碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

2010年 こんな本を読んできた(10月編)

2010年12月31日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

その10月編です。


2010年 こんな本を読んできた(10月編) 



湊かなえ『往復書簡』
幻冬舎  1470円

 「告白」で多くの読者をつかんだ著者の最新作は、手紙だけで構成された3篇の連作ミステリーだ。
 「十年後の卒業文集」の谷口あずみは、高校時代の同級生・悦子から手紙を受け取る。やはり同級生で、今は行方不明の千秋のことが知りたいらしい。しかし、あずみは返信にこう書かずにはいられなかった。「この手紙の送り主は本当に悦ちゃんなの?」
 「二十年後の宿題」は、退職した女性教師と元教え子である青年の往復書簡だ。教師は最初の手紙で青年に頼み事をする。6人の子どもたちの“現在”を調べて欲しいというのだ。彼らは20年前に起きた不幸な事故に深く関わっていた。
 手紙だから言えることがある。逆に書けないことがある。誤解を与えたり、嘘をつくことも可能だ。読者は私信を盗み読みするような緊張感と共に、真相を探っていくことになる。
(10.09.25発行)


馬場マコト『戦争と広告』
白水社  2520円

 戦前、戦中、戦後を生きた一人の広告クリエーターの軌跡を追うことで、時代と並走する広告の本質を探った、読みごたえのあるノンフィクションである。
 昭和初期、山名文夫は挿絵画家としてモボ・モガの時代をけん引した。また資生堂に入ってからは、資生堂唐草とよばれる模様など、独特の美の世界を生んだ。そんな山名が戦時中、内閣情報局から仕事を頼まれる。戦意高揚のためのポスターやイベントの制作だった。情報局は、戦争をおこす論理と、対米戦争を受け入れる世論を作る必要に迫られていたのだ。
 後に「報道技術研究会」と呼ばれる組織には、山名をはじめ優れた才能が結集し、戦争を広告していった。何が彼らを動かし、彼らは何を得て、何を失ったのか。また、その影響力と広告における戦争犯罪はどこまで問うべきなのか。表現者の背負う宿命が衝撃的だ。
(10.09.30発行)


淡路和子『ビートルズにいちばん近い記者~星加ルミ子のミュージック・ライフ』
河出書房新社  2100円

1965年、日本人初のビートルズ単独会見に成功したのが『ミュージック・ライフ』記者の星加ルミ子だ。その後は編集長として音楽ジャーナリズムをリードした。本書は世界のミュージシャンとつながっていった星加の青春評伝。日本の洋楽もまた青春時代だった。
(10.09.30発行)


今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』
論創社  1680円

80年代、知の拠点の一つがリブロ池袋店という本屋だった。そこでは伝説の書店員による刺激的な「棚」作りが行われ、独自のブックフェアが開催された。読者は書物が単独で存在するのではなく、限りなくリンクしていくことを知った。今、その内幕が語られる。
(10.09.20発行)


安野光雅『繪本 仮名手本忠臣蔵』
朝日新聞出版 2940円

歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」が絵本になった。大序の舞台である鶴ヶ岡八幡宮から赤穂浪士引揚げの場まで、31の名場面が繊細かつ大胆に描かれている。物語の流れを伝えるのは、解説より語りに近い流麗な文章だ。大判画集の最後は往年の歌舞伎座全景である。
(10.09.30発行)


浅田次郎 『マンチュリアン・リポート』 
講談社  1575円

 『蒼穹の昴』にはじまる中国近現代史シリーズの最新作。昭和3年に起きた張作霖爆殺事件の闇に迫る書き下ろし長編小説だ。
 この作品の特色は、ある「報告」と「独白」が交互に登場する構成にある。報告の書き手は「満州の重大事件」に関する調査を進める志津邦陽陸軍中尉。彼は現地で張作霖の軌跡を追いながら「満州報告書=マンチュリアン・リポート」を日本に送り続ける。しかもその極秘報告を読むのは志津に直接調査を命じた昭和天皇その人なのだ。
 また独白の主もユニーク。「鋼鉄の公爵=アイアン・デューク」と呼ばれる機関車なのである。かつて西太后が愛した御料車を、張作霖は最期の旅で使ったのだ。この公爵が語る西太后、そして張作霖は、流布された人物像を超えて魅力的だ。
 日本と中国の運命を変えた事件現場が近づく。歴史の軋む音が聞こえてくる。
(10.09.17発行)


高尾昌司 『刑事たちの挽歌~警視庁捜査一課「ルーシー事件」ファイル』 
財界展望社 1785円  

 事件は平成12年に起きた。当時21歳のイギリス人女性、ルーシー・ジェーン・ブラックマンさんが行方不明になったのだ。後に「ルーシー事件」と呼ばれることになるが、犯人は薬物を使った強姦という卑劣な行為を繰り返していた。本書は事件発生から捜査、逮捕そして裁判まで、捜査員たちの3000日を追ったノンフィクションである。
 家出人捜索願を受理した麻布署では、すぐに事件性を察知して捜査本部を立ち上げた。やがて複数の被害女性の証言から容疑者が浮かんでくる。徹底的な捜査の上で逮捕。だが、核心部分については否認を貫かれてしまう。またルーシーさんの遺体も見つからない。刑事たちに焦りが生まれる。
 壁にぶつかってからの捜査陣の粘りがすさまじい。ついに遺体発見。事件は急展開を見せる。個性的で人間味溢れる刑事たちの執念が実った瞬間だ。
(10.09.17発行)


柴崎友香 『よそ見津々』 
日本経済新聞出版社 1575円  

初の長編にして不思議なテイストの恋愛小説『寝ても覚めても』が話題の著者。本書もまた初となる本格エッセイ集である。大阪出身だからこそ気がつく東京暮らしの機微。自身を面倒臭がりと言いながら、料理やファッションにも持論あり。小説の源流が垣間見られる。
(10.09.22発行)


下村健一 『マスコミは何を伝えないか~メディア社会の賢い生き方』 
岩波書店 1995円   

著者は元TBSキャスター。現在はフリーとして報道活動を続けながら、市民メディアの活動に深く関わっている。本書では「報道被害」の考察を軸に、単なるマスコミ批判を超えた、メディアとの“共生”の道を探っている。発信力・受信力を養う格好のテキストだ。
(10.09.22発行)


エリック・ラックス:著 井上一馬:訳 『ウディ・アレンの映画術』 
清流出版 3990円   

ここまで率直に自身の映画作りに関して語るウディ・アレンに驚く。しかも36年に亘って行われたインタビューを、脚本、撮影、音楽などジャンル別に並べ変えた構成が絶妙。画面の隅々までへのこだわりが伝わる本書は名著『ヒッチコック映画術』に匹敵する快挙だ。
(10.09.18発行)


高橋敏夫 『井上ひさし 希望としての笑い』 
角川SSC新書 819円   

 今年4月に75歳で亡くなった井上ひさし。その歩みと作品を読み解く密度の高い評論集だ。『ひょっこりひょうたん島』や『吉里吉里人』が示した集団と国家への問いかけ。実在の作家・思想家を描く評伝劇で挑んだ同時代への抵抗。また昭和庶民伝三部作に込めた過去の失敗を大切にする精神。
 しかも、それら全ての背後に「希望としての笑い」がある。井上が標榜した「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」は、稀代の社会変革家による魂の宣言だったのだ。
(10.09.25)


大村友貴美 『共謀』 
角川書店 1890円  

 3年前、『首挽村の殺人』で横溝正史ミステリ大賞を受賞した著者の最新長編は、人間の尊厳と価値をめぐる社会派ミステリーだ。
 巨大ショッピングモールを全国展開するユナイテッド社。その新規建設現場で焼死体が発見される。被害者はフリージャーナリストの古川だった。広報担当の唐沢泉がマスコミへ対応に追われる中、社長令嬢の美希が何者かに誘拐される。
 しかも、脅迫者からは「身代金の額は社長の命」という謎めいた要求が届く。捜査に当たるのは天才肌の田楽心太警部と小野笙子巡査部長だ。しかし、なかなか手掛かりをつかめないまま、今度はユナイテッド社を解任された中谷・元取締役の遺体が見つかる。事故か他殺か。それは古川の事件や美希の誘拐と繋がるのか、繋がらないのか。
 格差社会という現実と、「命の値段」の問題に踏み込んだ野心作である。
(10.09.30発行)


村上春樹 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』 
文藝春秋 1890円  

 インタビューの「同じような質問と同じような回答」を嫌う作家に対し、昨年までの13年間に行われた18本のインタビューが収録されている。
 それにしても何と刺激的な言葉に満ちたインタビュー集だろう。決して群れることのない生き方を問われ、「自由であること、どこにでも行って、何でも好きなことをする。それが僕にとっての最優先事項です」。作品における表現については、「最も理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです」。
 また時には「僕は自分の文体が好きなんです(笑)」とフランクに自己をさらけ出し、ベストセラーに関しても「お金があれば自由と時間が買える」と率直だ。これら全てが、近作『1Q84』について語った雑誌『考える人』8月号(小社刊)でのロングインタビューへとつながっていく。
(10.09.30発行)


平木 収 『写真のこころ』 
平凡社 2310円   

昨年、60歳で亡くなった写真評論家の遺作集だ。学生時代から評論を発表し、川崎市市民ミュージアムの創設にも関わった平木。写真を見る喜びと、社会的財産としての価値に拘ってきた。選び抜かれた評論文と共に、対談や座談会での発言も多くの示唆に富んでいる。
(10.09.24発行)


四方田犬彦・平沢剛:編著『1968年文化論』 
毎日新聞社 3150円   

現代史の転換点としての1968年。これまで政治主義や脱政治主義を軸に語られることが多かったが、ようやく総合的な文化論が登場した。文学、映画、写真、舞踏はもちろん、描かれた在日朝鮮人や大学キャンパスの立看板にまで言及する13の論考が壮観だ
(10.09.30発行)


鷲田清一・内田樹ほか 『おせっかい教育論』 
140B  1260円   

座談会の決め手はテーマと参加者である。思想家、阪大総長、僧侶、大阪市長の4人によるこの教育論セッションは、教育をビジネスとして扱う現在の風潮を徹底的に糾弾。学校を「一般ルールが停止する場所」と規定する。関西風味はご愛嬌。率直な物言いが快感だ。
(10.10.10発行)


長岡弘樹 『線の波紋』 
小学館 1575円

 一昨年『傍聞き』で推理作家協会賞を受賞した著者の新作は、幼女誘拐事件を軸とした連作長編である。
 第一話「談合」の主人公は町役場に勤める白石千賀。一人娘の真由が誘拐されて一カ月経つが、安否は不明のままだ。夫の哲也は突然倒れて入院中。その上、真由が遺体で発見されたという「いたずら電話」が頻繁に掛ってくる。
 第二話「追悼」は、会社の金を横領した久保和弘の視点で語られる。同僚の鈴木に気づかれたと不安になるが、鈴木は何者かに殺害されてしまう。第三話「波紋」には誘拐事件を担当する女性刑事・渡亜矢子が登場する。重要証言が指し示すのは驚きの犯人像だった。
 これらの物語が最終話「再現」に収れんしていく。一つの事件が起こした波紋は別の新しい事件を引き起こし、その事件がまた新たな波を立てる。その時、人は何を、誰を守るのか。
(10.10.04発行)


小谷野 敦 『現代文学論争』 
筑摩書房 1890円

 創業70周年記念として刊行が始まった「筑摩選書」の一冊だ。往年の筑摩叢書に入っていた臼井吉見『近代文学論争』を引き継ぐ形で、60年代後半以降の論争にスポットを当てている。
 まず論争家として「恐れを知らぬ人だった」という江藤淳。相手には大岡昇平、本多秋五など強敵が並ぶ。その大岡昇平が森鷗外の短編『堺事件』を批判したことから始まった論争には多くの文学研究者が参戦した。他にも漱石の『こころ』や谷崎の『春琴抄』などをめぐる論争を取り上げている。
 そんな中で、著者が「論争というより事件」としているのが臼井吉見『事故のてんまつ』事件だ。川端康成の自殺を題材に書いた小説が巻き起こした出来ごとの経緯が明らかになる。
 本書の面白さは、各論争の当事者、背景を含め、論争自体の評価をきちんと下していることだ。その辛辣さの裏に文学への愛がある。
(10.10.15発行)


竹内薫『思考のレッスン~発想の原点はどこにあるのか』 
講談社 880円

著者は『99.9%は仮説』などの著書を持つ科学作家。この自伝的エッセイでは、理系と文系、現実と抽象、数学と物理などの「境界」から生まれる発想の面白さを綴っている。大学時代からの友人、脳科学者・茂木健一郎との「境界人」をテーマとした対談も刺激的だ。
(10.10.12発行)


ディヴィッド・ライアン:著 田畑暁夫:訳 
『膨張する監視社会~個人識別システムの進化とリスク』
 
青土社 2310円   

前著『監視社会』は、個人情報によって人間が分類・選別・統御される現代社会の危うさを暴いた。本書では、進化を続けるID(身分証)システムが我々の身元を特定し、より効率的な市民管理が行われている実態に迫る。安全と自由の狭間で何が起きているのか。
(10.10.10発行)


梨元 勝 『絶筆 梨元です、恐縮です。~ぼくの突撃レポーター人生録』 
展望社 1500円

今年8月に亡くなった芸能レポーターの元祖が遺した自叙伝。人間に対する好奇心、目立ちたがりの性格、そして行動力は若い頃から一貫していた。女性週刊誌の記者として頭角を現し、やがてテレビで開花する。個人の歩みがそのまま昭和芸能裏面史となる一冊だ。
(10.09.22発行)


日本映画専門チャンネル:編『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』 
冬幻舎新書 840円

 第1作「踊る大捜査線 THE MOVIE」の公開から12年。2作目の興行収入173・5億円に象徴されるヒット・シリーズへと成長した。本書では10人の論客が様々な角度からこの作品を分析している。
 映画ジャーナリストの斉藤守彦は「骨のある脚本とおたく的演出」を指摘。一方、この映画のヒットは「テレビが勝ったのではなく、映画がダメになった」のだと言うのは脚本家の荒井晴彦だ。犯人の背景を描かない「踊る」が、その後の犯罪映画を劣化させたと嘆く。しかし、最も変わってしまったのは観客なのかもしれない。
(10.09.30発行)



2010年 こんな本を読んできた(9月編)

2010年12月31日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

9月編です。


2010年 こんな本を読んできた(9月編) 



横関 大『再会』
講談社  1680円

 第56回江戸川乱歩賞受賞作。過去と現在、2つの事件が織りなす絶妙のサスペンス長編だ。淳一、直人、圭介、そして万季子。4人は幼なじみであり、中学の剣道仲間でもあった。大人になった圭介と万季子は結婚したが、後に離婚している。
 ある日、万季子の元に息子の正樹がスーパーで万引きをしたと連絡が入る。直人の兄で店長の秀之からだった。直人に相談しようとするが出張中で不在。駆けつけた万季子は万引きをネタに秀之から恐喝されるが、息子のために金を渡すことを決意する。
 夜、圭介と共にスーパーの事務所に向かう万季子。しかし、そこで見たのは秀之の遺体だった。射殺されていたのだ。警察の調べで、凶器の拳銃が23年前の事件で使われた物と同一だと判明する。それは4人にとっても決して忘れることの出来ない事件だった。
(10.08.05発行)


川村二郎『夕日になる前に~だから朝日は嫌われる』
かまくら春秋社  1470円

 元『週刊朝日』編集長で現在は文筆家の著者。ある時は大新聞と記者の驕りを正面から批判し、またある時は随筆家・白洲正子などの人物像を描きだしてきた。この新刊は、著者が愛してやまない朝日新聞への痛烈な諫言と、記者としての貴重な体験を綴ったエッセイ集である。
 たとえば夕刊一面のコラム「素粒子」。文化勲章をめぐる「勲章もらうには何より長生きが大事」の一文に著者は呆れる。受賞者は音楽評論の吉田秀和であり、瀬戸内寂聴なのだ。また近年、同じコラムが時の法務大臣を「死に神」と書いた。著者は“文章のわかる”幹部がいないと嘆息する。
 逆に、いや、だからこそ本書で紹介される司馬遼太郎、海老沢泰久、さらに涌井昭治など名記者の“言葉と文章”に対する真摯な態度に打たれる。現役の新聞記者、そして記者を目指す若者たちも必読の一冊だ。
(10.08.20発行)


片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う』
キネマ旬報  1680円

女優である著者は学生時代から7年間、映画館でもぎりのアルバイトをしていた。ドアの隙間から見た数多くの作品。満員となった劇場の呼吸するドア。パンフレットマニアなど奇妙な観客たち。DVD全盛の時代、映画と映画館への過剰な愛情が嬉しいエッセイ集だ。
(10.08.12発行)


久住昌之『孤独の中華そば「江ぐち」』
牧野出版  1680円

1軒のごく普通のラーメン屋と漫画家の著者との、25年に及ぶ“交流”エッセイ。著者が勝手に命名したアクマやタクヤなど個性派店員の生態が怪しい。ウチヤマやムタさんといった客も変な連中だ。何より、ただのラーメン屋にこれだけ思い入れる著者が一番可笑しい。
(10.08.26発行)


ヘルゲ・ヘッセ:著 シドラ房子:訳
『その一言が歴史を変えた』

阪急コミュニケーションズ  1680円

古代ギリシャの自然哲学者タレスの「汝自身を知れ」から、ブッシュ大統領の「悪の枢軸」まで、50の名言や珍言、そして暴言が並ぶ。しかも、言葉の背景をたどりながらの世界史(2600年史)となっている点が特徴だ。人類の歴史は名言だけでは変わらない。
(10.08.14発行)


不知火京介 『鳴くかウグイス~小林家の受験騒動記』 
光文社  1890円

 首都圏では小学生の5人に1人が中学受験をする。その戦いは4年生での塾選びから始まるのが一般的だ。高校・大学受験と違うのは、それが親子で挑む、いわば総力戦であること。本書はそんな現実を踏まえて書き下ろされた受験小説である。
 小林夫妻は40代。夫の会社が倒産したため、派遣社員の妻が支えている。3人の子供の教育費を心配する中で、小学5年生の長男が中学受験に目覚めてしまう。受験準備に励む同級生たちに刺激されたのだが、長男の成績は中位。目指す難関校とは距離がある。いや、そもそも経済的に私立への進学など無理なのだ。小林夫妻は悩む。
 転機は風変りな塾との出会いだった。そこは空手道場が母体であり、身体を動かすことで学習効果を高めるのだ。やがて息子の成績だけでなく家族の意識も変わり始める。とはいえ経済問題はどう解決するのか?
(10.08.25発行)


大村彦次郎 『荷風 百 夏彦がいた~昭和文人あの日この日』 
筑摩書房  2415円

 『文壇うたかた物語』など文壇史で定評のある著者。本書は昭和の文士・文人のエピソード集成だ。昭和という時代が5年ごとに分けられ、12の章に300もの逸話が並んでいる。
 たとえば昭和11年の226事件。吉川英治は決起部隊の慰問を思い立つ。持参したのはキャラメルと煎餅と握り飯。関東大震災での体験から、兵士たちの空腹を心配したのだ。首相官邸では、相手を吉川と知った兵士が直立不動の姿勢と挙手の礼で迎えてくれた。
 また昭和20年代後半、宇野千代が朝日新聞にいた扇谷正造を訪ねる。しかし玄関口の警備員が、千代を勘定の取り立てに来た料理屋の女将と間違え、ひと悶着。千代は扇谷に「朝日は2番目に嫌いな建物」と毒づく。ならば1番はと問う扇谷に、千代は「警視庁!」。
 どのページを開いても、文士たちの人間味に溢れた姿に逢うことができる。
(10.08.25発行)


