徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

復活 ~山田洋次・SLを撮る~

2011-07-16 23:33:52 | テレビ
 SL(蒸気機関車)というのは、どうしてかくも人を興奮させるのだろうか。山田洋次監督の初テレビドキュメンタリー「復活 ~山田洋次・SLを撮る~」が今夜NHKスペシャルで放送された。旧満鉄のSL技術者を父に持つという山田監督が、SLの修復から復活までを記録したドキュメンタリーは、特に“鉄チャン”というわけでもない僕もわくわくさせるものがあった。しかもナレーションは吉永小百合さんという何とも豪華なキャスティング。今回、復活したのは伊勢崎市華蔵寺公園で展示されていたSL、C6120。もう40年近く使われていなかったSLが、職人たちの手でいったん解体され、丹念に磨き上げられて再び組み上げられていく様は、機械にうとい僕でも画面に引き込まれた。そして18世紀から19世紀にかけての産業革命の原動力ともなった蒸気機関という技術の凄さをあらためて思い知らされた気がした。思えば1961年、初めて上京した時に乗った列車は「急行阿蘇」。もちろん蒸気機関車だった。熊本から東京まで約24時間、すすだらけの顔で東京駅のホームに降り立った日のことを想い出した。それが今日では新幹線で東京まで6時間ほどで着いてしまう時代。技術の進歩は目を見張るものがある。でもやっぱりアナログ技術には人間らしさがあって素晴らしい!





熊本の風景今昔 ~ 新堀橋と 磐根橋~

2011-07-15 18:17:40 | 熊本
 県道・熊本田原坂線から磐根橋(手前)と新堀橋を見上げたショット。もともと地続きだった左側のお城のある茶臼山と右側の京町台地は、江戸時代初期に空堀が掘られ、今の新堀橋の部分だけが御門に入る道(豊前・豊後街道)として繋がっていた。明治44年にトンネルが掘られて電車が通り、さらに大正12年には掘り切って平坦な道路が通った。その際、新堀橋と磐根橋が架けられ、今日のような形となった。上熊本-藤崎宮前間を走る電車は昭和45年に廃止になったが、僕は小・中学生の頃は上熊本から電車を乗り継いで水前寺球場までよく高校野球を見に行ったので、この電車はよく利用したものだ。道路の両側に錦橋の欄干が見えるが、昭和初期にはまだ旧坪井川が川として流れていたことが欄干の大きさを見てもわかる。今日では旧坪井川の大部分が暗渠化されている。また、錦橋の脇から上の加藤神社に登る急坂、錦坂があり、僕は幼稚園の頃、この坂も帰り道のルートの一つだった。いつからか知らないが、この大きな通りのことを「わが輩通り」などと呼んでいるが、夏目漱石が熊本にいた頃はこんな道はなく、漱石とは縁もゆかりもない。町興しかなにか知らないが、あまりいい加減なネーミングはやめてもらいたいものだ。


昭和初期(?)の頃


今日の様子

スタジオジブリの最新作「コクリコ坂から」

2011-07-14 22:54:00 | 映画
 スタジオジブリの最新作アニメ映画「コクリコ坂から」の試写会に行った。ノスタルジックなストーリーと主題歌として使われている「さよならの夏」に惹かれて観てみたいと思っていた映画だ。何かの記事に今回の作品について宮崎吾朗監督は「ファンタジー性を排した」と述べていたが、僕にとっては十分にファンタジーである。なぜなら、1963年当時の電車や車や街並み、そして人々の暮らしぶりなどが丁寧に描かれており、それはすべて今となっては見ることができないものばかりだ。それを再現してくれているのはファンタジー以外の何ものでもない。「ALWAYS 三丁目の夕日」と同じことである。それから特筆すべきは武部聡志が担当した音楽。「さよならの夏」や「上を向いて歩こう」などを選んだセンスは抜群だ。ここ数年に観た映画音楽の中でも出色だと思う。取り壊される運命の、由緒ある建物が「カルチェラタン」という名前なのはご愛嬌、作者は「神田カルチェラタン闘争」に関わった人なのだろうか。それはさておき、もう一つ身も蓋もないことを言わせてもらえば、実写版を見たい。

西鉄ライオンズ黄金時代の「切り込み隊長」登場!

2011-07-13 23:32:51 | スポーツ一般
 熊日紙で懐かしい名前を見た。「高倉照幸」西鉄ライオンズ黄金時代の1番バッターで「切り込み隊長」と異名をとった、あの高倉さんである。なんでも熊日紙の「わたしを語る」という連載コラムに寄稿するらしい。1970年に引退以来、これまでほとんど表舞台には出られなかったので、テレビに中西太さんや豊田康光さんなどが出て来られると、いつも高倉さんはどうしておられるのかな、と思っていた。写真を拝見するとすっかり好々爺になられた感じだが、そのはずでもう76歳だそうだ。僕の父が高校野球の審判をやっていた頃、熊本商業で活躍していて、父は生前、「あれはいい選手だった」とよく言っていたのを憶えている。さて、どんな話が聞けるのか楽しみだ。

「城下町くまもと時代絵巻」が再び延期!

2011-07-12 23:43:47 | 熊本
 九州新幹線全線開業を祝う行事の中でもメーンイベントと目されていた市民パレード「城下町くまもと時代絵巻」は3月19日に行われる予定だったが、3月11日に発生した東日本大震災のため延期となっていた。その後、「秋のくまもとお城まつり」に合わせて実施する予定であると実行委員会からアナウンスされていたが、このほど来年3月まで延期することが正式に決まったそうだ。これはちょうど同じ時期に熊本市で「ねんりんピック2011」が行われるため、宿泊施設の都合などによるものだと伝えられている。本当のところはよくわからないが、現下の、原発事故の収拾の見通しもつかない状況の中で、やむをえないかなという気もする。来年3月、はたして日本はどんな状況になっているだろうか。


加藤清正(西浦荒神社奉納絵馬より)

城下町の景観を守ろう! ~ 町屋保存のあり方 ~

2011-07-11 23:06:24 | 熊本
 つい先日、新町の有名な老舗の傍を通りかかった時、裏戸が開いていて、店の関係者と思しき人が出入りしている場面に遭遇した。その時垣間見た内部が想像以上に老朽化していることに少なからずショックを受けた。すると昨日の熊日朝刊に、新町・古町地区に残る古い「町屋」を保存し、城下町の景観を守って行こうという組織が立ち上がったというニュースが載っていた。それを見て半分ホッとしながら、先日見た光景を思い出し、「景観を守る」と、口で言うのはたやすいけれど、現実には大変なことなんだろうなぁと思わざるを得なかった。来年度から熊本市が助成するとはいうが、この町に職住共存で暮らす人々に過重な負担がかからないように願いたいものだ。また、観光客におもねるような見た目だけの町並みづくりではなく、若い人たちがずっと住み続けたいと思うような「暮らしやすさ」にもぜひ目を向けていただきたいものである。


ウォルフスブルクの奇跡! なでしこジャパン!

2011-07-10 18:46:07 | スポーツ一般
 日本のサッカーは時々、奇跡を起こす。今日未明のなでしこジャパンの試合は開始まで待ちきれず眠ってしまった。朝起きてから、多分ダメだったろうなぁと思いながらニュースを見て驚いた。僕が憶えている最初の奇跡は1964年の東京オリンピック。予選リーグでアルゼンチンに3-2で勝った試合だ。次のメキシコオリンピック(1968)の銅メダルが日本サッカー史上最大の奇跡だと思うが、その布石となったのが、東京オリンピックの対アルゼンチン勝利だと思う。その次はお馴染みアトランタオリンピック(1996)でブラジルを破った「マイアミの奇跡」だ。そして今度の女子サッカー初の奇跡はさしずめ「ウォルフスブルクの奇跡」とでもいうべきか。日本女子サッカーの歴史が動いた日として後世まで語り継がれるだろう。


澤穂希のスルーパスに走り込んだ丸山桂里奈が決勝ゴールを蹴り込む

松下奈緒主演で向田邦子の「胡桃の部屋」!

2011-07-09 22:31:36 | テレビ
 NHKが松下奈緒主演で向田邦子の「胡桃の部屋」をやるという。「胡桃の部屋」は短編集「隣の女」の中に収められている一篇。僕は原作は読んでいないのだが、30年ほど前、いしだあゆみ主演のドラマを見た記憶がある。向田さんの実体験をもとにした話というが、内容的には、「父の詫び状」や「向田邦子の恋文」などと重なる部分があったように記憶している。当時のいしだあゆみと言えば、映画では「駅 STATION」や「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」など、ドラマでは「阿修羅のごとく」や「北の国から」など女優としてのピークを迎えた時期で、僕も当時最も好きな女優さんだったので、この「胡桃の部屋」も印象に残っている。その後、竹下景子も同じ役をやったらしいが、そちらの方は見ていない。さて、今度の松下奈緒はどうだろうか。一見、いしだあゆみとはかなり印象が異なるので、ちょっと違和感はあるがはたしてどうなることやら。

先人たちの墓前で気合を入れ直す!

