雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキのブランドは今もOBが創っている ??

2018-10-06 17:03:11 | M/Cレース

★来週の10月13日の土曜日に、『カワサキモトクロスOB有志の会』という会合があるのだが、私はアメリカに来てしまっているので出席することはできないのである。

この会合は、今年の7月7日に開かれることになっていてその時は私も出席予定だったのだが、当日は台風7号の大雨で中止になってしまったので、10月に改めて開催が決まったのである。

 

 カワサキが二輪事業をスタートさせたのは、昭和35年(1960)でもう60年も前のことなのだが、当初はヨタヨタ歩きでいつ事業をやめるのか?と思われていたりしたのだが、それを支えて何とかなった一因が『青野ヶ原のモトクロス』の1位から6位までを独占した勝利だったのである。その後もカワサキの二輪事業はモトクロスなどレースとは密接に関係があって、極端に言うと当時レースに関わった人たちが、その後の二輪事業も、もっと大きく言えば川崎重工業も支えたといってもいいのである。

当時のレースは、技術、生産、営業の3部門からなる『レース運営委員会』によって運営されていて、当時のメンバーは 山田、苧野、中村、高橋、大槻、安藤さんなどでその事務局が私、生産部門をまとめていたのが田崎雅元さんである。

このメンバーの中から川崎重工業の社長も、副社長は2人、常務も出ているし、世界の販社や製造会社の責任者を務めるなど、文字通りカワサキの二輪事業を支えたと言っていいのだが、今現在は大槻幸雄さんと田崎雅元さん私以外はすでにこの世を去られてしまって、当時のことを語れる方は本当に少なくなってしまったのである。

 そんな中だが、私たちのちょっと後の世代のレースを担当された百合草三佐雄さんを中心に、特にモトクロス部門を担当された大津信さんなどが中心になって今回『カワサキモトクロスOB有志の会』が開催され、大槻幸雄さんや種子島経さん、カワサキのレースカラーを『赤タンクのカワサキ』から『ライムグリーン』に思い切ってチェンジされた当時KMCの斎藤定一さんなどが出席されるようだし、カワサキの歴代ライダーたちも多数出席なのである。

 

★この会を熱心にここまでまとめあげられたのは、大津信さんで現役時代から私は存じ上げてはいたが、そんなに密接に繋がっていたわけでもないのだが、大津さんが書かれている『野々池周辺散策』というブログの中には、何度か私も登場していて、非常に関心を持って頂いているようである。

 そんな中の一つに、「ある時代カワサキを支えた人たち」というテーマで Facebook の中にこんな投稿をしたことがあるのだが、それを野々池周辺散策の中で取り上げて頂いているのである。

その書き出しはカワサキのブランドは今もOBが創っている』こんなことを言った人がいます。で始まっているのである。

 本来広報とは、PR  Public Relations 社会に於けるいい人間関係創り という双方向の情報発信というか、末端の方たちとの関係が日常的にあって初めて広報活動になるのだが、現代ではその最先端を行くFacebook などには、カワサキのOBたちの方が積極的に動かれているのである。

今回のこの会合を見ても出席者の顔触れは非常に重厚で、かつ広範囲であり現実に、二輪車新聞や業界紙のほかに産経新聞の記者さんも出席されるようだし、ホンダのファクトリーにおられた渡辺さんも顔を見せられるようなのである。

カワサキのかってのOB からは、大槻幸雄さんをはじめ、百合草三佐雄、種子島経、斎藤定一他技術部OBが多数顔を連ねているし、歴代ライダーたちもいっぱいなのだが、私がちょっと寂しく思うのは、『カワサキの現役諸君の動き』がもう一つなことである。ちょっと前になるが、『カワサキの想い出、そして未来』平井稔男さんなどと一緒に開催した時は、かっての高橋鐵郎本部長、田崎雅元川重元社長もかってのレース仲間として出席いただいたのである。さらに現役からは高田プレジデント山田技術総括部長もご出席頂いたのである。

もう1週間の後に迫っているのでむつかしいとは思うが、せめてTOPの祝辞ぐらいが頂けたら、産経新聞など業界紙も来ているので、いいのかなと思ったりするのである。

実は大津信さんから、アメリカに来ている私のところに『出席いただけないのは残念だが、祝辞でも』と連絡があったので今日、祝辞をお送りしたのだが、私などより『現役トップの方の祝辞』があればなと率直にそう思ったので、このように書いているのである。

 

『ある時代カワサキを支えた人たち』はこのようにFacebook にアップしているのである。

 https://www.facebook.com/rfuruya1/media_set?set=a.917533234923978.1073742839.100000019311141&type=1&pnref=story

       

