碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

『坂の上の雲』第1回を見ての雑感

2009年11月30日 | テレビ・ラジオ・メディア
NHK『坂の上の雲』第1回を見た。

テレビドラマとしては空前のスケール。

大作である。

そして、労作である。

キャストもいい。

演出や映像も頑張っている。

トータルで、かなり面白いドラマになっていた。

それらは十分認めた上で、「さて、なぜ今、『坂の上の雲』なのか」と思ったのも事実。

「この物語を3年間にわたって見せようというNHKの意図はどこにあるのか」と考えたのも本当だ。

番組ホームページでは、以下のように説明されている・・・


<企画意図>

「坂の上の雲」は、司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、明治という時代に立ち向かった青春群像を渾身の力で書き上げた壮大な物語です。発行部数は2,000万部を超え、多くの日本人の心を動かした司馬遼太郎の代表作でもあります。

今回、国民的文学ともいえるこの作品の映像化がNHKに許されたのを機に、近代国家の第一歩を記した明治という時代のエネルギーと苦悩をこれまでにないスケールのドラマとして描き、現代の日本人に勇気と示唆を与えるものとしたいと思います。

21世紀を迎えた今、世界はグローバル化の波に洗われながら国家や民族のあり方をめぐって混迷を深めています。その中で日本は、社会構造の変化や価値観の分裂に直面し進むべき道が見えない状況が続いているのではないでしょうか。

「坂の上の雲」は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った「少年の国・明治」の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。

この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません。


・・・堂々たる文章だ。

何しろ「現代の日本人に勇気と示唆を与える」のだから。

しかし、まだ十分には腑に落ちない。どこか納得がいかない。

一つには、ちょうど先日、東大の加藤陽子さんの近著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んだことが影響している。

高校生たちに向かって語る、という形式を用いて、「時々の戦争の根源的な特徴、時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化を簡潔に明解に」まとめた一冊だ。

この本の中に、日露戦争の“意味”についての説明がある。

と、ここまで書いて、加藤さんの本を探したのだが、混迷を深める部屋のどこかに紛れ込んだらしく、見つからない(笑)。

出てきたら、修正します。

本の中で、『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山真之が、乃木希典に何通もの手紙を送り、たとえ4~5万人の陸軍兵士の命を失ってでも旅順陥落を成し遂げて欲しい、と訴えたことが紹介されている。

記憶で続けると、加藤さんは、多大な犠牲を払って勝利した日露戦争の“記憶”は、国民の中に強く残った、という。

さらにその記憶は、政治家や軍人によってリプレイされ、「昭和の戦争」の発動にも大きく影響している、というのだ。

『坂の上の雲』をドラマ化するのであれば、日露戦争を否定的に描くことは困難だろう。

結果的に、このドラマでは、「明治の戦争」は“国家防衛戦争”として肯定的に描き出され、それは“侵略戦争”としての「昭和の戦争」と対比され、もしくは切り離されて語られたりはしないのだろうか。

考え過ぎかもしれないが、そこのところが、とても気になる。


ということで、また後日、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を発見したら(笑)、あらためて書いてみたい。


坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋

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それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤陽子
朝日出版社

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師・実相寺昭雄監督の命日

2009年11月29日 | テレビ・ラジオ・メディア

今日、11月29日は、2006年に亡くなった実相寺昭雄監督の命日だ。

生前も、その後も、私にとっての監督は、大切な師の一人であることに変わりはない。

3年が過ぎて、師の大きさがますます分かるようになってきたが、不肖の弟子のほうは、相変わらず不肖のままである。

すみません、監督。


実相寺監督の著作はいくつもあるが、命日に読むのがふさわしい(?)のは、昭和52(1977)年に出版された最初の本『闇への憧れ~所詮、死ぬまでの<ヒマツブシ>』だろう。

