品は夫婦のセックスレスを描いていたことから、“1人でこっそり視聴する作品”だと言われました。このことから、『真夏の~』は昔のトレンディドラマを懐かしむおじさんが1人でこっそり観ているのではないかと指摘する声があがっています」(ドラマライター)

本当におじさんたちが“1人でこっそり視聴”しているのだろうか。識者2人に『真夏の~』の作品自体を分析するとともに、誰が見ているのかを予測してもらった。

「全体的に平板というか、物語に起伏がない。森七菜さん演じるヒロインの夏海はサバサバした性格で非常に元気で明るい女の子なんだけど、恋愛体質ではない。男性陣もどこか草食系。だから恋愛ドラマとしてのドラマチック性とか振り幅みたいなものが少なくて、平熱なんです。今年の夏は猛暑だから、ドラマを観ているとむしろ涼し気に感じてしまいます」

と、語るのはメディア文化評論家の碓井広義氏だ。では碓井氏はTverでこのドラマを視聴している人はどういう人だと見ているのだろうか。

「やはり『真夏の~』を見ていると周囲に言うのが恥ずかしい中高年、それこそ’90年代のトレンディードラマを見ていた世代も含めた男性たちが見ているのではないかと僕は思います。そういう人たちは、最近の恋愛ドラマはどうなっているかということに興味もあるし、ヒロイン3人が気になる人も多いのでは。

このドラマはキャストは悪くないんです。森七菜さん、仁村紗和さん、吉川愛さんはいずれも決してメジャーではないけど、それぞれ魅力がある人たちです。裏路地でひっそりやっている人気の隠れ家バーのように、彼女たちに会いたくて通ってくるお客さんは少なくなくて、そういうおじさんたちが観ているのではないでしょうか」

一方で、若い人がけっこう観ているのではないか、と言うのはコラムニストの影山貴彦氏だ。前のめりになって観るというよりは軽く流して観ている人が多いのでは、と推測する。

「Tverだから、60分のドラマを全編見ているとは限らないと思うんですよね。評判になっているシーンだけ、TikTok並みとは言わないけども、いいところだけをすくい取って見ているのでは。それも今時だし『真夏の~』は、そういう見方をしても大丈夫というのか、没入しないとついていけないドラマではない。それも今の若い人には合うのかも知れません」

影山氏のよると、もう1点、若い世代がハマる“ツボ”があるという。

「ちょっと苦しいかもしれませんが、僕は『真夏の~』は令和版『伊豆の踊子』のようにも思うんです。折に触れて女性陣と男性陣の格差を強調するような場面が出てくる。『東大出でエリート』とか『住む世界が違うから』とか。

だから『伊豆の踊子』の主人公と踊子のような身分の格差みたいなものに、今の若い人たちも大いに興味があるのかなと思いました。ただ、あまりウェット過ぎると若い人は離れてしまうから、あくまで令和的に軽く扱ってはいますが」

念のため説明すると川端康成原作の『伊豆の踊子』はこれまでに幾度となく映像化されている定番かつ古典ラブストーリーだ。当時のエリートである一高生と旅芸人の踊子との“身分違い”の淡い恋を描く。悩みを抱えて旅に出た主人公が天真爛漫な踊子と出会って魅了されてしまうところなども確かに『真夏の~』とどことなくかぶっているようにも思える。

前出の碓井氏もこの“格差”については指摘している。

「女性陣はみんな働く庶民で一方の男性陣はプチセレブという、一見どうかと思う設定も、逆にシンプル。シンプルだからそんなに深く考えなくてもパラレルワールド、別世界の話として眺めていられるんです。現実とは地続きではないけど、だからこそ、ノンストレスで見られる恋愛ドラマとして成立しているのでしょう」

ツッコみどころ満載、リアリティに欠ける、ストーリーもどこか古臭い、そんな批判は数あれど、だからこそ美しい海や砂浜、イケメンと美女を、「これはないでしょ」と、ときにはツッコミも入れつつ気軽に眺めていられる。『真夏の~』は、そんな楽しみ方を提供してくれる作品なのかも知れない。

(FRIDAYデジタル 2023.08.05)


週刊現代で、中島みゆきの「この1曲」についてコメント

2023年08月01日 | メディアでのコメント・論評

 

 

中島みゆきの歌が

いまの私の胸には痛すぎる

 

週刊現代に掲載された、「中島みゆき」の特集記事でコメントしました。

映画監督の瀬々敬久(ぜぜたかひさ)さん、女優の柴田理恵さんなどが、中島みゆきの「この1曲」と「エピソード」を語っています。

以下は、私の部分の抜粋です。

 

いまなお、みゆきの曲が人生の指針になっている人は少なくない。

メディア文化評論家の碓井広義さん(68歳)にとって『ヘッドライド・テールライト』がそんな一曲だ。

「私は’81年からテレビプロデューサーとしてドキュメンタリーやドラマを作っていました。’94年からは番組制作の傍ら、大学でメディア文化論などを講義するようにもなりました。それが仕事を並行するうちに、本格的にテレビに関する学術的研究や教育を行いたくなった。そんな時期に発売されたのがこの曲でした」

