まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

彼女の願いはかなったのか『バースディ・ガール』村上春樹著

2024-04-24 08:58:13 | 

書架の村上春樹の並びに紛れ込むように挟まれた薄い薄い1冊の本。64頁。
それだけで手に取ってみてぱらぱらとめくる。強烈なイラストの挿絵。
これなら面白く読めるかなと。

 帯が付くと 

ほぼ全編見開き左ページに東ドイツ・ルッケンヴァルデ生まれカット・メンシックのイラスト。
右ページに文章。ちょっと馴染みがない、今まで読んだことがない。
その毒々しいまでのイラストが二人の会話を端的に物語っていて、大人の絵本の様相に見える。

物語は回想から始まる。

二十歳の誕生日を迎えた女の子は、誕生日もまたアルバイト先のイタリア料理店で働いていた。
その日、店のフロア・マネージャーが体調を急に壊し、代わりに彼女がフロア・マネージャー以外
誰も姿を見た事の無いオーナーに夕食を運ぶ事になる。時間通りに食事を運んだ彼女はオーナーに
年齢を尋ねられ、今日が二十歳の誕生日であると言う。彼女はオーナーに誕生日を祝福のしるし
として一つだけ願い事を叶えようと言われ、戸惑いながらも一つの願い事をする。

回想する彼女に聞き手の「僕」は尋ねる。願い事は叶ったのか、願い事に後悔はないか。

ほとんど彼女とレストランのオーナーとの会話。禅問答のような会話が続く。
うーん、理解できるようなできないような。
ありふれているようなそこから深読みしそうな。
結局、彼女とオーナーとのやり取りはなんだったんだろうかと。
私も聞き手の僕と同じように聞きたい、知りたい。
今の彼女はどうなのか、その時願った生活をしているのか。

 

二十歳の誕生日、彼女は普段と同じようにウエイトレスの仕事をした。
オーナーに食事を運んだ部屋での会話。(会話はかなり省略しています、彼女の部分だけ
彼女と記して、ついていないかぎかっこはオーナー)

彼女「二十歳になりました」
 「今からちょうど二十年前の今日に君はこの世に生を受けた」
 「そいつはいい。それはおめでとう」
 「お嬢さん、君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものも
  そこに暗い影を落とすことのないように」

誕生日のプレゼント
 「君の願いをかなえてあげたいんだよ。(略)なんでもいい。どんな望みでも
  かまわない。もちろんもし君に願い事があるならということだけれど」
 「こうなればいいという願いだよ。もし願いごとがあれば、ひとつだけかなえてあげよう。
  それが私のあげられるお誕生日のプレゼントだ。しかしたったひとつだから、
  よくよく考えた方がいいよ」
 「ひとつだけ。あとになって思い直してひっこめることはできないからね」

 「お嬢さん、君には願いごとがあるのかね。それともないのかね?」

彼女「だから私は言われたとおり、願いごとをひとつした」

その願いごとはオーナーが思っていたのとはかなり違っていたようだ。


彼女「もちろん美人になりたいし、賢くもなりたいし、お金持ちになりたいとも思います。
  でもそういうことって、もし実際にかなえられてしまって、その結果自分がどんな
  ふうになっていくのか、私にはうまく想像できないんです。かえってもてあましちゃう
  ことになるかもしれません。私には人生というものがまだうまくつかめていないんです。
  その仕組みがよくわからないんです」

「これでよろしい。これで君の願いはかなえられた」
「ああ、君の願いは既にかなえられた。お安いご用だ」

 

聞き手の僕
  「僕が知りたいのは、まずその願いごとが実際にかなったのかどうかということ」

彼女「イエスであり、ノオね。まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを
   最後まで 見届けたわけじゃないから」

僕 「君はそれを願いごととして選んだことを後悔していないか?」

彼女「私は今三歳年上の公認会計士と結婚していて、子どもが二人いる」
彼女「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。アウディに乗って、週に二回
   女友達とテニスしている。それが今の私の人生」
彼女「私が言いたいのは」
彼女「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外には
   なれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」

小説はもちろん答えを出していない。
彼女は現在、公認会計士と結婚していて子供が2人いる。ペットはアイリッシュ・セッターで、
車はアウディ。週2回は友人とテニスを楽しみ、日本では馴染みの薄いバンパー・ステッカーに
ついても軽く冗談を交わせる。

そんなプチセレブな生活が彼女の願いだったのかしら。
そうだとしたら、と考えてしまう。うーん、違うだろうな、とは思うけれど。
64頁の小説は私には難しい。

 

 

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身近な問題でして 『老父よ、帰れ』久坂部羊著『カモナマイハウス』重松清著 

2024-01-28 09:00:52 | 

この挿画好きでして。これを見て選んだようなものです。
久坂部さん、初めてです。

45歳の矢部好太郎は有料老人ホームから認知症の父・茂一を、一念発起して、
自宅マンションに引き取ることにした。

認知症専門クリニックの宗田医師の講演で、認知症介護の極意に心打たれたからだ。
勤めるコンサルタント会社には介護休業を申請した。妻と娘を説得し、大阪にいる
弟一家とも折にふれて相談する。好太郎は介護の基本方針をたててはりきって取り組むのだが……。
隣人からの認知症に対する過剰な心配、トイレ立て籠もり事件、女性用トイレ侵入騒動、
食事、何より過酷な排泄介助……。(略)
懸命に介護すればするほど空回りする、泣き笑い「認知症介護」小説。

宗田医師の講演内容というのが、
「認知症の介護で重要なのは、感謝の気持ちです。それと敬意。今は認知症になって
しまっていても、みなさん、親御さんに感謝すべきことはありませんか」
恩返しのつもりの介護ですって。

さあ大変、この問いかけを聞いてからの好太郎さんは父親の介護のことを考え直し始めた。
「認知症の介護を難しくしているのは、自分の都合が紛れ込むからです。いい介護をしたい、
だけど、自分の生活は乱されたくない、これではいつまでたっても問題は解決しません」
なんて言われては、父親を施設に入所させていることが心苦しい。

ってなわけで、介護施設にいる父を自宅に引き取って、自分で介護し始めたわけよ。
冷静な奥さんの泉さんはしぶしぶでも協力することに、大阪に住んでいる弟夫婦も
客観的な意見を持ちつつも、好太郎さんの介護を応援するわけ。それぞれが、はっきり
自分の考えを言いつつも好太郎さんの意志を尊重する素敵な家族で、好太郎さん、恵まれている。
が、老父の介護はそうは好太郎さんの思ったようには進まない。
てんやわんやの騒動がほぼ毎日起きる。いやはや、それは自宅介護を決めた時からの想定内の
あるあるなはずで。

認知症介護の現実は厳しいことは承知の上で(頭の中だけ)読後感はまことにあたたかいのよ。
好太郎さんの考えていることや行動が可笑しくて、ついぷっと吹き出しそうになるのよ。
ユーモアたっぷり。それって、取り巻く家族が思いやりがあり優しいってことが根底に
あるのね、きっと。

私は夫の認知症介護を想定しつつ読んでいったので、速攻で施設入所にいたします、と決めたわ。
もちろん、そうなったら自分もよ。

 

 

空き家の数だけ家族があり、家族の数だけ事情がある――。
不動産会社で空き家メンテナンス業に携わる水原孝夫。妻・美沙は、両親の看取り後、
怪しげな「お茶会」にハマっており、31歳になった元戦隊ヒーローの息子の将来も心配だ。
そんなとき、美沙の実家が、気鋭の空間リノベーターによる「空き家再生プロジェクト」
の標的になるのだが…実家がきわどい「空き家再生策」の標的に!?
空き家をめぐる泣き笑いの家族劇、いざ開幕!