鈴木成一 『装丁を語る。』   
イーストプレス  2100円

本の造りやデザインを決め、形にしていくのが装丁家の仕事だ。その第一人者が極意を語る。本の個性を表現するために、タイトル文字やイラストなどを生かしていく。その本にとって最も「シンプルで必要なもの」を演出しようとする著者。120冊の実例が見事だ。
(10.07.23発行)


鈴木義昭 『若松孝二 性と暴力の革命』 
東京書館  2100円

若松孝二監督の最新作『キャタピラー』で、主演の寺島しのぶがベルリン映画祭最優秀女優賞を受賞した。60年代のピンク映画から前作『実録・連合赤軍あさま山荘』まで、その“人と作品”に迫ったのが本書だ。「若松映画」という独自のジャンルが見えてくる。
(10.08.25発行)


高橋英郎 『三島あるいは優雅なる復讐』 
飛鳥新社  1890円

三島由紀夫の自刃から40年。仏文学者である著者は、その死に新たな角度からスポットを当てる。昭和33年、三島にとってそれ以降の作品と行動に影響を与えた重大な出来事とは何か。また、『春の雪』のヒロイン・綾倉聡子のモデルは誰なのか。スリリングな力作評論だ。
(10.08.26発行)


小野俊太郎 『大魔神の精神史』 
角川oneテーマ新書  800円

 モスラが生まれた文化的背景や精神的土壌を探った好著『モスラの精神史』(講談社現代新書)から3年。その姉妹編ともいうべき本書が登場した。今回も観客が気づかなかった多くの謎を提示し、解明していく。なぜ大魔神は埴輪なのか。なぜ山の中に隠れているのか。なぜ大魔神を動かすのは乙女の涙なのか。なぜ大魔神は剣を抜いたのか等々。
 大魔神三部作が公開されたのは昭和41年。その2年後、日本は“明治百年”を迎えた。著者のいう「日本のもつ過去のイメージの博物館」としての大魔神が、大地を揺るがし歩き始める。
(10.08.10発行)


川上健一 『祭り囃子がきこえる』 
集英社  1470円

 全国各地の祭り囃子を表題とした、大人の寓話8編。祭りという非日常を舞台に、誰もが心の中で願う出会いや再会を描く短編集だ。
 「ヤッテマレ」は青森五所川原の立佞武多(たちねぷた)祭りだ。末期がんでホスピスに入所していた母親から頼まれ、故郷の祭りを見せるために高速道路をひた走る息子。二人だけの車内で若き日の両親が体験した命がけの恋が語られる。
 年に一度、富山八尾町おわら風の盆で逢瀬を重ねる男女が登場するのは「キタサノサ」。踊りながら互いの気持ちを伝え合い、昂め合っていく様は、祭りの夜という濃密な時間と空間が生み出す幻夢かもしれない。
 他にも、自殺によって失ったと信じていたかつての恋人と再会する岡山西大寺の裸祭り。少年時代の淡い恋を回想させる浅草鷲神社酉の市など、どこか懐かしい風景と情感あふれる祭り囃子が読む者を包み込む。
(10.08.30発行)


南後由和・加島卓:編『文化人とは何か?』 
東京書籍  1680円

 誰もが当たり前のように思っていながら、改めて問われると実体がつかめないのが文化人だ。本書は何人もの論者を動員し、その成立から意味合いまでを探った野心作である。
 ある専門領域の人間が、テレビや雑誌などのメディアに登場した途端、文化人が生まれる。たとえば科学系文化人の多くは学会内での評価はあまり高くない。疑似科学と批判される場合もある。しかしテレビでの露出が続けば、文化人として認知されるのだ。
 また経済系文化人、政治系文化人なども生息するが、彼らに共通するのは<『タレント』ではないタレント>だということ。文化的肩書きをもつ廉価なタレントである。それを支えるのはメディア側と視聴者・読者側、双方のニーズだ。深さより分かりやすさ。正しさより楽しさ。現代社会を反映した、鵺のような存在であることがよく分かる。
(10.09.09発行)


井上篤夫 『事を成す 孫正義の新30年ビジョン』 
実業之日本社  1680円

「なんのために闘うのか。50年後、100年後、300年後の世界の人々の幸せのために」と宣言する異能の経営者を多角的に捉えた人物ドキュメント。孫をよく知る人たち、そして本人へのロングインタビューから浮かび上がるのは、先を見通す目と実行力である。
(10.09.08発行)


魚住 昭『冤罪法廷~特捜検察の落日』 
講談社 1260円

厚労省・村木厚子局長の不当逮捕から無罪判決までを追った検証ドキュメントだ。強大な権限を持ち、外部のチェックも受けずに被疑者を逮捕できる検察特捜部。特に、自らのシナリオに合わせて調書を“創作”していく過程には驚かされる。冤罪は偶然の産物ではない。
(10.09.02発行)


松井晴子:著 村角創一:写真 『建築家が建てた50の幸福な家』 
エクスナレッジ 2415円

本書の特色は、持ち主たちが「20年以上も住んでいる家」を紹介していることだ。住宅に対する家族の思い。建築家との出会い。丹念な取材が、「愛着の持てる家」を造るためのヒントを浮かび上がらせている。建物の構造から表情までを伝える写真たちも素晴らしい。
(10.08.30発行)


小路幸也『さくらの丘で』
祥伝社  1575円

 『東京バンドワゴン』シリーズの著者の最新長編。この小説には2人の語り手がいる。一人は25歳のイラストレーター、満(み)ちる。もう一人は彼女の祖母ミツだ。現在と、敗戦から数年が過ぎた頃。二つの時代が交差しながら物語は進んでいく。
満ちるは亡くなったミツから<さくらの丘>という土地と、そこに建つ西洋館を受け継ぐことになる。しかもミツの親友たちの孫との共同所有だった。満ちるは、遺言に記された二人の孫娘と連絡をとり合い、一緒に丘へと向かう。
 一方、60年前の西洋館。持ち主からその留守を任されていたミツたち三人の少女が、思いがけない出来事に巻き込まれる。山に挟まれた谷あいの小さな町で、一体何があったのか。なぜ<さくらの丘>が少女たちのものなったのか。また、なぜ孫娘たちに遺したのか。異なる時代の青春が、桜咲く丘の上でめぐり会う。
(10.09.10発行)


太田和彦『月の下のカウンター』
本の雑誌社  1575円

 酒と居酒屋についてのエッセイで多くのファンをもつ著者。今回、様々な雑誌に書いてきた文章が一堂に集められた。
 巻頭の「場末の酒場にて」で、著者は「人はなぜ場末に郷愁をもつのか」と自問する。答えは日本人の零落願望。栄達や幸福を自ら遠ざける気持ちだ。特に男はその傾向が強い、と。
 また、それは一種漂泊の思いとも重なり、全国にまたがる“居酒屋旅”となる。酒はもちろん、宮古島の「コブシメ(沖縄の甲イカ)煮」や高知の「サメの鉄干し」など、知らない肴との出会いも楽しみだ。
 そんな一人旅の話と共に本書で印象深いのは、祖父や父をめぐる回想である。信州松本で「最後のかざり職人」といわれた祖父。教育を天職とし、教師職人論を標榜した父。そんな二人の血が、デザイナーとして生きてきた著者を支えていることが分かる。
(10.09.15発行)


勝目純也『日本海軍の潜水艦~その系譜と戦歴全記録』  
大日本絵画  3990円

日本海軍はどんな潜水艦をどれだけ保有し、いかに発達させていったのか。また海の忍者たちはどう戦ったのか。機密事項の多い潜水艦の貴重な写真や図版、そして詳細な解説で甦るのは、命がけで困難な任務を果たした男たちの姿だ。読む者の胸を打つ労作である。
(10.10.14発行)


岸本葉子『できれば機嫌よく生きたい』
中央公論新社  1470円

一人の40代女性であり、また熟練のエッセイストである著者が、食、健康、読書、老後などを繊細な感覚でとらえた文章が並んでいる。中でもがん治療を体験した後の、生きていること自体を「奇跡」として大事にする姿勢が共感を呼ぶ。機嫌よく暮らすためのヒント集。
(10.09.10発行)


本格ミステリ作家クラブ:編『本格ミステリ大賞全選評2001~2010』光文社  2520円

すでに10年の歴史をもつ本格ミステリ大賞。その全候補作の選評と結果が網羅されている。この作家がこの作品をこう評したのかという興味。受賞作と順位表からは、ミステリ界全体の方向性が見えてくる。巻末の「オールタイム・ベスト3」も眺めるだけで楽しい。
(10.09.25発行)


梅棹忠夫:語り手 小山修三:聞き手『梅棹忠夫 語る』
日経プレミアシリーズ  893円

 『知的生産の技術』などで知られる梅棹忠夫が亡くなったのは今年7月のこと。座談の名手といわれた“知の巨人”の語りと哲学を伝える好著である。情報は「分類するな、配列せよ。大事なのは検索」。学問とは、ひとの本を読んで引用することではなく、自分の頭でするもの。だから「思いつきこそ独創」だという。
 また、自身の人生を決定しているのは遊びだとし、首尾一貫より多様性を大事にする。知ることの楽しみが学問であり、自分が面白いと思ったことをひたすら追求するのが梅棹流だ。生き方自体が独創的だった。
(10.09.15発行)



2010年 こんな本を読んできた(8月編)

2010年12月31日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

今回は、暑かった8月です。


2010年 こんな本を読んできた(8月編) 



吉田正樹 『人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ~「笑う犬」プロデューサーの履歴書』 
キネマ旬報社 1680円  

 著者は元フジテレビの辣腕プロデューサー。『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』『笑う犬の生活』など、数多くのヒット番組を生み出した。その後フジテレビを辞め、現在はワタナベエンタ―テインメントの会長を務めている。本書は下積み時代からバラエティーの頂点に立つまで、そして退社に至る経緯などを綴った回想記だ。
 読み方はいくつもある。まず伝説のプロデューサーによる成功物語。次にヒットメーカーが語るバラエティー20年史。さらに組織と個人の関係を探る経営論でもある。しかし、特筆すべきは実名を挙げての内部批判だ。
 有名な<ひょうきんディレクター>たちへの厳しい言葉は、番組制作に対する著者の強い信念に裏打ちされている。一方でフジテレビの明るさ、伸びやかさへの感謝も忘れない。閉塞時代のテレビへの檄文としても秀逸な一冊である。
(10.07.30発行)


加藤 元『流転の薔薇』
講談社 1680円

 昨年、『山姫抄』で小説現代長編新人賞を受けた著者の書き下ろし最新小説だ。
 大正10年、木下チヅルは大地主で地元の名士である男と芸者との間に生まれた。9歳で父親に引き取られ、荻生千鶴となるが、まるで小間使い扱い。腹違いの兄の一人は千鶴を嫌悪し、もう一人は許されぬ欲望の対象とする。心の拠り所だった妹の鈴子にも裏切られる。
 15歳の時、ひょんなことから大部屋女優となり、大物俳優を踏み台に這い上がっていく。男たちの表も裏も知り尽くした千鶴が「銀幕の花嫁」として喝さいを浴びる皮肉。やがて結婚し子供も持つが、孤独であることに変わりはない。折に触れ思い出すのは、なぜか鈴子の顔だった。
 架空の人物なのに、まるで実在するかのような錯覚に陥る。自らの生い立ちと昭和という時代に翻弄されながらも、必死で生き抜く女の魂に打たれる。
(10.07.15発行)


遠藤咲子『衰退産業・崖っぷち会社の起死回生』  
日本経済新聞出版社  1890円 

往年の『プロジェクトX』を見るような企業再生ドキュメントだ。舞台は大手企業の子会社。長い低迷が続いていたが、著者が所属するコンサルタント会社の指導を受け、企業改革に取り組む。顧客は誰か。提供する価値をいかに高めるか。組織風土の変化が感動的だ。
(10.06.24発行)


高橋利行ほか『電子書籍と出版~デジタル/ネットワーク化するメディア』ポット出版 1680円    

ipadの登場で俄然注目を集めるようになった電子出版。「紙の本や出版の未来は?」という疑問に答えるべく、出版社、編集者、著者、そして読者など多角的な視点から論じている。自分にとって「本」とは何なのかを再認識するきっかけともなる好著だ。
(10.07.10発行)


三田文学編集部:編『創刊100年 三田文学名作選』
慶應義塾大学出版会 1680円    

『三田文学』が明治43年の創刊から一世紀を迎えた。森鴎外から小川国夫までの小説。保田與重郎や江藤淳の評論。堀口大學、三好達治の詩歌。一冊の雑誌が生み出してきた作品世界の豊かさに驚く。日本近代文学史を体感できる本書は、夏休みの読書にも最適だ。
(10.07.15発行)


伊集院 静『お父やんとオジさん』  
講談社 1995円

 自らの血につながる人々の苛烈な人生を、正攻法で描ききった長編小説である。舞台は朝鮮戦争に揺れる半島と日本。著者とおぼしき青年が、父・宋次郎の仕事を支えてきた人物から、父と母の弟・吾郎の物語を聞きだす形となっている。
 韓国生まれの宋次郎は戦前に日本へと渡ってきた。ひたすら働き、家庭を持ち、子供にも恵まれる。そして終戦。日本に残った宋次郎は海運業で成功する。一方、祖国へ帰った吾郎を待っていたのは朝鮮戦争だった。内戦であるが故の辛い戦場。ついに吾郎は敵と味方の狭間で身動きがとれなくなってしまう。そんな吾郎を救出するため、宋次郎は一人で危険な半島の奥深くへと潜入していく・・。
 命がけで家族を守ろうとする父。無事を祈り続ける母。本書は家族小説であり、ハードボイルドであり、さらに朝鮮戦争の実相を描いた戦争文学でもある。
(10.06.07発行)


永田浩三『NHK、鉄の沈黙はだれのために~番組改変事件10年目の告白』柏書房 2100円

 2001年にNHK教育で放送された「問われる戦時性暴力」。その内容が国会議員らの圧力によって放送前に変えられたというのが「番組改変事件」である。著者は当時の番組担当プロデューサーで、まさに当事者だった。NHKという巨大な密室で何があったのかがようやく明かされる。
 もちろんそれは著者の目を通した事実だが、有力政治家の意向を“忖度”した上層部からの、従軍慰安婦や天皇の戦争責任に関する執拗な修正要求は、やはり異常だ。「この際、毒食らわば皿までだ」と息巻く国会担当。「(NHKの予算が審議される)この時期、政治とたたかえない」という制作局長に慄然とする。
 また、背後にあったNHKと外部制作会社とのいびつな力関係についても、著者は自らの過ちと共に告白している。事件で何が変わり、何が変わっていないのか。現在もまだ闇は深い。
(10.07.25発行)


吉村 昭『白い道』
岩波書店 1785円

4年前に亡くなった著者の単行本未収録エッセイ集だ。戦時下の少年時代。徴兵検査合格の直後に迎えた敗戦。出世作『戦艦武蔵』の執筆。戦史小説から歴史小説への進展。そして、著者ならではの丹念な取材や調査の裏側。これらを通じて、吉村文学の背骨が見えてくる。
(10.07.27発行)


由井りょう子『黄色い虫~船山馨と妻・春子の生涯』
小学館 1260円

『石狩平野』『お登勢』などで知られる作家、船山馨夫妻の軌跡を描いたノンフィクションである。戦後の売れっ子時代にヒロポンを常用。妻も巻き込んでの中毒となる。「黄色い虫」の幻覚と借金地獄。それでも明るく生きた妻は、最愛の夫と同日に没している。
(10.07.12発行)


倉田耕一『土門拳が封印した写真』新人物往来社 1890円

今年は写真家・土門拳の没後20年。その年譜から削除されていた“幻の写真”をめぐるノンフィクションだ。昭和19年、土門は海軍省の依頼を受け、土浦の予科練生を撮影していた。鮮明な当時の写真と証言でよみがえる、戦時下の若者たちと鬼才との秘めたる交流。
(10.07.17発行)


上野俊哉『思想家の自伝を読む』

平凡社新書 903円

 若者だけでなく、大人たちの間でも「自分探し」「自分語り」が日常化している。著者はその虚妄と不毛を指摘し、むしろ「徹底して他者の言葉に身をさらし、ときに他人のテクストに沈み込んでみよう」と提言。優れた自伝を紹介していく。
 ここには数多くの海外の思想家たちの名前が並ぶが、門外漢にはやや敷居が高い。まずは、大杉栄「自叙伝」、林達夫「歴史の暮方」、きだみのる「人生逃亡者の記録」など日本人の著作から入るのが賢明だ。「自分は何であるか」ではなく、「自分が他者にとって何であるか」を探る旅が始まる。
(10.07.15発行)


西本 秋『向日葵は見ていた』
双葉社 1995円

 第24回小説推理新人賞作家である著者の長編デビュー作だ。「北関東某県某郡樫の村、増部志乃宅の住人が一夜にして姿を消した。後には呪われた館と、ひまわりと、ひとつの死体が残った」。物語はそんなプロローグで始まり、過去と現在が交錯する絶妙の構成で展開されていく。
 現在の視点は博物館に勤務する加納里名のものだ。偶然手にした古い写真集の風景が彼女の記憶を刺激する。丘の上にある二階建ての洋館。その斜面には無数のひまわりが咲いていた。里名は無名の写真家と写された場所を探しはじめる。
 もう一人の語り手はアパート「ひまわり荘」で暮らす小学生のコウだ。同じ屋根の下に、ふた組の親子と外国人労働者の兄妹、万年大学生、そして大家の志乃がいた。見えない緊張を孕みながらも一見平穏な日々。その均衡が破れたのは、15年前の夏の終わりだった。
(10.07.25発行)


ニコラス・G・カー:著 篠儀直子:訳
『ネット・バカ~インターネットがわたしたちの脳にしていること』

青土社 2310円

 何とも刺激的なタイトルだが、浅薄なネット批判の本ではない。前著『クラウド化する世界』で話題を呼んだ著者が、メディア論や神経科学などを駆使して描く、ネット時代の“今そこにある危機”。
 著者によればネットは単なる道具ではない。脳に、そして精神に影響を与える道具なのだ。なぜなら脳は常に流動的で、環境や行動のわずかな変化にも適応しようとする。ネットによって、断片化された短い情報を重なり合うような形で受け止めていく精神(ジャグラーの脳)が形成される。逆に、何百年もの間、本による読書などで培われてきた集中力と思索力は弱まっていくというのだ。
 文化はグーグルのいう「世界中の情報」の総和ではない。「記憶をアウトソーシングすれば、文化は衰退してしまう」という警告は聞くに値する。
(10.07.30発行)


山根一眞『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』
マガジンハウス 1375円

7年間、60億キロもの宇宙の旅を成し遂げた「はやぶさ」。その克明なドキュメントだ。1円玉ひとつを動かす推力のイオンエンジン。時速10万キロの小惑星とのランデブー。そして地球への帰還。相次ぐトラブルをを克服した奇跡の探査機と技術者たちの物語だ。
(10.07.29発行)


筒井康隆『現代語裏辞典』文藝春秋 2415円

強烈な皮肉、ブラックユーモア、批判精神が横溢するビアス『悪魔の辞典』の筒井版だ。【国家】無形の束縛。【権力】誇示はしたいし反感は買いたくないし。【平和】戦争の準備をする期間。【天国】その後の地獄。項目数1万2千のどれを読んでもニヤリとする。
(10.07.30発行)


佐野眞一他『上海時間旅行~蘇る“オールド上海”の記憶』
山川出版社 1890円

人はなぜこの街に魅かれるのか。金子光晴などの文士たち。内山書店の内山完造と魯迅。阿片王・里見甫。「中国のハリウッド」での李香蘭。彼らの足跡をたどることで今の日本と中国も見えてくる。カラー絵葉書をはじめ豊富な写真も魔都の往時を再現している。
(10.07.30発行)


