電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ノイマンとチェコフィルでマルティヌー「交響曲第3番」を聴く

2008年09月13日 04時10分24秒 | -オーケストラ
ここしばらく通勤の音楽で聴いているのは、ノイマン指揮チェコフィルの演奏で、マルティヌーの「交響曲第3番」です。ピアノ協奏曲第5番を記事にしてはきたものの、私にとってこれまで馴染深い作曲家とは言えなかったマルティヌー。第1番と第2番をじっくり聴いて、プロコフィエフやバルトークなどと同時代でありながら、独特の響きと息の長いクレッシェンドの魅力を、少しずつ理解できてきたように思います。その意味で乱暴に要約して言えば、第3番は、全体に悲劇的で重苦しい印象の音楽です。

第1楽章、アレグロ・ポコ・モデラート。しょっぱなの出だしから、悲劇的な始まりです。前作の牧歌的な雰囲気とは一転して、重苦しい印象を受ける音楽です。マルティヌーは、ピアノを、オーケストラ楽器として実にうまく使っています。
第2楽章、ラルゴ。前半、かなり長いフルート・ソロが、見事です。後半、執拗に連打される低音のリズムは、かなり重苦しい雰囲気に。最後は明るさが見えて終わります。
第3楽章、アレグロ。荒々しい劇的な始まり。トランペットが吹き鳴らされ、次第に緊張が高まってきます。アンダンテでは、長大なヴィオラ・ソロが続き、ファゴットが対旋律を奏でます。やがてオーボエに移り、高音のヴァイオリンに。このあたりは、どこかしら祈りの雰囲気。やがて、明るい堂々たる旋律がちらりと姿を見せ、最後はホルンとトロンボーンによる、ドヴォルザークの「レクイエム」冒頭主題で終わりますが、最後にピアノが「ガッ、…ガッ、…ガッ」と短く入るところの間合いが、実に印象的です。

1943年から44年にかけて、作曲されたとのことです。たぶん、ノルマンディー上陸作戦の前までは、ヨーロッパ戦線は膠着状態で、唯一ナチスに占領されていないロンドンはV2ロケットによる爆撃を受けている状態。米国はヨーロッパと太平洋と、二方面作戦の展開を余儀なくされている。そんな、先の見えない状態が、この悲劇的な曲を作らせたのかもしれません。そうでもなければ、クーセヴィツキーのボストン響での指揮活動25周年を記念する依頼作品がこの重苦しさでは、「なんぼなんでも(*)」説明が難しいところでしょう。
(*):当地の方言で「いくらなんでも」。「なんぼなんでも、そりゃないべ~」などと使います。

私の場合、なじみの薄い曲に親しみ、理解するには、とにかく繰り返して聴くのが一番良いようです。繰り返して聴いているうちに、次第にマルティヌーの語法のようなものが理解できたように思います。独特の響き、持続する大きな息の長いクレッシェンド、複雑なリズムが細かに背景をなす構造など、ああ、これがマルティヌーなんだ、と納得です。と同時に、マルティヌーの音楽を繰り返し聴いた後で、ベートーヴェンの「英雄」交響曲を聴いたりすると、その軽やかさ、新鮮さに思わずはっとします。たぶん相対的なものでしょうが、20世紀前半の音楽にある重苦しさというのは、やはり二度の世界大戦の悲劇の重さなのでしょう。

■ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィル盤
I=8'50" II=8'48" III=10'50" total=28'28"

明け方に、アホ猫が何やら獲物をくわえてご帰還あそばしまして、時ならぬ騒動。おかげですっかり寝そびれてしまいました。やれやれです。二階の窓が開いていたのが油断だった!
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