電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

サヴァリッシュ指揮チェコフィルの「第九」を聞く

2005年12月30日 15時48分28秒 | -オーケストラ
除雪も一段落して、ひさびさにゆっくりした一日、古いレーザーディスクを取り出して見た。1981年六月の「プラハの春」コンサート、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏する、ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱つき」である。
プラハ市の文化宮殿で収録された映像は、オーソドックスで鮮明なものである。おそらくチェコスロヴァキア国旗と音楽祭の旗と思われる2枚の旗の中央に、大きく「プラハの春(PRAZSKE JARO) 1981」と表示された会場で、人々が集まって音楽を聞いている。なによりも、銀髪にはなったがサヴァリッシュさんがまだ若く元気だ。思わず時の流れを感じる。

暗く不安げに始まる第1楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソ。チェコ・フィルの弦楽セクションは、世代交代が行われているのか、若手とベテランが混在しているようだ。指揮者は左手を下のほうでぶるぶるふるわせて、低弦部を強調するように指示している。
第2楽章、モルト・ヴィヴァーチェ。晴れの舞台でティンパニを連打する奏者はまだ若く、真剣な顔だ。LDでは、前半の2楽章で1面が終わり、続いて2面に移行する。
四人のソリストが入場すると、第3楽章、アダージョ・モルト・エ・カンタービレ、平和な祈りに満ちた変ロ長調の音楽が始まる。ベートーヴェンのアダージョは本当に美しい。
そしてプレストと指示された第4楽章。これまでの三つの楽章の主要なモティーフが回想されては、その都度打ち消される。そうではない、別なものを。やがて、低弦がかすかに主題を示し、次第に力を増して、ついに朗々と「O Freude, nicht diese Toene!」と歌われる。独唱と合唱が歓喜についての賛美を歌う。

ところで、バーンスタインがベルリンの壁崩壊のときに、「O Freude(歓喜)」ではなく「O Freiheit(自由)」と歌わせたことが話題になった。これについて、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターのゲルハルト・ボッセ氏は、Freude は単なる Freiheit より高次の概念であると否定的だったという。一方、チェコのピアニストであるヤン・パネンカ氏は、Freiheit なくして Freude はないとして、賛意を表したというエピソードが伝えられている。1981年の「プラハの春」の閉幕を告げる「第九」コンサートに集まった聴衆は、その後の歴史的な展開をどのように思ったのだろうか。

ソリストは、ブロウリヒト(Sp)、ヴェンケル(A)、シュンク(T)、サルミネン(Bs)、合唱はプラハ・フィル合唱団。ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。パイオニア MC035-25LD。

写真は、手許にある「第九」演奏を並べてみたもの。中央(裏返し)の大きなジャケットが本LDである。参考までに、ジャケットに表記された演奏データを示す。
■サヴァリッシュ/チェコフィル
I=15'48" II=11'51" III=14'05" IV=24'22" total=66'06"

さて、今晩は高校時代の同級生との定例忘年会。今回は私が当番でプレゼンをする予定。ノートパソコンとプロジェクタ、それに若干の資料を用意し、「第九」に励まされて、いざ、参ろう。
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