碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

最後の「言いたい放談」、そして4月から・・・

2013年03月21日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載してきたコラム「言いたい放談」。

ラストとなる今回は、この2年間への感謝をこめて書きました。


これからも大竹さんと

このコラム、今回が最終回になる。あれも書きたい、これも言いたいと思いながら瞬く間に二年間が過ぎた。初めてお会いする人から、「東京新聞、読んでますよ」と言われたりすると実にうれしかった。

テレビプロデューサーをしていた頃、スタッフによくこんなことを言った。「いつまでもあると思うな、親とレギュラー」。もちろん本当は親とカネだが、レギュラー番組をやっているとつい永遠に続くような気になってしまう。そこに油断や隙が生じる。番組作りに甘さが出る。
それを自戒する言葉でもあった。

実際、どんな番組にも終わりはやってくる。視聴率が低ければ三回で消滅することもある。いや、評判がよくても放送局の事情やスポンサーの都合、時には不祥事で、番組は簡単に終わってしまう。その意味で、無事完走させていただいたことを、読者の皆さんに感謝し
ます。

そして、最後にひとつ報告を。なんと四月五日からBSジャパンの新番組「大竹まことの金曜オトナイト」(金曜夜十時五四分)にレギュラー出演することになった。週末深夜に展開する大人のための“言いたい放談”番組。どんな内容になるのか、私にも未知数だ。しかし、何かを生み出す試行錯誤ほどワクワクするものはない。

楽しい試行錯誤の連続だったこの二年、本当にありがとうございま
した。

(東京新聞 2013.03.20)

力作だった『希望の翼~あの時、ぼくらは13歳だった』(tvk)

2013年03月07日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載中のコラム「言いたい放談」。

今回は、tvkのドキュメンタリードラマ『希望の翼~あの時、ぼくらは13歳だった』について書きました。


時間と国境を越えた友情

二日の夜、ドキュメンタリードラマ『希望の翼~あの時、ぼくらは13歳だった』を見た。tvk(テレビ神奈川)と韓国KBSの共同制作によるものだ。

一九四五年、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で二人の中学生が出会う。実在の日本人、寒河江正(さかえ・ただし)と韓国人の羅逸星(ナ・イルソン)だ。当時、校内で朝鮮語は禁じられていたが、羅はつい口にしてしまう。非難する日本人の同級生たち。その時、寒河江が叫ぶ。「朝鮮の人たちが朝鮮語を話して何が悪い!」

こうして始まった友情も日本の敗戦で途切れてしまう。再会できたのは四十一年後のことだ。寒河江は音楽プロデューサーに、羅は天文学者になっていた。一昨年、二人は対談と記録で構成された共著『あの時、僕らは13歳だった~誰も知らない日韓友好史』を上梓したが、それがこのドラマの原作である。

主演、国広富之。総合監督は『岸辺のアルバム』の大山勝美だ。描かれる戦時中のエピソードはもちろんだが、韓国で日本文化が開放される以前から寒河江たちが続けてきた、音楽による民間交流の取り組みも見どころだ。そこには互いの歴史と文化に対する敬意がある。

二十三日の午後二時からBS-TBSでも放送される。Tvkは二十七日午後七時から再放送。若者を含む幅広い年代の人たちに見てもらえたらと思う。  

(東京新聞 2013.03.06)

「周年」あれこれ

2013年02月21日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載している「言いたい放談」。

今回は、記念の年としての「周年」について書きました。


今年って何周年?