全国の空き家は849万戸で、人口がそれより少ないブルガリアやデンマークなら、
〈一つの国がそっくり引っ越してきても受け容れられるほどの空き家が、いまのニッポンにはある〉
そうだ。主なき家は無用に見えるが、柱の傷は住んでいた家族の歴史でそれぞれに思い出がある。

うーん、まあそうね。でもまあそうは言ってもやっぱり空き家になった自宅はほっておけない。
どこかでけりをつけなくてはいけない。
そのけりをつけるまでの過程が大事なんだろうな、と経験者の私は語る、なんて。

この物語も空き家をテーマにしつつ家族の関係を見つめなおしているから、重松清さんらしい。
中の登場人物70代の3人娘「追っかけセブン」(息子の追っかけね)
「夫婦関係は愛情→友情→人情→根性」というのが笑えて。なかなかいいよね。

 

小説なのか啓蒙本なのか分からない本2冊、面白かったのだけれど。
読み終わったら、物語らしい長編小説を読みたくなったことは内緒。

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あるあるだわ 『逝きたいな ピンピンコロリで 明日以降』三浦明博著

2023-12-11 09:03:08 | 

元同僚定例会での話。
近ごろ物忘れが激しいって。全員頷く。ひとりが歯医者の予約を2回も忘れたって嘆くのよ。
2回もか。
ひどいでしょ、信じられないわ自分がって。それはちとひどいよね、うん。
でも、あるあるな話。

コミュニティハウスで本のタイトル見て速攻で借りる。
きっとその手の話だから慰めてもらおうと。本の中で笑い飛ばそうとページをめくったわ。
いやいや違った、いい意味で裏切られた。
ポジティブなのよ明るいのよ、読後、お得意の「ま、いっか」が出そうなの。

この挿画がまた楽しくて 登場人物オールキャスト

 
 四股を踏んでいるのは拓三さん

 交通安全見守りも拓三さん

 

 取っ組み合いはヒサさん

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポールの人は千鶴さん

 ソファー寝転びの人は早苗さん

 下の人はヒサさん

 

 

 

 

 

 

 

 

シニア世代7人の日常あるいは特別エピソード。青字は作者の川柳。

*もの忘れ  (浅野拓三・68歳)

今日もまた アレ・コレ・ソレで 日が暮れて

拓三さん、近ごろレンタルビデオ店でDVDを借りてひとり名作映画鑑賞会をしている。
が、同じビデを何回も借りてめげるわけよ。
でもでも拓三さん、自分に言い聞かせる。
物忘れの一つや二つ、十や百・・・それが千でも万でも、気にしない気にしない・・・。

私もこの間、図書館で以前借りてきた本をまた借りてきた。
でもいいの、誰に迷惑かけるわけでもなし、気にしない気にしない。


*墓じまい  (神楽一夫・72歳)

墓じまい しまうつもりが 大モメに

一夫さん、墓じまいをしようと家族、兄妹、親戚に相談をした。みんな大反対。
中で義弟だけが賛成してくれて、おまけに尊敬しているとまで言われて。
思わず涙ぐむわけよ。
次に思い出したのが大叔母で、墓じまいの件について洗いざらいぶちまけて相談するるわけ。
「あんたも難儀なことだったな。まんず、お疲れさんでした。大変だったなぁ」
またもや目頭が熱くなる。大叔母の言葉は続く。
「(略)めんこい子や孫たちに重荷をしょわさないように、あんたは、一生懸命考えたんだべ?
わたしは、それでいいと思う。墓じまい、いいじゃないか。わたしは大賛成だ」
またもや嗚咽がもれる。

一夫さん、立派立派、偉いわ。私も人生の大先輩にどやされて。
「おめが死んだら誰が始末する、残されたもんが迷惑だが。はよせんか」って。
私、独断専行でやった。

 

 泣いている人は一夫さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*ウォーキング(宮戸千鶴・66歳)

ウォーキング ポールか杖か 分からない

千鶴さん、膝が痛くてかかりつけの日出子先生に相談したら、ノルディックウォーキングを
勧められた。すっかりその気になって練習を始める、効果も出てきた。
やがて同じ趣味のお友達もできてすっかり調子に乗って、ああやっちゃった。
そんなときお友達とリハビリと称して一泊の温泉旅行に行くことになって。

知り合い以上友達未満と感じていた関係が少し深い関係を結ぶことができて。
人生の終わりが見えはじめたいま、知り合えたことに意味があるような気がした。
自分の一生の終盤戦に入って、こんな愉しみを見つけることができるなんて、
人生まだまだ捨てたもんじゃない。何歳になっても新しいことって起きるんだな。と思うわけ。

千鶴さん、柔軟なのね。誰のアドバイスも受け入れる柔らか頭を持っているのね。
頑固な私には新しいことを受け入れるのは難しい。

*遺影用   (岡慎平・68歳)

写真裏 メモを発見 遺影用

慎平さん、ふと手に取ったアルバムの中から1枚の写真が落ちて見てみると。
なんと、写真の裏に「遺影用」と。さあて「遺影用」と書いた犯人はだれだろう。
犯人探しが始まる。妻か娘か息子か。うーん、記憶が蘇った、それを書いたのは。

慎平さん、面白い。結果良ければすべてよし。犯人が分かってよかったね。


*まちの小さな本屋(福禄初子・80歳)

年とれば 町の本屋が ありがたい

ひとり暮らしで本が大好きな初子さん、ちょっとしたきっかけで町の本屋さんに
出入りするようになる。
初子さんはやがて常連客と顔馴染みになって、治子さん葵さんと読書仲良し三人組に
なっていた。三人は読書会を始めるようになり、小学校で読み聞かせをするようになり、
老人ホームへ慰問に行って本を読むなんてことも計画するようになる。
初子さんは、目に見えて生き生きしてきた。

ある日大きな地震が起き一人暮らしの初子さんを心配して、本屋の文樹が訪ねてみると。
初子さんはいろいろ備蓄しているから大丈夫、と言うの。
おまけに水の備蓄ならたっぷり用意してあるなんてことまで、そして自分の膝を見せ
「ほらここにも水、溜めてるの」なんて。
「いざとなったらさ、ここにストロー刺して、吸って飲もうと思っている。チューチューって」
自分のような一人暮らしの年寄りは、いざというときに頼れるのは結局、自分だけ。って。

初子さん、すごいわ。積極的だわ。ユーモアあり覚悟ありの人生。お手本にしなければの人。

*いじわる  (一条ヒサ・73歳)

世の中は バカばっかりだ 腹の立つ

ヒサさんはいじわるをして喜ぶ。
一日一善ならぬ、一日一悪だ。何か、とてもいいことをしたような爽快感があった。
なんて悦に入るばあさんなの。
禁煙している隣のジジイの禁煙を破るよう仕向けたり、同じように嫌われている天敵の
トメさんね、この人はイヤミだと言って具合が悪そうなトメさんに弔辞を渡したりするの。
はあ、ここまですれば大したものね。
そんないじわるの一つ神社に行って昔書いた絵馬に追加して書くから絵馬を探させてくれ、
なんて。そりゃあ神官も戸惑う。でも押し切ったヒサさん自分が昔書いた絵馬を見て愕然とするの。
<今年は皆から愛される年寄りになれます様に一条ヒサ>

境内のベンチに腰を下ろしてぼんやりと、そこへ男の子が。
お母さんに、一人だけでいいから仲良しのお友達ができたらいいと教えられている男のことの会話で
ヒサさん、人生の大センパイとしてかっこつけなきゃいけない。
「そう。あたしにもいるよ、一人だけ」
自分には友だちと呼べる相手などいないけど、老い先短い人生でも終わったわけじゃないから
ここからだって友だちはできるかもしれないって。

ヒサさん、いじわるも大変だ。
長谷川町子さんのいじわるばあさんを思い出したりしたの。ヒサさんのこと、なんとなく好きかも。


*上にサバ  (土谷早苗・98歳)

高齢を 褒められたくて 上にサバ

早苗さん、年に似合わず足腰はしっかりしているし、もちろん頭の方だって、しゃんとしている。
早苗さん、趣味で写真を続けている。もう70年以上も。
で、長年の念願だった個展を開くことを決心したんだって。そして準備も手配も何もかも
自分でやって、いやただひとりお孫さんの手を借りてね。最初はぽつぽつだった客足が最終日に
突如急増、大盛況。おまけに肖像写真を撮って欲しと言う男性まで現れて。

「死は、皆にひとしなみに訪れるもの。でも人生のどこかで、まんざらでもなかったなと
思えたら、それはいい人生だったと、あたしは思う」

早苗さん、素敵。
私も、まんざらでもなかったなと思える人生にしたい。今からでも遅くないわよね。

 

シニア世代、それぞれのあるあるなお話があたたかい。
読み終わった後、これまでもこの後も、人生捨てたもんじゃないと思わせてくれるのよ。
ひっくり返って、にやにやしながら読んでたの、ごめんなさい。

