雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

今年の夏の甲子園

2009-08-26 04:18:49 | スポーツ
今年の夏の甲子園は、中京の優勝に終わった。
新潟の日本文理の9回の追い上げは、凄まじかった。

あのサードライナー、あの当たりを打った選手も、捕った選手も、
両チーム全員の選手たちも、観客も、みんなその一瞬を忘れないだろう。

そんな印象的な優勝の一瞬であった。




今年の甲子園は、私にとっても思い出に残るものになるだろう。
ホントに何十年ぶりに甲子園球場で夏の甲子園の野球を見た
昭和35年(1960年)母校の明石の試合を見て以来だと思う。
新装成った、辺りの風景も一変した甲子園であった。



鎌倉とアメリカにいる孫たちが、甲子園で出会ったのも、と言うよりそのために甲子園まで出かけたのかも知れない。
新装成った甲子園のあちこちも懐かしかったし印象的でもあった。



『中京大中京、復活のV』とあるが、
この中京は、昔の中京商業である。
あの中京ー明石の25回戦を戦った中京商業なのである。
Wkipediaで検索すると、その試合の流れが詳しく書かれている。
現役の頃、25回戦の先輩たちに散々聞かされた話である。

『25回裏、中京商は先頭打者が四球で出ると、次打者がバント安打、続いて犠打が野選になって無死満塁となった。打順は1番大野木。打った当たりは平凡な二ゴロであったが、二塁手の嘉藤栄吉が雑な握りのままあわてて本塁へ送球したため悪送球となり、ついにサヨナラ勝ちとなった。』 ともある。

25回戦の先輩たちも、みんな亡くなられて、嘉藤さんも昨年亡くなられた。
お葬式の当日が、明石と三木が対戦した予選の日であった
生前、ほかの先輩たちが誇らしげに25回戦を語られるのに、独り温厚な嘉藤さんだけが、『俺は25回戦の話はイヤなんだ』と言われたいたのが印象的であった。

そんな、中京が43年ぶりの優勝であった。


相手の日本文理は、新潟である、
昨年は、新潟は三条の県央工であった。 
その応援に甲子園にこられた三条の国定市長が、帰りに三木に寄られてお会いしたのである。

そんな何となく、関係のある対戦だったので、新潟を応援していたのだが、
日本文理は優勝に値する活躍であった。おめでとうございました。

久々に、私自身にとっても、身近に感じた今年の夏の甲子園であった。


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