テレビや映画をめぐる、たくさんのエッセイ・評論を収めたものだ。

長い間に何度も読み返して、本としての形も崩れてきたが、まだまだ大丈夫。

どのページを開いても、鋭くも、どこか少し照れたような、ちょっと韜晦気味の(笑)、監督らしい言葉が並んでいる。

そして、この本の「あとがき」の、これまた一番最後は、こんな文章で終わっているのだ・・・


最近、私は二つの言葉を金科玉条としている。ひとつは、たまたまテレビで見たイギリス映画、ピーター・ホール監督『女豹の罠』にあった科白で「男は自分の好きな仕事をしなければなりません。嫌いな仕事なら、金がたくさん入らなければなりません」というもの。

もうひとつは、たまたまひっくり返していた愛読誌『ヤングコミック』の欄外語録にあった黒柳徹子さんの言葉だ。「一度でもコマーシャルをやった人間はえらそうなことを言っちゃいけない」というもの。

民放上がりのテレビジョン・ディレクターとしての私の万感は、この二つの言葉に尽きている。もうこれ以上何も言うまい。


・・・実相寺昭雄監督、2006年11月29日没。享年69。合掌。

『ゼロの焦点』(オリジナル版)を観た

2009年11月29日 | 映画・ビデオ・映像

「昭和33年の12月。結婚したばかりの妻を残し、男が失踪。残された妻はその後を追い、北陸へ旅立つが、そこで見たものは夫の隠された一面と、そして時代に翻弄された女たちの、悲しい運命だった」

映画『ゼロの焦点』を観た。

ただし、現在公開中のアレではない。

昭和36(1961)年のオリジナル版、野村芳太郎監督作品『ゼロの焦点』(松竹)である。

松本清張生誕100年記念出版の一つ、『DVD BOOK 松本清張傑作映画ベスト10』(小学館)の第2巻だ。

いやあ、よかったです。

清張映画といえば、やはり野村芳太郎監督。

スピーディで、メリハリの効いた脚本は橋本忍・山田洋次。

名匠・川又昂カメラマンのモノクロ映像も冴えわたっている。

また、久我美子・高千穂ひづる・有馬稲子というキャスティングは、予告編で「3大女優競演」を謳っているが、看板に偽りなしだ。

それぞれが役柄を自分のものとして、細かな感情まで自在に表現している。

登場する昭和30年代の風物・風俗も好ましい。

東京の風景。金沢の町並み。蒸気機関車。そして、まだ戦後を引きずっていた人々。


さてさて、オリジナル版を堪能した上で、新作リメイク版(東宝)についてですが・・・。

申し訳ないけど、広末涼子の演技力では、あの原作のヒロインは無理でしょう。

というか、なぜ広末涼子なんだろう(笑)。

映画でもテレビでも、彼女の出演作で、その演技に感心できるものがあっただろうか。

『おくりびと』を観たときは、広末が出てくる部分だけが落ち着いて見られなかった。明らかにミスキャストなんだけど、アカデミー賞のおかげで、それもうやむやに。

今では、なんだか“名女優”風、“大物女優” 扱いになってしまった広末だが、演技が進歩したり深まったりしているわけじゃないのだ。

私は、木村多江さんを無名時代から支持しているので、本当は劇場で彼女を見たいのだが、どーしても広末主演映画にお金を払いたいとは思えない。

多分、DVD化されてから、ってことになりそうだ。残念。


この小学館のシリーズは全10巻。これから出る分で楽しみにしているのは、やはり野村監督の『張込み』。それと、山田洋次監督『霧の旗』だ。

どちらも『ゼロの焦点』と同様、学生時代に名画座のスクリーンで観たが、こうしてDVDで好きな時に見直せるというのは、有難いことです。


松本清張傑作映画ベスト10 1 砂の器 (小学館DVD BOOK)

