まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

紫陽花の道

2012-06-30 13:02:50 | 舞岡公園

6月も今日で終わりなんて・・・早い。
総括してみよう。固いか。

いやいや、1月から4月までの水面下引きこもり生活が嘘のようで。
6月。なんか爽やかに、やることやったの清清しさ。滅多にないことだわ。
揺り戻しが怖いくらい。ま、そんときはそんとき。とり合えずよしとする6月。

そんな今日。
梅雨の晴れ間の舞岡公園、久しぶりの舞岡公園。
木漏れ日の中、紫陽花が優しく咲いていました。

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『あすなろ三三七拍子』

2012-06-29 09:02:34 | 

いやあー、読まず嫌いってあるのね。
重松清さん、ごめんなさいって感じです。

横浜友から借りた文庫本『電光セッカチ』でしみじみして。
あれま、悪くないんじゃない、と思ったのがきっかけ。
図書館で借りてきたわ。

右から2番目が主人公 応援団長 45歳藤巻大介さん。
なに、世田谷商科大学(通称セタショー)の応援団会長であり会社社長の荒川さんから無理矢理業務命令で押し付けられるわけ。社会人枠で入学し、存亡の危機にある応援団を立て直せと厳命受けるわけ。

この峰岸達さんの表紙絵及び挿絵がほんと見事。これだけで内容が想像できるというもの。

ダブル背広が先輩斉藤さん。もうひとりコンビの山下さんがいるのよ。
旗を持っているのが、娘恋人へなちょこの翔君。
右のりりしい子がわけあって応援団入部の沙耶ちゃん。
太鼓左手だけ出ているのが唯一自ら入部の健太君。
裏表紙にチアリーダーの玲奈ちゃんがジャンプしている。
この人たちのキャラが際立っていておかしいのなんの。

これらの登場人物が織りなす1年間に、私も団に入った気分になって一緒に笑い涙し(まさか涙が出るなんて思ってもみなかった)、小説の面白さを久しぶりに味わったわ。

けっこうぶ厚くて上下2段組になっていて、寝転んで読むには不自由。
けれど、ハートが熱くなってどんどん読み進んでいくこと請け合い。
この何かとうっとおしい世の中に、オススメです。

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スマホ、デビュー?

2012-06-28 13:55:55 | くらし

誰が?って、もちろん私・・・よ。
ほんとか?って、ま、そう言えなくもない・・・ていど。

だいたいね、携帯メールだっていちいち老眼鏡出さなきゃいけないからいやだって言ってるくらいだからさ、押して知るべし。

ん、でもデビューしたのは、これがデビューといえればの話だけれど、事実。
それも一度ならず二度も、カメラ部門で。

一度目は岡山城内見学の折。
出張帰りらしきサラリーマン氏にカメラ撮影頼まれたの、夫じゃなくてこの私によ。
お殿様の駕籠に乗って得意満面の図。
「ここを押してください」って。押せばいいですからって。
私も思わず聞いたね。
「これがスマホってやつですか?」
(ま、教室で触っていたことは内緒)

二度目はここクレマチスの丘で。(岡山城の写真は全部削除済みなの)

 

母娘さんのふたり連れ。
スマホ渡されて。どこでもいいから押してくださいって。
「えっ?どこでもいいんですか?」
思わず聞いたね。
どこでもいいなんてなんとも頼りない。

ま、言われたとおり画面(でいいのか?)をタップした。
タップ、くらい知っているぜ。ついでにアプリも知っているぜ。

 

タップしてから画像が出てくるまでがやたら長い。
せっかちな私としては写ったかどうか不安になるくらい長い。

「いいのかしら?」
返しながら娘さんに訴える。大丈夫ですって力強い返事を貰って・・・やがて。
「いやだ、おかあさん」
画像を見て二人して笑っているけれど、いいのか?

