碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

マイベスト本 2008

2008年12月31日 | 本・新聞・雑誌・活字
大晦日だ。

今年も、たくさんの本に、お世話になった。

忘れないうちに、今年読んだ本の中で、とても面白かったもの、印象に残っているものを、感謝を込めて挙げてみたい。

・伊集院 静『羊の目』(文藝春秋)
・朝倉かすみ『田村はまだか』(光文社)
・垣谷美雨『優しい悪魔』(実業之日本社)
・柳 広司『ジョーカー・ゲーム』(角川書店)
・本多孝好『チェーン・ポイズン』(講談社)
・天童荒太『悼む人』(文藝春秋)

・瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』(日本経済新聞出版社)
・開高 健『一言半句の戦場~もっと、書いた!もっと、しゃべった!』(集英社)
・佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)
・佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社インターナショナル)
・津野海太郎『おかしな時代~「ワンダーランド」と黒テントへの日々』(本の雑誌社)
・内田 樹『街場の教育論』(ミシマ社)
・樋口尚文『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書)


さあ、大晦日だ。

子どもの頃から、この大晦日が大好きで(笑)、それは今でも変わらない。

別に革命が起きるわけじゃないけど、除夜の鐘で百八つの煩悩を消し去り、一夜明けたら「新年」という新しい世界がやって来る、というのは素晴らしい智慧じゃないかと思うのだ。

とりあえず、今年は終了。いいことも悪いことも「あれもこれも去年までのことだし・・」ということにして、心新たにまたスタートする。

そう、来年は来年の風が吹くのだ。いや、吹かせればいい。

今年、個人的には、大きな転機となった。4月に、6年間を過ごした北海道の大学から東京工科大学へと動いたからだ。動くことで、公私共に、やはり何かが変わってくる。その変化も面白い。

新しい環境にも慣れてきたので、来年は、本格的にあれこれやってみたい。

何てったって「人生の時間」は有限だし。やりたいことから、どんどんやっていこうと思う。

というわけで、2008年から2009年へ。

今年、最後に観た映画

2008年12月30日 | 映画・ビデオ・映像
今年、最後に観た映画(ってことになりそう)は、『K-20 怪人二十面相・伝』。

いや、これはオススメです。面白い。

「怪人二十面相」と聞くだけで、子どもの頃から親しんできた乱歩先生の作品群が思い浮かんで(もちろんポプラ社版)、わくわくする。

この映画では、二十面相の“衝撃の正体”も明かされるのだが、全体としては北村想さんの原作とも違ったアレンジになっていて、それがまた上手い。

舞台は1949年の帝都。しかも、太平洋戦争は回避された“もうひとつの日本”という設定が秀逸。そして効いている。

戦争はなかったけれど、その代わり、華族制度が残っており、上層階級と下層階級の差が激しい。まあ、今の日本の「格差社会」の比じゃないわけだ。

帝都で大暴れしている怪人二十面相と、追いかける名探偵・明智小五郎(仲村トオル)。その永遠の戦いの中に、サーカス団の花形である遠藤平吉(金城武)が巻き込まれてしまう。明智の婚約者である財閥の令嬢・葉子(松たか子)も。

金城武、仲村トオルがそれぞれ適役。いや、ごひいきの松たか子はもっと適役(笑)。

再結集だという<『ALWAYS 三丁目の夕日』のスタッフ>が、また実にいい仕事をしている。目の前のスクリーンおいぱいに、“幻の帝都”が広がる様子など、素直に感動する。

監督の佐藤嗣麻子さんに関しては、恥ずかしながら『アンフェア』の脚本家としてしか、ほとんど知らなかったが、堂々たる演出に感心。約2時間半の長尺も、まったく飽きることなく見せてもらった。