小学館

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松本清張傑作映画ベスト10 2 ゼロの焦点

小学館

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広報担当者のための「映像セミナー」

2009年11月28日 | テレビ・ラジオ・メディア

日本広報協会が主催する「映像セミナー」が開かれた。

広報番組など広報映像に関するこのセミナー。講師をさせていただいて、すでに何年にもなる。

今年も、全国の地方自治体から広報担当の皆さんが集まった。

各地の広報番組の中には、いまだに「行政側が、伝えるべきことを、伝えさえすればOK」という考え方のものがある。

しかし、そんな一方的な情報発信は、市民から、とっくに見放されているのだ。

同じ情報でも、そこには、見せ方・伝え方の工夫が必要で、しかも「コミュニケーション」を意識していなければならない。

選考委員をしている「全国広報コンクール」の入選作、逆に入選しなかった作品、その両方を見てもらいながら、解説を行った。

さらに、グループワークでの企画立案・プレゼンの実習も行う。

参加者は自治体の広報担当者であるから、普段はプレゼンを受ける側だ。

だからこそ、自ら企画を考え、まとめ上げ、プレゼンを行うという体験が、今後効いてくる。相手が何を考え、何を苦心し、何をポイントにしてプレゼンを行っているかが分かるからだ。

参加者は今回も熱心で、こちらもつい力が入る。

朝から夕方まで、結局、終わりの時間を大幅にオーバーしながら、少しでもヒントになればと思われることを伝えていった。

終了後、参加者は、また全国へと散って行ったが、どんな形であれ、少しでも今日の内容を生かしてもらえたら、とても嬉しい。

皆さん、おつかれさまでした。

「新ゼミ生」歓迎パーティ

2009年11月27日 | 大学

理系の大学のゼミ生は、3年の秋に“配属”となる。

4年生が主催する「新ゼミ生」歓迎パーティが開催された。

といっても、そんな大仰なものでなく、卒研ルームでの「鍋」だ。

はじめのうちは、学年ごとにアッチとコッチに分かれていて、しかも3年生には女子学生が多いため、なんだか不慣れな合コンみたいだった(笑)。

しかし、やがて適度なシャッフル具合となり、後は和気あいあいといったところ。

おかげさまで「指導教員の挨拶」などという無粋な式次第もなく、鍋から白い発泡スチロールのどんぶりに盛られた肉と野菜をいただき、「後はお若い方たちで」とばかりに、さっさと退席したのでした。