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『池波正太郎の銀座日記(全)』を読む

2023-08-25 08:04:50 | 

今回の佐渡行きのお供は池波正太郎さんの『池波正太郎の銀座日記(全)』
いつもは本なんぞ持参しないが、テレビも何もない暑い日々を過ごすのにふさわしい作品をと思って
選んだ次第で。池波さんのエッセイは少しは読んだつもりでいたが、一番好きな作品と言っていい。
今までも繰り返し読んでいたが、ここ何年は手に取ることもなかったの。
今年は池波さんの生誕百年ということもあってか(関係ないわね)、小説でもなく随筆でもなく日記と
いう形態が
ちょうどいいかなと思って。佐渡滞在中は時間がたっぷりあったので、心おきなく読んで
池波さんの
日常に思いを馳せていた。

週に何度となく出かけた街・銀座。少年のころから通いなれたあの店、この店。
そこで出会った味と映画と人びとは、著者の旺盛な創作力の源であった。
「銀座日記」は、街での出来事を芯にした、ごく簡潔な記述のなかに、作家の日常と
そこから導かれる死生観を巧みに浮き彫りにして大好評であった。
急逝の2カ月前まで、8年にわたった連載の全てを1冊に収めた文庫オリジナル版。

昭和の終わりから平成にかけての銀座を歩いていた池波さんの日記。
大好きな映画の試写に出かけ、ご贔屓の蕎麦屋やレストランで飲みながら食事をし、主に銀座で
お気に入りの買い物をして、小説や随筆を書く苦労や喜びを綴っている、ほぼほぼそんな日々を
送っている池波さんの日常の、ほんの一部分を抜き書き。(日にちは順通りではなくて前後している)
すべての日は✕月✕日となっている。

晩春から初夏へかけての銀座の夕暮れ。これだけは何といっても大好きだ。ぶらぶらと歩いてから、
地下鉄で帰宅する。

心身快調。銀座へ飛び出す。

もうこの一文だけで池波さんの心の弾みようが分かる。

池波さん、夜食を食べる。夜食は何を食べるとその日のうちから決めている。
(夜食に)痛風を恐れつつ、テリーヌをたっぷりといただく。ってな具合に。

✕月✕日 ある晩、夜食を作ろうと台所に降りて行ったら、お母さんが雨戸をあけ始めたそうな。
おふくろも、ボケたもんだって。
で、人のことはいえない。六十になった私も、いろいろと近ごろは怪しくなってきたって。

夜食を終えて、仕事にかかるが、先月から七十枚ほど書きためていたS誌の小説、どうも気分がのらない。
おもいきって、全稿、初めから書き直すことにして十五枚すすめる。
こんなことは二十年ぶりなり。
なんだか、うまく行きそうになってきて、久しぶりでぐっすりと眠る。

最初の方の日記だが、その後も仕事のことでの苦労がにじみ出ている記述が多くあって。睡眠薬もよく
飲んでいたようだ。池波さんにしてもそのようなことがあるのかと。
後半の方になると、そういった日々がいっそう多くなる。

弱った。すっかり、怠け癖がついてしまった。毎日、ベッドでごろごろしている。こうなると、
自分でもじれったいほど、で何をする気も起らぬ。元来、私は怠け者なのだ。これは自分でよく
わきまえている。なればこそ、仕事を前もってすすめるようにしているわけだが、怠け者の自分にとって、
これは非常に苦痛なのだ。なるほど、いまは怠けていられるが、来月、再来月と新連載の小説が
重なって始まる。それを考えると怠けてはいられないのだ。
昨夜、気力をふるい起し、何日ぶりかで机の前に座り、ペンを取った。
二枚、書き出せた。それでやめる。

昨夜のうちに、きょうの仕事を決めておいたので、朝早くから飛び起き、食事をすませて取りかかる。
といっても、いま週刊誌へ連載中の短い随想と絵の一回分をやっただけで、すぐに終わってしまう。
(もう一回分・・・)
そうおもったが、ベッドへ転がったら、もうダメだ。そのままで、日が暮れてしまった。

夜は、週刊誌の小説を書く。もうすぐに完結となるので、すべて頭の中へできあがっているから、ペンは
どんどんうごいてくれる。

帰って〔鬼平犯科帳〕を書き終える。五十余枚の短編に十三日もかかってしまった。こんなことは久しぶりだ。
ともかくもほっとする。今夜はよく眠れるだろう。
来月から始まる週刊誌の小説、その題名に苦しんでいたけれども、ようやく二つほど思いついたので、
題名は決まっても、何を、どのように書くかは、第一回目を書いてみないことにはわからない。
いつものことなのである。しかし、主人公が女であることだけは決まっている。

新年から週刊文春で始まる連載小説の第一回だけでも、旧年のうちに書いておこうと
おもったが、〔秘密〕という題名は決まっても、やはり、書けなかった。私の小説は書き出して
みないことにはわからない。これはむかしからの癖で、いまさらどうにもならぬが、いつも
新しく始める小説を書くときの不安は消えない。

それに比べて、挿絵や表紙の絵を描く仕事は実に楽しそうで生き生きとした様子が読むほうにまで
伝わって来るから、よほどにお好きなんだなと。

池波さん、持病の痛風に悩まされる。この後も痛風の記述が書かれている。

足の痛みも薄らいだので、ステッキをついてCICの試写室へ行く。(略)
ゆっくりと銀座を歩く。
もっと歩きたいし、久しぶりでバーにも寄ってみたくもなったが、まだ歩行は充分とはいえないので、
大事をとって帰宅することにする。
大事をとる・・・・なんたることだ。そんなことは十年前の私には考えられなかった。これだけでも
年寄りになっちまったきがする。

猛暑、連日つづく。このくらい暑くなると、私の体調はむしろよくなる。食欲も出てくるし、容易に
屈服しないのは毎年の夏の例に洩れない。しかし、男も六十をこえると、体調が微妙に変わるし、
いかに好調だとて、それを持続することがむずかしくなってくる。

現代の激動とスピードは、物事の持続をゆるさぬ。
夕飯に、少し松茸を入れた湯豆腐をする。
そして秋の到来をおもい、一年の光陰を感じる。
何も彼も「あっ・・・・」という間だ。
今年は病気をしたりして、仕事のだんどりが狂い、暑い夏に、ひどい目にあった。もう二度と、
このようにならぬことだ。来年は、さらに生活を簡素にしたい。

この秋ほど、知人・友人が多く死去したことは、私の一生に、かってなかったことだ。
いよいよ、私の人生も大詰めに近くなってきた。この最後の難関を、どのように迎えるか、
まったくわからぬ。怖いが興味もおぼえないではない。

池波さん、日記の後半になると、頭痛を訴える記述が多くなる。
頭痛は寒さのせいか老母の体質を受け継いでいるのかと。

夕方、〔天國〕で天丼を食べてから帰宅。
風が鋭くて冷たく、頭が痛くなった。

 
                  贔屓のうなぎの「前川」

〔L〕へ行き、ロールキャベツとパンで赤ワインを少しのむ。これでもう近ごろの私の腹は
満ち足りてしまう。ほんとうに食べられなくなってきた。

神谷町のフォックス試写室で映画を見た後(略)、外へ出て、先ずコーヒーの豆を買い、タクシーで
神田へ出て散髪。それから、かねて行きたいとおもっていた〔B亭〕へ行き、水ギョウザと
チャーシューメンを食べる。濃い味だが両方とも本格的だった。
神保町へもどり、本などの買物をすませてから、コーヒーとホットケーキ。
タクシーで帰宅する。ようやく今月の仕事の目鼻がついたので気分に余裕ができたのかして、
知らず知らずにウォークマンを取り出し、テープを聴く。

春は、私にとって、いちばんいやな季節だ。毎日、鬼平犯科帳を少しずつ書きすすめている。
気が滅入るばかりだ。今月は歌舞伎座で吉右衛門が〔鬼平〕を演っているので、ぜひとも
行きたいとおもっている。だが、行けるかどうか・・・。それほど、私の外出嫌いは重症になって
きている。

「銀座日記」を読んでいた川口松太郎さんから、
「・・・銀座日記をよむと、少し食べすぎ、のみすぎ、見すぎ(映画)という気がする。
とにかく大切に・・・」というハガキをいただいたこともあったのに。すっかり気弱くなって。


 

