碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「報道活動」のシンポジウムが開催された

2008年11月30日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨日、東京工科大学メディア学部と放送批評懇談会ギャラクシー賞報道活動委員会が共同で主催した、公開シンポジウム「ギャラクシー賞受賞報道活動を見て、制作者と語る会」が無事開催された。

上映した作品は、
<大  賞> 札幌テレビ「STVニュース『ニセコ町果実酒問題』報道」
<優秀賞> テレビ金沢「人情物語 向こう三軒両どなり」
<優秀賞> 日本テレビ「『ネットカフェ難民』キャンペーン」
<選  奨> 北海道テレビ「イチオシ!『政務調査費』」
<選  奨> 名古屋テレビ「『どですか!』生き生き まいらいふ」
<選  奨> TBS「“エコ偽装”報道」

パネラーとして参加してくださった制作者は、
山谷 博さん(札幌テレビ)、寺内達郎さん(北海道テレビ)、大池雅光さん(名古屋テレビ)・辻本昌平さん(テレビ金沢)、中崎清栄さん(テレビ金沢)。

放送批評懇談会の報道活動委員会からは、
麻生千晶さん(作家)・上滝徹也さん(日大芸術学部教授)・坂本 衛さん(ジャーナリスト/報道活動委員長)、堀木卓也さん(民放連)、小林英美さん(読売新聞)。コーディネーターと司会を、私が務めさせていただいた。

こうして受賞作をまとめて見て、また制作者の方々から、取材の詳細や、そのプロセスの中での苦労した点、また視聴者の反応などをうかがうことで、あらためて「報道活動」の幅広さや、アプローチの多彩さを実感することができた。

そして、何より、昨今のテレビ番組に対するネガティブな評価(確かに、困ったなあ、という番組は多い)を踏まえたうえで、「テレビもなかなかやるじゃん」「テレビも頑張ってるよな」という面を、示すことができたのではないか。

特に、キー局と比べたら人員も予算も限られた地方局で、日々行われている優れた報道活動を、今後も応援していきたいと強く思った。

パネラーや放懇の方々はもちろん、参加者の学生、メディア関係者、そして多くの市民の皆さんにも感謝します。

聴いても、読んでも

2008年11月28日 | 舞台・音楽・アート
つい買ってしまうジャンルの一つに<ジャズ本>がある。

聴くだけじゃなく、読んでも楽しいんだなあ、これが。

最近だと、中山康樹さん、小川隆夫さん、後藤雅洋さんなどのものは、出るたびに手にとってしまう。

今日のジャズ本は『ジャズ魂(ジャズスピリッツ)厳選ジャズアルバム250名盤』。

輸入ペーパーバックスみたいな感触の音楽本を、このところがんがん出している版元、プリズムの新刊だ。

250枚のアルバムが、アーティストのABC順に並んでいて、どこを開いても「ふむふむ」とか「うーん」とか言いながら読めてしまう。

基本は1人1枚だが、マイルスやコルトレーンなどは、やはり複数のアルバムが紹介されている。

もちろん知らない(聴いてない)アルバムも大量にあるが、演奏メンバーに知ってる誰かが入っていたりすると、ぐっと親近感がわき、聴いてみようかな、なんて思う。

プリズムペーパーバックス No.004 ジャズ魂(ジャズスピリッツ)厳選ジャズアルバム250名盤

プリズム

このアイテムの詳細を見る


で、最近手に入れたCDが、『ベスト・ジャズ100 ピアノ・スタンダーズ』。

ジャズピアノが好きなので、6枚組みで100曲は嬉しい。

次にどんな曲が出てくるかわからないまま、クルマの中で連続再生しておくのが最高。100曲聴いてたら、相当遠くまで行ける(笑)。

ミュージシャン個々のアルバムもいいが、こういう“持ってけ!ドロボー”的なCDも楽しい。

ベスト・ジャズ100 ピアノ・スタンダーズ
ドン・ランディ,ジェイソン・モラン,チューチョ・ヴァルデス,ベニー・グリーン,エディ・ヒギンズ,ブライアン・ディー,アール・ハインズ,ソニー・クラーク,ビル・エヴァンス,レイ・ブライアント
EMIミュージック・ジャパン

このアイテムの詳細を見る


いよいよ明日29日(土)は、コーディネーター・司会を務める公開シンポジウム「ギャラクシー賞受賞報道活動を見て、制作者と語る会」だ。

まだまだ先と思っていたら、いつの間にか、来ちゃうぞ本番。

よかったら、ぜひ、東京工科大学・八王子キャンパスの会場へ。

http://www.teu.ac.jp/event/extension/012125.html

冬のオープンカー、冬のオープンカフェ

2008年11月27日 | クルマ
クルマで大学に向かう途中、幌をオープンにしたロードスターとすれ違った。

一瞬、寒くないのかな、と思ったが、乗っていたのは、70歳代とおぼしき男性で、堂々の“オープンぶり”がカッコよかった。

以前、冬場のロケで、九十九里まで行った。乗せてもらったのは伊武雅刀さんのクルマだった。

待ち合わせの場所で待っていると、幌をいっぱいに開いたフォルクスワーゲン・ゴルフのカブリオレが近づいてきた。見ると、助手席で伊武さんが手を振っている。

乗り込んだカブリオレが、高速湾岸に向かってレインボーブリッジを渡る。風がすごい。しかし、伊武さんは、この酔狂なオープンドライブが楽しくて仕方ないようで、ずっと笑っている。

