雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

『想い出を共有する人たち =仲間たち』

2015-10-07 07:26:23 | 私の生き方、考え方&意見

★いま、人生80年を振り返って、ちょっと整理をしている。

未だ途中だが、39歳のところまでは大体こんな形に纏めてみた。

 

 

  

21才の1月8日から日記を書いていて、今までにもノートに年次ごとに纏めたりしているので、結構簡単に、且つ正確に纏められるのである。

この続きは、いま51歳までは行ってるのだが、途中でちょっと遊んでいる

 

川崎航空機に入社して最初は財産課だったのだが、そこで償却計算のIBM化を2年ほどかけて仕上げたら、償却計算をしていた作業員みたいな人は要らなくなって、当時スタートしたばかりの単車事業の営業に異動したのである。

これが私の初仕事である。当時はまだ日本にIBMなどはなくて、IBM 社が日本にやってきたのは、ずっと後で、コンピューターが日本で一般的になったのは、東京オリンピック後だから、この話は、それよりも10年も前の話なのである。

これはIBMの講習会があって、『コンピューターに関係した話をちょっとでも入れて自己紹介を』というものだから、こんな話をしたら、IBMの講師の人が『それ、10年違っていませんか?』から始まって、教えて貰った事実なのである。

当時の川崎航空機では米空軍のジェットエンジンのオーバーホールをやっていたので工場内にIBM室があったのである。ただ川崎航空機の中でIBMを民需に使ったのはこれが初めてで、償却計算をするために10人近くもいた課員は不要になってしまったのである。
『事務の効率化』もこれくらい効果があることは少ない。

 

以来、カワサキの二輪事業一筋にやってきたのだが、ご縁があって『一緒に仕事をした人』というのは思いのほか少ないものである。

二輪事業部に籍を置いて、仕事の上で関係のあった人たち、知ってる人たちは悠に1000人を超えるのは間違いないのだが、一緒に『仕事をした』と言い切れる人は、社外の人を含めても、100人ぐらいなのである。

 

★私がここでいう『一緒に仕事をした人』というのは、

共通の目標』をもって、それを『達成するために』、ある一定の期間『協働した』人たちのことを指していて、同じ部に所属していたとか、『同じ会議に出席した』という程度の人を指しているのではないのである。

これは、何となく『そんなご縁』があったわけで、運命みたいなものもあるのだが、不思議なもので、時系列に並べてみても、そんな人たちとは、何となく何度も『協働』することになっているのである。

会社の中なども、人が集まると同類の人たちが集まって『派閥』が出来たりするのだが、

仕事をする』という観点でいうと、同類の人よりはむしろ『異質の人』たちが、『共通の目標』に向かって『一緒に仕事をする』ほうが効率的であるということは何十年間の私の体験から得た知恵』である。

会社などに勤めて『仕事をしている』とよく言うが、殆どの場合、それは私が思っている『仕事』ではなくて、それは単なる『作業』である場合が殆どなのである。

 

単なる作業ではなくて、『仕事を一緒にしたことのある人』を私は仲間と呼んでいる。

より具体的に言うと『想い出を共有する人たち=仲間』なのである。

 

★いま、暇に任せて、カワサキで一緒に仕事をした『百人衆』を時系列に並べてみたりしている。粗っぽく名前を挙げてみると大体100人ぐらいになるのだが、それが多いのか少ないのか?エライ人からぺいぺいまで、外部でカワサキを支えて頂いた人を含めて、纏めてみるとなかなかオモシロそうである。

さらに広げて、80年の人生で、『想い出を共有する人たち=仲間たち』は、今も増え続けているのは、嬉しいことである。

 

一番長かった時期は、カワサキだが、学生時代の野球部の仲間たちも、いま現在のGNPO The Good Times燦々SunSun の仲間たちとも、『想い出を共有する仲間たち』が増え続いているのは嬉しいことである。

でも、人生で一番多くの『想い出を共有する仲間たち』は家内であり、家族であるのかも知れない。

 

 

コメント
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