まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

明日

2007-01-27 21:09:39 | Weblog
赴任地に帰ります。

友人たちに会って、友人たちと電話で長話をして、病院巡りをして、銀行巡りをして、ヨガで汗を流して、庭もさっぱりさせて、ついでに家もさっぱりさせて・・・
全て完了。

父も期限付きだからとはいえ、張り切って留守をしてくれたようで。
母も変わらないでいてくれたようで。

明日からは、平凡で静かな(退屈なともいえるかしら、罰当たりな。)生活が待っています。
病院のすぐ近くに、中央図書館があることが分ったので、せいぜい利用します。結構、最新本がそろっています。バーコードも裏表紙に控えめに張ってあるので、表紙が楽しめます。帯もきちんと表紙の内側に張ってあるところも嬉しいです。

今度はいつになるか分らないけれど・・・
ではまた。
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待っていてくれたのね

2007-01-27 14:26:34 | Weblog
可愛いわ。先月は咲いていなかったのに・・・


冬咲きのクレマチス。去年より花が大きくさいた気がします。


スカビオサが開き出しました。


「雲南さくらそう」だと思うのですけれど・・図鑑を見ると花が違うのよね。初めて夏越しに成功して、ものすごく嬉しい!


葉色が悪くなっているところを見ると、栄養不足かも。でも、花はぐんぐん咲いています。

今度帰るときは、庭の花たちはどうなっているだろう。楽しみ。

やっぱり都会は刺激的ね。
今日、けちな私は月謝を取り戻すべくにジムに行きました。
静かに真剣に太極拳のレッスンが始まった途端、おじ様が、最大級な音で
「ハックショオオーーーん!!!」だって。私はそういうときに笑わずにはいられない性質で・・・・
そのレッスンで顔なじみだった40代前半ママと遭遇。「あらーー、久しぶりです、どうしてました?」と聞かれたのでお互いに近況報告。ま、私の話はさておき
「息子ちゃん、どうした?」
「聞いてくださいよ。もう、ばかでばかで。携帯代6万円も使ってるんですよ。」  自分で払わせな。ジャニーズ事務所とか入れて。
「洟たらしているような子ですよ。」  それじゃダメだわ。
「3万円ぐらいのとき知らせてください。って電話したら、親の管理が悪いです。と言われました。」  そりゃあそうだわね。あなた何のために働いているかわからないジャン。息子の前で泣いちゃいな。
「うん、大丈夫、私女優だから(???)。いやんなっちゃう。」 
さっぱりそう言って「じゃあ、気をつけてくださいね。」と、風のごとくさっさと帰っていきました。

はあーっとため息をついた次第です。でも、私はなんでもスパッと言っちゃう正直な彼女のことは大好きなんですよ。だからお互い遠慮なく何でも言ってしまう。それにしても刺激的な話。
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帰宅した夫の第一声は

2007-01-26 20:38:26 | Weblog

「こいこい、やったか?」 もちろん酔っ払っています。
「うん、腹いっぱいやったよ!」

腹いっぱいやったせいか、今日は少し頭が重いです。
やっぱ、いいですねえ、パソコン。楽しい!ブログめぐりもメールもネットを見ることもゲームも・・・・

佐渡の一日はというと。
朝起きる掃除をする朝食を食べる雑用をする昼ごはんを食べる病院にいく夕ご飯を食べる寝る
この繰り返しよ。
主治医の先生のお話を聞きたいときは、午前病院に行く。父以外の人と話したいときは、友人の店を訪れる。ま、変化はこれくらいです。
うーーーん、これに慣れてくると、ま、これもいいかと思えるから、この心境は私としては自分でも考えられないのです。

もう、つよポンもSMAPもあの映画も政治も教育再生会議も、遠い遠い出来事のよう。どっちでもよくなってくるわけよ。これっていいのかね悪いのか・・・ね。
今日は天気がいいだの寒いだの、蟹が出ていただの、からし菜の時期になっただの、あそこの家でも誰かが具合が悪いだの・・・

だってね、映画館もない!夕刊もない!雑誌は遅れてくる!etc
いくらダヴィンチの「受胎告知」が日本に来る、なんてニュースが流れても、ここじゃあ観に行けないもんなあ。
ま、私はウフィツィ美術館で2回も鑑賞したからいいけれど(自慢しまくり!)ざっと全てがこんなものです。

