電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

焦点化すること

2011年12月07日 06時05分45秒 | Weblog
中学生の時、一枚の凸レンズを立て、ろうそくの炎をスクリーンに映す実験をしました。焦点が合ったときに、炎のゆらめきが、くっきりと逆位に浮かび上がりました。焦点を合わせるということの意味を、このとき実感しました。

何で読んだか忘れてしまいましたが、某リンゴ社のボスが、製品開発などでターゲットを焦点化することについて、興味深いことを言っていました。焦点化するということは、一つを取り上げて良いと言うことではなくて、999のものにノーを言い、残る1つにイエスを言うことだ、というのです。このとき、ろうそくの炎の実験のイメージで、納得できました。

「これではない、この音ではない。ニヒト・ディーゼ・テーネ!」このあたりが、プロ中のプロの厳しさなのでしょう。ただし、素人音楽愛好家である私の場合、音楽やその演奏が焦点を合わせるものを、シャープに受け止めているとはとても思えません(^o^;)>poripori

ですが、光学実験とは異なり、音楽表現の「焦点」の当て方には、きっとかなりの多様性があるのでしょう。そして、素人音楽愛好家ならではの平凡な幸せもあります。999の演奏を否定し、ただ一つの演奏だけを肯定するところでは、平凡な幸せとはかなり異なるもののようです。あれも良い、それも良い、ただこれはちょっと……くらいの、ほどほどに甘いフォーカスのほうが、楽しみに深さはなくても広さはあるのかな。

平凡な幸せを拒否するところから非凡は始まるのでしょうけれど、非凡というのは、傍目で見るよりも、なかなかにシンドイものなのかもしれません(^o^;)>poripori

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