きっと「続編」あり、だと思う。

2008年のラストが、この作品でよかった。

K-20 怪人二十面相・伝 公式ガイドブック
K-20製作委員会
角川グループパブリッシング

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怪人二十面相・伝 (小学館文庫)
北村 想
小学館

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年末にふさわしい読書

2008年12月30日 | 本・新聞・雑誌・活字
今年も、あとほんの少し。カウントダウン、秒読み段階となってきた。

新聞、雑誌の総括記事を読んでも、相変わらず悲観的な話が多い。まあ、仕方ないけど。

じゃあ、この国の経済って、何が、どうなって、現在の惨状にまでなったのか。 

年末までに(?)ざっくりでいいから知りたくなって、紺谷典子さんの分厚い新書本『平成経済20年史』(幻冬舎)を購入。

バブル崩壊と当時の大蔵省の罪のくだりを読むだけでも、十分腹が立ってくる。でも、事実を知ろう。

平成経済20年史 (幻冬舎新書 こ 9-1)
紺谷 典子
幻冬舎

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世代論じゃないけれど、清水幾太郎、福田恒存、丸山真男といった名前にピクッと反応するのは、70年代に大学生だった私たちの年代が“シンガリ”ではないだろうか。

粕谷一希さんの『戦後思潮~知識人たちの肖像』が日経新聞から出版されたのが81年。それが久しぶりで藤原書店から復刊された。

敗戦直後から1970年までの、社会・文化に大きな影響を与えた<知識人>133人が並ぶ。

巻末で粕谷さんと対談している御厨貴さんは、「30年前くらいの、ここに出てくるような知識人の書物」を<新古典>と呼んでいる。

思想の流れ、というより現在に至る社会の流れを、自分なりに整理・把握したいと思うとき、とても有効な一冊だ。年末にふさわしい読書(笑)。

戦後思潮―知識人たちの肖像
粕谷 一希
藤原書店

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嘘ひとつが命を救い、嘘ひとつで命を失う世界

2008年12月28日 | 映画・ビデオ・映像
映画『ワールド・オブ・ライズ』を観てきた。

リドリー・スコット監督で、レオナルド・ディカプリオとラッセル・クロウの競演とくれば、観るしかない。

結論。かなりいいです。

特に、ディカプリオのCIAエージェントが完全にハマっていた。最近のディカプリオ君、いいねえ。いわゆる「あぶらがのって」というやつ。

くえない上司のラッセル・クロウも、相変わらず上手い。役柄に合わせて体重を増やし、姿形も変えている。ほんと、何にでもなれちゃう役者さんだ。

「子煩悩なマイホームパパ」をしながら、リビングルームで厳しい指令を平然と送る様子は圧巻。

それに、舞台となっている中東のリアルな描写はどうだろう。

映画の中で展開されるのは、アルカイダのカリスマ的リーダーとその組織をぶっ潰すミッションだ。

ディカプリオが遂行するスパイ活動は緊張の連続で、その緊張感をまったくダレることなく見せてくれる。確かに、嘘ひとつが命を救い、嘘ひとつで命を失う世界だ。

結構長尺なのに、リドリー・スコット監督の“牽引力”がすさまじい。

いやあ、映画ならではの満足感でありました。

実在するジャーナリスト、デイヴィッド・イグネイシアスが書いた原作も読んでみたい。

ワールド・オブ・ライズ (小学館文庫)
デイヴィッド イグネイシアス
小学館

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寒梅、咲く。

2008年12月27日 | 日々雑感
今日、
我が家の庭で
梅の花が咲いているのに
気がつきました。

いつも
年が明けて
お正月に咲く寒梅。

今回は
ずいぶん早めの登場です。

放送批評的忘年会と2009年のテレビ・ラジオ

2008年12月27日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨夜、久しぶりで新宿に行った。

放送批評懇談会の理事、選奨委員、事務局の皆さんが集まっての忘年会である。

30年ぶりの「新理事長」となった音好宏さん(上智大教授)をはじめ、昨日の朝日新聞に「地デジ 利便性の先に見えぬ哲学」と題する秀逸な意見文を寄せた松尾羊一さん(放送コラムニスト)、麻生千晶さん(作家)、全国広報コンクール映像部門の審査でご一緒させていただいている嶋田親一さん(放懇理事)、坂本衛さん(ギャラクシー賞報道活動部門委員長・ジャーナリスト)などの方々が参集。

そうそう、ラジオ部門の選奨委員である日経BP社の黄莉香さんが慶大SFCの出身で、学生時代に私の授業を受けていたことも分かった。

「ああ、来てよかったなあ」と思ったのは、皆さんのスピーチを聞いていたときだ。それぞれが専門であるテレビやラジオやCMについて、短い挨拶の中に含蓄のあるエピソードを交えて語っていたのが刺激になった。

ちょうど昨日、内田樹さんがご自身のブログに書いていた以下のような文章を読んで、かなり考えるところがあったのだ。


テレビの制作費は以前の10分の1ほどまで下落しているそうである。TVCMの単価も値崩れしているから、テレビをつけると消費者金融とパチンコの広告ばかりが目に付く。電通はタクシー使用が禁止されて、営業マンは地下鉄で得意先を回っているそうである。
「テレビの時代」はおそらく終わるだろうと私は思っている。ビジネスモデルとしてもう限界に来た。簡単な話、「制作コストがかさばりすぎる」からである。テレビ業界に寄食している人の数があまりに多くなりすぎたのである。
これだけ多くの人間を食わせなければならないということになると、作り手の主たる関心は「何を放送するのか」ということより、「これを放送するといくらになるか」という方にシフトせざるを得ない。ビジネスとしてはその考え方でよいのだが、メディアとしては自殺にひとしい。
メディアとして生き残るためには、「放送することでいくら儲かるのか」から「放送することで何を伝えるのか」というメディアの王道へ帰還する以外に手だてはない。それは具体的に言えば「テレビで食っている人間」の数を減らすということである。
制作コストを今の100分の1くらいまで切り下げることができれば、テレビは生き残れるだろう。それなら、テレビマンたちは代理店やスポンサーや視聴率を気にせずに、いくらでも「好きなこと」ができるからだ。
作り手が「好きなこと」を発信することがメディアの本道である。その決断を下せないまま、今のビジネスモデルで、今のような低品質のコンテンツを流し続けていれば、ある日テレビは「業界ごと」クラッシュするだろう。
その日はそれほど遠いことのように私には思われない。そして、そのとき再び私たちは(BBC放送に耳を傾けたフランスのレジスタンスのように)ラジオの前に集まるようになるような気がする。
(ブログ「内田樹の研究室」2008.12.26)


読んでいて、思った。放送、特にテレビにとって大変な時代ではあるが、「テレビの存在そのもの」が悪いのではない。テレビに関わっている人間の側が問題なのだ、と。

いや、もっと言えば、テレビを儲けの道具“だけ”に使おうとすることが問題なのだ。その意味では、今、人間の側が、テレビから復讐されているのかもしれない。一度、徹底的に打ちのめされて、それから立ち上がるかどうか、だ。

そういえば、忘年会での雑談の中でも、ラジオの力、ラジオの可能性についての話が出ていた。2009年は<ラジオ再評価の年>になりそうだ。

年末年始に読む本

2008年12月26日 | 本・新聞・雑誌・活字
学生諸君はすでに冬休みに突入した。当然、キャンパス内は静かで、卒業研究にいそしむマジメな4年生か、体育館周辺で体育会系の学生たちを見かけるくらいだ。ふだん、人で賑わっている場所から、ふっと人影が消えるのも、なんだか年末らしくて味わいがある。

さて、私も間もなく冬休みに入るので、書店に行って、年末年始に読む本の“仕入れ”だ。

まずは、このところ新刊がばんばん出ている、内田樹センセイの本をいくつか。エッセイ集『昭和のエートス』(バジリコ)、対談集『橋本治と内田樹』(筑摩書房)、そしてブログのコンピ本『知に働けば蔵が建つ』(文春文庫)。まとめて読もう。