前のクルマを追い越すとき、抜かれるドライバーが、あきれたような顔で私たちを見ていた。そりゃそうだ、冬のレインボーブリッジをオープンで走っていくクルマの中で、伊武雅刀が大笑いしているのだ。

「男は、やせ我慢ですぞお!」と叫ぶ伊武さん。私も笑うしかなかった。


雑誌「旅」は、もう2009年1月号だが、特集は「パリのおしゃれカフェ」。表紙は、あのジェーン・バーキンで、中にはオープンカフェの写真がずらりと並んでいる。

オープンカーとオープンカフェ。どちらも、冬ともなれば、やせ我慢しかない。

秋のパリに行ったとき、オープンカフェで一休みしたけど、もう十分に寒かった。でも、ジェーン・バーキンが相席なら、多少寒くても苦じゃないかもしれない。

東京でも、あちこちにオープンカフェがある。ただ、あそこに座るのって、ちょっと照れくさくないですか? 

お店の前を歩くとき、そこに並ぶ椅子に腰掛けた人々を、なぜか見ないようにしながら、足早で通過している自分に気づく。座っていない私が照れることないのにね。

ふと、どこからか、伊武さんの「男は、やせ我慢ですぞお!」という雄叫びが聞こえたような気がした。

旅 2009年 01月号 [雑誌]

新潮社

このアイテムの詳細を見る


昭和45(1970)年11月25日

2008年11月25日 | 本・新聞・雑誌・活字
今日、11月25日は、三島由紀夫の命日だ。

1970年というか、昭和45年の自決から38年ということになる。やはり三島には「昭和」の文字や年号のほうが似合う。

三島の作品を読むようになったのは、その没後のことだ。まあ、三島が亡くなったとき、私は高校1年だったから、当時はまだ「潮騒」など数冊しか読んでいなかったわけだ。

以来、作品以外にも、三島に関して書かれた本は大体手にとってきた。

特別、三島の熱烈なファンというわけではない。熱心な読者というほどでもない。ただ、私にとっては、作品をも含む「三島由紀夫そのもの」、「三島という存在」自体が謎であり、それには、ずっと興味がある。今も気になるのだ。

そう、ずっと気になり続けている。いまだに、あの三島の死の衝撃がどこかに残っているんだろうか。いや、たぶん、現在もなお、あの死の意味がよく分からず、心のどこかで、出来れば知りたいと思っているのだろう。

亡くなって38年が過ぎたが、三島について書かれた本は出続けている。私だけでなく、時代や社会が、それを求め続けているのかもしれない。

「憂国忌」なるものには、一度も参加したことはない。これからもそうだろう。

今日は、学内にある本屋さんで「写真集 三島由紀夫 ’25~’70 」(新潮文庫)を買った。以前、単行本で出た写真集「グラフィカ三島由紀夫」の文庫版であり、元本は持っているが、お線香をあげるような気持ちで、この文庫本を買った。

ぱらぱらとめくってみる。

冒頭には1歳のときの写真。顔の半分が頭で、利発そうな子だ。終りのほうには、自衛隊市谷駐屯地本館ロビーで演説する三島の、よく知られた1枚。次に築地本願寺での葬儀。

そして最後は、自邸での家族写真だ。夫人と二人のお子さんが2階のバルコニーに立ち、三島自身は1階にいて、石の手すりに腰掛けている。昭和40年、亡くなる5年前に撮られたもので、これを最終ページに置く写真として選んだのは夫人だった。

平成20年の今年は、昭和でいえば、昭和83年。三島が生きていれば、年号そのままに83歳である。

写真集 三島由紀夫 ’25~’70 (新潮文庫)

新潮社

このアイテムの詳細を見る

「縁(えにし)の糸」をたぐっていくと

2008年11月23日 | 舞台・音楽・アート
昨夜、慶大SFCにいた頃の教え子、ゼミ生たちが集まった。年に一度の「総会」と呼ぶのだが、いつも楽しみにしているイベントだ。

表参道近くの店の会場は、ほどよい広さの個室だった。どこか小規模な教室を思わせる部屋の中は、久しぶりで見る顔もあり、ふと、かつてのキャンパスでの、ゼミの時間を思わせた。

参加者の多くが30代になっており、仕事の上でも、私生活でも大車輪の時期に差し掛かっている。特に、仕事上では、上司・先輩ブロックと、部下・後輩ブロックとの間に位置する苦労も体験しはじめた。とはいえ、みんな、なかなかいい顔の“大人”になっている。それが嬉しい。

出席者には、全員、短い「近況報告」をしてもらうのだが、今回は何人かの元「男の子たち(?)」が、最近、子どもが生まれたり、生まれようとしていたり、という話をしていた。そうか、学生が社会人になり、今、父親になってきたのかと、ちょっと感慨ありだった。

私自身は、大学時代のゼミを、途中で“中退”しているので、卒業後の、こういう「ゼミの集まり」の体験はない。ないだけに、余計この集まりが楽しいのかもしれない。

当時、私のゼミを志望してくれる学生の中から、面接などを経て選ばせてもらったメンバー。もちろん、入りたい、入れたい、という互いの意思はあったものの、俯瞰で見れば、これもまた一種の“ご縁”だったのだと思っている。

で、今、ここに「袖擦(す)り合うも多生の縁」と書こうとして、あれっと思う。

思い出したのだ。毎朝、NHKから流れてくる、竹内まりやさんの歌声。

朝の連ドラ「だんだん」のテーマ曲「縁(えにし)の糸」の冒頭は、確か「袖振り合うも多生の縁と、古(いにしえ)からの伝えどおり」と歌っていたぞ。歌詞を確認したら、やはりそうだった。

え、「袖、振り合う」の? 袖、擦り合うんじゃなくて、振り合っちゃうわけ? 着物の「振袖」なら分かるけど、とか何とか、とにかく気になり始めた。

手元の「岩波国語辞典」で「袖」を引いてみる。お、例文に「袖触れ合うも多生の縁」とあり、この世で、道を歩いて袖を触れ合うほどのちょっとした関係も前世の因縁があるからだ、という解説文が載っている。

ならば、「新潮国語辞典」のほうはといえば・・・おお、「袖振り合う」ではないか。竹内まりやさんは新潮派だったのか。

さらに三省堂の「新明解国語辞典」、「新解さん」では・・・へえ~、「袖触(ふ)り合う」になっている。どちらも「そで、ふりあう」ではあるけれど。

じゃあ、私が思い込んでいる「袖擦り合う」は、どうなっているんだろう。

「袖振り合う」、「袖触り合う」、「袖触れ合う」、そして「袖擦り合う」。たぶん、いずれもOKってことなんだろうなあ、と勝手に考える。面白いけど、今、大きな辞典がないので、探索はここまで、です。

岩波国語辞典

岩波書店

このアイテムの詳細を見る


新潮国語辞典―現代語・古語

新潮社

このアイテムの詳細を見る


新明解国語辞典 第6版 小型版

三省堂

このアイテムの詳細を見る



18年前、そして18年後の『櫻の園』

2008年11月22日 | 映画・ビデオ・映像
映画『櫻の園―さくらのその―』を見てきた。

中原俊監督の旧『櫻の園』は1990年の作品。つみきみほ、中島ひろ子、白島靖代・・・。もう18年前になるけど、今でも好きな1本だ。

同じ監督が、同名の作品を撮るってことで、てっきり市川崑監督の『犬神家の一族』みたいなリメイクかと思っていた。

リメイク版『犬神家』はちっとも感心しなかったし、市川監督はどうしてああいうものを作ったんだろうと、今も疑問だ。とはいえ、中原俊監督作品、やはり見に行ってしまうわけです。

で、まずは「リメイクではなかった」ってこと。これは、同じ原作で、同じ監督が撮った、別物の映画だ。

上映が開始されると「松竹」のCG富士山マークが出て、その次に「オスカープロモーション」のクレジットが、どどーんと入ったから驚いた。「あ、そーなんだ」って感じ。“オスカープロの映画”なのだ、これは。

映画初出演にして初主演の福田沙紀はもちろん、米倉涼子、菊川怜、それに上戸彩まで、大事な役は<オスカー女優>の独占だ。まあ、「製作」の筆頭、つまり大きな資金を出してるんだから当然なんだけど、こうも“自社製品”が並ぶと、ちょっと引きます。

前述のように、物語は、原作をベースにしながら、また90年版も意識しながら、様々なアレンジを行い、オリジナリティを出そうとしていた。了解です。

福田沙紀も健闘。よく頑張りました。でも、彼女を見ていると、どうしてもドラマ『ライフ』でのイメージが甦る。あの「北乃きいをイジメる女子高生」は、それだけ強烈、かつハマリ役だったってことだ。

見ている間から強い印象を与えた出演者は、杏(あん)。ファッションモデルとして知られているが、ここでは立派な女優だ。

画面の中で、黙っていても、しゃべっていても、堂々たる存在感。ちゃんとオーラがある。確か、俳優・渡辺謙の娘だったと思う。後は、これまたオスカー所属、武井咲(14歳)の美少女ぶりも目立った。