あっ、もう1枚撮りますから。って無理矢理二度目チャレンジ。
ポーズつけるやらなにやら。
挙句の果てに「押してから長いのね」なんていっちょ前に文句をつける始末。
またもや写真確認されて、「いやだあ」って。
もう知らん。平謝り。
ま、そこはモデルがいけないことに双方(双方でいいのか?)納得して。

 

 

あああ、やっぱりカメラはいくらコンデジでもカメラがいいな。
シャッター押してカシャッていう音聞いて、いかにもがいいな。

スマホ撮影は、なんだかいまいち何しているか分らないもんな。
たかだかカメラでこんなこと言っているのだから、他のアプリはもっと使いこなせないな。
スマホいらないな。

以上。負け惜しみの弁。

 

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台風の前に・・・

2012-06-27 12:29:40 | 

今更ながらの話になってしまうけれど。
台風後の庭の状態があまりにひどくて・・・

しかしながら。
こういうとき、我ながら、このせっかちな性格が役に立ったな、とほくそ笑むわけですよ。

しっかり記念写真撮影済み。はい。

*カタナンケ

 6月17日

おおおっ、嬉や。
やっと咲いてくれたか、(蕾の期間が長いのよ)なんて愛でていた。この色花姿。

背景にうっすらとらっきょ状の物が見えますでしょ、あれが蕾。
全部咲いたらどんなに見事かとわくわくして待っていたわけですよ。
写真もそのときに撮ろうかな、なんて一瞬思った、思ったけれど。
なに、咲き揃うのを我慢できない。それだけ。
ゆらゆら揺れるから何回も撮った。何日にも分けて器量よく撮れるまで粘った。
それがこの1枚。よくぞめげずにがんばった自分。褒めるね。
だって。
台風後は花首全部うな垂れて・・・
すみません、私たちもうご期待に添えません、無理です状態。この1枚、貴重だわ。

 

 カシワバアジサイ

 6月17日

薄青緑がいちばん、なんてこと言ってたわね。
真っ白もやっぱり捨てがたい、なんて記念写真。
台風後は、みーんな薄茶色ですまん、状態。
いつまでもそのままじゃ我が身を見るようで。見苦しいからDelete。

 

そして、 6月18日

佐渡産*オカトラノオ

 

やっぱり花は一期一会だわ。そのときに、ね。

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「夫婦連れだからといって

2012-06-26 10:59:15 | くらし

仲がいいとは限らないのよ」って。

 


「東北、夫婦で行ったのよ、仲がいいわね、うらやましいわ」
と横浜友1がご主人に言ったという言葉に対しての私の返答。
「そうよ!私だって置いて行く方が面倒だから一緒に行ってるのよ」
横浜友2が力強く援護射撃。

そうそう。夫婦でいるからって、別に仲がいいだけでなくいろいろあるわさ、ね。

 

今回のツアーメンバーの中にも豪快な女性がいらした。
盛岡で新幹線を降りるなり、
「だから、電車の中で済ませと言ったのに。段取りが悪いんだから。私なんかさっさと電車の中でしたわよ。もう喧嘩しちゃったわ」
と駅のお手洗いに行ったご主人にぶーたれているわけ。待たなきゃあなんないないものね。
降りる前に電車で済ませよ!というの、わかんないわけでもない。

  

この方と夕食の席も隣に座った。
ご主人が先に席を立った後、なんたらかんたらで、話は、
「商売しながら姑と主人の面倒をずっと看て、もう腹立つこといっぱいあったよ。そのときはね、いまにみてろ仇とってやるからってずっと思って我慢してたわよ。今は姑はいないからさ」って。
私の前に座っていた酸いも甘いも十分噛み分けたふうの年配女性の方、
「よかったわね、こうやって旅行出来てるから仇とったんじゃないの。あなた強そうだから」
って穏やかに言い放って。それでちょん。さすが。

でもね、先々でソフトクリーム一緒になめたりしているんだから悪くもないのよきっと。

別に旅行だけじゃなくても、夫婦連れで歩いている人たちを冷やかすと、

「荷物持ってもらうのに便利だからさ」とか、
「この人の散歩は長くて待っていると大変なのよ。二人で出れば、私が買い物から帰ってご飯の仕度をし終る頃に、この人が帰ってくるからちょうどいいの」とか。

80代ご夫婦になると、
「俺はなんでも直ぐに忘れるから、この人について来てもらわんと用が足せん」
と奥様を秘書代わりにしてらっしゃる方もいる。


ま、ま。
何はともあれ一緒に歩く人がいるだけでもよしとするか。

 