今年はなぜか身近な「周年」が多い。まず、上智大学が創立百周年を迎えた。元々は四六十年前、来日したフランスシスコ・ザビエルが「日本の首都に大学を」とローマに希望したことがきっかけだ。日本初のカトリック系大学として開設されたのは一九一三(大正二)年。パリ大学に学び教授の資格を得ていたザビエルさんに感謝だ。

また今年はテレビ六十周年。私はテレビを浴びるように見て育った。大好きだった。小学生の頃、ブラウン管の前から動かない私に怒った父がテレビを持ち上げ、縁側から投げ捨てようとしたこともある。息子が将来、番組制作や放送研究の仕事に就くなど想定外だったろう。

テレビ放送開始から十年目に放送批評懇談会が誕生する。放送文化の振興と放送の発展に寄与すべく、評論家や研究者などが設立した団体だ。五十周年の今年はギャラクシー賞などの通常活動以外に、記念イベントや論文集の出版が行われる。

もう一つ。実は来週、わが家は結婚三十周年となる。どんな事業や取り組みも、立ち上げること以上に継続することが大変だといわれる。ならば称賛されるべきは私の超人的忍耐力だ。高校の同級生なので今も「碓井くん」と呼ばれ、合議・対等・役割分担が家訓である。ただ、私がどんなにテレビを見ていても決して怒ったりしないことだけはありがたい。

(東京新聞 2013.02.20)

テレビ60年と倉本ドラマ

2013年02月07日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞の連載コラム「言いたい放談」。

今回は、テレビ60年をめぐる動きを見ながら、思っていたことを書かせてもらいました。


テレビをなつかしむ資格

一九七五(昭和五十)年三月二十九日の夜、フジテレビが2クールにわたって放送してきたドラマ『6羽のかもめ』が終わった。脚本は倉本聰さん。最終回のタイトルは「さらばテレビジョン」だ。

劇中劇では、政府が国民の知的レベルを下げるという理由でテレビ禁止令を出す。終盤、山崎努演じる放送作家がカメラに向かって自分の思いをぶつける場面があり、伝説の名せりふが繰り出された。

「だがな一つだけ言っとくことがある。(カメラの方を指さす)あんた!テレビの仕事をしていたくせに、本気でテレビを愛さなかったあんた!(別を指さす)あんた!――テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた!(指さす)あんた!よくすることを考えもせず偉そうに批判ばかりしていたあんた!あんた!! 

あんたたちにこれだけは言っとくぞ!何年たってもあんたたちはテレビを決してなつかしんではいけない。あの頃はよかった、今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、後になってそういうことだけは言うな。お前らにそれを言う資格はない。なつかしむ資格のあるものは、あの頃懸命にあの情況の中で、テレビを愛し、闘ったことのある奴。それから視聴者――愉しんでいた人たち」

今月、テレビは六十歳を迎え還暦の祝いで賑やかだが、倉本さんが放った矢は私たちを射抜いたままだ。

(東京新聞 2013.02.06)


昭和30年代のテレビっ子たち

2013年01月24日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回を、先日亡くなった元横綱大鵬からの連想です。


君は大鵬を見たか

元横綱大鵬の訃報に接して、すぐ頭に浮かんだのは幼なじみの顔だった。名前は稔くん。親戚で家は隣同士、生まれたのも同じ年だ。昭和三十年代の子供として一緒に遊びながら育った。

「巨人、大鵬、卵焼き」は確かに私たちが好きだったものだ。その頃、故郷・信州のテレビはNHKと民放一局。プロ野球中継といえば巨人戦であり、子供は自動的に巨人ファンになる。

大相撲中継もよくどちらかの家で見た。千秋楽で大鵬と柏戸の決戦が毎回のように行われ、ほとんどは大鵬が勝った。一度、全勝同士の取組で大鵬が敗れたことがあり、その時、私は悔しまぎれに柏戸の悪口を言った。

ところが同意してくれるはずの稔くんが「うん」と言わない。それどころか、なぜ大鵬が負けたのかを、取り口を振り返りながら説明しはじめたのだ。勝った理由ではなく、負けた原因を探る作業は楽しくはない。しかし、稔くんが示した「逆からの視点」は新鮮だった。調べてみるとそれは昭和三十八年の九月場所で、二人は八歳だった。

私は北海道の大学に赴任して以来、日本ハムファイターズのファンだ。大相撲は夜のダイジェストしか見ていない。だが、かつて母が作ってくれた甘い卵焼きは好きなままだ。私に「失敗学」の基礎を教えてくれた稔くんも大人になって、現在はエプソンの社長をしている。

(東京新聞 2013.01.23)

