碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

今日31日(土)は「イチオシ!モーニング」に出演

2012年03月31日 | テレビ・ラジオ・メディア
「イチオシ!モーニング」新MC陣



昨日は「イチオシ!」で、消費税増税問題などでコメント。

社内には、「イチオシ!」10周年のポスターが。



もう10年かあ、早いなあ(笑)。


今日31日(土)は、朝7時から、HTB北海道テレビ「イチオシ!モーニング」に出演します。

26日から司会陣が新メンバーとなったばかり。

平日のMCは林和人アナと石沢綾子アナ。

土曜が依田英将アナと木村愛里さん。

この新体制での私の出演は、今回が初めてとなります。

よろしくお願いします。

UHB「トークDE北海道」の終了

2012年03月31日 | テレビ・ラジオ・メディア

30日(金)、UHB北海道文化放送の看板番組「のりゆきのトークDE北海道」が終了した。

18年という長寿番組でもあった。

私が最初に出演したのは、ほ千歳市にある千歳科学技術大学に赴任していた頃で、東京に戻ってからも月に一度のペースでコメンテーターを務めさせていただいてきた。

だから8年ということになる。

お世話になりました。

最終回は、この番組の名物である視聴者との電話を、可能な限り放送するという形だった。

これもまた、「トーク」らしいエンディングかもしれない。

のりさん、スタッフの皆さん、本当におつかれさまでした。











週刊新潮で、視聴率12%台「平清盛」についてコメント

2012年03月30日 | メディアでのコメント・論評

NHK大河「平清盛」の視聴率が12%台にまで落ち込んだ。

「週刊新潮」より取材があり、コメント。

発売中の最新号に記事が掲載されました。

いやあ、タイトルがすごい(笑)。


驕ることなく
死んじまいそうな「平清盛」


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・・。

NHKの誇る大河ドラマもまた盛者必衰、不変とはいかないようだ。大河50年目の記念作『平清盛』の視聴率が、13%をも割った。

初回から17・3%と、大河にしては低空飛行ではあったが、3月25日放送の第12話ではとうとう12・6%と今期ワーストを更新。

昨年、散々だった『江~姫たちの戦国~』(ワースト/13・1%)ですら果たし得なかった数字である。

「東の横綱が『江』なら、西の横綱は『清盛』といっていいほど、ツマラナイのだから無理もない」とは放送評論家の島野功緒氏だ。

「初回と2話はまだ期待が持てた。しかし、最近は会話になるとクローズアップの繰り返しばかりで、動きも見せ場もない。時代劇を分かっているスタッフがいないのではないか。

ただでさえ馴染みのない時代に、人間関係が複雑な上に、同じ顔の女優ばかりで誰が誰だか分からなくなる」(同)

上智大学の碓井広義教授(メディア論)も、「NHKのホームページは“今からでも、わかる”と宣伝しているけれど、見るとちっとも分からない。

しかも閉塞感漂う朝廷ドラマになっているから、後味が悪い。たまに出てきた源氏も平氏も『俺の子を産め』ばかりでは、女性視聴者も離れるでしょう」


伊東四朗の物の怪ぶりが光った白河法皇はすでに亡く、楽屋内のわがままぶりが報じられた檀れい演ずる璋子も、ワーストの記録と共に消えた。

物語はようやく源義朝(玉木宏)が京に上り、源平打ち揃ったところだが、話題性すら潰えた。しかし放送予定は半年以上も残っている。

「もともと原作はないのだから、脚本を練り直すべき。あれから30年・・・って、源平合戦に入ってしまった方が躍動感もあって数字も取れる。ただ、その時には清盛はいないけど」(同)

驕ることなく、史上初の打ち切り、って手も?

(週刊新潮 2012.4.5号)


今日30日(金)は札幌で「イチオシ!」

2012年03月30日 | テレビ・ラジオ・メディア

四谷キャンパスで、学部生に向けて新年度のガイダンス。

対象は1、2、3年生だが、みんな、来週からは2、3,4年生だ。

それを終えて羽田へ移動。




飛んで、札幌着。

気温は6度です。

東京と10度違いだけど(笑)、さすがに3月末で、あまり寒くはない。




今日30日(金)は、午後のHTB「イチオシ!」でコメンテーターです。


就職活動中の学生諸君に

2012年03月29日 | 大学

今週は卒業式だったけど、もう週明けには入学式が行われる。

で、現在3年生はといえば、就職活動の真っ最中だ。

そこで、就職活動中の学生の皆さんのために、ささやかな参考資料を提供してみます。

評論家の佐高信さんは知ってるよね(笑)。

その佐高さんが以前、インタビューに答えていたもので、学生が企業というものを理解していなんじゃないか、という文脈でのアドバイスだ。


佐高:そもそも、いまだに若者には、企業、特に日本を代表するような大企業は素晴らしいものだという誤解があるよね。でも、企業は、封建制で成り立っているもの。江戸時代の藩と一緒なんだよ。トヨタ藩であり、松下藩である。だから社長は世襲が多いし、従業員には言論の自由もないから、企業にとって不都合な情報は表に出にくい。そんな中で、企業の実態を知るために読むべきなのが、経済小説だね。就活中の学生には、会社案内やリクルート本だけじゃなくて、経済小説も読んでもらいたいな。