昭和のエートス
内田樹
バジリコ

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橋本治と内田樹
橋本 治,内田 樹
筑摩書房

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知に働けば蔵が建つ (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋

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小説は、服部真澄さんの「佛々堂先生」シリーズの新作『わらしべ長者、あるいは恋』(講談社)、ウディ・アレンの新刊『ただひたすらのアナーキー』(河出書房新社)。それから、ちくま文庫「ちくま日本文学」の新刊『色川武大』も、ね。

わらしべ長者、あるいは恋 清談 佛々堂先生
服部 真澄
講談社

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ただひたすらのアナーキー
ウディ アレン
河出書房新社

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色川武大 [ちくま日本文学030] (ちくま日本文学)
色川 武大
筑摩書房

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懐かしの「少年マガジン」に関する新書サイズの<保存版>が2冊出た。『少年マガジンの黄金時代~特集・記事と大伴昌司の世界』と『「週刊少年マガジン」五〇年 漫画表紙コレクション』(ともに講談社)だ。私が愛読者だった60~70年代の「マガジン」が甦ってくる。

少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~
週刊少年マガジン編集部
講談社

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「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション
週刊少年マガジン編集部
講談社

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子どもの頃、冬休みに、コタツに背中までもぐり込み、腹ばいで本を読むのが楽しかった。手を伸ばせば届くところに、みかんをいくつか置いたりして・・・。

残念ながら、我が家にはこたつがない。年末、実家に行ったら、やってみよう。

雪のないクリスマスに思う“あれこれ”

2008年12月25日 | テレビ・ラジオ・メディア
クリスマスとはいえ、東京は雪の断片もない。年末の実感もあまりないが、愛読している各週刊誌が「新年特大号」となって店頭に並び、「ああ、年末だねえ」と思う。

年賀状もまだ書いてない。あせっているところへ、ドイツからハガキが届いた。かつての教え子(といっても、もう立派な30代の女性)からで、いつも年末にグリーティングカードを送ってくれるのだ。

以前はアメリカにいたが、現在はドイツのデュッセルドルフ在住。ハガキに印刷された写真には、彼女やご主人と一緒に、かわいい赤ちゃんが写っている。10ヵ月になる男の子だそうだ。新米ママに「よいお年を」と祈る。

30代の女性といえば、飯島愛さんの訃報。死因はまだよくわからないようだが、病死だけでなく自殺の可能性もあると聞けば、やはり切ない。

「ギルガメッシュないと」(テレビ東京)が91年に放送開始で、彼女は1年後に登場した。16年前だから、二十歳だったことになる。あの頃、後に「孤独死 享年36」と報道されることになるなんて、誰も想像できなかった。合掌。

2008年に放送された民放の連ドラの平均視聴率で、「ごくせん」が第1位だったそうだ。全11回の平均視聴率が22・8%。ドラマ低迷の時代としては、立派な数字ってことだろう。

このドラマは、「学校」での教師と生徒、クラス仲間。そして「組」での親分と子分など、昔から存在する「組織」を舞台に、今は希薄になったといわれる「人間関係」を、あえて濃密なものとして描いている。高視聴率を支えた若い人たちは、「そんなのあるわけないじゃん」と半分笑いながらも、どこかでそんな関係や<つながり>を希求しているのかもしれない。

仲間由紀恵さん演じる“やんくみ先生”が、警察に補導された生徒を引き取りに行くシーンで、私のいる東京工科大学の校舎が警察署として登場し、びっくりしたのも懐かしい。

そうそう、仲間由紀恵さんといえば、来年1月からの連ドラ「ありふれた奇跡」(フジテレビ)に出演する。脚本は山田太一さんだが、その山田さんが「これが最後の連ドラ」宣言をした。倉本聰さんの「風のガーデン」と同じパターンだ。ちなみに、「風のガーデン」を演出したフジの宮本理江子ディレクターは、山田太一さんの実のお嬢さんである。

