碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「アイムホーム」の木村拓哉、弱さやかっこ悪さも表現

2015年05月31日 | メディアでのコメント・論評




東京新聞で、木村拓哉「アイムホーム」についてコメントしました。

「アイムホーム」で新境地!? 
「フツー」のキムタク

 今回の木村拓哉(42)は違う。テレビ朝日の主演ドラマ「アイムホーム」(木曜午後9時)で耳にする評判だ。パイロット、レーサー、首相やアンドロイドまでさまざまな姿を見せてきた木村が今回挑んでいるのは、事故で挫折し家庭でも悩みを抱えるサラリーマン。木村は新境地を開いたのか-。 (鈴木学)

 「サラリーマン、夫、お父さんを気負わず演じているのが新鮮。同年代の男性から『面白い』『フツーの役のキムタクいいじゃん』の声を聞く。そういう評価は初めてでは」と、コラムニストで放送作家の山田美保子さんは言う。

 碓井広義上智大教授(メディア論)は「いわゆる『キムタクドラマ』ではない。かっこ悪さも引き受けて、記憶をなくして妻子に愛情があるのかも分からず途方にくれる役をきちんと演じている」と指摘する。

 木村自身は、過去に父親役もサラリーマン役もあるとして「描き方が異なるだけで、現場でやっていることは変わらない」とクールな反応だ。「信頼できる監督に自分を預けている。『違う』と言われるのは僕がどうこうではなく、監督の演出でそういう印象を与えてくれたんだと思う」

 横地郁英ゼネラルプロデューサーは、木村が主演した昨年の同局のドラマ「宮本武蔵」が背景にあるという。強さの半面、自らの弱さもろさに悩む武蔵を演じた。「強い武蔵の姿と同時に弱さの表現も魅力的で、そういう姿が生きる作品を探した」と明かす。木村の主演というだけで色眼鏡で見られがちな中、局に寄せられる意見で否定的なものは極めて少ないという。

◆平均視聴率14%

 主演ドラマで高視聴率を稼いできた木村。「コンマいくつ下がっただけでも『また下がった』と言われるのは木村さんぐらい。アンチも含めて無関心でいられないのだと思う」と山田さんは言う。苦戦の目立つ4月期の民放ドラマではトップだが、平均14%ほどでは物足りないようにも言われる。

 木村は「深刻な顔、深刻なトーンで数字を伝えてくれる人はいるが、できるだけはね返すようにしている。はね返すには? やるしかない、逃げないで」。今の現場でも「温かいテンションで常に現場にいてくれる」という妻役の上戸彩をはじめ、「一緒に受け止めてくれている共演者、スタッフがいる限り、絶対逃げたくない」と言い切る。

 「俳優として成熟していこうと思えば、どこかで脱皮しなければならない。今作で役の幅が広がったと思う」と碓井教授。田村正和は40歳を過ぎてコメディードラマで成功し、二枚目以外に役の幅を広げた。「木村さんも夫や父としての体験を芝居にいかしていくステップになるのでは」と碓井教授はみている。

◆原作と異なる結末

 主人公の証券会社に勤める家路久(木村拓哉)は、単身赴任先での爆発事故で五年間の記憶をなくし、後遺症で妻の恵(上戸彩)と長男の良雄(高橋來)の顔が仮面に見えるようになった。愛情があるのかさえ分からずに悩む久だが、一方で離婚した前妻(水野美紀)らにも愛着がある。久は手元に残っていた十本の鍵を手掛かりに過去を探るが、明らかになるのは冷徹な仕事人間だった自分だった。

 現場では、仕事は優秀ながら家庭に向かない事故前の久は「ブラック久」、正反対の事故後の久は「ホワイト久」と呼ばれているとか。最終回まであと三話。「仮面に見えてしまう妻子の顔が、普通に見えるようになるのかの答えは用意しています。何でそう見えるようになったかの理由も出そうと思っています」(横地ゼネラルプロデューサー)。結末も原作と違うものを用意しているという。

(東京新聞 2015.05.30)



【気まぐれ写真館】 HTB「イチオシ!モーニング」 2015.05.30

2015年05月31日 | 気まぐれ写真館
土曜の朝6時30分から生放送!


ファイターズガールの茉莉代さんと和音さん


野球解説の岩本勉さん


MCの木村愛里さんと依田英将アナウンサー




昼食は千歳市「柳ばし」で、名物メンチかつ定食withマイご飯茶碗

毎日新聞で、「関西発ドキュメンタリー」について解説

2015年05月30日 | メディアでのコメント・論評



関西から切り取る普遍 
ドキュメンタリー制作で気を吐く民放局

 早朝や深夜を中心に、在阪の民放テレビ局が質の高いドキュメンタリー番組を放送し、奮闘している。関西は関東に比べ、ドキュメンタリーの視聴率が高いといわれる。放送後、映画化されるなどの反響を呼ぶ番組も少なくない。関西発の報道番組を巡っては、先日、NHK大阪放送局制作の番組に「やらせ疑惑」が浮上した。「視聴率競争」の荒波の中で制作を続ける現場の担当者に、現状や番組にかける思いを聞いた。【棚部秀行】