【1】『濁流 企業社会・悪の連鎖』(上・下巻)
高杉良/角川文庫(02年)/各680円
経済誌のオーナー・杉野は、新興宗教にハマる大物フィクサー。大企業や財界人の弱みにつけ込んでは、広告料などの名目で巨額のカネを集める杉野に、政官財界は翻弄され続ける。
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【2】『総会屋錦城
城山三郎/新潮文庫(63年)/620円
「どの大企業にも、数匹、数十匹のダニがついている。用といえば、年に二回の総会ですごんだ声をかけるだけ」。株主総会やその裏で暗躍する総会屋のボスを描く直木賞受賞作品。
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【3】『虚業集団』
清水一行/集英社文庫(77年)/377円
戦後の混乱期に戸籍を消された上条健策は、独特の手口で手形の回った企業をそっくり食い続ける知能ギャング。モデルは、後に西武総会屋利益供与事件で逮捕される芳賀龍臥。
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【4】『銀行大統合』
高杉 良/講談社文庫(04年)/770円
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の各トップは、金融界の大再編に着手した──。トップ同士の調整や会談など、メガバンク誕生の真相に迫る。
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【5】『金色の翼 暴かれた航空機商戦』(上・下巻)
本所次郎/読売新聞社(97年)/各1470円
運輸行政の裏で、米国の航空機メーカーからのリベートに群がる政官財の大物たち。ロッキード事件をモチーフに、元総理逮捕へと拡大する航空会社を舞台にした汚職を描く。
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【6】『白昼の迷路』
三好 徹/文藝春秋(86年)/1050円
1982年に起こった、IBMの機密を盗んだとして、日立製作所の社員が逮捕された産業スパイ事件がモチーフ。スパイ事件で明らかになった、企業と社員の冷酷なる関係を描く。
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【7】『小説電通』
大下英治/ぶんか社(03年)/1575円
メディアへの影響力を駆使して、ほかの代理店をメインにすえる企業をクライアントとして奪う、巨大広告代理店の実態を描く。四半世紀前の小説だが、業界構造は今も変わらず。
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【8】『トヨタの正体 マスコミ最大のパトロン』
横田一ほか/金曜日(06年)/1050円
〈プリウスは環境に優しくない〉〈最高級車レクサスと、100万円以上も安いマークXの構造は同じ〉〈格差が歴然とした労働環境〉......暴走する"世界のトヨタ"を徹底批判。
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【9】『電通の正体 マスコミ最大のタブー』
週刊金曜日取材班/金曜日(06年)/1260円
テレビや新聞、雑誌といったマスメディアのみならず、五輪や万博、そして、選挙や政局までも動かす力を持つまでに成長した電通の知られざるバックグラウンドをレポート。


・・・・こういう形の業種&企業研究、確かに有効だと思う。

まずは一冊、どうですか(笑)。


さらば、「中学生日記」

2012年03月28日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』に連載している番組時評「TV見るべきものは!!」。

今週の掲載分では、最終回を迎えたNHK「中学生日記」について
書きました。


半世紀続いた長寿番組の意味と功績


16日、NHK「中学生日記」が幕を閉じた。「中学生次郎」としてスタートしたのが1962(昭和37)年。タイトルを変えながら今年で半世紀という長寿番組だった。

最終回スペシャルには「中学生群像」時代に生徒役だった竹下景子が校長として出演。「命」と題して、いじめ問題を取り上げていた。

いじめに苦しむ生徒が、「私に相談しろ」と諭す担任教師に向かって叫ぶ。「あんたに俺は救えない」。教師(学校)に出来ることと出来ないこと、その境界を手探りで提示してきたのもこの番組の特徴だ。

担任は悩んだ末、生徒たち全員に「自分の心の醜さと向きあうこと。
そして戦うこと」を訴える。この愚直さ、生真面目さもまた番組が長く続いた要因だと言える。

大人たちはこのドラマで中学生の世界を垣間見る思いがしたかもしれない。しかし実際の中学生はどれだけリアルに感じていただろうか。
そんな制作側と現実との距離が、特に近年は広がっていたように思う。

今どきの中学生を取り巻く問題を、「30分1話完結」の形式で描いて
いくのが難しい時代になっているのだ。

とはいえ50年もの間、それぞれの時代の中学生と真摯に向き合ってきた番組の功績は大きい。

その意味でも4月から始まるという“後継”番組が、民放を意識した
中途半端なバラエティー路線でないといいが・・・。

(日刊ゲンダイ 2012.03.27)

卒業、おめでとう!

