雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話

2010-11-15 06:15:52 | カワサキ単車の昔話

★このブログのカテゴリーの一つに、『カワサキ単車の昔話』というのがある。

私が経験した昔話の数々を綴っているのだが、最近はこのカテゴリーをアップしていない。久々の登場なのである。

『昔話』はなかなか楽しいものなのだが、だんだんとその話が通じる人も少なくなって、話だけが独り歩きするような虚しさみたいなものを感じたりもするのである。

そんな環境の中で、昨日はバイク界ではその名も通っている小関和夫さんの取材で、大ぴらに昔話を楽しんだのである。

 

午後1時半、わざわざ三木の神鉄緑が丘駅まで足を運んでいただいた。

車なら非常にいい立地の三木も電車などの公共機関では大変なのである。  写真の後ろに見える林は、名門廣野ゴルフ倶楽部で、そんな直ぐヨコに結構大きな住宅地が広がっている。

駅の南の神戸から三木に来る道の左に位置している林が廣野ゴルフ倶楽部で、この道を逆に100mが神戸市との境界線なのである。

せっかく三木あたりまで足を延ばして頂いたので、取材を受ける場所は世界一の屋内テニスコートブルボンビーンズドームの中の喫茶店にした。

 

★時間はたっぷりあった。

『何年の入社ですか』 『昭和32年です。』で始まって取材のテーマは、マッハⅢではなくて、W1に関するもので、その前身のK2やメグロに関することであった。

カワサキがメグロを吸収した時代から以降のことである。

カワサキ自動車販売という社名の会社が神田岩本町にあったころの話で、今では、『神田岩本町の事務所』を知っている人が殆どいないのだが、それをご存じなのである。

そんなころの懐かしい雑談からのスタートで、当時のMFJの戸川さんの話など出て、楽しい昔話の世界に突入していったのである。

小関さんとは幾らか面識があるくらいで、初対面みたいなものである。

カワサキとの関係を聞いたら、小林茂君や故岩崎茂樹君などはよく知っていて、私とはひと世代違う63歳なのである。

それでも当時の懐かしいライダーたち、久保和夫や野口種晴、三橋実、三吉一行などのことなどすらすらお解りで、昔話をするには格好の相手であった。

 

★今回は、Wの本を出される取材で、先方からの質問は、

『FISCOで、W!のレーサーに、金谷秀夫が乗って走ったレース』があるのだがご存じありませんか? というのである。

このレースは、私はFISCOの現場にいて、金谷が走ったレースの内容も、このレースを走った金谷の感想も聞いていて、非常に印象に残ったレースなのである。

まだ、中村治道さんが、お元気なころで現場におられた。 

W1のロードレース出場はこの1回だけで、当時は500ccを超えるロードレーサーなどはどこにもなくて、このレースも相手は350ccのマシンを相手に出場したのである。

まだFISCOに伝説となってしまった 『須走り落とし』と言われた第一カーブがあったころで、直線コースは長かった。 レースはその直線部分では、大排気量のWが圧倒的なスピードで他を抜き去ってしまうのだが、逆にカーブでは車体が触れて、チェンジは右、ブレーキは左のマシンには、流石の金谷も手こずって抜かれてくるのだが、直線の最後までにはまたトップを奪い返すと言うオモシロイ展開だったのである。

結局最後のゴール地点では、抜き返すには距離が短くて確か、2位か3位でのゴールインであったのだが、小関さんに聞くとクラスが違うので『クラス優勝』扱いになっているのだとか。

 

★記者さんの取材というのは、新聞でも雑誌でも、取材する前に殆どご自身のイメージする記事は出来上がっていて、取材というのは『そのチェック』みたいなものなのである。

今回の取材は、レースには無縁であった、W1の数少ないレース話をロードとモトクロスで一つづつ揃えたいのだなというのは、私の後の取材が明石のエントリーのメ―ちゃんであることからも解った。

多分、このW1のロードレース話は、そんなに大きなレースでもなかったので知っている人も殆どいないのではと思う。幾らかでもお役に立てて良かったと思っている。

メ―ちゃんは、清原明彦の1年下の豪快なテストライダーで知られていて、神鍋での全日本モトクロスにW1 のモトクロスレーサーで出場した話は有名なのである。今は『entry』というバイク販売店を何店も経営する社長さんである。

5時の約束だと言うので、三木から電車では大変なので、車で明石までお送りして、メ―ちゃんにも会って戻ってきた。

昨日訪ねたのは、カワサキの店ではなくて、ホンダのウイング店の方だった。

 

★小関さんは、仙台の服部謙治君(服部カワサキ)も良くご存知のようなので、彼がまだ宮城カワサキの工場長だった時代、白バイのサービスを一手に引き受けていたこと、当時の白バイはほとんどがメグロであったこと、

そんなこともあって、当時のモトクロストップライダーであった山本隆君が、東北6県の白バイ隊員への教室での講義講習と実技講習を行って大好評で会った昔話などをお話しした。

 

さらに、『Kawasaki, Let the good times roll ! 』 というのはアメリカで生まれたこと。 これを造られたのは浜脇洋二さんであること、これはご存じなかった。

当時1975年時代、 『ナイセスト ピープル ホンダに乗る』 という意味のホンダの英語のスローガンは覚えておられた。

それから長い間の空白期間があって、ぜファーの時代に国内で復活させたこと、さらにそれを高橋鉄郎さんが世界へのカワサキのコンセプトとして決定されたこと、当時の広報担当が故岩崎茂樹君だったこと、なども興味を持たれたようである。

私のこのブログや、NPO 法人 The Good TIMes のこともご存じで、先方からのお申し出で、NPOの個人会員に参加されたのである。また一人オモシロイ仲間が加わった。

小関さん、NPOの仲間でもあり、国内の5つ目のメーカーである『こざる』のことも、ご存じだったのは、さすがである。

 

★ The Good Times Tumblr 会員さんのon time のブログ集です

 

コメント
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