「池波正太郎の新銀座日記」最後の✕月✕日の日記

午後になって、少し足を鍛えようとおもい、地下鉄の駅まで行く。往復四十分。息が切れて、
足が宙に浮いているようで、危くて仕方がない。
いろいろな人から入院をすすめられているが、いまは入院ができない。また、入院したところで
結果はわかっている。(略)
去年の日記を読み返してみると、まだまだ元気で、一日二食だが欠かさずに食べている。そのかわりに、
家人が重症の拒食症になってしまい(これでは、来年が保つまい)と、おもっていたが、今年になって、
私が同じ症状になってしまったのである。
拒食症というのも、辛いものだ。やせおとろえて体力がなくなり、立ちあがるのにも息が切れる。

ま、仕方がない。こんなところが順当なのだろう。ベッドに入り、いま、いちばん食べたいものを考える。
考えてもおもい浮かばない。

 

この後平成二年三月に入院、急性白血症と診断されて五月三日に亡くなっている。
長生きではなかったと記憶してはいたけれど、70は越していたと思っていたから67歳で急逝していたなんて
今の寿命で言えば若くして亡くなったんだ。どこか長谷川平蔵の人となりと重なってくる池波さんだった。

 

生誕100年 時代小説作家 池波正太郎の世界 ~読んで・見て・歩いて知る 作品の魅力~

 

 

 

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「仇討」ではなく「あだ討ち」の意味は『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子著

2023-07-28 09:05:20 | 

新聞を取っていないので、その手の情報は全く入らない。
コミュニティハウスの図書室に行って、興味を引く本を手に取る。
その日も、図書コーナーの棚にあった1冊が目に飛び込んできて。
「木挽町」地名が入ったタイトルがいいなあ、と。それだけで江戸を近くに感じるからね、手に取った。
新刊なんだ。もちろん作者の永井紗耶子さんも初対面。
読み始めた初っ端から胸がわくわくしてきて、早く読み進めたいと急いた気持になったわ。



物語の展開がスピーディで小気味よく、伏線があちこちに張りめぐらされていて、そういうことだったのかと。
舞台は江戸の木挽町、悪所と言われる芝居小屋。おまけに一癖も二癖もある登場人物たちがそれぞれ訳ありで。
仇討ったって目撃談を語るだけだものなあ、どういうことだ、これから何が起こるんだろうと
期待が膨らもうというもの。

読み終えた途端のニュース。えっ、169回の直木賞に選ばれたんだ。もう当然です、文句ないです、
喝采です、それくらい面白いのよ私には。好みの時代小説だ。

「技巧的で一言一句読み飛ばせない、繊細なもの。ミステリー風ではあるが、悪所に集う人の話というテーマが明確。
理不尽な社会に対する批判も盛り込まれている。行き届いた作品」の講評は、浅田次郎さん。

 

物語を回しているのは、菊之助に縁のある総一郎という若侍でして。
仇討が成って2年後、仇討の目撃者に仇討の様子と結末、話し手の来し方を聞いて回る。彼は菊之助の
「この者は某の縁者につき、事の次第やそこもとの来し方などを語って欲しい」の書状を持参している。

その仇討場面を筋書の金治が語る。

「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇。いざ尋常に勝負」
雪の降る中で、赤い着物で待ち構える若衆菊之助。そこへ芝居小屋からは三味線と小唄の音が
漏れてきて、ペペンってなもんだ。
これ見よがしな悪党になっちまった作兵衛を、美しい若衆菊之助が迎え討つ。名乗りを上げて
刀を交え、ついには首級(しるし)を高く掲げて見せた。雪の中、ひらりひらりと舞うように刀を揮う
菊之助とどうっと倒れる大男作兵衛の有様は、下手な芝居なんぞよりも余程の見ごたえがあったなあ。

私も芝居の一場面を見ているようで、目の前にその光景が浮かんだわ。

それぞれの幕は、仇討場面目撃談と話し手の来し方を打ち明けるという構成。 
木挽町の芝居小屋森田座に吹き寄せられるように集まった面々。
木戸芸人、立師、衣装拵え、小道具仕立て、筋書の5人が雁首揃えたとなると何が起きるか。
役者がそろい舞台が整い、大立役者の菊之助が登場したとならば、そりゃあそういうことだ。
筋書の金治が言う。
「菊之助菊之助ってあいつを可愛がっている。まだ武士の理を引きずりながら
仇討を立てているあいつに、どういうわけか心惹かれていく。それはあいつが、
苦悩しているのが
分かるからだ。
何せ辛さも割り切れなさも人一倍知っている連中だから、あいつを救ってやりたくて仕方ねえ。
そこには、武士も町人もねえ。あるのは情けだけだ。」
と。そういう人たちが揃って一芝居をうったというわけね。

敵は菊之助の家の家人だった作兵衛。どのようないきさつで敵になったのかはさておき、
菊之助は言うの。

「私は作兵衛を怨んでおりませぬ。作兵衛は元々、当家の家人でした。身分こそ違えども父は内々
では友とさえ呼んでおり、私も幼い時分はよく遊んでもらっておりました。それ故にこそ、
仇とても討つには忍びないのです」
「作兵衛には恩義がある。私の仇討には、真の義があるのでしょうか」
「作兵衛を殺したくない」

敵を殺したくない、だなんて。こうなると仇討はややこしい、難しい。

が、菊之助の思いは叶えてやらねばならない、さあ、筋書の金治は忙しい。策を弄して考える。

業を負わねえ仇討をしようじゃないか」
「それには作兵衛が死なず、お前さんが国元に帰ればいいんだろう」

「こいつは真の仇である御家老を騙し討つための謀だ。木挽町の仇討ならぬ徒討ってやつさね」
「芝居ってのは、大の大人が本気でやってこそ面白いんだ」やり抜く覚悟があれば、望みが叶う
「忠義を尽くしたいってのと、作兵衛を殺したくないって、二つの望みさ」

「いっそ、芝居の幕の後、引けてくる客が見ている中で芝居よろしく派手に見せようじゃねえか。
赤い振袖でも被きにするかい」

ってことで、金治の策を受け、菊之助は作兵衛に言う。
「作兵衛・・・共にやってくれるか。徒討ちを」って。仇討を敵に頼むなんて、訳ありに決まっている。
用意周到、準備万端整い幕は上がった。

すべては終幕の国元屋敷の場、菊之助の語りによって明かされる。
なるほどそう来たか、という驚きのどんでん返し。胸のすく結末。

さあさあさあ、これにて、あだ討ちは成ったのだ。
「仇討」が「徒討」になり、ひらがなの「あだ討ち」に。意味はある。

菊之助が依頼した「そこもとの来し方などを語って欲しい」ね。
生まれを語り、思うように運ばなかった過去を語り、芝居小屋にたどりついたいきさつを語る。
長くなるから書いたけれど省きました。集まった面々と仕事だけを。


第一幕 芝居茶屋の場 木戸芸人 一八(いっぱち)
第二幕 稽古場の場  殺陣の指南をしている立師与三郎
第三幕 衣裳部屋の場 端役の連中の衣装を整えるのが仕事の二代目芳澤ほたる
第四幕 長屋の場 小道具仕立ての久蔵お与根夫婦
第五幕 枡席の場 筋書の金治  本当の名は野々山正二 

一気に読み進めたくはやる気持ちと、いや、読み終わるのがもったいないのとが相まって。
まあまあと一幕ずつちょびちょびと。
気持ちよく読み終えた時代小説は痛快で、
面白く楽しい。
永井さん、作者が楽しく書いた作品は、読者もとても読みやすく楽しく読ませてもらえるものです。
大変満足しています。次作も期待しています。

 

 

 

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あるあるな話『おいしいごはんが食べられますように』高瀬 隼子著

2023-06-20 08:58:35 | 

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
「わたし芦川さんのこと苦手なんですよね」って、押尾さん。

押尾さん、私が一緒にいじわるしてあげる。
私も芦川さんのような人、苦手だから。
芦川さん、最強。天然か意図としているのか分からないが、その生き方は最強。
だけど、芦川さんのような人は好きになれないわ。



タイトルに惹かれて読みだしたら全く関係ない違う話。
ちょっとざわついて、でも、あるあるよどこの職場も一緒だよと。
弱い者仕事ができない者が「できません」と堂々とアピールして「仕方ないよな」などと
思われるなんて。そのとばっちりを受ける努力してできる者にとっては邪魔くさいしかない。
しかも罪滅ぼしに職場にお菓子なんか持ってきたりしていい人アピール。
むかつくよね、ってな話。私は押尾さんに肩入れして応援したの。