でも、この度は大がつく位嫌いだった佐渡を見直しているの、それも事実。晩秋及び初冬の佐渡の田園風景は、しんとしていて素晴らしい。私は自分が住んでいる港町が嫌いだったのであって、病院までの幹線道路の周りの農村風景は、程よい大きさで、すごく好きな光景です。

ばあちゃんたちがのんびり過ごしている日帰り温泉も、いかにもで和みます。父がディーサービスに行く日は、母の病院に行った帰りにそこを利用したりで。もう3回も行きました。何の変哲もないところがのんびりできるのよ。いいわぁ。

何十年ぶりかで父と夫と佐渡で正月を迎えました。きれいな初日の出が見られ、思わず3人して拝みました。
母も小粋なことをしてくれたものです。感謝

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続きです

2007-01-25 18:06:35 | Weblog

それでも不安な私は、しつこく
「先生、一時帰っているときに限って、そういうことはありますでしょ!」とダメ押しをすると、
「往々にしてあるね、もう会社の休暇が取れないと言って帰ってしまうと呼び出さなければいけなくなってしまう。不思議なもんだ。」
と、ダメ押しのダメ押しなお言葉。
こうなると覚悟は決まります。

それからです。それこそできるだけの手立てはとりました。

脳梗塞の後遺症が見られるようになって、母の一件がショックになって、どことなくぼんやりしている心配な父は、一人残しては行けないので、新潟に住んでいる父の妹の方にお願いして、1週間来てもらい、泊り込んで父のお世話をしてもらいました。

叔母にお願いをして、母の様子を見に病院に行ってもらうことにしました。

出発の朝にバスで20分かかる病院に行き、母に「私が帰るまでがんばっていてね。」とお願いし、1時間に1本しかないバスで埠頭までとんぼ返りし、高速船に乗りました。

電車の中では、正味2日間でやらなければいけないことを箇条書きにし、時系列で行動計画を立てました。等々。

原チャリは大活躍しました。
2日目、南部病院での診察終了で全てが終わったときは、ほっとして倒れこみそうになりました。(あっ、おおげさです、おおげさ)

29日、佐渡に帰る日は台風並みの低気圧接近で警報が出ていて、船が欠航な事は分っていたのですが、ともかく新潟までは行こうと決め、佐渡汽船につきました。やはり、ものすごい風で全便欠航。
仕方がない、ビジネスホテルに泊まり、翌朝6時の1便で、無事佐渡に帰ったのです。その足ですぐに病院に向かい、母の顔を見たときは心底安心しました。

携帯、そのとき購入しました。もう、四六時中、携帯を握り締めていましたよ。(ポルカさん、紹介、ありがとうございます)べとべとするくらい。

正月休みがあけ、お医者様に報告すると、
「正直、あの時は危なかったですね。状態が良くありませんでした。」とおっしゃいました。うん、やっぱりそうか、と、自分の胸騒ぎといおうか異常なまでの心配さ加減を思い起こすと、すとんと胸に落ちるものがありました。

これからは、自分の心が命ずるままの感情や行動は、無条件で信じることにします。外れたら、杞憂だったんだと、あるいは仕方がないことだったんだと思うことにして・・・

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自分の勘を信じる

2007-01-25 08:52:22 | Weblog
勘とは違う気がするのです。本能といっていいのかな。

12月1日、2日のブログを読み返してみると、なぜあんなに気ぜわしく動き回っていたのか不思議です。2日は教室に行く前に、自分の年賀状も作り上げていたのですよ。図書館だって返却期限はまだまだ先だったのに・・・

今となっては、あの電話が母とかわした最後の言葉になりました。
「待ってるや・・・」

暮れに、どうしても帰らなくてはならない諸用事を抱え、私はなんとも悩んでしまいました。母の容態ががなんとなく不安だったからです。
病室に入ってくる看護師さんに「行って来たいのですが、大丈夫でしょうか?」と聞きまくりました。看護師さん、きっと困ったでしょうねぇ。顔に出てましたもの。担当医師、大学からの派遣医師、主任医師、3人の先生たちにも事情を訴え、ご意見を伺いました。
我ながらそんなに不安だったら取りやめればいいのに、とは思うのですが、期限の分らない看護に入るのですから心置きなくしておきたいという気持ちが先にたち、切羽詰っていたのです。
決定的な言葉を言ってくださったのは、主任医師の方。
「いってらっしゃい!割り切って行って来て下さい。心配だといっていたら24時間ついていなくてはなりませんから。」