『課外授業 ようこそ先輩』、まだまだ編集中

2009年11月26日 | テレビ・ラジオ・メディア

録画しておいた『課外授業 ようこそ先輩』瀬戸内寂聴篇を見る。

いいなあ、瀬戸内さん。

徳島の母校の高校生たちを相手に、「幸福とは?」を真剣に語っていた。


さて、我らが『課外授業 ようこそ先輩』五十嵐威暢(いがらし・たけのぶ)篇の放送まで、ちょうど1か月。

まだまだ編集の真っ最中だ。

藤島ディレクターは、複数のカメラが同時に撮った膨大な映像の中から、「これだ」というカットを選び出し、再構築している。

アルファ版、ベータ版と、バージジョンアップのたび、確実によくなっている。

プロデューサーである私は、ロケ現場の雰囲気が、どれだけ伝わってくるかに意識を集中させていればいい。


ところで、彫刻家・デザイナーの五十嵐さんは、普段、黙っていると、結構怖い(笑)。

一人、荒野に立つアーティスト、といった趣きがある。

それだけに、ときどき見せてくれる笑顔は、とても素敵だ。

見ているこちらも、つい微笑みたくなる。

今回の番組の中に、「他の人を笑顔するのもアートの力だ」という五十嵐さんの言葉が出てくる。

ならば、五十嵐さんの笑顔もまた、立派なアートなのだ。


2009年12月27日 (日) 午前8時25分より
NHK『課外授業 ようこそ先輩』
「おもいをかたちに ~彫刻家・デザイナー 五十嵐威暢~」

映画『2012』で体感する映像の最前線

2009年11月25日 | 映画・ビデオ・映像

この秋、一番楽しみにしていた映画『2012』を観てきた。

『インデペンス・デイ』『デイ・アフター・トウモロー』のローランド・エメリッヒ監督が、地球をぶっ壊すというフレコミなんだから、期待大だ。

で、どーよ、ってことだが、ほんと、壊してました(笑)。

しかも、その地球崩壊というか壊滅の模様を、完全にヴィジュアル化していた。

「ディザスター・ムービー(パニック映画)」の横綱登場といったところだ。

そりゃ確かに人間ドラマもあるが、やはりこの作品は、第一にVFXの最前線の成果を楽しむものだと思う。


つい先日、NHK『クローズアップ現代』が、アカデミー賞の「科学技術賞」を受賞した日本人・坂口亮さん(@デジタルドメイン社)を取り上げていた。

桐蔭学園→慶大環境情報学部という坂口さんは、在学中からハリウッドで仕事を始める。

水や波のCGを究めようとするが、それには流体力学をマスターする必要があった。

しかし、困ったことに数学や物理が苦手。

そこで、中学校の数学の教科書に戻って勉強を始めるのだ。ここがすごいよなあ。

3年後には、流体力学の英語論文を解読するまでになる。

『2012』は、この坂口さんが参加している作品だ。

都市全体が崩壊していくリアルな映像に驚いたが、さらに巨大な津波がすべてをのみ込んでいくシーンは圧倒的な迫力。

「ああ、これが坂口さんが夢見た波か」と思いながら見ていた。

やったね、坂口さん。


タランティーノ印の戦争映画『イングロリアス・バスターズ』

2009年11月24日 | 映画・ビデオ・映像

映画『イングロリアス・バスターズ』を観た。

タランティーノ監督作品というだけで、「さあ、今回は、何を、どう見せてくれるの?」と期待感が高まる。

アメリカ軍の特殊部隊がナチをやっつける、てなことしか予備知識は仕込まないようにして劇場へ。

いやあ、ちゃーんと“タランティーノ印の戦争映画”になっていました。

基本的には、お得意の復讐劇だ。

ナチに家族を殺されたユダヤ人女性(メラニー・ロラン、GOOD!)が、その恨みをきっちり果たすわけだが、タランティーノはヒロインでさえ“特別扱い”はしないからね。大変です(笑)。