じゃあ、芦川さんてどんな人なのかと。押尾さんは言う。

「芦川さんが予定外のことが苦手ってやつ、別に芦川さんがそう言っているわけじゃない
ですか。わたしはこれが苦手でできませんって表明しているわけじゃない。でもみんなが
分かっているでしょう。それで配慮している。それがすっごい、腹立たしいですよね。」

「頭痛薬飲めよって思いません?片頭痛がしんどいから帰りますって、それを言うなら
わたしも片頭痛持ちですよ。職場の引き出しに頭痛薬置いています。頭痛いくらいで帰ら
れちゃ仕事になんなくないですか」

芦川さんは無理をしない。できないことはやらないのが正しいと思っているの。
押尾さんのルールとは全く違う。それでは押尾さんてどんな人か、って。
「高校時代やっていたチアリーダー、別にチアが好きなわけじゃなくて、真面目ででき
ちゃったからしてただけ。途中でやめるのが苦手」この言葉に集約される。

頭が痛いので帰りますと当たり前のように言ってのける、仕事が忙しくなる定時で帰れな
い、他の人の残業が続いても、平気で18時から19時の間に帰宅する芦川さん。

芦川さんには休まれるよりはいいということで、18時を過ぎると、みんなが「そろそろ帰った
方がいいんじゃない」と芦川さんに声をかける。

職業人として普通に考えると、ありえないよね、みんなが残業していれば自分もなんとか
頑張ろうと思うって。
ところが芦川さん、当たり前に帰って、おやつを作ってくる。みんなより先に帰して
もらっているからと手作りのお菓子を持参する。おいしいと褒められれば喜んで、
持参する頻度が増えてくる。ケーキ、マフィン、ホールのショートケーキ、タルト・・・

もう何考えてるんだとむかつくわ。押尾さんじゃないけれどもらいたくないわ。
お菓子なんか持参する前に仕事やれっつうの。と代わりに私が吠える。

1日三食カップ麺を食べてそれだけでいい同僚の二谷。芦川さんが泊りに来て夕飯を作って
くれても、芦川さんが寝た後カップ麺をこっそり食べる、そんな二谷。
芦川さんと押尾さんの間を行ったり来たりの煮え切らない男なのよ。
仕事面では押尾さんの言うことはもっともだよなと思いつつ、芦川さんも可愛いなと
憎からず思っているわけ。こんな男がいるから困る、えらい迷惑。

たとえば押尾さんの愚痴を聞いて
「職場で同じ給料もらってて、なのに、あの人は配慮されるのにこっちは配慮されないって
いうかむしろその人の分までがんばれ、みたいの、ちょっといらっとするよな。分かる」

「みんながみんな、自分のしたいことだけ、無理なくできることだけ、心地いいことだけを
選んで生きて、うまくいくわけがない。したくないことも誰かがしないと、仕事は回らない」
なんて立派なことを言う。もっともじゃない、正解じゃないの。分かってるじゃないの。
そう思っているのに芦川さんをかばう二谷。ああイライラする。

で、それからおやつゴミ捨て問題が起きる。
ゴミ箱におやつを捨てたのは押尾さんに違いないってつるし上げをくうわけ。

「ゴミ箱に捨てられているお菓子を、わたし、回収してたんです。それで、それを、
こっそり芦川さんの机に置いていました。」押尾さんがしたことはそれだけ。なのに。

新年会翌々日。
「芦川さんがいつも手作りのお菓子を持ってきてみんなに配っていますが、それを
ゴミみたいに袋に入れて、芦川さんの机に置いている人が、います。」

皆の視線は押尾さんに。押尾さんは芦川さんの背中に。二谷は何も言わない。
当然芦川さんも言わない。だいたいのことが分かっているのに言わない。

4月の人事異動で二谷は千葉に。
押尾さんは退職して新しい職場に就職する。よかったわ押尾さん、最良の選択だわ。

押尾さんが負けて芦川さんが勝った。
正しいか正しくないかの勝負に見せかけた、強いか弱いかを比べる戦いだった。
当然、弱いほうが勝った。そんなの当たり前だった。

いやあすごい、これがすごい。でも私も経験上あるあるな話。えてしてそういうものよね。

押尾さんと二谷は最後に食事に行く。
「二谷さんと食べるごはんは、おいしい」
「二谷さんは目の前にある食べ物の話をほとんどしないから、わたしも、これおいしいで
すねとか、すごいふわふわとか、いちいち言わないですんで、おいしくても自分がおいし
いって思うだけでいいっていうのが、すごくよかった。
おいしいって人と共有し合うのが、自分はすごく苦手だったんだなって、思いました」
そう思う押尾さんも、ま、一筋縄ではいかない人かもしれないわね。

「押尾さんがつるし上げられたあの日、芦川さんの机にゴミ袋に入れたお菓子をおいたのは
おれだよ、芦川さんも分かったはず」とは二谷の告白。つるし上げくってる時に言えって
言うの、今頃になって卑怯でしょ。でも押尾さん、
「一緒に、芦川さんにいじわるしましょうって言ったの、わたしですから」のひと言。

送別会の日の押尾さんの挨拶。
「頭痛ががひどくって、せっかくなんですけど、送別会は遠慮させていただこうと思って
います。でも、ちょっと行きたくなかったので頭痛くなってラッキーとも思っています。
(略)ただ噓をつくのだけはやめようと思って。それだけです。頭痛もほんとです。
片頭痛持ちでしょっちゅう、痛くなるんです。普段は我慢して仕事したり飲み会に行ったり、
してましたけど、辞めるのにもう無理しなくていいかなって」

おお、押尾さん、よくぞ言ったわね。普段からそんなふうに言えばよかったのに、って。
でも、それはあなたのルールからは外れるのよね。

その送別会の日、芦川さんは大きなケーキを作ってくる、プレートまであるおいしそうな
ケーキ。
二谷は食べたくないのに「めっちゃおいしい」と言ってたべる。
その席で「俺たち結婚すスンのかなあ」なんて。
芦川さん「わたし、毎日、おいしいごはん作りますね」なんて。
幸福そうなその顔は、容赦なくかわいい。そう感じる二谷、ああむかつく。
「おいしいごはん」なんてなんの興味もないのに。

秀逸なタイトル。
「おいしいごはん」がもたらす人間関係があぶり出されていて、いちいちムカついて
イライラして、そうだそうだと応援して、うん、そんなことあるあるだよと共感して。
ざわついてなかなかに不気味な話だけれど、読後感は悪くなかったわ。
職場の愚痴を言う子どもたちにも薦めているの。

 

 

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タケトリ・オキナは誰 『月の立つ林で』青山美智子著

2023-06-13 08:40:53 | 

だいぶ前に読み終わっていて、ああいい小説だなと、ちょこっと下書きを書いた。
書いたはいいけれどそのまま放置。なかなかアップできないでいた。
そんなんだから当然忘れている。もうもう思い出すのが大変で。

 

『月の立つ林で』 いちばん最新で読んだ青山美智子さんの小説。
その前に読んだ作品が『赤と青とエスキース』
あれ?今までの青山さんの作品とはちょっと違う小説だなと感じて、少し読みにくかった
けれど最後の最後の結末が、やっぱり青山さんだとなって。

それに比べれば、『月の立つ林で』は安心安定の青山さん。
ごく普通に、誰しもが抱えるような悩みを持って、誰もが日々を送っている。
特別な人は出てこない、特別な事件は起こらない。でも生きにくい、やっぱりしんどい。
そんな人たちに送るツールが、ポッドキャスト。番組、タケトリ・オキナ『ツキない話』
そして、この番組が登場人物たちを緩やかに繋いでいく。

「ツキない話」ツキないをツキがないととるか、月が出ていないととるか。そこらあたり。

毎朝午前7時、10分間、月を偏愛する男性の番組、月についての豆知識や想いを語り続ける。
冒頭「竹林からお送りしております、タケトリ・オキナです。かぐや姫は元気かな」
の語り文句。

