雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Team Green が生まれた経緯と・・・

2013-12-20 12:49:22 | カワサキワールド

 

★ Team Green 30周年の記念行事が行われた。

Team Green と言えば何と言っても平井稔男さんである。

彼は Team Green というこんなブログもアップしている。

 

 

30周年行事の前日、平井さんから長い電話があった。

 

Team Green が生まれた30年前のことなど、レースの話など延々と続いたのである。

平井稔男さんと出会ったのは昭和36年(1961)年、私が単車に異動になった年からだから、もう50年以上も前のことで、今もなおNPO The Good Times の理事さんで手伝ってもらっている。

30年前Team Greenが生まれる時も、何となくと言うべきか、意識的にと言うべきか、

カワサキのレースの歴史の中でも、殆ど誰も知らない平井さんと私だけの話なのだが、

30周年ということなので、その当時のカワサキのことを正確に記録に残しておきたいと このブログを書くことにした。

 

 

★30年前、その当時カワサキのファクトリーは、KR250など世界GPで活躍していた最高にいい展開の時期ではあった

その『カワサキファクトリー活動中止』を決断した年が1983年で、84年からカワサキは、世界GPから撤退をするのである。

 

なぜ、そんなことになったのか、それはどんな経緯で決断されたのか?

そして、生まれたのがTeam Green だった。

30年も前の話だが、このあたりの経緯を解っている人は少ない。

私はその渦中のど真ん中にいたと言っていい。

 

 

1983年はカワサキはレース活動は最高の時期ではあったが、その事業経営はアメリカのダンピング問題やHY戦争などの影響も受けて、その主力市場のアメリカのKMCが危機的な状況で、その影響もあって二輪事業全体が存亡の危機にさらされていたそんな時代であった。

その前年の10月から私は国内出向から事業部の企画に戻り、アメリカから高橋鉄郎さんも企画室長で戻られて、川重総力を挙げての『単車事業再建』が最重要課題であった。

当時の単車事業再建プロジェクトは、本社の山田熙明副社長を長に本社財務が中心になって、何百億単位の資金を投じてことに当たっていたのである。

 

山田さんも、単車側の高橋さんも、KMCの担当をしていた田崎さんも私も、さらに言えば技術部担当の安藤さんも、当時技術部長をしていた百合草さんも

カワサキの創成期のファクトリーレースを直接担当していたそんなメンバーだったのだが、そんなメンバーの時代に『カワサキファクトリ―レ―スの撤退』が決断されたのである。

 

 

その年は川重は単車事業の低迷もあって無配に転落が決まっていたし、

7月からは、当時再建屋と言われていた大庭浩さんが本部長として単車に来られることも決まっていた。

新しく大庭さんが他部門から来られたら、多分間違い無く『レース中止』を判断されるだろうから、何とかそれ以前に自主的な撤退を決めたいと思っていた。

 

翌年の開発費の枠を決定する段階で、高橋鉄郎さんには、『GPレースの撤退』も視野に入れておきたいと、6月9日の開発費の検討の時に、内々の承諾は貰っていたのである。

そして、8月5日にアメリカでのKMC のR&Dのミーテングがあった時、田崎さんと百合草さんと私の3人でこの問題を話をした。

最後まで直接開発費担当の百合草さんは、撤退反対の態度だったのだが、この話はこの日に『撤退』が事実上決まったのである

 

 

★ 『GP レースの撤退』が決まったのも、この年だったし、Team Green が生まれたのもこの年だったのである。

 

レースと言うのは、そんなに簡単なものではなくて、マシンを開発だけではなく、ライダーもメカニックもその他いろいろ関連するソフト、ノウハウの分野の底辺は広いのである。完全にカワサキがレースの世界から撤退してしまったのでは、再開することもまたムツカシイのである

 

これから先は、平井さんと私の間で、

それこそ『阿吽の呼吸』で生まれたのが、Team Green なのである。

当時の国内レース担当をしていた平井稔男さんから、何千万円かの予算要求があって、何となく都合したのはよく覚えている。

それがTeam Green という名称で、技術部のレースに関心のある連中も手伝ってくれて、カワサキのレ―スの火は消えることなく繋がっていったのである。

 

そんな時代から30年の月日が流れて、Team Green 30周年の記念パーティ―の日に『カワサキの8耐復帰』が発表されたのである。

 

 

 

現役諸君は非常に『いい判断』をされたと思う。

二輪事業でのレースは、MUST分野だと思っている。

これは独りKawasakiだけでなく、二輪業界にとっての快挙なのである。

日本での最大のイベント 鈴鹿8耐 にカワサキの名前のないことを非常に寂しく思っていた人達も、Kawasakiで8耐に参加していた人達も、大いにハッスルすることだろう。

来年の夏には大いに期待をしたいのである。

 

平井稔男さんが、また動き出すかも知れない??

 

 

★かって、30年前に『ファクトリーレースからの撤退』を言いだしたのは私だが、

それから5年後、の1988年、『カワサキの本格的なレース復帰』宣言みたいなことをやったのも私である。

 

 

そして、そのいずれもに、カワサキのレースを支えてくれた人達の協力があったし、勿論平井稔男さんもその中心にいた。

Team Green 30周年行事にも、こんな人達がそのカワサキの歴史を繋いでくれている

 

Team Green の益々の発展を祈念したい。

 

 

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