「北の国から」の倉本聰さん、「ふぞろいの林檎たち」の山田太一さんといった大御所シナリオライターが、次々と<連ドラ>の筆を置く。お二人のドラマで育ってきた人間としては、いつか来ることとはいえ、かなり寂しい。

今年も、あと1週間を切った。何かいいニュース・出来事も飛び込んでこないかなあ、と期待したいところだ。・・・というところまで書いたら、大量の大根が飛び込んできた。

息子が卒業した幼稚園の先生方が、園児たちが育てた大根を届けてくださったのだ。

今は中学生である息子が、この幼稚園を卒業してもう7~8年経つが、毎年、この時期に収穫した大きな大根を、土がついたまま、卒業生であるOB・OGの家を回って配ってくださる。

その気持ちというか、<つながり>がとても有難く、また嬉しい。きっと今夜の食卓は、この大根を使った温かい鍋だ。

年内ラストの札幌で

2008年12月24日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨日の「のりゆきのトークDE北海道」(北海道文化放送)は、ちょっとした特番並みの1本だった。題して「なんてこった2008総決算! 大不況で仕事がヤバイ・・・道民大激怒SP」。

いつものスタジオセットと違って、司会の佐藤のりゆきさん・水野悠希アナの席とは別に、2段のゲスト席があり、前列に井筒監督、小沢遼子さん、衆議院議員の石崎岳さんが並び、後列にスポーツキャスターの田中雅美さん、北大経済学部の吉見教授、そして私がいる。

話題の中心は「雇い止め」「派遣切り」といった雇用問題。生放送なので、視聴者から電話の声やFAXが、がんがん届く。北海道経済は全国的に見てもシンドイ状況なので、皆、切実なのだ。

派遣切りで許せないのは、契約の延長をしないとか、契約の更改をしないという話だけではなく、契約期間にも関わらず一方的に「切る」例が多いこと。この場合、派遣会社はただ「派遣先」の意向を本人伝達するだけであり、そこにも問題がある。

元々は高いスキルを持つ派遣社員が、高い報酬で仕事をしていた。それが、派遣に関する規制緩和が行われ、派遣先の業種が拡大し、派遣期間も最長3年に延長されて、結局、派遣社員は企業にとって人件費削減以外の何ものでもない、という状態になってしまった。しかも、企業の経理処理上では、派遣は人件費ではなく、物件扱いだというのだ。

話は、どうしても政治の責任問題にいく。たくさんの矢を一人で受ける石崎さんは大変だったが、実際、このままでは年を越せないというナマの声が圧倒的だった。

本当は、生放送の後もトークを続けて、それを収録し、深夜にでもオンエアしたらいいのに、と思うくらい様々な話が出たし、もっと出したかった。


「トーク」の後、午後は北海道テレビへ。千歳にある柳橋食堂のおかあさんが編んでくれた、お手製のセーターに着替えて、「イチオシ!」の生出演。

電車内で起きた携帯電話をめぐるトラブルに関してコメント。携帯使用と、それを注意するときのTPO、2つのマナーの問題だ。番組は祝日バージョンで、いつもより時間が短かく、早めに東京から小宮悦子さんが登場した。

そうそう。両番組の移動途中、昼飯は、例によってススキノのそば屋さんで、鴨せいろ。そして、例によって隣の石川書店さんに入って古書探し。

私が<お宝ワゴン>と呼ぶ100円均一コーナーで、松山猛『贅沢の勉強』(83年)、浅田彰『逃走論』(84年)、ピート・ハミル『東京スケッチブック』(91年)など、出た当時読んだにもかかわらず、本自体がどこにあるのか分からなくなっているものを発見。

