電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

北康利『蘭学者川本幸民』を読む

2008年09月14日 05時25分41秒 | -ノンフィクション
江戸時代の蘭学者といえば、まず『解体新書』を翻訳した杉田玄白や前野良沢らを思い浮かべます。特に、吉村昭の一連の著作、前野良沢を描いた『冬の鷹』、『ふぉん・しいほるとの娘』『長英逃亡』『日本医家伝』などを通じて、蘭学者たちの多彩な事績を知りました。

しかし、医学(蘭方医)の実用性や、土木・軍事技術の目に見えるわかりやすさに比べて、知識や概念、ものの見方・考え方に関する変革の解明は、ずいぶん不明なところが多いように思います。福沢諭吉が、アンモニアの実験をして周囲を辟易させたエピソードは、『福翁自伝』などに書かれていますが、近代的な物理学や化学の前史がどのように展開され、受容の基礎が築かれたのか。お雇い外国人や留学生たちの業績はだいぶ解明されていますが、江戸時代の蘭学者たちの努力は不明なところが多いようです。



幕末期の蘭学者、川本幸民の生涯を描く、北康利著『蘭学者川本幸民』(PHP研究所)は、そのような空隙を埋めてくれる好著です。摂津国三田藩(現在の兵庫県)の藩医の末子として生まれた川本幸民は、父の急死などにもかかわらず、兄の援助や藩主である九鬼隆国の理解ある計らいで、蘭学を学びます。坪井信道を師に仰ぎ、緒方洪庵らを友として、学問の道にいそしみますが、いつしか医学よりは理学に興味関心の中心が移ってしまいます。そのきっかけと言うのが、酒の上での刃傷沙汰で謹慎中に読んだ、岳父青地林宗の書『気海観瀾』でした。この本は、いわば日本初の物理学の体系的著作で、物理や化学はすべての学問の基礎であると主張するものです。

シーボルト事件、蛮社の獄、モリソン号事件、黒船来航などの大きな事件が続く幕末の世情の中で、才能ある若者を籠に閉じ込めるのではなく、大きく成長させたいとする藩主隆国の温情が、謹慎を解く力となっていました。しかし、藩主が交代し息子の時代となって、学者といえど特別扱いをしない「改革」により、幸民は冷遇されます。ところが世の中はよくしたもので、川本幸民の才能は薩摩藩の島津斉彬の目に留まります。

この頃の幸民の業績の代表が、シュテックハルトの「化学の学校」の翻訳である『化学新書』です。この記述をもとに、わが国初のビール醸造に成功したことなど、なんとも楽しいエピソードです。やがて、幕府が設置した蛮書調所のナンバー3に迎えられますが、この頃の彼の身分は三田藩士ではなく、なんと薩摩藩士になっていました。これは、やや現代風に言い直せば「物理学と化学は経済の根本なり。今日以後経済の基礎はこの二字より立つるべし。」という、島津斉彬の思想に基づき、ヘッドハンティングされていたのでした。ところが、やはり不運な人なのですね。その島津斉彬が急死してしまいます。でも、愛弟子である松木弘安が幕府の遣欧使節団の一員に選ばれ、オランダが実はヨーロッパ随一の強国ではなく、今後は英語を第一に学ぶべきであることなどを伝えて来たとき、幸民はずっと以前からそれを知っており、息子には早々と英語を学ばせていたのでした。

生麦事件、薩英戦争などを経て幕末の動乱が始まる頃、ひたすら西洋の物理化学の翻訳と普及につとめた川本幸民の代表的著作、『化学新書』の内容は、ちょっと興味深いものがあります。ドイツのノーベル賞化学者、バイヤー、フィッシャー、オストヴァルドなどが学んだという教科書『化学の学校』を翻訳したその内容は、

無機化学編ではリチウム、チタン、テルルなどを含む元素67種が解説され、酸素とオゾンのような同素体や異性体についての記述もあり、化学記号を用いて化学反応について詳述されているとのこと。万物は粒子からなり、原子が集まったものが分子で、という意味で「分子」という語を初めて使用したのも、どうやら川本幸民が最初らしい。そもそも「chemistry」を、もとは中国の言葉らしい「化学」と訳したのも、どうも川本幸民らしい。

というように、現在の観点から見ると、原子量やモル概念などの化学量論、ファラデーの法則などの電気化学的知識、当時勃興期であった多彩な有機化合物の世界などが欠けているとはいうものの、その時代としては最新かつ最も適切な書物を選択しているのだろうと思います。日本語で、こういう基礎的概念を身につけていたために、当時のお雇い外国人に学ぶ日本の若者も、海外に派遣された留学生たちも、学問の厳しさに挫折することなく、その成果をあげることができたのだろうと思います。

果実の収穫の前には、土を耕し、肥料を与え、果樹を育てた環境と人の努力がある。幕末の蘭学者の艱難辛苦を掘り起こし一般の私たちに知らしめる、価値ある著作であると思います。

写真の右側は、佐野之彦著『N響80年全記録』。こちらも興味深い本ですが、まだ手をつけるには至っておりません。読書の秋の楽しみの一つです。
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