雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木市役所

2007-06-17 16:05:46 | みっきぃふるさとふれあい公園
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三木市役所である。
前の広場は駐車場、広大である。
金物祭りや朝市など、いろんなイベントにも利用される。

以前の旧いまちの中にあった市役所が小さかったので、その比較で言えば、べらぼうに大きい。
50倍、いやもっとあるかも知れぬ。

この周囲にある文化会館などの建物も立派だし、プールや野球場、陸上競技場、テニスコートなども、直ぐ近くの三木山総合公園のなかにある。
今、新しい消防署をこの一角に建設中である。

この一帯が、開発されてきれいにはなったのだが、その分借金で苦しい財政事情にあるようだ。

でもこれは、三木市だけでなく、日本国中そんな風に動いた時代があった。

こんな立派な「ハコモノ」を上手に活かして使うのは、引き継ぐ人たちのの責務だろう。

それにしても、立派だと思う。
鎌倉に住む息子の嫁に見せたらビックリしていた。
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日本一美しいと思うプール

2007-06-17 16:05:25 | みっきぃふるさとふれあい公園
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日曜日、泳ぎに行ったが、日本スイミングクラブ公認の記録会が開催されていて、プールも会場も人で溢れていた。

いつもは勿体ないくらい閑散としていて、水もきれいだし気持ちよく泳げる。

今日は庭園の奥のほうからプールの建物を写しているが、いつもは逆でプールからこの庭園を眺めている。

今の時期は、庭園に出るドアが開放されていて、水着のまま庭園に出ることができる。

あちこちのプールを知っているが、庭園つきで散策できるのはここ以外には知らない。
そういう意味では、日本で一番美しいプールだと自分で勝手に決め込んでいる。

土地の広さでは有数の、札幌のプールを幾つも知っているがこんなにきれいでゆったりしているところはない。

正面の駐車場も、何台置いても大丈夫と言い切っても問題ない広さである。

でも、こんな中に常にいると、
こういう豊かさが当たり前になってしまって感じなくなってしまうのだと思う。

ちなみに、遊泳料は三木市民60才以上は300円である。
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好きな風景

2007-06-17 15:10:21 | みっきぃふるさとふれあい公園
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大陸育ちだからか、ゆったりしていることが好きである。

日本的なこまごまとした繊細さもいいが、どちらかというと広く余裕があるほうがいい。
三木のよさは、ある意味すべてに余裕があることだと思っている。
都会の道には逆立ちしても、こんな余裕を求めても無理である。

丘陵を開いて造られた新興住宅地のわが家の直ぐ裏通りである。
この道の直ぐ右側が人口4万人が住む住宅地である。 
昨年、国体を機にこの道が開通した。

正面に見える山は、丹生山。   山を越えて、その右向こうが神戸である。

左の土手のように見えるのは、吉田住吉山遺跡。
この道を造るために、平成14~16年に発見された南北朝時代の(14世紀)の城跡。
秀吉の三木城攻めの際にも付城の一つとして利用されたと説明文にあった。

いつも通るときに気持ちのいい眺めだと思っている。
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ジェットスキー

2007-06-17 05:33:40 | ジェットスキー&KAZE
KAZE Jet Skiの広報誌が3冊送られてきた。
先日のKMJのOB会で河野社長にお願いしたのである。

二輪車のほうは今でも会費を納入している正会員なのだが、
ジェットスキーの方は登録していないので広報誌も送られて来なかったが、送って頂くようにお願いした。


7月号でVOL.169号。
二輪のKAZEより少し遅れての第1号の発刊だったのだが、なかなかその内容も充実していて、こちらの方は我々の現役時代に造ったJJSBAもARKという正規販売店のネーミングもそのままで懐かしい。

167号にJJSBA(日本ジェットスキー協会)の今年度方針が特集されている。
アメリカに2年遅れて設立されたのだが、
84年11月に初代会長を務められた苧野豊秋さん(故人)に頼まれて、当時KMCの社長をしていた田崎さんにIJSBAとの調整を依頼すべく、アメリカまでご一緒したのを思い出す。



当時国内では、西武自動車にいろいろお世話になってレースなども開催していた。

ジェットスキーを国内にも正規に導入を図ったのは、
翌年85年からで担当する部門がなかったこともあり企画室で旗揚げをした。
発動機からジェットスキーのレースに出場していた福井昇君にきてもらって、9月にオーストラリアから帰任した鶴谷将俊君(現川重商事社長)を専任担当として本格的に活動を開始した。

その創生期に活動をしてくれた人たち、
カワサキでは苧野豊秋、鶴谷将俊、藤田孝明、宇田川勇、福井昇君など、
西武やヤナセの方たち大阪の大南君などにもお世話になって、
JJSBAは徐々にいい形になっていったのである。

その後、近江舞子でのワールドカップ、千里浜での1000台を越えるエントリーがあったりした最盛期を経て、
ヤマハの参入などからJJSFの設立などいろいろあったが、

今尚、JJSBAの活動もKAZEジェットスキーの耐久など特筆できる活動が続いていることは、当初からジェットスキーに関与した一人として非常に嬉しいことである。


特に、広報誌に載っている幾つものレースやイベントが各地域の市町村や観光協会、漁業協同組合、ウオータークラフト安全協会,海上保安署などの後援、協賛などを受けて実施されていることは、レースや遊びそのものが世に受け容れられているとの証しであり喜ばしいことである。


広報誌の載っている幾つもの写真は、二輪以上にかっこいい。
特に、女性ライダーの活躍と、女性ライダーがジェットスキーにはよく似合う。

今から、夏本番レースもイベントっも真っ盛りである。
いい夏を、思いっきり楽しんで下さい。
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