 ◇中央発で拾えぬ部分を/地域が持つパワー実感

 ◇地元への近さを大事に/自由な番組作りが可能
   早朝・深夜帯ゆえの挑戦


 「大きなカメラですみません」。静岡県伊豆市の山あいの町。太平洋戦争でガダルカナル島(ソロモン諸島)から生還した男性(93)の自宅居間で、関西テレビ(KTV)のディレクター柴谷真理子さん(45)は、男性へのインタビューを始めた。「戦後70年」に合わせ、8月に放送する番組の取材だ。柴谷さんは、ゆっくり大きな声で質問し、相手の言葉を辛抱強く待つ。男性は「あんなバカな戦争を、やってはいけない」とつぶやいた。

 これまでに沖縄や長崎など日本各地の戦争体験者への取材を済ませたという。海外取材も控えている。柴谷さんは「比較的、どこにでも行かせてもらっています」。放送予定は関西ローカル。取材中に大阪の放送局であることを意識するか、と聞くと「たとえば沖縄へ行くと、中央発の情報だけでは伝わっていないことがたくさんあると分かる。そこを取材することが役割だと思っています」と述べた。

 一方、読売テレビ(YTV)は、日本テレビ系30局で共有するドキュメンタリー番組枠(週1回)で、年8〜10本を制作している。系列局から寄せられた企画書がふるいにかけられ、制作・放送に至る。必然的に地元ネタが多くなる。プロデューサーの堀川雅子さん(44)は「少年法や児童虐待に関する法律の改正など、関西在住の事件の被害者や支援者の声が国を動かす例が多い。関西が国を変えていく動きを目の当たりにしています。積極的に国や行政に声を上げるパワーは特有の気がします」と地域性について言及した。

 テレビ大阪(TVO)報道部のプロデューサー人見剛史さん(45)は、天王寺動物園に長期間通い高齢のゾウの晩年を追った。「報道の役割は変わりませんが、政治や経済の中心でニュースがたくさんある東京に比べ、地元に密着しているという思いはあります」と力を込めつつ、「日々の仕事を掛け持ちしながら、長期の時間を確保するのはやはり難しい」と付け加えた。

 毎日放送(MBS)には在阪民放で唯一、ドキュメンタリー制作専門の部署がある。編集室を訪ねると、10日後に放送を控えた番組の編集作業が山場を迎えていた。ディレクターの津村健夫さん(51)が「この言葉で意味が分かるかな」などと編集マンと相談しながら、膨大な録画映像から番組を作り上げていく。

 MBSは毎月最終日曜の深夜、自社制作で関西ローカルに定時のドキュメンタリー枠を持つ。「ディレクターの思いで自由に番組が作れる。日本で一番、社会的な問題を扱うのに恵まれた場所かもしれない。ただ全国レベルの志で作っていますが、深夜ローカルというのはジレンマですね」と津村さんは話した。

 朝日放送(ABC)はYTV同様、テレビ朝日系24局が持つ週1回の枠に、年7本程度の番組を送り出している。ドキュメンタリー担当プロデューサーの藤田貴久さん(51)は、東京で全国ネットの報道番組を長く担当してきた。視聴者が少ない早朝・深夜という時間帯や関西の特性をどう捉えているのだろうか。「じっくり見ていただける番組を作れるし、チャレンジもできる。他の時間帯だと、シビアな内容ではハレーションを起こす可能性もあります」。そして「大阪は権力のしがらみもなく、取材しやすい」と藤田さんは肯定的な見方を述べた。

 今年は阪神大震災20年、JR福知山線脱線事故10年、さらに戦後70年と節目の年が重なっている。取材体制や放送頻度は違うが、各局の担当者は、スピードが要求される日々のニュースとは別の視点から、時代の側面を切り取ろうと悪戦苦闘していた。「日本の今は、日本のどこかの今でしかない。身近な日常の先にしか普遍はない」。取材中、あるディレクターが話した言葉が心に残った。

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◇在阪民放のドキュメンタリー番組枠

放送局 番組名         放送時間帯
MBS 映像’15       毎月最終日曜深夜0時50分(ローカル)
ABC テレメンタリー2015  毎週日曜朝5時20分(全国ネット※)
KTV ザ・ドキュメント     不定期(年6回以上、ローカル)
YTV NNNドキュメント’15 毎週日曜深夜0時55分(全国ネット※)
TVO ザ・ドキュメンタリー   不定期(年2回程度、全国ネット)
※随時自社制作

◇碓井広義・上智大教授(メディア論)の話

 関西の民放ドキュメンタリーの特色は、大上段に天下国家を論じるのではなく、生活感があって、足元の日常を掘り下げている番組が多いことだと思う。キー局が、局内外に忖度(そんたく)し、自主規制を強めている中、中央との距離をうまく利用して取り込まれないでいる。

 関西の放送局のドキュメンタリー制作者や報道番組の担当者と話をしていて感じるのは、「真面目」「好奇心」「反骨精神」だ。そして良い番組というボールを投げると、共感してきちんと打ち返してくれる視聴者がいる。この信頼関係が番組作りの土壌になっていると感じる。


(毎日新聞 大阪朝刊 2015年05月29日)

