雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

庭木  雑感

2022-09-25 05:43:29 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

三木に移って来てもう50年近くにもなるのだが、
 当初から我が家の庭は、戦前に明石の本家に入っていた庭師の方が、
 『任せておきなさい』と言われて当時は金も苦しかったので、
 庭づくりの費用など一度には払えないので、
 ほんとに10年もかけて石造りから造園までやってくれて、
 『ある時払いの催促なし』で造られた庭なのである。

 ところが樹はなぜか枯れるのである。
 実はごく最近も玄関の前の『キャラボク』が枯れた。
 当初は柘植の樹の前に植えられていたのだが、
 柘植が枯れてしまったので私が勝手に『みかんと柚子』を植えている。

 
 

 
 その前に植えられていた『キャラボク』が枯れたので、
 今日、そこに『シダ』を植えたのである。
 植物にも格があるとすれば、全然違うのだが、
 『まあいいか』と思っている。


 



 『花の咲く樹はもう一つだ』などと言って、
 庭の核となる場所には
 『柘植』や『マキ』なの『花の咲かない樹』が植えられていて
 『五葉の松』など樹齢100年もするのではと思われる
  こんな盆栽風の松があったのだが、これも枯れてしまった。


  


  別に何もしないのだが、生命のあるものには死もあるのは
  樹木も人間も同じだから仕方がない。


★ そんなことで、かっては『風格』が感じられた
 この一画も今では『薔薇』や『サクランボ』などになってしまって、


 



 反対側から見ると
 角に植えられた『マキ』が枯れずに残っているので、
 周囲の石積みとも何とかマッチしているのである。


 



★ こんな剪定が必要な昔の庭も、今どきはお呼びでないのだろう。
 庭木は『大きくしない』ようにしないと
 大きくしてしまうと『庭の形が変わってしまう
 そんなことを言ってみても、庭に時間を掛けれるのは
 私のような『時間がいっぱいある』高齢者でないと無理かなと思う。

 この庭も、私がいなくなってしまったら、
 『どんなことになるのだろう?
 と思ったりするのだが、『まあ、なるようになるのだろう』と思ったりしている。

 今回、『キャラ』の後に『シダ』を植えたのも、
 『シダ』なら放っておいても大きくならないし、手入れが要らないと思ったからである。

  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする