電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平『ささやく河~彫師伊之助捕物覚え(3)』を読む

2008年09月20日 21時36分42秒 | -藤沢周平
新潮文庫で、藤沢周平著『ささやく河~彫師伊之助捕物覚え(3)』を読みました。5年ぶりの再読です。文章のうまさにあらためて感心させられる、大江戸のハードボイルドな物語、始まりは小間物屋の主人が島帰りの老人を誘う場面から。二人の過去の関係がほのめかされただけで、老人は唐突に口を封じられてしまいます。

ところがこの老人は、

「そんならいいけど」
と言って、おまさはぱっと笑い出した。
「何がおかしいんだ」
「そんなじいさんがいちゃ、あんたいつになってもここに泊まれないじゃないか。とんだ迷惑だよ」
「ちげえねえ」
といって伊之助もにが笑いした。外に踏み出すと、暗い夜だった。松井町の通りには灯影ひとつ見えなかった。

という具合に、伊之助のところに行き倒れて拾われていた男だったのです。このあたりの展開、会話や描写で自然に物語の本筋に引き込むうまさは、また格別です。

三人の悪党が次々に殺されていく。それも、未解決のままに残された昔の悪事にからんだ者ばかりです。ですが、いくら悪人とはいえ、奉行所の面子にも関わると、同心の石塚は伊之助を頼ります。伊之助は、親方の怒りの矛先をかわしながら、休みをとっては探索に出歩きます。最後は思いがけない犯人が浮かび上がりますが、それもまた、過酷で哀れな運命でした。

せっかくのミステリー仕立てですので、あらすじは省略しますが、三部作を通して読み返すとき、本作の終わりの場面でも、作者の実人生と同様に、おまさが救いになる描き方になっています。

一人になって、伊之助は吉原土手に曲った。暗い土手の向こうに吉原の灯が見えた。死んだ幸右衛門のことがわずかに気持ちを重くしていて、伊之助は今夜はまっすぐおまさの店に行こうかと思っていた。

寝たきりの父と病弱な妹をかかえたおまさと伊之助との関係が今後どう進むのかと、思わず興味を持ってしまうのですが、作者が亡くなってすでに十年をこえます。もう少し、この続きを読みたかったと残念でならないシリーズです。
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