映画の中の桜はきれいだった。もっと狂おしいのが桜という気もするけど。“少女の時間”もまた桜の花と同じように、短いからこそ、かけがえのないものなのかもしれない。

そう。中原監督の旧『櫻の園』(脚本・じんのひろあき)には、少女たちの狂おしさが描かれていたように思うのだ。

映画館からの帰り道、懐かしいニュー・センチュリー・プロデューサーズ制作による90年版を、すごく見たくなった。

櫻の園―Official Visual Book―

小学館集英社プロダクション

このアイテムの詳細を見る


櫻の園

パイオニアLDC

このアイテムの詳細を見る


お気軽減量作戦、現在も継続中

2008年11月21日 | 日々雑感
10月1日のブログにこう書いた。

  ようやく減量作戦を開始した。
  高い血圧も、血糖値も、体重を減らせば、
  問題はかなり解決すると医師から言われながら、
  「まあ、そのうちに」と先延ばししていた。
  しかし、今回は医師および栄養士さんの指導も受けたことだし、
  「ひとつ、本気でやってみるか」ということになったのだ。
     (中略)
  今回、私が行う<医師の指導による減量作戦>は
  1年がかりの予定。
  目標は1年で10キロだそうだ。「ひえ~!」である。
  甘いものを「やめる」のと、できるだけ「歩く」こと。
  それだけで、どこまで減るのか、まあ、やってみます。


あれから7週間が過ぎた。何気に、リタイヤもせず、続けてきた減量作戦だが、このあたりで中間報告だ。

本日段階で、ちょうど5キロ減りました。5キロ! いやあ、メデタイ。

やってきたのは、本当に2つだけなのだ。甘いものを「やめる」。できるだけ「歩く」。それだけ。

3食は、ちゃんと食べている。抜いたりしていない。ただ、食べ方には気をつけるようになった。「おなかいっぱい」みたいな食べ方はやめた。「おなかいっぱい」の手前くらいまで。

その上で、チョコレートやケーキや、その他甘いもの関係は、ほとんど食べないようにしてきた。そりゃ、ときどきは、“ガス抜き”みたいに、少しだけってこともあるが、基本的には「間食」なし。これが効果あったようだ。

それと、以前と比べたら、ずいぶん歩くようになった。始めのころは、少し歩くと(駅までの10分でさえ)ぜえぜえ言ってたのに、数百グラムずつでも体重が減っていくと、だんだん苦痛じゃなくなってくるから不思議。

そうそう、「万歩計(歩数計)」を買った。小型で、一番シンプルなやつ。ベルトにクリップで留めておけば、勝手にカウントしてくれる。よく「1日1万歩」なんていうけど、これって簡単じゃないのだ。1万をキマリにしちゃうと、到達できない日が続くと、イヤになる。

だから、別に3千歩でも5千歩でも、とにかく「今日はこれだけ歩いたんだもんね」と確認できればいいのだ。というか、歩くことを“意識”するだけで効果ありだ。

この間、買い物があって、ホームセンターみたいな所に行った。ここのガーデニング・コーナーには、砂や石も売っている。見ると、小石が詰まった袋があり、それが10キロちょうどのものだった。

持ち上げてみる。おお、重い。私は20年で20キロ増えたわけだが、常にこれを2袋抱えて生きていることになる。愕然とした。そりゃ、地下鉄の階段も、しんどいはずだ。小石10キロ入り袋を持って、しみじみと実感した。

お医者さんから、今回の減量作戦の目標といわれたのが「1年で10キロ減」だ。7週間で5キロ減ったのは、一応上出来である。

油断せず、とにかく作戦継続。毎日、「折れ線グラフ」に体重を書き込むのだが、これも楽しくなってきた。他人からは、あまり変わっていないように見えるだろうが、体が軽くなってきたことは本人が一番よく分かっている。階段もラクだもん。

というわけで、わが<お気軽減量作戦>の中間報告でした。

内臓脂肪がぐいぐい減る歩数計ウォーキング (アスキー新書 (059))
フィールファインプラザ
アスキー・メディアワークス

このアイテムの詳細を見る


元厚生事務次官殺傷事件の“いやなかんじ”

2008年11月20日 | 日々雑感
17日から18日にかけて起きた「元次官殺傷事件」は、まだ分からないことだらけだ。

私たちが知り得ているのは、元厚生事務次官の山口剛彦さんと妻の美知子さんが殺害されたこと。同じく元厚生事務次官吉原健二さんの妻・靖子さんが刺されて重症を負ったこと。

そして、山口さんと吉原さんには、現役時代に、現在につながる「基礎年金制度」と「後期高齢者医療制度」に関わっていたという共通点があることなどだが、元次官本人だけでなく、家族をも巻き込んでいるのも不気味だ。

私怨か、公憤か。個人による犯行なのか、組織的なものなのか。まだ見えていない。

ただ、どうにも「いやなかんじ」がある。これが「厚生行政への怨恨襲撃、連続テロ」かもしれないからだ。

「テロ」は「テロリズム」のこと。「テロリズム」とは、岩波国語辞典によれば「反対者(特に政府の要人)を暗殺するとか、国民を強権でおどすとか、暴力や恐怖によって政治上の主張を押し通そうとする態度」である。

また、「いやなかんじ」の元をたどると、テロの時代でもあった昭和初期と現在との“相似形”イメージにたどり着く。

手元にある、大内力『日本の歴史24 ファシズムへの道』(中公文庫版)をめくってみる。

昭和2(1927)年、日本で金融恐慌。
昭和4(1929)年、世界大恐慌。日本も失業地獄へ。
昭和5(1930)年、浜口雄幸首相襲撃事件。
昭和7(1932)年、井上準之助(前の蔵相)暗殺。
           團琢磨(三井総帥)暗殺。いわゆる「血盟団事件」だ。