ブラッド・ピットも、そして彼が率いる特殊部隊(名誉なき野郎ども)の面々も笑える。みんな、やり過ぎ、過剰と思われそうだが、タランティーノ作品ならOK。

とにかく、役者も、演技も、衣装も美術セットも、そして音楽も、自分が欲しいものを、ぜーんぶ投入している。

さらに、歴史的事実さえ、タランティーノ・ワールドに染めてしまう強引さというか、我がままさというか、「映画は何でもありじゃん」主義が、いっそアッパレだ。

特に、音楽は嬉しかったなあ。

思い出せるだけでも、「アラモ」「荒野の1ドル銀貨」「復讐のガンマン」といった西部劇やらマカロニ・ウエスタンやらの名曲が流れていた。

他の曲も、ほとんどがいろんな映画で使われていたものがベースだ。

ほんと、タランティーノは“映画好き”“映画狂”なんだね。

あれも使おう、これも入れちゃえ、と嬉しそうに作業をしている様子が浮かんできた。

今年最初のクリスマスツリー

2009年11月23日 | テレビ・ラジオ・メディア

HTBの玄関ロビーに、大量の「on(オン)ちゃん」が。

そうかあ、もうクリスマスツリーの時期かあ・・・。

思わず苦笑いの映画『笑う警官』

2009年11月22日 | 映画・ビデオ・映像

映画『笑う警官』を観た。

ほぼ予想通りで、思わず苦笑い。

元々、2004年に出た佐々木譲さんの原作自体(当時のタイトルは『うたう警官』)は、実に面白いのだ。

その後、「道警シリーズ」となって、現在までに4作が出ているくらい。

角川春樹監督は、この映画のトーンをしっとりしたジャズの曲に合わせたようだ。

しかし、残念ながら作品全体としては、どうにも間延びした、ゆる~い感じとなってしまった。

原作小説のキモは、24時間というタイムリミットにある。

実際は殺していないのに婦警殺しの犯人とされ、(無実の罪で)射殺命令が出ている警官を守ること。

その警官を、生きたまま翌日の道議会の委員会に送り込み、道警の不正・疑惑に関して証言させること。

そのためにも、極めて限られた時間の中で、真犯人を捜し出すこと。

つまり、道警本部という最強組織を相手に小さな私設捜査チームが戦う、という物語である。

普通に作っても、サスペンスが盛り上がらないはずはないのだ。

でも、そうならないんだなあ(笑)。

角川監督自身による脚本と原作の間には、いくつもの違いがある。

映画化に当たって、効果的かつ必要なアレンジであればいいのだが、あれっと首をひねるものが多い。

映画では、やはり脚本は生命線であり、プロデューサー、監督、脚本家の3者間で、いい意味でのバトルが行われるものだ。

だが、プロデューサー、監督、脚本家を、ぜ~んぶ1人の人間が兼ねてしまったら、その切磋琢磨はまったく違った形となる。

大森南朋も、松雪泰子も、頑張ってはいるけど、いかんせん、この脚本や演出に合わせるしかないわけで、大変だったと思う。

もちろん、舞台裏では様々な事情があったのだろうが、やはり角川春樹さんはプロデューサーに徹して、監督は別の人にしたほうがよかったんじゃないだろうか。

ちなみに、私が観たときのお客さんは5人。

春樹さんは、これが大当りしなかったら、もう映画製作はやめる、と仰っているらしいが、うーん、大ヒットはかなり難しいかもしれません。


笑う警官 (ハルキ文庫)
佐々木 譲
角川春樹事務所

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バラエティー番組は変われるか (その2)

2009年11月22日 | メディアでのコメント・論評

『産経新聞』の特集記事「バラエティー番組は変われるか」。

そのパート2(後半)が掲載された。

昨日に続き、こちらにも私のコメントが載っているが、送り手だけでなく視聴者側に関しても話をさせていただいた。


記事タイトル:

バラエティー番組は変われるか(下)「笑いの質」低下

記事本文:

「良い番組一緒に作る気概」

 ◆視聴者も寛容さを

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から17日、民間放送連盟(民放連)に提出されたバラエティー番組に関する意見書。「放送界全体でバラエティー番組制作のあり方を議論すべきだ」などと求める一方で、視聴者にも、作り手が真剣にバラエティーに取り組んでいることに思いをいたして「寛容さを持ってほしい」との考えをにじませた一文が盛り込まれていた。(村上智博)

「作り手が寄り添ってきた視聴者の『笑い』の質が落ちつつあることが、番組の質の低下にもつながっているようだ」と分析するのは、大阪の毎日放送でラジオバラエティー番組「MBSヤングタウン」のプロデューサーを務めていた同志社女子大の影山貴彦教授(メディア研究)だ。

「かつては視聴率に反映せずとも、腹を抱えて笑うことのできる骨太な番組が多かった。だが今は内容の浅いお笑い番組が増えた。話のオチではなく、お笑い芸人の芸がすべるのを、せせら笑うようになってしまった」と、笑いの低俗化を指摘する。

影山教授はその理由に、受け手が娯楽そのものに求める「温度」が低くなったことや、視聴スタイルの変化などを挙げる。「他のことをしながらテレビを見るようになり、本気で番組を見ることが少なくなった。そんな受け手に過剰なまでに寄り添った結果、かつてはあったはずの『笑いの文化を発信している』との気概を作り手は失い、『ついてこられるやつだけついてこい』と視聴者に提示する意気込みも薄らいでしまった」