大河ドラマ「八重の桜」第1回に、拍手

2013年01月10日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

2013年の初回は、大河ドラマ「八重の桜」について書きました。

NHK、かなり、チカラ入ってます(笑)。


スタートした「大河ドラマ」

NHK大河ドラマ「八重の桜」が始まった。見る前は「新島襄の奥さんって言われてもなあ」などと思っていたが、第一回の終了後は
「来週も見よう」と即決。ゲンキンなものだ。

まず物語をアメリカ南北戦争から始めるあたりが憎い。八重が生きた時代を、「世界史の中の日本」として視聴者に印象づけた。それも歴史番組の再現シーンではなく本格的な映像で。作り手側の“心意気”みたいなものを感じさせるには十分だ。

次に、いきなり戊辰戦争での八重の姿、いや「綾瀬はるか」を見せたのがうまい。もちろんすぐに幼少時代へと話は移るが、今回の主人公が誰なのかを知らしめると同時に、ドラマの流れを予感させる効果を生んだ。

その上で、旬の男優陣が続々と登場する。やがて八重の最初の夫となる洋学者は「セカンドバージン」「鈴木先生」の長谷川博己。若き会津藩主に「カーネーション」の綾野剛。砲術家である八重の兄は「ダブルフイス」の西島秀俊だ。いずれも昨年以上の活躍が期待される面々であり、吉田松陰の小栗旬もうかうかしてはいられない。

今年の大河は幕末から昭和初期という激動の時代が背景だ。しかもヒロインは会津生まれで、当面の舞台は福島県である。この二年間、心痛の多かった福島の皆さんへのささやかな励ましになればいいと思う。 

(東京新聞 2013.01.09)



2012年のあれこれ、マイベスト

2012年12月27日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回が年内ラストとなるため、いくつかのジャンルで選んだマイベストについて書きました。

2012年のマイベスト

年末の新聞や雑誌で見かける「今年のベストテン」。それにならって、独断と偏見のマイベストを選んでみた。

まずドラマでは、TBS・WOWOW共同制作の「ダブルフェイス」を挙げたい。ヤクザ組織に潜入している刑事(西島秀俊)と警察内部に潜むスパイ(香川照之)。二人の綱渡りのような生き方から片時も目が離せなかった。テレビドラマがここまで表現できるという意欲作だ。

次に洋画から一本を選ぶなら、クリント・イーストウッド主演「人生の特等席」だろうか。視力の衰えた老スカウトマンとその娘の物語だ。人生の引き際をどう迎えるか。次の世代に何かを託す勇気を教えてくれた。

邦画では西川美和監督の「夢売るふたり」だ。結婚詐欺を仕掛ける人妻(松たか子)が見せる、女性の強さと怖さに鳥肌が立つ。舞台「ジェーン・エア」もそうだったが、女優・松たか子の存在感が半端ではない。

年間約二五〇冊分の書評を週刊誌に書いているが、“今年の一冊”は小熊英二「社会を変えるには」(講談社現代新書)である。

最初に戦後の歩みと社会運動の歴史を思想的に解説する。さらに民主主義や自由主義の価値や限界を考え、「社会を変える」ことがいかにすれば可能かを探っていくのだ。運動を人間の表現行為、社会を作る行為として捉える視点が多くの示唆に富んでいた。

(東京新聞 2012.12.26)



チーム「鈴木先生」による特別講義

2012年12月13日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞の連載コラム「言いたい放談」。

今回は、先週行われたドラマ&映画「鈴木先生」をめぐる特別講義のことを書いています。


「鈴木先生」の特別講義

「大衆文化論」という授業で、登場人物と物語構成を軸にしてテレビドラマと社会の関係を考察している。教材は昨年放送され数々の賞を受けたドラマ「鈴木先生」(テレビ東京)だ。独自の教育理論をもつ中学教師(長谷川博己)が、悩みながらもリアルな問題と向き合っていく。特に鈴木先生の思考過程を心の声と画面上の文字で表現する手法が評判を呼んだ。