登場人物が何かのきっかけでこの番組を聞き始める。
それは偶然だったり誰かに勧められたりして。

*朔ヶ崎怜花 元看護師 就活中 弟がサクちゃん、朔ヶ崎祐樹
(この弟サクちゃんは何気にキーポイントになる人物で)

彼女はタケトリ・オキナを博識で、ちょっとユーモアがあって、表現豊かな男性と想像
する。オキナの声は朗らかで明瞭な、それでいてどこかしっとりと深みのある声を
している、と。

タケトリ・オキナは、番組で月の蘊蓄を。

「今日は新月です。どこにいるんだ新月。探せど探せど見つからないのが新月のニクイ
ところです。だけど、絶対にいるんだよな。この広い宇宙のどこかに、ひっそりと。
西洋占星術的には、新月は新しい時間のスタートのタイミングで、
初めてのことに触れたり、新しいことに渡来する絶好の日」

こんな語り掛けが、仕事をやめようかと逡巡している朔ヶ崎怜花の背中を押したりして。 

*本田重太郎は、お笑い芸人を目指していたが挫折して、今は宅急便の配達員。
彼はタケトリ・オキナの声を、
「いい声だな。優しくて静かで、どこかさみしくて、なのにあたたかくて、親しみやすくて」
と表現する。

声はその人となりを表すものね。ましてやポッドキャストは声だけで届けるわけだもの。

朔ヶ崎祐樹ことサクちゃんは相方。サクちゃんだけが売れて・・・
重太郎はそれが嫌さに宅急便の配達員となって。誠実な仕事ぶりにバイク整備士の
高羽さんが感心するの。

そのバイク整備士の*高羽(たかば)さんは高羽ガレージを経営。
ひとり娘が妊娠して結婚して家から離れた所で生活している。高羽さんは当然許せない。
お婿さんは、忙しい仕事の合間を縫ってわざわざ高羽さんを訪ねてくれるのにね。 
サクちゃんはここにも。
彼がポッドキャスト番組、タケトリ・オキナ『ツキない話』聞くように勧める。
それによって、ぎくしゃくしていた婿さんはじめ、家族とのつながりを考え直し取り戻す
きっかけになる。

タケトリ・オキナはこうつぶやく。

新月、
できれば毎晩、空に出ていてくれたらいいなあとも思うけど、でも、僕は、実は新月の
夜はちょっと気持ちが楽になったりもするんです。
最初から絶対見えないんだってわかっているなら期待もしなくてすむから

*逢坂那智 高校生18歳 母との二人暮らし 
アルバイトにウーバーイーツの配達員をしている。
スクーターを買うために 家を出るためにね。

神城迅君は同級生でクラスメイト。迅君のお父さんは劇団を主宰していて、突然迅くんに
頼まれてそのバイトを始める。那智さんは、
ジンくんの声はちょっとだけタケトリ・オキナに似ていると思っている。

*北島睦子 主婦の傍らアクセサリーを作り販売していて、そちらの方が売れ始めて忙しく
なり、家族をうっとおしく思い始め、家族との関係がぎくしゃくし始めるわけ。
そんなときポッドキャスト番組、タケトリ・オキナ『ツキない話』を聴いて。

僕たちがいつも月を見ているのと同じように、月にいたら地球を見ているんだろうなって」

彼の声は優しくて、話は面白かった。と。

旧暦では、新月が1ヶ月の始まりとされていました。月が始まる、月が立つ・・・そこから、
ついたちとなったそうです。新月を『月が立つ』と言う表現、すごく素敵だな、いいなあって、
僕は思います。

*リリカ 切り絵作家

と悩める人はここまで。リリカさんのところでタケトリ・オキナが誰か、かぐや姫とは。
実は誰に向かって元気かなと語り掛けていたのかが判明して、ああやはりそうなのかと。

タケトリ・オキナ様、あなたと夜ごとに見上げた月を、愛してくれてありがとう

いつもの青山さん作品と同じように、誰かが誰かとまあるく輪になってつながって
「関わっている」。それは「見えないつながり」であって、青山さんは「見えないけれど、
そこにいる存在」とはなんだろうと考えたときに「新月」だと言っている。

みんな幸せに、ほんのちょっぴり幸せになってくれればのいつもの青山さんの物語。
読み終わった後はしみじみとした温かい思いが残る。
それがちょっと物足りないといえば物足りない。のかもしれない。

下書きに置いている間に本屋大賞が発表されて、この小説は第5位に。

 

 

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結婚と家族と 『オリーブの実るころ』中島京子著

2023-02-20 09:04:32 | 

『小さいおうち』『長いお別れ』などの中島京子さん、好きな作家だから新刊本かなと
思うとすぐに借りてくる。
それでも、いちおうは発行年月日なんか確かめる、パラパラとめくって読んだかなと
思い返すのよ。『オリーブの実るころ』それでもやってしまった、2度目だ。
一話を読み始めて数ページ、うん、やっぱり読んでいる、あちゃあ、だ。
読んだことを思い出さないんだから、はじめてもおんなじだ、いいんだと読み続ける。

『オリーブの実るころ』

恋のライバルは、白鳥だった!?
結婚と家族と、真実の愛をめぐる劇的で、ちょっぴり不思議な6つの短編集。
(吉川英治文学賞 受賞第一作)

「家猫」
バツイチの息子が猫を飼い始めたらしい。でも、家に行っても一向にその猫は姿を
現す様子もなくーー。


「ローゼンブルクで恋をして」
父が終活のために向かった先は、小柄ながらも逞しい女性候補者が構える瀬戸内の
とある選挙事務所だった。


「ガリップ」
わたしたちは、どこまでわかり合えていたんだろう。男と女とコハクチョウとの、
三十年にわたる三角関係の顛末。


「オリーブの実るころ」
斜向かいに越してきた老人には、品のいい佇まいからは想像もできない、愛した人を
巡る壮絶な過去があった。


「川端康成が死んだ日」
母が失踪して四十四年。すでに当時の母の年齢を超えてしまった私に、母から最後の
願いが届く。


「春成と冴子とファンさん」
宙生とハツは、結婚報告のために離婚した宙生の両親を訪ねることになった。
二人は思い思いの生活をしていて。

ああいいなあとしみじみしたのが「春成と冴子とファンさん」いちばん好きかな。

ハツが妊娠したことで、宙生のお父さんの春成に結婚報告をしに会いに行くこと
になって。それもなんだかんだでハツさんがひとりでよ。

ひとりでの結婚の報告に「親父もそのほうが嬉しいとおもうな」
「知らない女と知り合うのも楽しいし、その彼女が自分の孫を生んでくれるんだよ。
シニアにとっては天使が降臨したくらいの話じゃないの?」
なんて宙生の奇妙な理屈、弁明。おとうさんもね、
「宙生といっしょに会うんじゃなんだこうか、本音で話せないだろうと思って」
ってなことを言うの。面白いわね。

宙生が「親」との関係と距離に関しては 「その分野は不得意」というだけあるわね。
でもでもそれだけじゃないけっこう温かな父との関係が。

じゃあ、宙生のおとうさんってどんな人かって。この方がユニークで私好きだあわ。
人工透析しながら船旅や国内放浪をしているのよ、宙生曰く

父の場合、週3回の1日24時間のうち、4時間は、透析、貴様につき合ってやる。
だけどあとの二十時間と週四日は俺さまのもんだって感じで。
ですって、なんたるお父さん。

「結婚されるの?」
「結婚なんて、ららーらー、ららら、らーらー」と歌い出したりして。
借金なんて、ららーらー、ららら、らーらー
透析なんて、ららーらー、ららら、らーらー
四音なら何でも使える、非常に使い勝手がよいって言われては、本家本元の吉田拓郎も
苦笑いだろうな。
ただし三文字だとだめです。
離婚なんて、ららーらーと歌っても腰砕け。浮気なんて、うん?