藤原正彦 『ヒコベエ』 
講談社 1680円

 本誌連載『菅見妄語』で健筆をふるう著者の自伝的小説である。舞台は昭和20年代。主人公ヒコベエが2歳から小学校を卒業するまでの物語だ。
 当時、物は不足し、どの家も一様にも貧しかったが、隣近所が助け合って暮らしていた。ヒコベエはヤンチャで頭の回転の速い少年として成長していく。小学校ではクラスのボスとの直接対決で政権交代を果たし、女の子への淡い思いや算数の面白さも知る。夏は両親の故郷・信州諏訪地方で過ごすヒコベエ。祖父母や地元の子どもたちとのつながりが、信州弁を駆使して生き生きと描かれる。
 また、母(藤原てい)の書いた満州からの過酷な引き上げ体験記『流れる星は生きている』がベストセラーとなったのに続き、父は家計の足しにと懸賞小説に応募を始め、やがて作家・新田次郎が誕生する。新たな秀作家族小説の誕生だ。
(10.07.29発行)


雫井脩介『つばさものがたり』 
小学館 1575円

 『クローズド・ノート』などで知られる著者の最新長編は、大人のためのファンタジーだ。主人公はパティシエール(女性ケーキ職人)の君川小麦。有名店で修業を続けていた小麦が、予定より早い“夢の実現”へと動く。それは自分の店を開くことだった。
 一方、兄の息子・叶夢(かなむ)は6歳。他人と交わるのが苦手で一人遊びばかりしているが、本人はレイモンドという名の天使と友達だという。レイはまだ本格的な天使ではなく、資格試験の準備中だ。それでも一種の予知能力があり、小麦の店が流行らないことも的中させてしまう。
 経営的に行き詰まり、一旦店を閉める小麦。しかし、彼女の悩みは店のことだけではなかった。家族にも言えない秘密を抱えたまま、もう一度、店作りに挑戦しようとする。叶夢とレイにも天使試験の本番が迫っていた。各々の夢の行方は?
(10.08.03発行)


石光勝・柿尾正之 『通販~「不況知らず」の業界研究』  
新潮新書 735円

『テレビ番外地』の著者とマーケティングの専門家が明かす通販業界の内側だ。王道を行く千趣会とニッセン。異端としてのジャパネットたかた、楽天、カタログハウス。さらにケータイという「ポケットの中の百貨店」の急伸。総売上4兆円の世界を徹底分析する。
(10.08.20発行)


志村史夫 『ITは人を幸せにしない~21世紀の幸福論』  
ワニブックスPLUS新書 798円

半導体研究の第一人者である著者による警世の書。ITが人間を部品化・機械化し、本来持っている潜在力を劣化・鈍化させ、自然の時間で生きる機会を失わせていると説く。その上で、量から質への転換や質素な暮らしを提唱する。幸福とは何かを考えさせる好著だ。
(10.08.25発行)


鈴木 耕『沖縄へ~歩く、訊く、創る』
 
リバルタ出版 1575円

著者は出版社出身のフリー編集者&ライター。この30年間沖縄を丹念に歩き、当事者に話を訊き、問題の本質を探っている。中でも米軍基地の中に村役場を造った読書村の事例が興味深い。また著者が“妄想”として提案する「沖縄医療特区」構想も十分傾聴に値する。
(10.08.04発行)


平林雄一『芸能人という生き方~もはや「狭き門」ではない』
中公新書ラクレ 735円

 芸能界を目指す人、我が子を芸能人にしたい親にとって格好の指南書であり、基礎講座だ。まず、近そうで遠い芸能界の内部を解説。芸能人がもつチカラとその源泉、一般社会とは異なる経済事情を明らかにする。芸能人がひたすら芸能界に執着するのも納得がいく。
 そんな世界に入るにはどうしたらいいのか。芸能プロや芸能スクールの仕組み、オーディション合格へのヒント、そして整形手術の実態と効果にさえ触れている。成功する芸能人の必須条件として、著者は積極性と向上心を挙げる。いずこも基本は人間力なのだ。
(10.08.10発行)



2010年 こんな本を読んできた(7月編)

2010年12月31日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

その7月編です。


2010年 こんな本を読んできた(7月編) 


亀山郁夫 『ドストエフスキーとの59の旅』
日本経済新聞出版社 1995円

 著者はロシア文学者で東京外語大学長。その新訳による『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』などが評判となり、一種のブームさえ生み出した。本書は、若き日のドストエフスキーとの出会いから現在に至るまでの、体験と思索を綴った自伝的エッセイ集である。
 一連の文章の中で著者が最もこだわっているのは、ドストエフスキーをドストエフスキーたらしめた原体験としての「父殺し」だ。しかも、それを自らの父親に対する愛憎と重ね合わせて語っていく。<若い頃、わたしは「唯我論者」だった>という告白などと相まって、“私小説”の趣きさえ感じさせる。
 タイトルに「59の旅」とある。しかし、59篇のエッセイが収められているわけではない。59とはこれらが書かれた時の著者の年齢であり、ドストエフスキーと共に人生を歩んできた日々への思いが込められている。
(10.06.21発行)


池永 陽 『化石の愛』
光文社 1785円

尚子は同棲していた年上の画家・井串と心中を図りながら、自分だけが生き残る。傷心のまま学生時代に暮らした京都へ。尚子はそこで懐かしい人々と再会するだけでなく、井串の遺作に描かれた奇妙な石仏と出会う。人は過去とどう向き合えばいいのか。哀切の恋愛小説。
(10.06.25発行)


三橋俊明 『路上の全共闘1968』
河出書房新社 1365円

60年代末、政治セクトに属さない無数の「一般学生」が全共闘運動に参加していた。日大闘争の渦中にいた著者がそんなノンセクト全共闘のリアルな日々を回想する。それは「造反有快(叛逆は何より愉快だ)」を基本とした「直接自治運動」だった。異色の「1968論」。
(10.06.30発行)


今野 浩 『スプートニクの落とし子たち~理工系エリートの栄光と挫折』
毎日新聞社 1575円

60年代に日比谷高校から東大工学部へと進み、現在は中央大教授の著者。同級生の中に銀行の副頭取となった男がいた。しかし、成功は続かず、挫折したままで人生を終える。一体なぜそうなってしまったのか。高度成長時代を支えたエリートたちの光と影の物語だ。
(10.06.20発行)


田中正恭 『夜汽車の風景~昭和から平成、夜汽車の旅40年』
クラッセ 1680円

著者の鉄道歴は40年。国鉄全線はもちろん国内鉄道全線をも走破した。そんな伝説のマニアが回想する<夜汽車の旅>エッセイ集だ。すでに廃止された夜行特急や急行も、本書の中では走り続けている。貴重な切符コレクションからの写真も旅情を深めてくれる。
(10.06.11発行)


森 博嗣 『小説家という職業』
集英社新書 735円

 『スカイ・クロラ』などで知られる小説家自身が語る小説家論であり小説論だ。「ビジネスで小説を書く」と明言する著者は、自作の何が新しく珍しいのか、その商品性を強く意識する。ニーズに応えるよりニーズを生む。さらに読者の期待を裏切るように書いていく。
 そのためには、自分の目で見る。そして、自分が見たものを、自分の頭で考える(処理する)。言葉だけで片づかないことを言葉で表現する矛盾と、その“苦悩の痕跡”が小説の存在理由だという。本書は小説を書くためのノウハウ本ではないが、ヒントは満載だ。
(10.06.22発行)


森 功 『腐った翼~JAL』   
幻冬舎 1470円

 今年1月、2兆3000億円という巨額の負債を抱えて倒産したJAL(日本航空)。“日本の翼”はなぜここまで堕ちてしまったのか。そんな素朴な疑問を徹底的に掘り下げた検証ドキュメントである。
 経営破綻の原因として、一般的に伝えられてきたのはJAS(日本エアシステム)との統合だ。JASの国内赤字路線を背負ったことが指摘された。しかし、著者の丹念な取材によればそれは違う。まず、JAL自身の国際線が増やしてきた巨大な赤字。それを看過してきた歴代経営陣に問題があったのだ。
 さらに驚かされるのは政治家や官僚との癒着の構造である。これに派閥抗争と組合との異様な関係が加わった実態を知れば、本書の帯にある「潰れて、当然。潰して、当然」の文言も過剰でないことが分かる。危機感の欠落した企業が今日も人の命を運んでいる。
(10.06.30発行)


本橋信宏 『新・AV時代~悩ましき人々の群れ』 
文藝春秋 1600円

アダルトビデオ(AV)の世界を熟知する著者ならではの、自伝的ノンフィクションノベル完結編だ。前著『裏本時代』『AV時代』と同様、村西とおる、高橋がなりなど業界の帝王や鬼才、女王が実名で登場する。エロスではなくエロを追求した彼らの栄光と悲惨。
(10.06.25発行)


荒俣 宏・高橋克彦 『荒俣 宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅』 
実業之日本社 1890円

“歩く百科全書”と“奇想のエンターテインメント作家”のコンビが岩手を行く。目の前の文物を通して歴史の深部を幻視。藤原氏の平泉をローマと比較し、柳田國男「遠野物語」を検証する。それぞれの知識と想像力を総動員しての歴史対談は、東北に対する既成概念を覆す。
(10.06.25発行)


斎藤美奈子 『ふたたび、時事ネタ』
中央公論新社 1890円

『たまには、時事ネタ』に続く、雑誌連載の時評コラム集である。この国の首相が目まぐるしく変わった07年から昨年までを総括する。裁判員制度と“運”、検察と国民のかい離、冤罪を生む風土等々。著者の言う「「ニュースは最終回のない連続ドラマ」が実感できる。
(10.06.25発行)


半藤一利 『世界はまわり舞台』 
創元社 1890円

著者の得意技、一つのテーマを三つの話題で展開するTLILOGY(三題噺)が楽しめる。松本清張なら徹夜の講義・驚きの記憶力・清張流黒田節だ。また、蝶々夫人・俳句・浦島太郎で日本人の国際性を語る。大人による、大人のための贅沢なムダ話集。
(10.06.18発行)


土田ひろかず 『民主党選挙のヒミツ』 
洋泉社新書y 1890円

 著者は、昨年の参院選補欠選挙で初当選した民主党現職議員であり医師。今回の参院選を比例候補として戦った。本書では民主党における選挙の実情を明かしている。党幹事長と選対委員長が権限を持つ「公認」。公認候補は公示前の戸別訪問も政治活動として許される。党の組織力も使える。
 ウグイス嬢の日当は一万五000円。車内からの呼びかけ以外はご法度だ。また支援者からのクレームがあれば、選挙演説の中身も軌道修正。「しがらみ」は党派を超えて存在するのだ。終章の議員報告は笑える<国会トリビア集>でもある。
(10.06.21発行)


吉本康永 『マッカーサー元帥暗殺計画』 
廣済堂出版 1890円

 ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったのは1945年8月30日のことだ。それから約6年間、元帥は日本人から1発の銃弾も受けることなく、この国に君臨した。本書は今も多くの謎を残す占領期の、史実と虚構の間から生まれた緊迫の歴史ミステリーだ。
 昭和思想史を専門とする大学講師・代田武夫が受け取ったのは、未知の女性が送ってきた古いノート。それは陸軍中尉だった彼女の父・佐分利英樹が遺した戦中から戦後の日記だった。代田が興味をもったのは、そこに記されていた佐分利の上官・伊地知少佐を中心とするグループの動きだ。それはまさにマッカーサー暗殺を窺わせるものだった。
 暗殺計画はいかに練られたのか。また実行されたのか、されなかったのか。関係者への取材を進める代田。やがて歴史学者らしい考察と推理が、驚くべき真相を明らかにしていく。
(10.07.15発行)


臼井敏男 『叛逆の時を生きて』
朝日新聞出版 1890円

 60年代末の全共闘運動、学生運動に関わった有名・無名の人たちが語る闘争と自己。元朝日新聞論説委員である著者は証言者たちと同世代である。
 「もう平凡な整備工ですから」と元日大全共闘議長の秋田明大。「最後は自分もバラバラになった」と回想する。著書『がんばらない』で知られる医師・鎌田實は東大安田講堂を占拠した一人だ。大学や社会を変える前に、一人ひとりの人間が変わることが必要だと気づいたという。
 後に政治家となった者も多い。東工大で「ヘルメット、ゲバ棒なし」の運動にこだわった管直人。仙谷由人は東大全共闘で逮捕者の救援対策を担当していた。他にも猪瀬直樹、立松和平といった面々が並ぶが、元連合赤軍・加藤倫教の証言は重い。「総括」によって死亡したメンバーの中に実の兄もいたのだ。それぞれ40年の軌跡がここにある。
(10.06.30発行)


松岡正剛 『松岡正剛の書棚~松丸本舗の挑戦』 
中央公論新社 1570円

昨年、丸善・丸の内本店に誕生した「松丸本舗」は、著者が選んだ膨大な本が並ぶコーナーだ。しかも一般的なジャンルとは無関係に、著者の思う「つながり」に基づいて配置されている。本書はそのガイドブック。電子書籍の時代といわれる今こそ訪れたい書棚だ。
(10.07.01発行)


トゥッリオ・ケジチ:著 押場靖志:訳 『フェリーニ 映画と人生』 
白水社 6930円

「運命、偶然、状況、そして即興的な決断」を信じた巨匠の“公認”評伝。著者は長年親交のあった映画評論家だ。一人の青年がオペラのエキストラを経験し、新聞でコラムを書き、脚本家となり、やがて監督として花開く。創造の舞台裏の興味深いエピソード満載。
(10.07.05発行)


大橋博之:編著 『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』 
河出書房新社 1680円

大阪・千里丘陵で日本万国博覧会が開かれたのは40年前だ。各パビリオンでは展示物と共にホステス(当時の呼称)の制服も注目を集めた。機能的でファッショナブル、さらに国家や企業のイメージを伝える役割も果たしていた制服たちが、豊富な図版となって甦る。
(10.06.30発行)


東野圭吾 『プラチナデータ』 
幻冬舎 1680円

 凶悪犯罪が日常的になってきた現在、いずれあり得るかもしれない科学捜査を先取りした近未来サスペンス長編だ。
 本人の同意を得て採取したDNA情報を、捜査機関が必要に応じて利用できる「DNA法案」が成立した。おかげで検挙率は急上昇したが、どうしても検索できない連続殺人犯が現れる。主任解析員の神楽は困惑するが、続いてこのシステムの開発者である兄妹までが殺害されてしまう。しかも事件現場から見つかった毛髪から導かれた犯人像は、何と神楽自身を指していた。
 決死の逃亡者となる神楽。彼には捜査をかわすだけでなく、真犯人を明らかにする必要があった。人間の全てはDNAが決定してしまうのか。その情報を握るのは国家なのか。ならば人間の心とは何であり、誰のものなのか。科学が行きつく先の究極の問いに巧みな物語展開で応える。
(10.06.30発行)


島森路子 『ことばを尋ねて~島森路子インタビュー集①』
天野祐吉作業室 3045円

 著者は30年に亘って時代と併走した雑誌、『広告批評』の元編集長。その名物企画だったロングインタビューから24編が選ばれ、2冊の単行本に収められた。本書はその第1巻だ。
 淀川長治は映画の話だけでなく、自身の両親についても率直に語る。「贅沢三昧してたけど、非常にこわい家庭でもあったわけね。普通の家じゃなかった」。また山田風太郎からは“積極的に生きない”生き方について、見事に引き出している。勉強も戦争も小説も「オレはいつも列外におるつもりでいたから」。
 刺激的な“ことば”を語るのは亡くなった者ばかりではない。三輪明宏は「ものを本質の根っこのところから判断する」ことの大切さを説き、谷川俊太郎は「老い」という“現実”とどう向き合うかを明るく話す。他に登場するのは、吉田秀和、養老孟司、橋本治、タモリ、ビートたけしなど。
(10.06.25発行)


倉本 聰 『歸國(きこく)』
日本経済新聞出版社 1575円

8月15日午前1時。東京駅ホームに降り立つのは約60年ぶりで帰還した皇軍兵士たちだ。彼らは、現在の故国と日本人の姿を、遠い海に眠る仲間たちに報告する“任務”を負っていた。鎮魂と厳しい批判を込めたこの戯曲は8月14日に放送されるドラマの原作でもある。
(10.07.01発行)


酒井順子 『ズルい言葉』 
角川春樹事務所 1365円

『広告』などの雑誌に連載された“40代女子の目線”エッセイ。「ある意味」や「次につなげる」といった“ズルい言葉”には、責任逃れだけでなく対人摩擦を防ぐ効用がある。他に「どこか懐かしい」「なかなか」など、45個の言葉を介して読み解く現代人間模様。
(10.07.08発行)


川口葉子 『東京カフェを旅する~街と時間をめぐる57の散歩』 
平凡社 1575円

カフェは欧州の専売特許ではない。東京にも“いい時間”を過ごせる場所はある。全国1千軒もの店を行脚したエッセイストの著者が紹介する、東京カフェの過去から現在まで。ゆったりした乃木坂のウエスト、たった4席の吉祥寺・海豚屋、それぞれの味が待っている。
(10.07.16発行)


横尾忠則 『猫背の目線』 
日経プレミアシリーズ 893円

 常に時代の最前線を走り続けてきた著者が、すでに70代半ばと聞けば驚く。しかし、その自由な精神は今も変わらない。本書はいわば“隠居論風エッセイ”。日々の暮らしや創造活動の中での発見を伝えている。
 生きるとはこの世で遊ぶこと。忙しいのは他者主導の時間に従うから。創作の鍵を握るのは全て体である。病気自慢も体の浄化になる。頭を空っぽにする遊びとしての散歩には多くの効用がある。生活感のない人間の創造は信用できない等々。そんな著者の生き方を集約すると「嫌なことはしない、好きなことだけをする」。
(10.07.08発行)


2010年 こんな本を読んできた(6月編)

2010年12月31日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで、書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)を
まとめています。

その6月編。


2010年 こんな本を読んできた(6月編) 


柚月裕子 『最後の証人』
宝島社 1470円

 女性検察官・庄司真生の目から見て、その事件の真相は明らかだった。現場はホテルの一室。被害者は医師の妻である高瀬美津子。彼女を刺殺した島津邦明は会社経営の傍ら陶芸教室を主宰していた。二人は不倫関係にあり、事件は愛憎のもつれが原因。負けるはずのない裁判だった。
 島津側の弁護士は元検事の佐方貞人だ。仕事の依頼を受ける基準は一つ。事件が面白いかどうかだった。今回も、あらゆる要素が犯人であることを示唆する島津が、容疑を否認していることに興味を持ったのだ。
 公判では真生の厳しい追及が続く。佐方は劣勢に次ぐ劣勢だが、なぜか真生は安心できない。その予感通り、やがて裁判は誰もが思いもしなかった方向へと進み始める。「このミステリーがすごい!」大賞作家の第2作は、絶妙なストーリー展開に驚かされる法廷サスペンスだ。
(10.05.24発行)


江刺昭子 『樺美智子 聖少女伝説』
文藝春秋 1470円

 1960年6月15日。日米安保反対のデモに揺れる国会南通用門で、一人の女子学生が亡くなった。東大文学部に在籍していた樺美智子だ。衝撃的な死から半世紀が過ぎた今、評伝作家である著者が“悲劇のヒロイン”の実像に迫った。
 樺美智子を「一般的な女子学生」「普通の東大生」のイメージでとらえている人は少なくない。しかし、本書で明らかになるのは、自らの意志で学生運動に飛び込んだ「熱心な活動家」としての姿だ。共産党に入り、離脱後はブント(共産主義者同盟)に参加。東大文学部学友会副委員長、社学同(社会主義学生同盟)の同盟員も兼ねていく。
 圧死か扼殺かは謎のまま、死後様々な組織が彼女を権力に抵抗した救世主、運動の象徴として担ぎ出す。世間もまた「可憐な少女」という伝説を愛したのだ。本書によって樺美智子はようやくその素顔を垣間見せる。
(10.05.30発行)   