【気まぐれ写真館】 HTB「イチオシ!」 2015.05.29

2015年05月30日 | 気まぐれ写真館


今週の「国井美佐アナウンサー」

【気まぐれ写真館】 札幌 気温29度 2015.05.29

2015年05月30日 | 気まぐれ写真館

【気まぐれ写真館】 北海道限定 余市白ぶどうソーダ

2015年05月30日 | 気まぐれ写真館

書評本: 『吉原まんだら~色街の女帝が駆け抜けた戦後』ほか

2015年05月29日 | 書評した本たち



「週刊新潮」に書いた書評は、“吉原の女帝”をめぐるノンフィクションなどです。

いやあ、いろんな人生があるもんですねえ、って当たり前か。


<ノンフィクション>

清泉 亮 『吉原まんだら~色街の女帝が駆け抜けた戦後』 

徳間書店 1944円

ノンフィクションを読む楽しみとは何だろう。理屈抜きで言えば、「知らなかったことを知る」醍醐味ではないだろうか。しかも社会問題や事件などの真相もさることながら、人間の面白さに勝るものはない。「こんな人がいたのか」、「こんな人生があるのか」という驚きと共に、人間や社会に対する既成概念を覆される快感があるからだ。

本書の主人公は、「おきち」こと高麗(こま)きちという女性だ。93歳になるおきちの別名は“吉原の女帝”。赤線時代からの吉原を知る生き証人である。戦後の70年間、キャバレーからソープランドまで、男たちの欲望に応える様々な商売を手がけてきた。もちろん、これまでメディアには一切登場していない。

現在も吉原の街で暮らすおきちは得体の知れない著者を「フーテン」と呼び、なぜか例外的に自宅への出入りを許す。以来4年間、雑談のような、取材のような不思議な会話を続けてきた。徐々に明らかになるのは、亭主の思いつきから、いきなり「女郎屋」の経営者になった女性の波乱万丈の半生だ。

そこには法律や権力とのせめぎ合いだけでなく、吉原という場所ならではのサバイバル、さらに店を取り仕切る苦労があった。「人殺しを使えるようじゃなきゃ、やってらんねーんだよ」という口癖にもリアリティがある。今もなお、一介の老人にすぎないはずの彼女の元には、代議士や地元有力者、銀座のママまでが相談に訪れる。著者はそんなおきちに、人間的魅力と経営者的才覚を見るのだ。

本書ではもう一人、日本最大のソープランドチェーンを率いる鈴木正雄会長の人物像も描かれる。“ソープの帝王”が語る戦後は、まさに「こんな人生があるのか」の連続だ。著者はおきちや鈴木から話を聞くと同時に、吉原の歴史や風俗に関する膨大な資料を再構成し、的確に挿入していく。それが本書に私家版・遊郭文化史とも言うべき独特の奥行きを与えている。


<十行本棚>

野村宏平 『乱歩ワールド大全』

洋泉社  1620円

全作品をキャラクター、トリック、設定などから多角的に精査している。怪人、美女といったキーワードで浮かび上がる乱歩ワールドの住人たち。また変身願望、覗き趣味、自己愛から見た作家・乱歩。研究家というより“乱歩狂”と呼ぶべき著者の労作である。


内田樹:編 『日本の反知性主義』
晶文社 1728円

社会に広がる反知性主義と反教養主義を論じよう。そんな編者の呼びかけに集結したのは『永続敗戦論』の白井聡、『愛と暴力の戦後とその後』の赤坂真理、『路地裏の資本主義』の平川克美など9人。この国を危うくする政策が支持される背景には何があるのか。

(週刊新潮 2015.05.28号)


AR(拡張現実)導入で始まっている、「広報」新時代

2015年05月28日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評


ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。

今回は、埼玉県三芳町の広報紙「広報みよし」が行っている、広報における新たな挑戦について書きました。


ある小さな町の広報紙がヤバすぎる!
写真にスマホをかざすと音声と映像が!

ARとは?

近年、広報映像の発信方法が多様化している。いわゆる広報番組や広報ビデオというかたちだけでなく、インターネットの活用が当たり前になってきた。そして最近、さらに新たな技術の応用が加わった。AR(オーグメンテッド・リアリティ、拡張現実)技術だ。

すでに馴染みのあるVR(ヴァーチャル・リアリティ、仮想現実)は、コンピュータによる五感への働きかけによって、人工的な現実感をつくり出す。

一方、ARは現実のコンテンツに、現実にはない情報を付加することでインパクトを与える。いわば現実の一部を改変するわけで、具体的には目の前にある現実空間にデジタル情報を重ね合わせて表示するのだ。

5月8日、地方自治体の広報活動向上に寄与することを目的に実施されている「全国広報コンクール」の結果発表があった。筆者は、その映像部門で審査委員を務めているが、2席に入選したのが埼玉県三芳町(人口約3万8,000人)である。

AR技術導入で「手話講座」

同町では、全国の自治体に先駆けて広報にAR技術を導入し、広報紙『広報みよし』の写真や絵にスマートフォン(スマホ)やタブレット端末をかざすと、映像と音声が流れてくる仕掛けを施した。受賞映像は動画による「手話講座」だ。