「ねえ、なんで、あなた。宙生のどこがいいと思ったの?」
「お腹に耳を当てて音を聞きたい、ここでやってみてもいいか」ってなことをサラッと。
「気を付けてね、道の内側を歩いてください。妊婦さんが車道側を歩いていると

ひやひやするんだ。車道側は宙生に歩かせなさい」
あああ、いいお父さんだ、素敵なお父さんだ。

ハツさんだってきっとそう思ったに違いない。お別れするとき、
赤ん坊が生まれたら、また来ます。その前に、ジミ婚するなら連絡します。
と挨拶しているんだから。

次はハツと宙生二人そろって、母冴子さんとパートナーのフアンさんに結婚報告。

冴子のパートナーフアンさん、女性よ。一緒に働き一緒に住んでいるの。
大歓迎した後、そのフアンさんもハツに尋ねる。
「アンタ、ソラオのどこが好きなの?」そして
「サイコの息子の子どもだもん。ソラオの子どもでしょう?それって、ワタシには
孫でしょう?アンタ、連れてきてよ、お願いだから。時々は顔見せてよ。しょっちゅう
来い、とは言わないからさ」
しょっちゅう来い、とは言わないからさ、だなんて素晴らしい気遣いの人だ。

冴子、宙生のお母さんね。フアンさんがよくしゃべるのと対照的に無口な人。

車を降りるときになって、勇気をふりしぼったようにして、耳元でハツに聞いた。
「ほんとに、宙生でいいんですか?」これで2度目の言葉。
「高校のときに家を出てしまって、それからずっと、私は心配で、ずっと心配で」
ハツさんはその言葉を聞いて思わず、冴子の手を取って、まだじぶんのあまり目立たない
おなかに当てたの。
「あ」と、冴子さんが目を泳がせて口を開けた。「また来ます」って。

春成と冴子とファンさん。
宙生のことをハツさんに尋ねる愛情あふれる言葉が、三人三様とはいえ奇しくも
同じだったりして。
読後がすごく温かい気持ちになってほのぼのして、なかなかだ。

 

 

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弥勒シリーズ最新作『乱鴉(らんあ)の空』あさのあつこ著

2023-02-12 09:07:06 | 

私が最初に読んだのは4作目の『東雲の途(しののめのみち)』
シリーズものとは知らずに手に取り読み始めたが、一気に読んでしまった。
それほど魅力的ですっかりはまってしまって。
図書館にある本を片っ端から読んでいって、ない本は文庫本で買って。
そんなわけだから順を追って読んだわけではない、が、1作目の「弥勒の月」は最初に
読んだ方がよかったなとは思った。
で、最新作『乱鴉(らんあ)の空』を書棚で目にした幸運には感謝よ。

あさのあつこさんの「弥勒シリーズ」
捕り物だから事件が解決するに至る過程にハラハラするドキドキする。
解決すればスキッとする。面白さにはずれはほぼないから安心して物語の世界に入って
いくことができる。けれど、このシリーズはそれだけではない。
登場人物がまた魅力的個性的で、同心とその手下の関係が際立っていて、それだけでも
読み応えがある。

北定町廻り同心木暮信次郎
岡っ引、伊佐治親分
小間物問屋遠野屋の主人、清之介その前身は複雑。

物語はこの三人を中心に回っている、ま、タッグを組んで解決に奔走しているといって
よいが、決して一筋縄ではいかない関係である。

信次郎と清之介の心理戦。相手の心の内を読むか読まれるか。
そこへ緩衝材両者を取り持つ格好の信次郎に仕える伊佐治。
いや伊佐治はほとんどは信次郎を毛嫌いし、清之介に魅かれている。なのに・・・

三人の中でいちばん人として真っ当な岡っ引きの伊佐治とは

尾上町の親分と呼ばれ先代の定町廻り同心・木暮右衛門(うえもん)から十手
を預かったベテランの岡っ引だ。右衛門を尊敬していた伊佐治は十数年前に右衛門が
亡くなってからも、あとを継いだ息子の木暮信次郎の手下として働き続けている。

では、伊佐治が仕えている同心の木暮信次郎とはどんな男なのか。

伊佐治のおかみさん、おふじはこう言う。
「あのお方が頼りになるかねえ」
「どうだかねえ、あっさり見捨てちまう気もするけど」
「だといいけど。あの方に人の心なんて望んでいいものか、迷うとこだよ」

遠野屋の女中頭おみつ、 
「あたしは、木暮さまが嫌いです。正直、お顔を見ただけでぞっとするほどですよ。
でも、親分さんは、尾上町の親分さんは好きです。とても、いい人だと思いますよ。
お話もおもしろいし、お人柄も信用できます。親分さんがいるから、木暮さまは
何とか人の枠内で生きていられるんですよ」

遠野屋の番頭信三は 
「嫌いなのではなく、怖いのです」

『乱鴉(らんあ)の空』弥勒シリーズ11作目 

元刺客の小間物問屋の主、遠野屋清之介と老練な岡っ引、伊佐治は、捕り方に追われ、
ある朝忽然と消えたニヒルな同心、木暮信次郎の謎を追う。いったいどこへ? 
いったい何が? 次々と見つかる火傷の痕をもつ死体の意味は? 江戸に蔓延る果てない
闇を追い、男と男の感情が静かに熱くうねり合う。

じゃ、いつも一緒に行動している肝心の伊佐治の心内はどうなのかと言うと。

信次郎が屋敷から姿を見せなくなり、伊佐治は番屋に引っ張られていく羽目になっても、
信次郎と事件の解決に向かう日々を思い起こして、こう言っている。

「岡っ引きを退いて、平穏な日々、憂いのない暮らしに潜り込むか。
やめられねえ。やめられねえ。もう少し、こうやって生きていてえ。」

そして、信次郎の隠れていた場所が分かり、当人を目の前にして言い募る。

「あっしがどれほど苦労して、旦那の岡っ引きを務めてきたと思いやす?
言いたかねえが、うちの旦那ほど付き合い難い者はおりやせんよ。薄情どころじゃねえ
人らしい情心なんて薬にしたくてもありゃあしねえんだ。そりゃあ、少しばかり、
お頭の回りは速いかもしれませんがね。取柄はそれだけじゃねえですか。」

「ともかく人柄はどうにもなりゃあしやせん。うちの屋根に止まっている鴉の方が
よっぽど善良でさあ。けど、同心としちゃあ、そこそこ働いちゃあいる。
旦那じゃなきゃあできねえ働きをしてなさる。そうわかっているから、辛抱しても、
付いて回ってんですよ」

伊佐治の怒りなど、そよかぜ程度にも感じていないのだろう。いつものことだ。
どれほど怒ろうと、悔しがろうと、突っかかろうと、信次郎には何程も応えはしない。
そう、いつものことで・・・・・。
不意に身体から力が抜け、前のめりに倒れそうになった。
いつものように、目の前に信次郎がいて、何を言っても涼しい顔で受け流してしまう。
やっと、いつもと同じになった。いつものようにが、戻ってきた。安堵に骨が溶け、
肉が溶け、肌が溶け、自分の全てがゆるゆると流れ出しそうな気がする。

そりゃあ信次郎の下で岡っ引きを「やめられねえ」となるわけだ。

その一方で、伊佐治はいつも尊敬し好ましく思っている清之介のことをこうも見ている。

伊佐治は唾を飲み込み、身を縮めた。
現の様相に怯んだのではない。横を向いた遠野屋の眼つきが刹那、研ぎ澄まされた
刃にも似て鋭く光ったからだ。見間違いではあるまい。薄闇に惑わされるような光では
なかった。
この男は稀にこういう眼つきをする。本当に稀だ。思いがけなく長い付き合いになったが、
伊佐治はまだ数えるほどしか知らない。知るたびに、身が縮む。
信次郎はいつも氷刀だ。その冷たさが、その切れ味が変わることはない。けれど、遠野屋は
常に穏やかで、温かく、柔らかい。この前のように、伊佐治の危地には必ず手を差し伸べて
くれる。下心も損得勘定もない。見返りも望まない。心底からの助けだ。他人を救い、
家族を守り、商いを育てる。刃などではなく地に根を張り枝葉を広げる大樹のようではないか。
ずるりと剥ける気がする。
大樹を思わせる男の姿がずるりと剥けて、青白い刃が現れる。今までと異なる形が現れる。
この眼に触れると、そんな心持ちを味わってしまう。

実は伊佐治のこんな遠野屋評はめずらしい。

それでは、信次郎の遠野屋評はどうかというと

難題な事件にいつも絡んでくる遠野屋を評して
「あやつは死神なのさ。どこにいても、何をしていても人の死を引き寄せる。不穏で、
歪んだ死を、な。死神でなきゃあ狼か。血の臭いを嗅いで集まってくる獣ってとこだろうな」