2012年03月27日 | 大学
(2011年度 新聞学科謝恩会)


昨日(26日)、上智大学は卒業式でした。

やや曇り、というお天気でしたが、雨じゃないならOK(笑)。

午前中、国際フォーラムで学部の卒業式が行われ、午後は四谷キャンパスで各学科に分散して、卒業証書が手渡されました。


















            (碓井ゼミ集合)


夕方からは、恵比寿のお店を借りきっての謝恩会。

女性陣は見事な衣装替えでした(笑)。
























        (再び、碓井ゼミの学生たちと)


みんな、卒業おめでとう!

そして、元気で。

AKB48前田敦子の「卒業」

2012年03月26日 | テレビ・ラジオ・メディア

卒業の季節。

電車に乗っても、女子学生の“はかま姿”を見かける。

そして、こんな卒業情報も飛びだして(笑)・・・・


あっちゃん、AKB卒業へ…
「私なりに頑張った6年半でした」


人気アイドルグループ・AKB48のエース、前田敦子(20)がグループを卒業することが決定した。さいたまスーパーアリーナ3Days公演の最終日となる25日、全ての演目を終えたあとに前田が「きょうここで大きな決断をさせてください。私、前田敦子はAKB48を卒業します。私なりに頑張った6年半でした」と発表すると、AKB史上最大の衝撃発表に会場は騒然となり、メンバーは泣き崩れた。卒業時期は現時点で未定。

悲願だった初の東京ドーム公演決定、SKE48松井珠理奈とNMB48渡辺美優紀の期間限定AKB入りに続くサプライズは「AKB48の顔」あっちゃんの卒業だった。コンサートではすっかり恒例となったサプライズの中でも最大級の発表に2万5000人の観客は絶叫。グループ発足以来、ともに歩んできた高橋みなみは号泣しながらも「彼女なりに考えたこと。AKBにいることがゴール地点ではありません。たくさんのものを背負ってきた敦子を見送って」と盟友の背中を押した。

前田は2005年12月に東京・秋葉原のAKB48劇場で初公演以来、不動のセンターとしてAKBの顔に。昨年6月には映画『もしドラ』に初主演するとともにソロデビューを果たし、歌手としても女優としても活躍している。

過去3度行われた「選抜総選挙」は、第1回(2009年)1位、第2回(10年)2位、第3回(11年)1位と首位を奪還。AKB48メンバーで選挙TOP10入り経験者の卒業は初めてとなる。

(オリコン 2012.03.25)


・・・・やるなあ、秋元康さん(笑)。

恒例のサプライズの“トリ”が「前田敦子卒業」だったとは。

そりゃ、またまたファン騒然、メディア注目でしょう。

先日出たばかりの小林よしのり責任編集『わしズム』の最新号に、秋元さんとの対談が掲載されている。

その中で、小林さんからメンバーの“卒業”に関する質問があり、秋元さんはこう答えている。

「AKBが飽和状態になったときには、これまでとは違う伸ばし方をしないとダメ。仮にそれがファンの思いと違っていても、必要なら壊さなければいけない部分もあるということです」

それにしても、“元・AKB48エース”となった卒業後、どうするんだろう。

歌手? 女優??

まあ、もちろん何かしらの「内定」を持っているんだろうけど。


あっちゃんの卒業時期は「現時点で未定」だそうですが、今日26日(月)、本学は卒業式を挙行いたします。



今週の「読んで(書評を)書いた本」 2012.03.24

2012年03月24日 | 書評した本たち

文春文庫の新刊、小林信彦さんの『黒澤明という時代』を購入。

2009年に出た単行本で読んでいるのだが、書店に“新刊”として並んでいるのを見ると、つい欲しくなって(笑)。

それに、昨日掲載した『黒部の太陽』の熊井啓監督が文中に出ていたような気がしたので、確かめたくなったのだ。

で、ありました。

第15章「文句なしに面白い『天国と地獄』」の途中で、小林さんが熊井監督の「世界の映画作家3 黒沢明」(キネマ旬報)での発言を引用している。

公開当時、『天国と地獄』での警察の扱いがおかしいと言われたようで、しかし熊井監督は「これはまったく見事なリアリズムだと思う」と述べているのだ。

続けて、「黒澤が官僚的な国家権力に癒着していくあらわれだみたいなことを、若手の批評家がいったけれども、ぼくは、よくぞ描いたと思う。警察とはそういうものだ。警察が自分で自分の交番を爆破することがあるんだから」。