当時と似たような社会不安の中で起きた今度の事件。「一人一殺」などという言葉が亡霊のごとく甦った、などとは思いたくもないが、うーん、やはり「いやなかんじ」が消えない。

日本の歴史〈24〉ファシズムへの道 (中公文庫)
大内 力
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る


今月の新潮文庫で「昭和」に触れる

2008年11月19日 | 本・新聞・雑誌・活字
先週の「週刊文春」で、坪内祐三さんが、今月の「新潮文庫」はすごいぞ、みたいなことを書いていらしたので、書店でチェックしてみた。

おお、確かに、不思議なオーラを放っているではないか。さっそく兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』、NHKの刊行委員会編『あの人に会いたい』などを購入。

『日本共産党の戦後秘史』の帯がすごい。「小林多喜二もあの世で哭(な)いている」だもん。

著者である兵本さん(70歳)は、長く党内にいた人だ。内部にいたからこそ語れる「軍事部門」の動きとか、「山村工作隊」のことだとか、まあ、かなりキナ臭い実話が満載で、一気読みとなる。

「山村工作隊」をはじめ、久しぶりで見る文字が多いのも特色で、「軍事訓練」や「武装蜂起」はもちろん、「暴力革命」なんてのも出てくる。党活動も命がけだったわけだ。

現在の日本共産党しか知らず、小林多喜二の『蟹工船』を読んで「わあ、俺たちとおんなじじゃん」とか言っている(いないか)若い衆も、この本で、その歴史を確認した後、入党するなり何なりしたらいい。

『あの人に会いたい』は、当然ながら番組の文庫化。NHKが持っている膨大な映像資料の中から、昭和を代表する人物たちへのインタビューをピックアップしたものだ。

一番手が三島由紀夫で、湯川秀樹も、料理人の辻嘉一も、将棋の升田幸三も、宇野千代も、白洲正子だって並んでいる。うーん、豪華メンバーだ。

この本では、一人一人の分量はそんなに多くないから、ここで興味をもった人物の著作を読むなり、調べるなり、彼らへの、いわば導入・入門として使えばいい。

たとえば、禅僧である関 牧翁(せき ぼくおう)さんの言葉。
 
  三百六十五日、朝起きた時が生まれた時。
  「良い日である、おめでたいのである」と決め込むのだ。

日本共産党の戦後秘史 (新潮文庫 ひ 29-1)
兵本 達吉
新潮社

このアイテムの詳細を見る


あの人に会いたい (新潮文庫 え 18-1)

新潮社

このアイテムの詳細を見る


ユーモア航空トラブルトラベルムービー(?)の離陸

2008年11月17日 | 映画・ビデオ・映像
映画『ハッピーフライト』を見た。

この作品を楽しみにしていた理由は3つある。

まず、「飛行機ムービー」であること。航空ファン、飛行機好きとしては、とにかく画面の中で飛行機が飛んでいるだけで嬉しいのだ。今回はANAの全面協力だし、相当“飛んでる”映画に違いないと期待した。

2番目の理由。「矢口史靖(やぐち・しのぶ)監督作品」だったから。矢口監督の映画は、97年の『ひみつの花園』(この作品で女優の西田尚美さんに注目した)以来、ほとんど見ている。

そして3番目は、この映画に「俳優・森岡龍が出演」しているからだ。龍くんは、家が近所だったし、我が家の娘と同い年だったから、幼稚園、小学校時代を知っているのだ。その後、映画やCMに出るようになって、ずっと応援している。今回は「若手のドック整備士」で、なかなか大事な役だ。

以上の私的ポイントがあったわけですが、映画は十分楽しめた。

ボーイング747-400はぶんぶん飛んだし、龍くんは大健闘していたし、映画全体はヒット作『ウオーターボーイズ』よりも、ある意味で矢口監督らしかった。

矢口監督は脚本を書くために、きっとかなりの取材をしたのだろう。旅客機が一機飛ぶために、その背後で、どんな人たちが、どんなふうに仕事をしているのか、またトラブル発生時にはどう対処していくのかが、よーく分かる。

旅客機の乗務員、グランド、整備関係、レーダー室、コントロールタワーなどが、それぞれの“ドラマ”をもっていて、それをちゃんと描いてくれている。

もちろん、「各所をちゃんと描く」のは、そもそもこの作品の狙いなんだけど、見ていて少しだけじれったくなったりもする。

まあ、多少の「じれったさ」があるからこそ、物語がドンッと動いたとき、そのスピード感が気持ちいいわけです。

私が見たとき、館内はやや空いていた。そうすると、困るのが、笑えるシーンだ。私は可笑しくて笑い声が出そうなんだけど、観客が少ない上に、みんな割りと冷静(?)で、声に出して笑ってくれないのだ。

せっかくの<ユーモア航空トラブルトラベルムービー(?)>。映画館では、笑えるときは、遠慮せず笑いましょう。

ハッピーフライト 創作ノート (キネ旬ムック)
矢口史靖
キネマ旬報社

このアイテムの詳細を見る


さて、以下は、2005年4月に雑誌広告のページに書かせていただいた“飛行機エッセイ”です。

   旧友ボーイング767

3年前から北海道・千歳にある大学で教えている。ただ、東京でもいくつか授業があり、毎週、東京と北海道を往復する生活だ。「大変だね」とよく言われるが、子どもの頃からの航空ファンなので、この〝飛行機通勤〟自体がとても愉しい。