 ◆「本物」の笑いを

どうすればバラエティー番組は変われるのか。芸能評論家の肥留間正明さんは、国民的人気のあった公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」(TBS)を引き合いに、「主演のザ・ドリフターズのメンバーは3、4日がかりで一つのコントを作り込み、計算され尽くした笑いを生んできた。そんな知的で風刺の効いた“本物”の笑いのある作品が今、視聴者には新鮮に映るし、求められている」と話す。

東京工科大の碓井広義教授(メディア論)は、視聴者側も「多様なバラエティーを見て学び、“本物”を見極めることが必要」と呼びかける。「タレントありきの番組ではなく、何かを創造しようとゼロから立ち上げている企画を見るのが一番。番組の目利きになり、良いものを一緒に作ろうと作り手に意見を届けるのも、番組が変わるきっかけになるかもしれませんね」

◆現場に自信と誇りを

BPO放送倫理検証委員会から提出された意見書には、委員の一人で漫画家の里中満智子さんが書き下ろしたイラストが随所にちりばめられた。「ほんとに大変なんだ、いまのバラエティーは」といった砕けた口調で書かれるなど、作り手も視聴者も楽しく読めるバラエティー風の読み物に仕上がっている。

里中さんは意見書が出された後の記者会見で、テレビの作り手を念頭に「余計なものといわれるのを承知で、皆さんが頑張るための応援として作った。現場は大変だと思うが、言い訳にしてほしくはない。楽をしてはちゃんとした番組はできない。現場では自信と誇りを持ってもらいたいです」と熱く語った。
バラエティー番組の行く末を案じるその思いが、どこまで作り手の心に響くのか。視聴者も本物を見極める目を養いながら、画面の向こう側を注視していく必要がありそうだ。
(産経新聞 2009年11月21日)

バラエティー番組は変われるか (その1)

2009年11月21日 | メディアでのコメント・論評

『産経新聞』のバラエティー番組に関する特集記事で、コメントが掲載された。

私以外にも、多くの放送作家、構成作家の方々に取材している。

その証言や意見がとても面白い。


記事タイトル:

バラエティー番組は変われるか(上) 出尽くした“小細工”

記事本文:

「今は折り返し地点」

テレビのバラエティー番組のあり方が問われている。暴力的な表現などをめぐって視聴者からの苦情が相次ぎ、17日には放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、作り手の「顔」が見える番組を作るよう日本民間放送連盟(民放連)に提言した。「面白ければいい」とばかり、一度当たれば柳の下の二匹目のドジョウを狙って安易に作られがちだったバラエティー番組だが、果たして今後、どう変われるのだろうか。(村上智博)
                   ◇
 ◆何でもあり

「何よりまず、作り手が面白がる、という面があった。常識の範囲内であれば何を作っても無礼講。今よりも収録現場は熱かったねえ」

テレビ放送が始まった1950年代初めの放送事情に詳しい放送作家、奥山伸さん(71)は振り返る。奥山さんは伝説の音楽バラエティー番組、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」を手がけた。

「あのころは『放送作家と菜種油は搾れば搾るほど出る』といわれ、誰もが音楽にコント、おしゃべりありのきれいな作品を作ろうと知恵を絞った。番組の方向性をめぐり上司と衝突しても、『自分が責任を取るから』と番組作りに情熱を燃やしたプロデューサーもいた」と懐かしむ。

だが70年代に入ると、バラエティー番組は“受難”の時代を迎える。視聴率やスポンサーの意向に左右され、PTAからは表現方法などをめぐり批判されるようになる。奥山さんは「時代の空気だった。テレビ屋がサラリーマン化し、テレビマンになってしまった。番組作りの勢いもそがれた」と嘆く。

 ◆視聴者ありきへ

それでも視聴者よりも作り手の考えが先との流れは変わらなかった。80年代には明石家さんまにビートたけし、タモリの3人がブレーク。台本に頼らないトークがお茶の間を沸かせた。