そんな熊井監督の言葉をうけて、小林さんはこう書く。

「これまた極論で、黒澤明には、そうした<国家権力>観はなかったと思う」

いやあ、面白いなあ(笑)。

『天国と地獄』、また見直したくなりますねえ。


さて、今週の「読んで(書評を)書いた本」は、以下の通りです。

 
牧野 洋 
『官報複合体』 講談社

ケネス・ローマン 山内あゆ子:訳 
『デイヴィッド・オグルヴィ~広告を変えた男』 海と月社

瀬川裕司 
『ビリー・ワイルダーのロマンティック・コメディ』 平凡社

牧 久 
『「安南王国」の夢』 ウエッジ


・・・・就職活動中の大学3年生でマスコミ志望の諸君は、『官報複合体』や『デイヴィッド・オグルヴィ』あたりは読んでおくといいかもしれません。

* 上記の本の書評は、
  発売中の『週刊新潮』(3月29日号)
  に掲載されています。




「週刊新潮」で、BSプレミアム『黒部の太陽 特別編』についてコメント

2012年03月23日 | メディアでのコメント・論評

先日、NHK・BSプレミアムで観た映画『黒部の太陽 特別編』。

これが約1時間も短縮したバージョンだった件について、発売中の
「週刊新潮」最新号が記事にしている。

この中で、コメントしています。


「三船敏郎」がカットされた「黒部の太陽」

“幻の超大作ついに登場”とのラテ欄に惹かれて見た方にはお気の毒だったか。3月17日、NHK・BSプレミアムで放送された『黒部の太陽 特別編』である。

「昭和43年の公開で、中学生だった私は、学校の体育館で観たきり。いまだにソフト化もされず、上映されることも裕次郎の法要の時くらい。だから楽しみだったんですけど、特別編どころか不完全版でした」とは上智大学の碓井広義教授(メディア論)だ。

何が不完全かといえば、作品の約1時間がカット。

「石原裕次郎と三船敏郎で共同製作した『黒部の太陽』は、熊井啓監督による3時間以上の大作。黒部ダム建設のためのトンネル工事を描いたもので、裕次郎が死にかけたといわれる破砕帯の出水シーンはさすがにカットしませんが、ダム完成後に三船さんが難工事を振り返りつつトンネルを歩くという重要なラストシーンが消されていた。当時、子供心に非常に印象的だったのですけどね」(同)


なぜ短縮版だったのか。

「上映も放送されることも滅多になく、編集版であっても十分、感動に繋がる作品と考えました」(NHK)

それなら、冒頭で短縮版と断って欲しかったというのは、前出の碓井教授だ。

「10分カットとか、そういうレベルではないのですから、熊井監督にも失礼です」


一方で『黒部の太陽“完全版”』は3月23日の東京国際フォーラムを皮切りに震災チャリティーとして全国で上映会が予定されている。2時間以上を費やした特別“予告編”だったのか?

(週刊新潮 2012.03.29号)




<このブログ内での関連記事>

映画『黒部の太陽』の特別編と完全版
http://blog.goo.ne.jp/kapalua227/e/4b08ab145d76a7dffa7c051a72268021

3・11横並び震災特番とNHK「小さな旅」

2012年03月22日 | 「東京新聞」に連載したコラム

『東京新聞』に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回は、3月11日に流された大量の震災特番と、1本の通常番組を
めぐって、書きました。


3・11への「小さな旅」

三月十一日の横並び震災特番には奇妙なにぎやかさがあった。巨大パネルを被災地に持ち込、みのもんた。三陸鉄道の試運転に嬉々として乗車する木村太郎等々。特番らしい演出かもしれないが、見る側に何が伝わったのかと思うと心もとない。

一方、強い印象を残したのがNHK「小さな旅」だ。港の風景に聞きなれたテーマ曲が流れる。そこに「あしたの海~福島県相馬市」の文字。国井雅比古アナウンサーが普段通りに旅をする。出会うのは津波で妻を亡くした漁師や、リヤカーの移動販売で仮設住宅を回る被災女性などだ。しかし国井アナは安易な同情や励ましの言葉を口にしない。いつもの穏やかさで相手の話に耳を傾けていた。

番組は震災の二ヶ月前にもこの地を訪れており、当時の映像が挿入される。港の市場で立ち働くのは「船迎え」と呼ばれる漁師の妻たち。活気に満ちていた場所は今もがらんとしたままだ。毎日、網でガレキを引き上げている漁師は「出来ることから、少しずつだな」と笑顔を見せた。

この日、放送された特番は全体で何十時間にもなる。だが、わずか二十数分の通常番組のほうが、一年前の大惨事もそこに生きる人たちの思いも、より鮮明により身近なものとして感じとることができた。制作は地元のNHK福島放送局だ。

(東京新聞 2012.03.21)