ここでは、手話による季節の挨拶や単語を動画で学ぶことができる。出演しているのは町内の手話サークルのメンバーだ。紙媒体での図解などでは伝えきれないニュアンスも、動画ならよりわかりやすく伝えることができる。全体が軽快で明るく、楽しい映像であることも評価された。

また、『広報みよし』は、印刷以外、つまり動画撮影や編集をはじめARにかかわるすべての作業(取材、写真撮影、デザインレイアウトなど)を、ほぼ一人の職員が行っていることも特色だ。外部委託ではないため、ARの導入費や運営費用は0円なのである。

もちろん、他の市町村がそのまま踏襲することはできないかもしれない。しかし、すでにこうした先進的な広報の取り組みが行われていることは、しっかりと認識しておきたい。

ちなみに映像部門では2席だった同町だが、『広報みよし』は内容や写真のクオリティーが認められ、コンクールの最高賞である内閣総理大臣賞に輝いた。

(ビジネスジャーナル 2015.05.26)


ビジネスジャーナル連載
碓井広義「ひとことでは言えない」
http://biz-journal.jp/series/cat271/

40年前のテロ事件 フジテレビの取り組みを評価

2015年05月27日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評



日刊ゲンダイに連載している「TV見るべきものは!!」。

今回は、フジテレビ「金曜プレミアム 連続企業爆破テロ 40年目の真実」を取り上げました。


フジテレビ系 金曜プレミアム
「連続企業爆破テロ 40年目の真実」
事件の風化に歯止めをかけ、
現在へと目を向けさせた意義は大きい

1975年5月19日、連続企業爆破テロの犯人たちが逮捕された。前年8月に三菱重工本社、その後三井物産本社や鹿島建設なども標的とされた衝撃の事件だった。

このドキュメンタリードラマに登場するのは、大道寺将司たち犯行グループ、彼らを追った公安刑事、そして必死の取材を続けた産経新聞社会部だ。外部からはうかがい知れない各々の動きが、ドラマにすることで有機的につながり、リアルな物語となっていた。

番組にも登場する元産経新聞社会部キャップの福井惇氏が、「狼・さそり・大地の牙」と題する回想記を上梓したのは6年前のことだ。後に新協会賞を受けることになる執念の取材活動は、本書を基に描かれていた。

また犯人を追い詰めていく公安刑事たちの捜査の様子は、制作陣が入手したという「超一級の極秘資料」が明らかにしていた。一部の幹部のみに配布された資料のタイトルは「連続企業爆破事件の概要」。1992年11月に作成されたものだ。ここには9か月に及んだ捜査の全貌が克明に記されていた。

事件発生から約40年。確かにその記憶も薄れている。しかし、今ほど世界が「テロ」の脅威にさらされている時代もない。報道色の強いドキュメンタリードラマという形で、事件の風化に歯止めをかけ、現在へと目を向けさせた意義は大きい。

(日刊ゲンダイ 2015.05.26)

【気まぐれ写真館】 「Pepper」

2015年05月26日 | 気まぐれ写真館

【気まぐれ写真館】 郊外2015

2015年05月25日 | 気まぐれ写真館

書評した本: 『みうらじゅんのゆるゆる映画劇場』ほか

2015年05月24日 | 書評した本たち



「みうらじゅん」という名前があると、新聞でも雑誌でも、つい見てしまうし、読んでしまう。

たとえば、『SPA!』を手にとれば、真っ先に「グラビアン魂」だ。

ほんと、好き勝手なこと、それも妄想爆発みたいなことばかり言っていて、それがことごとく面白い。

もちろん、この『みうらじゅんのゆるゆる映画劇場』も同様です。




<文庫>

みうらじゅん
『みうらじゅんのゆるゆる映画劇場』

文春文庫 853円

著者本人による肩書きは「イラストレーターなど」。この「など」の部分にディープな嗜好が散りばめられている。仏像、エロ写真、そしてロック。しかしB級映画についてもこれほどのマニアだったとは。

『ビースト~巨大イカの大逆襲』などの特撮ものから、『新・個人授業』といったエロものまで、短文とイラストの苦笑・爆笑ページが続く。読みどころは噴出する名言の数々である。

「愛とは、つまりやりすぎることである」(『愛の流刑地』)。また「若い頃はオッパイで、年を取るとおしりっていう男のルールがある」(『Tバックビーチバレー』)。映画の面白さは、見た者が発見するものだと実感する。


「大竹まことの金曜オトナイト」スタジオ収録で


<十行本棚>

チョウ キジェ
『指揮官の流儀~直球リーダー論』
 
角川学芸出版 1404円

湘南ベルマーレ監督である著者は、「湘南スタイル」と呼ばれる独特のサッカーで勝負してきた。選手と本音で向き合う。リスクと規律。攻めの姿勢。そして、責任は指揮官。本書で語られるリーダー論とマネージメント哲学は、ビジネスシーンでの応用も効く。


谷崎潤一郎
『谷崎潤一郎対談集 文藝編』

中央公論新社  5838円

昨年刊行された藝能編に続く本格的対談集の第2弾。永井荷風との女性談義では「僕は大体素人が好きなんです」と語り、戦後に親交を深めた志賀直哉とは、小説から映画まで話が弾む。師弟関係にあった今東光との新春対談からは、文豪の笑い声さえ聞こえてくる。