やがて90年代になると企画モノが増え、人気アイドルグループのメンバーらがお笑い芸人顔負けの体当たり出演で高視聴率をたたき出すようになった。「何を作るか、よりも売れっ子タレントやお笑い芸人頼みになり、にぎやかであればいいと安易な番組作りになった」と東京工科大の碓井広義教授(メディア論)は指摘する。

関係者によると、番組でタレントがもみ合い、けんかをするといった暴力的な表現は以前より影を潜めているというが、視聴者からの苦情は減ってはいない。その矛先はテレビ局からスポンサー企業に向かうようになり、90年代後半には、企業や視聴者のニーズありきの番組作りに変わっていた。

◆先祖返り

フジテレビの「エチカの鏡」や「ホンマでっか!?TV」の放送作家、海老克哉さん(44)は、バラエティー番組の現状を「不況で予算は少なくなり、番組作りでむちゃはできない。より効率的に面白さを追求するようになっている」と打ち明ける。

「だから今は、作り手の記憶の中からアイデアを出し、ウケる番組を作っている。『進め!電波少年』(日本テレビ)のような未知の場所で見たことのないモノを探すという番組のエッセンスが、同局の『世界の果てまでイッテQ!』で使われるなど先祖返りしている。今は折り返し地点にある」と話す。

「面白く見せるための小細工は2000年ごろには出尽くした」と言い切るのは、「笑っていいとも!」(フジテレビ)などの放送作家、都築治さん(42)だ。「視聴者に喜んでもらうのに、『結果はCMの後で』と言って引っ張っても、実はたいしたことは出てこないと見抜かれている。あざといことはできない。何もないところから娯楽を生み出すクリエイターとしての真価は今後、より問われることになるでしょう」
(産経新聞 2009年11月20日)


・・・明日、この記事の続き(後半)が掲載される予定だ。

札幌での”音楽つながり”

2009年11月20日 | テレビ・ラジオ・メディア

今日の『のりゆきのトークDE北海道』は、「奥様ミュージックアワー」。

スタジオに、2組の音楽チームが登場した。

30代女性3人が歌って踊る「レフトベイベー(ベイビー)」と、姉妹プラス妹さんの夫という3人組「いちごえん(一期一会のご縁)」だ。

レフトベイベーの「ジャマイカン・イン・ニューヨーク」は、キレのいいダンスとメローな歌声がお見事。

いちごえんは、何と美空ひばりさんの昭和40年代の大ヒット「真赤な太陽」を演奏。懐かしいだけでなく、新しいアレンジが素敵だった。

それから、VTR出演で聴いたイワウメさんの曲「エゾモモンガくん」にびっくり。

57歳でギターを習い始め、現在64歳。あちこちの施設に出向いて、歌っている。かわいい歌声とやさしい人柄は、ちょっと忘れられない。

北海道の女性たちは、音楽シーンでも元気だ。


「トーク」が終わってから、札幌駅近くの日本生命ビルへと向かう。

4階に、「島村楽器」が新しい店(札幌にはすでに何店舗もある)をオープンしたのだ。

東京からオープニングイベントのために来札の島村社長ご夫妻と、廣瀬取締役にご挨拶。

実は、私の慶大時代のゼミ生のご両親&ご主人なのだ。

ご両親にお会いするのは、教え子であるお嬢さんの結婚式以来となる。

全国展開の島村楽器だが、聞けば、この店が109番目だという。島村さんは、何と一代でここまでにしたのだ。すごい。

私の自慢の一つは、以前、島村楽器のCIの相談を受け、デザイナーの佐藤卓さんを紹介させてもらったこと。

卓さんは快く引き受けて下さり、ト音記号をモチーフにした現在の島村楽器のロゴマークが誕生したのだ。

新しい店内にも、そのロゴなどが美しく配されていた。

というわけで、新店舗、おめでとうございます!