衛星放送を見ながら、衛星放送について考えた

2012年03月21日 | テレビ・ラジオ・メディア
碓井
NHK・BS1「衛星放送が照らした未来」を見た。

案内役は、旧知の水越伸先生(東大大学院教授)でした。




衛星によって世界がつながるという発想は、「2001年宇宙の旅」の原作者であるSF作家、アーサー・C・クラークが最初だった。

いわゆる“地球村”ですね。

これを50年以上も前に考えていたんだから、すごい。




ベルリンの壁崩壊や東欧革命などで衛星放送が果たした役割は大きいし、現在も同様だ。

番組ではモロッコやドイツの現状をリポートしていた。





国内で衛星を使った遠隔医療の実験なども。



衛星放送の「これから」という意味で紹介されていたのは、ネット用
人工衛星「きずな」でした。




地デジ化によってデジタルテレビが普及したが、それで一番影響が出ているのは衛星放送(BS・CS)だ。

地上波との“横並び”で垣根が低くなり、確実にユーザーが増えている。

特に中高年のBS・CSファンは増殖中だ。

「日刊ゲンダイ」で長年、テレビ評を書いてきた作家の吉川潮さんは、今年から地上波ではなく、BS・CSだけを対象にしたコラムに切り替えてしまったほどです。

タイトルは、「もう地上波は見ない!」(笑)。

毎週月曜に掲載されているので、興味のある方はご覧ください。

信州児童文学会「はまみつを追悼」に寄稿

2012年03月21日 | 本・新聞・雑誌・活字

信州児童文学会が発行する「とうげの旗」の別冊として、「はまみつを追悼」が出た。

中学時代からの恩師である、はまみつを(浜光雄)先生が亡くなったのは昨年の2月。77歳だった。

この1冊には、先生の文学仲間や後輩、そして私のような教え子まで、さまざまな人たちの中にいる「はまみつを」が並んでいる。

知らなかったこともたくさんあり、あらためて先生の大きさを感じる。

私も原稿を求められ、長年にわたる先生との交流を、公開日記の形で載せていただきました。


“不肖の弟子”日記
―ただ感謝のみの44年―


永遠にアタマの上がらない相手がいることの幸せ
2008年08月12日

 信州の実家に来ている。お盆と正月、帰郷した際の楽しみは、親兄弟や甥・姪たちの顔を見ることもさることながら、中学時代の担任であり、現在に至るまでの恩師である浜光雄先生にお会いできることだ。
 浜先生は、童話作家の「はまみつを」でもある。『春よこい』で赤い鳥文学賞、『赤いヤッケの駅長さん』で産経児童出版文化賞を受賞。現在は信州児童文学会会長も務めておられる。
 そんな先生のお宅を年に2回訪問し、昼頃から夕方まで半日かけて語り合う。半年間どんなことをやっていたのか、何を考えてきたのか、互いに、めいっぱいの報告をし合う。これが中学を卒業して以来、高校時代、大学時代、そして社会人となってからも、延々38年も続いている。本当に、奇跡のような、有難い師弟関係なのだ。
 私からは、この春、北海道の大学から現在の東京工科大学に異動してきて以来の報告。先生からは新作童話集『ポンポン船』を頂戴し、作品にまつわるお話をうかがった。また、新作絵本『森の王 八面大王』も頂いた。
 75歳にして、この旺盛な執筆活動。その想像力と創造力に感心し、大いに刺激を受ける。自分など、まだまだこれからだとしみじみ思う。自分が何歳になっても、こころから「師」と呼べる人がいること。永遠にアタマの上がらない相手がいること。その幸せを、今回も思った。


2009年、開始
2009年01月01日

 信州の実家にて越年。例によって近所の神社にお参りをし、例によって恩師・はまみつを先生宅を訪問した。7時間におよぶ楽しい”さし飲み”である。半年分の近況報告をし合い、最後に先生と決めたのは、平成21年にちなみ、互いに21歳になったつもりで(?)今後10年のスタートとしよう、ということだ。
 先生のお宅からの帰り道、ひとり酔ったアタマで「いい仕事をするぞ!」と真剣に決意しているあたりがちょっと嬉しかったりする。師は永遠に師だ。


今年前半を締めくくる恩師との“祭り”
2009年08月30日

 信州は、晩夏というより、初秋の気配が強い。遅ればせながら、ようやく父の墓参りができた。墓石に水。母が庭から切ってきてくれた花。お線香。そして合掌。胸の中で前回の墓参以来のことをあれこれ報告する。自分の中では、これでようやくお盆が終わり、今年の前半が終了した感じだ。
 また、墓参りと共に、中学以来の恩師・はまみつを先生にお会いできたことも、その思いを強める。毎年、お盆とお正月に先生を訪ね、半年分のお話をうかがい、自分もこの半年のあれこれをお話をさせていただく。もう40年も続いている、いわば“祭り”であり、“儀式”のようなものだ。奥様の手料理を肴に、二人で延々と飲んで、話す、幸せな時間。これで今年の後半戦へと向うことができる。
 今回、先生からいただいたお土産は『宮口しづえ童話名作集』(一草舎)。はま先生の先生ともいえる童話作家で、「ミノスケのスキー帽」などで知られる宮口先生の作品集だ。生誕100年、没後15年を記念しての出版であり、はま先生が編者(選者)を務めた一冊である。ちなみに、宮口先生の先生は、あの島崎藤村。ということは、私は藤村の“曾孫弟子”? 大変な妄想だ。