浦戸 宏 
『縛師~日活ロマンポルノ SMドラマの現場』

筑摩書房 2592円

SM誌の編集者だった著者が、映画『花と蛇』で“縛り”を手がけたのは1974年のことだ。以来50本以上のSM作品に関わった。怒涛の現場と緊縛の美学。女優・谷ナオミや作家・団鬼六の秘話も含め、生きた日活ロマンポルノ裏面史であり、挽歌でもある。

(週刊新潮 2015.05.21菖蒲月増大号)


【気まぐれ写真館】 「卒業写真」の撮影

2015年05月23日 | 気まぐれ写真館















「なぜテレビから“やらせ”はなくならないのか?」を考える

2015年05月22日 | メディアでのコメント・論評


「ダイヤモンド・オンライン」のインタビューを受けました。

テーマは、NHK「クローズアップ現代」のケースを軸とした、テレビのやらせ問題についてです。


DOL特別レポート
『クロ現』疑惑の教訓
なぜテレビから“やらせ”はなくならないのか?
碓井広義・上智大学教授に聞く

NHKの報道番組『クローズアップ現代』のやらせ疑惑を機に、テレビ業界で番組づくりの倫理が改めて問われている。過剰演出とやらせとの境界線はどこにあるのか。視聴者がそれを見抜くことはできるのか。自らもテレビ番組の制作に20年以上携わった経験を持ち、放送倫理に詳しい碓井広義・上智大教授(メディア論)に詳しく聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)

 疑惑消えぬ『クローズアップ現代』
 NHKの報告書から真実は見えるか?


――4月末、『クローズアップ現代』(以下「クロ現」)のやらせ疑惑について、NHKが調査報告(「クローズアップ現代」報道に関する調査報告書)を発表しました。これは、2014年5月14日に放送された『クローズアップ現代 追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人』の中で報道された内容に、当時取材にあたったNHK記者の指示による「やらせ」があったことが指摘されている問題です。報告書の信用性が低いと目され、5月になって、BPO(放送倫理・番組向上機構)がこの問題の審議に入りました。今回の報告書をどう評価していますか。

ことの発端は『週刊文春』の記事でしたが、告発者はこの番組の出演者でした。この「出家詐欺」の回は、報告書でA氏とされる出家詐欺のブローカーや、そのブローカーに出家詐欺の相談をしに来たB氏とされる多重債務者を映像に収めることができたというところに、スクープ性がありました。

しかし、B氏はもともと記者の知り合いであり、A氏はB氏に頼まれて撮影現場に赴き、記者に言われるままブローカーを演じていただけだったという報道は衝撃的でした。

A氏は撮影当時、番組の趣旨を記者から詳しく伝えられておらず、番組放送後に知人から「あの男はお前じゃないのか?」などと疑いをかけられ、真実と違う報道で人権を侵害されたとして、4月下旬にBPOに対して審理を申し立てていました。4月末に出されたNHKの「報告書」も、このA氏の告発を受けてのものです。

私は当時の番組を実際に見た上で、NHKの報告書を読みました。『クローズアップ現代』の過去の放送回は、NHKのオンライン上で一般人がいつでも見られる状態になっています。「出家詐欺」の回も同様で、我々専門家をはじめ世間が番組の検証をし易いという意味でも、よかったと思います。これは珍しいケースですね。

検証した結果、この報告書の内容は苦し紛れのエクスキューズにしか聞こえない、という結論に達しました。「内部調査の結果、A氏についてはブローカーであるという確信が持てなかった」「当時記者はA氏がブローカーでなければ語れないことを語っていたから、信憑性を感じた」といった主旨の中途半端な説明に終始しています。報告書は、記者の言い分をNHKが認めて作成されたものだと感じました。

改めて考えてみると、やはりこの番組は「出来過ぎ」です。「多重債務者が出家すれば借金がチャラになり、その後名前を変えればまた借金をできる」というブローカーの説明を、記者が事務所で聞いているときに、たまたま多重債務者が出家詐欺の相談にくる。しかも、スタッフがその状況を隣のビルからきれいに撮影し、会話もしっかり録音している。そして、取材後に事務所から出てきた多重債務者を記者が追いかけ、彼の取材にも成功している。普通の報道番組で、ここまで段取りがスムーズに進むことは滅多にありません。

疑惑が真実であれば、実際は記者の欲しい映像を撮って、それを組み合わせていっただけの代物ということになります。にもかかわらず、報告書は「事実の捏造につながる、いわゆる『やらせ』はなかったものの、裏付けがないままこの男性をブローカーと断定的に伝えたことは適切ではなかった」などと結論づけています。記者が本当にA氏の素性を知らなかったどうかについて、十分な説明もなされていません。

 「出家詐欺」はスクープと言えるのか?
 「やらせ」と「過剰演出」の境界線


――報告書では、「やらせ」ではなく「過剰演出」であったという説明に終始していますね。

「演出」は番組の制作現場で普通に行われること。そこに「過剰な」という言葉がついているので、NHKは「少々度を越して力の入ってしまった演出」ということを、言いたいのでしょう。視聴者にわかりやすくするためにこうした、ということです。

