雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

「ずっと思っている」こと

2007-09-16 05:37:17 | 発想$感想
先週から、このブログも2年目に入っている。

日記は今まで54年間もずっと続けて書いてきた。今でも、書いている。
このブログも自分の想いを正直に書いてはいるが、手で書く日記とは少しスタンスが違う。

外に発表する。人が読むということは無意識のなかにも自然に意識している。
そういう意味では、本当に自分の意見かなと、思いながら、反省しながら書いている。

まあ、それでもホンネに近いし、ホンネだと思って自分自身書いているのである。



先週、議会を1年ぶりに傍聴した。
議論は殆どなく、質問意見の型通りの発表の場であった。
その時に思った発言ではなく、何度も練習し修正をしたものが読まれている、国語の時間のような「議論」であった。

樋渡さんが「ブログ1周年おめでとうございます」とコメントを下さった。
「議会の一般質問が終りました。突き上げられたり、自らの答弁で墓穴を掘って、議員の皆さんや職員に迷惑をかけたり散々でした。ともあれ、これからもストレートに言っていくつもりです。」とあった。

こんな議会は、傍聴していても面白いだろうと思う。
三木もいつになったら、こんなことになるのだろうか?永久にならないのだろうか?



コスト意識というのがある。何事にもコストが掛かる。
特に掛かるのが、人件費である。1時間に幾ら掛かるかが時給である。

議会の間も、それを検討する間も、みんなコストが掛かっているのである。
そんなに安い時給ではない方たちのコストである。
そんなコスト意識があるのだろうか?

ホントに無駄を省くのなら、こんなところからはじめるのが一番である。

若し、本当にちゃんと仕事をしていたら、
あの程度の議員の質問など「ぶっつけ本番」でも大丈夫だと思った。



私自身も、サラリーマンをやったので、幾つもの公式の会議や300人も集める大会議など何回も経験したが、殆ど「ぶっつけ本番」だった。原稿など用意したこともない。
練習などしなくても、自分以下にはならないし、幾ら練習などしても自分以上にはならないのである。

その時、ちょっと練習したから上手く行くと思うのは錯覚である。
日頃、どのように考えどのように仕事をするかが大事なのである。

議会はより公式の神聖な場だから、そんな訳にはいかないと言われそうだが、
そんな立派な場所だからこそ「ホンネの議論」が欲しいのである。

議員の皆さんにも、役所の方々にもそれをお願いしたい。
あの質問に「ぶっつけ本番で応えても」多分そんなに問題は出なかっただろう。



若しそうだとしたら、いろいろと費やした時間に掛かったコストは無駄である。
私は余り好きな言葉ではないが、よく言われる、「市民の血税のムダ遣いである。」

議会だけの話ではない、詰まらぬことに報告書を書かすなど民間でもよくあることだが、これらも人件費というコストが、「一番高いコスト」が掛かっているのである。


これらを止めるのは、改善するのは至って簡単である。

一番偉い人が、「そうする」 と決めたら、それで出来るのである。


「そうだ、そうだ」と賛成をされた方に、 
「そうする」と自分で決められたら、少なくともあなた方の周囲は、それで出来るのである。

「コスト低減」を指示される立場の方が、一番「コスト増加」の後押しをしているのが、一般の世の中でよくある話なのである。



樋渡さんのような人は「例外」なのである。
「周囲の方に迷惑をかけた」と仰っているが、多分、「周囲の方は迷惑をかけられても」喜んでおられるのではないかと思う。

何故、こんなに簡単なことなのに出来ないのかと 「ずっと思っている」
コメント (4)
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