先日、原作者で漫画家の武富健治さん、河合勇人監督、山鹿達也プロデューサーに来ていただき、特別講義が行われた。一人の漫画家が生み出した作品が、多くの人たちの力でドラマ化され、さらに来年1月には映画も公開される。学生たちにはそのプロセスを学ぶと共に、“創造する人たち”のエネルギーみたいなものを感じて欲しかった。

河合監督は「(原作の)先生や生徒が熱い。キャラクターが汗をかいていることに共感し、 ぜひ映像化したいと思った」そうだ。また、武富さんは「ドラマでは漫画の過激な部分が削られると思っていたら、逆にそこが残っていました」と笑った。

そして山鹿プロデューサーの「今やテレビは安定した業界ではありません。でもドラマは後の時代にもずっと残る。予算や時間を理由に妥協したくありません」という言葉も印象に残る。このまま“朝まで生授業”でもいいかと思うほど刺激的な90分だった。 

(東京新聞 2012.12.12)


三島由紀夫と今年の11月25日

2012年11月29日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回は、先週の日曜、11月25日が命日だった三島由紀夫について書きました。


42年後の「11月25日」

十一月二十五日は三島由紀夫の命日だった。自決したのは昭和四十五(一九七〇)年。当時私は高校一年で、意識して作品に接したのは没後からだ。

やがて三島自体に興味を持ち、毎年この日の前後に、私が“三島本”と呼ぶ関連書籍の新刊を読む。

たとえば二〇〇二年の橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』。〇五年は中条省平の編著『三島由紀夫が死んだ日』。椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』は〇七年だ。

一〇年には多くの三島本が出て、『別冊太陽 三島由紀夫』には川端康成宛ての手紙が載った。「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です」という言葉が印象に残る。

今年は柴田勝二『三島由紀夫作品に隠された自決への道』を読んだ。「潮騒」から「豊饒の海」までを分析し、その死の意味を探っている。

だが、これを読みながら気づいた。私は三島を理解したい一方で、未知の部分を残しておきたいらしい。新たな三島本でも謎が解明されていないことに安堵しているのだ。

先日の二十五日は日曜だったが、入試があり大学に来ていた。三島が自決した正午すぎ、たまたま上階にある研究室に戻った。

窓外には四谷から飯田橋方面にかけての風景。正面に背の高い通信塔が見える。そこに位置する防衛省本省庁舎、かつての陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に向かって合掌した。

(東京新聞 2012.11.28)



あの愛すべき「ハコ(BOX)」をめぐって・・・・

2012年11月15日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載中のコラム「言いたい放談」。

今回は、ついつい入手したくなる、あの「ハコ」をめぐって書いています(笑)。


わが家の箱モノ行政

ケンカの火種は“箱モノ”である。以前から多くの批判を受けていた。政敵はこれ以上箱モノが増えることを拒否し、現存するものも仕分けが検討されていた。そこを強行突破したのだから、もめるのは当然だ。

新たに登場した箱モノの名は「007製作50周年記念版ブルーレイBOX」。第一作「ドクター・ノオ」から第二十二作「007/慰めの報酬」までの全作に加え、特典映像や豪華収納ケースも付いている。中学時代からこのシリーズを見続けてきた者として入手は当然だった。

しかし、あちらの主張も一理ある。箱モノとしては、すでに「スター・ウォーズ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ゴッドファーザー」などが山積みだ。しかも、いずれのシリーズもすべてVHSと普通のDVDを持っており、それで十分ではないかと言うのだ。「おっしゃる通り。確かに必要性はない。だが必然性はある」などと答弁するので、また集中砲火だ。

ついに最後の弁明。いいかい、私が大富豪だと想像してごらん。そして映画会社に私だけのために二十二本の007映画を発注する。請求書の数字は恐らく天文学的だろう。ところがこのBOXはまさにそれを実現したのだよ、このわずかな予算でね。

いや、もちろんこれで政敵が納得するはずもなく、我が家の箱モノ行政をめぐる攻防は今も続いている。

(東京新聞 2012.11.14)

共同制作ドラマ「ダブルフェイス」というチャレンジ

2012年11月01日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回は、ドラマ「ダブルフェイス」(TBS&WOWOW)について書きました。