しかし報道によると、記者とB氏は長年の付き合いにもかかわらず、取材時に初めて会ったかのようにインタビューが行われている。しかも、後にA氏は記者に頼まれて演技しただけ、と訴えている。

さらに、取材後に記者はA氏やB氏と、居酒屋で打ち上げをしていたとも報じられています。これは明らかにおかしい。報告書では「そこには別の人も参加した」とありましたが、到底言い訳になりません。私はテレビ業界に20年近くいましたが、犯罪がらみの取材相手と慰労会をしたことなどさすがにありません。そんなスクープが、どこにあるのでしょうか。

これらが事実なら、一般人が考えても、過剰演出を通り越した明らかな「やらせ」でしょう。にもかかわらずNHKは、「過剰演出」という言葉を強調して早々と関係者の処分を行い、幕引きしようとしています。そこでようやくBPOが待ったをかけ、審議入りしたわけです。

過去にもやらせ問題は民放のバラエティ番組などで度々起き、番組が打ち切りになったり、責任者のクビが飛んだりという事例はいくつもありました。今回やらせが行われたのは、視聴者に真実を伝えるのが使命の報道番組であるため、ことの重大さは格段にハネ上がります。だから同局は、何としてでも「やらせ」と言う言葉を使いたくなかったのだろうと想像できます。クローズアップ現代を、籾井会長を、そしてNHKを守りたいという意向が強く働いていたことをうかがわせます。

 誇張、削除、歪曲、捏造――。
 実はやらせの定義には幅がある


――そもそも、テレビ番組の「やらせ」に明確な定義はあるのでしょうか。

実は、やらせには「幅」があるのです。第一に小さなことを大きく見せる「誇張」、第二に都合が悪いことをなかったように見せる「削除」、第三に事実をねじまげる「歪曲」、そして第四に、何もなかったことを実際にあったかのように見せかける「捏造」です。

このように、やらせに当てはまる行動にはいくつか種類がありますが、NHKは「捏造につながるやらせには該当しない過剰な演出」と説明している。これは定義の幅を意識的に狭めているともとれます。

――「やらせ」は、世間にどのような悪影響を与えるでしょうか。

「やらせ」が世の中に与える負の影響は、第一に、視聴者に誤った情報を伝えること。「やらせ」が許されたら何でもスクープになってしまい、視聴者はそれを鵜呑みにします。第二に、取材対象に迷惑がかかること。実際に今回も、ブローカーを演じさせられたというA氏に大きな迷惑がかかっています。そして第三に、別の制作者に迷惑がかかることです。出家詐欺は本来問題提起されるべき重要なテーマですが、このような状態では他のテレビ局にも自粛ムードが漂い、番組制作現場では当面、出家詐欺に関する企画を提案することさえ難しい状況になるでしょう。これは視聴者にとっても、大切な情報を得られなくなるという意味で大きなマイナスになります。

――いわゆる「クロ現疑惑」は、NHKやテレビ業界に今後どんな影響を与えそうですか。

私自身は、『クロ現』そのものを高く評価しています。これまで様々な社会の課題に踏み込んで、わかりやすく視聴者に伝えてくれた功績は大きい。それだけに、今回のような番組づくりが行われたのは非常に残念だし、「クロ現はいつも杜撰な番組づくりを行っているのではないか」という疑念を一部の関係者が視聴者全体に植え付けてしまったことには、憤りを感じます。

もしもBPOの検証結果がグレーではなく、本当に黒だったとしたら、『クロ現』そのものが打ち切りになる可能性もある。そうなったら、テレビ業界にとって大きな損失です。NHKばかりでなく、ジャーナリズム全体に対する信頼を損ねたと言うべきでしょう。

 演出自体はどの番組でも当たり前
 伝達の法則に照らせば境界線は見える


また、先ごろ政府与党は、NHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、事情聴取を行いました。テレ朝は『報道ステーション』における古賀茂明氏の「官房長官からの圧力発言」が問題とされましたが、NHKは『クロ現』という番組の制作体制そのものが問題視されました。明らかに「クロ現疑惑」は、放送に権力が介入することを許す事例となってしまった。これはメディア全体にとって、大きな問題です。

――テレビ業界では、以前からやらせ問題が絶えません。番組関係者がやらせとは認識せずにやらせを行っているケースもあるかもしれません。クリエイターの集団であるテレビの制作現場では、演出とやらせの境界線を意識することが難しい側面もあるように思います。『クロ現』のケースは、なぜやらせになってしまったのでしょうか。

『クロ現』のケースでは、「番組をこういうストーリーにしたい」という制作側の意思が、あまりにも強かったのかもしれません。記者の意識は、「本当にあったことを再現しているだけ」という演出に近いもので、大きな罪悪感がなかったとも考えられます。そして彼は、自分が描いたストーリー通りに「役者」を集め、段取りを整え、自分がほしい「絵」をつくっていった。結果として、それがやらせになってしまったのではないでしょうか。