泉麻人 『東京ふつうの喫茶店』
平凡社 1575円

著者が言う「ふつうの喫茶店」の如何に非凡なことか。珈琲が美味いのはもちろん、佇まいがいい、店主の人柄が好ましい、さらに客や街並みも魅力的でありたい。本当は“自分だけの店”でいて欲しいはずの56軒を惜しみなく紹介している。巻末の地図入りカードも重宝。
(10.05.17発行)


塩澤幸登 『「平凡」物語』
河出書房新社 1575円

サブタイトルは「めざせ!百万部 岩崎喜之助と雑誌『平凡』と清水達夫」。焼け跡の東京で二人の男が始めた雑誌作りは、やがて日本の大衆文化を変えていく。著者自身も編集に携わった『平凡』を軸に、“読者とともに”歩んだ戦後雑誌出版史が語られる。
(10.05.25発行)


高島俊男 『お言葉ですが・・別巻3~漢字検定のアホらしさ』
連合出版 2310円

270万人が受ける漢字能力検定を「ただのパズルである」と一刀両断。その論理性と蘊蓄、そしてユーモアは、収録の全エッセイに共通している。漢字専門家たちの論争を吟味し、漢詩「春望」を解釈する文章からは、著者の言葉に対する情熱が伝わってくる。
(10.05.20発行)


保阪正康 『昭和史の深層~15の争点から読み解く』平凡社新書 819円

 60数年に及んだ昭和という時代をどう捉えるかは、この国の現在や未来を考えることでもある。著書『あの戦争は何だったのか』などで歴史の深層に挑んできた著者が、論争を軸に15のテーマを概観していく。
 満州事変、2・26事件、日中戦争、南京事件、太平洋戦争、さらに東京裁判などが俎上に乗るが、検証のポイントは3つだ。日本社会に「戦争観」は確立されたか。戦後民主主義と日本型の民主主義とは何か。そして20世紀の昭和史をどう語り継ぐか。特に当事者たちの意思が培養されていくプロセスが興味深い。
(10.05.14発行)


マイケル・マイヤー:著 早良哲夫:訳 『1989 世界を変えた年』
作品社 2730円

 1989年に起きた<東欧革命>とは何だったのか。当時、「ニューズウイーク」ドイツ東欧担当支局長だった著者が“歴史の転換点”を描くルポルタージュだ。
 東欧革命の特色は連鎖と同時進行性にある。ハンガリーがオーストリアとの国境フェンスを開放。ポーランドで東欧初の自由選挙実施。チェコスロバキアが国民の脱出を防ぐために国境閉鎖。ゴルバチョフによる東欧諸国の自立を促す演説。東ドイツが国境を開く。そして「ベルリンの壁」崩壊。
 その目まぐるしい変化と緊張の中で、著者はゴルバチョフやワレサ、チャウシェスクなど“当事者”への直接取材を敢行していく。中でも興味深いのは、東ドイツ当局者の間違い発言が「ベルリンの壁」の崩壊を引き起こしたという事実だ。本書を読むと、アメリカが喧伝した「共産主義への勝利」の実相が見えてくる。20世紀で“最も劇的な1年”の貴重な証言である。
(10.03.20発行)


小枝義人:著 河野洋平:監修 『党人河野一郎 最後の十年
春風社  1800円

河野一郎が昭和31年に日ソ国交回復を果たしてから亡くなるまでの10年。その軌跡を、元ジャーナリストの千葉科学大教授が丹念に追った労作評伝である。東京五輪、つくば学園都市といった業績だけでなく、大映・永田雅一との交遊など人間像の全体に迫っている。
(10.05.10発行)


鈴木則文 『トラック野郎風雲録』
国書刊行会 2520円

東映映画『トラック野郎』全シリーズを監督した著者の回想録である。撮影現場の貴重な裏話はもちろん、アート・トラック(デコトラ)の原型が祭礼の山車であること、任侠と実録という2大ヒット路線の合体だったことなども明かされる。豊富な図版もマニア垂涎。
(10.05.15発行)


植田康夫 『ヒーローのいた時代~マス・メディアに君臨した若き6人』
北辰堂出版 1680円

登場するのは若き日の五木寛之、永六輔、野坂昭如、梶山季之、いずみたく、そして草柳大蔵。彼らはいかにして時代の最前線に躍り出たのか。本書のベースは68年刊行の『現代マスコミ・スター』。「週刊読書人」編集主幹の著者が活写する大衆文化史である。
(10.05.10発行)


椰月美智子 『フリン』
角川書店 1575円

不倫の渦中にいる男女が登場する6つの短編。ある者は気の迷い、またある者は配偶者への復讐と、きっかけも経緯も異なるが、不思議な諦念では共通している。しかも彼らは皆同じマンションに住んでいる。だが、そのことを知っているのは著者と読者だけだ。
(10.05.31発行)


小出五郎 『新・仮説の検証 沈黙のジャーナリズムに告ぐ』
水曜社 1890円

 著者は元NHK科学番組ディレクター。「核戦争後の地球」、「驚異の小宇宙・人体」などの秀作を生んだ。現在は科学ジャーナリストとして活躍している。本書は足尾銅山鉱毒報道の歴史的考証であり、同時に現在のジャーナリズムに対する厳しい検証でもある。
 足尾銅山鉱毒問題の報道をめぐって、著者は3人の人物にスポットを当てる。若干20歳で「谷中村滅亡史」を著した荒畑寒村。フォト・ジャーナリストの先駆けである小野崎一徳。そして、「栃木新聞」編集長を経て国会議員となり、鉱毒問題を捨て身で訴え続けた田中正造だ。
 彼らの“志”と“仕事”をジャーナリストのあるべき姿と位置付け、その軌跡を丹念に追う。またそれを合わせ鏡として、「客観報道主義」と「発表ジャーナリズム」に埋没する現代のマスメディアに警告を発する。ジャーナリズムを再生していくための指南書。
(10.05.31発行)


永瀬隼介 『狙撃~地下捜査官』
角川書店 1785円

 警視庁刑事だった上月涼子は現在所轄に左遷中の身。ところが再び本庁に呼び戻される。配属先は特務監察室。警察官の犯罪行為を取り締まる警察内警察だった。
 新たな上司は鎮目竜二警視正。任務のためには手段を選ばない冷徹な男だ。涼子にとって最初のターゲットとなる覚せい剤がらみの容疑者は、何とかつての不倫相手だった。その過程で「異物を排除し、組織を守る仕事」の厳しさを学んだ涼子は、ようやく一人前として認められる。
 そんな涼子の前に現出したのは、1995年3月に起きた警察庁長官狙撃事件の「闇」だ。しかも事件発生時に長官と共にいた秘書は鎮目だった。15年前の「真相」を追って涼子たちは動き出す。しかし、それは警察組織全体を揺るがす、あまりに危険な事案だった。
 現実の長官狙撃事件を巧みに取り込みながら描く、緊迫の警察小説である。
(10.06.01発行)


デクラン・ヒル:著 山田敏弘:訳 『黒いワールドカップ』 
講談社 2415円

衝撃的なノンフィクションだ。世界各地のサッカー賭博の実態を暴いている。しかも五輪やW杯でさえ例外ではないのだ。八百長試合では何かを「する」より「しない」のが手口。選手や審判の「怠惰」を見抜くことは困難だからだ。サッカーの概念が根本から変わる。
(10.06.10発行)


若林純 『謎の探検家 菅野力夫』 
青弓社 2100円

こんな日本人がいたのか、と愉快になる労作評伝だ。明治から昭和にかけて8回の世界探検旅行。現地では鍾馗ひげと坊主頭、コスプレのような衣装で自身をカメラに収めた。帰国すれば講演や新聞への露出。「世界探検」を職業とした男の破天荒な生涯である。
(10.05.22発行)


ブルボン小林 『マンガホニャララ』
文藝春秋 1200円

複数の雑誌に掲載された漫画コラムの集大成。最大の魅力は漫画の意外な見方と評価だ。「結婚・出産奨励漫画」としての『美味しんぼ』、絵本を駆逐する『ドラえもん』等々。一種の漫画時評だが、著者の言う通り「漫画はいつでもその時代の空気を保存」している。
(10.05.30発行)


小谷野敦 『日本文化論のインチキ』
幻冬舎新書 819円

 『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』『ものぐさ精神分析』など、この国では度々「日本文化論」のベストセラーが登場する。自分たちは何者なのかを簡便に知りたいという潜在的需要があるからだ。
 比較文学者の著者によれば、これらの“名著”には共通点がある。比較対象は西洋など狭い範囲。扱われる日本人はエリートに限定。さらに歴史的変遷の無視だ。その結果、本来ないはずの「文化の本質」が堂々と語られていたりする。著者はそれをインチキ学問として許さない。特に江戸時代賛美者への警鐘は強烈だ。
(10.05.30発行)


赤城 毅 『氷海のウラヌス』
祥伝社 1995円

 日米開戦が避けられなくなった昭和16年秋。横須賀沖から特殊艦「ウラヌス」が遥かノルウェーを目指して出航する。乗組員はハイケン艦長率いるドイツ兵と、日本海軍の堀場大佐と望月大尉。二人はある秘密工作を担っていた。
 目的は、対米戦を有利に進める上で必要な<ドイツ参戦>の確約を得ること。また、ヒトラーへの“献上品”を輸送するのがウラヌスの役目だった。しかも選ばれたのは、敵の空海軍だけでなく、厳しい自然が待ち構える北極海航路だ。
 無用の戦闘を避けるための偽装を施し、氷の海を行くウラヌス。しかし戦場での幸運はそう長く続かない。やがて、ソ連そして英国海軍との壮絶な戦いが開始される。それは堀場と望月、さらに日本の運命を左右する戦いだった。ドイツ現代史を専門とする歴史学者の著者による、緊迫の戦争海洋サスペンスである。
(10.06.20発行)


櫻井よしこ 『民主党政権では日本が持たない~国民を欺いた「政権交代」』
PHP研究所  1365円

本誌「日本ルネサンス」で健筆を振るう著者が、当時の鳩山首相と民主党政権に関する冷徹な分析と批判を行っている。特に憂慮するのが、政権が持つべき確たる国家観、歴史観、安全保障観の欠如だ。それは菅内閣も変わらない。この国の危機的状況が見えてくる。
(10.06.11発行)


池波正太郎:著 小島香:編 『池波正太郎が書いたもうひとつの「鬼平」「剣客」「梅安」』 
武田ランダムハウスジャパン 1785円

劇作家・池波正太郎の魅力を伝える戯曲集。松本幸四郎が平蔵を演じた「狐火―鬼平犯科帳」、緒形拳の「必殺仕掛人」など、いずれも作・演出の著者が舞台装置、照明、衣装にまで精魂込めた名作ばかりだ。簡潔な台詞と的確なト書きで、脳裏に舞台が浮かんでくる。
(10.06.10発行)


江 弘毅 『ミーツへの道 「街的雑誌」の時代』
本の雑誌社 1680円

著者は京都・大阪・神戸の広域タウン誌『ミーツ・リージョナル』の元編集長。街の「うまい」「おもろい」「たまらん」のリアリティを伝えようと奮闘してきた男の回想記だ。消費のための情報ではなく、自分たちの実感と本音を発信する姿勢が共感を呼ぶ。
(10.06.05発行)


坂田哲彦:編著 『昭和ストリップ紀行』
ポット出版 1890円

ストリップ黄金期は昭和40年代だ。長い斜陽期が続いている。本書は横浜の「黄金劇場」、北九州の「A級小倉劇場」など各地に現存する小屋を訪ね歩いたルポルタージュ。小さな舞台の写真には踊り子や小屋主の人生までも映り込んでいる。全国劇場ガイド付きだ。
(10.06.17発行)



2010年 こんな本を読んできた(5月編)

2010年12月30日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

5月分です。


2010年 こんな本を読んできた(5月編) 


俵 万智 『ちいさな言葉』  
岩波書店 1575円

本誌「新々句歌歳時記」でお馴染みの歌人は、6歳の息子をもつシングルマザーでもある。本書は成長する子どもと共に言葉を“再発見”してきた著者の最新エッセイ集。随所に挿入された短歌も楽しめる。「してやれることまた減りゆきて子が殻をむく固ゆで玉子」
(10.04.06発行)


水木しげる 『カランコロン漂泊記~ゲゲゲの先生大いに語る』 
小学館 1155円

現在、その半生がNHK朝ドラで描かれている著者。しかし、自身が文章とコミックの併せ技で語る半生もまたすこぶる味わいがある。子ども時代の放屁癖。戦場戦時での悲惨だが可笑しい話。戦争恐怖症の目に映る昨今の日本。10年前に出版された“名著”の新装版だ。
(10.04.11発行)


玉村豊男 『玉村豊男 パリ1968-2010』 
東京書籍 1155円

1968年の出会いから42年。パリという街との長い “交遊”を綴った回想記だ。留学時代に始まり、処女作『パリ旅の雑学ノート』の頃、そして現在と、愛すべき店の数々と友人たちは常に著者の宝だ。並んだカラーイラストは47点。文章と拮抗する魅力を放っている。
(10.04.05発行)


藤原美子 『夫の悪夢』  
文藝春秋 1500円

 著者は本誌連載「管見妄語」の藤原正彦教授夫人だ。『国家の品格』の数学者が夫、『八甲田山死の彷徨』の新田次郎が舅、そして『流れる星は生きている』の藤原ていは姑ということになる。その上で著者は3人の息子たちを育て、エッセイを書き、大学の教壇にまで立ってきた。
 そんな著者の日常もさることながら、本書で明かされる夫のエピソードがすこぶる愉快だ。ダイビングスクールの講師に「死んだ人はいないか」「サメは出ないか」と尋ねる。息子たちとバレンタインデーのチョコの数を競い合う。また「健康のためなら死んでもいい」という節制魔でもある。
 一方、著者は好奇心旺盛で何にでも挑戦する。海や山はもちろん、未知の人間さえ恐れない。夫は先の読めない妻の行動に戦々恐々としつつも鍛えられていく。やはり、この夫人あっての藤原流武士道だったのだ。
(10.04.25発行)


柴田哲孝 『早春の化石』 
祥伝社 1890円

 『渇いた夏』の神山健介が帰って来た。伯父の遺産を受け継ぎ、福島県白河で探偵稼業を続けている健介。ある日、東京で興信所から仕事が回ってくる。依頼主は中嶋佳子というモデル。2年前、男に拉致され行方不明となった双子の姉・洋子の“遺体”を探して欲しいというのだ。
 健介は佳子と共に調査を開始する。しかし犯人はすでに自殺しており、素性も定かではない。男は千葉県千倉出身の大塚義夫と名乗っていたが、実在の大塚は全くの別人。事件の3年前に失踪していた。手掛かりは男が以前白河で板前として働いていた可能性があることぐらいだった。
 調査の進展に伴って、健介の周辺は穏やかではなくなってくる。また佳子の謎めいた言動にも惑わされる。やがて男の過去が立ち現れてくるが、それは昭和史の暗部と深く繋がっていた。
(10.04.20発行)


明石昇二郎 『グーグルに異議あり!』 
集英社新書 735円

 すでに日常のツールとなったグーグル。その検索機能は確かに便利だが、出版文化にとっての脅威を孕んでいることは余り知られていない。何と書籍を著作者に無断でデジタル化し、広告付きで販売しようというのだ。その一方的な「ブック検索和解案」にルポライターである著者が憤った。
 まずは警視庁に刑事告訴。和解案への異議申し立てをすべく単身ニューヨークの裁判所へと飛ぶ。さらにドイツの文芸批評協会などとも連帯していく。デジタル書籍時代の始まりといわれる今、情報寡占の危うさを知る絶好のルポである。
(10.04.20発行)


平 安寿子 『おじさんとおばさん』
朝日新聞出版 1575円

 ストレートなタイトルの“同窓会恋愛” 小説だ。何十年ぶりで再会した6人の男女は小学校の同級生。団塊世代の弟妹たちに当たる50代後半だが、まだまだ達観には程遠い。
 すでに孫もいる緑はずっと専業主婦だ。卒業後就職した銀行に今も勤務する久美子は独身。掃除サービスで働く順子は女手ひとつで息子を育ててきた。江口は家業の仏壇屋を継いだ三代目主人。三村は往年の局アナとして多少は顔と名前が知られた男だ。そして妻に先立たれた中田はボランティア活動に熱中している。
 皆、平穏な日々を送っているように見えるが、実際にはそれぞれが家庭や個人の問題を抱えていた。そんな彼らの中で、かつての同級生が魅力的な異性となる。半世紀以上を生きてきて、恋愛の甘さも苦さも知っているはずだった。しかし、還暦目前の同級生カップルにも強い嵐が襲いかかる。
(10.04.30発行)


竹内 明 『時効捜査~警察庁長官狙撃事件の深層』
講談社 1995円

 著者はTBS報道局の現役記者でありキャスターでもある。前著『ドキュメント秘匿捜査』で公安部の見えざる活動を描き、本書では未解決のまま時効を迎えた謎の狙撃事件に迫った。
 事件は1995年3月30日に起きた。当時の国松孝次警察庁長官が自宅マンションを出たところで狙撃されたのだ。命は取り留めたが、発射された4発のうち3発が命中していた。
 折しも地下鉄サリン事件は10日前の出来事だ。2つの重要事件を関連づけるなというのが無理だった。しかし、オウム真理教を追っていた公安部が捜査の中核となったことで現場は混乱に陥る。公安警察と刑事警察の対立、官僚主義、虚偽報告、そして指揮官の判断ミス。捜査は迷走を続けた。
 そんな内幕と事件の核心を、著者は個人の証言を積み上げることで明らかにしていく。緻密な取材が生み出した検証ドキュメントだ。
(10.04.23発行)


角田光代 『私たちには物語がある』  
小学館 1470円

無類の本好きとして知られる著者による書評(本人は感想文と呼ぶ)集。並んでいるのは「痛快という言葉はこの本のためにある」という佐野洋子『覚えていない』をはじめ、自身が読みたかった本、面白かった本ばかりだ。「作品世界に入る」楽しさが伝わってくる。
(10.05.03発行)


山本益博 『味と出会い人と出逢う』
みやび出版  1470円

食のエッセイと味のガイドが一冊になった。魚食文化、御飯の装い方、通年野菜への懸念と「ものを美味しく食べる」ための言葉が続く。また福臨門酒家「金鶏の姿揚げ」など一皿の逸品から地域の名食材までを紹介。著者が勧める“賢い食べ手”への入門書である。
(10.04.20発行)


稲泉 連 『仕事漂流~就職氷河期世代の「働き方」』
プレジデント社  1680円

90年代中頃から2000年代前半は「就職氷河期」と呼ばれた。しかし、そんな厳しい採用状況を乗り越えて入った会社を辞める若者が後を絶たない。高学歴の彼らは企業で何を体験し、何を考え辞表を出したのか。史上最年少大宅賞作家による同時代<仕事>事情。
(10.04.22発行)