今年の”読み納め”は『義民加助』
2009年12月31日

 年越しのため、信州の実家に来ている。昨夜は、お盆と暮れの恒例、恩師・浜光雄先生を訪問した。中学校時代の担任である浜先生と、こうして年に2回、互いの近況を語り合って、もう40年だ。
 浜先生は児童文学作家「はまみつを」として知られているが、70代半ばを過ぎた現在も、旺盛な執筆活動を続けている。40年にわたって、先生に会うたび「自分はまだまだ」と自覚・自戒し、「また半年がんばろう」と決意してきた。こういう”生涯の師”を持っていることは幸せだと思うし、また誇りでもある。
 今回、私からは秋に出版された『ニュースの大研究』を差し上げて、先生からは新著『義民加助』を頂戴した。加助は、江戸時代の人。信州松本領内の庄屋だったが、松本藩の重い年貢に苦しむ農民たちを救うべく一揆を起こす。その最期は刑場での磔(はりつけ)だったが、”義民”としての名は現在まで伝わっている。そんな加助の生き方を絵本としたのが本書。郷土出版社の「ふるさとの歴史人物絵本シリーズ」の1冊である。
 この後も、「大力権兵衛」や「保科五無斎」などが、”はまみつを”の筆により出版が予定されている。先生がこうして前を見て仕事をされている以上、不肖の弟子もまた、少しずつでも進歩せざるを得ない。「来年こそは」と、また思うのだ。


「はまみつを童話のせかい展」始まる
2010年06月01日

 赤い鳥文学賞作家・はまみつを先生の展覧会が開催される。題して「はまみつを童話のせかい展」。今日6月1日から7月25日まで。会場は、長野県朝日村の朝日美術館だ。
 はまみつを(浜光雄)先生は、私が中学生の時、3年間担任だった。12歳で出会って以来、40数年も師事し続けている、まさに恩師だ。中学を卒業してからは、毎年お正月とお盆にお会いして、半年間の報告をさせていただくのが恒例となっている。現在も旺盛な創作活動を続けている先生には、本当に頭が下がるし、刺激を受ける。
 この55年間の先生の歩みと、先生が生み出してきたものの一端を、たくさんの人に見てもらえるのは嬉しいことだ。開催、おめでとうございます!


「はまみつを童話のせかい展」に感激
2010年07月11日

 信州・朝日村の朝日美術館。「はまみつを童話のせかい展」は、ここで開かれている(今月25日まで)。館内1階をフルに使った展示物の数は予想以上だ。浜先生その人に関する文物だけでなく、「白樺教員」や「赤い鳥」など、浜光雄を“はまみつを”たらしめた様々なものも並んでいる。初めて見る生原稿が興味深い。特徴のある浜先生の書き文字も懐かしい。
 ずらりと並ぶ信州児童文学会が発行する「とうげの旗」。先生たちが生み出し育ててきた、その一冊一冊が信州児童文学の歩みであり歴史だ。
 先生の著作群。昭和39年発行の処女作「北をさす星」。お母さんへの思いが詰まった「わが母の肖像」は出たのが中学生の時で、1篇ごとに泣けた。「春よ こい」は、児童文学の芥川賞ともいうべき<赤い鳥文学賞>を受賞。<産経児童出版文化賞>を受けたのは「赤いヤッケの駅長さん」だ。
 会場を出ようとしたら、浜先生の旧制松本中学以来の親友であり、文学仲間であり、私が深志高校時代に薫陶を受けた小林俊樹先生(国語科、通称:コバシュン)と、嬉しい遭遇。中学で浜先生、高校で小林先生、お二人に出会わなかったら、私が(短い期間とはいえ)高校の国語教師になることはなかっただろう。
 児童文学者「はまみつを」の55年の軌跡を見て歩き、あらためて師匠の大きさ・深さを再認識。ありがとうございました。