羽田―千歳の路線で使用される旅客機は、大型のボーイング747(ジャンボ機)や最新型の777が多い。だが、私が好きなのは767だ。定員が300名に満たない中型機で、その大仰でない気軽な雰囲気が通勤にはちょうどいい。

20数年前、コンピュータ制御によるハイテク機として登場した767。その開発プロセスを追うドキュメンタリーで、シアトルにあるボーイングの工場を長期取材した。手作業のリベット打ちから過酷な耐用実験までを見るうち、飾り気はないが実直な人柄(?)の767に好感を持つようになった。

当時、この新鋭機を日本で最初に導入したのは全日空である。私たちは完成したばかりの一番機を日本へ運ぶフライトに同乗し、取材を続けながら帰国することになった。工場内の滑走路を飛び立った767は、アンカレジを経由して羽田を目指した。

途中、千島列島の南に差し掛かった時のことだ。「ソ連のミグ(戦闘機)にでも遭遇したら危ないなあ」と言って機長が笑った。当時、全日空はまだ国内専門で、国際線にデビューしていなかった。翼に描かれた見慣れぬANAの文字。他国の戦闘機に「怪しい奴」と思われたら大変、というジョークだったのだ。

今でも767に乗るたび、旧友に出会ったような懐かしさと安らぎを覚える。地上を離れた途端、爆睡するのはそのせいか。いや、乗り越しの心配がないだけかもしれない。

37年ぶりの赤字に遭遇したテレビ界

2008年11月15日 | テレビ・ラジオ・メディア
民放キー局の9月中間連結決算が発表され、日本テレビとテレビ東京の“赤字転落”が話題となっている。

まあ、赤字といっても、その額は日テレ12億円、テレ東3億円であり、経営的危機迫るといった事態じゃないのは当然。社会全体の経済状況の影響が、遅ればせながらテレビ界にもやってきた、ということだ。

むしろ驚いたのは、日テレの赤字が37年ぶり、テレ東のそれが33年ぶりという、これまでの“順調ぶり”のほうである。「いい時代」が長く続いてきたわけです。

このタイミングで、トヨタ自動車の奥田相談役が、「マスコミが厚生労働省を叩きすぎる。報復もありだ。スポンサー引くとか」などと発言をしたことが報じられた。年金問題に関する報道への“批判”だそうだ。

モノを作って売る企業にしてみれば、「不況を伝える報道自体が不況感を助長する」という意識がある。最近の経済報道をハタ迷惑と感じていたかもしれない。

日本最大のスポンサーといってもいいトヨタに「スポンサー引くとか」と言われたら、テレビ局としても、そりゃビビる。

ただでさえ、トヨタは今年の広告宣伝費を前年より3割カットしている。日テレが、赤字に関して説明した「化粧品、飲料、自動車のCM収入が前年を大きく下回った」はリアルなのだ。

もちろん、テレビ局が、厚生労働省に関する報道を、そう単純に“抑え”たり、“控え”たりの「自粛」などするはずはないが(してはならないが)、広告放送の辛いところで、完全に無視することはできないのも事実。

今後、各局の報道の“トーン”に注目だ。

北海道から届いた“お宝”

2008年11月14日 | 本・新聞・雑誌・活字
札幌の、なじみの古本屋さんで買った本が、宅配便で届いた。ほんと、便利だ。宅配便の開発者に感謝。

この日は、いつも必ず”私にとってのお宝”が見つかる店先の格安ワゴンで、大量の古いポケミス(ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブック)を発見した。その中からエド・マクベインの<87分署シリーズ>を選んで購入したのだ。数えてみると39冊あった。

嬉しかったのは、39冊の中に、ずっと欲しかったNO.575「キングの身代金」があったことだ。しかも昭和35年に出た初版(!)。中身も48年前の本とは思えない美しさだ。

よく知られているように、黒澤明監督の「天国と地獄」の原作である。原作とはいっても、丸ごとシナリオ化されたわけではなく、映画では様々な、しかも見事なアレンジが施されている。

とはいえ、「キングの身代金」を読み直してみると、三船敏郎が演じた製靴会社重役の状況、住み込み運転手の子どもが“人違い”で誘拐されるなど、骨格はそのまま映画に移植されていることが分かる。

しかし、まあ、そんなふうに映画との違いを探すのも面白いが、それよりエド・マクベインお得意の風景描写や、スティーヴ・キャレラやマイヤー・マイヤーなど刑事たちの取り組みと人間臭さを、素直に堪能したほうがいい。

それにしても、このポケミスたち、どんな人が集めていたんだろう。本の状態から見て、同じ人のコレクションだ。

大事に保存してきたコレクションを、今度はなぜ、手放したんだろう。引越し? いや、本好きは、ましてやポケミスファンは、どこまでも持っていくはずだ。

昭和30年代からポケミスを読んでいたとすれば、今はそれなりの年齢のはず。うーん、もしかしたら、持ち主が亡くなってしまい、遺族が処分したのかも・・・とかなんとか、妄想してしまうのも古本ならでは。