制作サイドから学問の世界へ軸足を移すのは容易なことではない。どちらも「テレビ」に関わるという点では同じだが、職業としてはまったくの別物だ。20年近く続けてきたプロデューサー職を手放して大丈夫なのだろうか――。碓井さんの心は不安、躊躇い、執着で埋め尽くされていた。

迷う自分を奮い立たせるため、当時よく見ていた番組がNHKの『プロジェクトX~挑戦者たち~』(NHK)だ。内容は然ることながら、エンディングテーマが胸に刺さった。『ヘッドライト・テールライト』である。

「将来や未来をテーマに歌う曲は多いですが、この曲は過去にもちゃんと光を当てているんです。〈行く先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢〉という歌詞からは、『自分がやってみたいこと』をヘッドライトが遠く照らしていることがわかります。

一方で〈遥か後ろを照らすのはあどけない夢〉とも歌っている。自分が歩んできた道を捨てるのではなく、その過去をテールライトで光を当てることも大切であると受け取りました。そして最後に〈旅はまだ終わらない〉とあるのも心に深く突き刺さってきます。

中年を過ぎると、自分の実績に執着してしまうものです。この曲は、そんな人たちを叱ったりせずに『執着するのは当然だし、その過去も大事にしながら挑戦していきなさい』と背中を押してくれた気がしたんです」

それから碓井さんはテレビ業界から引退、北海道に新設されたばかりの大学に専任の教員として身を置いた。約20年間の研究生活を経て、3年前に上智大学を定年退職。現在は評論家として第三の人生を送っている。

「いまもしばしば『ヘッドライト・テールライト』を聴いています。『挑戦をやめてはいないか?』と常に自分に問いかけてくれる大切な曲です」

(週刊現代 2023.7.29/08.05合併号)


日刊ゲンダイで、市川猿之助&永山絢斗の出演作品 「配信停止」解除について解説

2023年07月30日 | メディアでのコメント・論評

 

 

市川猿之助&永山絢斗出演作品

NHK「配信停止」解除の大英断

 

父親と母親への自殺幇助の疑いで逮捕されている歌舞伎俳優の市川猿之助(本名・喜熨斗孝彦)容疑者(47)が過去に出演していた番組が配信停止になっていた件で、NHKの山名啓雄メディア総局長は、配信停止を撤回すると明らかにした。

山名局長は、26日に行われた定例会見で、「できるだけ速やかに配信を再開する」とコメント。「作品に罪はない」「有料の動画サービスなのでその番組を見るかは利用者が判断すべき」など、配信停止に関して1000件以上の批判の声があったという。

猿之助容疑者の出演作品をめぐっては、NHKは先月末、有料動画サービス「NHKオンデマンド」で配信されていた大河ドラマ「風林火山」「龍馬伝」「鎌倉殿の13人」などの8作品について7月1日午後11時59分をもって終了すると発表していた。

メディア文化評論家の碓井広義氏はこう話す。

「今回のケースでは、猿之助容疑者ひとりのために、すべての作品が見られなくなり、視聴者の利益が大きく損なわれていると感じていましたから、僕はいいのではないかと考えます。NHKは当初、とりあえず配信停止という措置をとりましたが、世論に動かされた部分もあったと思います」

たしかにSNS上では、猿之助容疑者の逮捕翌日の“一括配信停止”で、多くの作品が視聴できなくなることへの悲鳴の声や配信停止を疑問視する声があがっていた。

見る見ないを選択できる自由

また6月に大麻取締法違反容疑で逮捕・起訴された永山絢斗被告(34)が出演していた朝ドラ「べっぴんさん」も配信停止となっていたが、こちらも配信を再開する予定だという。山名局長は、「今後、NHKオンデマンドにおいては、原則、一部の出演者の逮捕での配信停止は行わない」と言明。ただし、「事案によっては総合的な判断で例外的に停止する可能性はある」とした。

碓井氏が続ける。

「この問題はなかなか難しくて、当然、ドラマや映画はたくさんの人が出演していますので、その中のひとりが何か問題を起こした場合、一律にそれを止めてしまっていいのかという議論はあってしかるべきだと思います。しかし、その時々で個別に判断をしていかざるを得ない。例えば直近の主演作や犯罪を彷彿とさせる作品などの場合は、状況が明るみに出るまでは判断を保留せざるを得ないケースもあるでしょう。ただし、今回の例でいえば、大河ドラマなど過去の作品であるわけで、それについては、見られるようにしてもいいのではないかと思います」

さらに、テレビやラジオなど誰の目にも触れるメディアと違って、映画など、視聴者が納得してお金を払って選択して見るものはいいのではないかという議論もある。

「動画配信サービスも、お金を払って自分から見に行くものなので、『猿之助が出ているので自分は見ない』と判断する自由は担保されているので、映画などと同様でしょう」(碓井氏)

視聴者にとっては、“見る見ないを選択できる自由”があった上で、作品が残されていることはやはり大切。今回、NHKの英断といえるだろう。同様に、猿之助作品を配信停止にしている民放の動画配信サービスもこれに追随すると思われる。

(日刊ゲンダイ 2023.07.29)