小沢章友 『龍之介怪奇譚』
双葉社 1890円

 主人公は芥川龍之介。その実人生と虚構が織り合わされた、怪奇と幻想の連作集だ。芥川が「将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉を残して自殺したのは昭和2年のこと。事件はその3年前から始まる。
 ある日、芥川は女性から助けを求められる。造り酒屋の主人である父親が行おうとしている、“酒虫”祓いの儀式を止めて欲しい。父親の背後には怪しい陰陽師がいるというのだ。芥川は驚く。それは自分が書いた小説「酒虫」そのままの話だったからだ。儀式の当日、芥川は信じられない光景を目にすることになる。
 翌年、芥川は神下しを生業とする老婆と、その神憑かりの役目を果たす娘に出逢う。その境遇は、やはり自作の「妖婆」と同じだった。つまり彼の周りで作品世界と現実とが混じり始めていたのだ。それは芥川にとって、突然現出する“歯車”以上の恐怖だった。
(10.04.25発行)


コロナブックス編集部:編 『フランスの色』
平凡社 1890円

日本古来の色を色票で紹介し、解説した『日本の色』の姉妹篇。タバコのパッケージを包むブルー・ジタンから、画家のミュシャが女性の肌を描いたシェールまで伝統の242色が並ぶ。その繊細な差異の中に歴史が潜んでいる。色彩で語るフランス文化グラフィティ。
(10.04.23発行)


坂木 司 『和菓子のアン』
光文社 1890円

舞台はデパ地下にある和菓子舗。新米店員のアンちゃんこと梅本杏子が、個性あふれる上司や同僚と繰り広げる本邦初の“和菓子ミステリー”だ。お客たちが抱えた謎を、鋭い観察力と推理力、さらに和菓子の魅力で解きほぐしていく。アンの成長物語でもある連作集。
(10.04.25発行)


山内昌之 『幕末維新に学ぶ現在』
中央公論新社 1890円

「産経新聞」に連載中の歴史人物エッセイの1年分だ。東大教授の著者が、幕末の人間像を現代政治との関連で素描する。官僚の活用より政治家主導にこだわった井伊直弼。政治家とカネの源流としての井上馨。55人の軌跡とその評価が、政権交代の主役たちを照射する。
(10.04.25発行)



逢坂 剛:エッセイ 美食を歩く会:編 『池波正太郎の美食を歩く』

祥伝社 1680円

池波作品とうまいものに目がない人たちへのフルコース料理のような一冊だ。食前酒は回想エッセイ。前菜が「鬼平の江戸料理」解説。スープには作家と料理人の対談。そして池波正太郎が日頃食べ歩いた36の店と料理の紹介がメインである。デザートの美食地図も美味。
(10.05.01発行)


佐野山寛太 『追悼「広告」の時代』
洋泉社新書y 777円

 「大量生産・大量消費」の時代をリードしてきた「広告」。しかし今、その枠組み自体が崩壊しつつあり、「広告による発展」も不可能になった。社会はどのようなプロセスでここに至ったのか。これからどうしていったらいいのか。そんな分析と提言の書である。
 長くデザイナーとして広告に関わった後、大学の教壇に立ってきた著者は、誰も責任を取らない「多数決社会」の危うさとメディアとの因果関係も明らかにしていく。広告に踊らされるのではなく、自分なりの「幸せのカタチ」を考えることの大切さが見えてくる。
(10.05.22発行)


小池昌代 『怪訝山』講談社  
双葉社 1785円

 現代詩の世界で知られる著者の初小説集。三つの短編が収められている。
 表題作の主人公イナモリは、女性社員との“交際”を餌に複製画を売る会社に勤めている。他人と関わることを避ける彼が時折会いに行くのは伊豆の温泉宿で働くコマコだ。年上で肥満体の彼女と交わる度、「山全体に、自分が充電されているような感覚」を味わう。しかし、コマコが「あたしをしめてくれ」と言ったことで内かが変わり始める。
 「あふあふあふ」は一人で暮らす70代のエノキが、金や女をめぐる嫌疑をかけられる話だ。身に覚えはないが、無実の確信もない。しかも汚名を着せられることに奇妙な解放感さえある。やがて第三の事件が・・・。
「木を取る人」では、失踪した義父に複雑な思いを寄せる女性が登場。いずれも都市に生きる人間たちの壊れかけた魂と、その再生の物語である。
(10.04.26発行)


上島春彦 『血の玉座~黒澤明と三船敏郎の映画世界』
作品社 2730円

 生誕百年を迎え、黒澤明に関する出版が続いている。本書はその中でも異色の一冊。俳優・三船敏郎に注目し、黒澤映画を「三船が主演した16本から解読する」挑戦的な試みだ。
 例えば「ボディ・ダブル~黒澤的分身の成り立ち」は、主人公と敵対者や師との関係を「分身」という概念で捉える論考。著者によれば、『野良犬』とは三船を指すだけでなく先輩刑事の志村喬も同様。そして木村功が演じる犯人は狂犬。いずれも“青二才”三船の分身なのである。
 また「血の玉座~『蜘蛛巣城』論」では、内と外を隔てる「門」に着目する。『羅生門』や『赤ひげ』に登場する門とも比較しながら、一見建造物に過ぎない門が登場人物たちの関係性を伝えていることを明かす。
 ある意味で黒澤の分身でもあった三船が“青二才”でなくなった時、二人に長い別れが訪れた。
(10.05.15発行)


井上ひさし 『組曲虐殺』
集英社 1260円

今年4月に亡くなった著者の最後の戯曲。主人公はプロレタリア作家・小林多喜二だ。狂言回しは多喜二を追う2人の刑事。そこに姉チマ、恋人瀧子、妻ふじ子の3人が加わって、多喜二の活動から死の真相までが浮かび上がってくる。苦さを含んだ笑いが印象的だ。
(10.05.10発行)


WEB本の雑誌:編 『作家の読書道3』
本の雑誌社 1575円

「WEB本の雑誌」連載の作家インタビュー集も第3弾となる。営業の仕事中に本を読んだ道尾秀介。高校時代、ドストエフスキーに打ちのめされた柳広司。貴志祐介は生物学や動物行動学の本を読みあさっていた。18人の作家が語る読書体験と自作との関係が興味深い。
(10.05.15発行)


ペン編集部:編 『広告のデザイン』
阪急コミュニケーションズ 1575円

60年代のフォルクスワーゲンから石岡瑛子のPARCOまで、広告デザインの歴史に残る名作・傑作とクリエイターたちが並ぶ。その中で異彩を放つのが、旧東ドイツの懐かしさと切なさに満ちた広告だ。またフランスのポスター広告の底力にも驚かされる。
(10.05.10発行)



2010年 こんな本を読んできた(4月編)

2010年12月30日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

その4月分です。


2010年 こんな本を読んできた(4月編) 


五十嵐貴久 『リミット』 
祥伝社 1680円 

 『誘拐』や『交渉人』シリーズで知られる著者の最新作は、ラジオの深夜放送が舞台のサスペンス長編だ。「オールナイト・ジャパン」は、毒舌が売りの芸人・奥田雅志がパーソナリティを務める人気番組。ある夜、リスナーから自殺予告のメールが届く。「番組を聴き終ったら死ぬ」というのだ。
 局の上層部は無視することを決めるが、ディレクターの安岡琢磨は納得できない。小学生の息子を自殺で失っていたからだ。しかし奥田も「オレはフカシやと思うわ」と突っぱねる。警察もまたこの段階では動いてくれない。放送開始時間が迫る中、安岡に何が、どこまで出来るのか。
 ラジオの深夜番組は送り手と受け手の距離が近い。リスナーの思い入れも強く、独特のコミュニケーションが成立している。そんな背景を十二分に生かしつつ、物語はタイムリミットに向かって疾走していく。
(10.03.20発行)


外山滋比古 『「人生二毛作」のすすめ~脳をいつまでも生き生きとさせる生活』 飛鳥新社 1260円 

 著者はロングセラー『思考の整理学』で知られるお茶の水女子大名誉教授。87歳の現在も旺盛な評論活動を続けている。本書は様々な不安を抱える中高年が「自分で自分を元気にする」ための指南書だ。
 軸となるのは「人生二毛作」という発想だが、3つのことを心掛ければいい。「第2の仕事」の準備、最低限のマネープラン、そして自分のことは自分でする習慣だ。それぞれの具体的手法を開陳しているが、可能なことから手をつければいい。
 たとえば著者は朝の時間を有効に使うことを勧める。効率がいいためであり、昔中国の役所は日の出と共に仕事を始めたという。だから「朝廷」なのだ。独自の思考力をもつために世間の常識から距離を置くこと、本を再読することなどを挙げる。そして体の健康は楽しみとしてのウオーキングで。独立独歩を目指すための実践型人生論だ。
(10.03.25発行)


乃南アサ 『自白~刑事・土門功太朗』 
文藝春秋1575円 

愛人や夫が殺される事件が並ぶ連作集だが、主人公の土門はヒーロー型刑事ではない。地道な捜査と粘りの尋問が身上だ。舞台は70~80年代。よど号事件や東京ディズニーランド開園などが背景となる。懐かしい歌謡曲も流れて、昭和という時代が強烈に甦ってくる。
(10.03.10発行)


四方田犬彦 『女神の移譲~書物漂流記』 
作品社 2520円 

雑誌『新潮』に連載された異色の書評が一冊になった。しかし扱うのは書物だけではない。若松孝二監督『実録・連合赤軍』を媒介にあの事件と映像の関係を探るなど、書評という枠を越えた重量感のある文学批評・社会批評が展開されている。知的冒険者の同時代報告だ。
(10.03.25発行)


鹿島 茂 『パリ、娼婦の館』
角川学芸出版 2625円 

19世紀のパリでメゾン・クローズ、「閉じられた家」と呼ばれた娼館。その隠微にして豪奢な欲望の殿堂はどのような場であったのか。娼婦、女将、スカウトなどの人間像から、内部の装飾、快楽の道具までを詳細に論じた本書は、この著者にしか書けない性の文化論だ。
(10.03.25発行)


吉田敏浩 『密約~日米地位協定と米兵犯罪』 
毎日新聞社 1785円 

 日米地位協定は日米安保条約の付属協定だ。在日米軍とその家族の権利や義務など法的地位を定めている。60年の安保改定前は日米行政協定と呼ばれた。これを実施する際、米兵犯罪に関する秘密合意が為された事実と、その後の米兵犯罪の実態に迫ったのが本書だ。
 この密約では、駐留米兵の犯罪は、それが重要事件でない限り日本側は裁判権を事実上放棄したことになっている。一種の治外法権であり、米軍側は日本側の真相究明や責任追及を阻むことが可能なのだ。米兵犯罪をいわば野放しにする土壌である。またそれ以上に問題なのは、日本政府が国民の権利や安全を守るより密約の実行を重視してきた、これまでの経緯だ。
 ジャーナリストである著者が、本書で日米関係の不平等を暴いた直後というタイミングで、外務省は密約の存在を示す文書を見事に“発見”してみせた。
(10.03.30発行)


柴田元幸 『ケンブリッジ・サーカス』 
スイッチ・パブリッシング 1890円 

 雑誌『Coyote』で発表した文章を軸に編んだ、著者初の紀行エッセイ集だ。
 ニューヨークでは吹雪の街を歩くだけでなく、翻訳を手掛けた『ガラスの街』などの作家、ポール・オースターに会う。10歳だった彼が最初に買った本はエドガー・アラン・ポーの作品集だったと聞き、著者も読者も納得だ。
 リバプールでは双子の姉妹に話しかけられ、以前この街に来た時の出来事が甦ってくる。若き日の自分と遭遇するのは著者の得意技だ。ケンブリッジ・サーカスの街角だけでなく、深夜の書庫や散歩中の六郷土手でも“過去の僕”に出会う。その少年は著者が近寄ると「なんだか怖い顔をして」見つめ返した後、葦の茂みに消えてしまうのだ。
 著者の旅は、空間だけでなく時間をも軽々と越えていく。それはこの本に挟まれた特別付録、「夜明け」と題した掌編でも同様だ。
(10.04.02発行)


道尾秀介 『光媒の花』 
集英社 1470円 

極めて精緻に作られた完成度の高い連作集である。認知症の母親と静かに暮らす中年男。妹と虫捕りをする河原でホームレスに危害を加えた少年。一つの作品の登場人物が次の作品へとリンクしていく展開が緊張感をはらむ。人の心の奥にある絶望に光は当たるのか。
(10.03.30発行)


内館牧子 『「横審の魔女」と呼ばれて』 
朝日新聞出版 1470円 

『週刊朝日』連載の「横審レポート」10年分に特別インタビューを加えた一冊。貴乃花、武蔵丸から朝青龍までの横綱に併走しながら、相撲界に対して“物言い”を続けた著者の孤軍奮闘ぶりと憤りが伝わってくる。相撲界の何を、どう改革すべきかの指南書でもある。
(10.03.30発行)


鶴見俊輔 『思い出袋』 
岩波新書 798円 

 評論家、哲学者としてだけでなく、市民運動家としても活動を続けてきた著者。その歩みを回想した『図書』での連載が一冊になった。13歳で2・26事件。15歳で渡米。ハーバード大で哲学を学んでいた時に開戦。無政府主義者として逮捕され収容所へ。帰国するとジャワ島の戦地に送られた。戦後『思想の科学』を創刊。言論界での活躍が始まる。
 そんな激動の人生の中で出会った人や本、当時の判断と現在の思いなどが、時に柔らかく時に鋭い言葉で語られる。自らの頭で考え行動することの意味を体現する人からの伝言でもある。
(10.03.19発行)


丸谷才一 『人間的なアルファベット』 
講談社 1680円 

 『小説現代』で6年にわたって連載されたエッセイ「落丁の多いA-Z」の単行本化。選ばれたAからZまでの単語を、蘊蓄とエピソードとウイットで語った“大人の辞書”である。
 始まりのAはアクトレス(女優・女役者)。山田五十鈴、江戸の役者買い、宝塚とレズビアニズムまで話を進めた後、「さて、ここから際どいになりますよ」と一旦見得を切り、女役者の“尻まくり”を語る。
 また、Gの項目はギフト(贈り物)だ。銀座のホステス、フランスの社会学者モースの贈与論、貢物としての室町期の金屏風と展開し、なぜか徳川家康に至る。Sはショー(見世物)で、平林たい子が見物した浅草のエロ・ショーを、大相撲の取り組みを見るがごとく凝視していた谷崎潤一郎の話が可笑しい。
 その博覧強記ぶりはもちろん、行間に漂うエロスとユーモアを楽しむ一冊だ。
(10.03.31発行)


高江洲 敦 『事件現場清掃人が行く』 
飛鳥新社 1500円 

 社名、事件現場清掃会社。業務、特殊清掃。著者は自殺や孤独死、事故死などの“現場”を掃除するプロだ。
 沖縄生まれの著者が料理人、内装業者、風俗店専門リフォーム職人などの仕事を経て出会ったのが特殊清掃である。以来7年間で1千件の事件現場に立ち会う。「誰にも発見されずに見つかった遺体は、様々なものを周囲に残します。腐乱した遺体にはウジが発生し、ハエも大量に集まります」。
 確かにそこは人の“死に場所”だが、同時に“生きた場所”でもある。著者は異様な痕跡の中に、孤独死の裏にある絶望や自ら命を絶つ前の心の叫びを見出す。年間3万人以上の自殺者があり、高齢化が進み、無縁社会とさえいわれるこの国の“実相”が見えてくる。
 死の後始末という、誰もが目をそむけるが、誰かがやらなければならない仕事。もう一人の“おくりびと”がここにいる。
(10.04.06発行)


坂東眞砂子 『ブギウギ』 
角川書店 1500円 

敗戦前夜の箱根で捕虜のドイツ軍Uボート艦長が殺された。発見者は旅館で働くリツ。彼女は乗組員との情痴にのめり込む。通訳として捜査に参加した心理学者・法城恭輔は、ナチスの影を感じながらも真相を追っていく。激動の時代と人間を描く歴史ミステリーだ。
(10.03.31発行)


木村迪夫 『山形の村に赤い鳥が飛んできた~小川紳介プロダクションとの25年』 七つ森書館 1890円 

成田空港反対闘争の記録映画などで知られる小川紳介監督。山形県牧野村にプロダクションごと移住したのは74年のことだ。著者はその世話役だった地元の詩人。村に溶け込むべく田畑を耕しながら映画製作を続けた小川組と住民との、反発と和解の軌跡を回想する。
(10.04.01発行)


今西順吉 『「心」の秘密~漱石の挫折と再生』 
トランスビュー 3990円 

北大名誉教授で思想史家の著者は、漱石作品を「物語小説であると同時に思想表現」とみる。本書では先行研究が生んだ多くの誤解を指摘しながら、漱石と作品に正面から向き合っていく。結果、終章「親鸞から法然へ」に象徴される漱石の内面が徐々に明らかになる。


葛西敬之 『明日のリーダーのために』 
文春新書 798円 

 JR東海社長を経て現在は会長職にある著者。本書の“読みどころ”は2つだ。第一は、国鉄マンとして分割民営化という難事業をいかに成し遂げたのか。内に強固な組合と反対派。外には与党・野党と運輸省。当時の苦闘ぶりが関係者の実名を含め詳細に語られる。
 もう一つは変革期のリーダー像だ。まず現実を直視。次に問題の根本原因を摘出し、抜本策を求める。そのためには「大戦略の提起」、「企画・立案」、そして「統率・実行」の能力が必要だという。人の縁を大切にし、時の運を待つこと。それは人生のヒントでもある。
(10.04.20発行)


藤田宜永 『空が割れる』
集英社 1470円

 6人の女性と6つの恋愛模様が描かれた短編集だ。
 「逆上がりの空」の主人公は27歳の派遣社員、五月。43歳妻子ありの大学教員との関係は心地よさと苛立ちが同居していた。ある日、ひょんなことから互いに距離を置くことを決めた二人。五月は、まさかそれが本当の別れになるとは思ってもいなかった。
 また「小さくて不思議な空」の沙保里は33歳。姉のフィアンセに襲われるという苦い経験をもつ。その時から青空が苦手になった彼女が、プレス工場で働く恋人から受け取った、ある贈り物で変わっていく。
 30歳の頼子が、亡き父に母とは別の女性がいたことを知るのは「鈴が響く空」。隠れて持っていた別荘が逢瀬の場所だった。初めて訪ねた建物の前で頼子は一人の男に出会う。それは父の相手の息子だった。男たちが知らない、女性の心の揺れを垣間見せる作品が並ぶ。
(10.04.10発行)


海野 弘 『秘密結社の時代~鞍馬天狗で読み解く百年』
河出書房新社 1365円

 大佛次郎の代表作『鞍馬天狗』。痛快な時代小説として知られるこの作品を、秘密結社というキーワードで読み解いたユニークな作品論であり作家論だ。
 「秘密結社は体制が揺らぐ危機の時代にあらわれる」と語る著者は、4つの時代を重ねて考察していく。フランス革命、ロシア革命、幕末、そして大佛が執筆していた1920~30年代である。佐幕派や勤皇派、強敵である山岳党はもちろん、鞍馬天狗自身が覆面をした秘密結社だという。
 また『鞍馬天狗』こそは、「圧倒的な権力の体制の中で不屈に戦いつづける無名の人たちと、その見えない結社」の物語であること。戦争へと突き進んでいく時代状況を鞍馬天狗に仮託して描いたのだと指摘する。
 やがて大佛は明治維新の見直しへと向かい、大作『天皇の世紀』を書き始める。それはまた人間の自由を探求する道程でもあった。
(10.04.30発行)


岸本葉子 『エッセイ脳~800字から始まる文章読本』
中央公論新社 1470円

20年のキャリアをもつ著者による実践的エッセイ術だ。タイトルから起承転結へと展開する中で、「何?」と思わせ、「ある、ある」と共感させる。さらに「へえーっ、そうなんだ」と発見させ、「それでかあ!」と納得させる。書きたい人も読みたい人も必携の指南書。
(10.04.10発行)