今も昔もテレビマンにとって重要なのは、伝達の法則(報道の原則)である「5W1H」(Who~誰が、What~何を、When~いつ、Where~どこで、Why~なぜ、How~どのようにしたのか)をしっかり意識することです。自分がつくろうとしている番組で、この「5W1H」のどこを変えようとしているのか、どこまでを演出して、その結果どの部分が現実と違ってくるのか、と冷静に自己検証する意識があれば、演出とやらせの境界線は見えてきます。記者には、それがなかったと言わざるを得ません。

番組で1つの出来事を全て再構成されたら、視聴者にとっても専門家にとっても、どこまでが事実かを見極めることはかなり難しい。実際にやらせが行われていたとしても、やらせをしている本人か関係者が言い出さない限り、発覚のしようがありませんから。こうした環境の中で、現場における演出とやらせの境界線がぼやけていくのです。

――そもそも過剰になると「やらせ」につながりかねない「演出」の在り方自体を、テレビの制作現場は見直すべきでしょうか。

一概にそうとは言えません。程度の差はあれ、「演出」自体はテレビ番組の制作において必要なものであり、どの現場でも普通に行われていることだからです。1つ言えることは、『クロ現』においても出家詐欺の映像に「再現VTR」という言葉が入っていれば、やらせにならなかったのです。出家詐欺という現象は実際にあるので、その存在や説明自体は嘘ではないけれども、役者ではなく、「詐欺の当事者」として登場しながら、実際には当事者かどうか疑わしい人たちが映っていたから、問題になったわけです。

また、実際にカメラの前で起きていないことを現実のように報道しても、問題ないケースもあります。たとえば、ドキュメンタリー番組をつくるときに、昨日の夕日の映像を「今日の夕日」として番組の最後のシーンに使っても、それによって大きく事実が歪められることはないし、不利益を被る人もいません。こうした場合は、わざわざ「再現」というクレジットを入れる必要はないと言えます。

 個人のプロフェッショナリズムしか
 やらせを防止する手立てはない


――「越えてはいけない一線」のようなものは、テレビの制作現場において、関係者間できちんと共有されているのでしょうか。

確固たる線引きが現場にあるわけではありません。また線引きの程度は、報道、ドキュメンタリー、情報、バラエティといった番組のジャンルによっても違ってきます。報道番組は世の中で起きていることをありのままに伝えることが使命なので、やらせが入り込む余地はほとんどありません。一方ドキュメンタリー番組は、作り手がテーマを設定して、ニュースでは伝え切れない裏側まで掘り下げて見せていきます。その過程で事実の再構成が必要となるため、やらせが入り込む余地は増えてきます。

たとえば、1992年に『NHKスペシャル』で放送された『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』という番組では、ネパール政府の協力のもと、外国人の立入禁止が解除されたばかりのムスタン王国に、険しい山を乗り越えて取材班が足を踏み入れる様子が放送されました。そのなかで、スタッフに高山病にかかったマネをさせる、流砂や落石を人為的に起こす、などのやらせがあったことが指摘され、社会問題になりました。

落石については、実際に頻繁に落石がある危険な場所だということを伝えるために、スタッフがわざと石を落としたそうですが、「落石の部分だけに『再現』というクレジットを入れなければいけなかったのか」ということについては今でも議論が分かれています。「やらせはなかった」「あれは許されるやらせだった」という人もいます。ドキュメンタリーにおいてやらせの境界線の線引きは非常に難しく、裏を返せばだからこそやらせが入り込む余地も多いということです。

――結局は、現場における1人1人の心がけ次第、ということでしょうか。

そう思います。重要なのは、テレビマン1人1人のプロフェッショナリズム。プロとしての線引きを自らが意識してチェックしていかないと、根本的にやらせを防ぐことはできません。

今回の「クロ現疑惑」を受けて、今後NHKでも社内でコンプライアンス研修会の開催、マニュアルの見直し、チェック体制の強化などが試みられるでしょうが、それは型どおりの対応に過ぎません。それらも確かに必要ですが、最後は作り手のプロフェッショナリズムによるところが大きいと思います。

番組の最後に関係者の名前がクレジットで出る意味は、作り手の名誉のためではなく、番組に対してスタッフが責任と誇りを持つためです。関係者は、自分がつくったものが何百万人の視聴者に見られるという「怖さ」を自覚し、絶えず自分が今やっていることは正しいかをチェックすべきでしょう。「誇りと畏(おそ)れ」は、テレビマンにとって重要な意識です。

ただ、テレビ不況、視聴率の低迷、インターネットメディアの台頭などにより、テレビ制作の現場は熾烈な競争に晒されながら、低い予算、短い制作期間での番組づくりを求められています。そんななかで安易な番組づくりに走らないよう、どれだけプロフェッショナリズムを持ち続けられるかは、人によるでしょう。

――視聴者の側でも、今後テレビとの向き合い方を意識する必要がありそうですね。

テレビ番組は、情報の取捨選択、取材・撮影、映像の編集といった、作り手側による何重もの「選択」を経てつくられていることを、忘れてはいけません。その背景には制作者側が込めた何らかの「意図」があり、多かれ少なかれ再構成されたものであることを、視聴者は意識しながら観る必要があります。

