電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

集合と離散~人が集まるところが中心だ

2005年12月17日 22時15分23秒 | 散歩外出ドライブ
夕方、車で出かけた。山形市内は歳末の買いもの客が多いのか人出が多く、車の流れも渋滞がちである。それでもかつての中心街はシャッターが降りたままの店が多い。そこに住む知人は、野菜を売る店がついになくなったと嘆いていた。それまであったスーパーが郊外に移転し、いよいよデパートの地下食品売り場とコンビニしかないのだという。こうなると、県庁所在地に住んでいるのも楽ではない。追いたてられるように郊外に移って行く事情が理解できる。

郊外には住宅地が分譲され、大型のスーパーやらショッピングセンターが続々と出店している。広い駐車場を持ち、車で買いものに来れる。品揃えも豊富で値段もそこそこ手軽である。多くの客が集まってくる。これでは、市内中心部がさびれるのは当然だろうという気がする。市の中心部にあった地元資本の書店が、隣接する市に郊外型の店をオープンした。今日見てきた限りでは、ここはゲームやビデオ、CDや雑誌などが主体で、単行本などは本店ほどの充実度はない。本店では大学をすぐ近くに控えているため、専門書も相当に充実していたが、こちらはエンターテインメント系のコンセプトのようだ。ただし、近隣に工業団地や東北パイオニアなどの優良開発系企業が多数立地しているためか、IT・技術系の専門書はまずまず充実しているようだ。

こうして見ると、中心と言うのは人が集まるところであって、場所が先に決まっているわけではないことがわかる。そして、人が集まるところは時代によって移動する。
その要因は、今では車が快適に走れて買いものや外食に便利なところなのだろう。いくらかつての中心街に小規模な駐車場を点々と作っても、信号が多過ぎて快適なドライブはできないために、移動の快適性を求める人々には敬遠されてしまうに違いない。そして、大規模なショッピングセンターも、やがて駐車場から売り場まで歩く距離が遠過ぎると敬遠されるようになるのだ。暮らしやすい快適な街とは、集合と離散を繰り返す人々の収束するところなのだろう。
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雪が降らないうちに

2005年12月17日 12時00分28秒 | 週末農業・定年農業
晴天の週末、朝から農協に行き、ラフランスの出荷に使ったコンテナを回収。また、冷蔵庫からシルバーベルを取り出し、自宅の暖かいところに移動した。これで、果実の呼吸がそろい、一斉に追熟が始まる。甘くなったところをいただきましょう。
日中は、お天気が良かったので、少し離れた園地にふじリンゴを収穫に行く。雪に当たり、すっかり葉を落としたリンゴの木に、寒そうにリンゴがぶらさがっている。新雪を踏んで足場は悪いが、葉がないので収穫作業はしやすい。四駆の軽トラックが走れるうちに、家で一冬食べる分くらいの収穫はできそうだ。積雪量が増え、軽トラックが走れなくなったらおわり。収穫できなかった残りは、鳥のエサになるしかない。
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