 すみません、全く関係なく。

映画『じんじん』松島ロケ中だった*大地康雄さん。周りの皆さんはエキストラの方たち。

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ジューンベリー

2012-06-25 08:04:26 | 

もう直ぐ、Juneの月も終わり。慌てて参上。
いいわあ、ジューンベリー。好きな木です、ほんと。

  

今年はぐんぐん育ち、育ちすぎて・・・   木全体が前のめり。

花つきがよかったから実もたくさん生って、しじゅうからやめじろなどの鳥たちの食料にしようと(これがまたよく訪問してくれたのよ)剪定を控えていたことが仇になって。

例の台風でゆっさゆっさ大揺れ、倒れるんじゃないかと気が気じゃあなかった。
夜中だって外に出て観察。
見てたってどうなるものでもない、道路やフェンスに倒れこむことはあるまいと腹をくくって布団にもぐりこんだけれど。

で、ツアーから帰って、落葉樹は冬に強く剪定なんて法則無視。

がんがん切ったね。 こんなにすかすか。前の家の奥様が2階の雨戸を開けると我が家が丸見え。目が合っちゃうほどよ。仕方ないか。

君の生命力にかけるからね、くれぐれもグレて枯れたりしてはいけないよ、応援するからさ。

 

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分かれ目

2012-06-24 12:53:21 | くらし

一気に行きますなんて言ってたけれど。ごめん、もう少しお付き合いくださいませ。
私めの取り留めのない、でも言いたいことなのです。

   

大船渡のガイドさんは、45号線が犠牲になったかならないかの境目だったとおっしゃっていたけれど、分かれ目はそれだけではなかった、と感じる。

陸前高田のガイド新沼さんは、多くの被害があった市役所前で震災にあったそうだ。
「僕は命きたないからすぐに山に走って助かった」そうだ。
市役所近辺建物に避難した人たちが犠牲になり、山に逃げた人たちが助かる。

そして新沼さんは話を続ける。

市役所近くのグランドで部活練習していた高校生は、指導者の指示でそばの建物に避難して犠牲になった一方、高校の校舎で部活動していた高校生は、指導者が山に逃げろと指示したお陰で犠牲にならずに済んだ。
指導者の指示の一言が高校生の命の分かれ目なんて。恐ろしい。

また40分という時間が微妙だったと。

一度山に逃げた人も、まだ津波は来ないから大丈夫じゃないかと言って、家に防寒具を取りに帰る、貴重品を取りに帰る、そういえばあの人はどうしたかと安否確認に帰る。
ところが、そこに津波が襲ってきたのだそうだ。
ぎりぎり10分から20分で津波が来たとしたら帰らなかっただろう、また40分以上かかったとしたら帰ったとしても戻ってこられたかもしれない。
40分は帰って戻ってくるには不幸な時間だった、とおっしゃっていた。
生死の分かれ目にはこんなことも左右するのか。

  

バスの車窓からの光景。

湾に面して斜面に家が建っている集落。
道路から半分以上の高さに建っていた家までが津波にのみ込まれて基礎部分しか残っていないのに、それよりわずか50センチ高いところに建てた家は日常生活を送ることが出来ている。
それの様子がくっきりと見て取れる。

普通の住宅地と背中合わせに立ち並んでいる仮設住宅。
仮設に住んでいる方たちは、毎日今までと同じ暮らしを続けているだろう住宅地の人たちを眺めるのだろう。

なんといっていいのだろうか、どうにもやりきれない思いがする。

 

このツアーで、東日本大震災はほんとうに広範囲にわたる大きな被害をもたらしたことを、復旧復興には長い年月がかかるだろうことを、嫌というほど実感しました。
これからも何かの形で、軟弱な私にも出来ることをやっていこうと決心した次第です(ほんとにやれよ!自分へのエール)。

 

 

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『津波てんでんこ』

2012-06-23 13:42:45 | くらし

軟弱な私でもできることはないかと、持ち続けていた気持ちをこれなら実行出来ると参加した東北応援ツアー。
陸中海岸を久慈から松島までの観光、と称して被災地を実際にこの目で見、話を聞く2泊3日の旅。