札幌では、87分署だけではなく、昭和29年の清沢洌「暗黒日記」ダイジェスト版(東洋経済新報社)や、初版から4年後の昭和16年12月(パールハーバー!)に出た川端康成「雪国」(創元社)なども入手した。

こういう本たちを手に取ると、歴史というか、その時代に触れたような気がしてくる。これもまた古書の楽しみの一つだ。

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)
エド・マクベイン
早川書房

このアイテムの詳細を見る


暗黒日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)
清沢 洌
筑摩書房

このアイテムの詳細を見る


雪国 (新潮文庫 (か-1-1))
川端 康成
新潮社

このアイテムの詳細を見る


生出演でのコメント

2008年11月13日 | テレビ・ラジオ・メディア
11日(火)午前中に出演した「トークDE北海道」(北海道文化放送)は、「妊婦受け入れ拒否」の問題を扱っていた。

産婦人科の医師などをゲストに招き、東京の墨東病院などで起きたようなことが北海道でも起こり得るのか、また北海道における産科の状況、そして問題の患者さんたちが「脳出血」で亡くなっていることに注目していた。

専門的なことは、スタジオにいらした2人の医師が解説してくださったので、かなりよく分かった。そこで、私自身は、この件をめぐる報道の中でずっと気になっていたことについて、話をさせていただいた。

それは、現在、新聞もテレビも一様に使っている「受け入れ拒否」という言葉だ。これを見たり聞いたりすると、かつてのタクシーによる「乗車拒否」を思い出してしまう。自分の都合や利益のために“はねつける”拒否だ。

この件に関係した病院の、そのときの状況を見ていくと、それぞれに事情がある。もちろん、中には「拒否」といわれても仕方ないようなものもある。しかし、その一方で、受け入れたいのだが、物理的なことも含めて、それが「困難」だったり、「不能(不可能)」だったりする病院も存在する。

そんな事情・背景をそん度することなく、すべてひっくるめて「拒否」として伝えられているように思う。

「拒否」と聞けば誰もが反発・反感を覚える。なにしろ“救うことを拒否”するんだから。イメージとしての、ひどい病院、悪い医者。

ただ、そんなふうに感情的になること、感情に流されることで、この問題の大事な部分や本質的なことに関する議論がきちんと進まなくなる危険性があるのではないか。それを危惧するのだ。

「拒否」という、白黒がくっきりした“わかりやすさ”が生む危うさ。

「拒否」と、「困難」や「不能」の間にあるものを伝えていくのもメディアの役割だと思ったので、まあ、そんな感想を述べたわけです。


この日の午後に出演した「イチオシ!」(北海道テレビ)では、「定額給付金」のニュースでコメント。

高額所得者への対応がウンヌンされていたが、この給付金自体、なんだかなあ、という思いがある。

まず、この「ばら撒き」が、今のこの国の経済とか景気とかを浮揚させる効果があるとはあまり思えないのだ。効果あり、というなら試算データなりを示せばいい。

そりゃ、現在の経済環境の中で、市民・国民としては、一軒に対して数万円を「くれる」といわれれば、「どうも」といって受け取ってしまうかもしれない。

でも、「もらう」理由がすっきりしない。自らの悪政に関する“お詫び金”とか、国民への“お見舞い金”だというなら、まだ分かるけどね。もしかして、悪政を批判させないための“口止め料”だったりして。その類なら安すぎる(笑)。

結局、この「ばら撒き」が、まるで「施し」とか、「お恵み」のように見えてしまうのだ。

それに「選挙対策」であるのも明白だし。元のお金は国民の税金でしょ? それを使って人気取り、選挙対策ってのが気に入らない。

何兆円もの貴重な税金、もっと他に有益な使い方があるんじゃないのか、といった話をさせていただきました。

この秋、大量発生した<「感動」バラエティー>

2008年11月12日 | テレビ・ラジオ・メディア
先日、読売新聞から、「グーグル・ストレートビュー」とは別に、最近のバラエティ番組に関する取材を受けた。この秋、大量発生した<「感動」バラエティー>についてだ。

昨日11日の夕刊に記事が出たが、その中に、コメントが掲載されている。記事は森田睦記者。

記事タイトル:「感動」バラエティー花盛り

見出:民放3局 エピソードや歌を紹介

リード:
「感動するエピソード」を題材としたバラエティー番組が、10月から日本テレビ系、TBS系、フジテレビ系でそれぞれ始まった。クイズやお笑いタレントの一発ネタ全盛の中、なぜ今、バラエティーで「感動」なのだろうか。(森田睦)

本文:
フジ系「エチカの鏡」(日曜後9・00)は、実際にあった心動かされる話を、関係者の証言や当時の写真、映像を交えて紹介する番組だ。エチカとは、ラテン語で倫理の意味。これを「人の生きる道」「生きるヒント」と広く解釈して番組名にした。