はまみつを著『白樺教師 中谷勲』のこと
2010年09月05日

 中学校時代からの恩師・浜光雄先生を訪ねた。12歳で先生に出会い、師事すること、今年で43年になる。年に2回、恒例の報告会というか、話が肴の“ふたり飲み”である。飲みながら、半年間の出来事、してきたこと、思ったことを、互いに出し合っていく。昼12時から始めて夕方まで。なんとも愉快で、贅沢な時間だ。
 浜先生は、童話作家「はまみつを」である。先生の、児童文学界における師匠は大石真であり、大石先生の師匠は坪田譲治だ。滔々たる文学DNAの流れ・・。
 77歳になる先生は、現在も原稿用紙に向かい続けている。近著『白樺教師 中谷勲』(郷土出版社)は、信州白樺教育を代表する一人、中谷勲(なかやいさお)の生涯を描いた絵本だ。信州白樺教育は、武者小路実篤らの雑誌「白樺」が唱えた個性尊重の精神を教育の場にうつし、実践しようとしたものだ。だが、当時の社会では、白樺教師たちの行動は認められず、異端者、危険思想、非国民という扱いを受けた。ひたすら子どもたちのことを思う教師以上の教師などあり得ない。先生は、中谷勲を「愛の教師」と呼んでいる。
 現在の信州教育界に、どんな形であれ“白樺のDNA”が継承されているのか、いないのか、それはわからない。ただ、浜先生と向かい合っている時、「ここに一人の白樺教師がいる」と、いつも思う。やはり、愉快で贅沢な時間だ。


浜光雄(はまみつを)先生の逝去
2011年02月24日

 2月22日午後、浜光雄(児童文学者・はまみつを)先生がお亡くなりになった。中学の担任と生徒として出会ってから、40年以上にわたって師事してきた先生。文字通りの恩師である。
 最後にお会いしたのは、約1ヶ月前の1月21日だ。場所は、入院先である松本市の病院の一室。
年に2度、お盆と正月に、先生のお宅にお邪魔して互いの半年間の報告をするのが、この40年来の恒例行事だった。ところが、今年の正月は、先生の体調のこともあり、叶わなかった。この日、病室で二人が話したのも、いつものように「今」のこと、「これから」のことばかりだった。
 別れ際、先生は「次は夏に会おう、その時は冷たいビールで乾杯だ」と約束した。それが実現しないかもしれないことを、先生は知っていらしたのかもしれない。しかし、私を送り出す言葉は、この40年間と変わらず、「また来いよ。元気でな」だった。
 正直なところ、今はまだ、先生の“不在”を納得できていない。明日25日、信州で葬儀・告別式が行われる。納得できないままだが、先生の遺影の前に立たねばならない。不肖の弟子だが、不肖なりに、しっかりと先生を送らねばならない。これも無言の約束のような気がするからだ。


浜光雄(はまみつを)先生を送る
2011年02月26日

 25日、浜光雄(児童文学者・はまみつを)先生の葬儀・告別式が行われた。弔辞を読ませていただいた。いや、書きものにしなかったので、読み上げたのではなく、先生の遺影に向かって、ひたすら語りかけた。ざっと以下のようなことを・・・。

 中学の担任であり、国語の先生でした。宮沢賢治の詩「稲作挿話」1篇を、1週間にわたって授業で語る異色の先生。この頃、すでに第1作品集『北をさす星』を上梓していた先生。圧倒的な影響を受けました。
 中学卒業後も、「浜学校」「浜私塾」に入門するように、私淑。高校、大学、そして社会人になってからも、年に2回、先生にお会いし、延々と互いの「今」と「これから」を語り合うことを、40年にわたって続けてきました。
 この40年間いつも、そして最後まで書き続けていた先生。そんな先生と向かい合うことは、私にとって、「その時点の自分」を再確認する意味がありました。自分が進んでいる方向は間違っていないか。自分は怠けていないか。自分は本気で生きているか。先生は、いわば荒波に揺れる船に光を投げかけてくれる「灯台」のような存在。もしくは、山や森で道に迷った者に自分の位置を教えてくれる「北極星(北をさす星)」のような存在だったのです。
 先生はこうおっしゃっていました。「人の心は言葉が育てる」。先生の言葉は、100冊を超える著作の中にあふれており、私はこれからもその本を通じて先生から学び続けることが出来るはずです。だから、お別れの言葉は言いません。
 先生、長年ありがとうございました。そして、これからも、どうぞよろしくお願いします!

・・・先生は不肖の弟子の乱暴な弔辞を、きっと苦笑しながら聞いてくださったのではないか。
我が恩師。我が師匠。浜光雄(はまみつを)先生。
2011年2月22日逝去。享年77。合掌。


はまみつを先生の遺作『山と民の話』
2011年04月20日

 恩師である浜光雄(児童文学者・はまみつを)先生が亡くなったのは2月22日のことだ。もうすぐ2ヶ月になる。今も、ふとした瞬間に、先生のことを思う。一番多いのは、書いた原稿が活字になった時だ。「先生が読んだら、何て言うだろう」と、その顔を思い浮かべる。
 年に2回の“報告・飲み会”に、半年の間に書いたものを持参するのが習慣だった。いつも先生は、「ほほ~」と声をあげ、それらに目を通してくれた。感想や意見など訊く必要はなかった。先生の「ほほ~」のトーンで、文章の出来、不出来が嫌でもわかる。これ以上の修業はない。
 つい先日も、「ああ、先生に会いたいなあ」と思っていたら、先生の娘さんである、浜このみさん(クッキングコーディネーターとして活躍中)から小包が届いた。開けてみたら、先生の遺作『山と民の話 信州むかし語り2』(しなのき書房)だった。亡くなる前の数カ月、入院先でも執筆を続けていた本だ。「あとがき」まで、しっかり書き上げ、そして逝った先生。見事だった。
 和田春奈さんによる本の表紙の切り絵が、どこか先生の風貌に似ていて、嬉しい。「先生、お久しぶりです」と、声をかけたくなった。