さらに『家族の肖像』『気狂いピエロ』といった映画のパンフも見つけ、入手。年内ラストの札幌で、今年最後のお宝ゲットなり。

逃走論―スギゾ・キッズの冒険
浅田 彰
筑摩書房

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「達人について」について

2008年12月23日 | 本・新聞・雑誌・活字
搭乗前、空港内の書店で、吉行淳之介さんのエッセイを集めた新しい文庫を見つけ、購入。

亡くなって14年が過ぎても、こうして本が出て、買う人、読む人がいる。

私にとっての吉行さんは、どこかで「達人」という言葉と重なっていて、吉行さんを読むのは、少しでも学びたい、たぶん「人間」や「人生」について達人の指南を仰ぎたいという気持ちが強い。

この本の中に「達人について」と題する一編がある。

書かれたのは昭和39年。文中での達人は終始「佐藤先生」と記されているが、これはもちろん佐藤春夫のことだ。

吉行さんが、自身の女性関係のことで、佐藤春夫夫人に叱られているのを、黙って見ている先生。「ズルイや」と抗議すると、先生曰く「達人はずるいものじゃ」。

やがて、吉行さんが帰ろうとすると、先生、今度は「半達人のまま、帰るのか」。

それだけの話なのだが、吉行さんが語ってくれると、読み手のほうがあれこれ考えてしまう。やはり達人の文章なのだ。

文庫本を手に降り立った北の大地は、すでにマイナスの温度。札幌の街は、道路の雪が凍結していて、アイスバーン状態だ。それでも運転の達人ばかりなのか、どのクルマも結構なスピードで走っている。

さて、もうしばらくすると、井筒監督たちとご対面だ。「トークDE北海道」の生放送が始まる。

なんのせいか (ランダムハウス講談社文庫 よ 1-2) (ランダムハウス講談社文庫)
吉行 淳之介
ランダムハウス講談社

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スリリングな生放送になるか

2008年12月22日 | テレビ・ラジオ・メディア
明日23日(火)に生出演する予定の「トークDE北海道」(UHB)は、かなり面白いことになりそうだ。

午前中のローカルワイドが、「この1年を振り返る」という時事的総括に挑戦する。

しかも、最近の「派遣切り」など「雇用問題」を取り上げる。

さらに、ゲストコメンテーターとして、評論家の小沢遼子さん、井筒和幸監督などの<論客>も札幌に集結する。って、ヤクザの出入りか。

これは盛り上るでしょう。

生放送で、これだけのメンバーがいるわけだから、全体の構成プランがあっても、どうなるか分からないところが楽しみだ。

井筒監督と私が乱闘になっちゃうかもしれないし(笑)。

北海道エリアの放送なので、全国の皆さんに見ていただけないのは残念だけれど、とにかく、予定調和で終わらない、スリリングな生放送になるといいなあ。

渋谷・神山町が小説の舞台になった

2008年12月21日 | 本・新聞・雑誌・活字
加藤実秋さんの<インディゴの夜>シリーズの新作『ホワイトクロウ』を読んでいたら、懐かしい渋谷神山町が出てきて驚いた。

えーと、<インディゴの夜>のインディゴとは、小説の舞台というか、登場人物たちのベース基地みたいなホストクラブで、これは渋谷にある。

とはいえ、別にホストクラブ小説(ってジャンルはある?)ではなく、この店のホストたち(みんないい連中なんだ)が、いわば探偵役として活躍する異色のミステリー、いやソフトな(?)ハードボイルド小説なのだ。

この新刊には4つの中編が収められていて、その1篇が「神山グラフィティ」である。

「渋谷・神山商店街。東急百貨店の脇を抜け、井の頭通りと平行して走る一方通行の狭い通りに、小さな建物が並んでいる。オフィスビルやマンション、若者向けのカフェや居酒屋、洋服屋に交じり、屋根に物干し台を備えた木造の米屋や、タイル張りの床にレースのカーテン、店先にレトロなつくりの三色ねじり棒を回転させる理髪店など、昔ながらの商店も営業を続けている」

こんな描写に、「そうそう、あったあった」と喜んでしまうのは、1970年代半ばから80年にかけて、この神山町で暮らしていたからだ。ちょうど学生時代の後半から社会人になる頃だ。