もちろん、何でもかんでも疑うべきだということではなく、これだけ情報が溢れている世の中では、観る側のリテラシーも問われるということです。

 朝日の「従軍慰安婦誤報問題」は
 記者の期待感が目をくらませた


――やらせ問題は、新聞でも起きています。たとえば朝日新聞を例にとると、1989年の「サンゴ記事捏造事件」などは悪質なやらせでした。しかし、昨年社会問題となった「従軍慰安婦誤報問題」については、「やらせ」「捏造」という批判もありましたが、実際にそう言えるかどうか微妙です。韓国の済州島で女性を強制連行して日本軍に引き渡したという吉田証言を虚偽だと判断した朝日は、その証言をベースに書かれた一部の記事を取り消し、自社の報道を検証する特集記事を掲載しました。かねてより関係者間で吉田証言を疑問視する声もあったようですが、記者にとってその真偽を正確に見抜くことは難しいことも事実です。このへんの評価は、難しいですね。

朝日新聞であの記事を書いた記者たちも、客観的な報道を心がけてはいたのでしょうが、「こういう事例があったら、自分たちの伝えたいことにマッチする」という期待感が先行してしまったと考えると、あの現象は理解できます。だからこそ、吉田証言を何度も大きく取り上げていった。記事を書いた記者個人にとって、「間違いであってほしくない」という期待感と、「疑わしい」という客観的な視点のどちらが強かったかによって、取材の仕方は違っていたでしょう。期待感が目をくらませてしまったのが、実情ではないでしょうか。

また、会社の期待感に社員記者の期待感が連動し、その結果国内外の世論形成に大きな影響を与える誤報が生まれたとしたら、やはり朝日新聞は社としての責任を免れないと思います。

(ダイヤモンド・オンライン 2015.05.21)

朝日新聞で、橋下徹・大阪市長「敗北」会見についてコメント

2015年05月21日 | メディアでのコメント・論評



朝日新聞で、橋下徹・大阪市長による「敗北」会見についてコメントしました。

映像として残り、また拡散していくことを十分計算した上での、言葉と表情だっと思います。


<ニュースQ3>
一世一代の大勝負、
敗者のあるべき振る舞いは?

「負けは負け」。一世一代の大勝負の敗北をきっぱり認めた橋下徹・大阪市長。政界からは引退をすると表明したが、その後も人生は続く。負けたときは、どうしたらいいのか。

 ■橋下市長会見、批判と称賛と

17日午後11時過ぎ、大阪・中之島のホテル。5年間ずっと主張し続け、政治生命をかけた「大阪都構想」を住民投票で否決された直後だった。約200人の報道陣の前に姿を現した橋下市長は、つきものが落ちたように晴れ晴れしていた。

敵をつくる手法で政治や市民を分断し、「リーダー」「独裁者」と評価も割れたが、会見では「ノーサイド」。

日曜の深夜にもかかわらず、ツイッター上では次々と投稿が寄せられた。「無責任だ」「傲慢(ごうまん)」との批判の一方、「敗軍の将として見事」などと称賛する意見が目立った。

 ■今後の展開を考えた戦略?

穏やかな表情。「残念」という言葉を使わないスピーチ。有権者を責めず、逆に感謝する姿勢。テレビ評論家の丸山タケシさんは「この場面で自分の努力をひけらかしたり泣いたりすると世間に嫌われる。それが分かっていたのでしょう」と指摘する。

上智大の碓井広義教授(メディア論)も「自身の会見映像がネットで拡散されることも想定して、今後の展開に有利なようにアピールしたのではないか」と分析する。

厳しい勝負を目の当たりにしてきたスポーツジャーナリストの二宮清純さんは、住民投票の結末や会見をみて「存在感を残した負け方。敗れてなお強し」との印象を抱いた。

「今回は下馬評が低い方が追い上げを見せ、最後までどちらが勝つか分からない展開だった。競馬でいえば『ハナ差』での負け。こういう負け方の馬には、次に賭けたくなる」という。

 ■その後の人生、言動が影響も

負けた時の振る舞いが、その後の人生に影響することもあるという。

過去に日本男子柔道の監督を務め、今はワイドショーの人気者の篠原信一さん(42)。2000年のシドニー五輪男子柔道決勝で微妙な判定で敗れ、「弱いから負けた。それだけです」とコメントした。「この発言に潔さを感じた人は多く、彼の今の人気にもつながっている」と二宮さんは話す。

92年のバルセロナ五輪マラソンのレース中に転倒し、8位入賞となった谷口浩美さん(55)。ゴール後の「こけちゃいました」という発言は、今も語りぐさとなっている。

「あれは、言い訳だったんです」。谷口さんは、そう振り返る。日本代表として優勝が当たり前と期待されていたなかでのトラブル。他の選手に足を踏まれ、靴が脱げた。自分が転んだことを知らない視聴者に説明しようと、自然に口をついた言葉だった。「『すてきだ』という周辺の反応に、驚きました」

当時は、自分の失敗に申し訳ない気持ちだったが、あの言葉で、逆に応援している人の存在にきづかされた。「そのおかげで次の五輪まで頑張れた」と話す。

その谷口さんに、橋下市長の振る舞いはどう映ったのか。「力を出し切ったようにも見える。でも、これからは、建前じゃなくて本音で接した方が、いいのではないでしょうか」
(千葉卓朗、吉浜織恵)

(朝日新聞 2015年5月20日)