鈴木大介 『出会い系のシングルマザーたち~欲望と貧困のはざまで』
朝日新聞出版 1155円

売春するバツイチの母親。なぜそこまで堕ちたのか。なぜ這い出せないのか。子供を抱えての生活は「隠れ破綻状態」。夫のDVやうつも加わる。だが、それ以上に衝撃的なのは売春相手にさえ救いを求める「圧倒的な寂しさ」だ。現代社会の壮絶な断面図である。
(10.04.10発行)


半藤一利 『ぶらり日本史散策』
文藝春秋 1470円

昨年休刊した雑誌『遊歩人』での連載を軸とした歴史エッセイ集だ。第一部「昭和史巷談」では山本五十六のラブレターから幻のマッカーサー神社までを語り、第二部「日本史閑談」には聖徳太子から龍馬、啄木までが登場する。“歴史の現場”からの嬉しい手土産だ。
(10.04.15発行)



2010年 こんな本を読んできた(3月編)

2010年12月30日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。

3月分です。


2010年 こんな本を読んできた(3月編) 


伽古屋圭市 『パチプロ・コード』 
宝島社 1470円 

 第8回「このミステリーがすごい!」大賞の優秀賞受賞作だ。著者は現役のパチプロ。リアルにして軽快な犯罪コメディである。
 主人公の山岸卓郎は元プログラマー。冤罪事件で会社を首になり、その後は気儘なパチプロ生活だ。ある日、見知らぬ女に声をかけられ、違法セットロムを使ったパチンコ攻略の片棒を担ぐ。その上で仲間を紹介され、ある暗号(コード)の解読に協力するよう頼まれる。それは裏ロム販売で儲けた金と共に行方をくらました、謎のリーダーを追う手掛かりだった。卓郎と正体不明の相手との奇妙な頭脳戦が開始される。
 まず、主人公の飄々とした人物像が魅力的だ。そして謎めいた男女の出現、暗号トリック、殺人、息詰まる駆け引きと、物語は徐々に加速していく。パチンコのディープな裏世界自体が十分にミステリアスで、続編を待ちたくなる。
(10.02.19発行)


山田 和 『魯山人の書~宇宙に字を書け 砂上に字を習え』 
平凡社 2100円     

21歳で「日本一」といわれた青年書家・福田房次郎。彼はいかにしてあの北大路魯山人となったのか。また魯山人にとって書とは何だったのか。王義之や池大雅に影響されつつ独自の美を極めていった歩みを、書道の歴史の中に位置づける。筆致まで蘇る図版も豊富だ。
(10.02.15発行)


小浜逸郎 『大人問題』 
ポット出版 2100円     

昨年末、『子供問題』で学校やメディアが伝える子供をめぐる矛盾を提示した著者。本書はその姉妹篇だ。働くことの意味、老いと死、また社会と人生という2つの壁といかに向き合うか。著者は、大人として「不安の影の実体を見極め、自分なりの心構えを」と説く。
(10.02.10発行)


杉田弘子 『漱石の「猫」とニーチェ~稀代の哲学者に震撼した近代日本の知性たち』 白水社 3360円     

ニーチェの思想が夏目漱石、芥川龍之介、和辻哲郎などに与えた影響を解き明かす。たとえば漱石は『ツァラトゥストラ』に圧倒されながらも自分の立場を堅持する。芥川は超人思想によって自己嫌悪を克服した。「日本におけるニーチェ」に新たな視点を加える意欲作だ。
(10.02.10発行)


村沢義久 『電気自動車~「燃やさない文明」への大転換』 
ちくまプリマー新書 756円 

 トヨタのリコール問題が発生しても、ハイブリッド車全体の売れ行きは上々だ。しかし、ハイブリッドはあくまでも過渡期の技術。その先にあるのは電気自動車だと、エネルギー問題の専門家である著者はいう。
 本書は電気自動車の仕組みから実用化の現状までを、実証的かつ分かりやすく解説している。中でも米国のベンチャー企業の取り組みは注目だ。やがて家電メーカーが作るようになるかもしれない電気自動車。日本は、このビジネスチャンスをどう生かしたらいいのか。具体的な提案も刺激的な、電気自動車入門篇である。
(10.02.10発行)


小路幸也 『DOWN TOWNダウンタウン』 
河出書房新社 1680円 

 『東京バンドワゴン』の作者による青春“喫茶店”小説だ。主な舞台は1970年代末の北海道旭川市。著者の故郷でもある。
高校生の省吾は、連日喫茶店<ぶろっく>に入り浸っていた。この店の特徴はやけに女性が目立つことだ。店長はカオリさん。店員はハーフっぽいリサさんと省吾の中学の先輩・ユーミさん。客にも女性が多い。
 そして、もう一つ。なぜか皆、省吾に優しいことだ。特に美男子でもない、ごく普通の高校生である省吾はそれが不思議だった。しかし日々は淡々と流れていく。授業があり、級友の孝生と組んでの音楽活動があり、家族との暮らしがある。
 ところが、ある日、常連客に関わる事件が起きたことから物語は急展開する。それは奔流となって、カオリがこの店を開いている理由も、リサと孝生の関係も、省吾自身のささやかな悩みさえ呑み込んでいく。
(10.02.28発行)


団 鬼六 『悦楽王』 
講談社 1575円 

 “SM文学の巨匠”が70年代を回顧した自伝的小説である。わずか3年と短命だったが、熱烈なファンをもっていた伝説の雑誌『SMキング』。その誕生から終焉までを描ききった。
 著者が『SMキング』を発刊したのは昭和47年。当時はSM雑誌全盛時代で、「それなら自分も」と野心を抱いたのだ。実務を担ったのはひと癖もふた癖もある編集者たちだった。しかし、すぐに行き詰る。そこで全員を解雇して出直し。新メンバーもまた破天荒な若者たちだったが、雑誌は快進撃を始める。
 事務所にも様々な人たちが出入りするようになる。事務員兼用心棒はたこ八郎。作家の胡桃沢耕史。漫画家の石井隆。写真家の篠山紀信。またその話術で皆を楽しませていたのは渥美清だ。彼らとの交流・交遊は本書の白眉である。二度と帰らぬ異様な熱気とデカダンな日々がどこか愛おしい。
(10.02.18発行)


柴田よしき 『竜の涙~ばんざい屋の夜』 
祥伝社 1575円 

その店は丸の内にある。表通りから離れた古いビルの中だ。京都の総菜「おばんざい」が中心で、女将が一人でやっている。居心地の良さとやさしい味を求めて、今夜も様々な客が立ち寄る。誰もが胸の中に何かを抱えながら。6つの作品を収めた、味のある連作短編集だ。
(10.02.20発行)


ジョージ秋山 『貝原益軒の養生訓』 
海竜社 1575円 

『浮浪雲』などで知られる人気漫画家が、独自の訳で読者に引き寄せてくれる秋山版『養生訓』。欲望の赴くままの飲食や無理を戒めるが、実はいずれも「あたりまえ」のことが並ぶ。ただ、その「あたりまえ」が実践出来ないのだ。養生は日常の中にこそあると知る。
(10.02.18発行)


「いい人に会う」編集部:編 『こころに響いた、あのひと言』 
岩波書店 1575円 

誰にも忘れ難い人がいる。その人から受け取った忘れられない言葉がある。本書は52名の著名人によるエッセイ集だ。池内紀「人生はされどうるわし」、高橋治「知るということはり」、桐山秀樹「動けば、叶う」など、その言葉との出会いは読む者の追体験となる。
(10.02.17発行)


ダン・ブラウン:著 越前敏弥:訳 『ロスト・シンボル』上・下
角川書店 各1890円 

 『ダ・ヴィンチ・コード』の“ラングドン教授シリーズ”最新作。前2作の舞台は欧州だったが、今回は米国ワシントンDCだ。しかも挑む相手は「フリーメイソン」である。
 ある日、ラングドンは恩師にして友人、フリーメイソンの最高位をもつピーター・ソロモンから講演依頼を受ける。しかし、会場の連邦議会議事堂でラングドンが目にしたのは聴衆ではなく、切断されたピーターの手首だった。誘拐犯だという男が現れ、ピーターの命を救いたければ、想像を絶する力を持つ“古(いにしえ)の秘密”に通じる“古の門”を探せと命じる。それはフリーメイソン最大の謎に関わるものだった。
 ラングドンはピーターの妹で科学者のキャサリンと共にワシントンDCを駆け巡る。実在する歴史的建物に隠された“暗号”が指し示す古の秘密とは何なのか。新たな徹夜本の登場だ。
(10.03.03発行)


平岡正明 『美空ひばり~歌は海を越えて』 
毎日新聞社 2415円 

 昨年亡くなった著者による“美空ひばり論”の集大成だ。中でも笠置シヅ子との対比でひばりを分析した「美空ひばり名唱十題」は秀逸。「ブギウギ歌謡曲をめぐる笠置シヅ子と美空ひばりの係争は戦後歌謡史上の最初の決選だった」と著者はいう。ひばりがまだ加藤和枝として歌っていた少女時代。その歌唱力に驚いた笠置が、服部良一を通じて自分の持ち歌の使用を禁じたのである。
 また「美空ひばりと山口百恵の距離は十九キロだ」の書き出しで始まる二人の比較論も著者ならではだ。ひばりの横浜と百恵の横須賀。父性を兼有するひばりとそうではない百恵。ロックンロールを1曲も歌わなかったひばりとジャズを歌わなかった百恵。さらに敗戦直後と高度経済成長後の日本社会論にまで達する。
 アジアの全ての港にその精霊が運ばれていったひばり。今は著者も傍らにいる。
(10.02.25発行)


荒俣 宏 『アラマタ美術誌』  
新書館 2940円 

著者が大学で行った美術講義を軸とした一冊。最大の特色は美術が生み出す快楽について語っていることだ。人間は一見醜いと感じる作品からも快楽を得る。また同じ図像も見方が変われば全く別の解釈が成り立ち、その逆転にも快感がある。目から鱗の奇想美術誌だ。
(10.03.10発行)


谷川俊太郎・和合亮一 『にほんごの話』 
青土社 1470円 

一人は詩と言葉の巨匠。もう一方は国語教師であり現代詩人の旗手。年齢差37歳の二人が、詩を書くこと、読むこと、朗読することの意味から教科書問題までを語り合った。詩はメッセージではなく、美しい細工のような存在にしたいという谷川の願いが全編を包む。
(10.03.03発行)


都築政昭 『黒澤明~全作品と全生涯』 
東京書籍 3150円 

元NHKカメラマンで、その後大学の教壇に立ってきた著者にとって、10冊目の黒澤本である。評伝と作品研究はもちろん、黒澤のシナリオ作法やカメラワークに関しての解説が出色だ。「何を描くか」「いかに描くか」にこだわり続けた黒澤の真髄がここにある。
(10.03.05発行)


立川談四楼 『記憶する力 忘れない力』 
講談社+α新書 880円 

 本誌書評欄でもお馴染みの人気落語家は「暗記」の達人でもある。記憶もまた急がば回れだ。たった1行でも日記を書くこと。そして、とにかく繰り返す。「集中して反復しろ」が達人が教える記憶のコツだ。
 しかし本書の魅力は記憶術にとどまらない。談志師匠への入門から前座、二つ目、そして真打という歩みを振り返る「立志伝」「繁盛記」として読み応えがあるのだ。人からの学び方。人間関係の作り方。苦境の乗り越え方等々。40年の落語家人生から得た“プロの極意”は、ジャンルを超えて大いに参考になる。
(10.02.20発行)


香納諒一 『虚国』     
小学館 1890円 

 『春になれば君は』の辰巳翔一が帰ってきた。かつては写真週刊誌のカメラマンだったが、濡れ衣の“やらせ事件”で失職。その後探偵として生計を立ててきた。現在は廃墟カメラマンとして活動している辰巳が、空港建設に揺れる地方の町で殺人事件に巻き込まれる。
 被害者・相沢妙子を発見したのは撮影中の廃墟ホテルだ。彼女は空港建設反対派に属する活動家。辰巳は妙子の元夫から探偵としての調査を依頼され、関係者から話を聞いていく。しかし、真相はなかなか見えてこない。そんな時、辰巳に同行していたライターで恋人の不二子が転落事故に遭う。現場は妙子の死体があったホテルの廃墟だった。
 物語が進むにつれ、事件の背後にある人間の業(ごう)や社会の実相が炙り出されてくる。単なる謎解きを超えた本書は、著者の新境地ともいえるハードボイルド・ミステリーだ。
(10.03.03発行)


松山 巖 『ちょっと怠けるヒント』 
幻戯書房 2625円 

 『乱歩と東京』などで知られる著者の最新エッセイ集だ。巻頭の「便利なほどクタビレル」が本書全体のテーマを象徴している。たとえば百年前は交通も通信も生産の道具も今より不便だった。ならば現代社会は便利になった分、過去から見れば“怠け者の天国”のはず。それなのに誰もが忙しい。この逆説と皮肉を解き明かしている。
 とはいえ、全てのことを怠けるわけにはいかない。そこで著者はマックス・ウエーヴァーをヒントに「行動的に怠ける」方法を探そうとする。その上で、怠け者として許されるためには、その人物に会うと「気が楽」になることが必要だという。不機嫌ではなく、陽気で明るくめげない人だ。
 遊びとはちょっと緩めて間をつくること。切実な暮らしだからこそ怠けてみる。「遠い星からの目で自分自身を観察」するのも試す価値がありそうだ。
(10.03.14発行)


鷲田清一 『たかが服、されど服~ヨウジヤマモト論』 
集英社 2625円 

かつて『モードの迷宮』を著した哲学者がファッションデザイナー・山本耀司を解読する。いかがわしさとシンプルのバランス。モードという制度から下りようとするモード。多くのコレクション写真と共に文章を読むとき、山本が続ける冒険の片鱗が見えてくる。
(10.03.10発行)


小川隆夫 『感涙のJAZZライブ名盤113』 
河出書房新社 1890円 

「ジャズはライブに限る」を持論とする著者だからこそライブ盤の価値を知っている。ここには1940年代から最近までの「個人的に好きなアルバム」が並べられている。カフェ・ボヘミア、ヴィレッジ・ヴァンガードなど伝説のライブ空間からの招待状だ。
(10.02.28発行)


大橋 弘 『1972 青春 軍艦島』
新宿書房 1890円 

軍艦島は長崎県にある。かつて海底炭鉱で栄えたが、昭和49年に閉山。現在写真家の著者は、26歳の半年間を下請け労働者として過ごした。本書は当時撮影した写真と回想エッセイで構成されている。まだ“何者”でもない青年が見つめ続けた人と風景が印象的だ。
(10.03.10発行)


吉川 潮 『コント馬鹿~小説<ゆーとぴあ>ホープ』 
芸文社 1890円 

 長いゴムひもを使ったコント“ゴムパッチン”で大人気だったお笑いコンビ「ゆーとぴあ」。ゴムを相方の顔面に命中させていたのがホープこと城後光義だ。コント馬鹿というしかないその半生を、芸人伝の第一人者が裏も表も描き上げた。
 ある教会に迷い込んだ城後が過去の一切合財を懺悔するという構成が秀逸だ。白木みのるに弟子入りするも、高級時計を盗んで得た金で上京。次に師事した熊田(レオナルド熊)とも決裂。やがてピースと出会って売れっ子となるが、金と愛人で家庭は崩壊していく。
 実名で登場する芸人はビートたけし、マギー司郎からコント赤信号まで多彩だ。特に城後を支え続けるマギーの人柄が印象に残る。失意の中、半ばヤケッパチでアフガンまで行き、難民にゴムパッチンを見せる城後。どん底まで落ちても笑いを追い続ける“全身芸人”は、今日も舞台に立っている。
(10.03.20発行)


朝倉かすみ 『ぜんぜんたいへんじゃないです。』 
朝日新聞出版 1470円 

『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞した著者の初エッセイ集だ。今年50歳の“新人”作家の日常は、恋愛や冒険や蘊蓄に溢れているわけではない。それなのに、独自の“おかしみ”につい引き込まれてしまう。中でも母親をめぐる「京子レジェンド」は必読。
(10.03.30発行)


三橋貴明・八木秀次 『「テレビ政治」の内幕』 
PHP研究所 1365円 

著書『マスゴミ崩壊』で知られる三橋vs.保守派論客の八木。俎上に乗るのは民主党政権とそれを支える「テレビ政治」だ。テレビが何を伝えて何を伝えないか。伝える中身のどこがおかしいのか。単なる「一個の映像媒体」になりつつある巨大メディアの迷走を撃つ。
(10.03.12発行)


ペン編集部:編 『江戸デザイン学。』
阪急コミュニケーションズ 1575円 

ポップ・アートとしての浮世絵。ベストセラーや広告が見せる出版文化の奥行き。手ぬぐいや切子に残る暮らしの中の美。「粋」という言葉だけでは括りきれない発想や表現が、美しいビジュアルで再現されている。あらためて江戸のデザイン力に開眼させられる一冊だ。
(10.03.12発行)


樋口武男 『先の先を読め~複眼経営者「石橋信夫」という生き方』 
文春新書 861円 

 大和ハウス工業会長である著者が3年前に上梓した『熱湯経営』は10万部を超すベストセラーとなった。第2弾となる本書では創業者・石橋信夫の経営哲学を数々の遺訓で紹介している。ここに並ぶのは「時間を値切れ」「時流に棹さすなかれ」など、石橋の過酷な体験に裏打ちされた“生きた言葉” ばかりだ。
 また、経営のみならず人生哲学としても輝きを放つ。今、「どの指を切っても、赤い血が出る」と言って社員を守ろうとする経営者がどれだけいるだろう。読者は本書を通じて“人間力のひと”石橋の孫弟子となる。
(10.03.20発行)



ギャラクシー賞[報道活動]シンポジウムの報告

2010年12月30日 | メディアでのコメント・論評

放送批評懇談会が発行する月刊誌『GALAC(ぎゃらく)』。

最新号である2011年2月号(表紙は稲垣吾郎さん)に、11月に行われた公開シンポジウム「ギャラクシー賞受賞報道活動を見て、制作者と語る会」の報告を書かせていただいた。


“作る人、選ぶ人、見る人”の意義ある交流

二〇一〇年十一月十三日、日本大学藝術学部・江古田キャンパスで、第三回目となる公開シンポジウム「ギャラクシー賞受賞報道活動を見て、制作者と語る会」が開催された。主催は放送批評懇談会ギャラクシー賞報道活動委員会。昨年に続き日大藝術学部放送学科に後援していただいた。

全体は三部構成。四七回受賞作のダイジェスト版を二本ずつ上映し、制作者、今回の作品を選んだ当時の選奨委員、そして会場の参加者を交えてのディスカッションである。コーディネーターと総合司会は碓井が担当。会場は定員を上回る一二〇名の参加者でいっぱいとなった。

第一部
○札幌テレビ「聴覚障害偽装事件における一連の報道」(優秀賞)
○北海道テレビ「議会ウォッチ」(選奨)
<パネラー>
眞鍋浩史(札幌テレビ)、北村稔(北海道テレビ)、麻生千晶(選奨委員・作家)、山田健太(同・専修大学准教授)


札幌テレビの活動は、「不正に入手した障害者手帳の恩恵を受けている人たち」の存在を明らかにし、背後にいるブローカーや医師にも迫ったものだ。眞鍋は、当事者への直接取材を基本としたという。結果的には障害者手帳交付の欠陥など行政側の問題点もあぶり出した。麻生はその作り方を「淡々としながらドラマチック」と高く評価した。