あの当時でさえ、どこか懐かしさの漂う町だった。

渋谷駅からセンター街を抜けて神山町エリアに入ると、木造アパート(その1軒に住んでいた)が増えるせいか、わずか徒歩10分なのに、ぐっと生活感が増したものだ。

大きな道路1本隔ててNHK放送センターの巨大な建物がそびえ、24時間灯りの見える窓がたくさん並んでいた。でも、こちらは、ひっそり静かな、のんびりした町だった。

毎晩通っていた定食屋さん。小説にも出てくる床屋さん。自転車屋さんもあったっけ。

夜、銭湯からアパートに戻る道で、なぜかいつも、どこからかFM東京の「ジェットストリーム」のテーマ曲が聞こえてきた。

「神山グラフィティ」の舞台は<神山食堂>だが、私の知っている定食屋さんは移転したから、今は神山商店街にはない。でも、読んでいると、安くて美味かった「しょうが焼き定食」が目に浮かんでくる。

<神山食堂>の看板娘・可奈ちゃんに惚れたジョン太(ホスト君のひとり)が大いに活躍する「神山グラフィティ」以外の作品も、「うーん、いい話じゃねえか」と思わず言いそうになるのが、いかにも<インディゴの夜>シリーズだ。

インディゴの夜 ホワイトクロウ (ミステリ・フロンティア)
加藤 実秋
東京創元社

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”困り者”の人類が住む地球を救うには?

2008年12月20日 | 映画・ビデオ・映像
キアヌ・リーブス主演の映画『地球が静止する日』を観た。

で、どうよ? どうだった? 

うーん、困ったなあ(笑)。

正直言えば、「まあまあ」もしくは「悪くない」ってところでした。

予告を見て、勝手にちょっと期待し過ぎたかもしれない。SFXも確認したかった。

以前、環境問題をテーマに特番を制作したことがある。

当時のビートたけしさんに、メインキャスターをお願いした。タイトルは『環境スペシャル 地球ダイジョーブ!? たけしの俺にいわせろ』。

アフリカでの砂漠化、アマゾンでの乱開発、先進国での酸性雨被害などを、VTR取材やスタジオトークで探った。89年12月の放送だった。

翌90年に大阪で開かれる“花の万博”を前に、「人間と環境のかかわりを見つめ直す」という、いたってマジメな内容だったので、たけしさんのカウンターパンチでバランスを取りたかったのだ。

この番組の中で、たけしさんがポーンと言った。

「こうやって見てくると、環境問題の原因はぜーんぶ人間にあるんでさ、本気で地球を救いたいなら、地上から人間がいなくなっちまうのが一番なんだよな」

この映画のキモはこれ。

たけしさんの「ひと言」を、ハリウッドがキアヌ・リーブス主演の大作映画にするとこうなる、という1本でした。

「反省せよ、人類」「はい!」ってなことだ。

それにしても、このリメイク作品が、今、このタイミングで作られ、公開されたのは面白い。

何しろ、アメリカが誇る巨大自動車会社が、その工場をまとめて閉鎖するのだ。

世界的規模の経済恐慌という嵐が地球を襲っているわけで、ある意味では<地球が止まる>方向へ来ているとも言えるのだ。

映画自体、いや、不満はないです。あの巨大ロボットのデザインというか造形は、どうかと思うが、久しぶりで、元美少女のジェニファー・コネリーも見られたし、ね。

地球が静止する日
デヴィッド・スカルパ
メディアファクトリー

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ドラマ『風のガーデン』の終了

2008年12月19日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨夜、ドラマ『風のガーデン』終了。

