大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

八ッ場ダム復活!?

2011年12月23日 | 政治・経済・社会
まったく、まるで詐欺だぜ。

選挙公約の目玉を恥ずかしげも無く引っ込めるとは、そんな事をよくやれるもんだ。

ほとほと呆れるが、これに対して自公他も突っ込め無いだろうな。

しかし茶番もいいとこだよなあ、党としては反対だが政府に任せるなんてなあ。

前原よ、責任を取って政調会長を辞任しろや。

そんな責任も取らない連中ばかりだからどうしようも無いんだぞ!

国民を舐めるのもいい加減にしろ!!
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展望無しの鍋割山

2011年12月23日 | 丹沢
ただのトレーニングの山になってしまった。
晴れるどころか登り途中で粉雪が落ちてくる有り様。

コースは見違えるほど整備されていた。
二俣とミズヒ沢には立派な橋がかかっていた。
立派な橋といっても当然山の橋だが。
しかし前の丸太でも充分だと思うがなあ。

しかしこの大倉からの林道歩きでM氏のペースに合わせて
疲れた。
旧訓練所近くのあの銅像広場の後ろが木だけになっており、
驚いてしまった。
昔は笹薮だった筈だ。
笹が自然死してしまったんだろうか。

ミズヒ沢からの植林帯先の涸沢は深くなったみたいだし、
後沢乗越からの道で抉れているところがあり、相当に
痛めつけられている。

しかしこの後沢乗越から頂上への登りで足が上がらず参った。
バナナ一本とカレーパンだけじゃあちと無理だったか。
M氏はさっさと小屋で鍋焼きうどんを食べてくつろいでいたが、
待たせるのも迷惑だろうから残りのパンを食べて降りた。
まあ、凄い人気だったなあ、鍋焼きうどんは。

帰りはさっさと元来た道を降りて大倉をめざした。
朝に昔の近道を使おうとしたが無くなっていたので
確かめてみたが、やっぱり無くなっていた。
そのまま歩いたら結構な牧舎があって、牛の鳴き声が
聞こえていた。

バス停ではすぐ後ろにトレラン姿の若者が付いたので
どこから走ってきたんだと聞いたら、鶴巻から入って
大山から表尾根で塔ノ岳に出て大倉に下りてきた由。
38キロ走ったとか言っていたが、寒くてたまらないと
震えていた。

何だか食料無しでどれ位歩けるか訓練に行ったような
山だった。
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