エピソード紹介は毎回3本。まず、「あなたの生きがいは何ですか?」など、各エピソードのテーマに沿った問いかけに、レギュラーのタモリやゲストが体験談などを披露。その後、VTRを流し、見終わった後に改めて感想を言い合う形式で進行する。感動のあまり涙を流すゲストもいる。

宮道治朗プロデューサーによると、「人のふり見て我がふりどうなの?」というメッセージを込めたという。「放送される日曜の夜は、仕事から離れた素の状態で見る視聴者が多い。改めて自分を見直すきっかけになれば」。また、司会のタモリは「世の中に嫌な事件が多いから、(感動をテーマにした)こういう企画が出てきたのでは」と話す。

同じく日曜に、TBS系「地球感動配達人 走れ!ポストマン」(後10・00)が放送されている。依頼人の熱い思いが詰まった荷物を、若手芸能人が世界各地の受取人に配達するまでを追う。

配達人が海外に飛び出し、あまり現地についての情報がない中、出会った人と温かい交流をするという趣向は、9月までこの枠で放送されていた「世界ウルルン滞在記」の雰囲気を継承しており、感動系バラエティーの一つの型として定着している。

歌に焦点を当てたのが、日本系「誰も知らない泣ける歌」(火曜後9・00)。歌い手の下積み時代の苦労や夫婦愛など、歌詞にまつわるエピソードを紹介してから実際に歌を流すという趣向で、感情移入してじっくり聴けるような工夫がされている。

視聴者の反響も大きく、10月7日の初回放送から1週間で約1万6000件のメールや封書が寄せられた。「泣いてすっきりした」などの感想が多く、遠藤正累(まさたか)プロデューサーは「普段の生活の中では、意外と泣くことがない。だから泣ける番組が求められているのかもしれない」と話している。

テレビに詳しい碓井広義・東京工科大学教授(メディア論)は、「雑学系バラエティーが過当競争気味のため、新しいキーワードとして『感動』が出てきた。視聴者が自発的に感動する番組は生き残るが、うわべだけの感動を押しつけるような番組は淘汰(とうた)されるだろう」と話している。

(2008年11月11日 読売新聞)

ストリートビューは”グーグル・アイ”か?

2008年11月10日 | 日々雑感
読売新聞から、「グーグル・ストリートビュー」について、コメントの依頼。

これ、確かに面白い。グーグルアースやマップの“俯瞰”もなかなかだったが、今度は“平面”。すごいものだと思う。

私も、たぶん他の人と同じで、真っ先にチェックしたのは自宅周辺だ。まあ、見える、見える。わざわざ最寄り駅からスタートして、自分の家まで行ってみた。

途中の見慣れた風景(当たり前だ)が、やけに新鮮に見える。ふと立ち止まって、「あ、ここのマンションの壁面て、こんなデザインだったのか」などと、仔細を観察したり。

で、我が家に到着ということになるのだが、家の前の駐車スペースに置いてあるクルマまで、しっかり見えている。車種もわかる。「ちゃんとあるねえ」と思いつつも、これが他人の目線であれば、「ふふーん、ここのウチは、こういうクルマを持ってるんだあ」などと観察されるんだよな、と気がついた(遅いけど)。

これって、どうなのか。クルマだけでなく、家そのものだって、個人のプライバシーではなかろうか。そりゃ、道路から見えるんだから、厳密な意味でのプライバシーではないかもしれないけれど。

しかし、日本の場合は、元来、道を歩きながら他人の家をじろじろ見ないという慣習というか、奥ゆかしさというか、一種のモラルというか、そういう文化がずっとあった。いや、今でもあるはずだ。たとえ、低い生垣であっても、それを超えて目線を奥には送らない、みたいな。

ところがですね、ストリートビューは、そんな文化などお構いなし。クリック一つで、どんなお屋敷もアパートも眺めることができる。グーグルマップとセットで使えば、「あの人の、この家」をチェックすることが可能だ。

もちろん、有効かつ有益な使われ方もされるのだろう。それは承知の上で、やはり「プライバシー問題」と「防犯問題」は気にかかる。

しかも、ネットを通じて、知らずに他人から見られている。それどころか、「見られて(覗かれて)いること」を知らないままの人がいる(デジタルデバイスね)。そのあたりを、どう納得させてくれるのか。

ちょっと前に見た映画「イーグル・アイ」を思い出す。イーグル・アイならぬ「グーグル・アイ」(笑)。

<いかにも監視社会>というのとは別の、<からめ手の監視社会>が現出しているような、落ち着かない気分です、と読売新聞さんにはお答えした。

監視社会
デイヴィッド ライアン
青土社

このアイテムの詳細を見る



えーと、今日の午後は、客員教授をしている北海道・千歳の大学で授業があり、夜は道内のテレビ関係の方たちとドラマの勉強会。

明日11日(火)は、午前と午後、いつものゲスト・コメンテーターとして生出演します。

■11月11日(火) 9時54分~
 『のりゆきのトークDE北海道』 北海道文化放送(フジテレビ系)
■11月11日(火) 15時45分~
 『イチオシ!』 北海道テレビ(テレビ朝日系)