ついに白鳥貞美(中井貴一)が亡くなった。ドラマの中の時系列で2008年10月1日、享年46。

病院ではなく、故郷の、自分が育った家で、家族に見守られての最期だった。

長い間、バラバラだった家族。それが、貞美の最期を一緒に闘うことで、家族が初めて結ばれたのだ。

自分の死期を知ってからの貞美が、精神的にも辛かったとは思うが、急に「いいひと」になったようで、やけにきっちり悟ってしまったようで、それが少し気になっていた。

でも、倉本さんは、「こんなふうに最期の時間を過ごせたらいいんじゃないか」と我々に見せてくれているんだなあ、とも思い、「さて、自分ならどうするか」を毎回考えずにはいられなかった。

「人は最期に何を求め、
 何処に帰って行きたくなるのだろう」

ドラマ開始直前に緒形拳さんが亡くなって、緒形さん演じる貞美の父・貞三が出てくるたび、「ああ、現実の緒形さんはもういないんだ」と複雑な感慨があった。

たとえば、昨夜の最終回の中で、貞美が貞三に聞く。

 「お父さん。死後の世界ってあると思いますか」

貞三は「判らんな」と答える。そして、こう続けるのだ。

 「でも、どうも最近、あるように思えて来た」

これは、もしかしたら倉本さん自身の“願い”だったのではないか。

そして、この台詞、緒形さんはどんな思いでしゃべっていたのだろう。

最終回のタイトルは「ナツユキカズラ」。その花言葉は、”今年の冬に、降るはずの雪”だ。

風のガーデン
倉本 聰
理論社

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メディアにとっての「タブー」は確かに存在するけれど・・・

2008年12月18日 | テレビ・ラジオ・メディア
どんな小さなことでも、何かを発信することで、それを受け止め、感じ、考えてくれる人が現れる。

とても嬉しいこと、有難いことだ。

先日、北海道新聞に寄せた書評を、道内の知人が読んでくれた。そして、感想を送ってくれた。

この人は、以前、私の講演を聞いてくださり、それからやりとりを続けている、一人の真っ当な市民であり、生活者だ。

今度は、その人が発信してくれた言葉を、私が受け止め、感じ、何かを考えている。これもまた嬉しい。

一部を以下に転載させていただいた。


  私が先生のお話をはじめてお聞きしたとき
  番組を作る側の先生が
  テレビの良いこともそうでないことも
  包み隠さずに話してくださいました。
  そして、聞いた話を周りの人に
  伝えるようにとおっしゃいました。

  番組は制作者ばかりでなく
  視聴者が
  しっかりとした視点を持っていないと
  堕落した番組ばかりに
  なってしまうからだと思いました。

  たとえば
  イラクの報道一つにしても
  たくさんプロパガンダ的な報道も
  されていると思いますし
  正直言ったら
  テレビだけではある一面でしか物事を
  捉えられないと思います。

  数ヶ月前になりますが
  夕張の炭鉱跡に
  核の廃棄物処理場をつくるという話があって
  大物政治家もすでに夕張入りしていたそうです。
  商工会はお金が落ちるということで
  誘致しようとしていましたが
  市長さんは反対を表明していました。

  しかしそのことは
  新聞にもテレビにも載りませんでした。
  朝日新聞に小さく載っていただけだったそうです。

  後で
  北海道電力が(メディア側の)株主だからだと聞き、
  そういうものかと
  改めて世の中の仕組みを知りました。

  業界にも
  いろんな考え方があって
  その中でも
  真剣に厳しく自問しながら
  社会に発信してくださる方々のおかげで
  私たちは実のある情報を得られるのですね。

  思います。
  何のしがらみも制限もなかったら
  どんな番組を見せてくださるのでしょうか。
  とても楽しみです。


夕張の核廃棄物処理場の話は、もちろん私も知らなかった。知るための「回路」が閉ざされているからだ。

こうしたメディアにとっての「タブー」は、確かに存在する。

マスメディア、いやテレビについてだけで考えても、ジャーナリズムとしての機能がますます重視される時代。台頭するWEBジャーナリズムと拮抗していくためにも、信頼感を失うような取り組みは自殺行為だ。

“しがらみ”も“制限”もある中で、どこまで踏ん張れるかが勝負となる。