北海道議会を通年で追ったのが北海道テレビだ。情報開示制度を武器に、海外視察や政務調査費の実態をレポートした。北村は「地元メディアは地元の政治家を追及しづらい」と言い、その理由として議員以上に社内の調整が大変だったことを明かした。

山田は、「地道な調査報道の積み重ねで真相が見えてきた」こと、また地元の放送局が持つチェック機能への期待を述べた。「市民が自分で知ろうと思えば可能な時代。メディアは何をどこまでやれるのか」が課題だという北村の言葉が印象的だった。

第二部
○伊那ケーブルテレビジョン「上伊那の戦争遺構シリーズ」(選奨)
○朝日放送「NEWSゆう+ 追及!終わらない年金問題」(優秀賞)
<パネラー>
伊藤秀男(伊那ケーブルテレビジョン)、天本周一(朝日放送)、露木茂(選奨委員・東京国際大学教授)、坂本衛(同・ジャーナリスト)


地域の人たちの戦争体験を記録することで、その記憶を共有しようという試みが伊那CATVだ。受賞作では、満蒙開拓青少年義勇軍として旧満州に渡った若者の過酷な運命と、当時の信濃教育会が彼らを送り出す後押しをしていた事実を伝えている。

三年前から毎週一人を取材してきたという伊藤は、「証言者の高齢化で、時間的にもギリギリ間に合った」と語った。「あらゆる問題は地方にある」とする坂本は、「集中豪雨的、瞬間湯沸し器式な東京の報道」とは異なる姿勢を評価し、地元の人たちにとってケーブルテレビの役割が大きいことを強調した。
 
「今、年金問題は過去の話題と思われていて、視聴率が取れない。社内で肩身が狭いんです」の発言で会場の参加者を笑わせたのは朝日放送の天本。六年前、「消えた年金」に気がついて取材を開始。全国的な話題となった。その後も継続して年金問題に取り組んでおり、「無年金障害者」の実態などにもスポットを当てている。

「そのしつこさが地方局の真骨頂だ」と坂本。また、地方局が取材したものが東京発の全国ニュースに乗りづらい現状を訴えた天本に対し、露木が「今回の受賞は東京以外から発信しても社会を動かす力があることを示した」と激励する場面もあった。

第三部
○AMラジオ災害問題協議会「関西発 いのちのラジオ 災害への備え」(選奨)
○鹿児島テレビ「ナマ・イキVOICE~オンナたちの小さな挑戦・20年」(大賞)
<パネラー>
谷五郎(パーソナリティ)、石神由美子(鹿児島テレビ)、鈴木典之(選奨委員・放送批評家)、小田桐誠(同・ジャーナリスト)


関西のAMラジオ局が民放・NHKの枠を超えて共同制作したのが「関西発・・」だ。出演者である谷は「テレビと新聞だけでは伝えきれない情報がある」と渋い声で語り、災害時に限らず「ラジオも捨てたもんじゃない」ことを訴えた。小田桐は「遠くの親戚より近くのラジオ」であり、リスナーとの距離の近さときめ細かさに、ラジオ生き残りのヒントがあると応援の弁。

「ナマ・イキVOICE」は、女性だけのスタッフで制作されている女性向け情報番組。イベントから酒造りまで、女性視聴者と一緒になって行っている。石神は「男性排除ではなく、女性たちの皮膚感覚を大事にしたいだけ」であり、日常の中の思いを番組化し続けたいと笑顔で語った。

「地域密着と地域のユーザー参加による双方向を実現」と高く評価したのは鈴木だ。東京目線では見えない、地域の若い女性たちの気持ちを掬い上げる活動は、単なる放送の枠を超えているという。小田桐もまた「同時性・日常性・継続」の三つのキーワードを挙げて、石神たちの二十年にエールを送った。

会場の参加者からの「取材対象をどう見つけるか?」といったいくつもの質問に、パネラーが丁寧に回答して閉会。

今回、何人もの制作者が同じ趣旨の発言をしていた。「受賞のおかげで番組が続くことになりました」(石神)、「政治家がらみの取材もやりやすくなった」(北村)、「指名されてドキュメンタリーを作ることになりました」(天本)などだ。選ぶ側にとっても実に嬉しい“報告”だった。
(文中敬称略)


慶應義塾・安西先生、NHK会長に

2010年12月30日 | テレビ・ラジオ・メディア

大みそかを目前に、ビッグニュースである。

先日来、話題になっているNHK次期会長が、安西祐一郎・慶應義塾前塾長で決まりそうだ。

以下は毎日新聞の記事。


NHK次期会長:安西・前慶応塾長が受諾

NHKの次期会長人事で、任命権を持つ経営委員会(小丸成洋委員長)が最優先候補としていた慶応義塾前塾長の安西祐一郎氏(64)が、就任を受諾する意向を伝えたことが分かった。選任には、来月開かれる経営委定例会で委員12人中9人以上の賛成が必要で、曲折も予想される。

安西氏は東京都出身。慶応大理工学部教授、理工学部長を経て、01~09年に塾長を務めた。現在は文部科学省参与、中央教育審議会大学分科会長などを務めている。正式に決まれば、20年ぶりにアサヒビール相談役から就任した福地茂雄会長(76)に続き、外部からの会長招へいとなる。任期は来年1月25日から3年間。

NHK会長人事を巡っては、経営委が続投を要請した福地会長が固辞。21日の経営委定例会で安西氏ら3人が候補になり、最も推薦者の多い安西氏に打診する方向で合意していた。

(毎日新聞 2010.12.29)



・・・・もちろん、まだ決定ではないが、ここまで一本化した形で名前が出て、本人も受諾となれば、ほぼ確実だろう。

初めてこの案を知ったとき、「その手があったか」と思った(笑)。

外部からの招へいというと、いつも企業人の名前ばかりが挙がっていた会長人事だが、アカデミズムという方向もあったのだ。

一方、「安西会長案」に難色を示す政治家などが、慶應が財務面で大きな損失を出したことを指摘していると聞く。

まあ、当然トップとしての責任はあるわけだが、そのすべてを安西先生が負うというものではないはずだ。

一人の塾員(OB)、元教員、そして塾生(在学生)の父兄である私としては、むしろ安西先生が、この10年の間に進めてきた慶應の改革や、150周年事業などは実に評価すべきものだと思っている。

何より、政界や財界とのしがらみがない会長の登場は、“これからのNHK”にとっても有効なはずだ。

慶應義塾のリーダーを務めてきた手腕を、今度はNHKという組織のため、いや公共放送とその利用者のために発揮していただきたい。


2010年 こんな本を読んできた(2月編)

2010年12月29日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本。

その2月分です。


2010年 こんな本を読んできた(2月編) 



森村誠一 『月光の刺客』 
実業之日本社 1785円 

 警視庁捜査一課刑事・棟居弘一良を主人公とするシリーズの最新作だ。
 ある日、ホテルの5階から一人の男が転落死したが、自殺として処理される。落下現場に居合わせた有力政治家の息子・本堂政彦は、間一髪で巻き添えを免れた。しかし政彦がいた場所には銃弾の跡が残っており、棟居は何者かが狙撃したことを知る。
 この狙撃犯こそボランティアと呼ばれる刺客だった。名前は奥佳墨。罪を犯しながら司直の手から逃れている者たちに制裁を加えるのが役目だ。政彦は父親の庇護の下、大学のサークルを隠れ蓑に多くの女性を毒牙にかけていた。奥にはルールがある。悪の命は奪わず、それ以上の苦しみを与えるのだ。もちろん政彦も・・。
 本作の魅力は棟居と拮抗する刺客・奥の存在にある。腕は確かであり、人間味にも溢れているのだ。棟居の前に好敵手出現である。
(10.01.25発行)


古谷 敏 『ウルトラマンになった男』 
小学館 1785円    

著者は初代ウルトラマンのスーツアクター。あのヒーローを演じた男の回想記だ。売れない役者から“素顔を見せないスター”への変身。思考錯誤の特撮現場。水と火を使う撮影での苦労や、怪獣を倒すことへのためらいなど、著者ならではの秘話が満載である。
(09.12.26発行)


山口瞳ほか『山口瞳対談集 5』 
論創社 1890円   

傑作対談集も最終巻となる。丸谷才一とエッセイの魅力を語り、吉行淳之介と対談の楽しみを探り、師匠の高橋義孝と礼儀作法の奥義を極める。異色の相手は日活ロマンポルノの女王・田中真理だ。酒と男をめぐる丁々発止は、女王に「シンの通った木刀」と評された。
(09.12.30発行)


映画芸術編集部:編 『映画館(ミニシアター)のつくり方』 
AC Books  1575円      

『映画芸術』連載の「映画館通信」が一冊になった。各地のミニシアターとそれを支える人たちのルポだ。旅人が定住して開業した苫小牧のシネマ・トーラス。劇場であることにこだわり続ける那覇市の桜坂劇場。愛すべき映画バカたちの奮闘が現在の映画界を撃つ。
(10.01.15発行)


河内 孝 『次に来るメディアは何か』 
ちくま新書  777円    

 著者は「毎日新聞」の元常務取締役(営業・総合メディア担当)。本書ではアメリカ新聞界の現状に始まり、日本メディア界の危機を指摘し、さらにメディア・インテグレーターの可能性を探っている。
 その上で「新聞界の変動は2010年、テレビ界の再編は12年に起きる」と分析。日本のメディアが4つのメジャーと2つの独立グループへと再編成されると大胆に予測する。その際、新聞がもつ人材や取材の蓄積とノウハウ、テレビの「今」を映し出し伝える力をどう生かすのか。淘汰と再編はすでに始まっている。
(10.01.10発行)


京極夏彦 『数えずの井戸』 
中央公論新社 2100円 

 『嗤う伊右衛門』『覗き小平次』に続く、江戸の“怪異事件”シリーズ最新作だ。誰もが知る怪談「番町皿屋敷」が、ミステリアスにして人間味溢れる群像劇に仕立て上げられている。
 本書最大の特色は、流れるようなその語り口にある。登場人物たちを交互に登場させ、それぞれが隠し持つ“心の闇”を垣間見せていくのだ。たとえばヒロインのお菊は、器量も気立ても良いが、「適当」という概念が希薄で上手く生きられない。皿屋敷の主・青山播磨は陰鬱な貧乏旗本。大きな欠落感を持て余している。播磨との縁談が進む大久保吉羅は、強欲だが物事を見極める力のあるお嬢様だ。
 彼らの運命を狂わせていくのが青山家の家宝「姫谷焼十枚揃いの色絵皿」。立場や人間性が異なれば、宝の意味も価値も違ってくる。人が“数える”べきものとは何なのか。何があって何が足りないのか。
(10.01.25発行)


マーク・エリオット:著 笹森みわこ・早川麻百合:訳
『クリント・イーストウッド~ハリウッド最後の伝説』 

早川書房 2625円 

 著名人の伝記の醍醐味は、 知られざる人間像にどれだけ迫れるかにある。ジェームズ・スチュワートなどの評伝で知られる著者は、俳優として、また監督として大きな存在感を示す男の軌跡を、光と影の両面から余すところなく描いている。
 まず驚くのは、無名に近い駆け出し時代から、いずれは監督になることを目指していたこと。また、そのためには俳優としてどんなキャリアを積むべきかを常に考えてきたことだ。
 TV映画『ローハイド』からマカロニ・ウエスタンのヒーローへ。そして『ダーティーハリー』の成功を経て、やがて自らのメガホンで撮るようになる。『許されざる者』では監督賞と作品賞をダブル受賞した。その間の成功と失敗の舞台裏はもちろん、直情径行いや無茶ともいえる女性関係の真相にもペンが及んでいる。何より本人の言葉が豊富で、読みごたえ十分だ。
(10.01.25発行)


梶尾真治 『メモリー・ラボへようこそ』 
平凡社 1365円 

『黄泉がえり』の作者による連作集。メモリー・ラボは「おもいで」を移植してくれる不思議な研究所だ。独身のまま定年を迎えた男が得たのは“そうありたい過去”だった。記憶の中の自分と現実の自分。その垣根が揺らいだ時、男の人生は別の意味を持ち始める。
(10.01.25発行)


宍戸游子 『終わりよければすべてよし』 
NHK出版 1365円

著者は俳優・宍戸錠夫人にしてエッセイスト。物書きを目指していたはずが一人の若手俳優と結婚する。夫の快進撃の一方で、家庭は平穏と無縁だった。そんな回想と共に、現在の著者が挑む「がん」との闘いが語られる。詳細かつ明るい筆致は読む者を元気にする。
(10.01.25発行)


橋本 治 『TALK 橋本治対談集』 
ランダムハウス講談社 1575円

「知ってることは知ってるけど、それ以外のことは知らない」と本人は言うが、その知識と感性は計り知れない。高橋源一郎と短編小説の醍醐味を語り、浅田彰と日本美術史を論じ、天野祐吉と社会時評で渡り合う。やわらかそうで硬く、易しそうで奥深い対談6番勝負。


朝倉かすみ 『感応連鎖』 
講談社 1575円 

 昨年、『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞した著者の最新長編小説。男からはうかがい知れない、女たちの内なる葛藤のドラマが描かれる。
 登場するのは4人の女性だ。節子は子ども時代からの肥満体。顔も大きい。周囲に自分を「異形」と認識させることで、いじめから逃れてきた。絵理香は他人の気持ちを読み、操るのが得意。美少女の由季子は、その外見ゆえに自意識過剰気味だった。そして4人目が彼女たちの担任教師・秋澤の妻である
 ごく普通の男であるはずの秋澤を触媒に4人の女たちの心が化学反応を起こす。一人の行動が、玉突きのように他者へと影響を与えていくのだ。感応連鎖である。
 自らの人生における主人公は自分だ。そんなヒロイン同士は、互いの眼にどう映っているのか。どう思われているのか。何気ない日常が女たちの戦場と化す。
(10.02.20発行)


札幌テレビ取材班 『がん患者、お金との闘い』 

岩波書店 1680円 

 今や2人に1人はがんになる時代。だが、実際にそうなった時、最も切実な問題が“お金”であることを知る者は少ない。本書は、話題を呼んだドキュメンタリー番組に新たな取材を加えたもの。命と生活の綱引きをリアルに伝えている。
 中心となるのは30代半ばで発病した主婦・金子明美さんのケースだ。まず驚くのは自己負担の重さ。1回約5万円の抗がん剤投与が月2回必要となる。仕事が出来ないための減収と治療費の両方がのしかかるのだ。
 取材班は、健康保険がいかに不十分か、また民間のがん保険でも補えない部分を検証していく。その上で「障害年金」の有効性を明かすが、患者と家族にとっては貴重な情報だ。
 がんと闘いながら、自治体に「がん対策条例」の制定を求め続けた金子さん。余命3ヶ月と宣告されてから6年後、今年の1月に亡くなられた。合掌。
(10.01.22発行)


内田 樹 『邪悪なものの鎮め方』 
バジリコ 1680円 

ベストセラー『日本辺境論』の著者が、自身のブログから選り抜いた論考&エッセイ集だ。「邪悪なもの」とは、どうしていいか分からないが、何かしないと大変な目に遭う危険物である。アメリカの呪い、情報化の呪い、団塊世代の呪いなどを鎮める裏ヒントが満載だ。
(10.01.28発行)


高村薫・藤原健 『作家と新聞記者の対話2006-2009』 
毎日新聞社 1575円     

鋭い社会批評でも知られる作家に記者が問いかける。テーマは憲法、家族、死刑制度など。本書は毎日新聞連載の連続インタビューに、「民主党政権論」を加えたものだ。活字離れをめぐっての「言語能力の格差は人間の尊厳に関わる」という指摘に危機感がこもる。
(10.01.30発行)


浅田次郎 『アイム・ファイン!』 
小学館 1470円    

現在も続く機内誌での連載エッセイの傑作選。西安の月に阿倍仲麻呂を偲び、ラスベガスのルーレットテーブルで文学賞を拝受し、別府で湯めぐりを達成する。さらに入院・検査・手術さえも好奇心を刺激する旅にしてしまう。書斎もまた草枕の爆笑トラベル文学だ。
(10.02.02発行)


岸 博幸 『ネット帝国主義と日本の敗北~搾取されるカネと文化』 
幻冬舎新書 798円    

 経産省政務秘書官として構造改革の立案・実行に携わった著者はIT政策の専門家。現在は慶大教授だ。本書ではネットがもつ負の側面を明らかにしている。第一にジャーナリズムと文化の衰退。第二がネット上でのアメリカ支配だ。
 「無料モデル」が情報の流通を変えたことで、新聞など活字メディアは存亡の危機にある。また、グーグル、アマゾンなどの米国ネット企業に世界の情報を掌握されている状況も危うい。ネットは便利な道具だが、無自覚なままでは国家の衰退につながるというのだ。ならば今後の処方箋とは?
(10.01.30発行)


好村兼一 『行くのか武蔵』 
角川学芸出版 1890円 

 武蔵はいかにして武蔵となったのか。本書は、これまでに書かれた多くの“武蔵もの”とは一線を画す異色の剣豪小説だ。もう一人の主人公として武蔵の父・宮本無二にスポットを当て、戦国の世を生き抜く父子鷹の姿を描きだしている。
 無二は自ら考案した二刀流の遣い手。近隣では無敵の強さをもつ。しかし侍としての身分は低く、食べることで精いっぱいだ。そんな無二が養子として迎えたのが後の武蔵だった。
 無二の薫陶を受け、武蔵の天賦の才が目覚めていく。しかも、やや融通無碍過ぎる父と違い、息子は正義を貫く真っ直ぐな気性。そんな好対照の二人が関ヶ原の戦いに西軍側として跳び込んでいく。修羅場、そして逃避行。やがて武蔵は剣の道に生きるべく武者修行の旅に出る。
 著者は07年に『侍の翼』でデビュー。自身も剣道八段の腕を持つ新鋭だ。
(10.02.10発行)


山と渓谷社:編 『言葉ふる森』 
山と渓谷社 1575円 

 雑誌『山と渓谷』連載の「山」をテーマとしたエッセイ・紀行が一冊になった。29人の作家、30篇の作品が連峰のごとく並ぶ。
 篠田節子はチベット高原鉄道に乗る。5千メートル近い高地の駅に降りた時、高山病さえ逃げ出す強靭な日本人に驚かされるのだ。
『還るべき場所』などの山岳小説で知られる笹本稜平は槍沢の雪渓で滑落。足首を複雑骨折して、危うく遭難しかかった。「東京もまた山の街であった」と書くのは古井由吉だ。大都会に暮らしながら山を想うことの味わいを伝えている。いずれも山との関係の中に著者の素顔が見えてくる。
2月初めに亡くなった立松和平も、知床の森に生息するヒグマについて書いていた。その文章は次のように結ばれている。「私は思うのである。クマの最終的な望みは幸福に暮らすことで、それは私たち人間もなんら変わらないのだ」。
(10.02.05発行)


西村賢太 『随筆集 一私小説書きの弁』 
講談社 1575円    

私小説という形で、大正期の作家・藤澤清造への熱い思いを原稿用紙にぶつけ続ける著者。初の随筆集である本書でも、それは変わらない。「アル中の(中略)とりとめのないクダ話」と本人はいうが、自滅も辞さぬ文学彷徨の日々は、ますます師匠と重なっていく。
(10.01.29発行)


丸山哲史 『竹内好~アジアとの出会い』 
河出書房新社 1575円    

戦後思想史に独自の位置をもつ竹内好。日本の東アジアにおける“あり方”が問われる今、再注目すべき人物だ。明大准教授である著者は、魯迅、毛沢東、岸信介、武田泰淳などとの出会いと影響を検証していく。竹内の「アジア主義」とその先を探る果敢な試みだ。
(10.01.30発行)


