雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

吉田純一さんの会合で出会った人たち -2

2019-03-13 06:54:55 | 発想$感想

吉田純一さんの旭日小綬章 受賞の記念パーテイーは二輪車販売店関連の業界の方々が中心だったのだが、吉田純一さんがカワサキの出身だけに私自身の昔からの懐かしい仲間たちもいっぱいでいろんな方にお会いできたのである。

 大阪の新会長さんと一緒に吉田純一さんは各テーブルを丁寧に回られていたのである。

 このテーブルは、文字通りかっての純ちゃんのカワサキの仲間たちだが、山中さんが飛び入りされての写真撮影だった。

    

 

これは隣のテーブルだが、東京からやってきた純ちゃんのカワサキ同期、関初太郎くんが写っている。 

和歌山の阿部ちゃんもいるのだが、阿部ちゃん関君が初対面とは不思議なもので、私の大阪時代 関君は京都、阿部ちゃんは和歌山にいたのだが・・・

  

 

★そんなカワサキのOBたちの他に、カワサキと特に私とは特別に関係のあった業界誌紙のお二人。

 まずはベタータイムスの森田伊活さん。

  

 

 今は「ベタータイムス」の他に吉田純一さんを援けてAJのアドバイザー日本二輪車文化協会などにも関係しておられて、幅広い活動なのだが、私とは『ベタータイムス』の創刊号当時からのお付き合いだからもう40年以上も前からである。

 当時の全国カワサキ会会長小野寺和夫さんからのご紹介だったのである。全国カワサキ会では私も副会長などをしたこともあって小野寺さんとは特に親交があったのだが、その小野寺さんからのご紹介だったので、確か当時の全国のカワサキ特約店にその購読をお願いしたそんな経緯で繋がっているのである。

 40年経った今も、盆暮れには丁寧にして頂いて、ホントに恐縮している森田伊活さんなのである。

 久しぶりに森田さんと話してると、こんな方とお会いできた。

 

   

 お名前だけはよく伺っている大阪オートバイ事業協同組合の福井二朗さんである。吉田純一さんも森田さんや福井さんなどいいメンバーに支えられて今回の受賞があるのだと思う。

 ホントに仲間は大事なのである。

この写真は、カワサキのバイクのイベントには、どこにでも現れる『土屋日出樹』さんが撮られた写真からである。

 土屋さん、吉田純ちゃんとも至極お親しいようで、つい先日はカワサキワールドのイベントでご一緒していたのだが、まさかこの会合におられるとは思わなかったので、正装されていた土屋さんを最初は解らなかったのである。

 

 ★業界紙誌というと、二輪車新聞の衛藤誠さんは関西地区では切っても切れない存在である。私とはカワサキの二輪事業スタートの昭和35年(1960)からだから、もう60年になろうとしているのである。

 未だにちゃんと繋がっていて、年に何回も電話が掛かってくるのである。 60年も経って未だに仕事らしきことで繋がってるのは全く不思議なのだが、衛藤さんは未だ記者さんとしては現役で、今回も二輪車新聞の記者さんとしてのご出席だったようである。

 衛藤さんとは、カワサキの良き理解者として常に援けて頂いていたのだが、特筆すべきは、カワサキ特約店制度が昭和48年(1973)当時順調に立ち上がることが出来たのは、そのコンセプトの骨子を二輪車新聞のトップ記事で大々的に報道して頂いた衛藤さんの記事に負うところ大なのである。

 そんなことで、こんな歴代のカワサキメンバーとも、顔なじみなのである。

 

   

 

 ★これはまたいいメンバーがお揃いである。

 東海オートトレーデイングの長坂さんが入っておられるが、藤田・渡部さんが名古屋にいたころのお付き合いだそうである。

 左から柏原久・ヨシケンこと吉川健一、その親分と言っていい藤田孝昭 そして一番右が達ちゃんこと渡部達也くんである。

 粗っぽく言えば、カワサキの国内の歴史を創ってきたメンバーたちで、京都営業所にご縁が深い。

 

    

 

 藤田孝昭くんは、川崎航空機昭和32年の入社で私と同期なのだが、カワサキオートバイ販売が出来た当時からカワ販に出向したままだったのだが、国内の販売網は彼が創ったと言ってもいいほどなのである。

 平井さんがいた兵庫の後、京都・大阪・名古屋・西日本・東京と主力市場を担当してきっちりと販売網を創り上げた後、ジェットスキーの国内導入に当たっては、東京所長から単身ホントに一人でのジェットスキー担当となって、ジェットスキーという新事業を推進した私を援けてくれたのである。

 ジェットスキー新会社を創るころには常務として、数年のうちにジェットスキーの国内販売網を創り上げてくれたのである。そのKJSでは、渡部達也くんが藤田くんを支えたのである。

ジェットスキーと言えば、その第1号店の灘のショップは、吉田純一さんから提供して頂いたので、こんなところでも繋がっているのである。

 藤田くんとは川崎航空機時代は、野球部で二人で三遊間を守り、1・2番を打った野球仲間だったので気心も解っていて、無理も頼めたのである。京都以降の藤田孝昭の人事はずっと私がやったもので、ずっとムツカシイところばかりを、その都度担当して、成果を上げてくれたのである。

 

★もう一枚、こんな写真を。

 現在の全国オートバイ協同組合連合会会長の大村直幸さんとお会いするのは当日が初めてだったのだが、私のテーブルの隣が、『あの吉村太一』さんだったので、私がお二人をお引き合わせした時の写真である。

 大村さんとはFacebook では毎日繋がっているのだが、お会いできたのは初めてである。

 吉村太一ちゃんとは、彼が未だ17歳当時、カワサキの星野一義も同じ17歳で未だ新人時代にレースで張り合っていた当時からのお付き合いで、不思議なぐらいいろんなことで繋がっているのである。

 前回お会いしたのは、京都で小島松久さんが主催されていた『マウンテンライダースの何十周年記念パーテー』の時以来で、山本隆・金谷秀夫くんと一緒に出掛けたのだが、金谷とはそれが最後になってしまったのである。

 びっくりしたのは、大村さんと藤田くん、初対面ではなくて結構『親しい』のである。

 なぜ? と思ったら「タイ繋がり」なのである。

 吉田純ちゃんも、柏原も、藤田も、何がいいのかタイには年に何回も行かれるようで、大村さんとも『タイで繋がってる』ようなのである。 世の中は広いようで狭い。

 当日は、50名近い国会議員さんを含めて、総勢250名のご出席だったのだが、吉田純一さんはその殆どとご面識がおありなのである。

 このような会にありがちな『冷たさ』みたいなものが全くない『吉田純一さんの人柄』が窺えるいい会合だったのである。

 

 

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 雑感日記のEnglish Version です。

 

     

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