ずるい私は、自分の中で結論付けていたことを誰かに言ってもらいたかったのね。ものすごく納得しました。そうだ!と言葉に出したいくらい。

用足しに出かけなければなりません。また後で続けます。1回投稿。
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父から

2007-01-24 20:51:53 | Weblog

電話がありました。どうやら今日は無事に過ごしたようで・・・
私の横浜行きに際しては「覚悟する」というから、何のことかと思ったら、ひとりで生活することにだそうで。笑ってしまいます。
母の容態は良くもなく悪くもなく、それなりに安定しているようなので(医師のお話)・・・看護師長さんも今回はにっこり送り出してくれました。

話は前後しますが。。

私から1週間がヤマ場だと言う話を聞いた温泉友人は早速見舞いに来てくれました。家に帰ってから長い電話が・・
「あんた、こういっちゃ何だけど準備だけはしとけや。線香はある?ろうそくは?この辺ではの、枕元に団子を供えるんだや、こっそり粉を買って隠しておけや。」 えーーーっ?
「それからの寝かせる布団は?どうせ一緒に燃やすんだからいいのでなくていいから用意しておけや。」 おーそうか。
「近所の人が念仏に来てくれるかもしれないから、湯飲みとかもある?足らなかったら貸せるから言って!」 そんなことする習慣があるのか。

挙句の果てに、家まで来てくれて
「病院から運ぶときは、いつでもいいから、夜中も私携帯枕元において寝ているから言ってね。私が運んでやるから。業者に頼むと2万円も取られるから。」
「私の兄貴はね、父さん運ぶとき、夜中だったから家から軽トラック持っていって乗せて来たが」
あの野菜とか農作業道具を運ぶ軽トラよ。もう不謹慎な話だが二人して涙が出るほど大笑いした。涙が出るほどね。でもなあ、こうなってくるとありがたいのかそうでないのか、複雑よ。

団子は救急車友人が「粉が余っている」そうで、彼女が作ってくれることに。ついでに枕屏風も貸してくれることにもなりました。そんな話を聞いていた彼女のご主人が、
「あんたたち、そんなこと、はや、言ってるとお母さんが怒ってしまうぞ。」とあきれていました。まあ、そりゃあそうですよね。
でも、それからがさらに、びっくり仰天。
なんと先に骨にしてしまうそうで・・・・
その後お通夜、それからお葬式とこうなるそうで。
「だからの、葬式なんて何にもすることないや。」だそうです。

やはり、不謹慎でも何でも、先に何人も見送っている地元友人から聞いておかなければならないとつくづく思いました。
供えあれば憂いなし。

 




 

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逆単身赴任で

2007-01-24 17:26:38 | Weblog
赴任地はもちろん佐渡です。本日は横浜の家に一時帰宅で・・・

昨年の12月3日、父からたどたどしい電話があり、母が倒れたからすぐに来て欲しい、というのです。何がなんだか分らずこれは大変だということで仕度をしていると、追って、緊急入院先の医師からお電話が。
「脳出血です。意識が全くありません。治ったとしても戻ることはないでしょう。1週間がヤマ場ですからそのおつもりで来て下さい。」

ひゃーっ、ここまで言うのね、と夫とその準備をしましたよ。後のことは夫にお願いして取り急ぎ佐渡まで。取り急いでも、2時過ぎに出て夜の10時に着くという距離ですけれど。

母は未だに何も知らずに眠っています。日頃から、眠れない眠れないと訴え続けていましたから、好きなだけ眠ってもらっていいわ。
冷たい父と娘は、「母さんが何も分らないでいてよかった。意識があってこういう状態で居たら、どんなに嘆くことだろうね。」と、慰めあっています。

1日の昼の3時間くらいは、何も話さない何も訴えない母の病室で本を読んだり、数独したり、ぼんやり病室から外の景色を見たり。
そのほかの時間は、「今日、何したっけ?」とか「探しているものが何か分らん。」とかとぼけたことを言う父の相手をしたり。
「父さん、おむつ代にお金を使うより、お酒に使ったほうがいいでしょ。」
と二人して毎晩晩酌したり。

両親との最晩年の過ごし方としては、ま、上出来かな、と思っています。今のところはね、あくまでも今のところはです。

ではまた。
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