2011-07-08 18:48:46 | 熊本
 数日前の新聞に、幕末の尊王攘夷派の志士・宮部鼎蔵(みやべていぞう)の顕彰供養祭が、鼎蔵が池田屋事件で命を落とした旧暦の6月5日にあたる7月4日、生誕地の御船町で行われたというニュースが載っていた。今年は特に鼎蔵と親交が深かった吉田松陰の生誕地・山口県萩市から約40人が参加したことも紹介されていた。西暦でいうと7月8日だから今日が命日ということになる。この宮部鼎蔵のお墓があるのが熊本市黒髪町の小峰墓地。小峰墓地と立田山に登る道をはさんだ向かいがわが家の原籍地があったところだ。僕は住んだことはないが、ここら辺一帯には妙に懐かしさを感じて年に数回は訪れる。今日も合志へ行くついでに寄ってみた。宮部鼎蔵の墓の前には、小泉八雲が愛した鼻欠け地蔵があり、周囲には江戸時代の漢学者であり藩校時習館創立に力を尽くした秋山玉山、神風連の副隊長で、三島由紀夫が心酔したといわれる加屋霽堅(かやはるかた)、邦楽の祖の一人、長谷検校などの墓がならんでいる。また少し離れたところにはわが母黌の創立者・佐々友房の墓もあり、何度行っても背すじが伸びる思いがする。


宮部鼎蔵の墓

気になる世界ユース陸上 ~ 野林祐実 ~

2011-07-07 19:12:08 | スポーツ一般
 どこのメディアも報道してくれないのでネットで調べるしかない。今、フランスのリールで行われている「世界ユース陸上」のことだ。万全とはいえないコンディションで、この大会に参加している野林祐実(九州学院)のことが気になる。たしか100mの予選がもう行われたはずだと思ってIAAF(国際陸上競技連盟)のサイトにアクセスしてみる。やはり予選が終わっていた。野林は第8組に出場し、12秒11のタイムで3着。無条件で準決勝に進める2着以内には入れなかったが、3着以下全員のタイムによるプラス8によって救われ準決勝に進出していた。ホッとひと安心。一方のライバル土井杏南(埼玉栄高)はというと、第1組で11秒83と堂々の1位で準決勝に進出していた。野林は予選のタイムでは決勝進出はかなり厳しそうだが、自己ベストに近いタイムを出せば上位入賞も夢ではない。200mもあるので何とか復調のきっかけを掴んでほしい。
※その後の経過
 準決勝でDQ(失格)詳細不明。200mは回避したようだ。
 メドレーリレー日本女子(野林、青木、土井、名倉)予選の結果2:10.54で決勝へ進めず。

100m予選第8組の結果


野林のパーソナルデータ

皇居一周ランニングで事故頻発!

2011-07-06 20:14:12 | スポーツ一般
 健康志向の高まりで、市民ランナーの聖地、皇居一周のコースを走る人が急増、事故やトラブルが頻発しているという。だいたい走る時間帯は同じになるため、一周5kmのコースに数千人が殺到する時もあるという。人が多くなればなるほど、マナーに欠けた人も多くなることは容易に想像できる。これは何も皇居一周のランニングに限らない。かつて東京勤務の頃、週に二日は、帰宅途中に中野のスポーツクラブ、TACに立ち寄り、ひと泳ぎして帰っていた。プールにはコースロープが張ってあり、同じコースを往復する場合は右側通行で泳ぐことと決められていた。しかし、泳ぐスピードには個人差があるため、前を泳いでいる人に追いつくことがある。そんな場合、いったん止まって状況を確認し、対向者がいなければ左側を追い越すというのがマナーになっていた。ところが中には1000m泳ぐと決めたら、何がなんでも止まってなるものかとばかり、前を泳いでいる人がいようが、対向者が来ようがお構いなしに人をかき分けて泳ぐ奴もいた。当然、ぶつかって口論になることもあった。日本には欧米のようにスポーツクラブでフィットネスをするという歴史が浅いので、クラブライフのマナーが育っていないのだとよく言われる。皇居一周のランニングは誰でも参加できるが、これも一種のクラブライフ。外国の人たちに笑われないようにしたいものだ。