TBSでも、年明けには、WOWOWでやった「後編」を放送するみたいです。


 共同制作ドラマの秀作

久しぶりだった。ドラマの続きを心待ちにするなんて。TBSとWOWOWの共同制作ドラマ「ダブルフェイス」である。

TBSが今月十五日に流した「潜入捜査編」は、ヤクザの幹部になっている捜査官(西島秀俊)が主人公。

その闇組織のボスに育てられ、今はスパイとして警察内部に潜む刑事(香川照之)を描く「偽装警察編」は、二七日にWOWOWで放送された。

正体を暴かれることへの恐怖。本当の自分が見えなくなる不安。そんな葛藤を抱えた男たちを、それぞれの代表作になりそうなハマり方で、二人の俳優が演じている。

また映画のようにワンカットずつ丁寧に撮影された、陰影のある映像にも力があった。監督は「海猿」の羽住英一郎だ。

通常のドラマと比べて数段高い完成度は、二つの放送局が手を組んだことによる成果だろう。

特にWOWOWにとって今回のチャレンジは大きい。このドラマを見るために加入した人は少数でも、放送局としての姿勢や意欲をTBSを通じてアピールできたのだから。

放送界も生き残り競争の時代。不動産業、ウエディング事業、通販にオンラインゲームと、各局は「放送外収入」の確保にやっきとなっている。

しかし本来の放送事業、本線の番組作りの中にこそ、国民の共有財産である電波を使う“免許事業者”としての足場があるはずだ。

(東京新聞 2012.10.31)

AKB48「大握手会」で見たもの

2012年10月18日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載中のコラム「言いたい放談」。

今回は、先日行ってきたAKB48の「握手会」について書いています。


AKB48の握手会

AKB48の「握手会」に行ってきた。いや、握手するためではない。
握手会というイベントそのものを見てきたのだ。

最近、AKB 48について書いたり、コメントしたりする機会が多い。
また大学のゼミでは、卒論のテーマにする学生も現れている。専門であるメディア論の研究対象として、「現地・現物」に接しておきたかった。

会場は晴海の東京ビッグサイト。一万人を超す人間が何十もの列に分かれ、自主的かつ整然と並んでいる光景はちょっと不思議だ。
しかも長い行列の先にあるのは、横並びの白いテントに過ぎない。

もちろん中には「直接会えるアイドル」がいて、握手と短い会話ができる。ただし、列の人数には違いがあり、人気度は一目瞭然。格差ならぬ完全な“落差社会”だが、その差をどこまで自分で埋められるシステムなのか、興味深い。

実は一番感心したのが、会場の一角に設けられた「支配人の部屋」だ。ここにはAKB 48を運営する事務所の代表がいて、ファンと個別面談をしている。支配人が聞くのはAKB 48への応援の言葉、意見や要望、時に強いクレームだったりする。

一人で何時間も立ったまま対応するのは大変なはずだが、ファン(顧客)と直接向き合うことで得られる“市場感覚”はかなり貴重だろう。このあたりにも人気の秘密がありそうだ。

(東京新聞 2012.10.17)

15年続いた、「踊る大捜査線」

2012年10月04日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

先日、「これで最後」を標榜する映画版を見てきたこともあって、放送開始から今年で15年になる「踊る大捜査線」について書きました。


「踊る大捜査線」15年

映画「踊る大捜査線 THEFINAL 新たなる希望」の観客動員が好調だ。ドラマの放送開始から十五年。支持され続ける理由を考えてみた。

まず新しい視点の警察ドラマだったこと。サラリーマンとしての刑事を描き、キャリアとノンキャリア、本庁と所轄など警察内部の対立や矛盾も見せてくれた。

次に魅力的な登場人物だ。織田裕二演じる青島だけでなく、柳葉敏郎の室井、深津絵里のすみれなどが、緩急自在な脚本を得て生き生きと動き回った。

映画版はそれまでの常識を覆して、テレビと同じスタッフが制作を担当したことが大きい。おかげで映画ファンを超えた、より幅広い層を取り込むエンターテインメント作品になった。また、テレビによる大量宣伝とネットの活用も功を奏した。