ことばをのこすのは至難なことである。
が、さらに難しいのは、
そのことばが人びとの心にのこっていくことだろう。
心にやさしさをもつものは、孤独のいたみもふかい。
――はまみつを『山と民の話』

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』に3・11を思う

2012年03月20日 | 映画・ビデオ・映像

長~いタイトルの映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観た。

2005年に発表され、「9・11文学の金字塔」と評されたジョナサン・サフラン・フォアによるベストセラー小説を、「リトル・ダンサー」「めぐりあう時間たち」のスティーブン・ダルドリー監督が映画化。9・11テロで最愛の父を亡くした少年オスカーは、クローゼットで1本の鍵を見つけ、父親が残したメッセージを探すためニューヨークの街へ飛び出していく。第2次世界大戦で運命の変わった祖父母、9・11で命を落とした父、そしてオスカーへと歴史の悲劇に見舞われた3世代の物語がつむがれ、最愛の者を失った人々の再生と希望を描き出していく。脚本は「フォレスト・ガンプ 一期一会」のエリック・ロス。オスカーの父親役にトム・ハンクス、母親役にサンドラ・ブロックらアカデミー賞俳優がそろう。

「これでダメな映画になるはずがない」という感じだが(笑)、実際、いい作品でした。

9・11テロで、妻にとっては夫を、息子にとっては父を、突然失ってしまうわけで、どうしたって納得なんかできない。

少年なら尚更だろう。

だから、父が残した(はずの)メッセージを探し続ける。

私自身が夫であり、父親だから、やはり「心ならずも残してしまった
家族」を見つめるような視線で映画を観ていた。

そして、アメリカの9・11が背景となっているのに、どこかで日本の3・
11と重ね合わせてもいた。

「愛する家族の理不尽な死」という意味では通じるものがあるのだ。

確かに人生は有限で、誰にも(私にも)死は訪れるが、テロや災害で
家族を失うのは、どれほど辛いことか、と思う。

この物語では、オスカーが出会う「言葉を失った老人(マックス・フォン・シドー)」の存在が大きい。

人に言えない苦しみを経験したであろう老人が、オスカーの心の支えとなっていくプロセスは、同時に老人にとっての救いでもある。

このあたりが実に見事だ。

まあ、それにしても、オスカー役のトーマス・ホーンの達者なこと(笑)。

観終わった時、今も海の向こうのどこかに成長したオスカーがいるはず、と感じさせてくれた。

さらに、「生きてるんだから、ちゃんと生きなきゃな」と、ふと真面目に思ったりもして(笑)。

映画のチカラは侮れません。

「Asian Side of the DOC(ASD)」始まる

2012年03月19日 | テレビ・ラジオ・メディア

日曜日の新橋へ。

電通ホールで行われた「Asian Side of the DOC(ASD)」に参加しました。

ASDは「アジアとヨーロッパを始めとする世界中の国々、またアジア諸国同士で、国境を越えたドキュメンタリーの共同制作を推進するための意見交換の場」。

昨日は取り組みのひとつである「東北ピッチ・セッション」でした。




まず、ピッチ・セッションは、「ドキュメンタリー番組企画を持つプロデューサーがコミッショニングエディターと呼ばれる出資者(放送局など)の前でトレイラー映像を上映して企画案のプレゼンテーションを行い資金の調達の機会を得る」というもの。

そして「東北ピッチ・セッション」は、震災復興をテーマとしたコンテンツの製作主体と海外の放送事業者をマッチングさせよう、というのが狙いです。

放送局や制作会社の応募作の中から選ばれた番組企画がプレゼンテーションされました。

今回の企画選定と番組評価に関わるのが、第三者評価委員会である「ジャパンコンテンツ国際化推進検討会」。

私もその委員の一人で、他のメンバーは、
中島信也(東北新社専務)、
天城靭彦(NHKエンタープライズ経営主幹)、
半田也寸志(写真家)、
村上信夫(放送作家)の各氏。

朝から夕方まで、次々と企画説明が行われ、それぞれに対しての質疑応答があり、かなりヘビーでしたが(笑)、海外の放送事業者の方々のドキュメンタリーに対する考え方がよくわかり、とても興味深いセッションでした。

「ASD」全体は、水曜までベルサール汐留で行われています。