ある時代カワサキを支えた人たち

カワサキのブランドは今もOBが創っている』こんなことを言った人がいます。

確かに、ネットの世界でのOBたちの発信量は多い。
FBに参加しているOBたちをチェックしてみました。結構いるものです。
ご存じの方も、ご存じでない方もおられるでしょうが、Facebook やってる人集めてみたら21人、ライダー諸君やのれん分けの人たち入れると数え切れなくなるのですが・・・・・御大の大槻幸雄さんが顔写真を新しく出されたのでそんな気になりました。
順不同に、平井稔男、藤川哲三、渡部達也、福井昇、藤原良弘、大津信、吉田純一、山田浩平、百合草三佐雄、石川薫、杉沼浩、山本隆、多田憲正、小川優、松澤暢夫、大槻幸雄、山田淳一、遠藤治一、野田浩志、稲村暁一、種子島経
みなさんどれくらいご存じですか?
この方たちそれぞれの分野で非常に大きな役割を果たされています。
そんな上に現在のカワサキがあり、カワサキのブランドイメージがあるのでしょう。


            


 今回の会合にも、ここにお名前を挙げた方は多数ご参加のようである。
 スタート以来カワサキのモトクロス関係を支えてきた大津さんや安井さんたちさらにはその周辺におられた関係者や、ライダーたちのほかに、今回は国内のTEEM GREEN の創始者、平井稔男さんが広く声をかけられたので『カワサキファン』も結構多く集まって総勢100名に近くなるので、中身の濃い素晴らしい会合になることは間違いないのである。
 
 
 
★私自身は、カワサキの二輪事業のスタートから、それも広告宣伝課担当からスタートしているので、一言でいえば私のカワサキ時代の活動は即広報活動であったと思っているし、今もなお情報発信についてはあるレベルを維持した上で続けているのである。
 
Kawasaki, Let the good times roll !  Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような、いい時を過ごせるような活動こそが、事業経営の中で最も優先されるべき事項だと、今も信じているのである。
 
 
 

 

 

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Irvine Wood Bridge

2018-10-06 07:38:20 | 発想$感想

★今、アメリカの娘婿宅に来ている。

Irvine の Wood Bridge という住宅街である。

もう40年以上も前になるのか、現役時代にSanta Ana の隣町の開拓中だった Irvine に新社屋の土地を求めて見に来た頃の Irvine は見渡す限りの荒野も多い町だったが、今でもちょっと町の外れに行くとそんな昔のような面影は残っている。

 

今日は、ちょっと山の手にある韓国スーパーまで買い物に行ったのだがその帰り道の左はすでに住宅街になっていたが、右手はまだ山のママで木も草も生えていないような山だった。

そこから、娘宅のある Woodbridge まで、写真で追っかけてみる。

 

 

 右の方は開拓された住宅街だが、左手はまだ山である。韓国スーパーはこの先にある。

 

     

  

  自然のままだと、こんな状態である。40年前はいたるところがこんな風景で、旧KMCも広大な土地だけが広がっていた。

 

     

 

 

   反対側は、こんな住宅街になっている。

 

     

 

 

   そこから車で2分も走ると、ハイウエイ405を跨ぐこんな大きな道になる。

 

 

     

 

    そしてこんな道になる。右手に見えるのは、市内いたるところにある銀行やスーパーや店。ガソリンスタンドなどがあるモール、

    店はすべてモールに集中していて、道路わきには一切店はない不思議な街である。

    少なくとも私は、道の横に1軒の店もない町は,このIrvine のほかには知らない。

 

     

 

   Woodbridge の住宅街に入るとこんな感じになる。信号などは一切ないが、四つ角はすべて車は『一旦停止』なのである。

   もし人が横断歩道内にいたら、その人が道を渡りきるまで、車は動くと交通違反になる。 その辺りは徹底して守られている。

 

      

 

   人工的に作られたこんな湖に掛かる橋が木製なので、Woodbridge と名付けられている。

 

   この住宅に住むと無料で使用できる ジャグジー付きのプールや、バスケットコートなどが幾つも用意されている。

 

      

 

  水がなければ、木も草も生えない土地がこんなに緑化されているが、家の前の芝生まで頻繁に手入れしてくれて、住民は何もしなくていい。

 

  ただ、家賃は結構高くて、家賃は30万円から50万円もするようだ。

  大谷翔平もこの Irvine の住民だが、彼の家の家賃は50万円だとか。

 

  町のいたるところに、サッカー場や野球場、テニスコートなどがあるし、会社関係はいくつかの場所に固まっていて、完全に住宅街とは分離されている。

  この町は、Irvine という開発会社がかっての砂漠を計画的に街にしたので、同じアメリカでも隣町のSanta Ana などとは全く違った形に仕上がっているのである。

 

 

 

             

 

 

   

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