熊本名物 ~ からし蓮根 ~

2011-07-05 23:22:54 | 熊本
 熊本名物としてあげられるのは、近年では「馬刺し、からし蓮根、熊本ラーメン、太平燕(タイピーエン)」などである。しかし、この中で歴史的に見て真の熊本名物と呼べるのは「からし蓮根」だけだろう。馬刺しは僕の記憶では、昭和40年代半ばまでは、ごく限られた場所でしか食べることはできなかったし、馬刺しがなぜ熊本名物になったかという加藤清正にまつわる俗説も、どうも後付けのにおいがする。熊本ラーメンは昭和20年代の終わり頃に久留米ラーメンを祖として生まれたもので、広町に「こむらさき」が開店した日のことを憶えている。太平燕に至っては、平成に入ってから新しい熊本名物を作ろうという業界などの働きかけで始まったものだ。これらに比べて「からし蓮根」には400年近い歴史がある。改易された加藤家に代わって肥後の藩主となった細川忠利公(細川忠興、ガラシャの三男)は病弱だったため、健康食として考案されたのが「からし蓮根」で、それを考案したのが細川家の賄方だった森平五郎である。森家は現在も新町に老舗の「森からし蓮根」として続いている。実は僕の高校の同級生に森家の息子がいて、一時、同じ職場で働いたこともあった。懐かしい想い出だ。

イチローに心から感謝!

2011-07-04 23:13:51 | スポーツ一般
 2001年4月2日のことを僕は忘れない。日本人野手として初めてイチローがメジャーリーグにデビューした日だ。投手はともかく、日本人の野手はメジャーリーグでは通用しないとずいぶん永い間言われてきた。僕らが子どもの頃、憧れたミッキー・マントルやロジャー・マリス、ウィリー・メイズなどのスーパースターたちと日本人が並び立つことなどありえないと思ってきた。しかし、それは見果てぬ夢でもあったのだ。そしてその夢が遂にイチローによって実現したのが2001年だった。この年、イチローはただデビューしただけではなく、ア・リーグ新人王、MVP、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞など数々の栄光を手にし、その実力を証明してくれた。以来10年間の活躍は今さら言うまでもない。今年、11年目にして初めてオールスターに選ばれなかったが、考えてみれば10年連続で選ばれたことが奇跡に近い。僕らの夢を叶えてくれたイチローにあらためて「ありがとう!」と言いたい。


記念すべきメジャー・リーグ初打席の時のイチロー(2001.4.2)

熊本の風景今昔 ~ 熊本城・頬当御門 ~

2011-07-03 22:39:44 | 熊本
 現在、熊本城に入園する正門となっている頬当御門。天守閣を顔に見立てると、御門が兜の頬当に見えたところからこの名がついたといわれているが、明治4年(1871)の頃の写真では鳥居になっている。これは明治元年の神仏分離令により、加藤神社が本妙寺と別れて城内に移ってきたためである。現在、大小天守と宇土櫓の間にある広場のところに神社があり、錦山神社と呼んでいたそうだ。神社と一緒に移ってきた茶屋などが見える。この天守も写真の6年後の西南戦争の時に焼け落ちる。僕が幼稚園に通っていた昭和25、6年頃はまだ、宇土櫓以外は何もなく、単なる見晴らし台のような有様で、この頬当御門も通園路の一つだった。加藤神社もその頃は新堀町にあった。もっぱら退園時に通っていたが、不開門から登っていたのか、須戸口門から登っていたのか記憶がさだかではない。天守閣が復元され、入園料を払わなければ通れなくなったのは昭和35年のことである。


明治4年の頃の頬当御門付近。


今日の頬当御門付近

映画「小川の辺」 ~ 素晴らしい作品なのだが・・・ ~

2011-07-02 19:25:29 | 映画
 大震災以来、足が遠のいていた映画館へ行った。2月の初めに行ったのが最後だったから5ヶ月ぶりだ。藤沢周平原作の映画もこれで8本目となった。いきおいこちらの観る眼も自然と厳しくなる。この作品がもし「たそがれ清兵衛(2002)」の前に作られていたら、と思うとちょっと残念な気もする。篠原哲雄監督は「山桜(2008)」以来2本目の藤沢作品で自信が感じられ、藤沢文学らしい抒情性に溢れているし、映像も音楽も美しい。キャスティングもそれぞれの演技も申し分ないと思う。特に、原作ではわからない朔之助(東山紀之)の父・忠左衛門(藤竜也)や妻・幾久(尾野真千子)の描き方は素晴らしい。だからこそ、この作品が10年前に作られていたら傑作として語られたであろうと思うと残念な気がするのである。