札幌で32年前の「キネ旬」に遭遇

2009年11月20日 | 映画・ビデオ・映像

札幌に来ている。

昨日(19日)の夕方、千歳の空港から札幌へと向かう途中では雪も舞って、さすがに寒い。

本日も、午前中の「トークDE北海道」、午後の「イチオシ!」でコメンテーター。


札幌に着いたら、まずは例によって古書の石川書店で宝探しだ。

我が“お宝ワゴン”の中に、高橋和己の初版本や手塚治虫全集の何冊かを見つけた。

選んでいったら、あっという間に10数冊になったので、宅配便の手配をお願いし、「キネマ旬報」のみを宿に持ち帰る。

入手した3冊の「キネ旬」は、いずれも1977年のもの。

2月上旬号の特集の一つに『ネットワーク』があった。シドニー・ルメット監督がテレビ界の内幕、というか視聴率競争の行きつく先を描いた作品だ。

何しろ、ニュース番組のアンカーマンが、生放送中に自分の自殺予告をしたりするのだから大変。

公開当時、私も劇場で観たのだが、基本的には、“狂気の視聴率競争”に奔走するテレビ界を批判する内容だった。
 
びっくりしたのは、この特集のために書かれた批評文のうちの1編が、村木良彦さんによるものだったことだ。

1981年、私がテレビマンユニオンに参加した当時の社長である。

残念ながら、昨年の1月に亡くなってしまったが、優れた制作者であり、稀有な経営者であり、鋭い理論家だった。

その村木さんが32年前に書いた文章に、札幌で出会うとは思いもしなかった。

批評文のタイトルは「有効性の薄い単眼すぎるテレビ批判」。

たとえば、映画が軸に据えた“視聴率”に関して、「私が言えるただひとつのことは、絶対視して信仰することもなく、馬鹿にして蔑むこともなく、ごく普通につきあうこと、それと対応する己の論理をきちんと持つということに尽きる」という一文があったりする。

やはり村木さんらしいなあ、と何だか嬉しくなった。


そうそう、3冊の「キネ旬」のうちの1冊、3月下旬号には、別の発見があった。

読者の投稿を掲載する「読者の映画評」のページだ。

映画『キングコング』をめぐって、コングが美女(ジェシカ・ラング)を掴んでいた“手の感触”を滔々と語る文章があった。

当時は個人情報に今ほどうるさくなかったため、文末に、投稿者の住所として三鷹市の所番地が載っている。

そして、21歳の学生の氏名が「金子修介」なのだ。そう、あの金子修介監督である。

1977年に『キングコング』を語っていた21歳の大学生(三鷹高校→東京学芸大)が、18年後の1995年に『ガメラ 大怪獣空中決戦』を監督することになるのだ。

これまた、とても嬉しくなった。

懐かしの(?)進藤晶子アナについてコメント

2009年11月19日 | メディアでのコメント・論評

元TBSの進藤晶子アナについて、コメントを求められた。

発売中の『週刊新潮』今週号である。

見出しは、『「小林麻耶」より“枯木に花”の「進藤晶子」』。

いや、“枯木に花”だなんて、私がつけたタイトルではありません(笑)。

記事本文は、「低迷TBSの優等生」として、日曜朝の「がっちりマンデー!!」を紹介。

何しろ10月の平均視聴率が12.8%だったというから、確かに人気番組だ。

好調の最大の理由は、不況下でも収益を上げている企業の秘策に迫る、という内容であること。

そこに、今はフリーとなっている進藤アナも貢献しているわけだ。

ただ、彼女には、退社の際に、月刊誌で社内イジメがあったと告白したことで波紋を呼んだ過去がある。

で、私のコメントだが・・・

「TBSは足元にいい人材がいることがわかった。イジメ告白の後遺症はあるが、夕方で数字の取れない小林麻耶に代わって、進藤の再登板なら話題にもなるでしょう」となっている。

うーん、確かに話題にはなるんだけど、番組の中身を変えずに、小林キャスターの役柄をそのまま進藤アナに引き継がせても、それはダメです(笑)。