ツアー中、バスガイドさん、ボランティアガイドさん、施設の職員の方、ホテルの従業員の方、どなたもが発した印象的な言葉。

『津波てんでんこ』
「てんでんこ」 てんでんばらばらに各自めいめい。普通ならいい意味では用いない言葉。
それが、とても大事な意味を帯びている、と。
自分の命は自分で守りなさい。たとえ夫婦親子兄弟でもかまわずまず自分の命を守って逃げなさい。生きていれば必ず会えるんだから。って。
お話された方たちは、是非この言葉を伝えて欲しい、と皆さんおっしゃっていた。

(長くなりますが、分けて書く気力がないのでがーっといきます。我慢してお付き合いください)

このツアーは、北の久慈駅から普代駅まで三陸鉄道乗車、車窓見学から始まった。

  

4月1日開通だが、途中の島越(しまのこし)が土台から崩壊のため全線開通はしていない。
私たちが乗ったのは2両連結レトロ列車。いろいろな車両があるとの事。
鉄道は慢性赤字だが売り出した赤字せんべいは黒字、との話に皆で大笑い。

車窓から津波被害の爪あとが見え出し声をのんだが、南に行くにつれこんなものではなかった。

リアス海岸の特徴で、海に出たかと思うと山に入りまた下って海に出るという行程をバスは走り続け、そのたびに、何事もない日常を送っている集落もあれば、基礎部分のみ残っている集落もあるという光景を見ることになりつらかった。

 

1日目は景勝地*北山崎を雨の中震えながら見て終わり、岩泉泊。

 

2日目は 世界一の長さを誇った堤防の無残な姿がそのまま残っている田老町を通り、
 浄土ヶ浜へ。

バスは陸中海岸を南下し続け、山田町、大槌町、釜石市、と進んで行って、大船渡へ。
ここで、ボランティアガイドさんがバスに乗車し当時の様子を話してくれた。

 

チリ津波のときは線路が境目だったが、3,11はその奥国道が分かれ目だったと。
その国道は逃げる車で身動きが取れなかったと。被害はその方たちに及んだと。

大船渡の次に陸前高田市へ。  ガイドは新沼さん。

新沼さんはまず、東洋のナポリだぞ、わざわざイタリアまで行かんでよろしいと市民の森になっている箱根山に案内してくれた。

新緑は鮮やか、半島に囲まれた広田湾はあくまでも穏やかで、こんないいところはないと。それが・・・
447メートルの箱根山を降りて市街地に入ると一転。何もない。残っていても外観だけ。
160年間分の瓦礫の山だけ。

 

地震後、市民は市役所や上の写真の建物、この付近の建物に避難したそうだ。2階建て。わずか3名を残して犠牲に。

4階建ての市役所は3階まで津波が押し寄せて、295人の犠牲者がでたそうだ。
右側の写真の建物はMAIYAというスーパー。
ほぼ同じ場所に立っているのにこちらの被害者は0。その差は何か。

「山に逃げろ!」
この館内指示が徹底していて一人の犠牲者も出さなかったという。
新沼さんは「ともかく地震が来たら、高いところに逃げなさい。遠くに逃げるんじゃない」
それまで、ユーモアたっぷりに説明してくれていた顔が怖くなるくらいに強調した。


高田松原を説明している新沼さん。後頭部横に針のような細い棒が一本松。

陸前高田でボランティアガイドさんたちとお別れし、2日目の終わりは気仙沼復興のシンボル 「昇り龍」見物で少しリフレッシュ。

3日目の朝。

2日目のお宿は震災後いち早く7月にオープンした、南三陸町のホテル。
2階の大浴場まで浸水したそうだが、フロントが5階にあったために比較的早く復旧できたそうだ。

さてと、バスは最終地  松島へ。
波は瑞巌寺の境内まで来ていたが、湾の島々が自然の防波堤になって見た目被害があったとは思われないほど。

3日間、700キロあまりのバスの旅。疲労困憊したの距離のせいだけではないと思う。
田中マー君と同じ年だというガイドさんは、実によく勉強していた。

「観光地の復旧はいろいろ条件はあるけれど、お客様が来て下さってこそ復旧できるのです。ぜひ、また東北に来て下さい」と何回も繰り返した。

 