一方では辛口の評価もある。いわく、作家性を排した軽めの映画が増えた。ヒット自体が目的化した。「地味でも佳作」という映画を追いやった。公共の電波の「私物化」によるプロモーションなどだ。何よりその仕組みだけをまねた、安直な「ドラマの映画化」が横行したことは否めないだろう。

とはいえ、このラスト作品には十五年間の感謝を込めた大ネタ・小ネタが満載で、やはり楽しい。多くの人に「映画館で見る映画っていいじゃん」と思わせてくれたことが最大の功績かもしれない。

(東京新聞 2012.10.03)


東京新聞に、映画「夢売るふたり」のことを書きました

2012年09月20日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載中のコラム「言いたい放談」。

今回は、映画「夢売るふたり」をめぐる話を書きました。


  西川美和監督の新作

映画「夢売るふたり」を見てきた。夫(阿部サダヲ)と“共謀”して結婚詐欺を仕掛ける妻(松たか子)が秀逸だ。

最初はいわゆる「健気な妻」に見えていたが、とんでもない。恐らく女性なら誰でも持っていて、でも男にはちゃんと見えていない、胸の奥に潜み、腹の底に眠る業(ごう)のようなもの、その“怖さ”を存分に味わうことができた。

西川美和監督の作品は、「蛇イチゴ」以来すべて見ている。自然なようでいて、実は異様なシチュエーション(設定)を納得させる脚本が、また一段とパワーアップしたように思う。

約十四年前、映画「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督)の撮影を見に行った。テレビマンユニオンの後輩である是枝監督の激励だけではない。当時小学生だった娘がエキストラとして参加していたのだ。

是枝組には女性スタッフが何人かいて、きびきびした動きで現場を支えていたが、その中の一人が西川さんだった。やがて彼女は西川監督となり、毎回私たちに驚くべき人間ドラマを見せてくれる。

「夢売るふたり」では松さん以外にも、木村多江さん、鈴木砂羽さんなど、ゴヒイキの女優がそれぞれの持ち味を生かして競演している。そういう意味では“怒涛の女性映画”と言っても過言ではない。阿部サダヲさんならずとも、いつだって男は女性に敵わないのだ。 

(東京新聞 2012.09.19)


ワイルドも、いろいろだぜえ~

2012年09月06日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に連載しているコラム「言いたい放談」。

今回は、あの「ワイルドだぜえ~」について書きました。

ワイルドも、いろいろだぜえ~(笑)。


ワイルドな晩夏

タレントの「スギちゃん」が大ケガをした。十メートルの高さからプールに飛び込み、胸椎骨折。ご本人には「お大事に」と言うしかないが、「テレビはまだそんなことやってんの?」と思った人も多いはずだ。

この高さは誰だって怖い。テレビは尻ごみする姿を見せて笑わせようとするが、これを面白がっているのは作り手だけではないのか。ワイルドには「野性的」以外に、「素っ頓狂な」の意味もある。こんな番組に対しては「素っ頓狂だぜえ~」と言ってやりたい。

北海道の番組でコメンテーターをしており、数日前も札幌に行ってきた。この日のトップニュースは「クマ出没」。札幌市内の住宅街で頻繁にクマが目撃されているのだ。食料問題などクマにはクマの事情があるようだが、ワイルド過ぎる。

とはいえ、クマだって戦々恐々だろう。ワイルドは「突飛な」と解釈可能であり、人間との遭遇はかなり「突飛だぜえ~」のはずだ。住民にケガのないうちに、クマも無事、山へ帰ってほしい。

さて永田町方面だが、相変わらず与野党ともに大阪維新へのすり寄りばかりが目立つ。また一国の財務大臣が「国には、ほんとお金がないんです」と公言してしまうのも、あまりに勝手な振る舞いだ。ワイルドは「奔放な」とも訳せるが、「奔放だぜえ~」と笑って済ませる話ではない。  

(東京新聞 2012.09.05)