電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平『消えた女~彫師伊之助捕物覚え』を読む

2008年09月02日 06時02分53秒 | -藤沢周平
藤沢周平『消えた女~彫師伊之助捕物覚え』を読みました。ほぼ五年ぶりの再読です。いや~、やはり面白いです!

藤沢周平が生まれ育った土地柄は漢学や素読といった雰囲気でしょうから、時代小説作家と欧米のハードボイルドなミステリーとの接点がどのへんで生じたのか、たいへん興味深いところです。あるいは戦後の山形生活、師範学校時代に足繁く通った映画等を通して親しむようになったのかも。「彫師伊之助捕物覚え」シリーズの執筆のきっかけは、なんだったのでしょうか。おそらく、チャンドラーの「フィリップ・マーロウ」シリーズ等のハードボイルドなミステリーを愛読した作家が、こういうタイプの物語を、時代小説の分野で試みた、ということなのでしょう。

主人公の伊之助は、凄腕の岡っ引でしたが、稼業に入れ込むあまり、女房が男と駆け落ちした挙句、無理心中してしまった、という過去を背負っています。女房の手酷い裏切りに会い、痛手を受けた伊之助は、岡っ引をやめ、版木の彫師として暮らしています。そこに、昔の恩義ある先輩岡っ引だった弥八老人が訪ねてきて、娘おようの捜索を頼まれます。断りきれずに探し始めますが、娘の行方は知れず、行く手には大きな悪と、不正を怒り復讐を誓う怪盗が立ちはだかります。寝る前に一章ずつと思っていても、思わず続きを読んでしまう、ミステリーの醍醐味を味わうことができる作品です。

伊之助は、弥八老人の娘を、なぜそれほどまでに危険を冒して探したのでしょう。特に高麗屋の死後、手がかりがぷっつりと途切れた後も。たぶんそれは、女房の裏切りと死を自分の責任と思い、薄幸の娘を救うことで心の負債を弁済し、虚無の中から幼馴染であるおまさとの関係を手探りするための、無意識の、しかしそれだけに必死の探索だったのではないかと思います。



この後に『漆黒の霧の中で』『ささやく河』と続く連作シリーズの幕開けとなる、藤沢周平らしい重厚なハードボイルド・ミステリー時代小説です。
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