伊藤比呂美 『読み解き「般若心経」』 
朝日新聞出版 1575円    

病が進む母と衰えた父を日本に残し、詩人は海外暮らしだ。したいことは多いが思うようにいかない。そんな心塞ぐ状況をほぐしてくれたのが「お経」だ。その経緯を語ると共に、「般若心経」などの 現代語訳いや“現代詩訳”を試みた。ぜひ音読を勧めたい。
(10.01.30発行)


2010年 こんな本を読んできた(1月編)

2010年12月29日 | 書評した本 2010年~14年
(hawaiiフォト・シリーズ)


この1年間に、読んで書評を書いてきた本を整理してみます。

私の専門はテレビを軸とするメディア論ですが、書評にはその研究に関する本、いわゆる専門書はほとんど含まれていません。

書評を書かせていただいているのが一般向け週刊誌(週刊新潮)だからです。

専門書以外で、自分が読者として読んだ本。

その中から「これ、いいな」と選んだものについて書いています。

ジャンルも多岐にわたっていますが、小説は自分が好きなミステリが多いかもしれません。

それは他の書評家の皆さんとの分担というか、一種の棲み分けでもあります(笑)。

ということで、まずは1月分から。


2010年 こんな本を読んできた(1月編) 


西尾維新『難民探偵』 
講談社 1680円

 「物語シリーズ」などライトノベルで人気を博している著者の書き下ろしは、主人公がネットカフェ難民という異色の推理小説だ。
 ヒロイン&語り手の証子は就職が決まらぬまま大学を卒業してしまった就職浪人。作家である叔父・窓居京樹の豪邸に居候中だ。ある日、京樹の友人・根深陽義が訪ねてくる。今はネットカフェを転々とする根深だが、以前は優秀な警視だったことから難民探偵と呼ばれている。
 事件は根深が愛用するネットカフェで起きた。出版社の専務が殺されたのだ。元同僚でもある警視総監の依頼で犯人を追うことになる根深。しかも助手兼お目付け役は証子だ。「犯人ではなく警察の見落としを探る」とうそぶく難民探偵の破天荒な活動が始まる。
 登場人物たちの会話の妙は著者ならでは。真相へと迫る過程も一筋縄ではない、維新ワールド全開の一冊。
(09.12.17発行)


徳大寺有恒 『間違いだらけのエコカー選び』 
海竜社 1575円  

 「私が否定的なのは、ハイブリッドならすべて善で、そうでないクルマはすべて悪といった単純な見方に対してなのだ」と著者は憤る。エコカー減税の追い風に乗るハイブリッド車。本書はその功罪を明らかにする辛口クルマ評論だ。
 まず、エコカー減税の根拠となる「10・15モード燃費」の実態が暴かれる。実際とはかけ離れた数値がユーザーをミスリードしてきた経緯。燃費やエコにも配慮する優れた外国車の排除。さらに、いますぐ出来るガソリンエンジンの改良に取り組まない国内メーカーへの疑問などが並ぶ。
 また著者が声を大にするのが「クルマは単なる移動の道具ではない」ということだ。機能と価格も大事だが、運転自体の創造性やライフスタイルの表現としてのクルマ選びを強調する。エコという記号に惑わされず、自分の1台を見つけるヒントがここにある。
(09.12.16発行)


持田叙子 『永井荷風の生活革命』 
岩波書店 2310円  

著者は近代文学研究者。昨年、『荷風へ、ようこそ』でサントリー学芸賞を受賞した。本書では荷風を「シングル&シンプル・ライフの元祖」として捉えている。偏奇館という住居への愛着。庭へのこだわり。自立した女性との関わり方にも、荷風の新たな姿が見えてくる。
(09.12.03発行)


日本経済新聞社:編 『ルポ 日本の縮図に住んでみる』 
日本経済新聞出版社 1680円  

団塊世代の間でブームとなった田舎暮らし。50~60代の記者が北海道浦河町や沖縄県与那国島などで実際に生活した上での報告だ。いいことばかりではない。就労や医療の問題から都会暮らしへの未練まで本音が語られていく本書は、自分再発見のルポでもある。
(09.12.08発行)


加賀乙彦 『不幸な国の幸福論』 
集英社新書 756円  

 年間3万人以上が自殺する“絶望大国”ニッポン。この国で幸せになるにはどうしたらいいのか。本書は作家であり精神科医でもある著者が探る処方箋だ。日本人を分析し、「考えない習性」と「他人を意識しすぎる癖」を指摘する。その背景には「個」をおろそかにしてきた社会がある。
 ならば、どうするか。まず、たった一度の人生、たった一人の自分を大切にすること。その上で、幸福や不幸は自分の考え方次第と自覚するのだ。「今あるがままの自分を受け入れ、よりよく生きようとする」。そんな言葉に励まされる。
(09.12.21発行)


五木寛之 『歎異抄の謎』 
祥伝社新書 798円  

 現代を本格的な「鬱の時代」とする著者。プラス思考で生きれば人生は明るくなる、などと言ってはいられないほど心の闇は深い。本書は再び広く読まれ始めた『歎異抄』の格好の再入門テキストだといえる。
 人間を「限りない煩悩を抱えた存在」として認め、誰もみな罪人であるとした親鸞。ならば善悪の区別や浄土とは何なのか?「信じる」とはどういうことなのか?著者は原文と共に私訳も提示して『歎異抄』に触れることを促す。さらに文芸評論家・川村湊氏との対談では、現在の選択が未来につながると説いている。
(09.12.25発行)


大沢在昌 『欧亜純白 ユーラシアホワイト』Ⅰ・Ⅱ
集英社 各1785円

 物語は1997年から始まる。間もなく香港が中国に返還されることで、ヘロインの流通構造が変わろうとしていた。これを好機として、中国系ヘロイン「チャイナホワイト」を凌駕する「ユーラシアホワイト」を目指す人物が現れる。正体不明の「ホワイトタイガー」である。
 それを阻止しようとするのが厚生省麻薬取締官で潜入捜査のプロ・三崎、そしてアメリカ麻薬取締局のベリコフだ。それぞれにヘロインの流れを追っていた二人はやがて出会い、協力して戦うことになる。しかし敵はホワイトタイガーだけではない。日本のヤクザをはじめ各国のマフィアが複雑に絡み合う。潜入捜査を行う三崎にも過酷な試練が待ち受けていた。
 国際政治や経済の動向も取り込んだリアルな背景。練りに練った構成。緊迫感あふれる場面展開。著者の新たな代表作となりそうだ。
(09.12.20発行)


加島祥造 『私のタオ~優しさへの道』 
筑摩書房 1680円

詩人で翻訳家の著者が老子に関する最初の本を出してから17年。“老子をめぐる思索の旅”は86歳の今も続いている。本書のテーマは『老子』が示す「優しさ」「柔らかさ」、さらに「弱さ」だ。閉塞社会、不安の時代を生きるためのヒントが見つかるかもしれない。
(09.12.10発行)


佐藤隆介 『池波正太郎の愛した味』 
小学館 1575円

著者は池波正太郎の書生を10年にわたって務めた。身近で見た生活と意見を最もよく知る一人だ。本書には池波の“好物”が写真付きで並ぶ。尾道・ウオエスの「鯛の濱焼」、京都・野村治郎助商店の「千枚漬」等々。作中に登場する食の描写と併せて味わいたい。
(09.12.06発行)


大門剛明 『罪火(ざいか)』 
角川書店 1575円    

 『雪冤』で横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をダブル受賞した著者の受賞第1作。殺人事件を犯人の側から描く「倒叙ミステリー」に挑戦している。
 事件が起きたのは伊勢神宮花火大会の夜だった。犯人は35歳の元派遣社員・若宮忍。被害者は恩師である町村理絵の娘で中学生の花歩だ。若宮には、少年時代に過失で人を殺してしまった過去がある。一人で暮らす彼を何かと支えてくれたのが町村母娘だった。では、なぜ花歩を殺したのか。
 町村理絵と若宮が知り合ったのは、「修復的司法」と呼ばれる事件の加害者と被害者の関係を調整する活動を通じてである。若宮を援助し、その更生を信じてきた理絵。一方、人生を諦め、荒んだ心のままに生きてきた若宮。二人の対比が鮮やかだ。緻密に描かれる犯人の心理や犯行のプロセスも、倒叙物ならではの緊張感に満ちている。
(09.12.25発行)


勢古浩爾 『定年後のリアル~お金も仕事もない毎日をいかに生きるか』 
草思社 1470円    

 『まれに見るバカ』などの評論やエッセイで知られる著者は、34年間勤務してきた会社を59歳で辞めた。「いまやわたしは何者でもない」という立場になってみて実感する定年後を、まさに本音で語った一冊だ。
 定年後の3大不安は、お金、生きがい、健康である。世の中には、その対処法を伝授するハウツー本が氾濫しているが、著者は「秘策などない」と言い切る。老後に備えて何千万円といわれても、ないものはない。そんな平均値や一般論に惑わされること勿れ。また、「生きがい」や「やりがい」も無理に求めない。今日一日をつつがなく過ごせれば御の字だ。
欲しいのは刺激ではなく平安な気分。3大不安に対する「なんとかなるんじゃないの?」という“ほんわか”した基本姿勢が嬉しい。「好きに生きてください」という前代未聞の結論にも大いに励まされる。


林真理子『私のこと、好きだった?』 
光文社 1680円    

かつての人気女子アナ・美季子は42歳で独身。大学時代の仲間である兼一と再会するが、彼は親友・美里の元夫だ。女性問題で離婚し、浮気相手と再婚していた。一方、美里は病に冒されている。若い頃に思い描いたものとは違う現実を生きるアラフォー世代の人間模様。
(09.12.25発行)


飯沢耕太郎 『写真的思考』 
河出書房新社 1260円    

写真評論の第一人者が、30年におよぶ考察を集大成した本格的写真論。著者によれば、写真的思考とは「ある種の神話的想像力の発現」であり、写真家は「カメラを抱えたシャーマン」だ。荒木経惟、柴田敏雄、東松照明などを通して、写真が喚起する世界が語られる。


佐々木常雄 『がんを生きる』 
講談社現代新書 756円    

 現在、がん・感染症センター都立駒込病院院長である著者は、2千人のがん患者を担当してきた。その経験と最前線の医療現場を踏まえ、“がんと向き合う人生”を語ったのが本書だ。特に、医師と患者それぞれの思いが交錯する「余命の宣告」は重いテーマである。
 著者は、人の心の奥に「死が近づいても安寧でいられるような要素がある」という。どんなに苦しく辛い中でも、一瞬の「幸せ」を見出すことができる。 人は生きているだけで役に立てるし、それが患者を勇気づけるのだと。著者の存在自体が十分励ましとなる。


東野圭吾 『カッコウの卵は誰のもの』 
光文社 1680円  

 スキー競技の世界を舞台に、「親子とは、家族とは」を問う長編ミステリーだ。緋田はアルペン競技で五輪出場も果たした往年の名選手。17年前に妻を亡くしたが、19歳になる娘の風美は自分と同じ種目で有望視されている。
 ある日、風美が所属する会社の研究員・柚木が訪ねてきた。彼は緋田父娘をモニターにして、「運動能力があるパターンで遺伝する」ことを実証したいと申し出る。困惑する緋田。風美の出生には誰にも知られてはならない秘密、いや疑いがあったからだ。一方、風美の会社に脅迫状が送られてくる。そこには、彼女が選手権大会に出場すれば危害を加えるとあった。
 緋田は19年前に妻と娘に何があったのかを探り始める。同時に、柚木も科学者らしいアプローチで真相に迫ろうとしていた。“カッコウの卵”が幾重にも象徴する、驚きの結末とは?
(10.01.20発行)


渡邊十絲子 『新書七十五番勝負』 
本の雑誌社 1260円

 本誌書評欄でもお馴染みの著者による、気風のいい新書専門書評集だ。まず、その立ち位置に迷いがない。「読者のために」といった意識は寸毫もないのだ。自分にとって興味・関心があり、読んでみたら面白く、他のメディアが扱わなそうなものに限定している。
 次に、評価が明快であること。村瀬学『自閉症』は「間違いなく画期的だった」。池田清彦『環境問題のウソ』なら「思考の道筋のつくりかたは確かだ」。そして藤森照信『建築史的モンダイ』では「すごい新書に出会ってしまった」と書くのだ。最早、手に取らずにはいられない。
 75冊のうち、複数回登場する著者は稀だ。最も多いのが『生物と無生物のあいだ』で知られる生物学者・福岡伸一の3回である。ちなみに、新書別では3位に8冊の中公新書、2位が10冊の文春新書。1位は講談社現代新書で11冊だった。
(10.01.20発行)


吉村英夫 『山田洋次を観る』 
リベルタ出版 2310円

映画評論家である著者は、大学で映像文化論を担当している。テーマはライフワークの山田洋次監督作品。『男はつらいよ』から『武士の一分』までを観ながら、“映画が語るもの”を考える。ゲストとして登場した山田監督が学生たちと真摯に向き合う姿も印象的だ。
(10.01.15発行)


石川英輔 『実見 江戸の暮らし』 
講談社 1470円

昔を知ることは可能でも、“昔を見る”ことは難しい。江戸研究の第一人者である著者は、それを当時の「印刷図版」で実現させた。人情本の挿絵は町の風景を、小説本が庶民の食卓を生き生きと伝えている。つつましくも彩りのある暮らし振りが微笑ましい。
(09.12.19発行)


大野 芳 『死にざまに見る昭和史~八人の凛然たる“最期”』
平凡社新書 1470円 

 ノンフィクション作家である著者は、人の「死にざま」に強い関心をもつ。人生の最期にその人の生き方が集約されているからだ。本書には激動の昭和史を生きた有名・無名の8人が登場する。その死が今も多くの謎に包まれている山本五十六。8月15日の夜に自決した「特攻隊の生みの親」大西瀧治郎などだ。
 中でも、激戦の硫黄島で米軍が投降を呼びかけた「バロン西」こと西竹一の逸話が興味深い。五輪の馬術競技で優勝した西を惜しんだという“伝説”を丹念に追う著者。歴史の底に埋もれていた真実が現れる。
(10.01.15発行)


よく分からんぞ(笑)、『トロン:レガシー』

2010年12月29日 | 映画・ビデオ・映像

うーん、何だかよく分からんぞ、これ(笑)。

えーと、「現実の世界」と「コンピュータの中の世界」とで展開される
物語ではあります。

ただし、メインは「コンピュータの中の世界」であり、そこでの“筋立て”が分かりづらいのだ。

創造主といわれるケヴィン(ジェフ・ブリッジス)は、なぜ幽閉されたままだったのか。

コンピュータ世界の独裁者・クルー(若き日のジェフ・ブリッジスをCGで)が現実世界を“浸食”しようとする、というけど、その意味と実態がイマイチ分からない。

観客はみんな、この設定やストーリー展開や人物像を、ほんとに理解しているのかねえ(笑)。

物語的にあれこれ消化不良のまま、“見せ場”であるディスクやライト・サイクルによるバトルが延々と続く。

その画面、そのCG映像には、「ほほ~」となるものの、頭のどこかで『アバター』と比較していて、「あれって凄かったなあ」とか、「こっちはワイヤーフレームにネオンの光か」(笑)みたいなバカなことを思っていた。

さらに、82年に観た『トロン』を思い出して、「28年前としては、なかなかのものだったんだなあ」と妙な感心の仕方をしたり・・・。

うん、映像はともかく、やはり物語(ストーリー)に難あり、というのが一番の感想だ。

それから、今回は「D-BOX」なる“シーンと連動して動く座席”を試してみた。


確かにお尻がブルブルしたり、少し上がったり下がったりする。

でも、USJなどのアトラクションとは比べ物にならないし、中途半端な動きで、むしろ気が散る(笑)。

この作品に関しては、鑑賞料金1800円+1,000円(1コールドドリンク付)計2800円の「D-BOX」は高いかもしれない。

そんなこんなで、「映像表現の最前線(の一つ)」なるものを見てきました、という『トロン:レガシー』でした。


日本テレビ「バンキシャ!」のキム・ヨナ選手“隠し撮り”

2010年12月28日 | テレビ・ラジオ・メディア

今やテレビにとって、いやテレビ・ビジネスにとって、スポーツは重要なコンテンツだ。

プロ野球の人気が衰える一方で、サッカー、バレー、水泳、そしてスケートなどが“数字(視聴率)を稼ぐ”ようになっている。

そんな中で、日本テレビがフィギュアスケートのキム・ヨナ選手の練習風景を隠し撮りし、放送していたことが発覚した。


【ソウル28日聯合ニュース】
日本テレビの報道番組「真相報道バンキシャ!」が米ロサンゼルスで隠し撮りしたフィギュアスケートの金妍児(キム・ヨナ)選手の練習風景を放送したことが、物議を醸している。

同番組は26日の放送で、金選手が体力トレーニングやストレッチを行う様子などを紹介。また、金選手行きつけのレストランも取材し、金選手がよく食べる料理などを紹介した。

フィギュアスケートの選手は大会を控えると競技のプログラムや練習などを非公開とするため、練習の様子を無断で撮影することは禁じられている。

金選手のマネジメント会社は、テレビ局に強く抗議したことを明らかにし、「今後、こうしたことが再発すれば適切な措置を取る」とコメントしている。番組内容は20日ごろ撮影されたものとみられるが、新プログラムに関する内容は放送されなかったようだと話した。

来年3月に開かれる世界選手権に出場する金選手は、ショートプログラムでバレエ音楽「Giselle(ジゼル)」、フリーでは「アリラン」など韓国の伝統音楽を編曲した「Homage to Korea」を使った新プログラムを披露する予定だ。



・・・・あくまでも伝えられた内容が事実だとしてですが、ルールの順守がスポーツの基本であり、そのスポーツの取材で“商売優先・ルール無視”とはいただけない。

また、それがこれまで何度も問題を起こしている「真相報道バンキシャ!」だというのも二重に情けない話だ。

民放は歌舞伎役者や熟女タレントにかまけてる場合か

2010年12月28日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』に連載中の「テレビとはナンだ!」。

今週の掲載分は、この1年の総括です。


見出し:

民放は歌舞伎役者や熟女タレントに
かまけてる場合か


本文:

今年のテレビ界をひと言で表すなら<NHKの独り勝ち>だ。

NHKと民放との<格差拡大>と言ってもいい。

まず、朝ドラ「ゲゲゲの女房」が国民的人気番組となった。

女性視聴者の録画率を高めた「セカンドバージン」など話題作にも事欠かない。

「坂の上の雲」のような本格的大作もある。

またドラマ以外でもキャンペーン報道「無縁社会」や「ハーバード白熱教室」などNHKならではの取り組みが目立った。

一方の民放。

ドラマでは平均視聴率20%どころか15%に届くものも少なかった。

特に制作側がターゲットとしてきた20代視聴者のドラマ離れが顕著だ。

中には日本テレビ「MOTHER」やテレビ東京「モリのアサガオ」、フジ「フリーター、家を買う」など意欲作もあるが、全体としては元気がなかった。

制作費ウンヌンより、制作力の低下がほの見えるのが心配。

バラエティーは<池上彰の独り勝ち>状態だ。

テレビ朝日「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」をはじめ、今や日本人はこの人を通じて世の中を知ろうとしているが、ますます自分の頭で考えることから遠ざかるようで怖い。

今年は「尖閣ビデオ流出」、「米国機密漏えい」などネットの存在が大きくクローズアップされた。

テレビも歌舞伎役者のケンカや熟女タレントの不倫騒動なんぞに、いつまでもかまけてばかりいられない。

(日刊ゲンダイ 2010.12.27)


*昨日アップした「2010年 テレビは何を映してきたか(12月編)」を
 改訂しておきましたので、ご覧ください。