電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

田之倉稔『モーツァルトの台本作者~ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯』を読む

2011年12月08日 06時01分21秒 | -ノンフィクション
平凡社新書で、田之倉稔著『モーツァルトの台本作者~ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯』を読みました。「天才芸術家の数奇な運命」「ウィーン宮廷で勝ち得た栄光、新大陸での孤独な最期、16世紀ヨーロッパ人の知られざるノマド的一代記」などのコピーが帯を飾ります。書店で手に取り、ぱらぱらとめくってみたら、どうも晩年はアメリカに渡っていたらしい。これは面白そうだと、さっそく購入してきたという次第です。

著者は、1938年生まれといいますから、現在73歳。演劇界には全くうといのですが、たぶん演劇評論家としては重鎮の方なのでしょう。

「たしかに、北イタリアの寒村からアメリカへと至るダ・ポンテの人生は、一篇の小説にも匹敵する物語であった。1819年『生涯の抄録』を発表するが、これはロンドンを離れるところで終わっている。ダ・ポンテについては、おおかたの関心はモーツァルトの台本作家として活動した時期に向けられるが、実は、ウィーン滞在はわずか10年に満たない。」(「序章」より)

たしかに、モーツァルトへの言及はごく少なく、オペラの台本を提供したあたりの事実関係と、ダ・ポンテ自身はモーツァルトをあまり高く評価していなかった節があるという程度かな。
それ以上に、ユダヤ系の出自を改宗で乗り越え、神学校を中退、行くさきざきで女性問題を引き起こしながら、台本作家として頭角をあらわしていくあたりは、文字通り波乱万丈です。そのあたりは自伝でもかかれていますが、問題はアメリカに渡って後の生活です。不遇の生活を某大学でイタリア語とイタリア文化を教えることで支えようとします。でも、当時のアメリカでは、イタリア語もイタリア文化も、どちらもさほどの重要性を持たなかった。「フィガロの結婚」も、実際は「何それ?」という程度の認識だったのでしょう。それは、日本でも同じことでしたが(^o^)/

コンパクトな新書に、モーツァルトの台本作家として後世に名を残した男の、思いがけない余生を描いた、興味深い本でした。
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