徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本の風景今昔 ~ 新堀橋と 磐根橋~

2011-07-15 18:17:40 | 熊本
 県道・熊本田原坂線から磐根橋(手前)と新堀橋を見上げたショット。もともと地続きだった左側のお城のある茶臼山と右側の京町台地は、江戸時代初期に空堀が掘られ、今の新堀橋の部分だけが御門に入る道(豊前・豊後街道)として繋がっていた。明治44年にトンネルが掘られて電車が通り、さらに大正12年には掘り切って平坦な道路が通った。その際、新堀橋と磐根橋が架けられ、今日のような形となった。上熊本-藤崎宮前間を走る電車は昭和45年に廃止になったが、僕は小・中学生の頃は上熊本から電車を乗り継いで水前寺球場までよく高校野球を見に行ったので、この電車はよく利用したものだ。道路の両側に錦橋の欄干が見えるが、昭和初期にはまだ旧坪井川が川として流れていたことが欄干の大きさを見てもわかる。今日では旧坪井川の大部分が暗渠化されている。また、錦橋の脇から上の加藤神社に登る急坂、錦坂があり、僕は幼稚園の頃、この坂も帰り道のルートの一つだった。いつからか知らないが、この大きな通りのことを「わが輩通り」などと呼んでいるが、夏目漱石が熊本にいた頃はこんな道はなく、漱石とは縁もゆかりもない。町興しかなにか知らないが、あまりいい加減なネーミングはやめてもらいたいものだ。


昭和初期(?)の頃


今日の様子