まとまりのない文章で読み難かったと思います。
機会がありましたら旅行候補地に東北を、なんてにわか観光大使になったりして。

 

 

 

 

 

 

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広げた風呂敷は・・・

2012-06-19 12:22:14 | TV

どうやって折りたたむのだろう。なんとも楽しみだ。

ツヨシクンドラマ 『37歳で医者になった僕』

それにしてもこのドラマ、イライラするやらもやもやするやらけっこう頭の中が忙しかったわ。
これって、脚本家や製作スタッフの確信犯だと踏んだのですが。
どうぞ視聴者の皆さん、あなたならどのように考えますか?どのように行動しますか?
誰の考え方にいちばん共感しますか?
どうぞお好きに受け取ってください、みたいな。正解はひとつではありません、あなたに委ねますみたいな。

37歳のサラリーマンからのリスタート。研修医。

研修医仲間、特に瑞希先生はどう変化するのかしら。
指導医の新見先生は医師としての自分の生き方をどう貫くのかしら。
末期がんに侵された医学部長になった佐伯教授は、医師としての最後をどう締めくくるのかしら。
紺野先生に理解を示してくれていたた森下医師の真の狙いはどこにあるのかしら。

で、すずさんは死んじゃうのかしら。
(ドラマや映画のツヨシクン、何回死んで相手役の女優さんを何回旅立たせているのかしら)
そして、肝心の紺野祐太研修医。自分が変わると言っていたあなた。
ここ何話かでの、37歳という年齢から来る、またいろいろなしがらみから来る苦悩からようやく抜け出して、正しいと思う今を生きるために変わることができたのでしょうね。

なんともかとも広げに広げた風呂敷。

最終回、任侠ヘルパーのときも古家脚本は広げるだけ広げたエピソードをこれ以上ないくらいうまく折りたたんでくれたから、『37歳で医者になった僕』もそうなるものと思っているのよ、 今夜、期待して観るわ。

 

明日から台風とともに東北方面にツアー旅行に行ってきますので、2,3日ブログをお休みします。

 

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生きること

2012-06-18 15:15:19 | くらし

6歳未満児の脳死に伴う移植手術のニュースに接して、まだ若いであろうご両親の決断に深い尊敬の念を抱く。
特に、医師や移植コーディネーターの繰り返しの意思確認に「揺らぐことはなかった」というその強くて深い意志にただただ頭が下がるのみで、言葉が見つからない。

そして。
ちょうど佐渡で、知り合いの娘さんの最後について、お母さんから聞いたばかりだったから、よけいに死を前にしての生きるということ死ぬということに考えが及ぶ。

性質の悪いガンで余命を宣告されてからほぼ2年、27歳で旅立ったお嬢さん。
「これくらい自分の自由にさせてね。反対しないでね」の言葉にお嬢さんの望みは全部適えてあげたそうな。

  

「私が先祖になるんだから待ってるね。でも急いでこなくていいよ」って。
「死んだら携帯に残しておいた友達にだけ連絡してほしい」って。
親戚の法事にはどうしても出たいって、電車や船を乗り継いで出席し、「私が会いに来たんだからお見舞いには来なくていいからね」って。

自分で、最後はどうなるか調べ、そのときが来たと悟ると、主治医のせんせいを呼んでほしいと懇願し、来ていただくと、
「ありがとうございました」と挨拶し、もう旅立たせて欲しいと申し出たそう。
そして、娘さんは亡くなるまで、幼い頃からの楽しかった思い出話をずっとずっと長い時間話し続けたそうだ。

  

娘さんは臓器移植を申し出たが、もう全身転移をしていて駄目なことが分ると、献体をと願ったという。
症例が100いくつしかない病気だったから、医師に大変感謝されたとお母さんは話していた。

死にゆく覚悟を行動に移していった娘さん、全てを受け入れ叶えてあげたご両親。どんなにか葛藤があったことだろうと、切ない思いをしたことだろうと、何度涙を流したことだろうと。
どちらもの心のうちを思いやると、人間の強さ美しさを改めて感じ、話を聞きながら胸が詰まって、声が震えた。

軟弱な私にはとても出来そうにない。

 

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