「おぬしには芝居などわかるまい。芝居も草紙も音曲もどれほど優れていようが、すり抜けて
いくだけさ」
「それらのおもしろさってのは、人の情に働きかけてくる。人ってのは情を揺さぶられる
から、おもしれえって感じるのさ。おぬしは揺れねえだろう。揺れたいとも望まない。ふふ、
いらねえよなあ、人らしい情なんて。おぬしにとって邪魔になりこそすれ役には立たない。
厄介なだけの代物、だろ?」

遠野屋清之介
「それは何とも。木暮さまにだけは言われたくございませんね」

「木暮さまとて、芝居や草紙に興が乗ることはありますまい」

なんともかんとも煮ても焼いても食えない、それでいて相通じているような似た者同士の
腹の探り合いで。こんな心理合戦がシリーズを通して繰り広げられているわけよ。
それにしても、信次郎をそれほど人でなしのように書かなくてもいいのに、と私は
あさのさんにちょっとだけ言いたくなるの。けっこう魅力的なんだから。

 

以下は私の備忘録として。

あさのあつこ『弥勒シリーズ』

1.弥勒の月

小間物問屋・遠野屋(とおのや)の若おかみ・おりんの水死体が発見された。同心・木暮信次郎(こぐれしんじろう)は、妻の検分に立ち会った遠野屋主人・清之助(せいのすけ)の眼差しに違和感を覚える。ただの飛び込み、と思われた事件だったが、清之助に関心を覚えた信次郎は岡っ引・伊佐治(いさじ)とともに、事件を追い始める……。
“闇”と“乾き”しか知らぬ男たちが、救済の先に見たものとは? 

2.夜叉桜

江戸の町で女が次々と殺された。北定町廻(きたじょうまちまわ)り同心の木暮信次郎(こぐれしんじろう)は、被害者が挿していた簪(かんざし)が小間物問屋主人・清之介の「遠野屋」で売られていたことを知る。因縁ある二人が再び交差したとき、事件の真相とともに女たちの哀しすぎる過去が浮かび上がった。生きることの辛さ、人間の怖ろしさと同時に、
人の深い愛を

3.木練柿(こねりがき)
胸を匕首(あいくち)で刺された骸(むくろ)が発見された。北定町廻(きたじょうまちまわ)り同心の木暮信次郎が袖から見つけた一枚の紙、そこには小間物問屋遠野屋の女中頭の名が。そして、事件は意外な展開に……(「楓葉の客」)。表題作をはじめ闇を纏う同心・信次郎と刀を捨てた商人・清之介が織りなす魂を揺する物語。

4.東雲の途(しののめのみち)

橋の下で見つかった男の屍体の中から瑠璃が見つかった。探索を始めた定町廻り同心の木暮信次郎は、小間物問屋の遠野屋清之介が何かを握っているとにらむ。そして、清之介は自らの過去と向き合うため、岡っ引きの伊佐治と遠き西の生国へ。そこで彼らを待っていたものは……。

5.冬天の昴

北町奉行所定町廻り同心、木暮信次郎の同僚で本勤並になったばかりの赤田哉次郎が女郎と心中した。その死に不審を抱いた信次郎は、独自に調べを始めた矢先、消息を絶つ。信次郎に仕える岡っ引の伊佐治は、思案に暮れた末、遠野屋清之介を訪ねる。次第に浮かび上がってきた事件の裏に潜む闇の「正体」とは――。

6.地に巣くう

北町奉行所定町廻り同心、木暮信次郎が腹を刺された。信次郎から手札を預かる岡っ引の伊佐治、信次郎と旧知の小間物問屋・遠野屋清之介に衝撃が走る。襲った男は遺体で大川に上がる。背後で糸を引く黒幕は何者なのか。深まる謎のなかで見えてきたのは、信次郎の父親・右衛門の衝撃の「過去」だった――。

7.花を呑む

「きやぁぁっ」老舗の油問屋で悲鳴が上がる。大店で知られる東海屋の主が変死した。内儀は、夫の口から牡丹の花弁が零れているのを見て失神し、女中と手代は幽霊を見たと証言した。北町奉行所の切れ者同心、木暮信次郎は探索を始めるが、事件はまたも“仇敵”遠野屋清之介に繋がっていく……。

8.雲の果(くものはたて)

小間物問屋〈遠野屋〉の元番頭が亡くなった。その死を悼む主の清之介は、火事で焼けた仕舞屋で見つかった若い女が殺されていたと報される。亡くなった女の元にあった帯と同じ作りの鶯色の帯が番頭の遺品から見つかり、事件は大きく展開する。北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎と“仇敵”清之介が掴んだ衝撃の真相とは――。

9.鬼を待つ

飲み屋で男二人が喧嘩をした。一人は大怪我、殴った男は遁走の果てに首を吊った。町方にすれば“些末な”事件のはずだった。しかし、怪我を負った男が惨殺されたことから事態は大きく展開し、小間物問屋〈遠野屋〉の主・清之介の周囲で闇が蠢く。北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎と岡っ引の伊佐治が
辿り着いた衝撃の真相とは――。

10.花下(かか)に舞う

口入屋の隠居と若女房が殺された。北定町廻り同心、木暮信次郎は、二人の驚愕の死に顔から、今は亡き母が洩らした「死の間際、何を見たのであろうか」という意味不明の呟きを思い出す。謎めいた事件と才知にたけた女性であったと知る母の過去。岡っ引の伊佐治、商いの途に生きようと覚悟する遠野屋清之介。得体の知れない危うさに呑み込まれていく男たち。

 

 

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想像の翼を思いっきり羽ばたかせて 原田マハ『風神雷神』

2023-01-21 08:56:29 | 

ほんとうに久しぶりに原田マハさんの小説を手に取った。
美術小説に飽きていたというのがある。
が、風神雷神上下2冊が書架に並んでいるのを見て、読んでみようかなと。

    

いやいや完全に原田さんの想像の世界で遊ばせてもらった。
頭の中は、そんなことありえないでしょと否定しつつ、でもそんなことがあったら面白いな
と自分も空想したりして、それらがごちゃごちゃぐるぐると回る。
半分否定、半分肯定を行ったり来たり。虚実ないまぜの世界。

京の扇屋の息子宗達がいくら絵がうまくて評判だったとしても、織田信長と謁見する機会を
得て、信長を前に即興で白い象の絵を描いてみせたりするなんて、ね、ありえない。
永徳が信長の命を受けて2作目の「洛中洛外図」を描き、しかも少年宗達を手伝わせるなんて
ありえない。完全に原田さんの想像の世界に付き合わされる。
じゃ想像の世界だからどうだってんだと言われれば、それが面白いの、引き込まれるの。

話は更に飛躍して。
「天正遣欧少年使節」メンバーは、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ、
派遣当時はわずか13~14歳。宗達も信長の命を受けて狩野永徳の『洛中洛外図屏風』を
ローマ法王に届けるため、ヴァチカンへの旅を彼らに同行することに。なんてすごい妄想。

なかでも原マルティノと気が合い、深い友情が育まれていくのよ。ここらあたりはちょっと
胸熱くなったりして。

     (webより)
原マルティノ             カラバッジョ

で、原田さんの想像は、ミラノにある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」食堂に
描かれてあるダ・ヴィンチ『最後の晩餐』の前で、宗達、原マルティノと後のカラバッジョ
が遭遇しひとときを過ごす、というところまで飛んで行って。

ここまで来ると、ありえないなんてことはどうでもよく、ほんとうに宗達とカラバッジョが
このように巡り合って絵師としてお互いに刺激し合っていたら、と想像を膨らませ
フィクションを楽しんだわ。

原田さんは言っている。

「歴史小説の面白さは、歴史上、周知されていることを踏まえて、解明されていないことを
小説家がドラマチックに物語ること。ただ正確に描くことではなく、あらゆる逸脱や矛盾を
乗り越えて、高揚感を味わえるのが小説の醍醐味でもあります。もう500年近くも前のこと
だし、誰にも本当のことはわからないぶん、私の想像の翼を思いっきり羽ばたかせて好きな
ように書いています。」

 (webより)

なお、宗達の人生や人物像などが何もわかっていないという。
俵屋宗達という名は、扇絵や屏風絵、金銀泥の下絵といった絵画を制作販売する「俵屋」を
営んでいたことからつけられたもので、絵師として知られるようになったのは、
芸術家・本阿弥光悦が自身の書の下絵を宗達に描かせたことがきっかけだといわれている。

 

 

 

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